福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

憲法リレーエッセイ

2018年1月 1日

憲法リレーエッセイ 天皇の基本的人権

会員 前田 豊(28期)

1 10年前出た本に、「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」(大月書店・2006年)という本があります。明仁さんと美智子さんとは天皇陛下と皇后陛下です(以下、敬称を略します。)。

著者は元宮内庁記者(共同通信)のイタさんこと板垣恭介氏。友人からの「そんなモノを書くと殺されるぞ」との忠告をものともせず、今の非人間的な皇室制度は本当に必要なのか、いまこそ国民的な論議を、と問題を投げかけたのが、「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」という本でした。

2 天皇・皇后を「さん」呼ばわりとはケシカランという方もあるでしょう。でも、京都では昔から天皇を陛下と呼ばず「天皇さん」と呼んでいたと、高坂正尭氏(元京大教授)が書いていました。いまでも、天皇が京都に行くと、「天皇さん、おかえりなさい。」という声が沿道からかかるそうです。「天皇さん」には京都の人の親しみを、また、「明仁さん」には身近に見てきたイタさんの親しみを感じます。

イタさんは、天皇と皇后の人間性に敬愛をこめ、象徴をやめて、ふつうの人間になりませんかという意味で、「皇族やめませんか」というのです。

3 2005年(平成17年)、小泉首相のとき、皇室典範に関する有識者会議は、女性天皇・女系天皇を認める報告書を出しました。

しかし、イタさんは、一人の女性に苦労を負わせて天皇制を存続させるのには反対といいます。

なぜなら、天皇には基本的人権がない。参政権がない。養子が認められていない。戸籍がないから母子手帳もない。皇室会議の議決がなければ婚姻もできない。公務を拒否することもできない。そもそも定年すなわち「生前退位の自由」がない。いま考えなければならないのは、このような人権を認められない制度がこれからも必要なのか、日本人にとっての「天皇」「皇室」とは何かを根源的に問い直すことだというのです。

4 憲法の教科書によれば、選挙権、被選挙権、婚姻の自由、財産権、言論の自由などに対する一定の制約も、天皇の地位の世襲制と職務の特殊性からして合理的とされています(芦辺信喜「憲法第三版」86頁)。

また、皇位継承資格からの女性の排除や皇族身分の性差別的な取扱いが憲法第14条に違反しないかどうか。一般にそもそも憲法が平等原則の例外として世襲を認めている以上違憲とはいえないとして、憲法第14条、24条に違反しないといわれます。

しかし、女性差別撤廃条約第2条をめぐって、女性学の立場から憲法学への批判が提起され、憲法学説でもしだいに女性排除の違憲論が説かれるようになったとされます(辻村みよ子「憲法第二版」207頁)。世襲制を憲法上の例外と解しつつ、世襲制に合理的に伴う差別以外の差別は認められるべきではないとする学説もあります(横田耕一「皇室典範をめぐる諸問題」48巻4号43頁)。

辻村みよ子氏は、世襲原則は当然に性差別を内包するものでない以上、女性排除は、合理的理由のない差別的取扱いであり、女性差別撤廃条約第2条に明白に抵触するとしています(前出・辻村みよ子207頁)。

5 私は、10年前にイタさんの「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」を読み、おおいに共感しながらも、「なるわけないよなぁ」と思って本棚にしまっておいたのでした。

ところが、明仁天皇が、2016年(平成28年)8月、退位をにじませるビデオレターを公表すると、国民の大多数が賛同し、有識者会議が生前退位妥当の報告を出し、2017年(平成29年)6月9日国会で「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立し、天皇の意図のとおりに生前退位することになりました。

そして、同年12月1日の皇室会議で、2019年(平成31年)4月30日に退位、同年5月1日に新天皇の即位となることが決定しました。

変われば変わるものです。なるわけないよなぁと思ったことに反して、殺されるぞと忠告されたイタさんの提言がそのとおりになって実現したわけです。

6 振り返ると、1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇が崩御し、新天皇が即位しましたが、そのときの雰囲気は異様で、古い時代に戻ったような感じがしました。連日、天皇の下血が何ccあったという報道が続き、重苦しい自粛ムードが広がりました。

崩御の翌日、1月8日には、福岡県弁護士会でも、会館に半旗をあげるかどうかの議論が起きました。しかし、結局、国旗国家法が成立する前であったため半旗はあげませんでした。

7 宮内庁は否定しますが、天皇代替わりの即位式後の大嘗祭では、神が天皇の身に乗り移る秘儀が行われるとされます(折口信夫等)。

すなわち、江上波夫氏によれば、御殿の床に八重畳を敷き、「神」を衾(ふすま。掛け布団のようなもの)でおおって臥せさせ、「天皇」も衾をかぶって臥せ、1時間ほど絶対安静の「物忌み」(汚れを避けること)をする。それで神霊が天皇の身に入り、天皇は霊威あるものとして復活する。地上の人間が神霊を招き、霊的な君主としての資質を身につけて「人間として現れている神」となるというのです(江上波夫「騎馬民族国家」(中公新書231頁))。

これには尾ひれがつき、そのとき、新天皇が前天皇の遺骸と同衾するとの説、新天皇と巫女が同衾するとの説など、種々の説があるとされますが、真実は闇の中で分からないとしかいいようがありません。

明仁天皇の即位式の後の大嘗祭でも、その儀式が行われたと思われますが、実際は不明です。テレビ報道では秘儀を示唆していました。

しかし、国民の総意に基づく象徴天皇制は、このような「人間として現れている神」を観念することとは無縁なはずです。明仁天皇の即位のときは、衆議院の小森龍邦議員が、宮内庁に対して、そのような秘儀を行うのは問題であると質問する主意書を提出しています。

これに対し、生前退位だと、天皇は死亡していないのですから、前の天皇から新天皇に神が乗り移るということは観念しにくくなります。明仁天皇は、生前退位をすることによって、身をもって示そうとしたようにも思えます。2019年の代替わりのときにはどのような儀式が行われるのか、注目したいと思います。

8 それにしても、私たちは、天皇や日本の歴史を知っているようでいて、案外、正当に認識していないのではないかと思います。

とりわけ、魏志倭人伝が伝える卑弥呼や邪馬台国連合の事実(西暦240年前後)、古事記と日本書紀が記述する神話や大和政権の関係、3世紀から6世紀ころにかけて何があったのかということについては、私たちの理解は一貫性を欠き、一元的な理解を困難にしていると言わざるをえません。その原因の一つは、万世一系の天皇制の歴史、日本人と朝鮮半島との関係について、正面から向き合う機会が少ないからではないかと思うことがあります。

この点、韓国の韓流ドラマは、はるかに自由で刺激的です。例えば、新羅の女王を描いた「善徳女王」もそうです。

「善徳女王」の時代は西暦600年から647年ころ、白村江の戦いの前です。朝鮮半島では百済、新羅、高句麗の三国が覇権を争い、中国では隋が国内を統一し、唐が隋にとって代わり、日本(倭)では推古天皇や聖徳太子が百済と交流し、中国に遣隋使を派遣するころの物語です。

新羅の善徳女王の幼少時代の名前は金徳曼(キム・トンマン)。トンマンは、王に男子がなく双子の女子として生まれたので不吉の前兆として国外追放され、男装しながら朝鮮半島から中国長安を経てタクラマカン砂漠まで逃亡し、ローマまで行けばよかったのに新羅に戻って人心を掌握し、父王の跡を継いで新羅の女王となり、百済と戦うというストーリーです。ユーラシア大陸の東から西へ、西域との交流や遠くヨーロッパのローマまで視野に入れて希有壮大であり、わくわくしながらドラマに引き込まれます。脚色はあるにしても、基本は史実に基づいていると思われます。

隋の使者が新羅に暦を持ってくること、水時計を作って時間を知ることなど、天智天皇が時間を権力の源としたことと共通であり、女帝が登場した点も類似します。新羅は善徳女王と姉の真徳女王、日本は推古天皇、皇極天皇(斉明天皇)、持統天皇が女帝として統治しています。韓流ドラマから日本の同時代が透けて見えます。

日本では、歴史ものといえば多く鎌倉時代、戦国時代、江戸時代に限られ、このような時代設定のドラマには滅多にお目にかからないのが残念です。

9 その白村江の戦い(西暦663年)のころのことです。

私は、高校時代、蘇我蝦夷(そがのえみし)という人の名前がおかしいと思いました。蘇我蝦夷は推古天皇や聖徳太子の時代の豪族で権力者であり、娘を天皇に嫁がせるなど天皇との関係も深い人です。

しかし、蝦夷という名前は東北、北海道の当時の辺境の地域や人を指すはずなので、権力者にふさわしい名前ではないと思ったのです。

最近、蘇我一族は朝鮮半島からの渡来人であるという有力説があることを知りました(水谷千秋「謎の豪族蘇我氏」文春文庫)。満智という人が百済から来て、子孫が韓子、稲目、高麗、馬子、蝦夷、入鹿と続いたというのです。そういえば蝦夷に限らず、韓子、高麗などは渡来人風の名前です。馬子、稲目、入鹿は動植物の名前をつけることで渡来人に限りませんが、これだけ続くと、やっぱり変です。私は、変わった名前は渡来人のせいかと思って疑問が解消したと思いました。しかし、それなら、推古天皇や聖徳太子など天皇の血統にも母方を通して渡来人の血が色濃く入っていることになります。

学説には、満智が朝鮮半島から渡ってきたという記録がないとして、蘇我氏の渡来人説に異を唱える説もあるようです。

10 5~7世紀の日本には、朝鮮半島からの渡来人が続々と渡ってきて、大和朝廷国家に帰化し、色々な技能や知識をもって、古代日本の経済的・文化的発展に非常に貢献したといわれます。集団移民で、同族の長を頭にいただき、東漢(ヤマトノアヤ)氏や秦(ハタ)氏はその代表格で、一説によると、平安時代の文献では、帰化人系統の氏は支配層の3割を占めたといわれています(前出・江上波夫「騎馬民族国家」212頁)。

ちなみに、弥生土器から須恵器に変わるのもそのころで、野焼きでわらの上に土や灰を覆って焼く弥生土器に比べ、新羅、百済からの渡来人が焼成技術を伝え、ロクロを使い、半地下式窖窯(あながま)で1200度以上の高温で焼くようになり、灰青色の固い須恵器の陶器を作ることができるようになりました。

11 西暦645年、蘇我蝦夷の子、蘇我入鹿は、宮中で、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足に暗殺され、蘇我蝦夷は自害して蘇我一族は滅亡します。かわって、中大兄皇子による大化の改新という名の天皇中心の政治改革が進められます。

西暦660年、朝鮮半島で百済が新羅と唐の連合軍に破れます。

百済は、残党勢力で百済・唐に対抗するとともに、日本へ援軍要請と、百済復興のため、日本に住んでいる百済王子の余豊璋(よ・ほうしょう)を王にするから百済に返してくれと要請します。余豊璋は、百済での政争に敗れ国外追放された後、日本へやってきた王族の一人です。日本にとって、この百済の救援に応じるか否かは国の存続に関わる重大な決断でした。

斉明天皇と中大兄皇子は、余豊璋に兵5000人をつけて百済に送り、阿倍比羅夫等を指揮官とする2万7000人の兵を派遣しますが、西暦663年、白村江の戦いで、唐と新羅の連合軍に破れます。天智天皇となった中大兄皇子は報復を恐れ、北部九州に東国から防人を配置し、百済亡命人を使って対馬に金田城、壱岐に烽火台、太宰府に大野城と水城、基山に基肄城を築き、瀬戸内海に山城を築き、都を難波から近江に移します。対馬、壱岐から「のろし」をあげて敵侵攻を伝え、水城、大野城、基肄城で太宰府を守る作戦だったのでしょう。

それにしても、3万人以上を派遣したのは、百済と日本(倭)との間に単なる同盟軍以上の深い関係があったと考えるべきでしょう。

私は、2000年、対馬弁護士センター勤務のとき、対馬の金田城に行ったことがあります。海から上がってくる低い山の山城で、敵の大軍が押し寄せたらひとたまりもありません。守備を命じられた防人は、死ぬしかないと思われました。ただ、死ぬ前にのろしをあげ、太宰府に敵来襲を知らせ、近江の京に知らせることが使命と知りました。

そう考えると、万葉集の防人の歌には、深い哀しみを感じます。

天智天皇の死後、弟の天武天皇は、大化の改新に沿って天皇制国家を進め、日本の正史を作ることを発起し、死後に「古事記」(712年)、「日本書紀」(720年)が作られます。このとき、神武天皇から持統天皇まで「万世一系の天皇神話」が完成するのです。

12 明仁天皇は、1990年(平成2年)11月の即位式で、「常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し・・・」と述べられました。明仁天皇にとっては、平和憲法、基本的人権、民主主義と象徴天皇制の憲法を順守することは天皇の使命と思っておられたと思います。

明仁天皇は、2001年(平成3年)12月、68才の誕生日の前日、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると続日本記に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。」と述べられました。桓武天皇(794年平安遷都)の母・高野新笠(たかののにいがさ)は百済の渡来人の子孫で、桓武天皇を初め万世一系の天皇は渡来人の血をひいていることになります。

明仁天皇は、2004年(平成6年)10月、秋の園遊会で、都教育委員の米長邦雄氏(将棋元名人)が「日本中の学校で国旗を掲げ国歌を斉唱させることが私の仕事でございます。」と述べたのに対し、すかさず「やはり、強制になるということではないことが望ましい。」と答えられました。憲法遵守の気持ちの表れと思います。

13 天皇制は、国民の問題であり、憲法の問題です。天皇を元首に祭り上げるのは方向が真逆です。人間として解放する方向に議論が向くべきではないかと思います。

2017年9月 1日

憲法リレーエッセイ 「加憲」をめぐる真夏の夢

会員 永尾 廣久(26期)

気の毒でしょ?

アベくんが顔を真っ赤にして叫びました。

「だって、3.11のとき、あんなにがんばった自衛隊員を、いつまでも日陰の身においていたら可哀想でしょ。そう思わなかったら、あんた非国民だよ」

ヒロくんが腕を組んだまま首をかしげます。

「本当に、そういう問題なのかなあ・・・。だって、3.11のとき自衛隊ががんばったのは、ぼくも高く評価しているんだけど、あれって災害救助でしょ。今の自衛隊を災害救助隊に名前を変えたらいいだけじゃないの・・・」

アベくんは憤然として言い返します。

「いいや、世界の状況は日本の自衛隊が出かけていくのを待っているんだよ。南スーダンだって、自衛隊が行って道路整備してきたんだし・・・」

ヒロくんは静かに反論します。

「でも、そんな道路整備とか病院や学校を整備する大切な仕事だったら、武器をもった自衛隊じゃなくてもやれるんじゃないかなあ」

アベくんは、ヒロくんをきっとにらみつけます。

「日本でも世界でも、こんなにがんばっている自衛隊を憲法上に位置付けてやったら、どんなに自衛隊員の士気があがることか・・・」

ヒロくんは腕を組んだままアベくんに問い返しました。

「自衛隊員の士気をあげるためだったら、災害救助活動の実績をもっともっと広報したらいいと思うんだけどなあ。そして、ついでにイラクや南スーダンに行ったときの実際の状況をもっと国民に知らせてくれたら、いいんですよ」

アベくんは、急に顔をしかめて首をゆっくり左右に振りました。

「そういうわけにはいかないんだよ。政治は、それほどきれいごとばっかりじゃないのさ。南スーダンの現場で起きているのは、まさしく戦闘なんだよ、あそこはどこもかしこも戦場なんで、現地で本当に起きていることを日本国民に知らせたら、それこそパニックが生じて、ぼくの首がすっ飛んでしまうじゃないの・・・」

9条3項を加えても変わらない?

アベくんは、熱い口調でヒロくんを説得します。

「いま、ぼくの考えていることは、今の9条1項と2項は残すんだよ。自衛隊が憲法違反だなんて憲法学者にはもう言わせないようにするだけなんだから、とてもいい考えだと思うんだ。協力してよ」

ヒロくんは、今度はさっきと反対側に首を深く傾げました。

「でも、現実には、安保法制法ができて、自衛隊は武器をもって海外へ出かけているでしょ。あれって、日本の国が武力攻撃を受けてもいないのに、戦闘行動に突入する危険がありますよね」

アベくんは再び憤然とした顔で反論します。

「だって、日本がいつまでも世界平和のために腕を組んだままでいいっていうことじゃないでしょ。世界平和のために日本人だって血を流すことがあって当然じゃないの。そしたら日本人は偉いって、世界中の人が見直すよ」

ヒロくんは腕を組んでアベくんに問い返しました。

「ということは、やっぱり自衛隊は海外で戦闘行為に参加するんですよ。そうなると、9条2項を残すとしても、戦力をもたないとか、交戦権を有しないということはどうなっちゃうのかな・・・。本当に変わらないって言えるの?」

アベくんは、小さな声で「いや、それはもう、少しは変わるでしょ。いい方向へ・・・」と言い返しました。

9条2項の死文化・・・

ヒロくんは、アベくんにたずねます。それを聞いたアベくんは、目を大きく見開きました。

「これまであったのは自衛隊の存在を憲法に明記して、そのうえでしばりをかけるということだったと思うのですが、そのしばりはどこにあるのですか?」

先ほどまで雄弁だったアベくんは急に言葉に詰まりました。

「そんな、憲法が権力者にしばりをかけるなんていう学説は、中世ヨーロッパに王様がいた時代の古いものですよ・・・」

アベくんの言葉の最後はよく聞き取れません。ヒロくんは口をとがらして反論をはじめました。

「近代国家はどこでも、もちろんアメリカでも、国の政治は憲法にもとづいてすすめられるべきで、国の権力者が友人や身内を重用したりして好き勝手な政治は出来ないようにしています」

アベくんは、あわてて大きく手を左右に振ります。

「モリそば・カケうどんなんて、もう聞きたくないよ。コータローもアキエちゃんも何も知らないんだし、マエカワなんて、なんで安保法制に反対していたのに次官になっちゃったのかなあ。情報が足りなかったことを悔やんでいるよ」

ヒロくんは、話を本筋に戻そうとします。

「自衛隊を憲法に明記したら、自衛隊は戦力かどうか、どうなるんですか?」

アベくんは真っ青な顔で言い返します。

「そんな難しいことをぼくに訊いたって、答えられるはずないでしょ。あらかじめ質問通告がないと官僚は回答文をつくってくれないんだから・・・」

ヒロくんは、あきらめません。

「それで、結局、9条2項は死文化するのですか、それとも生き残れる何か保証はあるんですか」

アベくんは、急に両手をお腹にあてました。

「なんか変な音がするんだ。今日は、これで失礼するよ」

ヒロくんは腕を組んだまま、アベくんの逃げ去る後姿を見つめていました。

2017年6月 1日

憲法リレーエッセイ 5月3日の過ごし方

会員 原田 直子(34期)

毎年春の大型連休の前半は憲法イベント。1989年に始まった憲法劇団ひまわり一座の憲法劇は、当初真面目に5月3日、どんたくと張り合ってやっていた。最近は、連休の最初の休みに行うことが多くなり、今年は4月30日。創立当初からのメンバーが少なくなって寂しいが、毎年どこからともなく50人ほどが集まってくる。子役で登場していた2世たちも成人し、第2世代メンバーの子ども達が子役で登場して舞台の注目を集めている。

素人の社会人集団が、自前の脚本で30回も芝居を続けるエネルギーは、やはり憲法9条。世界に誇る平和憲法が、年毎に愛おしくなる。憲法9条というと自然と憲法9条の歌になって、節を付けないと空んじることができないほどだ。

私は初めからおばあさん役が多かったが、憎まれ役、老け役は重要な脇役として舞台の質を左右すると自負して楽しんできた。これからも楽しい劇を通して舞台と客席の参加者みんなが憲法の素晴らしさを共感する舞台に参加したい。

これに対して、5月3日に行われた高遠菜穂子さんの「イラクから見る日本~暴力の連鎖の中で考える平和憲法」は、深刻な世界の情勢とその中で日本国憲法から離れていく日本の姿を浮き彫りにした講演会だった。高遠さんは、ご承知のとおり2004年にイラクで人質となり生還するも、心ないバッシングを受けた人。しかし、日本人が人質になった契機はイラクへの自衛隊派遣であり、高遠さんが生還できたのは、人道支援活動によるものだった。彼女はその後も一人でイラクでの人道支援活動を行なっている。

その彼女が語るイラク、モスル。今も毎日処刑が行われ、逃げるのが分かると手足を切断され公開処刑される。その状況を生み出したもの、アルカイーダ、その後のISの台頭は、いづれも米軍の大義なき戦争が産んだものであり、そのいづれにも、日本の自衛隊が無批判に追随して、「人道支援」の名の下に米軍支援を行なってきた実態が明らかにされた。

2003年に大量破壊兵器疑惑でイラク戦争が始められたが、現在では、アメリカもイギリスもオランダもこれは誤りだと認めており、国連の査察報告も大量破壊兵器はなかったと報告している。これに反して、日本はあくまで「イラク悪者論」に固執している。

イラクの人たちは、当初日本に軍隊はないはずだと思っていた。ファルージャに民間企業が来て雇用を創出すると期待していた。しかし、やってきたのは自衛隊だった。そして、ようやく戦闘が落ち着き始めたころ、シーア派イラク政府はスンニ派を弾圧し、このイラク政府に日本は警察車両を提供している。この弾圧に対するスンニ派による抗議デモの高揚に対し、さらなる弾圧と空爆が行われ、イラクはさらに深い混迷と民間人の犠牲が増加している・・・。

印象的だったのは「ISは極悪非道のモンスターだから殺されても当然」という考え方が、正規軍のモラルを低下させ、国際社会全体にも「コラテラル・ダメージ(巻き添え被害)も仕方ない」「対テロだから仕方ない」という考えが広がって、民間人被害の増加にもつながっているとの指摘。そして、イラク復興を掲げたアメリカの占領政策が失敗の連続で、イスラム国を産み出した原因がアメリカ自身にあることが日本では語られていないという日本のメディアの状況。

世界中で113人に1人が難民・国内避難民という状況の中で、目に見える人道支援は軍隊ではなく、文民・民間人でなければその国の人々に信頼されないと改めて強く思った。

2017年5月 1日

憲法リレーエッセイ 飯塚市長選挙奮戦記

会員 小宮 学(37期)

1 はじめに

私は、2月19日告示、2月26日投開票の飯塚市長選挙に立候補した。

突然、前市長と前副市長の賭けマージャン事件が昨年12月22日付西日本新聞1面で報道され、年末には飯塚市政治倫理審査会が設置されることが報道された。

あれよあれよという間に、前市長と前副市長は、1月11日に1月31日付で辞職することを記者会見し、今回の飯塚市長選挙となった。

立候補の理由や公職選挙法について感じたことを簡単に紹介させていただきます。

2 飯塚市長選挙立候補表明

(1) 前市長と前副市長の賭けマージャン事件の報道以来、私は、漠然とではあるが、「飯塚市政は不透明であり、おかしいのではないか。」と思っていた。

前市長と前副市長の賭けマージャンは、元市幹部が経営するマージャン店「浜」で繰り返されていたこと、本年4月から飯塚市の指定管理者となる事業者が参加していたことが報道されていた。

現飯塚市長(前教育長)は、1月20日、教育長の辞任届けを提出し、その直後に飯塚市長選挙に立候補することを表明した。

(2) 1月21日付西日本新聞には、現飯塚市長(前教育長)について、「自ら明らかにした市長との賭けマージャンとともに、有権者がどう判断するかは未知数だ。」と報道されていた。

私は、「自ら明らかにした市長との賭けマージャン」とは、いったい何のことだと思って、ただちに他の新聞記事を調べた。

(3) 1月21日付毎日新聞には、「2010年の教育長就任以降7、8回ほど食事代などを賭けてマージャンをやったことを明かし『多くの人から出馬を促されたが、私が出馬できるか悩んだ』と述べた。前教育長によると前市長、前副市長とも2、3回一緒にマージャンをしたが、業者と同席したことや平日の日中にやったことは『ない』と否定」とあった。

(4) なんのことはない。現飯塚市長(前教育長)は、前市長、前副市長を交えて2回ほど、食事代や場所代を賭ける形で賭けマージャンをしていたのだ。

前市長、前副市長と同じ穴のむじなではないか。マージャンは4人いなければできない。現飯塚市長(前教育長)は、いったい誰と賭けマージャンをしていたのか。私は、現飯塚市長(前教育長)には、飯塚市長になる資格はないと思った。

突如、私は、賭けマージャン問題の真相を解明したく、1月28日に立候補の記者会見をした。無所属で立候補することを表明した。

3 私の戦略

私は、筑豊じん肺訴訟の原告弁護団事務局長を務めた。

初代弁護団長松本洋一(平成3年10月21日死亡)は、弁護団会議で、常々、「闘いは勢いである、小さくても勢いがある方が勝つ。」と言っていた。

筑豊じん肺訴訟は、提訴から最高裁判所の勝利判決まで18年4カ月もかかってしまったが、たった169名の炭鉱夫じん肺患者が国、三井鉱山(現・日本コークス工業)、三菱マテリアル、住友石炭鉱業(現・住石HD)、古河機械金属、日鉄鉱業に勝った。

故松本洋一の言葉を胸に、全力で闘った。

自民党以外の全政党から支持を得たく、推薦依頼文を発送した。自民党に推薦依頼を求めなかったのは、私が立候補の記者会見をした日に自民党が現飯塚市長(前教育長)の推薦決定をしていたためだ。結局は、日本共産党だけが私の推薦決定をした。

無党派層から支持を得たく、(1)賭けマージャン問題の真相解明、(2)市4役の資産公開制度の強化・創設、(3)11年前の合併後に廃止されたコミュニティバスの復活強化、(4)保育所待機児童の解消、(5)小・中学校のエアコンの設置、(6)白旗山メガソーラー乱開発ストップなどの政策を一生懸命訴えた。

告示後の1週間は、宣伝カーの上に立ち、毎日約20回、政策を訴えた。

3人の候補者の中で、宣伝カーの上に立ち、政策を訴えたのは私だけだ。

全国から約200人の弁護士仲間が、推薦文をくれた。毎日、弁護士仲間が応援弁論にやって来た。

4 敗北

私は、敗北した。現飯塚市長(前教育長)が26,320票、O候補が10,609票、私が8,553票だった。

2月27日付朝日新聞は、私の敗戦の弁を、「精一杯やった。私の意見は市民に届いた。今後に必ずつながる。新しい飯塚の出発点になる。」と報じた。

敗北した当初は、たった8,553票だと思ったが、「地盤、看板、鞄」がない私が、よく8,553票も取ったものだと今は思っている。

5 公職選挙法との闘い
(1) 飯塚警察署からの電話による注意

飯塚警察署刑事課知能犯係から数回電話による注意があった。

1回は、私がたまたま選挙事務所にいたので、電話対応した。告示前の2月15日(水)午前9時頃に電話がかかってきた。

公職選挙法143条17項には、「立札及び看板の類は、縦150センチメートル、横40センチメートルを超えないものであり、かつ、当該選挙に関する事務を管理する選挙管理委員会の定めるところの表示をしたものでなければならない。」とある。

私は、同日、午前7時30分から柏の森交差点でハンドマイクを使って、「小宮まなぶ」とだけ書いた横断幕を掲げて、政策を訴えた。

告示前なので、「飯塚市長選挙」とは言ってはいけないし、書いてもいけない。「候補者」とも言ってはいけないし、書いてもいけない。

告示前に、ハンドマイクを使って、街頭で政策を訴えたのは、3候補者の中で私だけだ。

飯塚警察署刑事課知能犯係が言うには、この横断幕が縦150センチメートル、横40センチメートルを超えていたという。

私は、思わず電話口で、「お前は、憲法21条を知らないのか。」と怒鳴りたくなるのを、我慢して、「はい。はい。」と言った。

(2) その他

その他、公職選挙法との闘いは山ほどある。今の公職選挙法は、新人は選挙にでるなと言っているに等しい。

2017年4月 1日

憲法リレーエッセイ 裁判所は憲法を尊重しているか?

会員 永尾 廣久(26期)

「憲法は裁判規範ではなくプログラム」?

元最高裁判事の泉徳治氏は、最高裁の憲法認識を厳しく批判しています。

「日本の最高裁は憲法のやや抽象的文言から国民の具体的な権利自由を導くことに消極です。国民の権利自由は、法律で規定されて初めて生まれると考えがちです。立法作業を経験した裁判官に特にその傾向が強いようです。最高裁は、まず法律制度から入り、法律制度として合理性を有するものであれば、憲法上の合理性を有する、という判断の仕方をよくします。・・・・・。法律の具体的な制度設計が重要な意味をもつのであり、憲法は単なる要請、指針である、憲法は裁判規範ではなくプログラムである、という最高裁の姿勢が現れているように思われます」(『一歩前へ出る司法』、267頁)

そして、泉徳治氏は憲法秩序を守るために日本の裁判所はもっと積極的な役割を果たすべきだと強調しています。私も、全く同感です。

「社会集団全体の利益と集団構成員の利益はしばしば衝突します。ここでも、規格化を求める集団の利益と、選択的別姓でアイデンティティの保持を求める個人の利益が衝突しております。両利益の調和が必要となりますが、このことについて、憲法13条は『すべての国民は、個人として尊重される』と規定し、個人が尊重されて尊厳が守られる社会を作るという指針の下に個人と社会の利益の調和を図るべきことを規定しております。そして、日本社会では、夫婦の約96%が夫の姓を選択しているという状況の下で、選択的別姓を求める女性は少数派に属します。民主主義的プロセス、多数決原理で動く国会では、少数者の利益は無視されがちです。そこで、裁判所が、選択的別姓を認めず夫婦同姓を強制することが憲法13条の個人の尊重に違反するかどうかを厳格に審査しなければならない、そうしなければ憲法秩序が守られないということになります」(同、269頁)

「社会全体としては同一氏で規格化したほうが便利でしょうが、多少の不便は我慢しても個人としての生き方を認めていくべきですよね。個人としての生き方が集団の中で押しつぶされてしまっている」(同、272頁)

「日本の最高裁の建物の中には憲法問題を研究している人が一人もいないんですね」(同、330頁)

官僚派の裁判官だけではダメ

泉徳治氏は、本人自身が最高裁事務総長から最高裁判事に就任するという超エリートコースを歩んだ人ですが、最高裁の裁判官のうち3人くらいは官僚的な発想にとらわれない、人権重視の人が必要だと断言しています。

「官僚派の裁判官が大勢を占めるようになり、社会秩序重視の判決が多くなったように思われます」(同、294頁)

「団藤先生は、刑事法の権威ではありますが、刑事法以外の分野でも優れた個別意見を書いておられます。一つの分野を究めているような人はやはり違いますね。憲法でも他の分野でも立派なご意見をお書きになる。やはり、ああいう方が三人くらい最高裁に必要です。物事の本質を見ようとする人、官僚的な発想にとらわれない人が、必要なんじゃないですかね」(同、99頁)

裁判官の研修についても、注意を要するという泉徳治氏の指摘は大切だと思います。

「私も、裁判官を外部に出して多様な経験を積ませるということには賛成ですが、それによって裁判所が準行政庁的機関になることがあってはならないと思います。外部研修で、統治機関としての意識を強くして帰ってくる人がいないとも限りません」(同、304頁)

「夫婦同姓強制の合憲判断は間違い」

泉徳治氏は、最高裁が夫婦同姓を強制している法律を合憲であると判断したのは間違いだと、すっきりした口調で言い切ります。

「再婚禁止期間の違憲判断は当然であり、夫婦同姓強制の合憲判断は間違いであるというのが私の立場です。・・・・・。(最高裁判決は)まず社会があり、社会の構成要素として家族があり、家族の中に個人があるという発想です。社会の構成要素として家族があるのですから、家族のあり方は社会が民主主義的プロセスで決めればよい、社会全体の便益のためには、家族形態は規格的、画一的であるほうがよい、という発想です。しかし、まず、一個の人間としての男と女があるのではないでしょうか。その男と女が結婚して家庭を作る、家庭が集まって社会を作るのではないでしょうか。個人の尊重、個人の尊厳がまず最初に来るべきところです。多数決原理で個人の人権を無視することは許されないと思います」(同、266頁)

そして、泉徳治氏は、最高裁判決が「権利」よりも先に「制度」ありきとしているとして、厳しく批判しています。

安保法制法は憲法違反

国会で安保法制法案が審議されているとき、山口繁・元最高裁判長官が安保法制法案は憲法違反だと指摘したことが大きく報道されました。

泉徳治氏は、この点について、次のように語っています。

「(問い)2015年の夏に、集団的自衛権の限定的行使を容認する安全保障関連法案の合憲性が大きな争点となっていた頃、山口元長官がインタビューに応えて、法案を違憲だと指摘されたことは意外だった、ということですか。

そうですね。あれは、朝日新聞の記者のお手柄でした。私も山口元長官のご意見に賛成です」(同、308頁)

福岡でも、安保法制法が憲法違反であることを明確にするための裁判(国賠訴訟と自衛隊の派遣差止訴訟)が始まりました。裁判所には勇気を持って事実を見据えて、真正面から判断してもらいたいものです。

憲法を盾に裁判所は一歩前に

泉徳治氏は東京都議会議員定数是正訴訟で、本人が原告となって訴訟を提起しました。これは世間に大変なショックを与えるものでした。その思いを次のように語っています。

「選挙の争点にもならなかった安全保障関連法が国会をすいすいと通過する、憲法改正の論議も始まろうとしている、報道の自由を牽制するような動きもある、一人一票はなかなか実現しない、こういう動きをみておりますと、裁判所も、一歩下がってばかりいて、民主主義国家の中で果たすべき役割を怠っていた責任を免れないのではないかという思いを強くしてきました。また、どこが悪いというよりも、我々世代全体の責任だと思うようになりました」(同、336頁)

その反省の前提となっている司法の現状認識を泉徳治氏は次のように語っています。

「憲法は、立法、行政のほかに司法を設け、国民が、不平等な選挙権などの民主制のゆがみの是正を求め、憲法で保障された権利自由の救済を求めて、立法・行政と対等な立場で議論するフォーラムとして法廷を用意し、裁判所に対し、憲法に違反する国家行為を無効とする違憲審査権を付与しているのです。裁判所は、違憲審査権を行使することにより、民主制のシステムを正常に保ち、憲法で保障された個人の権利自由を救済するという役割を担っております。

したがって、裁判所が、違憲審査権行使の場面で、議会の立法裁量や政府の行政裁量の陰に隠れていては、憲法秩序が保たれません。裁判所は、憲法を盾に一歩前に出て、国会行為が憲法に照らし正当なものかどうかを厳格に審査しなければなりません。ところが、約70年の歴史のなかで、裁判所が法律や処分を違憲と判断した裁判例は20件しかありません。裁判所の中で、憲法で課せられた司法の役割に対する認識が十分に育っていないのです」(同、2頁)

「私は、裁判所が、憲法よりも法律を重視し、法律解釈で立法裁量を最大限に尊重し、法律に適合するならば憲法違反とは言えないとし、条約は無視する、という現状から早く抜け出して、憲法を盾に一歩前に出てきてほしいと願っております」(同、4頁)

形式・枝葉ばかりを気にする裁判官

福岡の法廷に現れる裁判官のうち、まともに当事者の言い分を聞いてくれる人にあたると、正直言ってほっとします。

時間ばかりを気にして、当事者の言い分をまともに聞いていないとしか思えない裁判官が、何と多いことでしょう。形式論には強いけれど、紛争の実質からは目を逸らそうとする裁判官、憲法論を持ち出すと、そんな抽象論なんか主張してもダメでしょ、と言わんばかりに冷たい裁判官が多過ぎます。泉徳治氏の言うように、上が上なら、下も下、そんな気がしてなりません。

でも、私は決して諦めているわけではありません。泉徳治氏の言うとおり、私たちには、今の状況を克服する責任があると思うのです。

泉徳治氏の本に大いに触発され、私も発奮しました。ぜひ、みなさんもご一読ください。

2017年3月 1日

憲法リレーエッセイ 南スーダンの現状

会員 池上 遊(63期)

1 はじめに

2015年9月成立、2016年3月施行の安保法制法により、国際平和協力法が改正され、PKOに派遣される自衛隊は新たに駆け付け警護、共同宿営地防護といった任務の実施が可能となりました。現在、わが国は、アフリカの南スーダンへPKO部隊を派遣していますが、2016年12月に派遣された部隊から上記任務が与えられています。

遠い南スーダンで日本が果たすべき役割があるのか、現地の情勢がどうなっているのか、などに関心があり、現地で支援活動に従事する今井高樹さん(日本国際ボランティアセンター・スーダン現地代表)が1月22日に北九州でされた講演を聴いてきましたので簡単に紹介させていただきます。

2 南スーダンの現状

1956年にスーダン共和国がイギリスから独立、2度の内戦を経て2011年に同国から南スーダン共和国が独立しました。国連がPKO部隊(南スーダンミッション、UNMISS)の派遣を決定したのも同年です。そのわずか2年後の2013年、当時の副大統領をはじめとする一派がクーデターを起こして再び紛争が始まりました。今井さんは現状を「日本の戦国時代のよう」と評し、共存してきた二つの部族が南スーダン独立時に一旦はまとまったものの、財政や石油収入、国際支援で入ってくるお金をどのファミリーが使うかなど利権をめぐって大統領派、副大統領派の対立が生まれたと解説してくれました。軍隊は存在しますが、出身部族との関係でまとまりがなく今も内戦につながるおそれがあるそうです。ただ、今井さんの友人で南スーダンの方は、部族対立は結果であり、利害関係が軍の部族間対立を煽ったと言っているとのことでした。

2015年8月には、関係当事者が「南スーダンにおける衝突の解決に関する合意文書」に署名します(「外圧」によるものとのこと。)が、2016年7月に再度対立が激化し、現在は大統領派と副大統領派の間で再び紛争状態となっています。

自衛隊宿営地のあるジュバ(首都)でもヘリやロケット砲による攻撃が繰り返される一方、市場や国連食糧倉庫の襲撃、略奪(政府軍による略奪も含む。)もあり、これが国の軍隊かと思ったそうです。現在、市街地は比較的平穏だそうですが、警察が法令違反と言って市民を恐喝したり、入国管理局でも多額のお金を要求されるなど職権濫用が当たり前になっているようです。悪質なのが軍隊で、兵士による略奪やレイプを許しているという信じられない状況だそうです。インフレは700~800%、10年前には1ドルが2ポンドでしたが、今は100ポンドとなっているそうです。国連による支援が十分に行き届いていないことから、今井さんのグループは、人道支援として食料支援や教育支援に取り組んでいます。

3 南スーダンPKOと自衛隊

PKO部隊に対しては、2016年7月の紛争激化の際に市民が救助を求めたのに駆けつけなかったことなど助けを求めても何もしてくれないという批判が多いそうです。ホテルなどの施設を政府軍が襲撃しており、派遣すると政府との紛争になってしまうことから派遣できなかったようです。また、南スーダン政府も国連の避難民保護施設について反政府軍を匿っている、と批判しています。

駆け付け警護は現地の了解が必要で、南スーダンの現状では非現実的な任務です。自衛隊の任務は幹線道路建設の警護などですが、もし何かあっても戦闘の当事者が分からない、その結果同意を得ることもできない、誤って攻撃すれば敵とみなされることにつながります。

日本に対しては自動車メーカー「TOYOTA」の製品の質がいい、経済的先進国のイメージが強いようです。しかし、こうしたイメージも現地で何が起きるかで一転するでしょう。「駆けつけ警護」は必要ない。反政府勢力を含めバラバラになっている現状ではあらゆる勢力が集まって和平交渉を進める必要があり、非軍事的、外交分野にこそ日本の役目があると今井さんは話していました。

4 感想

南スーダンにはレベル4・退避勧告が発されています(外務省HP)。本原稿を書いている現在、報道によれば、2016年7月の紛争激化について破棄されたと政府が説明してきた自衛隊の報告書が「発見」され、同報告書に政府が否定する「戦闘」が起きていたとの記述があることが問題となっています。

紛争状態の現地に重装備の自衛隊を派遣してどんな支援ができるのか。日本が国際協調主義のもとで培ってきた信頼を失わないように本来の役割を果たすべきではないでしょうか。

2017年2月 1日

憲法リレーエッセイ 安倍首相の真珠湾攻撃犠牲者慰霊に見られる日本国憲法観

会員 椛島 敏雅(31期)

安倍首相は2016年12月27日ハワイの真珠湾をオバマ大統領と共に訪れて、アメリカへの宣戦布告前の1941年12月8日未明、真珠湾に停泊中のアメリカ空母機動部隊への日本軍の奇襲攻撃で犠牲になった兵士約3300名に対する慰霊を行った。この訪問はオバマ大統領の同年5月27日の被爆地広島訪問に対する返礼の意味をも持つといわれているがそうではない。慰霊後の演説に広島訪問に対するお礼や返礼は一言も述べられていない。真珠湾での慰霊はオバマ大統領の岩国基地での演説に対する返礼である。オバマ大統領は広島に行く前に、同日、米軍最高司令官として岩国基地を訪れ、岸田外務大臣や日米の政府、軍関係者の前で、「かつての敵はパートナーだけでなく、最も強固な同盟国になった。」、「米国の海兵隊が自衛隊とともに」「信頼、協力、友情」で、「世界の安全保障を守って」いる同盟である(産経新聞)、と演説していた。

安倍首相は真珠湾での慰霊の後の演説で「この地で命を落とした人々の御霊に、ここから始まった戦いが奪った、全ての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜の民の魂に、永劫の、哀悼の誠を捧げます」、「戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない」、日本は戦後、「ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました」とは述べたが、「歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国となりました」「それは、いままでにもまして、世界を覆う幾多の困難に、共に立ち向かう同盟です。明日を拓く、『希望の同盟』です」と、先に成立させ施行させた立憲主義に違反すると考えられる安保法制を背景に、日米同盟を「希望の同盟」と呼んで、オバマ大統領や政府軍関係者を前に、オバマ大統領の岩国基地での演説に応えた。と同時に、これは2017年1月に就任するトランプ大統領へのメッセージでもあった。むしろ、政治的には此の方に狙いがあるのだろう。

しかし、真珠湾奇襲攻撃を伴った米英等に対する宣戦布告後の戦争は、行き詰まっていた日本の中国侵略戦争をアジア太平洋に広げ、日本で310万人、アジア太平洋地域で2000万人余という膨大な戦争犠牲者を出す大惨禍をもたらした。かの地で慰霊を言うなら、真珠湾での犠牲者だけでなく、全ての戦争犠牲者に対して、慰霊と謝罪と不戦の誓いをすべきである。それが、「政府の行為によって再び戦争の惨禍がないように決意」した憲法を持つ国の総理大臣の心構えであろう。

「安倍首相は、以前、著書で日米同盟は軍事同盟であり、「血の同盟であるべき」と言っていたが、今回の真珠湾訪問では「希望の同盟」と言うようになった。外務省のHPにも「日米同盟は希望の同盟となった」と掲載されている。本当に、日米同盟が「希望の同盟」になったと言ってよいのであろうか。

安保法制で自衛隊が紛争地域で米軍の後方支援を出来る様になったことからすると、日米同盟は「希望の同盟」ではなく、まさしく、血の匂いのする「血の同盟」になったと言えるだろう。しかし、私たちは血の同盟を断固として拒否する。その為にも安保法制廃止の声を上げ続けていかなければならないと思う。

2016年12月 1日

憲法リレーエッセイ 日本国憲法公布70周年記念講演

会員 栃木 史郎(65期)

1946年11月3日に、日本国憲法が公布されました。今年(2016年)11月3日は、憲法公布70周年となります。それを記念して、福岡県弁護士会は、11月3日、憲法の大切さをアピールするパレードを行うとともに、九州大学法学部教授の南野森先生をお招きした講演会を開催いたしました。

パレードでは、天神中央公園から講演会場である明治安田生命ビルまでの道を、憲法の大切さをアピールしながらの行進となりました。多数の市民も参加した、賑やかなものとなりました。

パレードが終了した後に南野先生による講演会が行われました。講演会場である明治安田生命ビルの大ホールは定員が446名ですが、満席となる大盛況でした。

南野先生は、元AKB48の内山奈月さんとの共著で、「憲法主義」(PHP文庫)という書籍を出版されましたが、なぜ出版を決意されたのか等出版に至る経緯を交えて、憲法とは何なのかについて、分かりやすく、ときにユーモアを交えて、お話いただきました。

お話の中で、南野先生は、憲法が憲法であるためには、国民の役割が大切であると強調しておられました。

そもそも、憲法は、権力者を縛るという13世紀のイギリスで成立したマグナ・カルタが源流となっています。当時のイギリスでは、絶対君主制の下で、国王が横暴を働き、国民の人権がないがしろにされてきました。それを是としない国民が、横暴を働く国王を縛るために、国王に対して突き付けたルールが、マグナ・カルタです。

現在の日本の憲法は、国の最高法規とされ、それに違反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しないこととされます。そして、法律や命令等が憲法に抵触しているかどうかは、最高裁判所が審査をすることとされております。

しかし、これまでの日本では、権力者によって、そのような憲法の役割が無視されるということが、度々起きていました。

その例として、刑法200条の尊属殺規定があります。

最高裁は、1973年、刑法200条が違憲であるとの判決を出しました。しかし、尊属・卑属の関係を重んじる国家観を壊すべきではないとの考えから、国会は、長い間、刑法200条を刑法典から削除しませんでした。刑法典の口語化に合わせて、1995年になってようやく、刑法200条が削除されました。

南野先生は、憲法違反とされた法律が、なぜ、20年以上も存続したのかという点について、それは国家権力に対して、憲法を遵守させる強制力がないからであるとおっしゃっていました。憲法に違反したとしても、それを取り締まる警察のような機関があるわけではなく、違憲と判断した最高裁の判決を無視しても、何らのサンクションも予定されていないのです。

しかし、国民が国家権力の動きを監視することによって、国家権力が憲法を無視する一定の歯止めになり得ます。国家権力に対して憲法の遵守を求めるためには、そして、憲法が憲法であるためには、国民が国家権力を監視する、憲法に従えと政治家に言い続けていくことが必要不可欠であるとして、講演は締めくくられました。

講演会終了後、南野先生を囲んで、懇親会が行われました。場所は、会場の明治安田生命ビルの近くの「大阪屋」という郷土料理店でした。講演会では聞くことのできなかったお話や、大学でのお話等、ざっくばらんな語り口で聞くこともできました。

2016年10月 1日

憲法リレーエッセイ 身近な戦争 西部軍事件

会員 前田 豊(28期)

1 昭和20年5、6月、福岡で「九大生体解剖事件」が起き、続いて、6月と8月、同じ西部軍によるB29搭乗員斬首殺害事件(西部軍事件・油山事件)が起きました。

2 昭和20年6月19日、福岡市は米軍機による無差別爆撃を受け、死者902名、行方不明者は244名にのぼる被害を受けました。

翌20日、現在の福岡高等裁判所の裏手の旧校庭で、軍律会議なしに西部軍法務大尉ら4名がB29搭乗員米兵8人を日本刀で斬首するという事件が起きました。「西部軍事件」と呼ばれます。

「福岡県弁護士会史 上巻」(679頁)には、「捕獲搭乗員は西部軍司令部に送られ現在の福岡県弁護士会館のあたりにあった急造の収容所に入れられた。(中略)福岡大空襲の翌日午後収容所内の捕獲搭乗員12名(ママ)を司令部裏の福岡市立高等女学校(現中央市民センター)の校庭に引き出して衆人環視の中で斬殺した。」とあります。

和光有精法務大尉ら4名が米兵8名を斬殺しましたが、その中に前夜の大空襲で母を亡くした冬至堅太郎主計大尉がありました。彼は、殺された母の仇を打つかのように志願して3名を斬首しましたが、裁判手続を経た処刑と誤信し、非合法処刑と知らずに実行しました。

3 続いて、長崎原爆投下翌日の8月10日、福岡市南郊の油山火葬場付近に搭乗員8名を連行し、軍参謀の指揮のもと法務部大尉ら5名が搭乗員5名を斬殺し、2名に空手で殺害できるかを試し、1名に弓矢で殺害できるかを試しましたが、いずれもうまくいかなかったので、最後は袈裟斬りと斬首で絶命させました。

「油山事件」と呼ばれます。

4 さらに、昭和天皇の玉音放送の後、8月15日、それまでの俘虜の処刑を隠蔽するため、同じ油山に、生き残っていた16~17名の米兵全員を連れて行き、処刑しました。第2の油山事件です。

5 戦後、捕獲員が一人もいないという異常事態から事件が発覚しました。関係者が横浜のBC級戦犯裁判にかけられ、死刑、無期懲役、有期懲役及び無罪の判決が下されました。冬至堅太郎大尉は死刑でしたがその後減刑されました。

6 現中央市民センター付近の旧高等女学校校庭(前年西部軍が接収)で、衆人環視のなか、穴を掘り、座らせて、斬首するというのはショッキングなことですが、法務部が関与して、軍律会議の裁判手続を経ないで処刑したという点に、なぜ?という疑問と、殺し殺される戦争の狂気と不条理を感じます。非合法処刑という点では、現在のISの斬首処刑と違わないと言われても仕方がありません。

7 西部軍事件の斬殺実行者の一人は弁護士でした。戦後、巣鴨プリズンから釈放され、贖罪のため無料相談や公益活動に尽力しました。後輩からも慕われ、推されてある弁護士会の最高責任者になりました。

清永聡「戦犯を救え」(新潮新書)では、匿名でその弁護士のことを取り上げています。晩年、「母を稱える詩(うた)」に、「かかさん あんたは戦後私が戦犯になったので、命をちぢめてしまったな!(略)かかさん、ととさん、私の作った一番よい果物をあんた達のみたまにそなえてあげたかね!」と、白鳥の歌をうたったことが紹介されています。胸打たれる話です。

8 戦争は狂気。自分が残虐行為を実行するか、その犠牲になるかです。

だから、好んで戦場に隊員を近づけさせる今の政治の風潮に、喝!

(文献・横浜弁護士会「法廷の星条旗」日本評論社はお勧めです)

2016年9月 1日

憲法リレーエッセイ 安保法制違憲訴訟の課題と展望 −青井未帆教授の問題提起に触発されて−

会員 小谷 百合香(64期)

安保法制違憲訴訟

このところ、福岡県弁護士会(当会)でも安保法制や憲法について考えるシンポジウムや講演会が開かれ、幸いなことに毎回、多くの市民の参加もあり盛況です。

そしてこの4月26日、3月末に施行された安保法制について、東京で違憲確認ひいては国家賠償と施行差止めを求める訴訟が提起され、全国でも後に続けと訴訟提起がなされています。福岡でも、近く提訴される予定です。

ただ、安保法制それ自体が違憲であることは自明とはいえ、違憲判断に消極的と言われてきた裁判所に正面から違憲判断してもらうには難しい問題が山積です。

この難題を一つ一つクリアすべく、平成28年7月22日、東京・渋谷区の伊藤塾で、学習院大学の青井未帆教授(専門:憲法9条、憲法訴訟論)による講演があり、参加してきました。そこで、私がつかんだ思いや、解決の手がかりを報告します。

青井未帆教授の問題提起

Loyal Opposition(ロイヤルオポジション)

東京の安保法制違憲訴訟は、弁護士が原告を募るような形で、弁護士が中心となって訴訟を提起し追行をしているという面があるように感じます。ほかの地裁での裁判も、同様の傾向にあるようです。原発差止めの裁判も同じだと同期の弁護士から聞いたことがありますし、議員定数不均衡訴訟も同じではないでしょうか。

この実態について、青井教授は積極的に評価し、これをロイヤルオポジション(Loyal Opposition)という言葉で表現しました。ここでのロイヤルの頭文字は、Rではなく、Lです。

つまり日本の弁護士(法律家)は、権力そのものではありませんが、完全に権力の圏外にいるわけでもありません。そのような立場から、立憲民主主義が破壊されそうになっている今の危険をチャンスに変える方策に打って出る、日本ではその役割を(メディアではなく)弁護士が果たしているというのです。

安保法制違憲確認・差止訴訟は、国民を戦地に送り、戦争に巻き込んで、生命・身体・健康・財産・幸福追求権を損なう危険性を大いに秘めた、憲法9条に違反する安保法制をとらえて、弁護士が裁判を通じて「違憲である」との判決をもらおうとするものです。このことは、私たち弁護士に課せられた「基本的人権の擁護」「社会正義の実現」という2大使命(弁護士法1条1項)を実現するものと言えるのではないでしょうか。

そういう面をとらえて、青井教授は現在の弁護士による活動をLoyal Oppositionだと、弁護士への敬意を尽くして表現されたのだと思います。

一たび戦争となれば、いのちや財産が奪われることになります。私たち弁護士は事態が起きる前に、国民の人権を守り抜かなければならない。今、その使命が担わされているように思います。

「事件性」の要件は?違憲審査基準は?

私はこれまで、裁判所は付随的違憲審査制を採用し、具体的な事件が起きなければ違憲判断をしない、と学んできました。

では、具体的に誰かが戦地に行かなければ違憲訴訟が提起できないのでしょうか。青井教授からは、藤田宙靖元最高裁判官の論考や最近の憲法訴訟の在り方を紹介されました。

昨今の憲法訴訟の傾向として、議員定数不均衡訴訟などの客観訴訟では、最高裁が憲法秩序の維持を示すことが自明ではないものの、徐々に示すようになってきています。つまり、結論において違憲の判断をしない場合でも、憲法解釈を展開する憲法訴訟が増えてきているのです。

安保法制は、現時点では法制が成立し施行されたとはいうものの、まだ実際の運用や具体的な処分がなされたわけではありません。しかし、国民の生命・財産・幸福追求等の権利を損なう危険性は大いにあり、憲法9条に違反するものです。法律を作る国会が、憲法違反であっても法案を通してしまうときに、平和主義や三権分立を謳う憲法秩序を維持するために、裁判所が「三権」の一機関として職責を果たし、立憲政治のあるべき姿を取り戻す役割を果たすべきです。

では、憲法9条に違反するような法制については、どのような違憲審査基準が用いられるのでしょうか。

これは喫緊の課題であり、最大の難関であります。これについては、青井教授から興味深い示唆がありましたが、教授自身まだ考察中ということで、論文にも著していないため、私からの紹介は控えておきます。

今後、全国の訴訟において、弁護団が自由な発想により、どのような違憲審査基準を提案するのか、それに対して全国各地の裁判所がどのような判断を示すのか、興味深く見守っていきたいと思います。

今後の展望

福岡でも、安保法制違憲確認の国賠・差止訴訟が提訴される予定です。

現在、弁護団員への就任の訴えがなされています。数は力なり。まだ弁護団に加入されていない会員には、憲法9条の新しい判断基準や新たな判例を作る取り組みに参加されることを訴えます。ぜひご一緒させてください。

なにより、安保法制が違憲であることを白日の下にし、憲法の理念を取り戻した政治運営がなされるよう、見守りつつ行動することが、弁護士に求められている。そう実感させられる貴重な講演でした。

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