少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。

付添人日誌(3・7月号)

1 はじめに

子どもの権利委員会に関わる先生方をはじめ福岡県弁護士会の先生方、事務局の方々には平素より大変お世話になっております。

略儀ながら、本紙面をお借りして、厚く御礼申し上げます。

僭越ではございますが、私が付添人となった少年事件に関し、付添人日誌として、簡単にご報告させて頂きます。

2 事案の概要

本件の非行事実は、本件の前の審判で保護観察決定となった後、当該保護観察中(保護司との面談は欠席が多く、このことが社会内処遇に適さない理由として、本件の裁判官に悪い印象を与えました。)にバイクの無免許運転を2度行ったというものです(少年は、令和2年秋頃、2回目の無免許運転中に、警察に見つかり、逮捕されました。)。

前回の審判は、令和元年の夏頃に行われ、そこでの非行事実は、傷害、恐喝未遂、窃盗未遂、窃盗の罪でした。

少年は、前回審判時とその後少しの間は、雇われで土木作業員をしていましたが、本件逮捕時は、土木・建設の一人親方として働いていました。

少年は、私が接見・面会に行った際は、しっかり私と話しをしてくれた印象です。

本件の審判の結果としては、第一種少年院送致決定となりました。

3 活動の概要

(1) 勾留に対する準抗告の準備

少年は、初回接見時に、仕事があるから早くここから出たいと言っていたので、準抗告を行うことにしました。そこで、少年の母に身柄引受人になってもらうために、少年の母に電話をしたところ、少年のお母さんは、保護観察中の再非行ということで、呆れている様子で、「審判には行きますが、準抗告のための身柄引受人にはなりません。今回は少年院に行くのが、あの子のためになると思っています。」と言われました。

少年のお母さんのご協力が得られなかったので、次に、少年の同意を得て、少年と一緒の現場で仕事をしている人(以下「Aさん」といいます。少年はAさんから仕事を請けていました。)に、身柄引受人になってもらうべく、会いに行きました。

Aさんから、少年の仕事ぶりを聞いたところ、少年は、真面目に意欲的に働いていたし、少年が帰ってきたらお願いしたい仕事もあるとのことでした(このことは、後日、報告書にして家庭裁判所に提出しました。)。

Aさんから身柄引受書に署名・押印をもらいましたが、少年の意向が変わり、準抗告は行いませんでした。少年としては、少年院には行きたくはないが、今は、お母さんに対して、反省の態度を示すために、大人しくしておきたいということでした。

(2) 家庭訪問

少年のお母さんの意見としては、上述のとおり、「今回は、少年院に行くのがあの子のためだと思う。」ということでした。このことを、木下健一先生(62期)にご相談したところ、「親も大事な社会資源だから、調査官が親から(少年院に行った方が良いと考えているという)話しを聞く前に、親に会って話しをして協力をしてもらえるようにした方が良いよ。」と貴重なアドバイスを頂きました。

そこで、私は、少年のお母さんに、なんとか社会内処遇に協力してもらえるように、家裁送致日(観護措置決定日)に、少年がお母さんに宛てた手紙を持って、少年宅に家庭訪問に行きました。

少年のお母さんは、「あの子のことは可愛いし、あの子のためにいろいろしてあげたい気持ちもあるけど、あの子のためを思うと、今回は、少年院に行って勉強させるしかないと思う。」とおっしゃいました。お話しを聞いていると、単に放置するというわけではなく、お母さんなりに、これまでの経緯等を深く考えての意見だという印象でした。

私の予定では、「お母さんにも原因があるのではないですか?」等述べて、なんとか、お母さんにも考え方を変えてもらい、社会内処遇に協力してもらう予定だったのですが、お母さんを説得することをやめて帰りました(私にお母さんを説得する勇気が足りなかったのかもしれません)。

もっとも、お母さんが少年に対して愛情をもって接していることが、私なりに確認できたので、家庭訪問した意味があったと思いました。

(3) 少年との面会

私は、事務所がご近所の惠崎優成先生(70期)に「だいたい一週間に2回の頻度で面会に行くでしょ。」と教えて頂いたので、そのくらいの頻度で、少年に会い行きました。面会での内容で、反省の深化に関わる部分は、報告書にして、その都度、家庭裁判所に提出をしていました。

話しは少しそれますが、福岡鑑別所は遠かったので、私は、少年に対して「あの頃(送致前は中央署に在監していました。)が懐かしいね。」と言って、ここは遠いよねという共感を得ようとしましたが、少年は「そうですか。俺はどっちでもいいっす。」と言われました。

しかし、少年は「でも、ここは寒いです。」と言って、しもやけになった足の指先を見せてきました。

少年が鑑別所にいた頃は、12月でしたので、鑑別所内は、室内でも、しもやけになる程、寒かったのだと思います。そのような環境では、寒いと心もすさんでしまうので、「保護しつつ観察する」という観護措置の目的に反すると思います。改善されることを期待しています。

(4) 記録の閲覧

社会記録は、謄写できないので、書記官室に閲覧しに行く必要がありますが、私は、最初に前回審判時の記録を閲覧に行った際は、手でメモをとっていました。ただ、時間がかかり大変だったので、このことを、惠崎先生に、何気なくお話ししたところ、「パソコン持っていけばいいよ。」と教えて下さいました。私は、書記官室なので、パソコンを持って入ってはいけないと勝手に思い込んでいたのですが、惠崎先生の貴重なアドバイスで、とても助かりました。ありがとうございました。

(5) 調査官・裁判官との面談

私は、調査官とは2度、裁判官とは1度面談をさせて頂きましたが、私が不勉強で少年審判への理解が浅いために、実りのある話しはできませんでした。

会って話せば何とかなると思い、行くものの、結局、「ですよねぇ…」という感じで、裁判所を後にすることの繰り返しでした。

勉強し、腕を磨いて、しっかり議論ができるようにならなければと思わされました。

4 審判後に少年ついて

少年は、審判前は、絶対に少年院に行きたくないと言っていましたが、審判の翌日に少年に会いにいくと、審判の内容(裁判官の言っていること)に納得し、少年院で頑張るといった様子でした(ただ、少年は、最後にしっかりと納得がしたいという意向でしたので、抗告を行いましたが、棄却されました)。

私が、今年の2月に、少年院へ面会に行った際も、元気そうにしており、少年院を出た後に、どういう仕事をしたいか等について、話してくれました。お母さんともよく電話で話をするそうです。

5 私の総括

私は、今回の個人的な総括としては(正確には、今回はじめて少年事件を経験し、その後、付添研究会等で、色々な先生方のお話をお聞きしたうえでの総括)、裁判官や調査官を説得することや審判の結果のみにとらわれずに、少年が今後幸せに生活ができるように何ができるのかという視点で少年と関われば、付添人としてのやりがいがもっとあると感じました。

私は、少年院送致を回避するという当初の少年の希望を叶えることができず、審判の当日は、虚しい気持ちになりましたが、その後の少年の様子を見ていると、少しは付添人として活動をした意味はあったかなと思えました。

今回、月報を書かせて頂くことになり、書くからには、少年に会いに行き、「今の少年をこの目で確かめねば」と思ったのですが、少年院側から、緊急事態宣言中は緊急の面会はお控えくださいと言われて、面会はできませんでした。宣言が解除されたら、また会いに行きたいと思います。

藤村 和正

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