福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2002年11月号 月報

吃驚仰天!

月報記事

渕上陽子

ある晴れた日の午後、公園を散歩して店に入る。海(男・仮名)は、日焼けした顔でパクリとドーナツを食べ、私を見てニッと笑う。まさに至福の時……。

でも、当番弁護士として出会ったばかりの海(当時一八才)は、幸福とほど遠い姿だった。首は包帯でぐるぐる巻き、顔も全身も傷だらけ。公務執行妨害罪で逮捕されてから4日経つけど、それにしてはボロボロすぎない?

海の話を要約すると、次のとおりであった。

その夜、元同級生の送別会に行くため、友だちと待ち合わせをしていたら、昔のワル仲間に声を掛けられた。彼らは、近くの広場に集まってシンナーを吸っていた。少年院を出てから真面目な日々を送っていた海であったが、恋人に裏切られた傷心もあって誘惑に負けた。

シンナーを吸い始めてすぐ、パトカーが来た。多くの少年が逃げたが、海は職務質問に応じた。ところが、いきなり両腕をひねり上げられ、パトカーの方に引きずられそうになった。「普通に話しているじゃないですか。手を離してください。」と言ったが、首をも絞められ、お腹も跳び蹴りされた。警察官はどんどん増え、何重にも囲まれた。抵抗しようにも、体中押さえつけられて動けない。あまりの痛さに、ひねられた腕を振りほどこうとしたら、左腕がスポッと抜けて、手の甲が警察官の眼鏡に当たって眼鏡が飛んだ。そのとたん、「公務執行妨害罪で逮捕する」と言われた。海は思わず「助けて!」と悲鳴を上げたが、そのままパトカーに押し込まれ、警察署で尿を取られた……。

「警察は、僕が右手の拳骨で警察官の頬を殴りつけたと言っているけど、嘘です。お願い。信じてください。」と、海は子犬のような目で私を見つめる。しかし、この時点の私は、まさか警察がそこまで?などと思わないでもなく、一〇〇%彼を信じたわけではなかった。ゴメンネ、海。

しかし、海は、その後も一貫して否認を続けた(シンナーを吸ったことは、最初から認めている)。逮捕から一〇日以上経っても調書を取られず、「認めないと少年院に行くぞ。」などと説得(脅?)され続ける毎日だったが、「今辛いけど、やってもいないことを認めたら一生後悔する。」と自分に言い聞かせていたようだ。

実際、警察の対応は凄まじかった。ある日、自己紹介をした私に、「先生は、あの子を少年院に行かせたいのか。警察官が、『殴られた』と言っている以上間違いない。無理にでも認めさせるのが弁護士の仕事でしょうが。」と大声でまくし立ててきた。「現場に目撃者はいませんでしたか。」と聞くと、「少年側の人間なんか、調べる必要はないっ。」とはねつけられた。

海は、こういった強烈な取調べに、よく耐えていたと思う。それでも、S.O.S.の電話は一日に何度も架かってきた。駆けつけると、「陽子先生!」と叫んで嬉しそうに立ち上がる姿が切ない。

期待もむなしく、公務執行妨害についても家裁送致された。実況見分調書すらないズサンな記録を読み終え、ため息をついた。これだけ食い違うとは、まさに『羅生門』(映画の)である。警察側の目撃者の調書もあったが、夜一一時過ぎ(現場はほとんど真っ暗)、約五〇メートルも離れた場所から、「『右手の拳骨で』殴りつけたのを見た」、などと言われてもね…。

しかし、海の側にも立派な証拠があった。彼は気付いていなかったが、待ち合わせをしていた友人二人は、職務質問開始とほぼ同時に現場に着いたそうで、状況を目撃していたのだ。これで、海の供述はほぼ全面的に裏付けられる。海は、ラッキーだったんだろう。彼らがいなかったら、と考えると恐ろしい。

さて、家裁では、まず中間審判で海の言い分を聞かれた。第一回目の審判では証人尋問(海側、二人)が行われ、第二回目に、いよいよ裁判所の判断が下されることになった。その前に海に会ったが、最初の頃とは別人のように落ち着いていた。「無実の罪に泣く人がいなくなるように、自分は絶対にこの経験を忘れません。」なーんて言っている。彼のたくましさと成長ぶりには、学ばされる一方だった。

結果は、「非行事実なしの不処分」(毒劇法違反は試験観察)。「ふんっ、当然だよね。」とばかりに海の方を見ると、海ったら、私を見て泣いているではないか。

よかったね、海!

こんな事件は、二度とあってはいけない。

海は、最近一九才になった。仕事と野球で真っ黒になり、また急に大人っぽくなった。近ごろ「嬉しいこと」があったらしい。今度、教えてね!

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