福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

憲法リレーエッセイ

2016年7月 1日

憲法リレーエッセイ 「憲法違反の安保法の市民集会及びパレード」のご報告

会員 永松 裕幹(63期)

平成28年6月11日午後2時、中央市民センターに於いて「憲法違反の安保法の廃止を求める市民集会及びパレード」(主催:当会、共催:日弁連、九弁連)が開催されましたので、ご報告させていただきます。

本市民集会及びパレードは、当会が5月25日の定期総会で「憲法違反の安保法制の廃止ならびに運用停止を求める決議」を決議し、日弁連が5月27日の定期総会で「安保法制に反対し、立憲主義・民主主義を回復するための宣言」を決議したことに続き、本年度の人権擁護大会のプレシンポジウムとして行われました。

まず、原田直子会長から開会のご挨拶があり、安保法の廃止を求める当会の取り組み等についてご紹介いただきました。

そして、西南学院大学法学部国際関係法学科(政治学)の田村元彦准教授を講師にお迎えし、「安保法制でどうなるの?私たちの社会」とのご講演をしていただきました。

田村先生のご講演は、福岡・九州における多くの市民運動に携わってこられたご経験に基づいたお話を中心に、法学・政治学の観点から安保法制や現在の日本の政治の問題点を多岐にわたって鋭く指摘されるもので、大変興味深い内容でした。

ご講演では、2002年の「福岡市愛国心通知表問題」(福岡市立小学校の内69校が、「愛国心」を3段階評価する通知表を採用したことに対する抗議運動)について、詳しくお話がありました。そして、そのご経験や人間関係が、その後の様々な運動や、安保法制に反対する福岡の学生団体「FYM」(Fukuoka Youth Movement。中心メンバーには田村先生のゼミの学生がいて、学者や当会会員及び報道記者等多くの方々と関わりを有している)等の活動へ繋がったとのことでした。

また、田村先生は、権力を持っている側は、一枚岩で着々と布石を打ってくるのに対し、「弱者は分断され、孤立した戦いを強いられる」ことを強く指摘されました。そのうえで、現代の日本の社会は、国際的には開けて豊かである一方で、国内的には抑圧的な監視社会になってきており、若い世代の未来が奪われているのではないかとの強い危機感を表明され、これに対抗するために社会的弱者同士の繋がりや運動の継続性が重要である旨述べられました。会場に集まった多くの会員や市民の皆さんも、このことに共感されている様子でした。

ご講演の後は、九州大学大学院で政治学を学ばれている小幡あゆみさんと当会の原田美紀会員が登壇され、田村先生とのパネルディスカッションをしていただきました。

まず、小幡さんから、ご自身をはじめ学生の皆さんがどのような問題意識から安保法制反対の運動を展開していったのかということ等をお話しいただきました。

その後、原田会員にまとめていただいた会場からの質問事項について、田村先生と小幡さんにお答えいただきました。市民が声を上げる方法にはどのようなものがあるのかという質問に対して、田村先生が「メディアの良い記事や番組は、直接褒めて欲しい。現場の記者は、読者・視聴者から送られてくる手紙やメールに励まされている。」と答えられたことが、特に印象に残りました。

最後に、井下顕副会長より閉会のご挨拶をいただき、市民集会は、盛会の内に終了しました。

その後、30度近い暑さにもかかわらず、多くの会員・市民が参加して、中央市民センターから北天神まで1時間弱にわたってパレードを行い、沿道を行く人々に対し、安保法制の違憲性をアピールしました。

弁護士会による憲法違反の安保法の廃止を求める運動に、一会員として、今後も関わっていかなければならないという思いを強くした一日となりました。

2016年6月 1日

憲法リレーエッセイ ひまわり一座の憲法劇

会員 牟田 功一(67期)

1 はじめに

今年も、憲法記念日を前にした5月1日、中央市民センター大ホールにおいて、ひまわり一座による憲法劇「時をつくる人々」の公演が行われましたのでご報告させていただきます。

2 憲法講演

まず、憲法劇を開演する前に、井下顕先生に憲法の意義を踏まえ、安保関連法が可決されるに至った経緯、安保関連法が制定されたことで懸念される事態等を解説いただき、安保関連法が立憲主義、恒久平和主義に反すると考えられることについてご講演いただきました。井下先生が講演されている間、私は憲法劇の出番を待ち舞台裏で待機していました。私自身、初めての演劇ということもあって極度の緊張状態にありましたが、井下先生が訴えられた、「立憲主義とは、『法律及び政治は憲法に反してはならない』という要請(消極的側面)のみならず、憲法の存立危機が生じた場合には『憲法に基づく政治をする』という積極的な側面(積極的立憲主義)を持って」いるという言葉がとても印象的でした。あわせて、「積極的立憲主義を実現するには政治に無関心にならず選挙に行くこと」の大切さが訴えられました。

劇中では、政治に無関心な大学生がある特殊な世界に巻き込まれ、その世界で種々の理不尽な出来事を目の当たりにし、最後には、自ら率先して選挙に行こうとする姿勢が描き出され、井下先生のご講演と憲法劇が一体となって「積極的立憲主義」「選挙」の重要さを訴えることができたのではないかと思っております。

3 憲法劇公演

今年は、政治に無関心な大学生が未来にタイムスリップする場面から始まりました。タイムスリップした未来では、テロの脅威のもと、国家が国家緊急事態を宣言し、権限が集中した国家が徹底した情報統制、公安警察の権限強化を政令に基づいて行う事態が生じていました。その渦中に巻き込まれた大学生が、基本的人権が無いに等しい社会の様々な事象を目の当たりにし、そのような理不尽な社会を作り出さないため、若い世代が選挙に無関心になってはいけないという決意が萌芽するという内容の演劇でした。劇中では、ジョン・レノンが発表した「(All we are saying is) give peace a chance」を歌い、また、最後には9条の歌を来場者と一緒に歌いました。会場は平和を望む劇団員及び来場者の歌声で熱気に包まれ、その熱を冷ますことなく、劇団員と来場者はそのまま一体となり天神の警固公園までパレードを行いました。

4 さいごに

劇中には、「俺たちが政治に無関心でも、政治の方は俺たちに無関心じゃない。」「私たちに訪れる時は、私たちが考えて、私たちの責任でつくるの。」という台詞がありました。この台詞は、井下先生が訴えられた積極的立憲主義を考える重要な視点だと思います。憲法を勉強したことのない人にとって、憲法論は抽象的であり、なかなか関心が持てないのではないかと思われますが、憲法劇は憲法の存在意義を市民の方々に分かりやすく伝えることを目的としています。

ひまわり一座は、弁護士や市民の方が、経験・未経験を問わず一緒になって自作の憲法劇を作る劇団です。演劇に興味のある方々は是非ご参加下さい。

2016年5月 1日

憲法リレーエッセイ 本当に必要なものは戦争法ではなく平和規範である

会員 梶原 恒夫(41期)

2015年9月19日、安倍政権が、多くの国民が強い反対の意思を表明している中、安全保障関連法案を採決した。

法案の1つは、平和安全法制整備法(我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律)であり、これは、自衛隊法(1954年)、PKO法(国際平和協力法1992年)、周辺事態法(1997年)、有事法制(武力攻撃事態対処法・個別法2003年・2004年)、国家安全保障会議設置法(2013年)など10本の軍事関連法制度を一括して「改正」する内容であった。もう1つは、国際平和支援法であり、こちらは新法であった。これらの法案内容は、多岐に亘っており、しかも各条文がもたらす重大な影響を考えると、国会審議及び国内における議論の期間は、余りにも短すぎた。

これまでの「専守防衛」から積極的な「海外派兵」あるいは「集団的自衛権行使」へと大きく方向転換する実定法の成立により、為政者が「合法的」に戦争を遂行することができる法体制が整備された。戦争遂行を可能とする法的な体制の整備という事態が私たちにもたらす影響は、計り知れないほど大きい。

憲法前文は、国民の反戦の意思を踏みにじって政府が戦争に踏み出してきたというのがこれまでの歴史の事実であることを踏まえ、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」、と述べている。しかるに、法案の成立は、政府の行為による戦争の惨禍が再び起こる危険性をもたらした。すこぶる危険である。

本来、安全保障の基本は、「攻められない」ようにするために、その条件をいかにして作り上げるかにある。武装した国家によって「安全」を守ってもらうのか。それとも、市民が国境を越えて、連帯によってお互いの安全を守っていくのか。日本国憲法前文は、「平和を愛する諸国民(peoples)の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と述べている。抑止力に対する更なる抑止力により軍拡競争が進み、不信と憎悪の上にできた勝利の秩序は次の戦争を生む。すべての問題解決を軍事的手段に一面化させることは極めて危険だ。

戦後日本は、紛争の武力による解決は行わないという体制を9条の下でとり続けてきた。国境紛争を武力で解決したこともない。戦後一度たりとも戦争をしていない日本に対する国際的な信用は極めて高い。そのような日本が、平和に基づく行動規範を国際的に提起すれば、多くの国々、とりわけアジア諸国やEU諸国は必ず支持するだろう。平和規範に基づく国際外交を展開して平和を構築していくことは、きわめて現実的な途である。武力紛争の発生の前には、必ず抜き差しならない国家間の利害対立が生じる。その対立が生じた時点で、平和規範に基づいて解消し、武力紛争を未然に防ぐという方途は、現実的であり賢慮に満ちた方策である。

3月19日に福岡県弁護士会が開催した「憲法違反の安保法制の廃止を求める市民集会」で講演された元政府高官である柳澤協二氏も、21世紀のリアルは、戦争のコストが利益を上回ること、高度に発達した情報技術を使えば誤算と恐怖による戦争を防げることであり、どう戦争を防ぐかを考えることが政治の責任であると述べられた。また、強い政府か賢い政府か、最後は国民の選択だという趣旨のことを述べられた。リアルな発言だと感じた。

日本国憲法の絶対的平和主義は、極めて現実的な思想だと思う。他方、武力による平和構築は、多くの人々の悲惨な死しかもたらさないのが現実だ。普遍的に妥当する世界平和の理念に向かって、現実的に一歩一歩、接近すること、そのように長期的・漸進的・総合的戦略としての高次の現実主義に立つのが日本国憲法の立場だと私は理解する。そして、わたしたちは、今こそこのような現実主義に立つべきではないかと思う。

2016年4月 1日

憲法リレーエッセイ アメリカとメキシコの国境で考えたこと

会員 池上 遊(63期)

1 はじめに

2月8日から約3週間、アメリカ国務省の招待で「インターナショナル・ビジター・リーダーシップ・プログラム(IVLP)」の一環として、難民を含む移民に対する支援の現状を視察してきました(「Supporting Immigrant Communities」)。プログラムの概要や私がなぜこのプログラムに参加することになったか、あるいは、私が体験してきたことについては、別の機会にぜひ会員の皆さまにもお話しさせていただきたいと思っています。

ただ、今回は、憲法リレーエッセイということで、これに関連して、アメリカとメキシコの国境を見に行ったときのことを簡単にご報告します。

2 メキシコとの「国境」

視察で最後に訪れたのが、サンディエゴ(カリフォルニア州)というメキシコ国境に近い都市でした。テーマに関連するため国境まで行くことになったのですが、島国日本に住む私にとって地図上で国境を見ることはあっても実在するものとして見たことはなく、まさに初体験でした。

たどり着いた「国境」は高く、長大な鉄製のフェンスでした。私が撮ってきた写真でもお分かりいただけるかもしれませんが、高さ約10メートルのフェンスが延々と続いていて、西端は海の中に入っていました。

フェンスの向こうはメンテナンスなどのために確保されているエリアで、その向こうにもう一つフェンスが建っています。手前のフェンス入り口のそばにいた国境警備隊の方が親切にも中に入れてくれ、もう一つのフェンスを見ました。こちらは、鋼鉄製の金網になっていて、編み目は僕の指でも小指の先が通るかというような小さな編み目でした。

その向こうがメキシコ(ティフアナという町)です。

私たちを案内してくれたのは、「Border Angels」という国境沿いで移民のための支援などをしている団体でボランティアとして活動するダーモット司教(Dermot Rodgers)でした。彼らが関わっているものとして、不幸にもアメリカとメキシコとで引き離されてしまった子どもとその他の家族とが、週末に数分だけ国境の扉を開けて触れ合うことができるというイベントのことを教えてもらいました(英語ですが、このイベントについて紹介している報道を発見しましたので、短縮URLでご紹介しておきます。http://urx.mobi/sEff)。

アメリカ側の一帯は公園になっていますが(Border Field State Park)、一種の緩衝地帯とされているようです。公園を作ったのはニクソン大統領夫人、パット・ニクソンだそうです。その頃は鉄のロープ程度しかなく、その「国境」を超えてメキシコの人とパット氏が握手している写真も見ました。

3 「国境」を見て

実際に国境を見てとても空々しく感じました。海に目をやると、国境警備隊をからかうようにメキシコ側から海上を水上バイクで入ってくる若者がいました。国境そのものは私が目にした以上に長大で、数千㎞に達するのだそうです。私が視察に行った頃はアメリカ大統領予備選が始まったばかりで、国境をもっと高くすべきだという候補者(トランプ氏)の発言も聞くことができました。これほど巨大なものを一体どれだけ管理できるのかと思います。

人の移動の自由は、わが国憲法では居住・移転の自由として保障されており、経済的自由の一つに数えられてきました。ただ、芦部憲法によれば、身体の拘束を解く意義を持っているので、自由権の基礎とも言うべき人身の自由とも密接に関連し、また、広く知的な接触の機会を得るためにもこの自由が不可欠であるところから、この自由は精神的自由の要素を併せ持っているとされています。

経済政策によって人の移動の自由が制限されてしまうことには、「国境」の管理の無意味さからしても、人の移動の自由の価値の点からも疑問を感じます。わが国は、労働力人口の減少から移民へ門戸を開放しようとしていますが、既に、アジア各国が同様の方向に舵を切っている中で、その門戸の向こうに移民の長蛇の列があるという目論見は誤っているのではないかと思います。

人の移動を制限することにどれほどの意味があるのか、人が移動することによって得られる極めて大きな財産を犠牲にしているのではないか、そんなことを考えさせられました。

2016年3月 1日

憲法リレーエッセイ 流されてしまいそうな不安

会 員 永 尾 廣 久(26期)

憲法が現実にあわないとき・・・

ときの政府がこんな提案をしました。

「女性の賃金は現実には男性の7割でしかない。そして、多くの日本人はそれで良しとしている。ところが、憲法では男女平等を定めている。現実が憲法に合っていない。憲法にしたがった法律の運用がなされていないというのは立憲主義に反している。だから、男女は平等だけど、賃金に関してだけは女性は男性の7割であってよいと憲法に明記して、憲法に違反しない運用にしよう」

ええっ、とんでもない。女性が怒るのは当然ですし、男性だって反対します。だって、悪い方に引き下げられたら何のための憲法でしょうか。

ところが、いま、安倍首相はこれと同じ論法で憲法を改正する必要があると国会で答弁しています。

「憲法学者の7割が自衛隊の存在自体に違憲の恐れがあると判断している。このような意見の疑いが持たれるような状況はなくすべきだ。憲法にしたがって政治をするのが立憲主義であり、現状は立憲主義に反しているから、憲法9条を改正する必要がある」

憲法を古臭いだとか、空想で現実にあわないものと決めつけ、現実にあわせて憲法改正してしまったら日本の目指すべき目標がなくなってしまいます。

立憲主義とは、単に憲法の文言にしたがって運用されているかどうかという形式の問題ではありません。権力者の勝手を許さず、国民の権利や自由を確保しようというものです。この点、明治憲法をつくるときの伊藤博文の言葉を思い出すべきです。

「そもそも憲法を創設する精神は、第一に君権を制限し、第二に臣民の権利を保護するにある」

国会での首相答弁での立憲主義の間違った説明がそのままニュースとして流れていき、国民が立憲主義って、そんなものなのか、だったら憲法は改正する必要があるんだなと誤解してしまうのを私は恐れています。

社会科の教科書

18歳選挙権がついに実現しました。新しく有権者になった18歳、19歳には全員こぞって投票所に足を運んでほしいものです。でも、学校で選挙権行使の大切さが十分に教えられていないので、投票率が低いのではないかと心配です。

先日の新聞に、戦後まもないころの社会科の教科書が民主主義について説明していることをふまえて、次のように書かれていました。

「民主主義を単なる政治のやり方だと思うのはまちがいだ。民主主義の根本は、もっと深いところにある。それは、みんなの心の中にある。すべての人間を個として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である。民主主義を単なる制度やルールの類と思い込み、選挙したり、国会で決めているだけでは民主主義ではない。個人が主体的に学び、考え、実践的に行動しない限り、民主主義は姿すらあらわさない。

多数決というものは、最後の決定は多数の意見に従うという民主主義の規律ではある。しかし、その使い方によっては、多数党の横暴という弊を招くうえ、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある」

この記事を読んで私がすぐに思い出したのは、ナチス・ドイツです。ヒトラーは、クーデターによって政権を奪取して独裁者になったのではありません。そして、首相になってからも、なにかというとすぐに国民投票にかけて圧倒的な信任・賛成を得ていました。そして、その「多数の横暴」によって侵略戦争を始め、ユダヤ人などを大量虐殺し、第二次世界大戦をひき起こしたのです。

先ほどの教科書には、「日本人のあいだには、封建時代から、政治は自分たちの仕事ではないという考えがいまだに残っている」と書かれているそうです。

戦後70年たった今、日本人の投票率がどんどん下がっています。6割から5割、ひどいときには4割、いや3割と低迷しています。誰かがやってくれるだろう、声の大きい人の言うとおりに任せておけばなんとかなるだろう、まさか悪いことはしないだろう、そんな甘えが日本中にはびこっている気がしてなりません。戦前の日本は、そうやって「戦争の惨禍」を招いてしまったのでした。

ペリリュー島、そしてフィリピン訪問

日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇夫妻がペリリュー島そしてフィリピンを訪問したことは、80歳を超えた高齢であることも考え、その行動には驚嘆するばかりです。国政に関する権能を有しないという制約のもとで、「政府の行為によって戦争の惨禍」を再び起こしてはいけないことを私たち日本人に思い起こさせてくれました。フィリピンで大戦中に50万人の日本人が亡くなり、フィリピン人は100万人以上が死傷したなんて、いったいどれだけの日本人が知っていたでしょうか・・・。

昨年9月までは、日本の安全を守るためには安保法制法の成立を急がなくてはいけないと言って多くの反対を押し切って、十分な審議もせずに強引に法を成立させましたが、今では法にもとづく運用は7月の参議院選挙後に先送りするといいます。野党からの臨時国会の開催要求を無視したのは憲法53条を無視したものでした。今なお、国会で安保法制法について政府が十分に説明を尽くしたとは思えません。

マスコミは、前例が1回あるからという政権の弁明を容認して、批判しませんでした。そして、今や、経済関連のニュースばかりです。

自衛隊はすでにアフリカに「基地」をかまえて常駐しています。その自衛隊が武器をもって「駆けつけ警護」と称して戦闘行為をしたり、また他国の軍隊の「後方支援」中に戦闘行為に巻き込まれてしまう危険が現実化しようとしています。戦後はじめて、日本の青年が戦場で殺し、また殺されそうなのです。

災害救助で大活躍して国民の期待が高まっている自衛隊が、まったく別の顔で外国に登場しようとしています。これまでと同じ憲法のもとで、そんなことが可能だなんて、とても信じられません。

いったい、日本はどうなってしまうのだろうか、こんなことでいいのだろうか、そんな不安に駆られてしまうのは、私だけではないと思うのですが・・・。

2016年2月 1日

憲法リレーエッセイ

会 員 井 芹 美 瑛(67期)

1 はじめに

あっという間に弁護士1年目が終わり、弁護士2年目を迎えました。今回憲法リレーエッセイを担当することとなり、この1年私が取り組んできた憲法に関する活動について振り返りたいと思います。

2 憲法委員会への委嘱

私は、最初の委員会委嘱で憲法委員会に委嘱されました。最初はただ議論を聞いているだけの状態で委員会に出席しており、勉強して議論についていかなきゃ!ということから私と憲法との関わりが始まりました。

3 街頭宣伝と市民集会への参加

私が委員会に参加し始めた当初、委員会では6月13日に開催される弁護士会主催の市民集会の準備の最中でした。集会の成功に向けて、執行部や委員会の先生が街頭に出てちらしを配り、集会への参加を呼びかけていらっしゃいました。私もちらしを配っていたところ、急遽マイクを持って話をすることになりました。恥ずかしながら、緊張し過ぎた私は、ちらしに書いてある内容を読み上げることしかできませんでした。

集会当日は一参加者として家族と一緒に参加しました。始めて憲法集会に参加したのですが、市民会館が満員になるほど人が集まっており、集会後のパレードの参加者も多く、多くの市民の方々が安保法に反対しているのだと実感しました。

4 立憲デモクラシーの会のパネリスト

2015年11月29日、憲法学・政治学などの学者の方々が主体となって立ち上げた立憲デモクラシーの会が開催したシンポジウムで、私がパネリストの1人として参加することになりました。まさか私が憲法や安保法について沢山の人の前で話すとは思っていませんでしたので、何日も前から緊張して仕方ありませんでした。シンポジウムは斉藤芳朗会長の開会の挨拶から始まり、憲法学の阪口正二郎先生(一橋大学)、政治学の中野晃一先生(上智大学)の講演と進み、パネルディスカッションの時間になりました。私は不安と緊張でお腹が痛くて仕方なかったのですが、一緒にパネリストとして参加した当会会員の村井正昭先生や、安保関連法に反対するママの会@福岡の宮下彩さん、Fukuoka Youth Movementの熊川果穂さんに助けられ、福岡で取り組んでいる安保法制反対運動について報告し、今後どのような取り組みができるか議論をしました。ママの会の宮下さんや、FYMの熊川さんは、これまで特別政治に関心があったわけではないけれど、集団的自衛権行使を容認する閣議決定がなされたことを受けて、何か行動しないといけない!と考えて行動を始めたとのことで、とても熱い気持ちを持って積極的に行動されています。ママの会は、「だれの子どももころさせない。」というスローガンで、安保法制反対運動に取り組み、ママたちが自分たちの問題だと考えて活動を始め、今では街頭に立つことが日常の一部になっているそうです。また、FYMの学生達も戦争に行くのは自分たちかもしれない、自分の友達や恋人など身近な人かもしれない、と自分自身の問題だと捉えて、後悔しないために今、行動しているそうです。安保法制が成立してしまって意気消沈している場合ではない、大事なのは可決されても使用させないこと、そして廃案に向けての行動が必要であって、そのためには一人一人が声を挙げていくことが必要なんだ、ということを再確認する場となり、私もとても刺激を受けました。

5 さいごに

2015年12月17日、弁護士会主催で安保法に反対する市民集会を開催し、その際は準備段階から関わることができました。また、現在も3月19日(安保法成立から半年)に福岡県弁護士会主催での企画の準備が進んでいるところです。最初はただ参加しているだけで何の力にもなれませんでしたが、徐々に企画から携わることができるようになり、まだまだ勉強中ですが少しずつでも成長しているのかな、と自分で考えたりしています。

この1年、憲法問題に取り組んできて、今、憲法、立憲主義が直面している問題について、自分の中で考え、行動していくことが必要なんだと感じています。これは弁護士として法に携わっている以上、避けてはいけないことだと考えています。これからも私に出来ることは小さなことだと思いますが、一弁護士として、そして弁護士会の会員として、市民の方々と一緒になって行動していきたいと考えています。

2016年1月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 参議院平和特別委の採決について

会 員 天 久 泰(59期)

<はじめに>

昨年9月17日の「参議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」で、速記録の停止中に与党議員が鴻池委員長の席を取り囲み、議場内が騒然とする中、与党議員が立ったり座ったりを幾度か繰り返したシーン。マスコミでも連日「強行採決」と報じられ、「これで民主主義が成り立つのか?」、「見苦しい!」という指摘がありました。

他方で、採決の手続を詳しく見ていけば、何か法的な欠落も見えて来るのではないかと個人的な興味を持っていた私は、日弁連主催の座談会「安保法の採決手続の憲法上及び法理上の問題点を考える」(2015年12月9日開催)に参加してきました。

パネリストは採決前日に横浜で行われた地方公聴会公述人の廣渡清吾さん(前日本学術会議議長)、同じく公述人の水上貴央さん(弁護士)、そして福岡県弁護士会主催の集会で講師をお願いしたこともある青井未帆さん(学習院大学法科大学院教授)でした。座談会の内容をダイジェストでお伝えします。

<採決は存在するのか>

参議院規則136条1項では、議長は評決をとろうとするときは、評決に付する問題の宣告を要するとされる(これは本会議規則ですが委員会にも準用あり)。

しかし、今回の平和特別委員会では、安保関連法案を宣告するような声は、騒然とする議場の中で議員に聞こえず、あるいは委員長自身も読み上げきれていない可能性があり、採決自体が不存在ではないか(なお、テレビ中継は、委員会議事が原則非公開のところ運用で公開)。

<採決に正当性があるか>

国会法51条では、委員会は公聴会を開き、真に利害関係を有する者又は学識関係者等から意見を聞くことができるとし、また、参議院委員会先例280条では、公聴会へ派遣された委員は、調査結果について委員会に報告するとされている。

しかし、委員会の議場では、横浜地方公聴会の結果について全く報告されていない。これは異例どころか先例も見当たらない取り扱いである(但し、会議録には公聴会速記録が添付)。

また、安保関連法案に関する動議(国会法56条3項)の提出や、総括質疑(参議院規則42条)の機会もなかったことは、議員の地位と権利を侵害し、採決の正当性を失わせるのではないか。

<会議録の記載は適法か>

参議院規則では、委員会のすべての議事につき速記録が作成されなければならないとされるところ(56条、59条、156条)、本委員会の議事録には、鴻池委員長は、着席後に安保関連法案の議題読み上げのため「速記を再開し」、「右同案の質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した」、法案中の2案については「付帯決議を行った」と各記載されている。

しかし、テレビ中継では、鴻池委員長が着席後に速記再開(直前にあった委員長不信任動議の採決後、一旦速記が止まっていた)を宣言した様子はうかがえない。

また、議場が騒然とする中で採決は行われたのか。参議院規則157条及び先例では、速記不能のときに委員長権限で会議録に記載できるとされるが、事実としてなかったことまであったことのように記載する権限はないはずである。

さらに、会議録上存在したことになっている付帯決議につき、決議の内容は会議録には記載されていない。

<参議院本会議決議に瑕疵はあるのか>

上述のような平和特別委員会の議事の経過、会議録の記載内容からは、委員会採決が不存在であり、本会議への委員長の報告もなしえず、本会議決議は無効ではないか。少なくとも本会議決議は委員会採決の不存在という重大な瑕疵を治癒できないのではないか。

<瑕疵の是正について>

憲法上保障された議員の地位と権利を侵害されたことを主張できないか。議院自律権に対する司法権の介入についてリーディングケースとされる警察法改正無効事件判決(最判昭和37・3・7)も、特別の場合には司法権介入の余地を認めていると解しうる。

弁護士は、法律家としてこの問題に関する理論構築に助力し、問題点を可視化する責任があるのではないか。

座談会の内容は以上です。座談会に参加した者の責任として、私は、今後も憲法委員会の取り組みなどを通じて、上記問題点の可視化に尽力したいと思っています。

2015年11月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 「憲法問題への関心を高めるために~安保法制論議から見えたこと」

会 員 向 原 栄大朗(60期)

1 はじめに

去る平成27年9月19日、平和安全法制関連2法(以下、安保関連法)が成立し、同30日に公布されました。

安保関連法が成立する直前には、国会前をはじめとした全国各地でのデモがテレビや新聞でも大々的に報道され、市民の関心も最高潮に達しました。

しかしながら、安保関連法について、現政権は、一昨年の衆院選において、その成立を堂々と公約化していました。そのころは、特定秘密保護法が問題となっていたものの、これも市民において殆ど関心を持たれていませんでした。ですから、私は、一連の報道を見て「どうしてもっと早く、この問題についての関心が高まらなかったのか」と強く感じました。なぜなのでしょうか。

2 この問題についての関心が高まらなかった理由

特定秘密保護法にせよ、安保関連法にせよ、要するに「どうなるのか、どんな影響があるのか」という「結論」が、一般市民にとって理解しやすい形で早期に示されなかったことに最大の原因があると考えます。

もう一点、我が国では、憲法論議、なかんずく改憲問題が、あたかもタブーのごとく扱われたことも無視できません。このため、市民にとって、憲法問題は「触れにくいもの、触れてはいけないもの」という意識が蔓延していたように思います。そのため、市民が憲法に触れる機会がなく、今回の安保関連法に関する市民のアンテナが立つのが遅れたものと思われます。

3 市民の憲法に対する関心を高めるために我々が考えるべきこと・すべきこと

とかく、われわれ弁護士は、憲法論議を、理屈から考えがちです。しかし、市民にとって関心があるのは、上記の通り、要するに「どうなるのか、どんな影響があるのか」という部分ですから、その部分に、各市民にとっての利害関係を感じてもらわないと、関心を持ってもらえません。依頼者が弁護士に依頼するときと同様、人は、危機を感じないと動かないものであり、あたかも、弁護士が「転ばぬ先の杖」を叫んだところで、煙たがられるのに似ています。

その中で、我々がなすべきことは、憲法問題について「わかりやすく」「自らの利害にかかわる」ことを、市民に伝えることしかないと考えます。

そのために、弁護士会では、市民集会を大々的に開いたりしています。しかし、これも、結局は「もともと関心のある人向け」の、いわば内向きのものにすぎず、「普通の市民」の関心を高めるものになっているかというと、強い疑問があります。

決してこうした市民集会を否定するつもりはないのですが、こうした「内向き」さが感じられるイベントには、市民は、入り込みにくいものです。その結果、形式ばった大々的な市民集会では、「本当の市民」が置き去りにされ、開催者・参加者の自己満足に堕しているようにも感じられます。

私は、市民に本当に関心を持ってもらうためには、草の根での活動こそが、重要ではないかと思います。

そこで、たとえば、法教育において憲法の話を積極的に取り入れることも一つの方法ですし、また、私もかかわらせてもらっている「明日の自由を守る若手弁護士の会(通称「あすわか」)が行っている市民向け憲法講座「憲法カフェ」において、様々な角度からの憲法講義をさせていただいています。

4 さいごに

憲法12条前段には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、『国民の不断の努力』によって、これを保持しなければならない。」と定められています。しかしながら、『不断の努力』は、憲法に対する正当な関心の上に初めて意味をもつものと考えます。そのために、私達は、法律のプロとして、市民に正しく理解する機会を持ってもらう方法と戦略を、真剣に考え続ける必要があると考えます。

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2015年10月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆

会 員 佐 川  民(58期)

私が前回憲法リレーエッセイの執筆を担当してから8年が過ぎました。その間、憲法をめぐる情勢は大きく変わりましたが、私自身の生活も大きく変わりました(子持ちになりました)。それまでは、コスプレして憲法劇に参加したり、福岡県内の大学生と憲法問題についてイベントを企画したり、ご飯を食べながら夜遅くまで議論したりと自分のやりたいことを自由にやっていました。しかし、今は、可愛いわが子とのふれあいを最優先する生活を送っているために、これまでのように身軽に集会やイベントに参加することは少なくなりました。とはいえ、子どもが生まれたことで、それまで取り組んできたいろいろな問題(教育問題とか社会保障の問題等)について当事者という視点でも見ることができるようになり、これまで以上に何か取り組みたいという思いが強くなっていました。特に、安倍政権になってからの安全保障をめぐる動きは、本当に「茶色の朝」を迎えてしまうんじゃないかと思い、何かしたいという気持ちにモヤモヤさせられていました。毎日保育園で頑張っているんだから、土日は子どもたちと一緒にいてあげたいなぁ、でも、今行動しなければ後悔しそうだし・・・。

モヤモヤしていても健康に良くないので、現在、私は、子連れで参加できるような集会やイベントには子どもと一緒に行くことにしています。特に週末のパレードは、積極的に参加しています。弁護士会主催の憲法集会にも、子どもと一緒に参加し、ベビーカーを押してパレードもしました。アナ雪のコスプレをしてパレードしようと誘っているので、子どもたちも、毎回パレードを楽しみにしています。実際、集会やパレードに参加してみると、私以外にもたくさんのお父さんお母さんが子どもを連れて参加していました。集会では、いろいろな立場からの発言がありますが、やはりお母さんの発言が一番私の胸を熱くさせます。皆さん、子どものことを考えると、いてもたってもいられなくてという思いのようです。子連れで参加するようになって、ウチの子にもすぐにパレード友だちができました。「せんそー、はんたい。」「けんぽーきゅうじょうでよかろうもん。」と友だちと一緒にコールしています。

法律家的には、子どもにも思想良心の自由や表現の自由があるのだから、親の一存で子どもを集会やパレードに連れて行くことはどうなんだろうという思いもありました。でも、子どものことを考えれば考えるほど、今行動しなければという気持ちが強くなります。子どもに「どうして、『せんそーはんたい』って言うと?」と聞かれたことがありました。そのときは、「○ちゃんが大人になったときにも、今のようにみんなでご飯を食べて、ベッドでゆっくり眠れるようになって欲しいなと思っているから、『せんそーはんたい』って言うのよ。」と説明しました。今は、コールしている言葉の意味もよくわからないまま、子どもは「せんそーはんたい」と言って私と一緒にパレードして遊んでいるだけです。それでも、今の子どもが理解できる範囲で分かるように私の気持ちを説明し、どうして私がパレードするのかを子どもに伝えることは、これから先、子ども自身がこの問題について自分で考えるための一つの材料になるのではないかと考えています。
茶色の朝を迎えないために、今の私にできること。それは、子どもに私の気持ちを伝え、子どもと一緒に「せんそーはんたい」と言ってパレードすることです。そして、いつか子どもも自分で考えて「戦争反対」と言ってパレードするようになるといいなぁと思います。あ、子どもが「戦争反対」と言ってパレードしなくても毎日安心して生活できる日が来るのが、親としては一番うれしいですね。

2015年7月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 土曜夕方の天神に立って・・・

会 員 永 尾 廣 久(26期)

6月の土曜日、夕方4時すぎ天神

6月13日(土)夕方4時すぎ天神に立っていた。ソラリアの真向いのバス停近く。そのとき、私は、福岡県弁護士会のロゴ入りの真新しいゼッケンを身につけ、手には「戦争で平和を守れるの?」という絵入りプラカードを持っていた。何のために、そんなことをしていたのか・・・。

やがて、車道上を交通警察官の先導する一群の人たちがやって来た。ハンドマイクで叫ぶ女性がいる、「戦争反対、憲法こわすな。九条守ろう、ノーモア・ウォー」。私も、一緒に声をあげる。

むし暑かったが、カンカン照りではないので、絶好のパレード日和だ。道行く人々は、何だろう、この人たちは・・・、と注視している。

車道を行進している人たちのなかに、足の悪い若い女性がいるのを見つけた。それでも、彼女は、一生けん命に歩いている。みんな真剣な表情だ。

「戦争、戦争、いらんばい」

「憲法9条でよかろうもん」

「ケンカせんでもよかろうもん」

「戦争法案、いらんばい」

その女の子が口を動かしているのにあわせて、私もこの「ぶらぶらコール」なるものを唱和した。私が40年以上も前の大学生のころには、シュプレヒコールと呼んでいた。リーダーのかけ声にあわせて「ナントカ反対」と叫ぶのだ。今では、そんなの古臭いと言われてしまう。なるほど、今の状況にあったことを言いたい。

目の前の集団が通り過ぎても、次の集団は、なかなかやって来ない。さすがに福岡・天神にはバスが多い。「切れ目ない」安全保障どころか、「安全」のためには、「切れ目」ばかりになってしまう。

次にあらわれた集団は、おばちゃんが元気だ。ハンドマイクなしにコールをする。さすがだ。前田和馬理事長が集会で言っていたように、中年女性が日本をリードしている。私も、おとなしくコールを唱和する。

いよいよ、最後の悌団がやって来た。すごい。仮面をかぶり、アフリカの民族太鼓を叩きながら行進してくる。コールもマイクを使い、本格的だ。

軽乗用車が止まり、「何をしているんですか?」と運転手の若い女性が訊いてくる。すぐさま、プラカードを示して、「戦争法案に反対して行進しているのよ」と説明する。「がんばってください」というエールが返ってきたのに、私も勇気百倍。

ようやく、解散地点の中央公園に到着した。サウンドカーには弁護士二人(後藤、栃木の両会員)も乗っていて、何やら楽しそうに踊りながら叫んでいる。

「戦争法案、いらんばい」

当会の会員でもある仁比聰平参議院議員が向こうから歩いてくる。パレードに最後まで参加したのだ。えらい。集会での挨拶も良かったけれど、パレードに最後までつきあったというので、改めて見直した。

6月の土曜日、午後1時すぎ、天神

午後1時、開場と同時に天神近くの福岡市民会館に少なからぬ人々が入っていった。午後1時半開場というのに、すごい。これは満員になると期待した。

午後1時半を過ぎると、入口は入場者が「切れ目ない」というより、なだれをうつように入ってくる。しかも、みな真剣な顔つきだ。国会で強行採決もありうるという情勢を反映しているのだ。何か楽しい催物を期待してきたという雰囲気ではない。

案内係は声を枯らして資料を配り誘導する。会場内は、市民集会がスタートした午後2時には、ほぼ満席になった。1770人収容の大ホールを弁護士会主催の市民集会で満杯にするなんて、信じられないことだ。でも、それが今、現実のものとなっている。結局、立見の人もいたので、実数で1800人が参加した。弁護士も200人の参加があった。

健康法は講演で思いのたけを話すこと

原田美紀会員(北九州部会)が司会して市民集会が始まった。

斉藤芳朗会長が、弁護士法に定める弁護士の使命から、憲法違反の安全保障法制案の成立は許されないと開会宣言する。

次いで登場するのは、憲法伝道師だ。集会のメインイベントは、伊藤塾の塾長でもある伊藤真弁護士の講演だ。

私は、津田聰夫元会長(実行委員長)と一緒に福岡空港に出迎えに行き、昼食を一緒にとった。会場までの車中で伊藤弁護士に健康法をたずねた。年間240回の講演会をこなし、前日も東京都内で6時間の講演・講義をすませたばかりだという。伊藤弁護士の答えは、自分の思っていることをすっかり吐き出すこと、それに尽きるという。別に、スポーツはしていないし、その時間もとれないという。

それにしても、パワーポイントの映像をつかった話は、明快であり、歯切れがいいから理解もしやすい。集団的自衛権の行使は、これまで政府が一貫して許せないとしてきたこと。それは自衛隊が海外で武力を行使することを意味する。憲法を変えずに、自衛隊が武力行使をするのは許されない。

最後に、あせらず、あわてず、あきらめずに取り組もうとの呼びかけがなされた。まったく同感だ。

画期的なメッセージ

自民党の有力な元議員が安保法制法案に反対しているというので、弁護士会としてメッセージを要請した。すると、すぐに山崎拓元副総裁からメッセージが届いた。

「今次、安全保障法整備法案は、わが国の集団的自衛権行使を容認する解釈改憲を前提としており、従来より堅持されてきた専守防衛政策や海外派兵を認めない防衛政策の重大転換を図ろうとするものであります。これに対する正しい国民世論を喚起する意味で、国会における徹底かつ慎重な審議並びに強行採決回避を要請する必要があり、本市民集会もその方向で強くアピールされんことを期待します」

つづいて、やきもきしているうちに、古賀誠元幹事長からも届いた。

「戦後70年、我が国の安保政策の基本は憲法に則り、ひたすら専守防衛でありました。今回、その考え方が憲法の解釈をかえることによって正反対に変えられようとしています。専守防衛を捨て去り、世界のどこへでも後方支援の名のもとに、武力行使しない国が行使をできる国に変わることになります。

我が国の安全保障政策の大転換であることは間違いありません。先の大戦で父を亡くした私の思いは平和の尊さと戦争の愚かさであります。平和な国を次の世代にも未来永却に繁いでいくことこそ私に課せられた責務なのです。国会における誠実で真摯な議論を熟望し市民集会の成果を期待し、関係者各位のご尽力に敬意を表し、我が国の平和と安全を祈念しメッセージと致します」

さすが仁比弁護士・・・・

集会では、政党代表の挨拶のあと、リレートークがあった。

政党では、民主党から野田国義議員がまず挨拶した。八女市長をつとめていたこともある野田議員は弁護士会とも親しい関係にあり、労働者派遣法の改正も重大な問題だと強調した。次に登場した仁比参議院議員の話は、いつ聞いても、なるほどと思わせるもので、秀逸だった。社民党副代表の話で、戦争しない国ということで、日本に留学する学生がいるということを知った。日本の平和ブランドは大切にしたいものだ。

リレートークは、時間が足りないなかで、それを気にせず話したい人ばかりで、進行係はやきもきせざるをえなかった。若者(大学生)、子どもをもつ母親、港湾労働者の徴用問題など、二人の学者を含めて大切なことが語られた。でも、いかんせん、時間をはるかにオーバーしている。前田和馬・九弁連理事長は、そんなことを気にすることなく、安倍政権は悪徳サギ商法と同じことをしていると強調したうえ、韓国の金大中大統領(故人)の言うように、良心があるなら行動に移すべき、本日のパレードにぜひ参加してほしいと訴えた。

予定時間をはるかにオーバーして、パレード担当者には命の縮まんばかりの思いをさせてしまった。申し訳ない。

それでも、集会もパレードも大成功した。この力で平和憲法を守り抜きたい。

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