福岡県弁護士会コラム(弁護士会Blog)

2008年11月 1日

憲法と私

憲法リレーエッセイ

会 員  吉 村 真 吾(59期)

私は、理系の学部に所属していたため、大学で憲法を学んだことがない。教養部のころ、法律学の授業を受けたような気がするが、これについても全く覚えていない。当時、私の関心は化学や生物学にあった。

そんな私が初めて憲法を学んだのは、司法試験を受験することを思い立った時である。当時、会社勤めをしていた私は、司法試験を受験するため、手はじめに憲法の教科書を購入した。法律のことなど全く分からない私は、司法試験のために何から手を付けてよいかも分からなかったが、「まずは憲法だろう」という安易な考えから、書店の棚にある一番メジャーそうに見えた芦部先生の憲法の教科書を購入した。

そして、会社の寮へ帰り、会社の同僚に司法試験の勉強をしていることが見つからないよう、こっそり、その教科書を読み始めた。

憲法の教科書を初めて読んだ時、私は、憲法とは何とすばらしいものだろうと素直に感動した。難しさを感じるよりもそう感じたことをよく覚えている。

その後は、試験のための勉強が中心になっていったが、会社の寮で密かに感動して読んだ憲法が、私にとっての初めての憲法である。

弁護士としての活動の中で憲法上の権利が問題となる事件は、刑事事件や集団事件に限られ、日常の事件の中で憲法が直接的に問題となることはあまりない。

むしろ、社会問題との関係で人権擁護を使命とする弁護士の職責について考えさせられることが多い。

ここでは、私の実体験を交えて非正規雇用の問題について書いてみたい。

私の世代は、第2次ベビーブームと言われる世代である。大学卒業時には、就職難から就職氷河期と言われたこともある。この世代には正社員としての就職先が得られず、現在も非正規雇用として不安定な雇用環境で生活している者が数多く存在する。

私が司法試験の受験勉強をしていたころを振り返ってみると、アルバイト先には、アルバイトで生計を立てている同年代の者が数多くいた。彼らは、正社員と同じ仕事をしながらアルバイトとして長期間勤務し、或いはアルバイトを転々として生活してきていた。

彼らは、自ら進んで非正規雇用を選択しているのではなかった。話をしてみると、先がどうなるか全く分からない現状に不安を覚え、出来れば正社員になりたいと考えていた。彼らは私と同世代であり、非正規雇用の問題は非常に身近にある問題であった。

非正規雇用の問題の中で特に問題が多いと思われるのは、いわゆる日雇い派遣である。労働者派遣法改正において問題にされているが、日雇い派遣は、憲法が保障する人間の尊厳との関係でも大きな問題を含むと思われる。

私が実際に目にした日雇い派遣の問題を象徴する出来事として、職場での名前の呼ばれ方に関する出来事がある。同じ職場にあって、会社に直接雇用されているアルバイトは、雇用主である会社の社員から名前で「○○君」「○○」などと呼ばれていた。一方、日雇い派遣で働きに来ている者は、名前で呼ばれることさえなかった。呼ばれる時は、「派遣君」または「派遣」である。

日雇い派遣は、その名のとおり、日雇いであり、かつ派遣先と雇用関係もない。そのような関係の中では、名前さえ必要とされていない。彼らは労働力、商品としてのみ扱われているのである。

労働は、人が経済的に自立して生活していくということだけではなく、人が人格的存在として生活していくということにも意味がある。日雇い派遣の問題は、憲法の理念に沿った労働のあり方とはどういうものであるのかを問いかけているように思われる。

私にとって、非正規雇用に関する問題は、同世代の問題ということで非常に身近に感じる問題である。同世代の弁護士として真剣に考えていかなければならない。

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あさかぜだより~事務所開設式が行われました~

月報記事

あさかぜ基金法律事務所運営委員会

事務局長 柴 田 耕太郎(54期)

1 去る平成20年9月26日に、あさかぜ基金法律事務所(以下「あさかぜ事務所」と略します)におきまして、事務所開所式及び披露パーティーが開催されました。当日は、多くの会員にあさかぜ事務所の船出をお祝いして頂き、誠にありがとうございました。

開所式では、日弁連公設事務所・法律相談センター 大沢一實委員長、九州弁護士会連合会 德田靖之理事長、福岡県弁護士会 田邉宜克会長から、それぞれあさかぜ事務所開設の意義についてのお話や初代弁護士である井口夏貴会員へのはなむけの言葉を頂きました。

特に当会の田邉会長からは、あさかぜ事務所の被養成弁護士(=あさかぜ事務所で養成を受け、司法過疎地へ赴任する新任弁護士)に対する技術的支援(=金銭的な支援ではなく、弁護士業務を行う上での技術や事務所経営面の方法といった技術面での支援)を当会が全面的に担っているため、会を挙げて支援しなければならない旨の決意表明がなされました。

その後、先月の月報でも紹介のありました井口夏貴会員から、「しっかり勉強して過疎地へ赴任するんだ」という決意表明がなされるとともに、マスコミ各社からの質疑に応じました。

続いて行われた披露パーティーでは、日本司法支援センター福岡地方事務所 吉野正所長よりご祝辞及び乾杯のご挨拶を頂きました。乾杯用のシャンパンがなかなか皆様に行き届かずにご迷惑をおかけした場面もございましたが、パーティーには井口会員の他、今年12月にあさかぜ事務所に登録予定の細谷修習生と水田修習生も参加し、多くの会員の皆様に叱咤激励を受けておりました。なお、12月には細谷修習生、水田修習生とともに吉澤修習生も登録し、4名体制で執務を行う予定です。

2 あさかぜ事務所は、9月3日に執務を開始し、9月25日には事務所を法人化し、「弁護士法人 あさかぜ基金法律事務所」としてスタートを切りました。

あさかぜ事務所は、いわゆる「都市型公設事務所」の1つですが、「拠点事務所」であって、首都圏や関西圏などに存在する「事件過疎型」の公設事務所ではありません。

「事件過疎型」の公設事務所は、法律扶助事件や国選刑事事件等、費用が低額に留まるため、受任を忌避されがちな事件を積極的に受任することで都市部での普遍的な司法サービスの提供を目指すものです。他方で、「拠点事務所」は、司法過疎地へ赴任する弁護士を養成することに主眼があるため、法律扶助事件や国選事件だけを処理するのではなく、被養成弁護士に幅広い事件を経験させる必要があります。

そのため、「拠点事務所」である「あさかぜ基金法律事務所」が成功するか否かは、いかに多くの会員の皆様が、あさかぜ事務所の弁護士と関わり育てていけるかということにかかっております。被養成弁護士の指導担当弁護士の依頼があった際には積極的に応じて頂きますようよろしくお願いいたします。また、あさかぜ事務所の弁護士は会を挙げて養成していくものですので、指導担当弁護士以外の先生方も、被養成弁護士と共同受任できる事件がございましたら、ご一緒して頂きますようお願い致します。

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少年付添人日誌

月報記事

会 員  松 尾 幸太郎(60期)

1 はじめに

ご紹介させていただくのは、私が当番付添人研修という形で初めて少年事件に携わった件です。初めての付添人活動に取り組む中、心強い指導をしてくださったのは、サポート弁護士の小坂昌司先生でした。

2 少年と非行事実

私が付添人となった少年は、19歳の少年でした。両親は健在で、16歳、13歳の弟と9歳、5歳の妹がいる5人兄弟の長男でした。高校を真面目に卒業し、電気工事や危険物取扱等の資格を取得して、職に就いた経験もあるのですが、一つの仕事が長続きせず、無職の状態が続いていました。非行当時は一人暮らしをしており、仕送りを受けていなかった少年は、生活苦に陥った挙句、2ヶ月間で8件もの窃盗事件を単独で犯していました。少年には目立った非行歴はなく、自転車窃盗で簡易送致された事件が1件あるのみでしたが、その手口は常習者さながらに、留守中の隣人宅に侵入する、以前に働いていた工場のロッカールームに人気のない時間帯を狙って侵入する、自販機の釣銭口をバールでこじ開けるといったものでした。

3 試験観察処分に至るまで

初めて少年と面会したときの第1印象は、見るからに真面目そうで大人しく、19歳という割にはまだまだあどけなさが残っていて、いかなる犯罪とも無縁の存在に思えました。この少年が現に侵入盗や自販機荒らしを繰り返して捕まっているとはにわかに信じがたいものがありました。

一連の非行事実は、生活苦に端を発したものであることは間違いないのですが、まだ未成年なのですから、通常なら両親に経済的援助を求めたり、一人暮らしをやめて実家に戻るという選択肢もあるはずなのですが、なぜか少年は他人から金品を盗むことによりその場をしのぐという選択をとっていました。この不自然な行動の背景に少年の抱える問題が隠されていました。

面会当初、少年は、「自分は誰からも必要とされていないのだから、どうなってもいい。」、「自分は少年院送りになってもかまわない。」、「自分には居場所がないので、社会に復帰しても実家には戻りたくない。」などと自暴自棄的な発言をしていました。

少年の話を聞いてみると、少年の両親は長年に亘って不仲な状況にあり、少年は幼少時からそのような両親の姿を見て育ってきたのであって、少年にとって家庭とは、安心して生活できる場所ではなかったことがわかりました。また、長男である少年は、新たに弟妹が生まれる度に両親から注がれる愛情が薄れていくのを感じ続けてきたようで、幼少時から両親に甘えることを許されず過度の自立を余儀なくされた少年にとって、両親とは心から頼れる存在ではなかったようです。つまり、少年にとって家庭とは、頼れる存在もおらず、むしろ疎外感、孤立感を募らせる場でしかなかったのです。

もっとも、当初は頑なな態度をとっていた少年も、両親が少年に対し実家に戻って生活を立て直して欲しいと望んでいることを知って、自分を必要としてくれる存在がいることを実感し、それまでの疎外感、孤立感も薄れたようで、家族との関係も修復していきたいと話すようになりました。

一連の非行事実の背景には、少年の成育環境により醸成された少年の自暴自棄的とも自虐的ともとれる考え方が潜んでいること、成育環境は少年自身が選べるものではないことなどを意見書の中でアピールしましたが、少年には家族関係を修復することや仕事を継続することなど、まだまだ心配な点が残っていましたので、小坂先生と相談のうえ、試験観察処分が相当であるとの意見書を提出しました。審判において、少年がこれまでの寂しさを吐露するかのようにむせび泣いていたことが印象に残りました。

4 保護観察処分に至るまで

それから5ヶ月の間、少年は、実家に戻り幼い妹達の面倒をみながら、電気工をしている父親の仕事を真面目に手伝っていました。また、父親とともに被害者のもとを訪れ、謝罪と被害弁償を行っていました。その間の少年は、初めて会ったころの自暴自棄的な様子は見られず、家族とともに落ち着いて社会生活を営んでいました。

そこで、もう少年が非行に走るようなことはないと判断し、不処分が相当であるとの意見書を提出しましたが、非行事実の重大性がネックとなり保護観察処分となりました。

5 おわりに

今回の付添人活動を通じて、少年自らがこころの拠り所を見つける手助けをすることは本当に大切なことだと感じました。やがて保護観察期間が過ぎ一連の出来事が過去のものとなっても、少年がこれからの長い人生を歩んでいくなかで一生の支えになってくれると思うからです。これからも、少年のこころに寄り添えるような付添人活動を目指していきたいです。

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「バガージマヌパナス」(池上永一・文春文庫)

月報記事

会 員  佐 藤  至(35期)

月報委員会では、この「私の一冊」をシリーズ化するつもりらしい。そうすると、この原稿はプロ野球で言えば、開幕戦の、それも第一球ということになる。ならば、ここはやっぱり、剛速球でいくか(例えば「おそろし」※1)、いや、内角を鋭くえぐるシュートでいくか(例えば「黒の狩人」※2)、いやいや、ここは緩いカーブでいくか(例えば「雪沼の風景」※3)と散々悩んだが、ここは大きく裏をかいてレッドソックスのウェイクフィールドばりのナックル(※4)で… ということで「バガージマヌパナス」(わが島のはなし)。

この小説は、作者の実質的なデビュー作で、第6回のファンタジーノベル大賞を受賞している。このファンタジーノベル大賞という賞はなかなかユニークな文学賞で、酒見賢一(※5)、森見登美彦(※6)、鈴木光司(※7)らが受賞している。

さて、この物語は、石垣島(と思われる)を舞台とするものである。主人公は中宗根綾乃、19歳の美しい娘である。しかし、態度はあまり芳しいものではない。最初の登場場面からして、「島に絶えず吹く潮の香りをたっぷりと含んだ海風に、彼女は豊かな髪を靡かせている。赤く小さなかたちのよい唇から、奥歯をのぞかせて、ポカンと口を開けていた」と書かれているくらいである。話は、この主人公とオージャーガンマー(「大謝(おおじゃ)家の次女」という意味)という86歳のおばあさんの交遊を中心に進んでいく。このおばあちゃんがまた、魅力的ではあるが、しまりがない。何せ「いつも、子供用の造花を散りばめたピンクのサンダルを履いて」、「左右別々のサンダルで」、「髪はオレンジ色に染め上げて、フワフワした綿菓子のようなヘアースタイル」という登場の仕方である。小説の前半は、南国のこと、ゆっくりと、また、あまり締まりなく進行する。二人のユンタク(お喋り)と散歩が、否応なく本土のグローバリズムに飲み込まれて行かざるを得ない琉球弧の悲しみを混ぜながら続く。そして、小説の会話の一部は、地の言葉で語られていく。ワジワジー(不愉快だ)、チャースガヒャー(どうしよう)、コンマーハイットン、ヤナファーナーヤ、バラリンドー(急所にあたったぞ、このあまぁ、叩き殺すぞ)などなど、非常に軽やかな言葉が続く。それは沖縄方言という失礼な言い方をすべきではなく、琉球言葉とでもいうべきリズミカルな言語である。

そして、物語は中盤から、琉球の宗教世界が絡み、急展開していく。まず、琉球の神様が登場するが、この神様は、本土の神様のように「念仏を唱えさえすれば救われる」というようなヤワな神様ではない。人に嫌なことを押しつけ、言うことを聞かないと、電撃を加えたり、サリンドー(殺す)と脅したり、病気を押しつけるというとんでもない神様なのである。そもそも、登場するときから「神様はこれまでとは違い、鈍感な綾乃に神様の威厳を示そうと後光を背負っていた。肩がこるのでよっぽどの場合でないと背負わないものぐさな神様である。後光の出力は千二百ワットのフルチャージだ」という登場の仕方である。この神様が主人公にユタ(巫女)になるよう命じるあたりから、物語は呪術的世界の中で展開されていく。そして、ここにもう一人、「カニメガ」という魅力的な人物が登場する。カニメガは純粋のユタで、他人の家に乗り込んでは「ウガンブスクー!」(拝み不足)と叫びながら島の人々に祈祷を強要していく。そして、「大謝、大謝といえば、あのオージャーガンマーの家か。得体の知れない婆さんどもが住んでいて、いりびたりの不良娘と三人で悪さのかぎりを尽くしている厄介者のことか」と言って、主人公らと対立しながら狂言回しの役割を果たしていく。小説は、これらの人物や神様との間の交流や喧嘩を、グソー(あの世)、ツカサ(一種のシャーマン)、アンガマー(死者の仮面)、トートーメー(先祖の位牌)などの事象や表現を交えながら、特異な宗教世界の中で進んでいき、そして、一つの出来事を経て、静かに終わっていく。人間がどんな生き方をしようと、琉球弧の時間の流れと自然は、当面、変わることはないと思うよ… というような終わり方である。

この小説は、波瀾万丈の物語とか、アッと驚く大トリックとか、読んで人生観が変わるというようなものではないが、何とも可愛らしく、一寸、叙情的で魅力的な小品である。作者は、この後、「僕のキャノン」、「風車祭(カジマヤー)」等の琉球の物語を書いた後、突然、「シャングリ・ラ」という未来の東京を舞台とした、とんでもないホラ話を書いているが、さらに最近作として「テンペスト」という江戸末期の沖縄を舞台とした大作(上下2巻)を発表している。「バガージマヌパナス」を気に入った方は、全く色合いは違うが、この小説もお気に召すのではないだろうか。併読をお勧めする。

※1 [三島屋変調百物語事始]宮部みゆきの最新作

※2 大沢在昌の最新作

※3 堀江敏幸の谷崎潤一郎賞、川端康成文学賞、木山捷平文学賞受賞作

※4 ボールを押し出すような形で投げる変化球の一種。無回転で、手元でスッと落ちると言われている。ニークロ兄弟とウエイクフィールドがナックルボーラーとして有名。

※5 「後宮小説」、「墨攻」、「陋巷に在り」等。

※6 「夜は短し、歩けよ乙女」、「有頂天家族」等。最新作は「美女と竹林」

※7 「楽園」、「らせん」等。

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