福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

憲法リレーエッセイ

2015年6月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 戦争法案って、ホントの話?

会 員 永 尾 廣 久(26期)

無用なレッテル貼り?

安倍首相は、戦争立法はやめてほしいと質問した国会議員に対して、事実に反するレッテル貼りをやめてほしいと答えたといいます。

歴代の自民党内閣は、集団的自衛権の行使容認は日本国憲法の下では認められないとしてきました。ところが、自民・公明を与党とする安倍政権は、積極的平和主義の名のもとで、政府解釈を一変させました。日本が攻撃されてもいないのに、一定の要件を満たせば他国の軍隊と一緒になって海外へ出かけて武力行使ができるというのです。

でも、昨年7月1日の閣議決定だけでは、自衛隊は海外へ戦争しに出ていくことはできません。それを可能にする法律の裏付けが必要です。それが現在、国会で審議中の安全保障法制関連法案です。

日本の平和と安全を守るためには、日本が攻められる前に、日本の自衛隊も武器を持って外国軍と一緒になって積極的に海外へ展開して行動する必要があるというのです。安倍首相は、武力行使によってしか平和は守れないとします。本当でしょうか。

武力行使とは戦争のことであり、たとえ小さく始まった戦争であっても、どんどんエスカレートしていって、私たち国民の人権とか生命・健康なんて二の次、三の次になってしまうのではないでしょうか。それよりも、紛争が戦争に発展しないように、お互いの親善交流をすすめるべきだと思いますし、そのためにこそ政治はがんばるべきではないでしょうか。

「戦争」映画をみて・・・

アメリカ映画「アメリカン・スナイパー」を見ました。イラク戦争でのアメリカ軍の実態を見た思いです。爆弾を抱えてアメリカ軍に自爆テロ攻撃を仕掛けようとするイラク人の子どもをアメリカ軍のスナイパーはきわどいところで射殺し、助かったアメリカの兵士から感謝されます。でも、これって、アメリカ軍はイラクの民衆全体を「敵」に回していたということじゃないの。私は、この映画を通してそう思いました。

たとえ一人のスナイパーが600人のイラク人を「敵」として殺しても、それで戦争に勝てるはずはありません。むしろ、「敵」が増えるだけではないでしょうか・・・。イラクの現実が、それを証明していると思います。

ヨーロッパ映画「あの日の声を探して」は、チェチェンに侵攻したロシア軍の残虐ぶりを浮き彫りにしています。主人公の9歳の男の子は、目の前で両親をロシア兵から殺され、そのショックで話せなくなってしまいました。この映画では、同時に、ギターを弾いて楽しんでいたロシア人の若者が、ひょんなことからロシア軍に兵士として取り込まれ、ついには殺人マシーンに変容していく状況も描かれています。アメリカによるベトナム侵略戦争を描いたアメリカ映画「フルメタル・ジャケット」にも同じような過程が紹介されていました。

つまり、自衛隊が外国の軍隊と同じ存在になったとき、それは災害救助に出動して人命を救うのではなく、人をいかに多く効率良く殺すかという人殺しを使命とする集団になってしまうのです。

戦記文学を読んで

戦記文学としては大岡昇平の実体験をもとにした「レイテ島戦記」が有名です。

私はフィリピンのレイテ島に行ったことがあります。日弁連のODAに関する現地調査でした。しかし、レイテ島には、今やジャングルはありません。すべて人工植林です。そして、レイテ島で戦死した日本兵の大半は、実は、餓死したのでした。

最新の戦記文学「指の骨」(高橋弘希)を読んで、作者は自分の原体験を活字にしたと思いました。ところが、文献を踏まえた想像なのでした。作者は、なんと30代半ばなのです。前途ある若者が南方の島で飢えに苦しみ、まともな医療品もないなかで、もがき、苦しみます。戦争の悲惨な状況がリアルに描かれ、背筋がゾクゾクして寒気を感じました。

続いて、「中尉」(古処誠二)、「星砂物語」(ロジャー・パルパース)を読みました。「中尉」はビルマ(現ミャンマー)で敗退していく日本軍の軍医が主人公です。「星砂物語」は沖縄の島で起きた戦争中の悲劇をアメリカ人が「再現」して、読ませます。

この戦争は政府(軍当局を含む)がひき起こした無暴なものであり、有害無益でした。その反省は、今なお、政府当局者に求められています。「政府の行為によって再び戦争の惨禍」を起こしてはなりません。

戦後70年を再び戦前に戻さないために

団塊世代の私は、戦後生まれなので、もちろん戦争体験なんてありません。私より若い安倍首相も同じです。「戦前の美しい国・ニッポン」を取り戻すと安倍首相が叫ぶのを聞くたびに、自分だって戦後生まれなのに・・・、と思います。それはともかく、安倍首相は、平和を維持するために日本の自衛隊を海外へ送ると言います。それも、戦場の間近まで、です。

「後方支援」というのは、いわゆる兵站(へいたん)活動ですから、戦闘行動とは一体のものです。ですから、いつ、敵として攻撃を受けるか分かりません。

万一、不幸にして日本人の戦死者が出たとき、安倍政権は大々的な葬儀を営むことでしょう。でも、死んでから「英雄」と称えられて、誰がうれしいでしょうか。

いま、日本では、日本人は世界に冠たる優秀な民族だ、中国や韓国にこれ以上謝る必要はないという声がネット上でかまびすしいようです。だけど、近隣諸国をバカにして親善交流はできません。このグローバル化した世界で、日本だけが孤立して生き残れるはずもありません。日本が他国へ侵略して残虐な行為をしたことは歴史的事実なのです。そのことを忘れないことによって、将来にわたって戦争しない決意が本物になります。

尖閣諸島を巡って、仮に中国と日本が殺し合いをして、いったいどれだけの意味があるというのでしょうか。意味があるどころか、無意味と言うより巨大な損失を日本と世界にもたらすことは必至です。

安倍首相は、積極的平和主義の名のもとに、日本国内の軍需産業を大きく育成しようとしています。「死の商人」は、これまでもいましたし、これからも増えることでしょう。

安倍首相が進めているのは、武器の開発と輸出です。これは、日本国憲法9条のもとでは認められません。
戦後70年、平和な国ニッポンから、戦争する国・ニッポンに変わろうとしています。自衛隊に戦死者が出たとき、日本は、もはや戦後ではなくなります。それは、戦前の始まりなのです。そんなことにならないように、福岡県弁護士会では6月13日に憲法市民集会を開催することになりました。戦争するための安全保障法制にストップをかけるための集会とパレードです。ぜひ、あなたも参加してください。

2015年5月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 「9条なし崩しを食い止める」

会 員 津 田 聰 夫(28期)

憲法の改正抜きで集団的自衛権行使を容認する新安全保障体制を法制化しようという動きが進んでいる。前のめりの安倍首相が推し進めているこの動きに対し、与党の中でこれに明確に異を唱える者は見当たらず、野党の一部はむしろこれに同調する姿勢のようである。

憲法の枠内であると称して進めている行政主導で立法を巻込んだこの動きだが、これが憲法の大原則に反するものであることは言うまでもない。すなわち、内容的には、憲法第9条や同99条に対する明白な違反である。憲法を変えることなくそれを実施しようというのだから、紛れもなく立憲主義違反の行為である。

この動きを見ると、過って反対する者を許さず全国民を巻込んでわが国を戦争の惨禍に陥れた歴史や、ナチスがクーデター的に全ドイツを戦争国家に変えていった悪夢の繰返しが新たな一歩を踏み出そうとしていることを感じて慄然とする。

もとより、世界の状況は、先の大戦前のとは大きく異なっており、他国に対する侵略は、公式的には、許されないとされている。だから、大日本帝国の過っての対外侵略が単純に再現されるといったことはなかろう。新安保体制は憲法の柱である恒久平和主義と紛らわしい「積極的平和主義」を目指すとされている。

しかし、ベトナム戦争で敗退し、さらに、イラクやアフガニスタンに軍事介入してきて、現在の中東における混乱の遠因を作ったアメリカが集団的自衛権行使の主要な「お友達」というのだから、これは正しくは積極的戦争主義と言い直すべきであろう。

憲法抜きの法制化という欺瞞的なやり方により出来た体制のもとでは、それに関わる具体的紛争事件が生じない限り、その違憲性を司法の場で問うことは出来ないとされている。しかも、その司法が毅然として国民の負託に応える姿勢を示すかどうか、はなはだ心もとない。

もしこの法制が出来れば、それを覆すには、主権者国民の多数を基礎に国会でも議員多数の賛同を得て、この法制を廃止するしかない。しかし、いったん出来た法制を変えることはなかなか困難な課題であろう。可能であれば、立憲主義が民主主義の基本であることを国民多数の共通認識にして、その圧力で法制化を食い止めたい。

集団的自衛権の法制化を止めさせ得るほどの国民多数の意思の結集が出来るか、容易ではないだろう。言えることは、心ある者全て、周りの人々に戦争への道に反対することを訴えて、訴えた人を訴える人に変え、ねずみ算式に訴える人を増やしていき、国民の大多数を立憲派にすることを目指す、それしかないのではないか。
変える相手は1人でも2人でもよい。出来る人は、もちろん、いくら多くともよい。日本の将来を憂う者、全て、本気になって周りに働きかける人になる、その意味で「活動家」になる、それしかない、と思う。

2015年4月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ そうだったのか!日弁連会議

会 員 原 田 美 紀(59期)

「池上さんをもう一度呼びたいね。」
「吉永さん、本人はギャラいらないって言っているらしいけど事務所がね。」(と個人的なファンなのかくやしそうな大阪のN弁護士)
「本当は桑田さんにバーンと音楽やってもらって何とか人を集めたいんだけど・・・何か画期的なことやらないと・・。」(ずっと前から桑田さんイチオシの東京のF弁護士)
池上さんとは、「そうだったのか!」でご存じ池上彰さん。吉永さんは、女優の吉永小百合さん、桑田さんとは、歌手の桑田佳祐さんである。
芸能イベントの話ではない。日弁連憲法問題対策会議イベントPT(私はここに所属しました)で交わされていることばである。
誰を招いたら多くの市民を動員できるか、みな真剣。具体案が次々に出てくる。
昨年7月には、池上彰さんを口説き落とし、中学生限定企画夏休み親子憲法セミナー「池上彰さんと一緒に考えよう そうだったのか!憲法そして平和」を開催。とても好評であった。あまりの忙しさからか殆どの依頼を断られているという池上さんだが、テーマと中学生を対象としたイベントということでなんとか参加を承諾、時間を作っていただいたのだ。一旦お引き受けいただいたら、どんどん進んでいく。すごい人というのは、本当にすごい。

日弁連では、今、2014年7月1日の集団的自衛権行使等を容認する閣議決定を根拠とする関連法案の改正を行うことに反対する国民の声を広げて政府に届けようと、数々の運動を行っている。この春には全国一斉キャラバンも実施している。
ひとつの問題にこのように多くの予算を費やし、数々の運動をするというのは、日弁連にとっても初めての試みらしく、それだけこの問題に危機感をもっているのだといえよう。
それを受け、全国で数千人規模の市民集会やパレードが行われている(福岡県弁護士会でも去年の11月には600人規模の市民集会とパレードを、また今年の6月13日には福岡県弁護士会主催の1700人規模の市民集会、それに先駆けて筑後部会、8月2日には北九州部会で800人規模の市民集会が開催予定、ぜひ参加してください)。

日弁連のPT会議は2か月に1回の割合。
「たまには東京の空気を吸うのもいいと思いますよ。」お誘いいただいたときのN弁護士の言葉だ。
飛行機が苦手な私は片道5時間をかけ、新幹線で上京する。午後1時開始の会議に遅れまいと新幹線の降車口のある八重洲口から反対側の丸の内中央口まで東京駅構内横断のため猛ダッシュ。
会議の場の霞ヶ関の弁護士会館に着いた途端約4時間の熱い議論が開始するという具合だ。
長時間の会議にありがちな、だらだら感はまったくない。全国の弁護士が本当に真剣に熱い意見を戦わせているのだ。
確かに、「日米の国防に対する意見書云々」等の議論にはウルトラマンのピコピコ(古いですか)よろしくもうダメだと脳が拒否反応を起こしそうになったこともあるが、それでも、真剣に憲法問題を論じるたくさんの弁護士の存在、その意見を聞けるこの会議は楽しみであった。
「個人の問題を解決するという仕事も大切だが、それだけでなく、広く社会のことに目を向ける弁護士になってほしい。」修習の終わりに指導担当のN弁護士から言われたことばである。
私は3年間、日弁連の会議に参加した。この春から他の弁護士にバトンタッチするが、本当にことばには尽くせないほど多くのことを得た。目から鱗が落ちる思いも何度もした。
少しでも多くの若手弁護士が積極的に日弁連の会議に参加し、それこそ社会に目を向けてほしいと願っている。

こうした機会を与えてくださったN先生、本当に感謝しています。でも、東京の空気をゆっくり吸う時間はありませんでした。

2015年3月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 沖縄が問うているもの

会 員 我那覇 東 子(50期)

私の出身は沖縄県那覇市で、県外の大学に行くまで過ごしました。米軍の戦闘機やヘリの騒音で会話が途切れるのは日常茶飯事でしたし、幼少の頃は、フェンスを隔てた美しい芝生の広がる敷地の米軍住宅や、のびのびと遊ぶ米国の子供らを羨ましく眺めたものです。そして、離れてみて想う故郷は、昔も今もかわらず、平和というものとは遠い、翻弄される激動の地でもあります。

<捨石の沖縄>

今年で戦後70年となります。先の大戦では幾多の尊い犠牲がはらわれました。中でも沖縄では激しい地上戦となった結果、10万人以上の民間人が凄絶な最期をとげました。以来、現在に至っても、彼の地は米軍支配の下、捨石のような状態が続いています。国土の0.6%、全国人口の1%の沖縄に、日本の米軍基地の74%が集中しています。そのために、日常的な米軍戦闘機やヘリの騒音被害、墜落等事故、環境破壊・汚染、米兵等による婦女暴行事件や交通事故等の様々な人権問題、社会問題が引き起こされています。

ちなみに、1972年本土復帰から2013年末までに沖縄県内で発生した「米軍航空機関連事故等」は、判明分だけで594件に上っています。その主な事故態様は、墜落45件、部品等落下46件、不時着439件。発生場所は、基地内443件、民間地151件――この内訳は、住宅付近20件、民間空港35件、空き家等31件、畑等15件、海上46件、その他4件(以上は沖縄県知事公室基地対策課資料)。つまり、年間14.5件、月に1~2件のペースで、狭小の沖縄では、何らかの米軍航空機関連事故が発生し、同時に、県民の平和的生存が脅かされ続けています。

2004年8月13日、沖縄国際大学構内に米軍ヘリが墜落・炎上しました。このヘリ、25メートルプール程の巨大なもので、私は九弁連人権擁護委員として墜落現場の視察に赴いてみたのですが、大学構内の建物壁に広がる黒く焼け焦げた惨状に、墜落の衝撃を想像して思わず息を呑んだのです。また、事故機の部品には、放射性物質(ストロンチウム90)が使用されていたため、墜落現場付近の汚染が濃厚となりました。

2013年8月5日、キャンプ・ハンセン内に米軍ヘリが墜落しました。墜落現場は基地内とはいえ、もともと狭小の地。飲料水を取水している大川ダムの北端すぐ、民家から僅か2キロ程の地点です。事故機の部品には、放射性物質(トリウム232)が使用されており、やはり土壌・水質汚染が強く懸念され、県民の健康被害も危ぶまれます。

<まるで他人事>

さて、渦中の普天間・辺野古基地を巡って、国は「普天間基地が固定化する。」という殺し文句を繰り返しては、その代替としての辺野古基地を強いるわけですが、では沖縄に辺野古基地が永劫に固定化するのはいいのか?(全く基地負担軽減にならない)普天間の危険性除去をいうなら、なぜ新たな基地周辺部のそれは放逐されるのか?この言説には、子どもでもわかるような詭弁があるだけでなく、その責任の主体というものが一向に明らかにされません。外国の軍隊に基地の提供をするのは、あくまでも主権国の責任に基づくものですし、ましてや、その場所を外国が特定するのは越権です。まずもって国内で決着すべき問題を等閑したまま、日米両国で決めたものだからと豪語してはばからない国の態度はいささか滑稽でもあります。今更ですが、70年も普天間基地を固定化し続けてきたのは、まぎれもなく国の責任であったということです。

<民主主義の真価が問われる>

この点、沖縄では従前から各自治体含めて新基地建設反対の声がありましたが、2010年、名護市辺野古の新基地建設に反対を掲げた稲嶺氏が名護市長に当選し、昨年11月には、同じく基地建設反対の翁長氏が沖縄県知事に当選しました。さらに、昨年12月の衆議院選挙でも、新基地建設反対を明確に政策目標とした4つの選挙区全ての議員が当選しました。こうした幾重もの民意に照らせば、筆舌を超えた基地被害を甘受しなければならない地元全体が、辺野古基地建設に反対である、と考えるのが筋でしょうし、かりにも主権国かつ民主主義国家である以上、その選挙結果には、米国も含めた再協議や検討を踏まえるなどの最大限の敬意が払われてしかるべきでしょう。

ところが、首相は、翁長新知事との面会を拒否し続け、沖縄振興予算を一方的に削減し、知事を支持した企業を公共事業から排除するなどして、公金で県民の首を絞めつけます。さらに、民意を一顧だにせず基地建設を強行したため、政府の露骨な県民切り捨ての暴挙に対して、地元の憤懣は高まり、溝は深まるばかりです。私は思いきり、いぶかしみたくなるのです。「果たして日本は民主主義国家を標榜しているのだろうか?」「はたまた、沖縄は昔も今も治外法権なのだろうか?」

<憲法問題のるつぼ>

こうした沖縄の問題は、決して小さな島内だけにとどまるものではありません。目下、墜落事故等の多いMV-22オスプレイの配備を巡っては、既に強行導入された沖縄のみならず、近隣の佐賀県でも重大な岐路に立たされています。今後の飛行演習の拡大や、昨年の混乱状態の中で決まった集団的自衛権の運用を絡めてみると、今後、全国各地で深刻な状況になっていくものと思われます。また、米国は、自国の財政状況の悪化に伴って、約20万人の海兵隊を15万人に削減する事態に直面している一方、日本も財政悪化の憂き目にありながら、なぜかいつまでも駐留外国軍のために莫大な公費を投入し続けています。沖縄で生じているこうした問題は、これからの国民の平和的生存の行く末や、法の下の平等、主権在民・民主主義のあり様といった、憲法の根本原則を先鋭的に問うている事柄のように思えます。

<世界は見ている>

国連人種差別撤廃委員会は、第3~6回日本政府報告書に対し、最終見解において、こう述べています。「さらに委員会は、沖縄における軍事基地の不均衡な集中は、住民の経済的、社会的及び文化的権利の享受に否定的な影響があるという現代的形式の差別に関する特別報告者の分析を改めて表明する。」つまり、国連は、日本政府に対し、沖縄の基地差別問題について警鐘を鳴らすとともに、以後も継続的に政府の対応を注視し続けているというのが現状です。

その他、日本と諸外国との関係や外交を俯瞰しても、国際社会とりわけアジア近隣諸国の中で信頼され、かつ協調していくためには、まずもって主権国として自立することに加え、自国の憲法が道標として照らし続けてきた、平和の希求、不断の人権擁護、そして成熟した民主主義の実践といったものが求められています。幾多の憲法問題を問い続けてきた沖縄への取り組みは、日本という国が、これからの国際社会の中で真の価値を見いだせるか否かの試金石になると思うのです。

<参考>

*沖縄県知事公室HP(ホームページ)

*「平和的生存権―米軍ヘリ墜落事故と基地・憲法問題」(九州弁護士会連合会HP「人権白書」)

*「米空軍HH60ヘリコプター墜落事故に関する理事長声明」(同HP)

2015年2月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 2014年のノーベル平和賞から日本国憲法9条、集団的自衛権を考える

九弁連憲法委員会連絡協議会委員長
椛 島 敏 雅(31期)

<2014年ノーベル平和賞受賞>

2014年のノーベル平和賞は女性や子供の教育を受ける権利を訴えて活動するパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)とインドの人権活動家のカイラシュ・サティヤルティさん(60)が受賞し話題になりました。マララさんはテロによる銃撃で瀕死の重傷を負いながら活動を続ける勇気ある最年少のノーベル賞受賞者である。また、インドとパキスタンというカシミール地方の領有権をめぐって核兵器を開発保有してまで対立する両国の、普遍的な人権活動家がノーベル平和賞を受賞したことは互いの国の人権が伸長しすべての人にあまねく教育が施されていけば武力によらず平和が達成できるという強いメッセージでもある。二人の今後の活動に注目していきたい。

また、そのノーベル平和賞選考過程で、「憲法9条を保持している日本国民」がノーベル平和賞候補にノミネートされたことも話題を呼んだ。残念ながら受賞には至らなかったが、アフリカ内戦の悲惨さや祖母から聞いた戦争の体験談に戦争の罪深さを深刻に感じていた主婦が憲法9条を読み、それを日本国民が70年間守ってきたことに感動して発案した取り組みが、日本国憲法9条をノーベル平和賞の候補にして、その存在を世界に知らしめたのである。仮定の話しであるが、もし、受賞決定になっていたら、国民を代表して安倍首相が受賞式に列席するという栄誉に浴していたかもしれない。しかし、安倍首相は、憲法9条を敵視し廃止したいと願っている改憲論者であるから、本意でない栄誉を受けることを強く固辞していたであろう。受賞式には日本国憲法を公布し、憲法で日本国民統合の象徴として、憲法を守っていくと発言されている天皇陛下が参列されることになっていたであろうか。

<安倍晋三内閣総理大臣>

安倍晋三氏は、戦後の歴代総理大臣の中で、唯一公式に憲法9条の改憲を主張する総理大臣である。2014年7月には、戦後、自民党政権が一貫して憲法9条のもとでは集団的自衛権の行使は認められないとして来た憲法解釈を、内閣法律顧問の法制局長官の首をすげかえて変更し、集団的自衛権行使容認の閣議決定をした責任者である。第2次安倍政権になり憲法96条の改正手続条項を緩和する変更をしようとして、国民の大反発を受けて断念し、「解釈」改憲を企図している。その政治姿勢は立憲主義違反であるとの意見をまったく意に介しない総理大臣である。

<ノーベル平和賞候補にふさわしい活動を>

新しい年2015年は、総選挙で「安定多数」を占めた安倍政権が閣議決定している集団的自衛権行使容認の具体的な法整備を強行してくる年になる。昨年の弁護士会のシンポで基調講演された小林節慶応義塾大学名誉教授は、集団的自衛権は「日本が他国(同盟国)の戦争に加担することである。」とその本質を分かりやすく説明された。集団的自衛権をその様に理解されるとまずいと思ったか、安倍政権は新要件であるとして「わが国と密接な他国に対する武力攻撃が発生し、わが国の存立が脅かされ、国民の人権が根底から覆される明白な危険がある場合に限り、わが国も参戦できる。」と説明するようになった。しかし、どのように言い繕いをしようとも、日本が他国の戦争に参戦していくことに変わりはない。これは国権の発動たる戦争を永久に放棄し、交戦権の否認、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しないと定める現行憲法9条に違反することは明らかであり、憲法に基づく政治、立憲主義を踏みにじるものである。

このような状況の中で、私たち弁護士会が行う立憲主義を守れとの声明やパレード等の行動提起は貴重である。私は、

憲法は法律の根本にあるものです。その憲法解釈を一内閣で変えることは認められていません。

他国のために武器を持って外国へ行く理屈は憲法からは出て来ません。

国会では少数派でも、草の根では多数派です。弁護士会も立ちあがっています。

みなさんも一緒に声を上げてください。

等々と訴えて行きたいと思っています。
日本国民が70年間近く護り通してノーベル平和賞候補にもなった憲法9条が踏みにじられる行為を黙って傍観しておくことは出来ない。

2014年12月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 「過去のこと」

会 員 天 久 泰(59期)

9月のある日、テレビでニュースを見終わった後、妻に、「今、辺野古を見ておかないと後悔しそうだ。10月中に行きたい。」と言うと、「じゃあ行っておいで。」とあっさり承認が下りた。理由は詳しく説明しなかったが、私の表情から決意のほどをくみとってもらえたようだ。辺野古行きは、官房長官の定例会見での一言で思い立った。米軍・普天間基地の辺野古移設をめぐる問題は「過去のこと」であるという一言。

10月中旬の週末、那覇空港からレンタカーを飛ばし、1時間半ほどで名護市・辺野古崎に入った。薄曇りの空。前週に上陸した台風の影響がまだ感じられた。
辺野古の集落に近づきながら、遠目にシュワブの施設が見えた。「辺野古崎」という小さな岬を挟んだ両岸にへばりつくような形で、米軍・キャンプシュワブは存在する。日本政府が米軍・普天間基地の基地機能の移設先と決めた地域。「移設」というが、耐用年数200年と言われる基地の「新築」であることは誰にでも分かる。
漁港近くに、10年ほど抗議の座り込みや監視活動をしているテント村があった。抗議活動の歴史を説明する写真とガイド。私の後にも、途切れることなく見学者が現れていた。

港には小型の抗議船が繋留されていた。船に近寄って見ていると、私が乗りたそうにしていると見えたのか、声をかけてくれた人がいた。「今日の抗議活動は終わった。シュワブの沖を通って母港に船を戻すけど、乗っていくかね。」と聞かれた。笑顔で乗り込む私の重みで船が傾いた。
波飛沫を上げながら、船はあっという間にシュワブの沖に移動した。紺碧とエメラルドグリーンが順繰りにやって来る。実際の辺野古の海は、テレビ映像で見るよりはるかに美しかった。
少し離れた沖には、民間の警備会社の船が見える。沖縄防衛局が導入した船。シュワブの施設内の浜には蛍光色の太線が見えた。太線は大量のフロート(浮き)だった。前週に沖縄を直撃した台風は、基地施設内として立入禁止の区域を示すオレンジ色のフロートを浜に打ち上げたのだ。
同乗するガイドから、漁業補償金として名護漁協に30億円以上が支払われたが、辺野古周辺とその他の地域の組合員との間で分配額にかなりの差がつけられたことが問題となっていると聞いた。

乗船して30分で船の母港に着いた。そこから先ほどのガイドにお願いし、シュワブの正面ゲート前まで車で移動した。
そこには抗議行動をしている50名ほどの人々がいた。若者も、おじーも、おばーもいた。地元の人もいれば県外から来た人もいた。パンを差入れる人、激励のあいさつをする人、琉球三線(さんしん)で民謡を歌い上げる人。提供するものはさまざまだった。差入れの「もずく」を紙コップからすくって食べると海の味がした。
なぜ福岡からやって来たのかと尋ねられることはなかった。そこでは経緯や動機はある意味どうでもよいことだった。その場に居合わせる目的だけが、強く、はっきりとしていた。
正面ゲートの金網フェンスの前には制服姿の警備員が20名ほどいて、搬入搬出の車両とのトラブルが起きないよう警戒している。正面ゲートの前に行ってみる。すると一人の警備員と視線が合った。彼は私だけに聞こえる大きさで、「自分たちも本心は基地反対だから。これは仕事。」と、陽に焼けた顔に少しだけ笑みを浮かべて呟いた。
午後4時になり、普天間基地の辺野古移設に反対するコールが何度も繰り返され、三線の音色で参加者全員が踊り、旗を振り、その日の抗議行動が終わった。
帰途に着く頃には日が暮れていた。明日も今日と同じ一日が繰り返されるのだろう。

民主主義に終わりはない。すべての政治問題について、「過去のこと」と判断を下すのは、権力者ではなく、最終的には国民である。下した判断に誤りがないか、何度でも検証する義務と責任が国民にはないだろうか。
小さな島に厳然と横たわる「今そこにある」問題は、決して「過去のこと」ではない。辺野古で会った、命と平和と未来を懸けて訴える人々の姿は、私にそう教えてくれた。

2014年10月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆

会 員 迫 田 登紀子(53期)

○ある少女の話○

私が登録して間もなくの2002年2月、全国に先駆けて福岡県弁護士会で当番付添人制度が始まった。おかげさまで、50名を超える少年たちとの出会いの機会を戴いた。

中でもA子さんのことは、とりわけ強く記憶に残っている。出会った頃のA子さんは17歳。背の高い、健康的な美人で、清潔感にあふれ、礼儀も正しい。およそ鑑別所に似合わないな、というのが第一印象だった。

非行事実は覚せい剤の自己使用。痩せる目的で、売人から短期間に頻回に購入しては、自分で注射したという。

面会を重ねるにつれて、彼女が幼いころに、実父から種々の凄まじい暴力を受けたことを知った。生きることに意味が見いだせないでいること、深い孤独をかかえていることなどが分かった。私は、母親が彼女のことを愛しているというメッセージを発し続けることしかできなかった。

審判結果は、残念ながら少年院送致。罪滅ぼしに、少年院でも面会を続けた。

1年後、帰ってきました、と電話をもらった。昼食を、と誘った席で、彼女は少しずつ話をしてくれた。

"先生。私、少年院に行ってよかったと思っているよ。覚せい剤を注射されたお母さんネズミが、赤ちゃんネズミを食べる映画を観て、怖かった。覚せい剤をやった子たちが、輪になって、自分たちのことを話し合った。ああ、私とおんなじなんだって分かった。みんな、さみしいんだよね。とっても勉強になったし、もう覚せい剤はしない。

でもね、本当の勉強は今からだと思っている。だって、これからは、家族と喧嘩になったり、好きになった人から嫌われたりするかもしれない。たぶん、たくさん辛いことがあるよね。その時がきても、薬とかに頼らないで、乗り越えるね。それが、私の本当の勉強。"

わずか1年あまりで、生きる力を取り戻した彼女に、私はただ感服するしかなかった。

そして、それが実現したのは、鑑別所、家庭裁判所、少年院等の彼女に携わった多くの公務員の方々が、彼女に対して「個人として尊重する」という姿勢を貫いてくださったおかげだと感じている。憲法13条は、今も確かに根づいている。

○私の実感○

借金、離婚、生活保護、学校や職場でのいじめ、刑事事件。弁護士として日常的に接しているこうした事件。その背景に、何らかの暴力が絡んでいることが多い。

誰かからの暴力が、受けた者の生きる力を奪う。生きる力を奪われた者は、引きこもり、社会から逸脱し、時に死に追いこまれる。あるいは、別の誰かに暴力をふるうことでしか自己回復ができない。

このマイナスの連鎖を食い止める手立ては、1つしかない。暴力を受けた人も、振るった人も、周囲から人間として承認され、安心して自らの思うところにしたがって自己決定できる主体として回復していくこと。

これらのことに、客観的根拠があるかは分からない。しかし、A子さんをはじめとする依頼者の方々との出会いを通じて、私が確かに感じている実感である。

そして、多くの法曹の方々も同じような体験をお持ちではないかと推測する。

○平和を考えるにあたって○

平和の問題を考えるとき、国家を人間から切り離されて存在する得体も知れない力と考えることは危険ではないだろうか。

国家の三権を担っているのは公務員という名のつく生身の人間であるし、国家を構成しているのは言うまでもなく個々の国民である。とすれば、現実の国民の集合体が国家であると考える方が自然である。

個々の国民に対する暴力が、その個人を身体的・精神的のみならず社会的にも破滅させるのならば、国家に対する暴力も、その国家の構成員を、身体的・精神的・社会的に破壊することになる。そして、その構成員は、いずれ別の誰かに暴力をふるうことで回復を図ろうとするのではないだろうか。

武力による紛争解決は決して平和をもたらさない、と思えて仕方がない。 暴力と人間と国家の関係。司法という国家権力の一部に関わっている体験を、今こそ、多くの人に語らないといけないと感じている。

2014年9月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 憲法市民講座のご報告

会 員 上 野 直 生(66期)

1 はじめに

去る平成26年7月11日、福岡県弁護士会北九州部会主催の「憲法市民講座」を開催いたしましたので、ご報告させて頂きます。

2 開催の経緯

「憲法市民講座」は、当部会の憲法委員会が企画し、8年前から年2回のペースで開催しています。市民の方々を対象とした公開講座で、各界から講師をお招きし、憲法に関連する課題や問題について学習します。

今回は、「集団的自衛権は必要か~日本をめぐる国際情勢と日本外交を概観しながらの検討~」というタイトルで、シンクタンク「New Diplomacy Initiative(ND:新外交イニシアティブ)」事務局長であり、第2東京弁護士会所属の弁護士でもある猿田佐世氏を講師としてお招きし、講演を行っていただきました。

猿田氏は、アメリカへの留学経験及びニューヨーク州弁護士資格を活かし、ワシントンをベースに日米の議員・学者・報道関係者のサポートを行い、米議員・研究者の紹介や面談・取材設定などを行われています。最近のご活動としては、稲嶺進名護市長の訪米行動(今年5月15日から9日間)を企画し、同行しました。

3 講演内容

猿田氏より、「集団的自衛権行使の是非」及び「閣議決定を通じた憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認の可否」という2つの論点について、分かりやすく解説していただきました。

まず、平成26年7月1日に行われた集団的自衛権行使容認の臨時閣議決定以前の、集団的自衛権行使に関する政府見解をご紹介いただいた上で、解釈改憲による集団的自衛権行使容認の問題点について、立憲主義の視点より詳しく解説していただきました。

次に、7月1日の閣議決定の内容を踏まえ、集団的自衛権行使による外交上及び安全保障上の問題点について、アメリカによる湾岸戦争介入などの事例に基づき具体的に説明していただきました。歴史的に見て、集団的自衛権の名の下に、経済大国から中小国に対する軍事行動が一方的に行われたこと、それにより国家間の軋轢が生じたことを顧みる必要があるのではないかとの問題提起がありました。

さらに、猿田氏のワシントンなどにおける活動経験に基づき、日本の集団的自衛権行使に関するワシントンにおける議論状況やアメリカの政治家及び有識者の見解を分析し、その上で、新しい形の日米外交の必要性を説明していただきました。「日本通」として知られる知日派の米議会議員でさえ、今回の集団的自衛権の問題については十分理解しておらず、在沖米軍普天間基地の問題に触れても、「沖縄?そこには2万人くらいは住んでいる?」との返答が帰ってきたというエピソードの紹介もあり、政府や官僚主導による外交のみでは、外交の内容が偏り、質が劣化してしまうのではないかと考えさせられました。

4 参加者のご感想

新聞のイベント欄で告知していたこともあり、講座には約70名の市民の皆様(弁護士20名程度を含む)に参加をいただきました。

参加者からは、「ワシントンから見た日本の集団的自衛権行使容認に対する評価が理解できた」、「政府間レベルの外交だけでなく、市民レベルでの新しい形の外交があることがよく分かった。」等のご感想をいただきました。

5 最後に

参加いただいた市民の方々より、「法律の専門家として、市民の権利を守る先頭に立って欲しい。」、「今後も、弁護士会による憲法市民講座の継続を希望します。」等の声が多数寄せられました。

このような市民の皆様の声により、改めて弁護士が果たすべき社会的責任の重さに気付かされると同時に、次回憲法市民講座開催に向けての大きな励みとなりました。
今後も、市民の皆様と一緒に、日本国憲法についてしっかりと考える契機となる憲法市民講座を継続していきます。会員の皆様もぜひご参加下さい。

2014年8月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 福岡県弁護士会定期総会決議に対する賛成意見

会 員 前 田 豊(28期)

1 私の父は19歳の夏、昭和20年8月9日、長崎の爆心地から1.7kmの三菱造船所稲佐製材工場で被爆しました。熱線と爆風で火傷を負い、今も身体にケロイドがあります。私の母は看護婦として佐世保海軍病院諫早分院で被爆者の看護をしました。私が学んだ諫早市長田小学校(当時国民学校)は被爆者の臨時の病院・収容所となりました。中学校の裏手には被爆者の無縁墓がありました。8月8日北九州八幡の空襲のため煙で視界がさえぎられる状態でなければ、8月9日は小倉に原爆が投下されていました。
長崎では約7万人、広島では約14万人(昭和20年12月まで)が死亡しました。沖縄では地上戦で多数の一般市民が死傷し、東京、福岡をはじめ各地の空襲で多数が死傷しました。合計すると一般市民約80万人が死亡しました。
兵士の死亡は約230万人、東京の千鳥ヶ淵には各地で戦死した兵士の数が石碑に書いてあります。ガダルカナル、インパール、中国などで補給を軽視した無謀な作戦が行なわれ、多くの兵士が餓死・病死を含めた広い意味の餓死をして戦死しました。戦死した兵士約230万人のうち約6割が広い意味の餓死であったとの推計もあります(藤原彰「餓死した英霊たち」)。
こうして、一般市民約80万人、兵士約230万人、合計約310万人が死亡し、周辺諸国にはその何倍もの犠牲者を出し被害を与えました。

2 日本国憲法はこれらの尊い犠牲をはらった戦争を放棄するという決意で制定されました。
憲法前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と規定しています。私は前文のこの部分が憲法の最も重要な基礎であり憲法の源泉であると思います。
憲法第9条は、第1項で、国際紛争を解決する手段としての戦争と武力による威嚇及び武力の行使を永久に放棄し、第2項で、陸海空軍その他の戦力は保持しない、国の交戦権は認めないと規定しました。憲法第9条第2項は戦争放棄のエッセンスであり最も重要なものであると思います。
戦後の変化のなかで、「日本が急迫不正の侵害を受けたときの自衛のため必要最小限度の実力行使は許される。」との政府解釈で、自衛隊その他の制度ができました。それでも自衛隊は戦力ではなく、日本が急迫不正の侵害を受けないときの実力行使は許されず、集団的自衛権は認められず、国の交戦権は認められない、というのがこれまでの政府の方針でした。それが憲法第9条のもとで許容しうる最大限度の枠組みでした。
ところが、安倍首相はこの枠組みを越えて、政府解釈で、「日本が急迫不正の侵害を受けないときでも実力行使が許される。集団的自衛権が認められる。」という読み替えをしようとしています。これは、憲法第9条の下では認められない解釈です。
憲法の立憲主義は権力者の権力濫用を憲法で抑えるというものであり、憲法第99条に公務員の憲法尊重擁護義務が規定されています。憲法第9条を超えて集団的自衛権の行使を認めることは、憲法第99条にも反し、立憲主義にも反するものです。

3 弁護士会が総会決議をすることについてはどうでしょうか。
弁護士法第1条は「弁護士は基本的人権を擁護し社会正義を実現することを使命とする。」と規定されています。弁護士会は強制加入団体ですから会員の考え方は様々ですが、基本的人権擁護と社会正義の実現を大切にするという点では共通であり、弁護士会は、戦争は最大の人権侵害であるという観点から戦争に反対し、立憲主義と恒久平和主義を重要な原則と位置づけてきました。
「解釈による集団的自衛権行使容認に反対する」旨の総会決議は、その観点から意見を表明するものであり、私はこの決議に賛成します。そして、圧倒的な多数の会員の賛成でこの決議が可決されることを希望します。

2014年7月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 集団的自衛権と憲法解釈

会 員 埋 田 昇 平(63期)

1 県弁総会での決議の採択

平成26年5月28日、福岡県弁護士会定期総会において、集団的自衛権の行使を可能とする内閣の憲法解釈変更に反対する決議が採択されました(賛成525票、反対1票、棄権2票)。

集団的自衛権とは、政府解釈によれば、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」とされています。

政府は現在、憲法改正という正攻法ではなく、これまでの政府の憲法解釈を変更する、という裏技で集団的自衛権の行使容認に踏み出そうとしています。福岡県弁護士会として、この政府の動きに反対の意思を明示しようというのが決議の趣旨です。

同趣旨の決議は、既に昨年5月に日弁連でも採択されていますし、各単位会においても決議の採択や声明の発表が行われています。

2 安全保障について議論することは必要

平成26年5月27日、政府は与党協議において、集団的自衛権の行使を容認しなければ適切に対処できないものとして、

  1. 周辺有事の際、邦人を輸送するアメリカの艦船を防護すること
  2. 周辺有事の際、攻撃を受けているアメリカの輸送艦や補給艦を防護すること
  3. 周辺有事の際、攻撃国に武器を運んでいる可能性がある不審船を強制的に停船させ検査すること
  4. 日本の上空を横切り、アメリカに向かう弾道ミサイルを迎撃すること
  5. 周辺有事の際、弾道ミサイルを警戒しているアメリカ艦船を防護すること
  6. アメリカ本土が大量破壊兵器で攻撃を受けた際に、日本周辺で対処するアメリカの輸送艦や補給艦を防護すること
  7. 海上交通路で武力攻撃が発生した際の国際的な機雷の掃海活動に参加すること
  8. 武力攻撃発生時に各国と共同で民間の船舶の護衛をすること

などのケースを挙げました。

(1)~(8)のようなケースで日本が積極的に実力行使に出るとなると、日本の負担が増加することは間違いないと思います。また、自衛の概念とかけ離れている印象も受けます。

もっとも、世界中でテロ行為や武力衝突が頻発しており、日本と周辺国の関係悪化も取り沙汰されているため、安全保障のあり方について、政策レベルでの議論はしっかりなされるべきだと思います。そして、この問題は、簡単に結論が出るものでもないと思います。

ただ、積極的に実力を行使する方向に舵を切っていけば、いずれ憲法との整合性が問題になってきます。

3 憲法9条との整合性の問題

日本国憲法9条は

「1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

と規定しています。集団的自衛権の行使は、国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇、武力の行使に該当するでしょうし、法律家の立場からすれば、憲法9条をどのように解釈しようとも、集団的自衛権の行使は認められないという結論に至るはずです。

政府の行き過ぎた権力行使によって国民の人権を侵害しないよう、政府は憲法という法の支配を受けています。しかし、政府が解釈によって憲法の適用範囲を自由に変えられるということになれば、法の支配は形骸化してしまいます。
日本にとって望ましい安全保障体制については種々の意見がありうるとしても、弁護士会としては、政府が法の支配を潜脱することは許されない、ということをはっきりと述べる必要があり、その点で今回の決議の意義は大きいと思います。

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