福岡県弁護士会コラム(弁護士会Blog)

2004年5月 1日

紛争解決センターってどんなところですか?

ウォーク

紛争解決センター運営委員会 事務局長 大神 昌憲

1 福岡県弁護士会紛争解決センターついにスタート!

思い余って弁護士に相談したところ自分で裁判するように言われたが、裁判沙汰などとんでもない。弁護士に依頼して紛争を解決したいが弁護士費用が払えない。

裁判を利用したいが一般に公開されるし時間がかかりすぎて嫌だ。

このような場合、多くの市民は泣き寝入りを強いられていたと思います。

こうした市民の不満を解消するために、平成十四年十\二月二十日、福岡県弁護士会紛争解決センターがスタートしました。

2 紛争解決センターではどのような紛争を扱っていますか?

紛争解決センターでは、お金の貸し借りや各種事故の損害賠償請求、家庭内のもめごとや近所とのいざこざ、相続問題、従業員の解雇をめぐるトラブル、不動産の明渡請求、欠陥住宅問題や医療事故問題等、あらゆる紛争を迅速に解決することを目標にしています。

3 まずは法律相談から

このような紛争に巻き込まれた場合、是非とも紛争解決センターをご利用いただきたいのですが、まずは福岡県弁護士会所属の弁護士による法律相談を受けていただく必要があります。福岡県弁護士会が実施する有料法律相談(三十分五千円・消費税別途)でも、自治体等が実施する弁護士による無料法律相談でも結構\です。

といいますのも、紛争解決センターにおける手続きは紛争の相手方も参加してはじめて成り立つ民間の手続きですから、当該紛争が紛争解決センターの手続きに適しているかどうかについて、予め弁護士に相談していただくのが適切であるからです。

相談の結果、紛争解決センターによる解決を勧められた場合、その法律相談担当弁護士から必ず紹介状を書いてもらってください。紛争解決センターに紛争解決(仲裁)の申し立てをするに当たっては、紹介状が必要になっています。勿論、弁護士に依頼して、弁護士を代理人としたうえでの申\立も可能です。

4 申立

申立書は、福岡県弁護士会が各地に設置している法律相談センターなどに備え付けてあり、誰でも簡単に記入することができます。

申立書の受付など事務取扱は当面、天神弁護士センター(福岡市中央区渡辺通五-二三-八サンライトビル三階/○九二-七四一-三二○八番)と北九州法律相談センター(北九州市小倉北区金田一-四-二裁判所構内北九州弁護士会館内/○九三-五六一-○三六○番)の二ヶ所で行いますが(受付日時・月曜日から金曜日までの午前九時三十分から午後四時まで)、徐々に事務取扱センターを増やしていく予\定です。

申立に当たっては、申\立手数料が一件につき一万円(消費税別途)必要です(生活保護受給者は免除します)。相手方がどうしても手続きに参加してくれないまま手続きが終了した場合は、申立手数料の半額が返還されることになっています。

5 仲介人・専門委員

申立が受理されると、当該紛争を解決するに適した仲介人が選任され、第一回の仲裁期日が決められていて、相手方にも手続きに参加するよう通知されます。

仲裁人はすべて弁護士で、福岡県弁護士会に所属するベテラン弁護士を中心に構成されています。

建築紛争や境界紛争、医事紛争等、弁護士以外の専門家の助言を要する場合は、そのような専門家の協力を得ることもできます。

6 仲裁期日

仲裁期日においては、仲裁人が、申立人および相手方双方から、じっくりと話を聞いたり証拠書類の提出を受け、問題点を整理しながら一緒に解決策を考えていきます。もちろん、非公開で秘密が外に漏れることはありません。

仲裁期日一期日の時間は約二時間ほどを見込んでいます。

仲裁期日は、原則として、前途の天神弁護士センター又は北九州法律相談センターにおいて、平日の午前十時から午後五時までの間に実施されますが、場合によっては、紛争の現地や仲裁人の弁護士事務所などで実施されることもありますし、夜間や土曜日、日曜日に実施されることもあります。

なお、仲裁期日において、通訳・出張などを要した場合は、申立人及び相手方双方に、実費の負担をお願いしています。

7 和解の成立、不成立

このような仲裁期日を数度重ね(三期日を目途としています)、話し合いが成立すれば、担当の仲裁人(弁護士)が和解契約書を作成します。この場合、申立人及び相手方双方は、紛争の規模に応じて決められる成立手数料を紛争解決センターにお支払いいただく必要があります(例・百万円の紛争の場合、申\立人・相手方の成立手数料は各自四万円になります)。

残念ながら話し合いが成立しなかった場合は、手続きは和解不成立で終わることになりますが、すべてが無駄に終わるわけではなく、問題点が整理されたことによって、訴訟提起など次なる行動への大きなステップとなるはずです。この場合には、当然のことながら、成立手数料をお支払いいただく必要はありません。

8 最後に

紛争解決センターは、早くそして適正に紛争を解決したいという市民の皆様のご希望に沿いたいと心から考えています。

スタッフ一同お待ちいたしておりますので、どうぞお気軽にご相談ください。

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取調べ可視化全国一斉集会・福岡会場

月報記事

徳永 響

第一 裁判員制度に関する法案などが国会へ提出されたことによって刑事司法改革の全容が明らかになりつつありますが、弁護士会が求めていた「取調べ可視化」は法案に盛り込まれていません。

しかしながら、取調べ可視化は、弁護士会が冤罪防止の観点から長年求め続けてきたものであり、現時点に至ってもその重要性はいささかも色あせるものではありませんし、むしろ、裁判員制度が導入され裁判員に分かりやすい裁判とするためには、取調べを可視化しておくことが必要不可欠とさえいえます。

近時はマスコミでも取り上げられることが多くなって世間の注目も低くなく、裁判員制度の開始までにはなんとしても実現しておかなければならない緊急の課題です。

かかる事態を受け、様々な人々に取調べ可視化の重要性を認識してもらい、ぜひとも「取調べ可視化」を実現させるべく、全国一斉集会が開催される運びとなりました。

福岡では、可視化の面で日本は諸外国に遅れをとっているとの前田豊会長の挨拶を皮切りに、全国に先駆けて平成一六年三月二五日に福岡県弁護士会館三階ホールにて集会が開催されました。

第二 集会では、まず、取調べ状況を録音したテープが証拠として提出された松山事件・仁保事件を取り上げた「ザ・スクープ」(テレビ朝日)のビデオ上映が行われました。

録音テープの中には、被疑者に対して「南無阿弥陀仏で話せ、○○君」「南無阿弥陀仏で話せ、○○君」「南無阿弥陀仏で話せ、○○君」と何度も繰り返したり、「悪いようにはとりはからん」「君だけの罪ではない、社会の罪だ。」というように強要・甘言・偽計を尽くして自白を迫る取調べの実態が録音されており、自白を獲得せんがために被疑者を篭絡する取調べを知ることができました。

また、被疑者はやっていないことも自白しなければならないため、取調官から様々な誘導をうけることになります。

その結果、被疑者自身が最後に捜査官に対して、自分が間違ったことを供述しているかどうかを聞くかのようなシーンも録音されており、様々な客観的事実が自然に供述(録取)されているからといって、供述調書の任意性を裏付ける事情にならない場面がありうることを目の当たりにすることができました。

第三 ビデオ上映に引き続いて、日弁連取調べ可視化ワーキンググループの小坂井久弁護士(大阪弁護士会)から、取調べ可視化実現に向けての展望についてご講演いただきました。

講演では、現在の刑事司法が抱える大きな病理現象としての調書裁判の問題点は、調書の内容が正しいか否かについて事後的な検証ができないところにあると指摘され、調書内容を事後的に検証するためには、書面による取調べの記録化や「読み聞け」だけの録音・録画では足らず、取調べの全過程をビデオ録画・録音しなければならないことを明らかにされました。

また、取調べを可視化すると、取調官と被疑者の間に信頼関係が保てず、真相解明を妨げるといった根強い反対論に対しては、密室でしか真実が語られないという実証や経験則は存在しないと断じ、可視化によって調書が歪められなくなる結果、捜査官にとっても証拠保全の意味あいを持つことになり、むしろ真相解明に資することや違法取調べが減少する側面を有用性として掲げられました。

イギリス、台湾、韓国といった諸外国での導入事例を見れば、既に取調べ可視化はグローバルスタンダードになっているとのことです。

その他多岐にわたる論点を、パソコンを使った画面をスクリーンに映し出して的確迅速にご講演いただきました。

第四 自白強要や暴行による取調べと聞くと、「昔の取調べ」であるとか、「重大な強行犯だけだ」などと考えがちですが、船木誠一郎弁護士(福岡県弁護士会)から、担当された贈賄や公職選挙法違反事件でも、机をガンガン叩きながらの取調べや、被疑者が灰皿を投げつけられボールペンで胸を突かれたりする取調べ実態が報告され、いつ何時、自分が受任した被疑者がそのような取調べを受けるかもしれないとの現状認識を新たにすることができました。

第五 船木弁護士の報告に引き続いて質疑応答が行なわれ、市民の方から可視化を導入することによって組織犯罪を立件できなくなってしまうのではないかとの質問、会員からは捜査側の取調べの書面による記録化に対抗するための被疑者ノート(その日にどのような取調べがあったかを記録するために弁護士が被疑者に差入れるノート)の導入事例への質問などが相次ぎ、予定の時間を超過しながら盛況のもとに閉会しました。

第六 本集会は急遽日程が決定したこともあり、全国に先駆けて開催される集会であるにもかかわらず、一〇数人しか参加者がいない事態を危惧しておりましたが、興味深いテーマであったためか、五〇名にものぼる参加者を得て開催できましたことについて関係各位に深くお礼申し上げる次第です。また、懇親会の席では、可視化に向けより具体的に活動をすべきだとの頼もしい意見表\明があったこともあわせてご報告させていただきます。

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当番弁護士日誌

月報記事

中野 俊徳

1 刑事弁護の覚悟

私は、修習生の前期・後期に、月に一、二度、クラスメイトらと、第二東京弁護士会の神山啓史先生の刑事弁護ゼミに通っていました。このゼミは、公設事務所赴任希望の新人弁護士が現に受任している刑事事件を題材に、どのような弁護活動をすべきかを一緒に検討しあう内容のものでした。このゼミで印象深いことは、私が「勾留取消請求します」等と答えた際、神山先生から「本当にやるのか」と再度問われたことです。

この再度の問いは、勾留取消請求等は弁護人が期待しているような結果を得られる可能性は少なく、周囲の目も「どうして、そのような無駄な活動をするのか」と冷たくなりがちであり、そういう状況下でも自分が本当に必要だと判断した弁護活動を貫く覚悟があるのかという問いだと、私は理解しています。

2 当番弁護出動と前半戦

そして、弁護士になった私は、昨年12月、当番弁護研修のため、指導担当弁護士の田中裕司先生と博多署の前で待ち合わせして、被疑者と接見しました。罪名は、公務執行妨害です。

深夜の中洲で、酔っていた被疑者のグループと別の酔っ払いグループが揉め事になり、中洲交番の警察官らが止めに入ったのですが、被疑者の相手方と警察官が一緒に転倒し、相手方に襟首を掴まれていた被疑者も警察官の上に転倒しかけて、被疑者の足が倒れた警察官の後頭部あたりに当たりました。

被疑者は、それを見ていた別の警察官らから、故意に警察官を蹴ったと判断され、公務執行妨害で現行犯逮捕されたのです。接見した日は勾留初日でした。

被疑者の話を聞いて、これは弁護人を受任して争う必要があると判断した田中先生と私は、被疑者にも被疑者の親にも資力がないことから、法律扶助で被疑者弁護を共同受任することにしました。

そして、とりあえず、交代で毎日接見することと、被疑者の家族には田中先生から連絡を取ることが決まりました。

こうして、被疑者弁護が始まりましたが、私は具体的に何をすればいいのかわからず、勾留3日目にたまたま時間ができたので、検察庁に行き、担当検事に面会して、在宅捜査への切替えを求めて、すげなく断られた以外は、最初の数日間は、接見と勾留状謄本の取寄せくらいしか弁護活動をしませんでした。

今振り返れば、共同受任ということで、自分から積極的に動く気持ちを持たず、指示待ちの状態になってしまっていたと思います。修習生の頃に思っていた覚悟を忘れた状態でした。

3 後半戦での巻き返し?

勾留5日目、私は、刑事弁護の勉強会に参加するため、静岡に行っていました。

前述の神山ゼミに一緒に通った、刑事弁護オタクとも言うべき、元クラスメイトが静岡県沼津支部で弁護士となり、東京の高山俊吉先生や静岡の小川英世先生を巻き込んで、刑事弁護の勉強会を事実上主催しており、なぜか私も強制参加させられていたのです。

この日は、オウムの麻原の弁護団長を務められた渡辺脩先生をお招きし、講演会が開かれました。

渡辺先生のお話を聞き、また、その後の懇親会で元クラスメイトから叱咤され、私はようやく自分から行動する気持ちを持てるようになりました。

勾留6日目、福岡に戻った私は、早速、被疑者と接見しましたが、被疑者は長引く身柄拘束に疲れと焦りを持ち始めていました。被疑者に対する取調べは、2、3日に一回度、一回あたり1時間程度しか行われておらず、被疑者は逮捕直後から一貫した供述を維持し続けていましたが、身柄拘束されている時間の中で、つい悲観的な考えをしてしまっているようでした。

私も、落ち込み気味の被疑者を前にして、安易に慰めることもできず、できる限りの弁護活動を約束することしかできませんでした。

勾留7日目、私は、被疑者の妻に事務所に来てもらい、「被疑者の身柄拘束がこのまま続くと被疑者の妻と幼い子の生活が脅かされる」という内容の陳述書と身元引受書を作成したうえで、田中先生の承諾を得て、勾留取消請求しました。そして、請求書を提出する際、裁判官面接を申し入れておいて、勾留8日目、田中先生と共に担当裁判官に面会し、被疑者の家庭の窮乏と事案の内容から見て、逃亡のおそれ、罪証隠滅のおそれがなく、勾留の必要性もなくなっていることを訴えましたが、取消請求はあえなく却下されました。

事務所で却下の知らせを聞いた私はかっとなって、その場で準抗告の申立書を起案して、慌てて裁判所に行きましたが、慌てすぎて、何とも恥ずかしいことに抗告の申\立書を書いてしまっていたのです。それを受付で指摘された私は恥ずかしさに顔を真っ赤にして受付にお詫びしつつも、翌日の受付開始時間に準抗告の申立てをすることを予\告しました。

そして、勾留9日目、予告どおり裁判所で勾留取消却下に対する準抗告の申\立をした私は、その足で検察庁に行き、担当検事に「仮に準抗告が棄却されても勾留延長請求しないように」と求めました。

しかし、私の願いもむなしく、この日の午後六時頃、裁判所から準抗告棄却の知らせが届き、勾留10日目、10日間の勾留延長請求がなされました。そして、担当裁判官と面会して、延長しないことをお願いしましたが、これまた願いは届かず、10日間の勾留延長決定の知らせが届いたのでした。

4 釈 放

勾留11日目、私は、勾留延長決定に対する準抗告書を準備し、田中先生に資料をお借りして、勾留理由開示の申立書の起案にも着手していましたが、次に何をすべきか、悩んでいました。2日前に出た準抗告棄却決定によれば、関係者複数(被疑者の仲間と喧嘩相手のグループ)の検察官調べが終わっていないことが主な理由になっていて、今、準抗告しても、同じ理由で棄却されるのではないかと少し弱気になっていたのです。

別件の打ち合わせ中の私のところに、突然、被疑者から電話がかかってきました。釈放されたというのです。私は、わけもわからず、ただ、嬉しそうな被疑者の声を聞いて、涙ぐみそうになってしまいました。後日、検察庁に確認したところでは、起訴猶予処分ということでした。

5 最後に

こうして、私の弁護士になって最初の被疑者弁護は終わりました。今回の被疑者弁護は、私にとって多くの反省材料を与えてくれたものになりました。

この事件で弁護活動が果たして起訴猶予処分という結果に結びついたのかどうかすら、私にはわかりませんが、私にとっては良い経験になったと思います。最後に、ご指導いただいた田中裕司先生に感謝します。

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ITコラム 〜私がマックを愛する理由〜

月報記事

辻本 育子

月報の担当者からこの原稿を書くようにいわれて、つい「何も書くことないけど」と言ってしまいました。「私がマックを愛する理由」でもいいからと言われて、書き始めましたが、これを見られる会員のなかに一体何人のマックユーザーがいるんでしょうか。

私がパソコンを初めて買ったのは、一九八九年販売されたDynaBook386SXだったと思います。あのころの東芝は偉かった。MS DOSの時代ですが、全くの素人が買って来て、誰の助けもなしに説明書だけでパソコンが使え、MS DOSのお勉強ができたのですから。

その後3.1、95、98、XPとウィンドウズ機もずっと使って来ましたが、一九九二年にアップルからPowerbook170が出て以降は、主マシンはマックです。洗練されたインターフェイスと、どんどん安くなったことでデスクトップもマックになりました。

うちの事務所のパソコンも、「マックでなければメンテナンスできない」(実はしたくない) という私の我が儘から、ほぼ全部マックです。しかし、弁護士個人の携帯用にはやむなくウィンノートを使っています。なにしろ、一番軽いノートでもマックは二キロですから、携帯を考えると、ウィンノートで我慢せざるをえません。

パソコンを使う人は二種類いるんじゃないでしょうか。ソ\フトを使って目的が達せられればいい人と、パソコンという道具自体が好きで、それを自分好みに変えて使いたい人です。私にとってパソ\コンは電子レンジと同じく無くてはならないものですが、レンジをいじってみようとは思わないのに、パソコンは、いじってみたくなります。といっても、物理的にパソ\コンを組み立てること (自作) は、いまやそれこそサルでもできるレベルになっているので、一回で飽きました。実は私はいわば「環境設定オタク」です。だから、config.sysなどでいじれなくなったウィン98の途中からおもしろくなくなりました。

その点マックは、OS9までは、インターフェイスが洗練されているだけでなく、ユーザーがシステムをいじれる自由度も高くて、楽しいマシンでした。そのマックも、最新のOS X (テン) になってからは、システムが変わってしまい、適応できません。適応したくないというのが本音かもしれませんが。昨年は、あと数年OS9をつかっていくために、OS9も使えるパソコンを数台購入して将来に備えたところです。

私にはなじめないMacOS Xですが、新しく始める人には、今のマックは、安くてパワフルで安定していて、すぐれたアップル製ソフトもついていて、とてもお勧めです。アップル製品は、デザイン的にも優れていて、使わなくなったマックはインテリアにもなります。OS Xしか入っていないから私は買っていないけど、PowerMac G5はケースの中も外も美しい。

データーのやりとりが心配ですか。マイクロソフトオフィスを使うかぎり心配無用です。それに昨今のようにウイルスがはびこってくると、ウィルスの少ないマックの世界は別世界のように安全で平和ですよ。どうも弁護上のメーリングリストでウイルスメールが飛び交っているようなので、最近ウィンドウズ機でのメールチェックは止めました。

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土地家屋調査士会ADRセンターに参加して

月報記事

塩川 泰徳

1 本年(平成16年)3月8日、福岡県土地家屋調査士会ADRセンターが発足した。正式名称は、「境界問題解決センターふくおか」という。愛知、大阪、東京に次ぎ全国で四番目という事である。私は相談委員を担当している。

まず、センターの概要を説明しよう。目的は、(1)境界に関する相談または問題について、当事者と専門家が協力して裁判に代わる簡易な手続で迅速、公正かつ柔軟に解決を図る。(2)問題解決の結果を登記簿及び地図に反映させ、国民の権利の明確化に寄与する。(3)問題解決にあたり、当事者の主体性を尊重し、当事者自身の問題解決意識を高める、の三点である。

人的構成は、運営委員会(調査士3名、弁護士2名)、相談委員会(調査士1名、弁護士1名)、調停委員会(調査士2名、弁護士1名)である。発足当時の委員の総数は、相談委員が調査士七名、弁護士五名、調停委員が調査士10名・弁護士5名であったが、申\込件数が多いため、先日、弁護士相談委員が五名から10名に増員された(弁護士調停委員の定数は変わらず)。

開設から本原稿執筆時までの活動状況であるが、約一月間の相談申込件数は21件。うち調停申\立は八件である(いずれもまだ未成立)。

手続は、まず、電話による受付から始まるが、電話では、紛争の存在や必要書類を確認し来訪をお願いするまでに止まり、実際の申込は、関係書類持参の上で一度センターを訪問してもらう必要がある。そして、センター訪問の際、センターの趣旨や相談・調停手続の流れの説明が行われ、申\込者持参の関係書類を受領する。相談日は、調査士及び弁護士の両相談委員の予定を確認した上で後日決定される。つまり、実際の相談は、2回目の来訪時である。調停については、弁護士会のADRと同様、相談前置主義がとられ、まず、相談委員会が当事者の話を伺い(2時間ほど)、相談で解決すれば調停には移行しない。なお、境界問題解決センターは、当然の事ながら対立当事者間の紛争の存在を前提としているので、申\込者の意識では境界に関する問題に属するとしても、当事者間の紛争が存在しない場合、例えば、「隣地との境界をはっきりさせていない(測量していない)ので不安です。今のところ、隣地所有者との意見の食い違いはなし、土地を処分する予定もないのですが、どうしたらよいでしょうか?」などという相談についてはセンター取扱い事案の対象外となる。かかる事件性のスクリーニングは、本来、受付段階で行われるが、実際資料を見ながら話した上でないと分からないことも少なくないので、相談段階になって、初めて紛争が存在しないことが分かることも少なくないようである。

費用は、相談手数料が五、250円(一回2時間)、調停申立手数料は10500円、成立手数料は解決額の8%を原則とし31500円を最低額とする(負担割合は当事者の合意)。測量等が必要となる場合は、別途見積による。

2 まだ、センター開設後一月余りであり、多くの案件を担当した訳ではない。しかし、本年1月から開設準備作業に携わり、模擬問題の作成や模擬相談・模擬調停に関与した中から学んだことがあるので、一つ重要なことを紹介しよう。

我々弁護士の感覚からすると、ともすれば誤解しそうになる事柄であり、土地家屋調査士の役割は何かという極めて重要な問題でもある。例えば、境界紛争について関係二当事者間で一定の合意(解決案)が見出せそうな雰囲気が出てきたとしよう。我々弁護士だと、「当事者がそれでいいと言っているのだから、それでいいじゃない」と、つい思ってしまわないだろうか?(私を含め、開設準備作業に携わった数人の弁護士はそういう感覚を持っていた)。しかし、これには問題がある。前述のセンターの目的にもあったように、「問題解決の結果を登記簿及び地図に反映」させねばならない。土地の境界は公的意味を持つし、境界問題の他の土地所有者にも必然的に影響を及ぼす問題である。当該土地につき、将来、取引関係に入ってくる第三者の利益のこともある。よって、現在の当事者間だけの利害調整として処理すればよいというものではない。その結果、調査、測量等の客観的結果を横に置いておき、現在の紛争当事者がそれでよいといっているからよいではないか、という処理をしてよいとは直ちには言えないのである。注意しなければならない。ただ、そうなってくると、場合によっては、センターに相談(調停)を申し込んだばっかりに、当事者双方ともに予\想しなかった負担を強いられる結果になる可能性がないとは言えず、それで当事者の納得が得られるのかという問題が残される。現代社会で不動産を所有するということはどういう意味を持つのかという問題でもあり、今後も検討していかねばならないだろう。

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想えば遠くへ来たもんだ 〜弁護士会ホームページに関与して〜

月報記事

堀 孝之

1 ホームページ委員会(HP委員会)が立ち上がり、

当会のホームページ(HP)がリニューアルされて早くも二年弱が経ちました。私はHP委員会創設時からのメンバーとして関与して参りましたが、振り返ってみると、山あり谷あり、本当にいろいろなことがあったように思います。

今回、HP委員会だよりの原稿執筆依頼を受け、せっかくの機会だから、これまでの当会HPの歩みを、私が知る限りで振り返ってみたいなと思いました。しばしお付き合いいただければ幸いです。

2 草創期(旧HP時代)

当会HPは、平成10年ころに産声を上げたと聞きます。平成10年といえば、私が司法試験に合格したその年です。貧乏受験生だった私はパソコンなんて持ってませんでしたし(でもそう言えば昔事務職員として勤務していた事務所からもらい受けたDOSのパソ\コンがあったなあ・・・この子は今は自宅で永い眠りに就いています。本当におつかれさま)、HPなんて言われても「何それ?」というていたらくでした。司法修習生になって、夏のボーナスで初めてウィンドウズシステムのパソコンを手に入れました。こわごわインターネットに接続したのを覚えています。当時は常時接続といえばNTTのテレホーダイというサービスを使わなければならない状態で(私は利用しませんでしたが)、プロバイダの料金も接続時間に応じて課金されるシステムでしたから、ネットサーフィンをダラダラやってるととんでもない料金請求が来たりして・・・いかんいかん、テーマは私の歴史じゃなくて、当会HPの歴史だった。本題に戻りましょう。

修習生時代に弁護士会関連のHPで最初にアクセスしたのは確か日弁連のHPだったと思います。そこからリンクをたどって、当会のHPにたどり着きました。初めてみた印象は・・・実はそんなに悪いものではなかったです。デザイン的には、いわゆる「フレームページ」というやつで、開いたら表紙部分がジワジワと下からロールして上がってくるという、なかなか凝ったものでした。当時のコンテンツ(内容)を覚えていらっしゃるでしょうか?私もずいぶん記憶が薄れましたが、会長挨拶、「こんなときどうする?(これは今でもありますね)」、法律相談センター紹介、弁護士費用説明、市民向けイベント情報、委員会紹介、九弁連コンテンツ(所属単位会の紹介のみ)、会員情報、リンク(工事中)、「月報記事から」、だいたいこんなところだったかなと思います。ただ、修習生なりに仕入れていた情報として、すでに「元気な福岡県弁護士会」というイメージがあったのですが、当時のHPからはあまりそのようなイメージが伝わってこず、意外に思った記憶があります。

3 改革停滞期(HPPTの立ち上げ)

私が平成12年10月に当会に入会してからすぐに、ある一枚のペーパーがレターケースに投げ込まれました。内容は「当会HPについて意見交換するから言いたいことあるヤツは誰でも集まれ」という趣旨でした。思えばこのペーパー(発信元は執行部か業務委員会だったと思うけど忘れちゃいました)が、私が当会HPに関与する最初の機会でした。この会合には、今思い出せば、古賀克重会員、菅藤浩三会員、関口信也会員など、現在のHP委員である会員も多く集まっていました。

この意見交換会の直後、当時の植松功業務事務局長を座長とする、HPプロジェクトチーム(PT)が立ち上がり、私もこのメンバーに加わることになります。またこれと並行して、平成13年度からは主任・幹事会でもHP刷新についての話がなされるようになり、アクセス数の少なさに業を煮やした野田部哲也業務事務局長(当時)が「古賀克重のHPを超えよう」と唱え、これが合言葉になりました。ただここでの刷新作業は、いくつかのコンテンツを立ち上げはしましたが、全体としては遅々として進みませんでした。やはり最大の原因は技術情報の不足でしょう。克重会員は当会HPに対する独自の考えからPTには不参加でしたし、今のような業者との連携も全くありませんでした。更新作業は松本寛朗職員がコツコツやっていましたが、松本職員も技術情報に必ずしも詳しいわけではないし、何より業務の合間を見てやらざるを得ない。というわけでアイディアだけはたくさん出るのだけど実現の目処が立たないという何とももどかしい日々が続きました。

4 改革転換期(西日本新聞社訪問〜HP委員会発足)

平成13年八¥8月、HPPTと主任幹事会とで大挙して西日本新聞社にお話を伺いに参りました。このときの原田真紀メディア部長(当時。ちなみに男性です)の話は非常に示唆に富むものでした。いわく「もっと市民・住民に開かれたページを作らなければ」「現状は役員による役員のためのHP」「読んでもらえる、使ってもらえる、使って便利、という側面がないとだめ」「『一緒に考える、一緒に楽しむ』 という視点が不足」と次々に厳しい言葉をいただきました。この話を聞きながら、私の頭の中で次第にどのようなHPを目指すべきかの構想が固まって行きました。当時のメモに、私自身は「徹底した見出しの見直し」「リンク集を充実させる。これがメインでもよいのではないか。便利さの追及 『そこに行けば何かがわかる』」という言葉を残しています。

しかしそのような会合を経てもなお、当会HPの刷新について現実性のあるアイディアがまとまった形で提示されることはないままに時が過ぎました。そこで私は平成14年2月15日の主任幹事会の席で「弁護士会HP新装への提言」と題するA4版一一ページの論稿を提出し、この論稿の中で、初めて「法律情報ポータルサイト化」という方向性を打ち出しました。また時を同じくして、永尾廣久会長(当時)からの「新しくHP委員会を作ろう」とのお話を受け、古賀克重会員を委員長に据え、私を事務局長とするHP委員会の骨格ができあがり、同年3月20日の常議員会での承認を経て、HP委員会が発足しました。

5 改革実現期(HP大刷新〜現在)

HP委員会の初期メンバーは、専ら古賀委員長と私とが一本釣りで集めました。できあがってみると、まるで「多重会務者ねらい打ち」のような委員委嘱で、大変申し訳なく思ったのを覚えています。業者にもうまく連携が取れ、非常に安価な顧問料で契約していただくことができ、技術情報の不足からアイディアが実現できないという苦痛からはとりあえず解放されました。もともと忙しい人たちの集まりだったので、議論はメールのやりとり中心で行い、やがてこれがメーリングリスト(ML)へ進化して、今では当然のように行われている委員会MLでの議論が、この時当会で初めて実現したことになります。

そしてHP大刷新の期限を設定すべきということで、平成14年度定期総会の日(5月28日)を目標と定めたところ、古賀委員長の尽力により、早くも4月11日には試作ページができあがってしまいました。そして無事に5月28日のリニューアルオープンにこぎ着け、役員就任披露パーティーの席で大々的に公開したのはご記憶に新しいところかと思います。その後本格的に、会員専用HPの製作にも取りかかり、同年10月には運用を開始、松尾重信委員が毎月この月報で報告しているとおり、徐々に改良を重ねて現在に至っております。

6 旧HP時代のことを考えると、当会自体のIT化も含め、現況はまさに隔世の感があります。しかし委員会MLや定例委員会での議論などは、本当に「こんなこといいな、できたらいいな」というドラえもんのような夢の応酬で、またこれが次々に何とか実現にこぎ着けるものですから、すごく楽しいのも間違いありません。これからも更新作業は続いていきます。皆さんのアイディアをぜひたくさんお寄せいただければと思います。

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