福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

2004年1月号 月報

少年非行と更生支援

月報記事

八尋 八郎

弁護士業務委員会の「弁護士に未来はあるか」シリーズ(第3弾)として、昨年12月4日に話をさせて頂いた要旨は次のとおりです。

私は少年事件が多い年には20件くらいあり、10余年前には全国の年間付添人選任件数の1%を越えたことがあります。少年に付添人選任届を書いてもらうときには誠実に精一杯の活動を誓うので、少年の意に反して「少年院に送ってほしい」という付添人意見を述べることはありません。面会と文通を重ねるなかで少年の自分史のなかに本件非行を位置づけ、非行の原因と対策を少年と一緒に考えてゆきます。

また、少年には鑑別所では行動観察という態度評価が行なわれるのでキチンとしておくように伝え、保護者には社会資源(家庭・学校・職場などの少年の更生を支えるもの)の再構成と開拓にフル回転するよう求めます。これらがうまく噛み合えば少年は社会内処遇を受けることになるのですが、その場合にも少年には再非行の抽象的危険は残ります。それで「野獣を野に放つものだ」という批判を甘受しています。とはいえアッサリと少年院に送るよりはギリギリで社会内処遇にした方が再非行の危険性は低く、予\後が良いように思います。

付添活動が奏功せずに少年院に送られたときには、一日潰して面会に行き「少年院の処遇プログラムどおりにしっかり勉強して元気に戻ってほしい」と伝えます。やがて仮退院した少年が事務所に来ます。背筋をピンと伸ばして私の目を見て「ありがとうございました。これから頑張ります」と言うと少し嬉しくなるのですが、今どき運動部の子だってこんな挨拶はしないのです。暗くて反抗的なままでよいから少年院で運転免許くらい取らせて欲しかったと思うのです。免許があれば就職先が広がり生きてゆく役に立つのです。

虐待と少年非行には高い相関があります。虐待に限らず、貧困・離婚などの負因と少年非行とのあいだにも高い相関があります。だからといって親を処罰したところで何も始まりません。逆に出生率が低下するなか産んでくれてありがとうと言うべきです。国がさまざまな負因を抱えた弱い親を支援できれば子どもの役に立つのですが、財政赤字で窮迫したわが国は、福祉のオール切捨てへと逆走中です。

国の年間税収が42兆円であれば、42兆円で予算編成するのが当然です。それなのに、同額の赤字国債を発行して毎年のように収入の2倍を濫費し、いまや国債未償還残高は660兆円の破産状態です。少年に面会して「何やってんだ」と叱責する前に、総理大臣にそう言いたいところです。子どもの世話にはならないと決意して国民が積み立てた年金をデタラメに喰い潰し、若年者に負担してもらうとは何たる言い草でしょうか。今なら年金の使い残しが140兆円あるそうです。いま自己破産を決断すれば、この140兆円を配当できます。配当率が年金積立総額の何パーセントになるか分かりませんが、せめてもの誠意ってやつです。事務費も出ない低利回りの時世に積立額以上の給付を予定する年金制度が存続できる筈はないのです。それなのに、年金制度改悪を弄するのは、これをあと3年で喰いつぶす目的というしかありません。そのついでにイラク派兵というのでは、まるで子どもの学校給食費で福岡ボートに行くようなものです。こんな有様では「やってられない」という子どもに返す言葉はないのです。子どもの不幸のシンボルである非行を少年と家族だけに背負わせて一丁上がりにするのなら、国はいりません。サッチャーは「社会などない。男と女がいて家族があるだけだ」と言って福祉オール切捨の小さな政府宣言をし、ついでに愛国心を強調したのですが、そんな国よりも私は妻を愛します。

私たちにできる更生の援助とは少年本人の意思・意欲を尊重し、曲がった枝は曲がったままに生かしてゆくことであって、枝を折ったり刈り込んだりして形ばかりを整えることではない筈です。或いは、少年に必要なのは警察の取締や少年院ではなく若者宿(地域の若者たちが夜集まって手仕事をしたり話し合ったりして寝泊りする居場所)かなと思いついたりもするのですが、若者宿を開設しても誰も来ないだろうと考えると、やはり子の心、親知らずということでしょうか。

子どもの未来は人類の未来です。子どもに未来がなければ、弁護士の未来だってありません。少年法を「改正」しても「やっぱり」非行は減らなかったし、これに続く教育基本法や憲法の「改正」スケジュールをみると、早めに自己破産させないと、後日、元に戻す法律が多すぎて大変だと思うのです。

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