福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2006年3月号 月報

英国留学帰国報告(後編)

月報記事

会員 松井 仁

留学報告の最後になる今回は、留学全体を振り返っての感想や裏話を、質問と答え形式で書きたいと思います。将来留学したいと考えている方の参考にでもなれば幸いです。

一 そもそも、なぜ留学したのか?

ロンドン大学にも、日本人弁護士は数人留学してきていましたが、皆、東京の渉外事務所からの派遣でした。そういう人たちからも、よく「なぜ自腹を切ってまで留学するんですか?」と聞かれました。また、弁護士以外の人からは「いっぱい勉強して司法試験にも受かって弁護士の資格があるのに、またわざわざ大学に行くのはなぜですか」と言われました。あえて答えると、「趣味」としか言いようがありません。大学のころから、留学することは私の夢だったのです。また、弁護士になってからも、私は趣味で英語の勉強を続けていましたが、やればやるほど、一度本場で、基本から英語を勉強しなおしたい、そして正しい法律英語を覚えたい、という思いが募っていたのです。

二 なぜアメリカでなく英国だったのか?

実をいうと、第一の理由は、ついでにヨーロッパ中を旅行して回りたい、という不純な動機でした。私は、弁護士になって毎年どこかへ海外旅行に行っていましたが、ヨーロッパには一度も行っていませんでした。それは、英国留学のときのためにとっておいたのでした。第二の理由は、英国の歴史と街並み、田舎の風景に憧れていたからです。先に留学されていた九大の大出教授や当会の池永先生の影響もあるかもしれません。イギリス英語も、アメリカ英語に比べればどこか知的な雰囲気がして格好いいと思いませんか? しかし、それでも、「アメリカに行って弁護士資格をとるべきだ」というアドバイスを周りから受けたときは心が揺れました。アメリカではLLMに一年行ったあと、弁護士資格がとれますが、英国では少なくとも四年はかかります。しかし、そのころお会いした新潟大の鯰越教授から「人権ならアメリカよりヨーロッパだ」と聞き、ビジネスロイヤーになろうかという邪まな考えを捨て、趣味を貫く決意を固めました。

三 木上法律事務所でかかえていた仕事はどうしたのか?

それを言われると本当に心が痛みます。事務所を出て留学するという勝手な行動を寛容に許していただいた木上先生や、事務所での私の担当事件を引き継いでいただいた増永先生、徳永隆志先生、張替先生、大倉先生、そして留学中の事務的なことを担っていただいた事務局の皆様には、感謝してもしきれません。また、個人事件については、留学の約一年前から当番弁護士、国選、法律相談センターの当番を免除していただいたおかげで随分減ってはいましたが、なお残っていた事件は大倉先生に引き継いでもらいました。さらに、弁護団関係では、HIV訴訟で原田先生に、中国残留孤児連れ子訴訟で大塚先生と大倉先生に、国際委員会では、上田秀友先生に外国人リーガルサービスセンターの仕事を、それぞれ引き継いでいただきました。

この他にも、ご迷惑をおかけしてしまった人はたくさんおられ、これらの方々の協力なくして、留学はできなかっただろうと思います。

四 大学に入学を認められるのは難しかったか?

英国の大学には入試はありません。自分の出身の大学の成績表と、恩師や先輩弁護士による推薦状を願書に添付して申し込めば、よほどのことがない限り、学術面では合格します(弁護士資格を有することも大きなプラス要因です)。ただし、曲者なのは、一定の英語のレベルが要求されることで、法学部は特に要求される英語テストのスコア(TOEFLE や IELTS)が高いのです。しかし、多くの大学が英語のできない留学生のための基礎コースを準備しています。ですから、二年の留学期間があれば、ほとんど英語ができなくても、最初の一年目は基礎コースに行き、二年目にLLMに進学するということは十分可能です。私もそうだったのです。

五 費用はどのくらいかかったか?

私たちは夫婦二人で留学し、どちらも二年間大学に通いました(妻は、児童文学の修士コース)。結果的に、二人合わせて、一年間あたり貯金が約一〇〇〇万円も減りました。具体的には、一年間の学費が約四〇〇万円(書籍なども含み一人当たり約二〇〇万円)、家賃が二四〇万円(一ヶ月二〇万円)、食費が約一二〇万円(一ヶ月約一〇万円)、光熱・通信費が約六〇万円(一ヶ月五万円)、交通費が約二〇万円(一ヶ月約一万七千円)、日本で払っている弁護士会費が約六〇万円(一ヶ月約五万円)、国民年金等が約四〇万円、残りの六〇万円(一ヶ月五万円)ほどが娯楽費ということになります(旅行のときは、これをオーバーすることも多いですが)。

私たちの方針は、できるだけ留学を楽しむということでしたので、家は環境のいい郊外の街の一軒屋の二階部分(一ベットルームだが六〇平米ほどある)を借り、外食も時々しましたが、特に贅沢な暮らしをしていたわけではありません。とにかくロンドンの物価は高いのです(世界一と言われており、実感としては福岡の二倍くらいです)。

もし、ロンドンを避けて地方都市の大学に留学し、単身で大学の寮に住み、外食は原則として学食だけという生活をすれば、一人当たり、一年間で三〇〇〜四〇〇万円くらいで済ませられるかも知れません。

六 旅行はたくさん行けたのか?

旅行はこの留学の大きな目的のひとつでしたが、学期中は、予習や宿題に追われて、旅行に行く暇はなかなかありませんでした。しかし、長めの春休み、夏休み、冬休みには、できるだけ旅行に行くようにしました。英国内では、ウィンザーやグリニッジなどロンドンの郊外や、日本人に人気のコッツウォルズや湖水地方、大学町オックスフォードやケンブリッジ、英国の庭園と呼ばれるケント州など。ヨーロッパでは、フランス、スイス、オランダ、スゥエーデン、イタリア、スペイン、ベルギーを夫婦で旅行し、昨年六月に双方の両親が来たときにはヨーロッパをユーレイルパスで三週間の鉄道旅行をし、上記に加えてドイツ、オーストリア、ハンガリーまで足を伸ばしました。この家族旅行では、私たちが案内役を務め、今回の留学で心配をかけている親への罪滅ぼしをすることができました。

七 留学して得られたものは?

前回、大学の授業によって視野が広がったこと、世界各国からの友人を得られたことは書きました。それに加え、今回の留学は、私にとっていろいろなものを「見つめなおす」ことのできた貴重な機会であったと思います。

まず、自分自身を見つめなおすことができました。私は、それまで日本で弁護士として一〇年余り生きてきましたが、世間は、「弁護士」という肩書きを持つ者に一目おき、私もその恩恵を被っていました。しかし、留学中は、私は一人の学生に戻り、しかも英国では民族的少数者でした。そこでは肩書きは関係なく、一人の裸の外国人として他人と交わっていかねばならず、今まで認識していなかった自分の欠点にも気づかされました。次に、日本を見つめなおすことができました。日本にいるときは、英国は紳士の国、大人の国というイメージが先行し、すばらしい国であるかのように思っていましたが、実際住んでみると、そうとは限らず、日本の優れた点をいろいろ発見しました。最後に、法律家の仕事を見つめなおすことができました。日本で日々のルーティンワークをしていると忘れてしまいがちな、法というもの奥深さや面白さが再確認できました。

もう少し早く留学しておけば、もっと英語の覚えもよかっただろうとは思いますが、三六歳での留学でも、使った時間とお金に見合う十分な意義があったと思います。皆さんも、ぜひ留学されることをお勧めします。

長い間読んでいただき、どうもありがとうございました。

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