福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2015年5月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 「9条なし崩しを食い止める」

憲法リレーエッセイ

会 員 津 田 聰 夫(28期)

憲法の改正抜きで集団的自衛権行使を容認する新安全保障体制を法制化しようという動きが進んでいる。前のめりの安倍首相が推し進めているこの動きに対し、与党の中でこれに明確に異を唱える者は見当たらず、野党の一部はむしろこれに同調する姿勢のようである。

憲法の枠内であると称して進めている行政主導で立法を巻込んだこの動きだが、これが憲法の大原則に反するものであることは言うまでもない。すなわち、内容的には、憲法第9条や同99条に対する明白な違反である。憲法を変えることなくそれを実施しようというのだから、紛れもなく立憲主義違反の行為である。

この動きを見ると、過って反対する者を許さず全国民を巻込んでわが国を戦争の惨禍に陥れた歴史や、ナチスがクーデター的に全ドイツを戦争国家に変えていった悪夢の繰返しが新たな一歩を踏み出そうとしていることを感じて慄然とする。

もとより、世界の状況は、先の大戦前のとは大きく異なっており、他国に対する侵略は、公式的には、許されないとされている。だから、大日本帝国の過っての対外侵略が単純に再現されるといったことはなかろう。新安保体制は憲法の柱である恒久平和主義と紛らわしい「積極的平和主義」を目指すとされている。

しかし、ベトナム戦争で敗退し、さらに、イラクやアフガニスタンに軍事介入してきて、現在の中東における混乱の遠因を作ったアメリカが集団的自衛権行使の主要な「お友達」というのだから、これは正しくは積極的戦争主義と言い直すべきであろう。

憲法抜きの法制化という欺瞞的なやり方により出来た体制のもとでは、それに関わる具体的紛争事件が生じない限り、その違憲性を司法の場で問うことは出来ないとされている。しかも、その司法が毅然として国民の負託に応える姿勢を示すかどうか、はなはだ心もとない。

もしこの法制が出来れば、それを覆すには、主権者国民の多数を基礎に国会でも議員多数の賛同を得て、この法制を廃止するしかない。しかし、いったん出来た法制を変えることはなかなか困難な課題であろう。可能であれば、立憲主義が民主主義の基本であることを国民多数の共通認識にして、その圧力で法制化を食い止めたい。

集団的自衛権の法制化を止めさせ得るほどの国民多数の意思の結集が出来るか、容易ではないだろう。言えることは、心ある者全て、周りの人々に戦争への道に反対することを訴えて、訴えた人を訴える人に変え、ねずみ算式に訴える人を増やしていき、国民の大多数を立憲派にすることを目指す、それしかないのではないか。
変える相手は1人でも2人でもよい。出来る人は、もちろん、いくら多くともよい。日本の将来を憂う者、全て、本気になって周りに働きかける人になる、その意味で「活動家」になる、それしかない、と思う。

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー