福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2008年2月27日

憲法リレーエッセイ 第6回福祉国家理念の憲法を変えてはいけない

憲法リレーエッセイ

会員 中野 和信 (36期)

【二重の基準論】

 即に30年以上も前のことですが、私が大学の法学部に入って憲法の勉強をしいていて、人権制約原理についての二重の基準論(ダブルスタンダード)を知った時に大変感銘を受けたことを今でも鮮明に覚えてます。この理論を知って初めて法理論の一端をわかったような気がして、何となく自分が偉くなったような気がしたものでし た。

正確でもないかも知れませんが、この理論は、同じ基本的人権と言っても、思想・良心の自由、表現の自由などの精神的自由を制限する「公共の福祉」は必要最小限度の制約しかできないが、財産権や職業選択の自由と言った経済活動の自由権の制約をする「公共の福祉」は社会福祉的見地から合理 理由があれば広く制約が許されるという理論だったと思います。 憲法19条、21条には「公共の福祉」という言葉が入っていないのに、22条、29条のわざわざ「公共の福祉」という言葉が入っているのがその理論の根拠として挙げられていました。

 これを知って、「う〜ん、憲法というのはそこまで考えて作られているのか。大したもんだな〜」と率直に感動したものでした。

【新自由主義経済路線による憲法改正】

 ところが自民党の発表した憲法改正草案を見ると、財産権、職業選択の自由などは保障する規定ぶりは変わらないものの、現憲法で規定する「公共の福祉」が抜け落ちることを発見できます。

 自民党の憲法改正草案は現厚労相の舛添さんが作ったと言われていますが、これは、舛添さんが 勉強不足で入れ忘れたもんはなさそうです。

自民党の政策は前々総理大臣の小泉内閣からはっきり表だって打ち出されている、新自由主義経済路線で貫かれています。私は郵政改革もその一環だと思っていますが、規制を取っ払って経済を自由化すれば経済が発展し、グローバルな競争に勝てるのだという理屈です。その結果、優勝劣敗、格差が出てきても仕方ないという考え方です。

小泉主相が、国会答弁で、「私は格差があるとは思わない。ある程度格差があるのは当然でしょう」などと言っていたのを思い出します。

【日本の現状】

この結果、現在の日本がどうなっているか。私はどう考えても大変な状況になっているとしか考えられないと思います。

貯蓄なし世帯が全世帯の4分の1にも登り、パート、アルバイト、派遣労働者などの非正規雇用者が1700万人を超え、全労働者の3分の1にまで膨れあがり、それに伴い年収200万円以下の労働者が1100万人にまでなって、いわゆる「ワーキングプア」層が確実に増えていることが報道されています。そのため、国民健康保険料や年金の滞納者が激増し、多重財務者300万人、経済苦を理由とする自殺者8000人、3万人を超えるホームレス者、最近言われている若者の「ネットカフェ難民」の増加など大変な状況が現出しています。OECD加盟国では貧困率の高さはアメリカに次いで2位にまでになっています(ちなみに2000年では5位でした)。

一方、最後のセーフティネットと言われている生活保護制度は、水祭作戦と言われる申請書さえ渡さないという違法なやり方が横行し、北九州では餓死者が出るまでになっています。母子加算、老齢加算の廃止がなされ、さらに保護基準の引き下げが検討されています。

【豊かな国アメリカ?】

アメリカと言うと私は大変豊かなリッチな国であるというイメージを長年持ってきました。私が、小学生の頃に見たアメリカのテレビドラマ「名犬ラッシー」「奥様は魔女」などで出てくる暮らしぶりはずっと憧れの的でした。大きな冷蔵庫、大きな車、広いリビングなど、当時の自分たちの暮らしぶりと何と違うのだろうと思ったものでした。

ところが、この認識を覆す事態が一昨年起きました。<br> ハリケーン「カトリーナー」がニューオリンズなどアメリカ南部を襲ったときのことです。

このハリケーンの規模の大きさにも大変驚かされましたが、私が一番驚いたのは、ハリケーンが来るず随分前から政府の非難命令が出ていたにもかかわらず、非難しない、非難できない人々が何万人もいた事です。要するに貧困故に死の危険が迫っても非難する車もなければ、非難するお金もない人々があれだけたくさんいたということです。そして、非難によってもぬけの殻になった商店街を略奪する人々の映像を見るにつけ、アメリカのイメージが吹っ飛んでしまいました。

【釧路人権大会の宣言】

昨年の釧路人権大会は、貧困問題、生活保護問題に弁護士、弁護士会が取りくんでいくこと宣言した画期的な大会でした。

福岡県弁もこの人権大会のプレシンポを8月に開催しましたが、そのシンポの準備に奮闘してくれた黒木和彰弁護士会から、私に対し「先生、日本がカトリーナのような事態にならないようにしないといけないですね。阪神淡路大震災の時のように略奪どころかボランティアが集まって助け合う日本をずっと維持していかないと思います」と言われたことが大変印象に残りました。

アメリカは、まさに新自由主義経済路線をレーガン大統領時代から採用し、様々な経済規制談和を実現し、一方では「小さな政府」路線で国民福祉に対する政府の支出を最小限に抑える政策をとり続けています。

日本は、このアメリカの政策を真似して、アメリカに追隋しようとしているとしか考えられません。このままだと日本でもカトリーナのような事態が現出しかねない状況になっています。

ワーキングプア層、ネットカフェ難民、ホームレス者などが増加し、貧困層が社会内で沈殿化していく状況が現実の問題として起きています。

そうなると、犯罪の増加はもちろん社会内の緊張関係が増幅され、暴動にまで発展する事態が当然予想されます。

少々遅きに失する感じはありますが、今こそこのような貧困問題を正面から議論すべきだと思います。

そのため、憲法が保障した幸福追求権、生存権をはじめとする社会県規定の意味をよく考え、その趣旨を生かすことこそが現在求められています。

現憲法が採用したのは福祉国家理念であり、むき出しの競争をあおるような完全自由主義経済路線ではありません。

22条、29条から「公共の福祉」を削除し、アメリカ型経済を採用しようとする憲法改正論には到底賛成できません。

現在、県弁でも生活保護問題委員会が正式に発足し、生活保護問題に弁護士会として取り組もうとしていますが、生活保護問題に限らず、貧困問題全般にわたる議論をしていくべきだと思います。そして、その出発点は現憲法の理念であるべきです。

是非皆さんにもこの問題を真剣に考えて欲しいと思うこの頃です。

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