少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。

付添人日誌(7・7月号)(連続掲載第3回)

1 はじめに

子どもの権利委員会に所属している筑後部会69期の鶴崎です。

さて、私の付添人日誌も連載3回目を迎えました。掲載の度に各方面で大反響を呼んでいるという話はまったく聞こえてきませんが、読んで下さっている方もいると思うのでもう少しだけ頑張ります。

2 第二章

(1) 審判翌日、少年が久しぶりに中学校に登校する予定になっている日の私の備忘録を見直すと、朝から関係者に連絡をとって状況確認していることが記録されている。

8時30分 母親に電話
・学校に送り届けたことを確認。

8時50分 A先生に電話
・学校に制服で来ていることを確認。
・髪を染めている最中とのこと。

昨日、先生たちの前で悪態をついていた少年は、母親に送り届けられてちゃんと朝から学校に行っている。どうやら教室に入る前に茶髪だか金髪だかの髪の毛を黒く染めさせられている最中のようで、なんだかなーという思いもありつつ、なにはともあれ登校できたことにはほっと一安心だ。

(2) 放課後の時間帯、本人に電話するも繋がらなかったため母親に電話して今日のことを確認する。

そのとき母親はまだ仕事から帰宅していなかったが、少年を迎えには行っていないので電車で帰っているはずとのこと。母親がLINEでやり取りしたところでは、友達とお宮で遊んでから家に帰ってきているらしい。

その後、本人に電話がつながり、今日の学校はどうだったか確認したところ、「まさかのー・・・えらい楽しかった!」との回答。よかったよかった。

ついていけない教科の授業は別室で個別指導を受けたりしているようだが、その他の授業やホームルーム、給食などは教室で過ごし、友達が話しかけてきたり、他のクラスの友達が会いに来たりして、「ちゃんとやれるか不安もあったけど、安心した。」とのことだ。

少年なりに、久しぶりの登校で周りの生徒たちからどのような目で見られるか不安に思っていたのであろうが、それもそのはず、少年にとってはずいぶん久しぶりの登校だったのだから。

(3) 1週間後、審判後はじめての調査官面談の日、私も同席するため開始時刻の少し前に家庭裁判所を訪れたところ、開始時刻から少し遅れて母親と一緒に少年がやってきた。

調査官が少年から聞き取りをするのを後ろで聞いていると、友達と遊ぶのが楽しい、みんなと仲いい、学校に毎日行っている、面白いから行っている、座って授業聞いている、土日は友達と遊んだ、川とか行って遊んだ、などと回答している。

中学1年生のときに器物損壊、放火、窃盗、中学2年生のときに脅迫、暴行などで警察のお世話になり(令和7年1月号参照)、今回は傷害でつい先日まで少年鑑別所にいた少年からそんな言葉が出てくることに驚かれるかもしれないが、そんな少年であっても普通の中学生なのだ。

(4) さて、ここまで読んで、これからは今までの少年とはまったく違った、平凡でほのぼのとした心温まる学校生活が始まると思われた方もいるのではないだろうか。

しかしそうはうまくいかない。なかなか思ったようにはいかないのが付添人活動のおもしろいところでもあるのだが・・・

実は、上記調査官面談の中で学校でのトラブルがひとつ指摘されている。

場面の詳細は割愛するが、少年が同級生に対して「殴る」という言葉を発し、それを注意した教師に対して少年が「手は出してない」「口で言っただけ」「刺すぞ」などと発言したとのこと。

少年の言い分としては、「暴力しないこと」が試験観察中の条件(4月号参照)だから口で言ったんだということで、なんとも少年の道理にはかなった話だが、この日の調査官面接であえなく「脅しをしない」が試験観察中の条件に加わることとなった。

そこから、少年の行動を学校側が問題視するようなケースが少しずつ増え、少年が登校することに対する学校側の態度が消極的になっていく。

と言っても、もとから一部の先生以外は少年が登校することに表面上はともかく内面では消極的だったのではあるが。

(5) 少しずつ今後の雲行きがあやしくなっていく中、筑後地域を水害が襲い、少年の学校や自宅がある地域も大きな被害を受けた。

幸いにも少年や家族等の生命・身体、住居は無事だったが、地域全体としては災害からの復旧が最優先の課題となった。

調査官から連絡があり、復旧を優先して当面の間は面会を延期するとのことで、学校も夏休みに入ろうとする時期であったことから、試験観察が始まって以降の生活からしばらく離れることになる。

そうなると付添人活動としてもとくにやることがなくなってしまうのだが、ときどき本人や母親に電話してみる。

母親によると夏休み中はずっと家にいるとのこと。試験観察が始まって以降、自分の意思とはいえ学校に通う中で感じる様々なストレスから解放され、のんびりとした生活を送っているのが目に浮かぶ。

その後、少年本人とも電話がつながったので、もうすでに夏休みではあったが試験観察となってからの学校生活の感想などを聞いてみた。

学校は行ったら行ったで楽しい、友達としゃべったりするのが楽しい。しかし学校の中ではいつも教師から監視されているような視線を感じる。常に教師の誰かが自分のことを見ていて何かあればすぐに注意される、他の生徒なら何も言われないような些細なことでも自分がやったら注意される。

そのような監視の目からしばらく離れることができた期間は、少年にとってはちょうどいい休息の期間となったかもしれない。

(6) 夏休み中に調査官面談が再開した。

夏休みが終了してからの登校のことに話が及ぶが、少年がいない場で調査官から聞いたところによると、学校側は、毎日朝から1日中少年を受け入れることに限界を感じているようだ。

少年が登校するかどうかをなぜ学校から決められないといけないのだという思いもありつつ、私が実際に少年の学校での様子をこの目で見ているわけではないし、なにより、少年にとっても現状のような学校の環境で毎日朝からずっと学校生活を送るのもしんどいだろうなという思いもある。

「学校に通うこと」という試験観察中の条件を裁判所が緩く解釈してくれるのであれば、少年のやりたいように、行きたいときに学校に行って行きたくなければ行かないという生活スタイルをとることに、こちらとしてはとくに異存ない。

もとはと言えば、学校に行きたいという本人の希望を叶えるために始まったこれまでの付添人活動なのだ。

(7) 夏休みが終わって最初の調査官面談にて、約1か月後に審判期日が設けられることが告げられる。

試験観察が始まって色んなことがあったが、あと1か月を無事に何事もなく経過すれば保護観察処分が言い渡されることになる。

そうなれば少年は現在の試験観察状態から解放され、身も心もより自由になるだろう。

一部の(多くの?)教職員からは相変わらず煙たがられているようだが、そんなことを気にする必要はない。学校の価値観に合わなかったりルールを守れなかったりすると学校から煙たがられてしまうのが日本の多くの学校の現状だが、それに合わせてうまく立ち回るもよし、抗って学校から嫌われるもよし、自分で決めたのであれば人からとやかく言われることではないのだ。ただ、他の生徒の権利を邪魔しないようにだけ気をつければそれでよい。

(8) さて、そうやってようやく試験観察期間も終わりに近づいた頃、新たな問題が発生した。

少年と友達が、サイドを剃り込んだビーバップハイスクールといった感じの同じ髪型にして学校に行ったところ、友達が学校に入れてもらえなくなってしまったのだ。

少年は学校側から、学校に行くことが試験観察の条件だから今は入れてあげるが試験観察が終わったら学校には入れないと通告されているらしい。

なんてことだ。せっかく学校に通えるようになったのに試験観察が終わったらまた学校に行けなくなってしまうのか・・・(つづく)

3 結びに

久しぶりに登校を始めた少年に再び訪れた学校出禁の危機。
続きは10月号(最終回の予定)にて。

鶴崎 陽三

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