福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2012年2月号 月報

「薬害肝炎裁判史」の出版案内

月報記事

会 員 古 賀 克 重(47期)

「薬害肝炎裁判史」(薬害肝炎全国弁護団編)が日本評論社から1月20日に出版されました。編集責任者として出版にかかわりましたのでご案内させて頂きます。

1 薬害肝炎訴訟とは
薬害肝炎訴訟とは、C型肝炎ウイルスに汚染された血液凝固因子製剤を止血剤などとして使用された結果、C型肝炎に感染した患者らが、国と製薬企業を被告として、2002年10月から順次全国5地裁で提訴した損害賠償請求事件をいいます。

2 訴訟の経緯
薬害エイズと同種血液製剤による感染被害であったため、「薬害エイズの宿題」とも言われていた薬害肝炎問題は、長年放置され、解決の糸口は全く見えていませんでした。
そういう中、2002年、東京、大阪、九州、名古屋、東北の5地域から120名を超える弁護士(現在約500名)が「1つの弁護団」を立ち上げ、その支部として5地裁に提訴しました。3年解決を目標に掲げ、各地での分散立証・集中証拠調べを経て、2006年から2007年にかけて下された5地裁判決をもとに運動を展開。当時の政府(自民党福田総理)の政治決断を引き出し、製剤の使用時期・製剤の種類を問わない全面解決を勝ち取ったのがこの訴訟です。
現在も、全国で追加提訴が行われ、必要な個別立証を行い、順次和解が成立しています。

3 九州弁護団の結成と福岡地裁判決
九州では、九州沖縄山口の医療問題を手がける弁護士や集団訴訟の経験のある弁護士に呼びかけ、九州弁護団が立ち上がりました(共同代表:八尋光秀弁護士<36期>、浦田秀徳弁護士<38期>)。
40期から50期の弁護士約30名が実働弁護団として活動。
2003年4月に提訴後、3年強の審理期間を経て、福岡地方裁判所第1民事部(須田啓之裁判長、現長崎地方裁判所)が2006年8月30日、全国で2番目の判決を下しました(判例時報1953号11頁)。この福岡地裁判決は、国及び企業の責任範囲を大幅に広げ、全面解決への一里塚としての役割を果たしました。
なお、薬害肝炎九州弁護団の若手弁護士の一部は、予防接種B型肝炎訴訟九州弁護団(弁護団代表:小宮和彦弁護士<39期>)にも参加し、中心として活動してくれています。

4 裁判史の読みどころ
特徴のひとつは、全国で「1つの弁護団」として活動した点です。
集団訴訟において各地弁護団が緩やかな連携をとることは通例です。薬害肝炎弁護団はさらに進んで当初から1つの弁護団としての意思決定を行って活動してきました。その具体的な内容について書き記しています。
特に全国弁護団代表・事務局長による「座談会」は必見です。弁護団運営や立証の工夫から始まり、若手弁護士へのエールに及ぶまで、様々な論点につき掘り下げた意見交換を行っています。

5 これからの集団訴訟
集団訴訟(特に国賠訴訟など司法判断をもとに政策変更を求める多数当事者訴訟)は、その置かれた時代背景や諸処の条件を前提に行うものです。今後の集団訴訟ではさらなる「進化した訴訟戦術だとか、解決への戦略が必要」(八尋光秀弁護士談・裁判史「座談会」参照)になることは疑いの余地がありません。
もちろん「被害に始まり被害に終わる」という集団訴訟のエッセンスは普遍です。また多数の弁護士の英知を結集し裁判所に対する説得作業を緻密に行い、工夫された立証活動を通じて、法的責任を導き出す最大限の努力を行うことも当然の前提です。
一方で、政治が流動化・液状化して不安定であるため、与野党ともに大きな決断を下しにくくなっています。さらにSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の浸透とともに世論自体が細分化・多様化しているため、被害の受け止め方もまた多様になりつつあります。
以上の意味でこれからの集団訴訟は、様々な局面において、新しい工夫がより求められるように思います。
私自身も、薬害肝炎九州弁護団事務局長として関わるにあたり、過去の裁判史(「サリドマイド裁判」、「水俣病裁判全史」、「薬害スモン全史」、「薬害エイズ裁判史」)を繰り返し読み返しました。それらを通じて「被害に始まり被害に終わる」集団訴訟のいわば「幹」を学ぶとともに、自分なりの工夫を付け加えアレンジしてきたつもりです。
この「薬害肝炎裁判史」も、今後の集団訴訟を手がける若い方々や法律家を目指す方にとって何らかのヒントになればと思い、今回紹介させて頂いた次第です。
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