福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2006年1月号 月報

英国便りNo.13 「動物の権利」と「人間の権利」論争(2004年9月29日記)

月報記事

刑弁委員会の皆様

松井です。

暑かった日本も、天高き爽やかな秋が訪れていることと思います。

ロンドンは肌寒い日が続いています。(九月半ば、まだ夏の太陽が照りつけていたイタリア旅行から帰り着いたとき、あまりの気温の差に冬が来たのではないかと思ったくらいです。)

さて、今回は、イギリスでの動物の権利をめぐる最近の動きについてお伝えしたいと思います。

日本でも報道されたかも知れませんが、九月一五日に、ロンドンの国会議事堂の前で、狐狩り禁止法に反対するデモ隊と警官との大規模な衝突があり、怪我人が出る騒ぎとなりました。

法案は可決され、狐狩りは二〇〇六年七月をもって全面禁止となってしまいます。

英国の狐狩り(Fox Hunting)は、人が馬に乗って、猟犬を操りつつ、狐を追い詰めて捕らえるというもので、中世の貴族から受継がれてきた伝統的なスポーツの一つでした。

しかし、動物愛護団体は、「楽しみのために狐を追い詰めて犬に噛み殺させるのは残酷である」という理由で、長い間反対運動をしていましたが、動物愛護に理解のあるブレア労働党政権になって、一気に法案化されたようです。

確かに、国民の多数は狐狩り禁止に賛成しているのですが、私は、狐狩り擁護派の言い分にも理があると思います。

というのは、狐狩りを禁止しても、農産物に被害を及ぼす狐の数をコントロールする必要はあり、今後も、一定数の狐は銃や罠で狩られるそうです。同じ狩られるなら、狐狩りでもいいではないか、むしろ、無差別に殺される銃よりも、年を取った狐が捕われる狐狩りのほうが自然にかなっている、というのが擁護派の主張です。

それに加え、狐狩りによって収入を得ている地方の人々(一万五千人ともいわれる)の生活の問題もあります。

もっと根本的には、娯楽のために生き物を苦しめることが悪であるとすると、スペインの闘牛はもちろん、私たちが楽しんでいる魚釣りや、ひいては贅沢な肉食のために家畜を殺すことも悪ということになってしまいます(人間はベジタリアンでも健康に生きていける)。

実際、このような極論も冗談ではなくなってきています。

今年の七月に出された動物福祉法の改正案では、動物を虐待する行為への刑の上限が、四〇〇万円の罰金及び一年の懲役に引き上げられるだけではなく、「その苦痛が科学的に証明される限り」保護の対象が昆虫やナメクジやミミズなどの生物にも拡大されています。

「科学的証明」が可能かどうかは別として、釣り針に刺したミミズがもがき苦しんでいるのは痛いからではないでしょうか? こちらの新聞も、庭仕事でナメクジを捕まえてハサミで切ったり塩に入れることも、許されなくなるのか、と当惑しています。

動物愛護の最も行き過ぎた例と言えるのは、動物実験反対過激派と言われる人たちでしょう。

大学や製薬会社では、医療研究や新薬開発のために動物実験を行いますが、動物過激派の人たちは、そこで働くスタッフや、物品納入業者に対して、爆弾入り手紙を送る、車をパンクさせる、注文していないものを送りつける、近所に「He is a killer」などと書いた紙をばら撒くなどの、ヤミ金業者顔負けの嫌がらせを繰り返しています。

昨年は、そういう脅迫事件が二五九件あったそうです。

その結果、ケンブリッジ大学が研究所建設を中止したり、医療研究機関がアメリカに引っ越したりという弊害(過激派に言わせれば成果)が出ています。オックスフォード大学もこの七月から標的となってます。

研究所のほうも、むやみに動物実験をしているわけではなく、できるだけ代替手段を使うようにしているのですが(この三〇年で実験に使われる動物の数は半減)、過激派の活動はおさまらないようです。

もちろん脅迫事件は犯罪として取り締まられるべきですが、ブレア政権は、「動物実験をなくすことを目指す」と公約したことがある手前、動きが鈍いようです。

私の個人的な意見としては、ある生物の数を減らしたり、種を絶やすような人間の行為は、生活に必要であっても制限・禁止されるべきだけれども、その心配がない場合には(例えば、家畜や、増えている野生生物)、人間が生活していくうえで、食用や研究に使用することはもちろん、娯楽目的でも、それに文化的価値が認められる限り、生物を殺すことが許されるように思うのですが、皆さんはどう思われますか?

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