福岡県弁護士会 宣言・決議・声明・計画

2006年5月17日

会 長 日 記 〜平和と人権を考える因幡路の旅〜

会長日記

会 長 川 副 正 敏

一 小さな弁護士会の大きな人権擁護大会
 一一月一〇日と一一日の両日、鳥取市で開かれた日弁連の第四八回人権擁護大会に参加しました。参加者総数は延べ四三〇〇人という盛況でした。会員数わずか三一名の鳥取県弁護士会にして、よくぞここまで準備をされたものと頭が下がりました。
 初日に三分科会で行われたシンポジウムを踏まえ、二日目の大会では次の一つの宣言と二つの決議が採択されました。
 (1) 「立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言」
 (2) 「高齢者・障がいのある人の地域で暮らす権利の確立された地域社会の実現を求める決議」
 (3) 「安全な住宅に居住する権利を確保するための法整備・施策を求める決議」
 これらの内容は日弁連のホームページに掲載されていますので、ここでは立ち入りませんが、いずれも日本の政治と社会が直面している極めて重要な課題に関するものであり、各シンポジウムの充実ぶりは、人権問題に関する最大・最高のオピニオンリーダー、シンクタンクとしての日弁連の面目躍如との思いを深くさせるものでした。

二 高齢者・障害者の人権確立と住宅の安全性確保
 (2)の高齢者・障害者の人権確立の決議に関して、当会の活動は、「あいゆう」や精神保健当番弁護士制度に見られるように、先進的な取組みとして全国的にも高く評価されています。今回のシンポジウムも、九月一六日に福岡で開催された「高齢者・障害者の権利擁護のつどい」の成果を踏まえ、これをさらに深化させるものであり、当事者組織及び保健・医療・福祉・教育の専門職と機関や団体、行政との地域ネットワークの構築、そしてその中での法律家の積極的な取組みの必要性が再確認されました。
 「小さな政府」のかけ声の下で、障害者自立支援法に見られる利用者負担の増大・応益負担への転換が押し進められつつある今日の状況は、高齢者・障害者が地域で自分らしく安心して生活できる社会の実現を促すものとは言いがたいように思われます。そういった現実とこれを打開するための私たちの役割の重要性を改めて認識させられました。
 提案理由を聞きながら、「障害者を閉め出す社会は弱く脆い」という一九八一年・国際障害者年の国連総会決議の言葉を思い浮かべ、この面での当会の活動のさらなる拡充に向けた決意を新たにしました。
 (3)の「安全な住宅に居住する権利」についても、当会の会員有志がかなり以前より建築士と連携しながら研究及び救済活動を展開していることはよく知られています。
 シンポジウムでは阪神淡路大震災の被災実態とその後今日に至る行政や関係機関等の対応の問題点が指摘されました。福岡でも、三月の地震を契機に問題点が顕在化しており、弁護士会として、より広範で組織的な取組みをする必要性を感じました。

三 改憲論にどう向き合うか
 立憲主義の堅持と憲法三原則の尊重に関する?の宣言をめぐっては、三時間余りにわたり白熱した議論がおこなわれました。最大の論点が憲法九条問題にあったのは言うまでもありません。
 原案では、九条を一項の戦争放棄条項と二項の戦力不保持・交戦権否認条項に分け、前者を一般的な恒久平和主義、二項を「より徹底した恒久平和主義」として、前者は尊重すべきであると表明する一方で、後者については、「世界史的意義を有する」との評価を示すだけで、その改廃の是非や自衛隊の憲法適合性如何には直接言及しないとしています。
 反対意見は次のようなものです。
 改憲論の核心はまさに憲法九条二項であって、最近発表された自民党の新憲法草案でも二項廃止と自衛軍保持・集団的自衛権行使の容認等を明記しており、民主党の改憲派もほぼ同様のことを主張している。このような状況下で原案の宣言を出すのは、日弁連として事実上九条二項廃止論に与することになる。そのような宣言を出すのは単に無意味であるという以上に、むしろ有害である、と。
 他方、原案を支持する意見の要旨は次のとおりです。
 会内に賛否両論があり、高度に政治的な問題でもある九条二項の改廃の是非に関し、強制加入団体たる弁護士会としてそのいずれの立場に立つかを明確にするのは適切ではない。人権尊重よりも「国民の責務」に傾斜した自民党の新憲法草案など、立憲主義を軽視する改憲論が出される中で、弁護士会として、立憲主義の理念の意義を再確認してその堅持を求め、国民主権・人権保障・広義の恒久平和主義の尊重とともに、戦力不保持を含めた日本国憲法のより徹底した恒久平和主義の世界史的意義を強調することは大変有意義なことである、と。
 原案賛成論者の大多数も、「憲法九条二項を堅持すべきであって、その改定には強く反対する」との個人的見解を表明しつつ、これと異なる意見を持つ会員を含めた会内合意が得られるぎりぎりの線として、この宣言案を採択すべきだというものでした。
 賛否双方の意見を通じて、非武装・絶対的平和主義憲法の持つ掛け替えのない価値を認めることではほぼ一致していました。
 このような議論を経て、宣言案は人権擁護大会としては異例の挙手による採決に付され、賛成四八〇名、反対一〇一名の賛成多数で原案が採択されました。

四 『平和の政治学』 を想う
 厳しくも真摯な討議が展開されるのを眼前にしながら、学生時代に読んで感銘を受けた石田雄著『平和の政治学』(岩波新書・絶版)の次の一節を想起しました。
 「非武装憲法は歴史上例がないというただそれだけの理由で無意味と決めつけてしまうのは、自分の構想力の貧弱さを告発するだけである。それと同時に、平和憲法があるからそれでいいのだとすませているのも、現実的な思考を伴わない怠惰な態度といわざるをえない。どのような条件の下で平和憲法が現実に意味をもちうるかを冷い計算で検討してみる必要がある。」
 抑圧とテロ、報復戦争と再テロという暴力の連鎖が止まることを知らない世界を前に、「戦争ができる国家」の再構築に向けた改憲論が声高に喧伝される今日、どうやって日本と世界の非軍事化への道筋を付けていくのか、第二次大戦の惨禍を二度と繰り返さないため、不戦と非武装を高らかに謳った憲法九条に今どう向き合い、現実的意味を持たせるために何をすべきか、またできるのか、様々の思いが巡りました。
 九条二項を改定(削除)して、戦力の保持と交戦権の容認を憲法上明記することは、自衛隊の位置付けや集団的自衛権行使の是非の問題にとどまらず、「軍事的公共性」が正面から人権制約の根拠とされ、「軍事的合理性」に基づく人権抑圧的統治機構(危機管理のための権力集中、戒厳令、軍事法廷等々)への変容をもたらすのは不可避であって、それがまた戦争への障壁を低くすることも歴史が教えるところです。
 ともすれば「テロとの戦い」や「ならず者国家に対する戸締まり論」などの単純化した論理や勇ましい言葉で語られがちな改憲論議に対して、このような観点からの冷静な問題提起をしていくことは、強制加入団体という弁護士会の限界を踏まえても十分に可能なことであり、むしろ私たちに課せられた大きな責務だと思います。

五 余韻と感動、そして美味
 大会では、宣言・決議の採択に先立ち、今年四月に名古屋高裁が出した名張毒ぶどう酒事件の奥西勝死刑囚に対する再審開始決定について、弁護団からの特別報告が行われました。担当した弁護士は淡々と語り始めましたが、話題が奥西氏との面会の様子に入った途端に絶句し、大粒の涙を流しながらしばし嗚咽した場面は、日弁連の人権擁護活動の原点を象徴するものでした。
 晩秋の因幡路の古都で、白熱した議論の余韻と無辜の救済に打ち込む若手会員の一途な姿への感動に包まれながら、解禁直後の本場の松葉ガニに舌鼓を打つ、平和に生きる幸せを実感する充実の二日間でした。

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