福岡県弁護士会 宣言・決議・声明・計画

2005年7月11日

「ゲートキーパー問題を考える」

会長日記

会長 川 副 正 敏

一 はじめに
 四月と五月の日弁連理事会では、ゲートキーパー問題に対する新たな行動指針をめぐって熱く厳しい議論が交わされた。六月中にはその採否を決定する予定である。\n この件は、弁護士業務に不可欠な依頼者との信頼関係の基盤である守秘義務(職務上の秘密保持は弁護士の権利でもある。弁護士法二三条)のあり方を大きく左右するとともに、弁護士会自治の根幹にも関わる深刻な問題である。そこで、会員各位のご意見をお寄せいただきたく、問題の所在と議論の要点を報告する。

二 ゲートキーパー問題とは
 この問題については、これまで日弁連から多数の資料が配付されており、昨年七月に発行された『ゲートキーパー問題Q&A』にも解説があるので、ここでは確認の意味でポイントだけを述べる。
 一九八九年のアルシュ・サミット経済宣言に基づき、OECD諸国などによる政府間会議として「金融活動作業部会」(略称「FATF」)が設置された。FATFは一九九〇年にマネー・ロンダリング(資金洗浄)対策のための四〇項目の提言(略称「四〇の勧告」)を採択した。その中では「疑わしい取引」についての金融機関の届出義務などが定められ、一九九六年の改訂で前提犯罪の拡大などが盛り込まれた。これを受けて、日本は組織的犯罪対策法の中に金融機関の義務を法制化した。
 さらに、アメリカの九・一一同時多発テロで盛り上がったテロ防止対策強化の国際世論を背景に、二〇〇三年六月、四〇の勧告は大改訂された(新勧告)。
 新勧告は、資金洗浄防止のための各種義務をテロ資金供与防止目的にも拡げる一方で、規制対象先を金融機関だけではなく、弁護士等の専門職(金融取引の門番=ゲートキーパー)にも拡大し、各国に対して速やかな国内法整備を求めるに至った。
 新勧告によれば、弁護士が依頼者のために次の各取引を準備または実施する場合(特定業務)、公的資料に基づく本人確認及び記録の保存義務が課せられる。また、その際に取引の資金が犯罪収益またはテロ関連であると疑ったか疑うべき合理的な根拠があるときは、これを金融監督機関に報告する義務を負うことになる。
(特定業務)
 (1)不動産の売買、(2)依頼者の金銭・有価証券・その他の資産の管理、(3)銀行預金口座・貯蓄預金口座・証券口座の管理、(4)会社の設立・運転または経営のための出資金のとりまとめ、(5)法人または法的機構の設立・運転または経営・並びに事業組織の売買\n その一方で、新勧告は「守秘義務の対象となる状況に関連する情報」を報告義務の対象外としているが、具体的場面での判断は、「疑わしい取引」に当たるかどうかとともに、必ずしも容易なことではない。

三 日弁連の従来の対応方針
 新勧告について、日弁連は、顧客の「疑わしい取引」の報告義務を弁護士に導入する動きが始まった当初の段階から、一貫して反対の方針を掲げて活動してきたが奏功せず、新勧告が出された後の二〇〇三年一二月二〇日、理事会で次の方針を承認した。
 本人確認と記録保存の各義務については、会規制定等に向けた検討を進める。他方、依頼者の「疑わしい取引」の報告義務制度は、従来どおり反対の方針を堅持するものの、仮に法制度化が不可避な状況となった場合に備えて、以下の努力を行うとの会内合意の形成に努める(旧方針)。
(1) 「疑わしい取引」の要件は、弁護士が当該取引に関与し、かつ依頼者がその取引の違法性を認識していた場合に限定するよう努める。
(2) 守秘義務の範囲は、この制度によって新たに制約されないことを明確化し、とりわけ訴訟手続を前提としない法的なアドバイスの提供についても守秘義務の範囲内であることを法制度上明確にするよう努める。
(3) 報告制度の報告先を弁護士会とすることの是非につき全会的な討議を行う。

四 新たな行動指針の提案
 日弁連は、ゲートキーパー問題対策本部事務局を中心にして、旧方針に基づき国内外での取組みを展開してきた。しかし、昨年一二月、政府の国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部は「テロの未然防止に関する行動計画」を策定した。
 この行動計画では、FATFの新勧告を完全実施するため、弁護士等に対し顧客の本人確認、取引記録の保存及び「疑わしい取引」の届出の義務を課すことなどについて、今年七月までにその実施方法を検討して結論を得ることとし、法整備を必要とするものは二〇〇六年の通常国会に法律案を提出し、それ以外のものは同年上半期までに制度の整備を行うとしている。
 このような情勢を踏まえ、五月七日の日弁連理事会で、執行部は新たな行動指針を提案した。
 これは、本人確認と記録保存義務の会則改正・会規化をするだけで報告義務の法制度化を回避するのはほぼ不可能であり、報告義務に関して、何らかの自主的措置を講じなければ、金融監督機関に対する個々の会員の直接的な報告義務を定めた法案が上程されて成立するのは避けられないとの状況認識に基づくものである。\n 新指針の要点は以下のとおりである。
 「疑わしい取引」の報告義務の弁護士への導入に反対との立場は変えないが、政府の行動計画に基づく法制度化の動向を踏まえ、会規制定を行うことも視野に入れ、次の行動指針について会内合意の形成に努めるとともに、関係機関との協議を進める。
(1) 「疑わしい取引」の要件は、単なる疑いのレベルではなく、客観的に疑わしいと認められる類型に限定する。
(2) 守秘義務の範囲は旧方針の(2)と同旨。
(3) 報告制度の報告先は日弁連とするが、いかなる形でも関係省庁の監督を受けないものとする。
 旧方針との基本的な違いは、同じく報告義務反対の旗は掲げつつも、その法制度化自体は避けがたいとして、報告先を日弁連とする自主的報告制度の会規制定に向けて舵を切ろうというものである。

五 新行動指針についての議論状況
 四月と五月の理事会で交わされた討議や質疑応答の中からいくつかを紹介する。
(1) 日弁連宛報告義務の会規化をめぐる利害得失・問題点
a 会規化しなければ、個々の会員は金融庁等に直接報告義務を負う制度の立法化がなされ、違反に対しては、過失による報告懈怠を含めて刑罰が科せられる。
  「疑わしい取引」か否か、守秘義務の範囲内かどうかについて、個々の会員の責任で判断する制度になると、金融庁等による判断と食い違った場合には、会員は直接その攻撃にさらされる。
  日弁連を報告先とする報告制度の会規制定をすれば、これらの該当性判断について、日弁連に第一次的判断権を留保することで、会員のリスクを回避できる。
b 報告義務の会規化を前提として、法案策定作業の段階から交渉をすることを通じ、「疑わしい取引」の限定や守秘義務の範囲の明確化を図れる。
c FATFの新勧告でも、自治組織がその専門職の特性に応じて、報告義務等を独自に定めるのを容認しており、その中でよりましな制度を追求すべきだ。
d 「疑わしい取引」や守秘義務該当性に関する日弁連の判断と金融庁等との判断が食い違った場合、制度的には日弁連執行部の責任が問われる形になり、弁護士会自治侵害への懸念は払拭できない。
e 法律に基づく義務であれば、依頼者に通報やむなしの説明がつくが、日弁連会規を根拠に報告するというのでは理解を得られない。
f 日弁連が会員に対して、懲戒の制裁を背景に、その業務内容についての報告義務を課すのは、弁護士業務の自主性・独立性を日弁連自ら侵すものだ。
g 守秘義務・権利は弁護士業務の根幹であり、これを損なう会規を日弁連自身が作るべきではない。将来、会員が報告義務を違法として争う訴訟を提起した場合、日弁連も容認しているということで、適法の根拠にされかねない。
(2) 欧米の実情
a イギリスは弁護士個々人が金融当局に直接報告している。その数は極めて膨大で、当局による実質的審査は事実上不可能な実情にある。\nb フランス・ドイツ・ポルトガルなどは弁護士会に報告する制度になっている。
  フランス等では弁護士会長が審査権を持っている。ドイツは審査権を持たず、理由を付して当局に報告する。本当に「疑わしい取引」のみが報告されており、弁護士会を報告先とすることによって、弁護士会自治が侵害されるような事態や依頼者との紛争は生じていない。
c アメリカとカナダでは、直ちに法制度化するような動きは見られない。
(3) 個人情報保護法などとの関係
a 日弁連の会規に基づく「疑わしい取引」の報告は、個人情報の目的外使用であって、かつ法令に基づかない場合ということにならないか。また、弁護士法二三条ただし書きとの関係も疑問がある。
b (aに対し)日弁連を報告先とする報告制度を包含した立法となるであろう。

六 むすび
 他にも幾多の論点があるが、紙数の都合上割愛せざるをえない。
 マネー・ロンダリングへの弁護士の関与などというのは、グリシャムの小説の世界のことであって、私たちの仕事とは無縁のことのようにも思える。しかし、特定業務には、成年後見や企業再生、M&Aなどが広く含まれている。不動産取引は一五〇万円以上という広範なものが対象になる。
 さらに、組織的犯罪対策法の改正作業では、日弁連の反対にもかかわらず、その前提犯罪を約五〇〇件へと著しく拡大せんとしている。脱税もその対象に挙げられており、税務事件の民刑事事件の弁護費用すら犯罪収益にされかねない。これがゲートキーパー規制と連動すれば、日常業務にも深く関わる問題とならざるをえない。
 報告義務を含む弁護士へのゲートキーパー規制自体は、何らかの形での法制度化を止められないというのが日弁連執行部の情勢判断である。
 これを前提としつつ、刑罰の背景の下に「疑わしい取引」や守秘義務該当性如何の判断のリスクを会員個々人に負わせるような法制度の導入を黙過するのか。それとも、これを避けるために、次善の策として、日弁連の第一次的審査権が確保され尊重される制度の樹立を追求すべきか。それは可能なのか。その場合でも、日弁連の判断を否定する当局の権力的介入を招き、弁護士会自治が危殆に瀕する\n事態にならないのか。
 ジレンマの中での決断が迫られている。

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