福岡県弁護士会コラム(弁護士会Blog)

2014年9月号 月報

給費制本部だより ~7.13札弁市民集会報告~

月報記事

会 員 清 田 美 喜(66期)

1.はじめに

福岡部会の66期の清田です。会員の皆様には、常日頃給費制の復活を目指す活動への温かなご理解とご尽力をいただいておりますこと、心より感謝を申し上げます。

去る7月13日に、札幌弁護士会主催、日弁連・道弁連・ビギナーズネット共催で行われた、「司法修習生への給費の実現と司法修習の充実を求める札幌集会」に、当会から市丸信敏先生(35期)、髙木士郎先生(新64期)、國府朋江先生(新65期)、石井衆介先生(66期)とともに出席してまいりましたので、ご報告申し上げます。

2.集会の模様

集会当日は、札幌らしからぬ少し蒸した天気でしたが、100名ほどの方が会場に足を運んでくださいました。

集会は国会議員の先生方のご挨拶に始まり、与野党を問わず、地元の先生方から熱のこもったお話がありました。国会議員の本人出席が6名、代理出席が4名、メッセージを寄せられた国会議員が14名、市議会議員の本人出席が1名と、多くの議員の方々から賛同の声を寄せていただくことができました。

また、賛同団体として、道医師会会長、消費者協会専務理事、連合北海道事務局長と、幅広い団体のトップクラスの方々が出席し、激励の言葉を述べられました。

当事者の声として、東京の新65期、札幌の66期2名、北海道出身のロースクール修了生が、それぞれの体験に基づく給費制復活への思いを述べました。

3.集会の特徴

今回印象的だったのは、自らの体験に引き付けてこの問題を語る声が複数聞かれたことです。例えば、議員の方の中で、裕福でない生活の中、ご家族が副業をこなして進学資金を捻出してくださったというご経験をお持ちの先生は、生まれた場所や家庭ゆえに法曹になれない者が生まれることを憂慮されました。また、医師として研修医時代に苦労された経験をお持ちの先生は、自分の生活すらままならなくて人のために尽くせるだろうかと訴えかけられました。

道医師会会長は、「自分が医師になろうとした頃はインターンが終わった後に国家試験を受ける制度になっており、資格もなく稼ぎもないという中途半端な身分を味わった。その頃、司法修習生は給与を受けており、自分たちと随分違うなと思っていた。今、司法修習生の給与が廃止されていることは不条理であると思う。人権を守るためにきっちり仕事をしてもらいたい、そのために経済的裏付けが必要であり、一日も早く給与が復活されることを願う」という深いお話をしてくださいました。また、消費者協会からは、自分たちとともに消費者トラブルの予防解決に取り組む存在であった弁護士に、お金持ちしかなれないようになることは社会全体の損失であるし、民主主義を危うくしかねない問題だという強い危機感が示されました。連合からも、電話相談や、労使交渉の場面で、決してお金になる仕事ではないが、弁護士がともに取り組んでくれると、その存在意義を訴える言葉がありました。

このように、給費制の問題が、単に修習生が給与をもらえなくて気の毒だというものにとどまらず、広く優秀な人材を法曹界に集めるためにも、また市民の権利を守るという法曹のあるべき姿を維持していくためにも、給費制の復活がぜひとも必要だということを列席の方々が深く理解され、ご自身の実感のこもった言葉で語られることに、驚きと、深い感動を覚えました。

4.当事者の声

当事者からも、自らの体験に基づく生の声を聞くことができました。札幌の66期2名は、「一度は家族から経済的援助を断られ進学を諦めたが、頼み込んで援助をしてもらった。経済的理由で進学を諦めようとした時の辛い気持ちを、後輩に繰り返してもらいたくない」「やっと試験に合格して、親に報告できたと思ったのに、続けて連帯保証人になってくださいと言わなければいけなかった」と、それぞれの辛さや悔しさを語り、とても身につまされるものがありました。

現在、今年の試験の結果を待っているという修了生からは、テレビドラマを見て検事に憧れ、司法試験を志したが、貸与制になる以前にもお金がかかることを知って躊躇した、貸与制になった今、インターネット上でも「法曹になるにはすごくお金がかかります」「奨学金などは自分の努力で減らすことができるが、貸与金は避けて通れません」などという言葉を目にするようになり、自分と同じようにドラマを見て憧れた若い人の夢がすぐに潰えてしまうのではないか、この制度は絶対に間違っているという、素朴でまっすぐな怒りの声が上げられました。

後に続く後輩たちのためにも、この運動を何としても成功させようという思いは、私だけでなく、集会の場に集った法曹関係者、来賓の方々の胸にも、きっと強く刻まれたことと思います。

5.リレー集会に向けて

札幌集会の最後に時間をいただき、当会で9月6日に行う給費制復活の市民集会の案内をさせていただきました(写真はそのときの模様です)。

札幌、福岡に続き、仙台、名古屋、岡山と各地で市民集会が行われる予定になっています。

この月報が皆様のお手元に届く頃には福岡集会は終了していますが、一人でも多くの会員の皆様に足をお運びいただき、大成功の裡に終われることを祈ってやみません。
今後も引き続き、給費の復活に向け、皆様の心強いご支援を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

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◆憲法リレーエッセイ◆ 憲法市民講座のご報告

憲法リレーエッセイ

会 員 上 野 直 生(66期)

1 はじめに

去る平成26年7月11日、福岡県弁護士会北九州部会主催の「憲法市民講座」を開催いたしましたので、ご報告させて頂きます。

2 開催の経緯

「憲法市民講座」は、当部会の憲法委員会が企画し、8年前から年2回のペースで開催しています。市民の方々を対象とした公開講座で、各界から講師をお招きし、憲法に関連する課題や問題について学習します。

今回は、「集団的自衛権は必要か~日本をめぐる国際情勢と日本外交を概観しながらの検討~」というタイトルで、シンクタンク「New Diplomacy Initiative(ND:新外交イニシアティブ)」事務局長であり、第2東京弁護士会所属の弁護士でもある猿田佐世氏を講師としてお招きし、講演を行っていただきました。

猿田氏は、アメリカへの留学経験及びニューヨーク州弁護士資格を活かし、ワシントンをベースに日米の議員・学者・報道関係者のサポートを行い、米議員・研究者の紹介や面談・取材設定などを行われています。最近のご活動としては、稲嶺進名護市長の訪米行動(今年5月15日から9日間)を企画し、同行しました。

3 講演内容

猿田氏より、「集団的自衛権行使の是非」及び「閣議決定を通じた憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認の可否」という2つの論点について、分かりやすく解説していただきました。

まず、平成26年7月1日に行われた集団的自衛権行使容認の臨時閣議決定以前の、集団的自衛権行使に関する政府見解をご紹介いただいた上で、解釈改憲による集団的自衛権行使容認の問題点について、立憲主義の視点より詳しく解説していただきました。

次に、7月1日の閣議決定の内容を踏まえ、集団的自衛権行使による外交上及び安全保障上の問題点について、アメリカによる湾岸戦争介入などの事例に基づき具体的に説明していただきました。歴史的に見て、集団的自衛権の名の下に、経済大国から中小国に対する軍事行動が一方的に行われたこと、それにより国家間の軋轢が生じたことを顧みる必要があるのではないかとの問題提起がありました。

さらに、猿田氏のワシントンなどにおける活動経験に基づき、日本の集団的自衛権行使に関するワシントンにおける議論状況やアメリカの政治家及び有識者の見解を分析し、その上で、新しい形の日米外交の必要性を説明していただきました。「日本通」として知られる知日派の米議会議員でさえ、今回の集団的自衛権の問題については十分理解しておらず、在沖米軍普天間基地の問題に触れても、「沖縄?そこには2万人くらいは住んでいる?」との返答が帰ってきたというエピソードの紹介もあり、政府や官僚主導による外交のみでは、外交の内容が偏り、質が劣化してしまうのではないかと考えさせられました。

4 参加者のご感想

新聞のイベント欄で告知していたこともあり、講座には約70名の市民の皆様(弁護士20名程度を含む)に参加をいただきました。

参加者からは、「ワシントンから見た日本の集団的自衛権行使容認に対する評価が理解できた」、「政府間レベルの外交だけでなく、市民レベルでの新しい形の外交があることがよく分かった。」等のご感想をいただきました。

5 最後に

参加いただいた市民の方々より、「法律の専門家として、市民の権利を守る先頭に立って欲しい。」、「今後も、弁護士会による憲法市民講座の継続を希望します。」等の声が多数寄せられました。

このような市民の皆様の声により、改めて弁護士が果たすべき社会的責任の重さに気付かされると同時に、次回憲法市民講座開催に向けての大きな励みとなりました。
今後も、市民の皆様と一緒に、日本国憲法についてしっかりと考える契機となる憲法市民講座を継続していきます。会員の皆様もぜひご参加下さい。

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シリーズ―私の一冊― 「空の如く 海の如く」(新田純子著 株式会社毎日ワンズ発行)

月報記事

会 員 三 浦 啓 作(22期)

はじめに

日経か、朝日の書評で見た本である。

普段は、俳句関係の本しか読まない私が新聞の書評に惹かれて、最近の作家の本を読んでみた。

著者の新田純子は、1983年に中央公論女流新人賞を受賞した作家で、他に浅野総一郎の伝記を扱った「その男はかりしれず」などがある。

本書は、空海の幼児期から晩年までを丹念に辿った一代記である。

一代記であるから、登場人物が多く、また時間軸も長い。できれば弁護士お得意の登場人物の関係図や年表などを作りながらお読みになることをお勧めする。

司馬遼太郎との比較

空海については、以前に司馬遼太郎の「空海の風景」を興味深く読んだことがあった。

司馬遼太郎の「空海の風景」が一々証拠や傍証をもって論証していくのに対し、本書は、ほとんど証拠傍証を援用することはない。あたかも神の目で空海の一生を眼前に見ているような書き方である。

先ず、この本を読んで感じたことは、文章のスピード感である。1文平均20字ないし30字くらいであり、そのスピード感は読みながら小気味良いくらいである。

次に、ほとんど半頁か1頁くらいで場面が転換する。いわゆる映画やテレビのモンタージュ手法である。この場面転換の速さが文章のスピード感と併せて読者を飽きさせない。

また、本書の文章はほとんど現在形で書かれている。それによって一層臨場感が出ている。

空海の母方は宗像族と関係

空海は幼名を「真魚(まお)」といい、西暦774年、讃岐国多度の郡(こおり)の長(おさ)・佐伯善通の五男として生まれた。

善通の妻、つまり空海の母親の実家の阿刀(あとう)氏は、九州の宗像一族との関わりが深い。冒頭に、空海と宗像一族との関わり合いが出てきたので、この本に引き込まれた。

東大寺大学寮に入る

空海の母方の伯父に、桓武天皇の次男である伊予親王の教育係に抜擢された阿刀大足(あとうおおたり)なる者がいた。聡明な空海は、満15歳の時に、その伯父に連れられて奈良の都に出る。

18歳のとき、伯父阿刀大足の助けもあって、東大寺大学寮に入る。しかし、そこでの修行に飽き足らず、渡来僧の菩提僊那(ぼだいせんな)を知っている大安寺の僧戒明(かいみょう)に出会う。戒明の示唆もあり、菩提僊那から伝えられた宇宙の普遍的波動に自分の魂を同化することができる「虚空蔵求聞持法(こくぞうくもんじほう)」の修行に入る。空海は厳しい苦行の末に終に虚空蔵求聞持法を習得する。

その後、空海は密教の根本を習得するためには、唐に渡って密教の正当な第一人者から教えを受けなければならぬと考えるようになった。

遣唐使船に乗る

伯父大足の斡旋で、空海は、運良く遣唐使船に乗ることが出来た。

空海と同じ機会の遣唐使船に乗った者の一人に最澄がいた。当初、4隻で出発した遣唐使船は、空海と最澄が乗った2隻のみが無事に唐に辿り着いた。

密教第一人者恵果(えか)との出会い

唐の長安では、密教の正当な承継者である恵果と、まるで仏が引き合わせでもしたかのように出会う。恵果は、他の弟子達を差し置いて、空海に対し、真言密教の第一人者となる灌頂の儀式を授けた。それによって、それまで金剛頂系の流れと大日経系の流れの二つに分かれていた密教の教えは一挙に空海という一人の人物に伝授されることになった。第一祖龍猛菩薩から数えて、恵果は第七祖であり、空海は第八祖に当たる。恵果は空海に教えを伝授すると、程なく亡くなってしまう。

その頃、折良く唐の徳宗帝が崩御し、日本から国使が派遣されることになり、空海は、その帰りの船に便乗して帰国することができた。

歴史の襞

空海の帰国の道程として、途中、唐の越州についた後、太宰府に到着するまでの間に4ヶ月の空白期間がある。

この4ヶ月の間に、空海は越州で膨大な仏典を集めさせていたことになっているが、著者は、この4ヶ月間に空海が秘かに佐渡或いは能登に帰国し、密教の道具類を、安全のために佐渡と能登に上陸させたと書く。今で云えば、密航である。これによって佐渡と能登は真言密教有縁の地となった。この部分は、今まで誰も書かなかった著者の創作である。

高野山の建設

その後、帰国した空海が高野山に一大伽藍を建築し、最後に、そこで、入定するまでが詳細に描かれているが、それから先はお読みになってのお楽しみとしておこう。

空海は、真言密教の第一人者として、多忙な日々を過ごしながら、全国津々浦々を巡っていわゆる空海伝説なるものを残している。

筑後川のエツ

筑後川の河口付近にたどり着いた空海が、向こう岸に渡るのに、舟を見つけて、船頭に渡してくれと頼む。船頭は二つ返事で乗せはしたが、金を払ってもらえるかどうかが心配であった。渡り終えると、案の定、空海は船賃に関しては素知らぬ顔。しかし、岸辺近くの葦の葉を小刀で切り取り、それを河に浮かべた。すると、その葦の葉は、銀鱗を閃かせて泳ぎ始めた。これが筑後川のエツである。その後、その船頭は季節になると、エツを捕って暮らしたとのことである。

最後に(最澄との関係)

もう一つ本書で読み応えがあるのは、同時代に生きた最澄との関係である。同じ機会の遣唐使船で唐に渡った最澄と空海は、最澄が空海より7歳年長である。最澄は既に都において朝廷の力を背景に仏教界における第一人者としての地位を築きつつあった。それに対し、空海は一介の私度僧(しどそう)に過ぎなかった。また、最澄は、唐における滞在期間を当初から1年間と決めていた。それに対し、空海は、当初は7,8年を予定していたが、まことに都合良く、密教の正統な承継者第七祖の恵果に巡り会い、正統な密教を伝授され、密教の第八祖となる僥倖を得たので、当初の予定を切り上げて2年で帰国した。

帰国後の空海に対する最澄の微妙な態度の変化も見所である。

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「転ばぬ先の杖」(第8回)~離婚事件の「転ばぬ先の杖」って何だろう~

月報記事

会 員 東 敦 子(52期)

「転ばぬ先の杖」というお題で・・とある弁護士にお願いしたのに、「私は転んでばっかりだから、そんなテーマは書けませんねえ。」ときっぱり断られてしまいました。ということで投げたボールが上手いこと打ち返されたため、東が担当させていただきます。
さて、私が受ける相談の多くは離婚(女性、たまに男性)。離婚のときの「転ばぬ先の杖」って何でしょうか?
離婚については、インターネットで検索すると様々な情報が出ており、弁護士に相談に来る前に予備知識を持っている方が多くなりました。ですが、情報が多すぎて、不安になっている人が増えた気がします。また、相談に来られる方の多くは、弁護士には「はい」か「いいえ」を求めておられるのですが、どうして、そんな質問をしているのか、どんな事情があるのかを聞かないと簡単には回答できないことばかりです。
普段の相談を振り返ってみますと・・・

Aさん「離婚したいって、先に言い出したら不利になるんですよね。」
このAさんタイプの質問をはじめて聞いたとき「都市伝説・・・?」と思いました。先に言い出したから、不利ってことはないしなあ・・・。こんな場合はどうでしょうか。~Aさんは単純に夫との性格の不一致で離婚がしたかった、ところが、Aさんの夫には浮気相手がいてAさんと離婚したいと思っていた。Aさんは、夫の浮気を知らないまま、本来、慰謝料が請求できるのにそれに気づかないまま離婚。夫の方はしばらくして再婚し、内心ラッキー~。まあ、先に言い出したから不利になったというわけではありませんが、いつのタイミングで切り出すのか、相手に離婚を切り出す前に、弁護士に相談しといてよかったわあと言っていただくこともあります。

次は、限りなく心配性のBさんです。
Bさん「私はずっと専業主婦です。夫から『お前は子どもを育てられないから、親権は取れないぞ』って、本当ですか?」
わたし「まだお子さん小さいですよね。生まれてからも、今も、お世話しているのはお母さんでしょう?」
Bさん「でも、夫は『お前と別れて、再婚でもして、その女性が育てるからいい、俺の親が育てるからいい、家事なら家政婦雇うからいい』って言うんですよ。」
わたし「再婚相手も義母も家政婦さんも『お母さん』の代わりはできないし。」
Bさん「でも、でも、私は何の資格もないし、子どもを大学に行かせられないかも。」
わたし「まだね、赤ちゃんだし、大学はもう少し先のことですよね。今、お子さんが小さいうちに、お母さんも仕事のこと頑張ってみませんか。離婚して、生活基盤が弱くても、母子を支援する制度もあるし、就業支援もありますよ。私の依頼者の方で、専業主婦だったけど、県外の母子寮に入って、看護師になった人もいるし、保育士になった人もいますよ。」
Bさんは、子どもの生活のことを思うから、将来のことを思うからこそ、自分が育てていいのか、悩みます。「子どもさんのことを、こんなに真剣に考えて悩んでいるあなたこそが、親権者にふさわしいのですよ。」Bさんは大泣きして、そのあと笑顔になって、帰っていきました。人生の大きな転機を迎えて、不安で押しつぶされそうなとき、励ましたり、支援機関につないだりすることも弁護士の仕事です。

最後に、DV加害者のCさん(男性)です。ある日、とても暗い表情で、訴状をもって相談に来られました。Cさんの暴力で大けがをした妻から届いた訴状でした。Cさんの相談は「僕は離婚したくありません。」でした。
わたし「ごめんなさいね。あなたの希望にそう結論は出せないと思うから、私は代理人になれません。」
Cさん「どうしてですか?僕のことを軽蔑するからですか?あなたが女性だからですか?」
わたし「そうではありません。この事件の内容では、私がどんなに頑張っても、離婚しないという結果を出すことはできない、それを私がわかっているから、あなたに正直に伝えているのです。」
Cさん「僕は、妻のことが大切だ。ちゃんとやり直せる。」
わたし「あなたはそう思っている。でも、奥さんはそう思っていない。私には奥さんの気持ちを変える力はない。そうなると最終的には裁判所が判断するのです。私は、裁判所は離婚を認めると思います。だから、離婚したくないというあなたのお役には立てない。ごめんなさいね。」
こんな会話が1時間、いえ、2時間は続いたでしょうか。Cさんは「わかった。僕は、あなたに代理人を頼みたい。離婚する方向で話し合いをするが、自分の意見も伝えてほしい。」と真剣に言われました。「私が代理人でよいのですか?もし、途中で気持ちが変わったら、言ってください。」と私も腹をくくって受任しました。もちろん、Cさんが簡単に割り切れたわけではありません。訴訟は離婚の方向で話し合いを続けたものの、その後の打ち合わせのときも、Cさんの気持ちは揺れ続けていました。寂しい、僕だけが悪いのか?僕が妻に手を挙げたとき、僕なりの理由はあったんだ・・・。普段は、妻の代理人をすることが多い私ですが、Cさんの立場からみた夫婦の関係、妻への思いを、一つ一つ受け止めていきました。Cさんにとって、とても苦しい時間だったと思います。Cさんは、私を解任することはなく、裁判所の和解離婚も受け入れました。Cさんが苦しみながらも離婚を受け入れた理由は「これ以上、妻に嫌われたくない。離婚したいっていう妻の希望を叶えてあげることにした。離婚は嫌だけど、受け入れる。」でした。
私は、Cさんの「転ばぬ先の杖」にはなっていませんが、転んでしまったけれど、次に進むための小さな杖にはなれたかもしれません。

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