福岡県弁護士会コラム(弁護士会Blog)

2005年12月号 月報

日弁連・心身喪失者等医療観察法と付添人活動研修会の報告

月報記事

会員 大神 朋子

一〇月二四日に実施された頭書研修会について報告させていただきます。

会員の皆さんは、心身喪失者等観察法について、どれほどの情報をお持ちでしょうか。

同法は平成一七年七月一五日に施行されました。成立までの経緯は新聞等で報道されているとおりであり、一旦ペンディング(国会が閉会したため持ち越し?)となったこともありましたが、平成一五年七月一六日に公布されました。そして、附則には二年以内の施行が規定されてはいたのですが、当初開設予定であった二四カ所の指定入院機関のうち、施行に間に合わせて開設できたのは国立精神神経センター武蔵病院のみであったこと(現在は二カ所)等の状況もあって、施行を凍結するべきとする関係団体なども現れるなど、施行直前まで混沌とした状況が続いていました。ですが、予定通り施行されるに至ったわけです。

改めて述べるまでもなく、この法律は大阪の池田小で起きた悲惨な事件を契機として、急速に立法化され成立に至ったものです。法律の内容は、要は精神障害により一定の重大犯罪(殺人、放火、強盗、強姦、強制わいせつ、傷害にあたる行為〜以下「対象行為」といいます)を犯してしまった人(以下「対象者」といいます)について、責任能力の問題により刑事処分を科すことができない場合に強制的に指定入院機関において精神科での治療(入院、通院)を受けることを命じることを内容とする法律です。

同法について指摘される問題点は、数多くあるのですが、主なものを述べますと、

【1】 事実上対象行為の再発防止という社会防衛目的で無期限の拘束を行うことになりかねないこと

【2】 「対象行為を行うおそれ」という予測不可能な要件で拘禁することになること

【3】 精神障害者のみに対する特別な制度であり、精神障害者に対する差別偏見を助長することになる恐れがあること

【4】 対象とされた精神障害者に対する権利保障が不十分であること(対象行為の認定手続などなど)

等々です。

このように、数々の疑問点がある法律ではありますが、今日施行された以上は、対象者の人権を保障するために、弁護士会として力を尽くすしかありません。

前置きが長くなりましたが、今回の研修は同法が対象者の権利保障規定の一つとして対象者等が弁護士を「付添人」に選任する権利を認めていることから、弁護士がなすべき付添人活動について、施行後に実際に付添人として活動したことのある経験者からの体験談を踏まえ、付添人は何ができるのか、そして活動を行うにあたって遭遇した問題点、留意すべき点について、解説等がなされました。本研修は、施行後間もなく(僅か四ヶ月経過)実施されたにもかかわらず、付添人活動の流れや場面場面における具体的なノウハウ、付添人として主張すべきことなどが、豊富に指摘そして説明され、関係各位のご尽力に感服致しました。

例えば、本法により対象者の鑑定入院命令がなされている際に入院先における付添人の面会は問題なく可能か、面会に協力医を同行することは可能か、対象行為の存否を争うとする場合の手続そして問題点(伝聞法則、証拠法則は適用されない)、本法により入院或いは通院を命ずるための要件である「この法律による医療」の必要性の判断はどのようになされているのか、そもそも「この法律による医療」とは何なのかそれを適切に行わせるためにいかなる活動が必要なのか…等々の問題について解説がなされましたが、この法律の問題性が改めて実感させられました。

福岡地方裁判所管内においても、すでに三号事件が係属しており、当会会員三名の方々が活動中です。本心から言えば廃止されて欲しい…この法律ですが、私も、付添人名簿に登録しているからには、近い将来受任した際に付添人としてできる限りの活動を尽くしたいとの思いを強くしました。

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平野中学校 法教育研究授業

月報記事

会員 本田 健

一 去る二〇〇五年一〇月二四日から同月二八日にかけて、大野城市立平野中学校において、法教育研究授業が行なわれました。

本研究授業は、全国四箇所で行なわれた文部科学省委託法教育指定研究授業の一環として行なわれたものであり、全国でも初めて法曹三者の関与のもと行なわれた授業ということですから、我が国の今後の法教育の展開を考える上で重要な意味を持つ試みになったのではないかと思います。

以下ではその模様をご報告致します。

二 一口に法教育と言っても、その内容、手法に関しては多様なものが考えられるところですが、今回の研究授業では、「電車における傷害事件」を題材とし、刑事模擬裁判における量刑を考えてもらうことを通じて法的な思考能力をつけてもらうことを目指しました。

具体的には、「被告人Yが、朝の通勤電車において、よろめいて隣に立っていたXの足を踏んでしまったことからXに注意され、立腹してXを両手で突き飛ばしたところ、Xはたまたま足下に置いてあった荷物に足をすくわれて転倒し、頭を五針縫う等通院加療一月を要する傷害を負った(一年前に罰金の同種前科有り、被害弁償は一部のみでXは厳罰を望んでいる)。」との自白事件の設例について、平野中学校三年生の皆さんに、「執行猶予か実刑か」という選択を考えてもらい、班内で討論の上結論を発表してもらいました。

三 授業の司会進行は、平野中の田中浩一、佐澤昌両教諭のリードのもと行なわれ、我々法曹教員は裁判手続の説明、議論の誘導等を担当しました。

一〇月二四日及び一〇月二五日は、当会の千綿、三隅、大倉、和田(資)、不肖私の各会員がそれぞれ単独で三年生各クラスを担当し、一人三役で模擬裁判的な授業を行ないました。

また、「本番」の一〇月二八日には、三年二組及び五組を対象とした公開授業が行なわれ、裁判官役に福岡地裁から柴田寿宏判事、検察官役に福岡地検から矢吹雄太郎総務部長、弁護人役として当会から甲木会員という豪華メンバーを迎えて「全国で初めて法曹三者が教室に顔をそろえた模擬裁判」が実現しました。

四 事前準備の段階では「果たして中学生に執行猶予や実刑の選択ができるだろうか、そもそも執行猶予の意味が分かるのか?」という一抹の不安もあったのですが、中学生の刑事裁判に対する関心は想像以上に高く、班内の討論の際などは、口角泡を飛ばして熱弁する生徒さんの姿があちこちで見られました。

その内容も「Yは同じような事件で前に罰金刑になってるんだから、今回はもっと重くしなければダメだ。」とか、「Yの家族が無理をして被害弁償を頑張ったのに、刑務所行きはかわいそうなんじゃないの?」など、なかなかに的確なものが多く、感心させられました(議論が白熱しすぎて、声の大きさ等で相手を捻じ伏せようとする傾向がないでもなかったのはご愛嬌というところでしょうか)。

最終的な各班の結論としては、実刑派と執行猶予派がほぼ同数に分かれ、互角の様相を呈していました(設例を作成された市丸会員、甲木会員の功績と思います)。

五 従来、国民の司法に対する関心の低さが言われることがありましたが、今回の研究授業を見た限りでは、むしろ、法的なものに関与する機会さえ与えられれば、積極的に発言し議論しようとする興味関心の高さを感じました。

また、法曹自体に対する生徒さん達の関心の高さも窺われ(テレビ番組の影響でしょうか)、特に公開授業の際は、熟練の法曹三者によるやりとりを前にして「本物の迫力」に強い印象を受けていることが見て取れました。

今後、学校の授業に継続的に法曹教員を派遣していくのは難しい面もあると思いますが、現実に日々司法制度を運用している法曹が何らかの形で法教育の授業に関与することには、極めて大きな意義があるように思われます。

なお、一〇月二八日の公開授業の模様は、同月二九日(土)の西日本新聞朝刊三八面にて写真入りで紹介されておりますので、興味のある方は御覧下さい。

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裁判官報酬における人事院勧告の受け入れについて思う!!

月報記事

会員 野田部 哲也

一 最高裁の受け入れ

人事院は、平成一七年八月一五日、国会及び内閣に対し、一般職の職員の給与等についての報告及び給与の勧告を行いました。これには、?地域ごとの民間賃金水準の格差を踏まえ、全国共通に適用される俸給表の水準を平均四・八パーセント(中高齢層は更に二パーセント程度)引き下げる、?民間賃金が高い地域には、三パーセントから最大一八パーセントまでの地域手当を支給するという重要な内容を含まれています。

裁判官について、人事院勧告を受け入れ、裁判官の報酬等に関する法律に定める別表の報酬月額を引き下げることは、司法権の独立をゆるがしかねない重大な問題を含んでいると考えます。

ところが、最高裁は、平成一七年九月二八日、裁判官会議を開き、人事院勧告を受け入れることを決め、その後法務省に法改正を依頼しています。

従前も、最高裁は、平成一四年九月四日、裁判官会議を開催し、人事院勧告の実施に伴い、国家公務員の給与全体を引き下げるような場合に、裁判官の報酬を同様に引き下げても、司法の独立を侵すものではないと判断し、平均約二・一パーセントの一律削減を決め、平成一五年、これが実施されていました。

二 憲法違反

確かに、最高裁のように、公務員全体の給与が下がる中、裁判官の報酬を一律に減らすことは違憲ではないとする考え方もないわけではありません。

しかし、憲法は、司法権の独立を保障し、七九条六項後段、八〇条二項後段において、裁判官の身分保障として、裁判官の報酬を減額することができないことを規定しています。裁判官の報酬の減額禁止が、個々の裁判官の職権の独立を保障する趣旨であることからすると、個々の裁判官の報酬を減額することは憲法に違反すると解されます。

本件勧告を受け入れると、平均約四・八パーセント、判事層で計算すると七パーセントを超える報酬の減額となり、個々の裁判官から見れば、減額であることは明らかであり、憲法の規定に違反すると考えます。

また、今回の人事院勧告は、報酬の一律の削減ではなく、地域間で格差をつけることとしており、地域手当も含めると、一律削減とは到底言えないものであり、さらに違憲の度合いが大きなものです。

日弁連は、平成一七年九月一三日付で、今回の人事院勧告の内容を裁判所に適用するべきでないとし、裁判官にふさわしい報酬制度を定めるため、これを検討する機関の設置をするべきであるとの意見を表明しました。

三 最高裁は、何を守ろうとしているのか。

最高裁は、日弁連の援護にもかかわらず、今回の人事院勧告を全国約三三〇〇人の裁判官に導入することを受け入れています。また、最高裁は、同日、裁判官会議において、最高裁裁判官の退職金を三分の一にし、約四〇〇〇万円を減額することも決めています。

最高裁裁判官は、自らの血を流してまで、今回の人事院勧告を受け入れ、何を守ろうとしているのでしょうか。

最高裁裁判官は、全国の下級裁判所の裁判官からの反発をおそれ、自らの退職金を大幅減額し、血を流したのでしょうか。

最高裁は、裁判官の報酬について、人事院勧告を受け入れなければ、これが国会において具体的に論議され、他の公務員に比し、裁判官の報酬が高額であることが公になり、批判されることをおそれているのでしょうか。

それとも、裁判官の身分保障をする憲法の規定を持ち出して、人事院勧告を拒否すると、今回の選挙で圧倒的多数を有するようになった与党に憲法を改正されることを心配しているのでしょうか。

四 人事院勧告を受け入れたことによる弊害

ところで、同じ裁判官会議において、地域手当の導入で地域間格差が広がることについて、職務の特殊性に照らし、適切な人事上の施策を行うように努めるとしている。

現在、大都市勤務の裁判官には、調整手当として、報酬の三パーセントないし一二パーセントが加算されていますが、現時点においても、裁判官のかなりの多数が、東京高裁管内その他高裁管内でも都市の裁判所に配属を希望しています。今回の人事院勧告を受け入れた結果、かかる傾向にさらに拍車がかかることになり、全国各地に等しく優れた裁判官を配置することは到底できなくなるのではないでしょうか。

裁判官という職務の特性から、都市が本省で地方が出先というような関係もなく、都市と地方ではその職務の内容に本質的な違いがあるわけでもありません。それにもかかわらず、都市と地方に必要以上の差を設けることは、都市から地方への転勤許否や、転勤を理由とする退官者の増加等の弊害を生じる危険性も高くなると思われます。また、裁判官のなかに、勤務地域によって実質的な報酬の格差を設けることは、地方で誇りを持って裁判を行っている裁判官の誇りを傷つけるという裁判所内部からの指摘もあります。

五 他の国家公務員の給与と同列に論じること等の是非

今回の裁判官報酬について、人事院勧告を受け入れることは、裁判官の報酬について、他の国家公務員の給与と同列に論じ、民間賃金の水準を根拠に、俸給水準の引き下げをすることになります。

国家公務員の給与について、民間水準と関連付けることについては、一定の合理性はあるとしても、裁判官の報酬が、景気の動向に左右されてよいものでしょうか。

法曹制度検討会における議論でも、「裁判官が一切の圧力を排して自己の判断を下すためには、身分保障が不可欠であり、裁判官の報酬を論ずるにあたり一番大事なのはこの点である」「司法の権威や独立性を保つためにかなり高い報酬を支払うことは構わない」といった意見が出されています。

我々弁護士が個人として裁判を受けるとしても、安い報酬で、景気の動向に左右され、汲汲としている裁判官に裁判をして欲しいとはとても思えません。裁判官の報酬は常に一定の水準を確保した安定的なものであることが不可欠と考えます。このことを当然の前提として、我々は、裁判官に期待し、情熱や高い能力を求めています。

今回の人事院勧告は、俸給制度、諸手当制度全般にわたる抜本的な改革といわれており、裁判官の職務の特殊性を考慮せずにこれを受け入れれば、今後も人事院が必要な見直しを適切に行うたびに、これを受け入れることにもなりまねません。

例えば、さらに民間の賃金水準が著しく低くなり、都市と地方の民間給与の差がさらに大きくなったりする等して、人事院がさらに公務員の俸給を著しく引き下げ、地域手当の格差を広げる等した場合でも、これを受け入れなければならなくなります。

さらには、公務員の俸給について、能力給や実績給が導入された場合に、裁判所もこれを受け入れなければならなくなることも懸念されます。

六 司法制度改革審議会意見書

司法制度改革審議会意見書は、裁判官制度の改革の一つとして「裁判官の人事制度の見直し(透明性・客観性の確保)」を挙げ、その中で「裁判官の報酬の進級制(昇給制)について、現在の報酬の段階の簡素化を含め、その在り方について検討すべきである」と述べています。

裁判官の報酬の進級制(昇給制)について、従来から指摘されているように、昇進の有無、遅速がその職権行使の独立性に影響を及ぼさないようにする必要があること、また、裁判官の職務の複雑、困難及び責任の度は、その職務の性質上判然と分類し難いものであることにかんがみ、現在の報酬の段階の簡素化を含め、その在り方について検討するべきです。

七 裁判官の報酬を議論する場合の哲学とスタンス

 裁判官の報酬を議論するについて、その基本的な立場は、憲法における裁判官の地位、役割、特殊性に立脚して議論すべきです。裁判官は、具体的争訟事件について、裁定する作用をその本質とする裁判官の職務の基本的な性格が、行政府の公務員とは根本的に異なり、憲法がその身分を保障し、任期を定めた裁判官の在任中の報酬減額を禁止しているという裁判官の特殊性をきちんと議論するべきです。裁判官が他の公務員よりも高額な報酬であることが主権者である国民に支持されるには、市民の目線に立った裁判官の職権の行使が不可欠です。市民は、迅速な裁判を望まないわけではありませんが、事件を数多く処理すればよいという、裁判官能力主義や成果主義が大手を振るう裁判所を求めているとは思われません。市民は、一生に一度あるかないかの自分の裁判について、形式的に画一処理されることも望みません。紛争の当事者である市民の声に耳を傾け、地道で丁寧な裁判官を切望しています。(かかる市民の目線を重視する立場から、裁判官評価アンケートも実施しています。)

八 おわりに

裁判所でさえ、今回の人事院勧告を受け入れているのであるから、あまり議論に登りませんが、検察庁においても、当然のように検察官の特殊性を十分考慮されることもなく、人事院勧告が実施されるのでしょう。

司法制度改革審議会は、現在の二割司法を脱却し、法の支配が国民の隅々に行き渡るよう大きな司法を目指し、司法制度の改革について、意見を述べ、現在、これが法律化され、実現されています。そのような中、小さな政府を目指す公務員給与を抜本的に見直す今回の人事院勧告の影響を裁判所にまで及ぼしてよいのでしょうか。

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英国便りNo.10 留学一年目の成果と、ウィンブルドンテニス(2004年7月8日記)

月報記事

会員 松井 仁

刑弁委員会の皆さん

ご無沙汰しております。松井です。

この二ヶ月間、私が留学一年目に通ったコース(大学院進学のための基礎コース)の最終試験に追われ、「たより」を書く心理的余裕がありませんでしたが、やっとそれも終わり、晴れて夏休み(!)を迎えることができました。

今回は私の近況報告をさせていただきます。

振り返ってみると、思った以上に大変なコースでした。

私は、英語と、選択科目として開発学と経営学を習っていたのですが、各選択科目について学期ごとにエッセイ(二〇〇〇字)を書かされ(三学期で計六通)、それとは別に、自主研究の論文(八〇〇〇字)を書かねばなりませんでした。

最終試験では、英語については、三時間のライティング(時間内に講義を聞いて、文献を読んで、論文を仕上げるというもの。因みに今年の問題は「現代社会の孤独」でした)と、自主研究の内容についての一五分間のプレゼンテーションでした。

選択科目の最終試験は、三時間で三問のエッセイを書くというもので、一時間あたり一問仕上げる点では司法試験の論文試験に似ていますが、量が多いうえ英語で書かなければならないので、満足には仕上げられません。

こうして鍛えられたおかげで、英語の読み書きの能力はこの一年で多少進歩したような気がしますが、会話のほうは、まだ全然だめです。

実際、IELTSという英語の試験を定期的に受けていますが、恥ずかしながら、スピーキングは日本で受けたときの点数のままです。その原因のひとつは、私が妻と暮らしており、学校以外では日本語で生活しているからでしょう。妻も来年大学院に行くため、二人とも危機感をつのらせ、家でなるべく英語を話そうと試みてはいるのですが、照れくさいうえ、言いたいことが言えない欲求不満がつのって、なかなか長続きしません。

よく留学から帰った人が、「留学したからといって語学が上達するとは限らない」といいますが、本当です。  というわけで、この夏は、語学学校に行くべきか、それとも楽しみにしていた各地への旅行に出かけるか、悩ましいところです。

イギリスの夏は日が長く(夏至のころは、日の出が午前四時三〇分頃、日没が午後九時三〇分頃でした)、旅行に行っても遅くまで観光ができて、とても得をしている気分になります。

しかし、夜がなかなか来ないため、いきおい夕食の時間も遅くなり、夜更かししてしまい、他方で朝明るくなって目が醒めたところまだ五時すぎだったりして、寝不足になりがちになる問題もあります。

そのうえ、蒸し暑い日本とちがって、肌寒い日も多いので、風邪をひいたりしないように注意が必要です。

先日行ったテニスのウインブルドン大会も、肌寒い中、夕方遅くまで行われていました。

ウインブルドンのテニスの前売りチケットは、前年のうちに売り切れてしまうので、徹夜で当日券に並ばなければ見れないのがふつうです。ただし、毎日午後五時ころから、帰った観客のチケットを再販売するシステムがあり、私たちは、杉山愛さんの「センターコート」での試合を見れるかも知れないと思って、夕方行ってみたのです。運良く再販売券が手に入り、まだ杉山さんが試合中のセンターコートの入り口にかけつけたのですが、警備員から「ゲーム中は中に入ってはいけない」と止められ(人の移動は選手の気を散らすから)、やっと入るのを許されたのは、杉山さんが負けてしまったあとで、結局、会場を去る杉山さんを見送るだけとなってしまいました。

でも、そのあと他国選手の試合を見ることができ、TVで見ていたように他の観客といっしょに私たちも、ボールを追って首を右に左に動かし、「オー」とか言ったり拍手したりして、ウインブルドンの雰囲気を堪能することができました。

それでは、皆様も体を大切に。

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英国便りNo.11 イギリスのテレビ番組事情(2004年8月6日記)

月報記事

刑弁委員会の皆様

松井です。日本は猛暑と聞きますが、皆さんお体は大丈夫ですか?

こちら英国は去年に比べ涼しい夏を迎えています。

夏休みになり、(英語のヒアリングの練習だと正当化しつつ)、だらだらテレビを見ることも多くなりました。

そこで今回はイギリスのテレビ番組についての感想を述べたいと思います。

ロンドンでは、TVを買って、TVライセンス料(受信料)年二万四〇〇〇円を払うと、国営のBBC二局、民放三局の地上波放送が見れます

日本の番組を流す衛星放送もありますが、契約料や受信機が高いので私は入っていません(ダイエーホークスの中継が見たいのは山々ですが)。こちらでは、野球中継はなく、スポーツ放送といえばサッカーかラグビー、あるいはルールのさっぱり分からないクリケットやスヌーカー(ビリヤード)ばかりです。

一、不動産好きのイギリス人

イギリスのテレビ番組で特に多いのが、不動産関係の番組です。  不動産関係にもいろいろあって、例えば、

  • 家の内装をかっこよく改造する番組
  • 家の庭をかっこよく改造する番組
  • 汚れた家をきれいに掃除する番組
  • 格安の家を買って、手入れをして高く売って儲ける番組
  • オークションに出ている家を買う番組
  • 土地を買って個性的な家を建てる番組
  • 海外の「ドリームホーム」を買いに行く番組
  • などなど、枚挙に暇がありません

これらを見て分かったのは、イギリスでは築何年というのは古いほど喜ばれ、内装や設備がしっかりしていれば、家の価値は下がらないということ、そのうえ、家を新築するためには、日本よりずっと難しい許可手続(安全性だけでなく、景観や近隣関係も含む)をとらなければならないことです。それで、イギリス人は、古い家の内装をいかに立派にして価値を高めるかに相当の思い入れを持っているようです。

二、古いもの好きのイギリス人

古い建物といえば、「Restoration」という番組があります。これは、朽ち果てつつある古い城や教会などを紹介して、保存するための基金を募る番組です。いったん放送されると、視聴者から多額の寄付が実際に寄せられるのは驚きます。

骨とう品関係の番組もたくさんあります。地方へ出張して住民の持ち寄った骨とう品を値踏みする「アンティークロードショー」は、日本でもNHKで放送されておなじみですが、こちらではオークションからみの番組をよく見かけます。これも、家と同様、掘り出し物を安く買ってオークションで高く売って利益を出すという内容です。私はこれまで、骨とう品集めは金のかかる趣味だと思っていましたが、実は、最初にある程度買い集め、あとはそれを転売して次の資金とするという具合に、金をかけずに楽しんでいる人がたくさんいることを知りました。

三 議論好きのイギリス人

日本の討論番組は、たいてい専門家どうしで討論するものばかりですが、イギリスでは、素人中心でやっている討論番組がたくさんあります。例えば、BBCの「You are talking」という番組では、参加者の一人が自分の体験や意見を語り(例えば、「自分はタバコが嫌だから街中禁煙にして欲しい」など)、それに対して他の参加者が賛成したり、反論したりします。感心するのは、素人とはいえ、皆しっかり自分の意見をもっていて、それを堂々と言っていることです。時にはかなり辛らつに相手を攻撃する人もいて、和を尊ぶ日本人の私はハラハラしてしまいます。

ラジオ番組でも、DJとリスナーが議論する形をとるものが多く、最初にその日のテーマをDJが提供すると、次々と電話がかかってきて、例えば「俺はトラックの運転手をしているが、最近の警察に言いたいことがある」などと喋りはじめ、DJが、「それはあんたのほうが悪いんじゃないの?」などと答えて渡りあっています。

とにかく、違う意見をぶつけて楽しむ、といった雰囲気があるのです。

四 日本でも是非やってもらいたい陪審番組

犯罪ものや裁判ものも多いのですが、中でも特筆すべきは「Courtroom」(法廷)という番組です。これは、架空の刑事事件を題材にして、陪審法廷の様子を、冒頭陳述から、検察側証人尋問、弁護側証人尋問、被告人質問、論告弁論、評決まで一事件毎回三〇分にまとめて放送するものです(模擬裁判のようなもの)。

これがとてもよくできていて、結論の微妙な事件が、争点を絞って(かつ書証なしで)提供されています。ドラマのような派手な演出はなく、検察官や弁護人が淡々とポイントを突いた鋭い尋問を積み重ねていく様子にはリアリティがあり、思わず自分も陪審員のひとりになったような気になって真剣に見入ってしまいます。

論告弁論後の裁判官の陪審員に対する説示も、「被告人の前歴に惑わされずに、被告人が被害者を殴ったという証拠が十分にあるか、それだけを判断するように」など、的を得ています。

この番組は、将来陪審員に呼ばれるであろうイギリス市民にとって、裁判の流れや事実認定のポイントなどを知る絶好の機会となっていると思います。裁判員制度の導入が決まった日本でも、ぜひこのような番組を作って繰り返し放送してもらいたいものです(とりあえず、この番組を輸入して日本語に吹き替えて放送しても十分効果があるでしょう)。

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