福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2005年11月号 月報

英国便りNo.9 イギリスの個人情報(ID)カード論争(2004年5月2日記)

月報記事

刑弁委員会の皆様

松井です。

日本はゴールデンウィークとなり、皆さんもしばしの休養を楽しんでおられることと思います(おれは仕事だ! という声が聞こえてきそうですが)。

ロンドンでは、四月に入ると次々と花が咲き、五月となるとほとんど夏といった感じです(気温は日本より涼しいのですが、なにしろ日が長く、現在日の出は午前五時三〇分、日の入は午後八時三〇分ころで、九時ころまで明るいのです)。

この季節、ロンドンの二階建バスに乗って、家の庭や公園を眺めていると、その美しさに「ガーデニングの国」イギリスを実感させられます。五月の末には、有名な「チェルシーフラワーショー」もあり、楽しみです。

さて、今回は最近新聞やテレビを賑わせている「IDカード」についてレポートしたいと思います。

イギリスには、これまで、日本と同じように身分証明書の携帯制度はありませんでした。ところが、政府が、この四月末(二〇〇四年)に、身分証明書(IDカード)導入計画を発表し、論議をよんでいます。

政府の計画では、そのカードは、すべての国民からバイオメトリックス情報(生物識別情報) 具体的には、(1)指紋、(2)顔の形、(3)目の虹彩のデータを収集したうえで発行されるもので、そのカード(ICチップが埋め込まれている)を提示させてデータベースを照合すると、どこの誰だか一〇〇%特定できる、だから「テロリストが複数の身分を使い分けて活動するのを防ぐことができる」のだそうです。

導入の手順は、まず、一万人のボランティアに実験的にカードを発行し様子をみる(この四月(二〇〇四年)から)、次に二〇〇七年からはパスポートと運転免許証で、発行の際にバイオメトリックス情報収集を導入する(これで国民の八〇%がカバーされる)、そのうえで、二〇一三年までに全国民(及び在留外国人)へのIDカード携帯を決める、というものです。

この計画に対する反対意見の大半は、その費用対効果への疑問です。このシステム導入には、各公共機関での端末機の設置なども含め六〇〇〇億円かかると見積もられていますが、「ニューヨーク同時テロの犯人の多くが自分自身の真正な身分証を使って活動していた」「スペインはIDカード携帯が義務付けられている国だが、マドリードテロが起こった」ことを理由に、テロ抑止の効果はあまりないのではないか? と主張するものです。

そして、「そんな金があるなら、もっと警察官を増やせ」などと主張されています(これも、いかがなものかと思いますが)。

また、政府が、「財源は、パスポートや運転免許の発行手数料を倍にすることでまかなう」と言っているためますます、その負担に対する反発が出ています。

このように、今回のIDカード導入計画は、テロ抑止目的が前面に出ていますが、実際は行政の効率化のためというのが真の目的ではないかと思います。

すでに、政府は、このカードを、国民医療サービスを受けるときや、学校関係の仕事を申し込む際に提示させるつもりであることを認めています。前者は、本来受給資格のない者がサービスを受けることを防ぐため、後者は、以前私が報告した Soham 殺人事件で、犯人に性犯罪の前歴があったにもかかわらず、学校の用務係に就職していたことに対する反応でしょう。

今後、その用途は、他の分野にも広がっていく可能性は十分にあります。中には、このカードがあれば銀行から融資を受ける際の審査も早くなるだろうと言っている官僚もおり、データが民間にも利用される可能性もあります。

日本で、住基ネットワークが始まって、その情報管理の甘さが各地で露呈していることは見てのとおりですが、イギリスで情報管理がしっかりできるとは到底思えません。ICカードのデータベースに集約された個人のあらゆる情報が、どこかの役所の職員から外部に売られてしまうことは、十分ありうることでしょう。

もちろん、こういう危険性は人権団体などから指摘されてはいますが、いまひとつ大きな声になっていないようです。何しろ、ある世論調査では、八〇%もの人がIDカード導入に賛成しているそうなので、おそらくこのまま導入されてしまうのではないでしょうか。日本も将来、住基カードの携帯が義務付けられる日が来るかもしれません。

イギリスでは、「テロ対策」を旗印に様々な特別法ができて、市民的自由(Civil Liberty)が制限されつつあります。世界的にそういう雰囲気になってきているようで、心配です。(もっとも、テロ対策推進論者は、生命こそが究極の Civil Liberty だ、と言っていますが)。

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