福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

月報記事

転ばぬ先の杖(第37回) 契約書って重要!

法律相談センター運営委員会 副委員長 松尾 佳子(55期)

このコーナーは、弁護士会の月報を読まれる方に向けて、役に立つ法律知識をお伝えするものです。

■契約書を作らなくても契約は成立します

法律相談の際、例えば、「契約書がない場合でも契約は有効ですか?」と質問されることがよくあります。

原則として、書面がなくても契約の「申込」と「承諾」の意思表示が行われた時点で、契約は成立します。

もっとも、金銭消費貸借契約の場合には、実際に金銭の交付がなければ契約は成立しませんし、保証契約は書面等によらなければならない等の例外はあります。

■なぜ契約書を作成するの?

それでは、なぜ契約書を作成する必要があるのでしょうか。

(1) 契約内容の確認のために

契約は、書面がなくても、言葉で決めただけでも成立します。

ですが、言葉で決めただけでは、「いつ」、「どこで」、「誰が」、「何を」、「どのようにするか」等の取り決めを忘れてしまいます。複雑な取り決めは、契約した当事者本人でも正確に覚えることはできません。

そこで、契約の当事者が、自分がどのような内容で取り決めをしたか確認するために契約書を作成するのです。

契約内容を書面で定めておかなければ、契約の記憶が曖昧になり、言った言わないの争いになることは珍しくありません。

契約書を作成しておくと、言った言わないの争いを、ある程度未然に防止することができます。

(3) 証拠を作る

相手方との間で争いとなっても、契約書があれば、無用な争いを防止できます。

仮に裁判となった場合、契約書があれば、裁判所は、契約書を一つの証拠として、どちらの当事者の主張が正しいかを判断します。

ですが、契約書がなければ、証拠となるものがありませんので、自分の主張を根拠づけることが極めて難しくなります。

契約締結の有無、また、契約内容や合意事項を証明することができるようにするために、契約書を作成しておくのです。

この点、「契約書」という表題でなくとも「合意書」、「確認書」、「念書」など、合意内容を示すものであればよいです。

取引の相手に契約書の作成をお願いしにくいという場合では、証拠を残しておくという点から、単なる口頭合意ではなく、例えば、発注書に取引の条件を記載し、相手から承認を得ておくという方法もあります。また、メールやFAXを活用し、合意内容を証拠として残しておくと、将来証拠として役立つことがあります。

■契約書作成時の注意点

契約書を作成するとき、以下のことに注意しなければなりません。

  1. 契約当事者及び契約の目的が明確であること
  2. 文章ないし文言の意味が平易かつ理解しやすいものであること
  3. 内容が適正であること
  4. 当該契約類型における法律上の要件を満たしていること
■特に契約書を作成すべき契約について
(1) 損害賠償の危険がある場合

受任契約、業務委託契約、下請契約など、相手からの依頼で業務を行う場合には、依頼どおりに業務を履行しないと、相手から損害賠償を請求されることがあります。

(2) 無償でモノ・金銭等を譲り受ける場合

無償で相手からモノや金銭を受ける場合、相手方が心変わりする可能性がありますし、相手方の相続人と紛争が生じる危険があります。

(3) 自分が相手方を監督できない場合

たとえば、将来判断能力が低下したときに備えてする「任意後見契約」や、死亡後に効力が発生する「遺言」などは、相手が自分との約束をきちんと守ってくれているか、自分では監督できません。

以上のような場合は、特に契約書を作成すべき要請が高いといえるでしょう。

■弁護士等の専門家へ相談するかどうか

契約書作成について、弁護士等の専門家に相談、依頼するかどうかは自由です。

しかし、例えば、契約内容が定形のものであっても、過去に一度でも紛争が生じた経験のある相手方との契約であれば、弁護士等へご相談される方が無難な場合があります。また、契約内容が特殊ないし専門的なものであれば、定型的な書式では対応ができません。

少しでも契約内容に気になる点がある場合には、積極的に弁護士等の専門家へ相談されることをお薦めいたします。

■法律相談センターを積極的にご利用ください

弁護士会では各地で法律相談を行っています(事前予約制:ナビダイヤル0570−783−552(ナヤミココニ))。是非ともご利用ください。

「LGBTと制服」を終えて ~小石を置いていませんか?~

LGBT小委員会 委員 入野田 智也(69期)

1 はじめに

平成29年10月14日、西南学院百年館において、「LGBTと制服」と題したシンポジウムを、子どもの権利委員会とLGBT小委員会の共催で開催しました。福岡市教育委員会の名義後援も得て行ったこのシンポジウムは、結果として教師の方などをはじめ180人近くの方に来ていただけ、大成功のシンポジウムとなりました。

今回は、僭越ながら、シンポジウムの振り返りと今後の弁護士業務を行うにあたっての留意点について記載させていただこうと思っています。

2 LGBTと制服の問題とは

LGBTという言葉は少しずつ社会に定着してきており、弁護士の間でも少しずつ認知されてきているとは思いますが、おさらいとして確認しますと、LGBTとは、L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシュアル、T=トランスジェンダーの頭文字をとったものです。しかし、現在では性的少数者を総称する用語としても用いられています。

LGBTと制服の問題ですが、性的少数者、特にトランスジェンダーにとっては、自分の自認する性と異なる性を前提とした制服を着用させられることが苦痛であり、自己を否定されているような気持ちを持つ方もいるという現状が有ります。性自認が男性の方は、無理やりスカートを履かされたらどうかを考えてみると分かりやすいかもしれません。

このようなLGBTを取り巻く制服の現状や、制服を男女で分けている学校の制度に問題意識を持ち、今回は「LGBTと制服」という題目でシンポジウムを行いました

3 シンポジウムの内容について

シンポジウムは、第一部がLGBTの子どもたちの交流会や電話相談などをしているFRENS代表の石崎杏理さんの基調講演及び実際に制服で悩んだ経験のある子どものビデオメッセージで、第二部は石崎さんに加え、佐賀大学教育学部の吉岡教授、福岡女子商業高校の柴田校長、そして当会の松浦弁護士の四名の方によりパネルディスカッションを行いました。

(1) 「小石の上」を歩く当事者

第一部は、日頃からLGBTの子どもたちの悩みを聞いており、自身も制服に悩んでいたトランスジェンダーである石崎さんにしか語れないであろう貴重な内容でした。講演では、LGBTの基礎的な知識から、当事者が普段の生活の中で周囲の人からいじめにあったり、自己の性自認とは異なる言動や格好を強いられたりと、たくさんの悩みを抱えていることをお話されていました。また、当事者は、悩みを相談したくても、相談する相手が理解してくれるのか不安でカミングアウトができず、誰にも相談できずに抱え込んでしまい、人付き合いをうまくできないという現状もあるとお話していました。

その講演の中でもLGBTの子どもたちが普段の生活の中で痛みを感じていることを、「毎日、裸足で小石の上を歩いている」という例えで説明していましたが、その例えはLGBTの子どもたちが普段の生活の中でいかに痛みを受けて傷ついているのか、傷ついている事自体が当たり前のようになってしまっているのかといった現状を的確に示していると感じました。

また、性別は女性であるけれども性自認は男性(いわゆる「FtM」)のビデオメッセージは、「制服を着る」ことが自分の性自認とは異なる「女性」というレッテルを貼られることになり、自己を否定されているような学生時代を過ごした当事者の苦しみを、鮮烈に伝えてくれました。制服を着なければ同級生から奇異の目で見られ、着たくないと訴えても教師にも分かってもらえない、そんな自身の痛み苦しんだ体験を生々しく語っているビデオメッセージであり、石崎さんが語っていた小石が実際にどのようなものなのかをよりリアルに教えてくれたと思います。

(2) 悪気なく小石を置く「鬼」になってはならない

石崎さんの講演でもお話がありましたが、多くの人は、知識がないがゆえ、知らず知らずに当事者の生活にこの小石を置いているのです。石崎さんの例えを借りれば、それまで「良い人」だったのが突然「鬼」のようになるそうです。

ただ、私たちには知識がない場合にどのように「鬼」になるかはわかりません。石崎さんは「牛乳アレルギー」を例えにこのことを参加者のみなさんに分かりやすく伝えていました。

牛乳アレルギーについての知識を全く持っていなかったとしたら、私たちは、「牛乳を飲めない」子に対して、何も理由を聞かずに「牛乳を飲まない」子だと思い、その子に対して、「わがままだ」とか言ってしまうかもしれませんが、アレルギーというものがあると言うことを知っていれば、この子はアレルギーなのかもしれないという思いに至ることができます。知っている人から見れば、アレルギーの子に「わがまま」だと言っている人は、鬼のような人だと思うことでしょう。

参加していた方の中には、石崎さんの話やビデオメッセージを聞いて、自らが、知らずにその小石を置いてしまっていることに気づいた人も少なくなかったのではないかと思います。私たち弁護士も、普段の法律相談の中で小石を置いてしまっている可能性もありますから、弁護士も最低限の知識を身に付けることは怠らず、「鬼」とならないように努めることが必要です。

(3) 個別対応すればよい?

第二部のパネルディスカッションでは、学校が男女を分けるシステムになっており、現在までに少しずつ改善をしているものの、未だに問題を抱えていることを確認することから始まり、シンポジウムの題目である「制服」に焦点の当てられた議論がなされました。

なお、制服は、着ることが強制されているように思っている人も多いですが、法令等で決められているわけではなく、正確には着用義務のない「標準服」だそうで、標準服をどうするかは学校長の裁量で決められているものだそうです。

パネリストの一人である柴田校長が現に取り組まれてきた「制服の選択制」はLGBT問題に取り組む際に、制服問題に限らない視座を与えてくれます。

柴田校長は、すでに福岡女子商業高校において、女子生徒がズボンを選択できるようにし、今なお制服がどのようにあるべきかを考えていらっしゃるとのことでしたが、そのきっかけは、人権研修会で石崎さんの講演を聞いたときに制服で悩む子どもがいるということを知ったことだったそうです。また、多くの生徒が自転車通学する姿を見て、「冬にスカートでは寒いのではないか」ということも考え、LGBTに対する配慮という面だけではなく、防寒の面からも制服の選択制を導入されたようです。

福岡女子商業高校では、制服をどうするかということは校長や教師に申告する必要はなく、その理由も問わない、つまりLGBTかどうかというのは無関係に制服を選べることにしているそうです。これを読んでいる方の中には、選択制ではなく、申告制にして個別対応すれば十分ではないかと考える人もいるかと思います。しかし、柴田校長は、この点について、制服を選ぶことでアウティング(自分が当事者だと表明すること)になる可能性を指摘し、アウティングを強いられてしまうのでは選択制にする意味が無いとおっしゃっていました。

柴田校長は、生徒に対しても、制服の選択制を説明する際にLGBTへの配慮であるということは言わず、制服の選択制を導入した理由について、「スカートでは寒いから」「ズボンのほうが動きやすいから」といった説明をしているそうです。

私たちは安易に個別対応でよいのではないかと思ってしまうこともありますが、個別対応では当事者の痛みは消えず、また小石を新たな小石にすげ替えただけになってしまう可能性もあります。しばしば聞く例えですが、LGBTの方々に配慮しますと言って、会社にLGBT専用トイレと明言したトイレを作ったとしたら、そのトイレを使うことは自分がLGBTだとアウティングすることになってしまい、それでは本当に使いたい人が使えないことになってしまいますよね。このような柴田校長の視点や配慮は、制服だけに限らず、LGBT問題やその他の人権問題を考えていくにあたって必ず必要な視点となるでしょう。

(4) LGBTに限らない「制服」の問題

今回のシンポジウムは、LGBTと制服という題目ですが、松浦弁護士からは制服の問題はLGBT当事者のみの問題ではないことや、日本が子どもの権利について十分な施策を取ってきていないことの指摘をいただきました。また、吉岡教授からは、名簿の順番や家庭科の授業の履修などで学校内で男女が分けられてきたその歴史を語っていただき、改善された点や残された問題点について指摘していただきました。

そして、石崎さんや柴田校長も制服の問題をLGBT固有の問題とは捉えておらず、このシンポジウムのパネリストの方々の共通認識として、男女を分ける学校の制度そのものへの問題意識があったと思います。

今まで当たり前のように男女を分けていた制度を取り除き、子どもが自分自身で選べる力を身につけることのできる制度にすることが子どもの成長につながるように思います。現に、柴田校長は制服を選択制にするにあたり、子どもの意見を取り入れ、子どもにどのような制服が良いかを考えてもらっているようで、子どもの主体性を育んでいるともお話されていました。

4 終わりに

今回は、LGBTと制服という題目でシンポジウムを行いましたが、前記のとおり、制服の問題はLGBTに限らない問題ですから、子どもたち一般の問題としても考えていく必要があります。そもそも、男子生徒は詰襟、女子生徒はセーラーにスカートというのは、昔ながらの価値観の押しつけであって、制服の選択制はやはり取り入れるべきであり、弁護士会としても、議論を深め、教育関係機関に働きかけていくべきではないでしょうか。来場者に対するアンケートでも、制服について、選択制を取り入れた方が良いという声がほとんどだったようです。

もっとも、制服をなくすということには反対の意見も少なくなかったようです。その反対の理由は、学校への同窓意識や貧困への配慮(私服が買えない人への配慮)というものがあったようでした。これらの意見については、様々な意見があると思いますが、必ずしも制服がないといけない理由にはならないように思います。

私は、「制服をなくすべきか」という制服ありきの問いを見直し、「子どもたちの成長のためには学校がどうあるべきか」という視点の中で、制服が子どもの成長に与える影響を語るべきだと思っています。石崎さんのアレルギーの話でもありましたが、今まで子どもたちの「わがまま」で切り捨ててきたものを、なぜ子どもが制服を着ないのがわがままなのか、子どもには制服を選択する権利があるのではないかということを弁護士が中心となって考える必要があるでしょう。

福岡の中では、義務教育において制服の選択制を取り入れている学校はほとんどありませんが、今回のシンポジウムには教育関係者の方々にも多くご参加いただきましたので、今後、教育関係機関がこの制服問題にどのように取り組んでいくのかは楽しみなところです。弁護士会の中でも、このシンポジウムを契機に「福岡市の制服を考える会」が発足しており、同会は今回のシンポジウムの結果に満足することなく、制服を含めた教育における子どもの問題により一層取り組む準備をしているので、私も微力ながらその一助となれればと考えています。

中小企業法律支援センターだより 福岡県信用保証協会との連携覚書の締結

中小企業法律支援センター 副委員長 碇 啓太(62期)

1 はじめに

去る平成29年9月25日、福岡県弁護士会と福岡県信用保証協会とが中小企業の法律支援に関して連携覚書を締結しましたので、ご報告をさせていただきます。

弁護士会と保証協会が中小企業の支援を目的として連携覚書を締結することは、九州では初の試みです(なお、他会では新潟県と神奈川県の弁護士会が保証協会と連携をしているようです。)。

同日、当会会長及び保証協会の理事長とで調印式が執り行われたのですが、多数の記者の方々にご列席いただき、また活発に質問がなされました。

さて、福岡県信用保証協会との連携の趣旨について、当会会員において共有をしておく必要があろうかと思いますので、記者発表の記事を引用しつつ、ご紹介させていただきます。

2 連携の趣旨

我が国の約380万の中小企業・小規模事業者は、事業者数や従業員数に占める割合、技術力等において我が国の経済や雇用の主要な担い手でありながら、これに対する法的支援が十分ではない現状があります。福岡県弁護士会は、全国に先駆けて平成22年4月に中小企業法律支援センターを開設し、中小企業支援のため、各機関・団体と積極的に連携する取組みを進めてきました。

一方、福岡県信用保証協会は、中小企業が金融機関から事業資金の貸付等を受ける際に「公的な保証人」となり金融の円滑化を図ることを目的として昭和24年に設立された認可法人で、「信用保証」による中小企業の経営の安定と繁栄及び地域経済の発展を基本理念として、中小企業の創業・ベンチャー支援、事業再生支援、事業拡大などに関わってきました。同協会の利用企業者数は6万1045社に上り、保証債務残高は8391億円となっています(平成29年3月時点)。

両者の連携によって、中小企業への情報提供やセミナーの共同開催などが活発に行われ、弁護士の存在を中小企業の経営者により身近に感じてもらうことができ、中小企業支援のさらなる充実が期待されます。

以上のような認識を前提として、福岡県弁護士会と福岡県信用保証協会とは、中小企業支援という一つの目的の下に、中小企業支援に関する連携覚書を取り交わす運びとなりました。

3 今後の具体的連携について

今後の具体的連携については、定期的に情報交換を行い、相互の担当者において協議をして、(1)中小企業への情報提供及びセミナーの共同開催、(2)相互の研修等への講師派遣、(3)地域における経済情報、動向等に関する情報交換、⑷その他中小企業の支援に寄与する事業などの企画を実施していく予定としております。

既に11月10日に、福岡市スタートアップカフェにて、日本政策金融公庫、福岡県信用保証協会、九州北部税理士会との共催で、創業支援シンポジウムを開催し、具体的な連携を深めていっております。

4 最後に(雑感的なもの)

これまで弁護士としては保証協会との関係では破産や債務整理のときに相手方という関係で関わることがほとんどでしたが、これからは中小企業の法的支援という側面において、相互に協力し、事前に中小企業の法的問題を発見・解決していくという協調関係を築いていくことになります。会員の皆様においても、今後の研修やセミナーなどの開催にあたっては、是非、積極的にご参加・ご協力を賜りたいと思っておりますので、宜しくお願い致します。

紛争解決センター便り

紛争解決センター仲裁員 山内 良輝(43期)

1 紛争の発端

「景気が上向いてきたから、新しい工場を作ろうか。」小さな板金加工会社の社長(会社も社長もTと呼ぶ。)は、中堅建築会社の社長(会社も社長もAと呼ぶ。)に新工場(コウジョウではなく、コウバ)の建築を依頼し、契約を結んだ。

A社長は、小さな会社の頑張りに感銘を受け、スタッフに見積りをさせるのではなく、役員が自ら見積りに動くよう指示をした。

しかし、その後、T会社の資金繰りが急速に悪化したため、T社長は新工場の建築を断念して契約を解除したが、契約を解除した場合には実費を精算するという特約が存在していた。

「役員がこれほど奔走したのだから、役員報酬も当然、実費に含まれる。」A社長は、役員報酬を含む約92万円の支払をT社長に求めた。

「スタッフの給料なら実費かもしれないが、役員の報酬は実費ではない。支払うとしても10万円ぐらいだ。」T社長はA社長の請求を突っぱねた。

A社長の率直な心情は、実費精算の特約がある以上、役員報酬を含めて実費の支払を求めたいが、裁判までする気持ちではなかった。そのとき、当会の紛争解決センターの特徴を熟知するU弁護士がA社長に当センターの利用を勧め、A社長はU弁護士を代理人として本申立てをした。

2 第1回斡旋期日(平成29年6月20日)

「それぞれ言い分はあるが、実働の実損が生じているA会社の方にやや分があるように思われる。しかし、T会社の企業規模や支払能力を考えると、現実的な解決金額は少額になるだろうなあ。」私は、第1回斡旋期日で双方の言い分を聞いた上で、こう考えて、U弁護士に「出来る限り請求金額の半分に近づける努力をT社長にしてもらうが、実際の解決水準は2~30万円が精一杯であるように感じられる。」旨の感触を告げる一方、T社長には「できる限り請求金額の半分に近づける努力をしてもらうこと、支払能力を確認するために過去3期分の決算書と資金繰表を提出してもらうこと」をお願いした。

3 第2回斡旋期日(平成29年8月1日)

「税理士に相談し、40万円なら捻出することができました。」T社長の言葉は、私が想定していた解決水準を超えるものであり、T社長が提出した財務資料に照らしてみても相応のものであった。

「その金額であれば、お受けしたい。」U弁護士は、もともと当センターの手続の中で決着を図ることに重点を置いており、解決金額が少額になるであろうことについてA社長の理解を得ていた。

こうして解決金40万円を一括で支払うことで合意が成立し、本件は解決を迎えた。

4 雑感~ADRと調停の相違

私ども弁護士は、原告の代理人ともなり、被告の代理人ともなるから、対立する当事者の言い分にはそれぞれ尤もなところがあることを知る立場にある。多くの民事事件では、6:4ぐらいのところで優劣を争っており、事件によっては、55:45などのように優劣の差が僅少のものもある。この意味において、100:0で決着をつける判決より、割合的解決が適している事件は少なくない。裁判官が和解を強引に押し付けてくると私ども弁護士は感じることが時にあるが、裁判官が和解を勧めるのも割合的解決がよいからであろう。

私は、紛争解決センターの仲裁員を務めるとともに、民事調停の調停委員を(かつては調停官も)務めており、両者の手続上の長短について時に思いを巡らす。両者とも話合いの手続でありながら、調停の方が裁判所の権威を背景にしているので、法的な正義を大きく外れる解決はできず、強い説得ができる。もし、本件を調停の場で解決するのであれば、調停員(あるいは調停官)である私は、40万円ではなく、分割払いでもよいからもう少し大きな金額(例えば請求金額の半分)を支払うようもう少し強くT社長を説得していたように思う。しかし、これでは調停不成立になるだろう。これとは逆に、紛争解決センターは国家の権威を背景としていないので、強い説得には馴染まないが、その分柔軟性に富んでいる。期日の設定を例にとれば、解決を急ぐ事件であれば、第2回斡旋期日を第1回斡旋期日の3日後に設定することも可能である。このような柔軟な運用は調停では無理であろう。

今回の紛争解決は、調停ではなく、紛争解決センターをA社長に勧めたU弁護士のお手柄であろう。

2017年11月 1日

大連律師協会との交流会IN大連

会員 中村 亮介(63期)

9月21日木曜日から23日土曜日まで、中華人民共和国遼寧省大連市を訪れ、大連市律師協会との交流会を行いました。当会からは、作間会長をはじめとする県弁護士会執行部を中心に総勢20名が大連を訪問しました。

9月21日。13時10分、福岡国際空港に集合し、中国国際航空の飛行機で福岡を発ち、約2時間後に大連空港に到着しました。

当会訪問団が大連空港に到着すると、大連律師協会の副会長と劉挪先生がお迎えに来てくださっていました。

今回滞在するホテルは九州国際大酒店。このホテルの「九州」という表記とはまさに日本の九州をさしているとのことです。少し脱線しますが、もともと大連は1899年にロシアが開発を始めた都市で、当時はロシア語で「ダリニ」という名前だったそうです。その後日露戦争での日本勝利をきっかけに、1905年、日本に統治権が移り、日本が都市の名前を「ダリニ」から「大連」に変更しました。それから終戦まで、大連は日本によって開発が行われた都市で、今でも当時の建物が市街地に残っていますし、また市民も非常に親日的です。

さて話を訪問記に戻します。私たち訪問団は夕方17時30頃ホテルに到着し、その後、「天天漁港」という海鮮料理で有名な店で大連の美味しい料理に舌鼓を打ちながら明日の交流会に向けて団結を強めました。

22日金曜日。午前9時30分、ホテルを出発し「大連商城集団」を訪問しました。「大連商城集団」はかつて九州にもあった「マイカル」を買収した会社で、中国で「麦凯乐」(中国語で「マイカール」と発音します。)を運営しています。その経営理念は「无限发展无微不至」。日本語に翻訳すると「無限に発展し、至れり尽くせりのサービスを。」とでもいいましょうか。中国企業らしい経営理念ですね。。

続いて私たちは、日系の国際物流会社「捷尼克国際物流(大連)有限公司」を訪問し、その会社の総経理さんから、現在の事業状況についてお話を聞くことができました。

昼食後には、弁護士総数120名を超える「法大法律事務所」を訪問しました。その後、大連棒棰島酒店に移動して交流セミナーが開催されました。福岡側からは中原幸治先生が外国人の対日投資について、原隆先生が日本での外国判決・仲裁判断の執行について発表し、大連側からも独占禁止法に関する発表がありました。その後は晩餐会が催されました。大連の弁護士からたくさんの白酒を注がれ、歌や踊りも披露され、最後は福岡側と大連側とで「北国の春」の中国語版を歌って終わりました。その後カラオケに行きました。

23日は午前中に大連を発ち、昼過ぎには福岡に帰ってきました。

今回の訪問は前回の日程と比べて1日短い2泊3日コースで、大連の街をぶらりと観光する時間もなかったのが少し残念でしたが、私自身、無事に作間会長のご挨拶や原隆先生のセミナーの中国語通訳という役目を果たすことができてよかったです。

来年は大連の弁護士さんたちが福岡にやってくる番です。

必要なのは語学力ではなく、声を掛けるほんの少しの勇気である! −初めての国際会議に参加して−

国際委員会委員 奈倉 梨莉子(68期)

(1) はじめに

去る平成29年9月18日から21日、ホテルニューオータニ東京にて、LAWASIA東京大会2017大会が開催されました。

LAWASIAとは、アジア・太平洋地域の弁護士・裁判官・検事・法学者・法律専門職等が参加する団体であり、年に一度、持ち回りで各国の法律家が一堂に会する年次大会を開催しています。ローエイシアの年次大会が日本で開催されるのは、1945年の第4回大会、2003年の第18回大会に続いて3回目とのことで、私自身、LAWASIAの登録会員ではありませんが、この度日弁連及び当会の若手支援制度を利用して、本大会への参加が叶いました。本稿では、初めて「国際会議」なるものに参加した者の目線で、その魅力を少しでもお伝えできればと思います。

(2) 公式セッション

本大会では、34の公式セッション(1セッション90分)が用意されており、各セッションでは、各国の司法制度やビジネス法、国際人権問題など各国に共通する問題をテーマに、各国のスピーカー(通常4,5名)による報告、またそれに対する他のスピーカーや受講者との間の意見交換が行われました。各セッションでは、基本的に英語が使用されますが、全てのセッションに日英同時通訳がつくため、リスニングがあまり得意でないという方も心配はありません。私は、4日間を通じ、計7つのセッションを受講致しましたが、中でも最も印象的だったのは、「移民をめぐる諸問題~とくに『家族』と『子ども』に焦点を当てて」と題するセッションを受講したときのことでした。同セッションでは、ドイツ人法曹によりスリランカにおける海外への出稼ぎ女性家事労働者の問題についての報告が行われたのですが、これに対し会場にいたスリランカ政府関係者の受講者から、ドイツ人法曹が報告のベースとした報告書の公表後スリランカにおける出稼ぎ女性家事労働者の問題は大幅に改善されており、残された子らへの支援も十分に施されているという趣旨の10分以上に亘る猛烈な反論がなされたのです。どちらの言い分が正しいのかということではなく、ある国の抱える問題点を他国から観察した場合と自国の内側から見た場合にどのように違って見えるのかを知り、またリアルタイムの情報を得ることができる点も国際会議の醍醐味の一つではないかと思います。

(3) 外国人法曹との交流

LAWASIAでは、公式セッションのほか、私のように初めて国際会議に参加した若手のためのビギナーズイントロダクションや外国人法曹のためのアクティビティ(皇居ランや大相撲秋場所の観戦等)も用意されていました。また各セッションの合間には、コーヒーブレイクの時間が30分間設けられており、このコーヒーブレイクの時間こそ、国際会議ならではの体験ができるのではないかと思います。面識のない初対面の相手からの「コーヒーにミルクは使いますか」という一言から会話が始まり、「どこの出身か」、「名刺を交換しましょう」、「専門は何か」、「どのセッションが興味深かったか」とどんどん会話は広がっていきます。当然、この間の会話には通訳はつかないため、コーヒー片手に何とか自力で会話をしなければなりません。初日には、中々コーヒーブレイクの時間に馴染めなかった私も、最終日には、臆せず自分から話しかけられるほどになりました。

また3日目の夜には、ガラディナーというパーティが開かれ、約1600名の出席者が盛装して参加しました。9~10名で1テーブルを作り、ディナーを共にします。ディナーの途中には、日本人書道家による書道パフォーマンスが行われ、大いに盛り上がりました。

(4) おわりに

今回、LAWASIAに参加して、語学力もさることながら、近くにいる見ず知らずの誰かに一言自分から話しかける勇気を持つこと(馴れが重要)、そして何よりも伝えたい「何か」(参加の目的や自身の専門性など)を持つことが大切であると感じました。いつか、本大会で出会った誰かともう一度国際会議で再会できればと夢見ています。

LAWASIA東京大会2017に行ってきました!

会員 柏熊 志薫(60期)

わたくし、支援を受けられる若手弁護士の枠に辛うじて滑り込むことができ、去る9月19日~21日、LAWASIA 東京大会2017に出席する機会をいただきました。

LAWASIA(The Law Association for Asia and the Pacific)とは、1966年に設立された、アジア・太平洋地域(ESCAP)の弁護士・裁判官・検事・法学者・法律専門職等が参加している団体です。今年は14年振りに東京で開催されたということで、開会式には皇太子ご夫妻もご列席され、歴史ある国際会議であることを肌身で実感しました。

会場には、日本だけではなく、中国、韓国、台湾、香港、マレーシア、シンガポール、インド、スリランカ、オーストラリア等からたくさんの法律家が来て、熱気で溢れていました。ビジネス、公益、刑事、人権、家事等の様々なセッションが用意されており、どれも興味深かったのですが、残念ながら体は一つしかなく・・・。普段の業務に密接に関連する、養育費や高齢者対応や、子どもの権利等のセッションに参加してきました。

各セッションは、その分野の専門家である各国のスピーカーが自国の法制度や直面する課題について報告し、コーディネータも交えて参加者との質疑応答や議論を行っていく形式になっていました。その一つ一つを語ると長くなってしまうので、印象に残ったお話をいくつかご紹介します。

<養育費の受け取りを保障するための制度>

日本では、養育費は当事者間で協議(合意)ができない場合は家庭裁判所が決定します。

ところが、オーストラリアでは行政機関が金額を決定し、その決定金額に不服がある場合に裁判所での手続が取られます。また、行政機関への申請はオンラインでできるようになり、迅速に金額が決まるようなシステムが出来ています。

そして、実際に子どもを監護養育している者に養育費の申請権があり、例えば、祖父母が孫を育てている場合には、祖父母が、父親と母親双方に対して養育費を支払うよう申請することができます。

さらには養育費と税金や年金は連動しており、養育費が不十分な場合には公的補助が受けられる一方、基準額以上の養育費を受け取っている場合には年金が減額されるなど、子どもの養育が、その両親任せにされるのではなく国や自治体の制度として組み入れていました。

<各国の後見人制度について>

日本をはじめとする東南アジア諸国では、本人の判断能力の程度に応じて、補助する役割を持つ人に代理権や補助権を与え、また、財産管理の責任を負わせる制度があります(日本では後見・保佐・補助に該当します。)。そして、後見人による不正行為(資金の着服や横領)が横行しているのは各国共通する問題でもありました。

セッションの中では、さらに仮想事例<認知症ドライバーが事故を起こした場合の法的責任は誰が負うか>について議論されました。

日本や台湾等は一般の不法行為制度に基づいて、本人に責任能力がない場合は家族の監督責任の問題が生じます(必ず責任を負う訳ではありませんが、問題にはなり得ます)。オーストラリアでは、家族に責任を負わせるのではなく、国家が保障するべきであるという価値判断の下、保険や公的制度で賠償を行っていくということでした。

「誰もが高齢者になり、また、高齢者を抱える家族にもなる可能性があるのに、なぜ個人や家族に責任を負わせるという議論が存在するのかショックだ」というオーストラリアのスピーカーのコメントがありました。

日本も超高齢化社会に突入し、高齢者ドライバーによる事故が後を絶ちません。ただ、公的制度で補償するということは国民の税金で負担することを意味しますから、日本でコンセンサスを得るにはまだ時間がかかりそうです。

<子どもと家族をめぐる移民の問題>

ドイツの弁護士より、自国での移民の受け入れ政策について紹介があり、シリアの難民の子どもがドイツに行った後、離れ離れになった親との再会をドイツで保障するか否かは、「出入国管理」と「子の最善の利益」の利益衡量になるという話がありました。

今、ドイツは難民問題への対応が国家的な課題になっていて、ニュースでも取り上げられているように、政権の帰趨に影響する重要な施策の一つです。

このセッションで、私がとても印象深く感じたのは、最後にインドの弁護士が意見を述べた場面でした。

「利益衡量によって、《保護される子ども》と《保護されない子ども》が出てきてしまう。人道的視点が後回しになってしまわないか?」

「ロヒンギャの問題に直面している。迫害を受けている子どもたちを前に、国の政策を理由にして限界があると言っていいのか?」

<さいごに>

人種、地域、宗教、歴史的背景、経済水準等を異にする各国の法律家同士の議論は、聞いているだけでも鳥肌が立ち、迫力がありました。

さて、このド迫力の国際会議での議論をどうやって聞いたのかって?

そりゃあ、英語を勉強し直しました。My English is rusty. から始めて。でも、全部のセッションで同時通訳がついていましたけど(笑)。

最後に、この大会参加のための支援(費用補助)をしてくださった日弁連と弁護士会、そして、事務所と家を丸3日間空けるにもかかわらず、快く送り出してくれた事務所メンバーと家族に感謝致します。ありがとうございました!

児童相談所の常勤弁護士となって

会員 一宮 里枝子(67期)

1 始めに

私が、福岡県の児童相談所の常勤の弁護士となって半年が経ちました。

朝8時半からの勤務、土曜日曜は原則休みというこれまでとは全く違った公務員生活が身体に馴染んできたころです。

児童相談所と聞くと世間ではどのようなイメージを持たれているでしょうか。子どもを勝手に連れて行くとんでもない行政機関?子どもを守るために走り回っている熱い思いを持った専門家集団?ネットで検索してみると、児童相談所に対する様々な見方があることを思い知ります。虐待件数の増加が取り沙汰されたり、虐待事件が刑事事件となり新聞やテレビで大きく取り上げられることも少なくない昨今、児童相談所の中で弁護士が何をしているのか、ここで少しご紹介させていただきたいと思います。

2 児童相談所での業務
(1) 日常の業務

児童相談所が関わる子どもの問題は、虐待だけでなく、障がい、非行、育成に関することなど、多岐に及びますが、その中で常勤の弁護士の業務は「法的対応」となんとも大きく構えたものになっています。

具体的には、児童福祉法28条審判申立、親権喪失・停止審判申立、未成年後見申立、ぐ犯や触法犯の家裁送致にかかる準備としての書面作成、証拠収集というまさに「弁護士」が常勤で助かる!という業務がまず挙げられます。

そうはいっても、家庭裁判所への申立等は頻繁にあるわけではないので、申立等が想定されそうなケースつまり対応困難なケースに関して、職員からの相談を受けたり、職員と協議したり、保護者との面談に同席したり、市町村・学校・病院等関係機関との会議に出席することが日々の主な業務となっています。福岡県内にある6か所の児童相談所のケースにおいて、このような業務をこなしていくと毎日があっという間に過ぎていく、そのような日常を送っています(もちろん、合間で書面の起案もしています)。

(2) 面談・会議では

子どもの一時保護後、児童相談所に子どもを返せと怒鳴り込んでくる保護者との面談に立ち会うことがあります。虐待の疑いがあることを伝えてもわかっていただける保護者がいることは稀で、勝手に連れて行ったと怒鳴り散らされることがほとんどです。また、ネグレクトの疑いがある保護者、一時保護中の子どもの保護者、施設入所中の子どもの保護者等、様々な保護者と面談をします。言ってもいないことを弁護士に言われたと申し立てる保護者がいたり、どこに地雷があるかわからずふとした一言で怒りが沸点に達する保護者がいたり、児童相談所への恨みつらみを聞かされることばかりです。「普通、大人になってこんなに人に怒られることないよなー」と思いながらも、粘り強く面談を続ける日々です。

病院や学校、市町村との会議では「児相は何も動いてくれない」という不満が充満した状態で、私が参加することになります(まさに、9回ツーアウト満塁のピンチでマウンドに上がるピッチャーです。)。関係機関の方は、児童相談所が強大な権限を持っているかのように勘違いをされていたりしますので、児童相談所としては何が出来て、そのためにどういう要件が必要かをお話しします。そして、児相に投げたら終わりではなく、関係機関の皆様にも連携して動いてもらわなければならないと理解していただくこと、このようなことを訴えるのが私の役目となっています。

このように、どこに行っても「嫌われ者」の児童相談所の職員として、あらゆる場所で色々言われ、その時はさすがに腹が立ったり後悔することがないわけでもないですが、なぜか、とてもやりがいを感じています。それは、職員一丸となって同じ思いでケースに対応していることが大きいのではないかと思っています。

(3) 中に入って感じること

児童相談所の中に入って大変驚いたのは、私が行っているような弁護士が必要とされる対応を、これまでは職員が行っていたという事実でした。平成28年度の福岡県(福岡市、北九州市は除く)の6児童相談所での相談対応件数は、2300件と発表されており、年々増加傾向にあります。職員は、泣き声通告、虐待通告があれば安全確認に駆けつけ、朝から夜まで休む間もなく走り回っています。そのような日々のケース対応に追われながら、慣れない手続にも対応していたのだと思います。そういう意味で、(私が役に立っているかどうかはさておき)常勤弁護士の設置は大きな意味があったのではないかと実感しています。

私は、常勤となる前は、子どもの権利委員会の有志の弁護士で結成された協力弁護団の一員として児童相談所に関わっていましたが、定期的に児童相談所を巡回して職員の法律相談を受けることがメインで実際ケースに直接関わることはありませんでした。

弁護士から初期からケースに関わることで、その後の手続が適切かつ迅速に遂行できればと願いながら日々の業務を務めていきたいと思いっています。

3 これからも

この半年間、弁護士一人では多様な問題に対応することに不安もあり、私一人では解決できないこともありました。そのような時は、子どもの権利委員会の先生方、他児童相談所の先生方にサポートいただきながら、乗り切ってまいりました。この場をお借りして、サポートいただいた先生方にはお礼申し上げます。

これからも、様々なケースへの対応が求められると思います。毎回悩むことばかりですが、悩みながらも最善の対応ができるよう職員と一丸となって、子どもの福祉のため尽力したいと思います。

2017年10月 1日

憲法リレーエッセイ −日本国憲法公布70周年記念講演の報告−

憲法委員会委員 天久 泰(59期)

今年は日本国憲法が施行公布されて70年目になります。これを記念して8月26日の午後、福岡県弁護士会主催(日弁連、九弁連共催)の講演会が開催されました。講師は對馬達雄秋田大学名誉教授で、テーマは「反ナチ脱走兵とドイツ司法」です。会場となった福岡市中央区天神の都久志会館には約250人の市民にお出でいただきました。この記念講演会についてご報告します。

對馬教授作成の資料の冒頭にはこう書かれています。

「自己の良心を支えに人種的、政治的迫害に反対し、ヒトラー・ドイツと異なる『もう一つのドイツ』を求めた反ナチ市民に仮託して、『市民的勇気』(ツィヴィル・クラージュ)とは何か、人間として自立的に生きるとはどういうことか考えて欲しい(中略)読書を捨て一面的なネット情報を鵜呑みにした、同調思考が増す現代日本の動静、とりわけメディアと政治の急速な劣化が、全体主義の再来を招くという危惧があるからです。」
(引用終わり)講演の内容は前後半に大きく分かれ、「市民的勇気」を体現した2名の人物に焦点が当てられました。

その一人はフリッツ・バウアー。1903年にシュトゥットガルトのユダヤ人紡績商の子として生まれ、30年にドイツ最年少の裁判所判事に就任しましたが、33年に罷免されユダヤ人強制収容所生活に家族とともに送られます。35年にデンマーク、スウェーデンに長期亡命し、49年に西ドイツに帰国して判事に復帰、50年以降は検事となり、56年にはヘッセン州フランクフルト地裁検事長になります。

バウアーが検事として担当した「レーマー裁判」(52年)は、ヒトラー暗殺未遂事件(44年7月)に関与した元ドイツ兵たちについて、「外国から金をもらった売国奴で、国家反逆罪の罪人である」との演説をした極右運動家オットー・レーマーが名誉毀損罪に問われた裁判です。50年代の西ドイツでは1万5000人の判事・検事のうち66%から75%は元ナチ党員であったとされ、戦後も依然存在した極右勢力の影響下で、ナチ犯罪や戦争犯罪人に寛大な判決も多く、司法界にも色濃くナチズム期の体質が残っていました。

裁判の争点は、ナチ体制に対する抵抗が、国家反逆罪なのかという点でした。バウアーは事件が矮小化され、無罪判決が出るおそれを抱きつつ担当検事として全力を尽くしました。4日間の公開法廷の傍聴席は超満員で、審理の様子は逐一報道されました。最終論告で、バウアーは鑑定意見を踏まえ、ナチスドイツとは基本権を排除して毎日1万人単位の殺人を行う「不法国家」であり、この不法国家に対する正当防衛の権利は誰にもあること、その限りで抵抗の行動全てが合法的であること、不法国家に抵抗する権利即ち「抵抗権」は人間に付与されていることを述べました。バウアーは事件に関する報道が権威や権力に追従するドイツ人の目覚めるきっかけになることを願い、裁判を通じて国民に学んで欲しかったのです。

結果は有罪判決(禁固3ヶ月)。判決理由は、ナチ国家の実態がもはや法治国家ではなく「不法国家」であり、ヒトラー暗殺未遂事件における抵抗者達の行動は正当であるというものでした。バウアーの主張が受け入れられたのです。国内で大きな反響を呼ぶ判決でした。

ドイツは、戦後徹底的なナチズムの反省を行っていますが、その反省はバウアーの努力なくして実現しなかったといえます。

焦点が当てられたもう一人は、脱走兵であるルートヴィヒ・バウマン。バウマンは、1921年生まれ。20才のときにドイツ兵としてフランス・ボルドーの施設に派遣されましたが、間もなく脱走。すぐに軍に逮捕されて拷問を受け、40分ほどの裁判で国家反逆罪による死刑判決を宣告されます。収容施設で10ヶ月を過ごしたときに終戦を迎え、故郷ブレーメンに戻ります。帰郷したバウマンを待ち受けていたのは、脱走兵というレッテルを貼られ、日常的に「裏切り者」として罵倒される生活でした。彼は精神的に行き詰まり、アルコール依存症に陥りますが、51才のとき、脱走兵の名誉回復が自分の尊厳を得るための唯一の方法であると考え、名誉回復を求める市民運動を始めます。90年には、元脱走兵のための全国協会を立ち上げて広く賛同者を募り、その考えに共鳴する研究者を学術顧問に迎えるなどして政界と司法界に大きな影響を及ぼすようになりました。バウマンの運動を背景に、ドイツ連邦議会はナチズム体制下の法廷(人民法廷)は、ナチスの恣意的な支配のためのテロ組織であったとして、その判決は無効であるとの決議を行うに至りました。バウマンの名誉は回復されたのです。

バウマンはその活動の一環として、学生に向けた講話を多く行いました。ある講演録にはこうあります。「私には不安なことがあります。それはナチ時代の犯罪が徐々に相対化され、無害のものとされることです。そうならないように生徒たちの前で語っているのです。」バウマンの言葉は、人間の尊厳を守るため、忘却される歴史の流れに逆らいながら地道に声を上げ続けることの重要性を示しています。對馬教授の資料冒頭の言葉は、バウマンの言葉と重なります。

對馬教授には、全体主義に抗する「市民的勇気」の意義と重要性という貴重なご講演をいただきました。心より感謝申し上げます。日本国憲法は、去る大戦の背景にあった全体主義的な国家体制への反省に大きく根ざしています。この憲法が70年間にわたり私たち国民に与えてくれた「市民的勇気」とはどのようなものだったのかを振り返らずにはいられない機会となりました。これからも同様の機会を市民に向けて提供できるよう努力していきたいと思います。

あさかぜ基金だより ~卒業生の活動報告~

豊前ひまわり基金法律事務所 所長 西村 幸太郎(66期)

1 はじめに

平成28年9月、あさかぜを卒業し、同10月、福岡県豊前市にて、豊前ひまわり基金法律事務所を開設しました。早くも1年が経ちます。皆様のご支援の賜物です。

あさかぜで学んだことを活かし、どのような1年を過ごすことができたか。これまでの弁護活動を、振り返ります。

2 弁護士赴任の意味

「先生がきてくれてよかった。」

相談者の言葉に、なんと元気づけられたことでしょう。

相談者曰く、「相談できる人が近くにいるというだけで、心強いのです。これまで、正しいかどうかわからず、不安な毎日を送ることもありました。話を聞いてくれる人、アドバイスをくれる人がいるということが、どれほど心強いことか。ぜひ、この地に根を張って、人々の力になってください。」とのこと。

私にとって豊前地域は新天地。地縁もなければ知人もおらず、ゼロからのスタートです。地域に受け入れてもらえるか、連れてきた妻とともに地域に馴染むことはできるか、食べていくことはできるか、地域住民に満足していただける質の高い法的サービスを提供できるか、不安もいっぱいでした。相談者による励ましは、そんな私を奮い立たせてくれるものでした。

弁護士赴任が意義高いものとなるよう、今後も精進を重ねていきます。

3 事件処理の工夫

地域の方(に限らないとは思いますが、相対的に。)は、円満解決、迅速解決を、強く望んでいるように思います。特に、後者の要請が強いと思います。もちろん、紛争は、人間の営みの中で生じるもので、うまくいかない場合も多いのですが、ニーズに応えるため、今まで以上に、事件処理の工夫を図ろうと努力しています。

受任時にできるだけ目安となる時間を伝えること(時間がかかる場合、その理由を伝えること)、事務局と連携しクイック・レスポンスを徹底すること、経過報告書を利用し処理経過を透明化するとともに、こまめな報告をすること、それでいて前向きにやれることからどんどん進めていくこと、などなど。当たり前のことを当たり前に、地道にやっていくことが、結局は、住民の信頼を得ていくことになるのではないかと思っています。

一方、円満解決の意向に関しては、悩ましいところがあります。住民は、地域柄、面目や風評などを強く意識する傾向にあります。法的には疑問を感じざるを得ない場合でも、訴訟を回避するなど様々な理由で、高額な支払いを余儀なくされるという事案も、珍しくありません。訴訟を望まない依頼者に、それでも訴訟を勧めるような説明をすべきか、悩ましいケースも多いです。争訟を好まない地域性に配慮しつつも、法的に適切な解決を目指す、そのバランスが難しいものです。

地域に法律という物差しに則った適切な解決を浸透させていくためには時間がかかりそうですが、私がその一助になれればと思います。

4 地域への浸透

赴任直後、ある先生から次のようなご助言をいただきました。

「弁護士は、地域に根を張り、行事にも参加して、その地域を肌で感じながら、地域に浸透し、事件処理にもあたっていかなければならない。君にそのような覚悟はあるか。」

独立前は、あまり意識していませんでしたが、様々な団体が、各地で、様々な活動をしています。こうした活動に触れることで、その地域の温かさを肌で感じることができ、人脈も広がっていくように思います。事件処理においても、その地域のことをよく知り対応することが、依頼者との信頼関係の醸成、事件の進行、相手方との折衝などにおいて、弁護活動の質の向上を支えるものではないかと思います。

「なにか困ったら、あの先生に相談すればいいよ。」と言ってもらえるよう、地域に浸透し、その信頼を勝ち取って、地域に根差した弁護活動をしていきたいと思います。

5 おわりに

本当は、思い出深いいくつかの事件の紹介も行いたいです。しかし、地域の特性上、事件が特定されやすく、守秘義務の要請が強く働くと思いますので、控えざるを得ません。

思いつくままに、この1年間のことを書き記してみましたが、法の支配の国民的浸透の一助となることを目指した、私の取組みは、まだまだ始まったばかりです。今後も、弛まぬ努力と精進を続け、1人でも多くの方々の力になっていきたいと思います。

今後とも、引き続き、変わらぬご指導・ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

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