福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

憲法リレーエッセイ

2014年6月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 君ゆでガエルとなりたもうことなかれ

会 員 原 田 美 紀(59期)

ゆでガエル理論というのをご存知だろうか。
熱いお湯にカエルを入れると驚いて飛び跳ねる。
ところが、常温の水に入れ、徐々に熱していくと、カエルはその水温に慣れていく。そして、熱湯になったときには、もはやカエルは跳躍する力を失って飛び跳ねることができずに、ただただそのままにゆであがってしまう、というものである。

今の憲法改正や集団的自衛権の行使容認の動きをみるにつけ、私はこのゆでガエルを思い出す。
じわじわと自分たちが知らないうちに、為政者の意図する方向に導かれ、あっと気づいたときには、取り返しのつかない、どうしようもない事態に陥ってしまっている。そんなゆでガエルになってはならないのだが・・・

縁あって、私は今、福岡県弁護士会の憲法委員会委員長を務めさせていただいている。
法学部出身ではなかった私は、受験時代に初めて憲法というものに触れたと言ってよい。そして、個人の人権を守り、国家権力を制限するという憲法というものを作り出した人々の英知に感動したのを覚えている。
もっとも、弁護士になって、諸先輩方の熱い議論を聞くにつけ、自分の不勉強を自覚せざるをえなかった。
また、恥ずかしながら、今まで護憲、特に9条を守るということについて回りの委員ほどの熱い思いを持っていなかった。
理想と現実の間の妥協点というものは常に必要であり、全面的にイエスとかノーという結論を出すよりもよい結果となることの方が多いと思っているし、積極的妥協というのはあってよいと思っていた。

その私が、である。おかしいと思うのである。
テレビでの議論などを見ながら、「憲法が古いぃ?時勢に合わない?個人を尊重するのが憲法の目的で、そのために最低限に必要なものが平和だという根本に古いも新しいもないだろうが・・・」「解釈改憲...なんですとぉ。」といちいち突っ込んでいる。

解釈改憲、その言葉自体に矛盾を感じる。
ときの政府を縛るはずの憲法を、縛られる立場の政府が、国民の意思を問うという議論も手続もなしに解釈によって実質的に変えてしまう。ありえない話ではないか。
「改正」というとドラスティックな印象を与えて多くの反対者が出ることが予測されるから、あえて、「改正」という手続を採らず、「解釈」という手段をつかう。あまりにも姑息な手段ではないか。
集団的自衛権の行使容認にしても、こんなに国民生活に影響を与える問題を、十分な議論も、その議論の前提となる資料も示されないで(ここが重要だと思うのです)、強行することが許されるのだろうか。
それに、そもそも、集団的自衛権の必要性をいうときによくつかわれる「近隣諸国との摩擦」、これは個別的自衛権の強化の問題であって、集団的自衛権とは無関係のはずである。集団的自衛権の行使容認の目的が、一国との関係を強固にしたいというところにあることは明々白々である。
そんなことで、多くの人の犠牲のうえに成り立った今の平和を壊してなるものかと思うのである。
長年にわたり容認されてきたものを変えるというにはそれなりの積極的論証が必要なはずだが、どの意見を聞いても問題のすりかえにしか思えない。

この時勢の変化に、敏感に反応できる行動できる人間になれるか、私の課題である。

2014年5月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 集団的自衛権と「積極的平和主義」

会 員 永 尾 廣 久(26期)

集団的自衛権と憲法

4月10日、日弁連会館(クレオ)で、日弁連主催のシンポジウムがあった。3年つとめた日弁連憲法委員会の委員長としての最後の仕事として、パネルディスカッションの司会をつとめた。4人のパネリストは多彩で、豪華メンバーだった。

北澤俊美・参議院議員は、防衛大臣経験者として集団的自衛権の行使を容認することの恐ろしさを語り、同じく元内閣法制局長官の阪田雅裕弁護士が政府解釈の変更がなぜ許されないのかを明らかにした。

半田滋氏は、防衛省そして自衛隊を取材して20年になるジャーナリストとして、話題を提供した。

谷口真由美氏は国際法の大学准教授であると同時に、全日本おばちゃん党代表代行として、関西弁で、難しい問題をもっと分かりやすく国民に訴えかけていく必要性を力説した。

以下、少しシンポジウムの内容を紹介したい。

究極のシビリアンコントロールは9条

民主党政権のもとで長く防衛大臣をつとめた北澤俊美氏は、精強な自衛隊が必要だという考えである。ただ、その活躍の場としては、3.11のような大規模災害現場を想定している。戦争を前提とするものではない。

この点は、私もまったく同感だ。3.11の現場で自衛隊が活躍したことを、私も高く評価している。大災害の場合には、警察力だけでは足りないことは明らかだ。

そして、制服組をコントロールするときの最大の拠りどころは、交戦権を認めない憲法9条だと北澤氏は強調した。私は、この点についても、なるほどと思った。

防衛大臣として何回も訪米してアメリカの政府首脳と会った体験をふまえて、北澤氏は、アメリカが日本に集団的自衛権を行使できるようにすることを求めている事実はないと断言する。ただし、海上自衛隊の幹部のなかには行使容認を求める人もいるが、それはアメリカ軍との合同演習に参加したときに不便だという理由からなので、これは、なんとか解決する方法はあるとみている。

安倍政権が集団的自衛権の行使容認を強引にすすめようとしているのは、本当に危険なことだと北澤氏は何回も強調した。

自衛隊の任務は人命救助

半田滋氏(東京新聞編集委員)の示した画像はショッキングだった。イラクへ派遣された自衛隊の装甲車には大きな日の丸のシールを貼っているように日の丸が目立つ。一人ひとりの隊員にも日の丸のワッペンが身体のあちこちに貼られていて、服装も砂漠では目立つ深緑色だ。これはアメリカ兵と際立って異なっている。アメリカ兵のほうは、砂漠に溶け込む茶色の服で、もちろん星条旗なんて身につけない。

これは、両者の任務の違いから来ている。アメリカ兵は、あくまで戦場で殺し合いをするためにイラクにいる。だから目立ってはいけない。しかし、日本の自衛隊員はイラク復興支援、いわば人命救助に来ている。だから、アメリカ兵と決して見間違われないように、日の丸をあちこち目立たせているのだ。

これが憲法9条の実際的効果である。まさしく9条は生きている。戦争をしない国から来た自衛隊は、人殺しではなく人命救助のために来たことがイラクの人々から理解されたおかげで、イラクで自衛隊員は一人も殺されることがなかった。

安倍首相は卑怯

阪田雅裕弁護士は、内閣法制局の長官をつとめた経験にもとづいて法律論を展開した。この60年間、日本の自衛隊は戦力でないと、政府はずっと言い続けてきた。そして、集団的自衛権は行使できないとしてきた。それが行使できるというのであれば、自衛隊は外国の軍隊と同じものになってしまう。そうなると、憲法9条は、あってないようなものになる。そんな重大なことを、憲法改正ではなくて、安倍首相は閣議決定で変更するという。

これは卑怯だと思う。正々堂々と国民に問いかけて、きちんと信を問うべきだ。憲法9条を空文化することは、身内が戦争で死ぬかもしれない、外国へ殺しに行くようになるかもしれない。その覚悟があるのか、国民は問われることになる。

元法制局長官のこの言葉は、とてつもなく重い意味がある。

安倍首相の「積極的平和主義」

安倍首相がなんかいいこと言ってるよな・・・、がんばってるんだね。そんな印象を与えるコトバだ。

しかし、だまされてはいけない。この言葉、実は全身が剣と鎧に覆われている。きな臭さが漂っている。積極的に武力で抑え込んで世界の平和を実現するということだ。そんなことを日本がやろうとしている。しかし、世界最強の軍事力をもつアメリカだって武力による平和を成功していない。かえって、テロを多発させたり、内乱状態を生んでいる。

本当の積極的平和主義

伊藤真弁護士とは、日弁連で一緒に活動している仲(副委員長)だが、彼は安倍首相のコトバの使い方は間違っていると主張する。本当は積極的非暴力平和主義として使われてきた。つまり、あらゆる暴力から解放された状態を積極的平和(主義)と呼んできた。積極的平和とは戦争のない状態のこと。積極的平和とは、戦争だけでなく、さらに、貧困や搾取、差別などの構造的な暴力がなくなった状態をいう。

武力を行使する「積極的平和主義」」とは・・・

安倍首相は集団的自衛権についての政府解釈を一変させて容認しようとしている。日本を戦争する国に変えようというわけだ。そして、世界の平和を日本の武力で守るという。世界の不正と悲惨、不安と恐怖を除去するために積極的に貢献する。そのためには武力行使も辞さない。これを積極的平和主義というのである。

これまでの日本は、積極的・受動的平和主義だった。これからは、積極的に平和を維持、回復するためには武力行使をふくめた積極性が必要だと安部首相は叫んでいる。

安倍首相は、アメリカのスピーチでPositive Peaceではなく、Proactive Contributor to Peace(率先して平和に貢献する存在)という言葉をつかった。

しかし、武力で「平和を維持」しようというのは、一見、可能と思われるかもしれないが、実は無理なこと。そして、諸外国からは日本は変わった、日本は外国のために戦争をする普通の国になった、こう見られてしまう。これは、とてつもなく大きな変化であり、平和な国・日本のイメージが大きくダウンしてしまう。

集団的自衛権とは・・・

集団的自衛権は、個別的自衛権と文字面で似ているが、両者はまったく別のものなのである。外国を守るためのものとして限定しているわけでもない。

日本は何もしないと攻められる。では、何かしたら守れるというのか。アメリカは世界最大の軍事力を過去も現在も持っているが、9.11の事態を防ぐことは出来なかった。地球の裏側までもアメリカと一緒になって戦争しに行く日本なんて、絶対になってはいけないと私は思う。

日弁連憲法問題対策本部

憲法委員会の委員長職を3年間つとめた。この間に二度、人権擁護大会のシンポジウムに関わった。佐賀での教育シンポと広島での「国防軍」シンポ。教育問題という地味なテーマで、どれだけ参加者があるか心配したが、なんとか会場は埋まり、内容も充実していたので、もったいないので本にしようということになって出版した。だけど、売るのは大変だった・・・。

日弁連は、憲法委員会を発展的に解消し、この4月に憲法問題対策本部を発足させた。毎日のように憲法改正をめぐる動きが報道されているなかで、日弁連の活動を発展させ、強化しようというものだ。私も副本部長の一人になったので、引き続き微力を尽くしていきたい。

2014年4月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 講演会に参加して~集団的自衛権って何?~

会 員 栃 木 史 郎(65期)

1 福岡県弁護士会は、2014年(平成26年)2月24日、伊藤塾塾長・日弁連憲法委員会副会長の伊藤真弁護士(東京弁護士会所属)を講師として、「集団的自衛権って何?」との表題での市民向けの講演会を開催しました。

2 伊藤弁護士は、まず民主主義や立憲主義、個人の尊重、平和主義といった憲法の基本原理を解説されました。その上で、国連憲章における集団的自衛権に関する規定の創設過程や、集団的自衛権の法的根拠、集団的自衛権についての政府側見解等について、丁寧に説明されました。
講演会を通して、伊藤弁護士は、自動車のアクセルにあたるのが民主主義であるなら、ブレーキにあたるのが立憲主義であるといった分かりやすいたとえを用いたうえで、濫用の危険性のある権力に縛りをかける立憲主義の重要性を、繰り返し、述べておられました。
講演会の様子を網羅的にご報告したいところではありますが、紙面に限りのあるリレーエッセイでは全てをお伝えすることが叶いませんので、そのごく一部についてのご報告に限らせていただきたいと思います。

3 集団的自衛権は、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利とされます(1981年5月29日政府答弁)。
集団的自衛権の法的性質については、個人の正当防衛と同様に考える立場や、個別的自衛権の共同行使と考える立場等がありますが、そのいずれに対しても法的な見地からの批判がなされています。

4 集団的自衛権に関する従来の政府解釈は一貫しており、憲法9条は、個別的自衛権の行使のみを認めており、集団的自衛権の行使を容認しないとする立場を取っています。
しかし、2014年2月12日衆議院予算委員会での、解釈改憲によって集団的自衛権の行使が可能となるかとの内閣法制局庁長官への質問に対する、「最高の責任者は私だ。」等との安倍内閣総理大臣による発言に代表されるように、昨今、憲法の解釈を変更することにより、集団的自衛権を容認すべきとの見解が見られます。
しかし、伊藤弁護士は、国民の多数の指示があっても、政治家が従わなければならないのが憲法であり、解釈変更による集団的自衛権の行使を容認する立場は、いずれも、国民の多数も過ちを犯すことを前提に国家に縛りをかける立憲主義の発想に反しているとして、批判されました。

5 そもそも、集団的自衛権は、その濫用により平和への脅威となりうる、近隣諸国との緊張を高めるべきではない、行使を認めると敵国やテロの標的となり、かえって、国民が危険にさらされる等の懸念があります。
伊藤弁護士は、解釈変更、憲法改悪を阻止する上で、権力の危険性へのイマジネーション、戦争の悲惨さへのイマジネーション、自分の生活がどう変わるのかのイマジネーションが重要であるという自身の見解を、最後に市民の方々に示されました。

6 講演会でのお話の中で、特に印象に残ったお話があります。それは、ナチス党政権下のドイツにおける国家元帥であった、ヘルマン・ゲーリングの言葉です。「国民を戦争に参加させるのは、常に簡単なことだ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張するだけでいい」。
現在の日本の情勢において、ヘルマン・ゲーリングの言葉は、特別な意味を持っていると感じました。

2014年3月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ じのーんちゅの憂鬱

会 員 天 久  泰(59期)

2014年2月1日に福岡市内で行われたある学習会で,「じのーんちゅの憂鬱」とのタイトルで講演をさせていただいた。講演の内容をダイジェストでご紹介し,エッセーに代えたい。

「じのーん」とは,沖縄の方言で「宜野湾」(ぎのわん)のことで,「ちゅ」は「人」。宜野湾は米軍普天間基地を抱える沖縄本島中部の市である。私の実家は普天間基地の滑走路から直線距離で数百メートル。弁護士になるまで宜野湾で育った私は,普天間基地をめぐって「じのーんちゅ」が抱く「憂鬱」は,概ね次のようなものと考える。

軍用機の騒音。墜落に対する恐怖感。米兵が起こす犯罪の理不尽さ。基地雇用や軍用地主という基地経済を巡る住民同士の意見対立。沖縄県外から(ときには県内でも),基地のそばで生活する苦しみや本当の望みを理解してもらえない。政治家は住民,県民のためを思ってくれているのか。何かにつけて問題がすりかえられてしまう。子,孫にこの状況を引き継がなければならないのか。戦争で苦しんだ祖父母,先祖に,きっと平和な島にすると誓ったはずなのに,変えられない無力感。いつになればこの憂鬱から逃れられるのか,という憂鬱感。

唐突だが,私は2004年に司法試験に合格した。その年の8月は,宜野湾市内にある沖縄国際大学の図書館で口述試験に向けて勉強を続けていた。8月13日の午後,大学に普天間基地所属のCH-53型輸送ヘリが墜落した。全長27m,重量10tの大型ヘリが。翌日イラクへ飛ぶ前の最終テスト飛行中の墜落。原因はピン1つの止め忘れという人為的ミス。担当整備士は,毎日17時間連続の勤務を強いられていた。事故時,私は散髪に行き図書館にいなかった。事故を知った私の妹は,私の携帯へ何度も電話をしていた。着信に気付いて大学へ向かうと,周辺道路は大渋滞となっていた。死者の出なかったことだけが救いといえる事故だった。

年間約3万回。普天間基地で軍用機が離着陸を行う回数である。2000年の日米合意では,「日本国内の米軍基地の安全基準と環境保護基準は,日本又はアメリカの国内基準のより厳しい方を適用する」とされた。その「厳しい方」の米国連邦航空法のクリアゾーン規制(滑走路の両端から900m以内には一切建物をあってはならない)に従えば,クリアゾーン内に小学校,児童センター,公民館,保育園,ガソリンスタンドのほか800戸の住宅がある普天間基地は,存在しえない飛行場となる。アメリカの基準ではヘリの旋回訓練は民間地上空では禁じられているが,普天間基地ではそれも守られていない。

宜野湾市の保管する宜野湾市史によれば,普天間基地のある場所は,戦前まで役所や畑がある土地であり,戦後,住民が土地を利用したくてもできなくなった。民間地の中に基地が一方的に居座っているのである。戦後,危険を承知で住民が基地に近づいていったなどという構図はない。

私の母の3人の姉は,沖縄戦の最中に栄養失調などで亡くなった。そのことを話題にすると,「いや,うちの身内にも特攻隊に行った人がいる。沖縄の人だけが被害を声高に叫ぶのはおかしい」と言われたこともある。私は被害自慢,不幸自慢がしたいのではなく,あの戦禍の直後,国民全体がハッと我に返り,心に深く刻んだものを思い出して欲しいと願うだけである。

在沖米軍普天間基地公式HPでは,普天間基地の任務は,「海兵隊総司令官からの指名によりその他の活動や部隊に施設を提供して地上軍支援の為に艦隊海兵部隊航空機運営の支援」を行うことと紹介されている。「海兵隊」とは,上陸作戦,即応展開などを担当する外征専門部隊であり,つまり海外へ行き,小規模紛争や人質奪還のため揚陸,急襲するいわば殴り込み部隊である。周辺国から見て,自国に揚陸,急襲される怖れは感じさせるだろうが,日本への攻撃を躊躇するという意味での抑止力たり得るのかと問いたい。

沖縄米兵少女暴行事(95年)を契機に,政府は最大7年内の普天間基地の全面返還を発表したが,その条件に代替施設としての滑走路を備えたヘリポートの建設を挙げ,97年には名護市辺野古沖が移設候補地とされた。97年には,名護市条例に基づく市民投票で基地建設に反対する票が半数を占めた。
2010年1月の名護市長選挙では辺野古基地建設反対派の稲嶺進氏が当選し,同年9月の名護市議会議員選挙でも反対派が多数になった。11月の沖縄県知事選挙では,再選された仲井真知事も普天間基地の県内移設反対を選挙公約にした。沖縄では,県知事・県議会・名護市長・名護市議会が一体となって,普天間基地の辺野古移設に反対する状況になった。2010年4月には9万人の県民が参加する「普天間飛行場の県内移設反対県民集会」,2012年9月にも10万人が参加する「オスプレイ配備に反対する県民大会」が開催された。
このような流れに逆らって,仲井間知事は2013年の暮れ,辺野古基地建設を容認した。私は,自分の口が開いたまま,このまま塞がらなくなるのではないかと思うほど呆れ,心配し,「憂鬱」の「憂鬱」たる所以を改めて思い知った。

沖縄の古い格言に,「ちゅんかい くるさってー にんだりーしが,ちゅんくるちぇー にんだらん」という言葉がある。直訳すると,「人に酷い目に合わされても眠れるが,人を酷い目に合わせたら眠れない」という意味である。自分の事以上に,人の事を思いやりなさいという教えである。宜野湾市民は,日本の国政,そして沖縄の県政における少数者である。名護市は人口,経済の面でより小規模であり,より少数者的な立場にある。普天間基地を名護に押しつければ,宜野湾市民は間違いなく眠れない。2014年1月19日の名護市長選で基地移設反対派の稲嶺市長が再選され,開いたままとなっていた私の口は少しだけ塞がった。

普天間基地の問題,ひいては基地の問題は,憲法問題,社会問題の縮図である。生命健康について幸福を追求する権利,平和的生存権,居住移転の自由,地方自治と公的交付金の関係性,地方と中央との差別,基地をめぐる利権と社会構造の是非,報道の社会的使命等々。原子力発電所誘致の問題と類似の構造も見える。

少数者の人権が保障されず,意見が最大限尊重されない社会に未来はないと思う。これからも「じのーんちゅ」として声をあげていきたい。

2014年1月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 危険な秘密保護法~反対の声を~

会 員 井 上 敦 史(62期)

昨年11月29日、自民党の石破茂幹事長が、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と、あまりに非常識な発言をしました。

この発言は、秘密保護法案に反対する国民のデモ活動に対するものです。

あまりにも危険性を孕んだ法案であるので、国民は反対しているということを全く理解していないのでしょう。

当会でも秘密保護法案に反対する活動を行いましたので、秘密保護法にはどのような危険があるのかとともにご報告させていただきます。


昨年12月4日、12時から天神パルコ前で、秘密保護法案に反対する街頭宣伝活動を行いました。

橋本千尋会長を先頭に、30名を超える会員が大きな声を上げ、約1000枚のビラを配って、町の皆様に秘密保護法案の危険性を訴えました。

道ゆく人々の中には、私たちが配っていたビラを受け取り、「あの法案は危険だねぇ」、「頑張って」、「どういったところが危険なのですか」と話された人もいるほど、国民が関心を持っており、反対の声が大きい法案でした。


残念ながら、この法案は、強行採決となり12月6日に「秘密保護法」が成立してしまいました。

「秘密保護法」は国民主権原理の根幹を揺るがす大きな危険性を孕んでいます(秘密保護法の成立に至るまでの経緯で、すでに国民主権原理がないがしろにされているように思えますが・・・)。

この「秘密保護法」が孕んでいる大きな危険性は、以下のようなものです。

まず、「知る権利」(憲法第21条)を侵害しているという点があります。

「特定秘密」に指定されてしまうと、国民には何の情報も得ることはできません。私たちの国家で何が行われているのか、どのような方針で動こうとしているのか全く分からないようになってしまいます。その結果、私たちが国家統治に十分な情報を持って関われなくなり、「国民主権」という言葉は形骸化してしまいます。

また、ある情報を「特定秘密」に指定するのは行政機関となっているので、行政機関が自己に都合の悪い情報を秘匿できるようになります。国は情報操作をすることにより、「知る権利」を容易に侵害することができるのです。

次に、「特定秘密の対象範囲が広範で不明確だ」、という点があります。

「特定秘密」とは一体何なのか、法律に定義規定はあるものの明確には示されておらず、広範なものとなっています。

その上、「特定秘密」を取得する行為や、取得しようと話し合う行為などが処罰対象となっています。

そのため、記者が取材をしようとしたときに、実は取材の対象が「特定秘密」と指定されていたものであれば、罰せられることになってしまいます。記者は取材を萎縮するようになり、「取材の自由」、「報道の自由」を侵害することにもなっているのです。

さらに、罰せられる場合においても、「特定秘密」が明確でなく広範であるために、なぜ自分が罰せられるのか、裁判においてどのように防御すればいいのか分からない状態となってしまいます。

「特定秘密」が明確でなく広範であるために、様々な問題が生じています。

最後に、「適性評価制度」によりプライバシーが侵害されるという点があります。

「適性評価制度」は、「特定秘密」を取り扱う者を管理するために、住所歴などの人定事項だけでなく、信用状態や犯罪歴などの事項を調査して、「特定秘密」を取り扱う者としてふさわしいかどうかを判断されるというものです。

調査の対象は、本人だけでなく、家族などの周辺の者や医療機関、金融機関などまで含んでいます。

このようなセンシティブな情報を行政機関や警察が収集し、利用することにより重大なプライバシー侵害が生じるのです。


このように、秘密保護法は大きな危険性を孕んだまま成立してしまいました。
まだ今からでも遅くありません。この法律の危険性を訴えながら適用させず、廃止するよう声をあげていきましょう!!

2013年12月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 何も知らない

会 員 縄 田 浩 孝(47期)

僕は恥ずかしい告白をすることになる。今から2年くらい前、部会の憲法委員会(委員長は何と僕)で部会の重鎮の一人清原先生が、我々実務家が憲法9条を法として扱う上で何かできるか、東京裁判から勉強してみようと提案された。勉強しはじめてビックリ。知らないことが次々と出てきた。

ニュルンベルク裁判と東京裁判で歴史上はじめて指導者個々人の「平和に対する罪」の追及が行われたことを知らなかった。19世紀までは、国家は平等であり独立したもので、これらの国家の上に立つ判定者がいない以上、国家間の戦争は全て双方にとって平等に合法となるとする無差別戦争観が支配的で、平和は法よりはむしろ「勢力均衡」の外交政策によって維持される傾向があったということも初めて知った。ニュルンベルク裁判と東京裁判から戦争を法の支配の下におく試みが始まり、その後、例えば旧ユーゴ紛争に対する旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷が設置され、そこで大物戦犯ミロシェビィッチが裁かれる等したこと、その法廷の裁判官として日本の多谷千香子氏が活躍されたことも初めて知った。その戦争違法化の流れの中で国際刑事裁判所が設置されたこと、2010年の国際刑事裁判所の締約国会議でニュルンベルク裁判や東京裁判でも適用された「平和に対する罪」の定義がようやく採択されたことも初めて知った。そして、今、世界では非暴力平和隊など多くのNGOやNPOが武器を持たないで紛争地に入り平和のために活動していること、世界には平和構築を行うための平和学、紛争解決学の学部があり、そこで学んだ日本人女性が紛争の現場で現実に武装解除の仕事をしていることなどを初めて知った。要は平和に関する世界の動きを僕は何も知らなかったわけである。

我が国は日清戦争からほぼ10年おきくらいで戦争をしていた。ところが、先の戦争以降は現在まで68年間戦争をしていない。その原因の一つには憲法9条があるだろう。しかし先に見たような戦争を違法化し平和を具体的に追及していく世界中の人々の活動が深く関わっていたこともまた否定できないであろう。平和を希求する私たちは、政府に憲法9条を遵守させるために、そのような世界の人々の平和に向けた具体的な活動に加わっていく必要があるだろう。市民講座で講演をしていただいた立命館大学の君島教授は「する平和主義」とそれを呼ばれた。武装解除を職業としている瀬谷さんは次のように書いている。「アフガニスタンでは日本人が言うからと、信頼して兵士たちは武器を差し出した。ソマリアでは、アフリカで植民地支配をしたことがなく、支援を行う際にも政治的な思惑をつきつけない日本は中立的な印象を持たれている。そして、第2次大戦であそこまで破壊された日本が復興した姿を見て、今はボロボロの自分たちの国も、日本のようになれるのではないかという希望を与える存在になっている。日本が背負ってきた歴史的経緯は他の国がどれだけお金を積んでも手に入れられない価値を持っているのだ。」

憲法9条を実質的に壊そうとする現在の動きに私たちは自信を持って立ち向かおうではありませんか。 最後に、先にご紹介した清原先生が勉強会の成果を本にまとめられました。「日本国憲法の平和主義~一法律実務家の視点から」と題する本です(表紙の絵は黒田征太郎さんのものです)。皆様も是非お読みいただければと思います。

2013年11月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆なぜ、今「国防軍」なのか?

会 員 永 尾 廣 久(26期)

広島での人権擁護大会

私は弁護士になって以来、毎年の人権擁護大会にほとんど参加している(ひょっとしたら欠かしたことがないかもしれない)。

これは大会前日のシンポジウムが大変ためになる内容だということ、そして大会当日は付近の散策やちょっとした観光ができる楽しみがあるのも大きな理由となっている。

昨年は佐賀市内で、今年は広島で開かれた。場所は原爆資料館の隣にある国際会議場である。今回は、ほとんど観光気分はなかった。なにしろ、久しぶりにシンポ実行委員長になったから、責任重大。しかも、テーマは「国防軍」。これは難しい。政治的に重大焦点になっているテーマについて、さまざまな思想・信条をもつ弁護士の強制加入団体としての日弁連がどのような切り口でアプローチするのか、毎回の実行委員会は議論百出だった。

実行委員会の課題は三つある。一つは、シンポジウムの翌日に開かれる人権擁護大会で審議の対象となる宣言・決議の案文をつくって日弁連理事会に提起すること、二つにはシンポジウムの討議資料としての基調報告書を作成すること、三つにはシンポジウム当日のパネリストの選定と討議テーマの確定である。

これら三つを、実は12月に発足して翌年4月までにはほぼ確定させる必要がある。実行委員会そのものは毎月1回のペースでしか開かれないので、3回か4回の討議で、すぐに方向を出して起案にとりかかる必要がある。そのうえ、必要なら現地調査や関係者へのヒアリングも実施する必要がある。これは、なかなか大変な作業になる。

今回も、先の三つがなんとか確定したのは4月ころだった。


異色のパネリストの発掘・組み合せ

パネリストの選定にあたっては、それなりに知名度があって、ごくフツーの弁護士が、この人の話なら聞いてみたいなという人であることが望ましいことは言うまでもない。ただ、日弁連は薄謝しか出せないという内部の申し合わせがあり、高額ギャラのタレントはほとんど招くことができない。

今回の目玉となったパネリストは経済学者の浜矩子教授。マスコミで辛口コメントをするので著名だ。浜教授は日本企業が海外進出するために日本軍が必要だという考えは間違っていると断言する。言われてみれば、なるほどと思う。企業は人間の生活を豊かにするためにこそ存在意義があるものであって、平和な生活を脅かす企業の存在を許してならないことは自明の理ある。

シンポジウム当日、浜教授は今日の世界は「グローバル・ジャングル」化していると指摘した。ジャングルというと、真っ先にライオンをイメージする。弱いものは強いものに食われてしまうという弱肉強食の世界だ。しかし、果たして、本当にそうなのか。ライオンが弱いものを食い尽くしてしまえば、ライオン自体の存在がありえなくなる。実は、ジャングルというのは、弱いものも強いものとともに生きている、共生の社会なのだ。弱い者を大切にしない社会は強い者も生きていけなくなることを私たちは自覚すべきである。このような浜教授の指摘には、はっとさせられた。

また、浜教授は「メイド・イン・ジャパン」といっても、実は、素材や部品あるいは組み立てが外国でなされているというのが当たり前になった。つまり、ボーダーレス、国境がなくなってしまった世界にいま私たちは生活している。他国を「鬼」として排除する論理では生きていけない現実がある。となると、このように相互依存関係にあることを自覚するしかない、このように強調した。これまた、目が洗われた思いがした。


「日の丸」で守られている自衛隊

日本の自衛隊は世界6位の軍事費を使い、装備・能力・人員ともに世界有数の軍隊になっている。そして、イラクやアフリカなどへ強力な武器・装甲車をもって海外展開している。かつてなら考えられない事態だ。

といっても、自衛隊が海外でしているのは戦闘行為ではない。病院の再建などの人道支援活動である。

また、自衛隊はイラク(サマワ)では、オランダ軍に守ってもらっていた。砂漠でも目立つカーキ色の服装であり、胸など身体の4ヶ所に日の丸をつけ、装甲車にも大きく日の丸をつけたうえ、漢字まで車体に描いて、日本の自衛隊であることを誇示している。これは、武力の行使を禁止している憲法9条の縛りがあるからである。そのおかげで、日本の自衛隊は戦場で人を殺すことがないし、殺されることもない。そして、人道支援活動によって世界から高く評価されている。

自民党の改憲草案のように武力行使ができるようになった「国防軍」は、いまの自衛隊とは根本的に違った「戦う軍隊」になってしまう。軍事秘密保護法、軍事審判所(軍法会議)、緊急事態条項(基本的人権の制約)など、軍事優先の社会に日本が大きく変わってしまうだろう。このような改憲は許されない。

日本を中国や北朝鮮の「脅威」からどうやって守るのかという声に対しては、日本の自衛隊の実力をふまえて、冷静に考えることをすすめたい。「脅威」をあおる人がいて、マスコミの一部が騒いでいるのは間違いない。しかし、今や国家間の戦争は考えられない。局所的紛争の解決、そのようなことが起きないような地道な平和的外交努力こそが求められている。


映像と爆音の再現

今回のシンポジウムで圧巻だったのは、厚木基地近くの民家のある地域における爆音を再現したこと。これはアメリカ軍の艦載機の爆音であるが、その耳をつんざくような大爆音に会場内は圧倒された。この爆音を聞きながら、日本は本当に独立国家なのかと私は根本的な疑問を感じた。

シンポジウムでは映像も活用した。伊藤真弁護士作成によるパワーポイントは、いつものことながら、すっきり改憲論の問題点を理解できるものだった。

そして、ビデオレター。各界の人々が5分程度で、自分の体験をもとに自民党改憲草案の問題点を熱く語ってくれた。そして特筆すべきは冒頭に流れた「憲法って何だろう」という映像。これは可愛らしい絵で、本当に子ども目線で憲法の意味を語りかけてくれるもので、ソフトな声に魅了された。


終わりに・・・

そんなわけで、昼12時半から夕方6時まで、6時間近いシンポジウムであったが、とても充実していて、居眠りする人もほとんどなく、終わってしまえば、あっという間だった。
とはいうものの、6時間近いシンポジウムのまとめを6分でやれという私の使命をこなすのは大変ではあった。幸い、それも好評のうちに終わることができた。

2013年8月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ロックと憲法のコラボ

会 員 後 藤 富 和(55期)

6月20日、フライングダッチマンのライブ「つゆのはれま九州ツアーin福岡」に参加しました。出演アーティストは、フライングダッチマンの他にRIKI a.k.a.Ozonbaby、SUNDRUMと私です。私に来たオファーは、ライブの合間に原発と憲法のワークショップをやるというもの。

講演を聴きに来た人にお話しするのとは違い、観客はロックのライブを観に来ています。その中で原発と憲法の話。厳しすぎます。アウェイ感満載です。

どうしたら短時間でライブの観客の心に響く訴えができるのか考えました。そして、15秒くらい考えた末、中国人留学生の宋さんにアシスタントを頼むことにしました。開演前のリハーサルでは、出演アーティストから「今日は弁護士さんの話しが聴けるので楽しみにしています。勉強させて下さい」との暖かい(?)言葉。めっちゃプレッシャーです。

ライブが始まると、ミュージシャン達は曲の合間のMCで原発や憲法改正の問題に触れ「この後、弁護士さんが話ししてくれるから、みんな真剣に考えようぜ」ってな具合に、盛り上げていきます。

こんなに期待させちゃってどうするんだよと内心ドキドキ。

RIKIの演奏が終わり、MCが私のことを紹介。

プロジェクターで写し出した映像を、観客は静かに注視します。お喋りをしたりする人はいません。さっきまで踊っていた観客たちが福島の映像に食い入ります。

昨年福島に行った際の写真を見せながら解説し、風船プロジェクトや原発なくそう!九州玄海訴訟の写真を示し「憲法が改正されれば脱原発の歌やデモなんかは国益に反するという理由で禁止されるだろう、だから今、憲法とは何かについて考えて欲しい」と言って、憲法の紙芝居に移ります。

憲法紙芝居は宋さんにお願いしました。宋さんの舌足らずな可愛らしい日本語に、観客は惹きつけられます(これも狙いのひとつでした)。

そして、国際貢献の名の下にアメリカが世界中でやっている戦争、そして犠牲になるのはいつも子ども達。その子ども達は選挙権もなく戦争についてyesもnoも意思表示できなかった。その子ども達の命を私たちは左右しようとしている。ちょっと立ち止まって憲法について考えようと訴えました。

最後まで観客は集中して話を聴いてくれました。

そして、フライングダッチマンのライブ。原発反対、憲法改正なんてあり得ねえ、選挙行こうぜ、と訴えてくれます。彼らの音楽に引き込まれてしまい、最後までずっと踊っていました。ミュージシャンって、憲法改正がヤバイって気付く鋭い嗅覚を持っていますね。

宋さんにアシスタントを頼んだ理由はもう一つあります。

日本は、憲法9条2項で、軍隊持たない、交戦権も持たないと誓っていることから、軍事力によって国を守るというシステムをとっていません。では、どうやって国民の安全を守るのか。憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とあります。ポイントは「諸国」ではなく「諸国民」となっている点です。中国の脅威とか、嫌韓国というと、つい勇ましい意見が出てしまいます。でも、あなたの友人である中国人や韓国人のことを具体的に思い浮かべてください。彼らがあなたやあなたの家族を殴ったり殺したりするのを望んでいると思いますか。逆もそうです。あなたが友人である中国人やその子どもを殺したいと思いますかと。そうであるならば、戦争になった時にどうやって中国を叩き潰すかを考えるのではなく、どうやったら戦争にならないように仲良くできるのかを考えましょう。それが日本国憲法の理念です。と僕は講演で訴えています。

今回、中国人である宋さんに憲法の紙芝居を読んでもらったのは、彼女が私達を殺すと思いますか。また、彼女を殺したいと思いますか。ということを少しでも感じてもらえればと思ったからです。

ロックのライブと憲法のコラボ。やる前はどうなることかと思っていましたが、意外にうまくいったと思います。

2013年7月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 第9回市民のための憲法講座についてのご報告

会 員 田 中  文(65期)

1. 概要

平成25年5月25日(土)、筑後部会では第9回市民のための憲法講座を開催しました。テーマを「憲法改正要件と国防軍」と設定し、筑後部会の若手弁護士6名が、便宜的に護憲派3名と改憲派3名に分かれて討論を行うという形式で、私もパネリストの一人として参加させていただきました。安倍首相が憲法96条に定める憲法改正発議要件を緩和する旨の憲法改正を訴えており、非常にタイムリーな話題ということもあるためか、当日は開場前から筑後弁護士会館を訪れる人もあり、4階の大会議室は盛況のにぎわいでした。


2. 討論の内容

(1) 改憲要件緩

改憲要件の緩和につき、まず改憲派が、現行憲法のデメリットとして、国民投票をするための要件が厳しすぎるために現行憲法には国民の意思が反映できず、憲法制定時に想定していなかった現代の諸問題(主として新しい人権を想定)に対応できないこと、諸外国では憲法改正の実績が少なからずあること等を挙げたのに対し、護憲派は、立憲主義の観点から改憲要件を緩和すべきでないこと、新しい人権を個別具体的に憲法に記載する必要はないこと、諸外国と比較して日本国憲法だけ改憲要件が厳しいということはないこと等を述べて反論しました。

(2) 国防軍創設

続いて国防軍の創設につき、改憲派が、韓国・ロシアなどとの領土問題や北朝鮮の核開発の脅威などに対応するため、国際的なテロから邦人を守るため、そして国際平和活動に積極的に参加するためにも国防軍の創設が必要であり、なおかつ国防軍として憲法に明記することでシビリアンコントロールを浸透させることができると主張しました。これに対して護憲派は、自衛隊を合憲とする立場と違憲とする立場の二手にさらに分かれ、前者は国防軍を創設するまでもなく自衛隊により現状の諸問題には対応可能であるとし、後者は武力をもって武力を制しようとすること、武力によって平和を実現しようとすることの非現実性、矛盾を考えるべきであると反論しました。

(3) 雑感

討論の始まりこそ粛々とした雰囲気だったのですが、パネリストが芝居っ気を発揮して会場の笑いをとる場面もあり、あるいは舌鋒鋭く相手方を挑発するシーンでは会場から声が飛ぶなど、パネリストと会場との一体感のある討論をすることが出来たように思います。


3. おわりに

改憲要件の緩和をめぐる討論の中で、改憲派が、国民投票において投票しなかった人は憲法改正についての意見を表明する権利を放棄したものと扱えば、国民投票の投票率が低くとも国民の意思を反映したことになるという主張をしたのに対し、護憲派は、権利の放棄などというのは結局フィクションであると反論しました。

実際に憲法改正のための国民投票が行われた場合、どれほどの投票率になるのかは分かりません。けれども、昨今の選挙における低迷した投票率をみれば、国民投票の持つ重要性が、投票に行くインセンティブになるという点については、極めて消極的に考えるべきだと思います。そして、現実に首相が憲法改正を目指している現在、何もしなければ現状の投票率は変わりません。しかし今回の憲法講座の開催が、我が身を含め、少しでも有権者の間での憲法改正をめぐる議論を促すことにつながったのであれば、小さいけれども重要な一助になったのではないかなと感じました。

2013年6月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 2013年憲法劇団ひまわり一座公演「しおかぜ亭へようこそ!」

会 員 國 府 朋 江(65期)

4月30日、今年もひまわり一座の憲法劇の公演がありました。私は、今年から女優デビューをさせていただきました。

劇は、「しおかぜ亭へようこそ!」という題名で、1945年8月10日、長崎に原爆投下された翌日に生まれた、しおかぜ亭の女主人ハナを主人公としたものでした。

舞台は、海沿いの町、福島に住む小学生から、手紙が来たというところから劇は始まります。手紙には、震災から2年経ったけれども、まだ家に帰れず、外でも遊べないということが書かれていました。このような福島の子ども達を町に招待してキャンプをしようという企画が持ち上がります。

しかし、町の人々から、放射能の影響はないのか、義援金の方が被災地のためになるのではないのか、町の財政状況からは厳しいのではないのか、といった反対意見が出されます。

そういった折、ハナが倒れます。町の人々は、ハナが長崎に原爆投下された翌日に生まれ、生き残った母共々、差別を受けてきたこと、結婚を許されず、人を好きになってはいけないのではないかと思ったこと、しかし、その後、舞台となっている町にたどり着き、町の人と楽しい毎日を過ごしてきた、というハナの告白を聞き、被爆者がどのような扱いを受けてきたのかを知り、原爆のことや原発のことを自分たちの問題としてもっと考えていかなければならないと考え、福島の子どもたちを町に招待することにします。

このストーリーに、ユリとサクタロウの恋、ケンイチの恋、など恋愛も交えたものになっています。その他にも、たくさんの見どころがありました。キクさんの見事なテキヤの口上、67歳青春真っ盛りのトシオちゃんのオラオラ節、片井さん(古閑先生)の酔っ払いっぷり、三河屋さん(迫田登紀子先生)の驚かされ様、ハナの父親・母親の泣ける回想シーン、伊藤さん(中山先生)の白塗りとエセ関西弁など・・・

ここには書ききれませんが、どのシーンも、練習を重ね、楽しさと悲しみの対比が浮き彫りになるように細かく気を配ったものでした。

最後には、弁護士4名で脱原子力へのメッセージを読み上げ、出演者・来場者が共に9条の歌を歌いました。

私は、初めて演劇をしたのですが、本番が終わった後は、とても爽快感があり、楽しかったです。また、普段、仕事をしているだけでは出会えない人達と一つのものを作り上げていく過程に参加でき、とても良い経験ができました。

ひまわり一座では、毎年公演を行いますので、経験者も未経験者も、演劇に興味があったり、やったことのないことを経験したい方、色んな人に出会いたい方は、是非、ひまわり一座で演劇デビューをしてみませんか?

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