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カテゴリー: 決議

いわゆる谷間世代に対する不平等是正のため、国による一律給付を早期に実現することを求める決議

カテゴリー:決議

【決議の趣旨】
当会は、政府及び国会に対して、いわゆる谷間世代(2011年11月から2017年10月までの6年間に採用され、修習期間中に給費ないし修習給付金の支給を受けることのできなかった司法修習生)の者が、その経済的負担や不平等感によって法曹としての活動等に支障が生ずることのないよう、是正措置として、国による、少なくとも修習給付金相当額の、又はこれを上回る額の一律給付を早期に実現するよう求める。
【決議の理由】
第1 谷間世代の問題が生じた経緯
(1)司法修習と給費制
 司法は、三権の一翼として、法の支配を実現し国民の権利を守るための重要な社会インフラであり、弁護士、裁判官、検察官ら法曹はこの司法の担い手としての公共的使命を負う。
そこで国は、高度な技術と倫理感が備わった法曹を国の責任で養成するために、現行の司法修習制度を、1947年(昭和22年)、日本国憲法施行と同時に発足させ運営してきた。この制度の中で、司法修習生は、修習専念義務(兼職の原則禁止)、守秘義務等の職務上の義務を負いながら、裁判官・検察官・弁護士になる法律家の卵として、将来の進路如何にかかわらず、全ての分野の法曹実務を現場で実習し、法曹三者全ての倫理と技術を習得してきた。そして、修習に専念できるに足る生活保障の一環として、制度発足時から64年間にわたって、司法修習生には給費が支給されてきた(給費制)。
司法修習制度が修習専念義務等を課したうえで国の責任で法曹を養成する制度である以上、修習に専念できる環境整備を行うのは当然であり、その意味で司法修習制度と給費制は一体のものとして、我が国の法曹養成制度の根幹を担ってきたものである。
(2)給費制の廃止と無給・貸与制導入
しかしながら、2004年12月及び2011年11月の裁判所法改正を経て、司法修習生に対する給費の支給はなくなった(給費制の廃止)。ただ、修習専念義務、守秘義務等の職務上の義務は維持され、兼業も原則禁止であるため、司法修習中の生活費を必要とする者に対する制度として、国が生活等資金を貸し付ける制度(貸与制)が導入された。
こうして司法修習中は無給となり、かつ学部や法科大学院時代の奨学金の返済等の負担を負う者も多かったことから、谷間世代のうち貸与制を利用した者は約7割、一人当たりの平均貸与金額は約300万円にのぼった(日本弁護士連合会調査)。貸与金を借りなかった者も決して経済的に余裕があったわけではなく、親族から借り入れをした者、預貯金を切り崩した者なども多数存在した。
(3)修習給付金制度の創設と谷間世代の出現
給費制廃止は、修習専念義務を維持する一方で、司法修習中の生活の糧を奪うものであり、奨学金等に加えての貸与金の負担等により、谷間世代は大きな経済的負担を負うこととなった。
そのため、当会は、2010年以降、日本弁護士連合会(日弁連)、全国の弁護士会、ビギナーズ・ネット(若手法曹、学生らが主体となって給費制の維持ないし復活を目指し活動していた組織)等とともに給費制維持ないし復活のための活動を行い、全国会議員の6割を超える数の議員からの賛同や、日本医師会、日本歯科医師会、JA全中・全農、日本青年会議所など多くの団体や市民から応援をいただくことができた。この間、このような経済的負担の増加なども一因となり法科大学院入学者、司法試験受験者などの法曹志願者が年々減少するという事態となった。
これらの結果、政府は、2016年6月の「経済財政運営と改革の基本方針2016」(いわゆる骨太の方針)の中で、司法修習生に対する経済的支援を含む法曹人材確保の充実・強化を明示し、遂に2017年4月、裁判所法の改正により、第71期以降の司法修習生に対し修習給付金制度が創設された。
修習給付金は、上記の通りの運動の結果、いったん廃止された給費制が事実上復活したという点では画期的であったものの、給付額は、基本給付金が額面で月額13.5万円、移転給付金3.5万円、住居給付金月額3.5万円に留まるという点で、従前の給費額には遠く及ばず、日弁連が毎年、修習生に対して行ってきている修習実態調査アンケートでも修習に専念するには到底不足であるとする声が少なくなく、結局、修習専念資金という貸付制度を利用して借金を作らざるを得ない者が多数である等の窮状が伺える。法曹の卵である司法修習生が真に修習に専念できる環境を実現するためには、その検証によって早急に給付額の改善が図られることが不可欠というべきである。
 しかしながら、さしあたり喫緊かつ重大な問題としては、給費制が廃止された2011年11月から修習給付金制度が創設されるまでの6年間に司法修習を行った司法修習生である谷間世代に対しては、修習給付金制度は適用されず、国から何らの経済的支援もなされないままとなっていることがある。このように、谷間世代の経済的負担が、給付金制度の適用も受けることができず、給費を受けた従前の司法修習生のみならず、第71期以降の司法修習生に比しても重くなるという問題性は、裁判所法改正の国会審議の過程でも指摘されたものの、未だに解決されない重大問題として残存している。
第2 谷間世代救済の必要性
 谷間世代の人数は約1万1000人であり、全法曹人口の4分の1近くを占める。また、すでに司法修習修了から5〜10年のキャリアを積んでおり、まさにこれからの司法を中核となって担っていく世代である。給費制世代の法曹も、谷間世代の法曹も、給付金制度世代の法曹も皆同じく法の支配の実現に寄与する司法権の担い手であることに変わりはない。それにもかかわらず、谷間世代は、修習専念義務等のもとで生活保障なく司法修習を余儀なくされるという不条理を、また、その前後の時代の法曹に比して重い経済的負担を負わされるという不平等を強いられて、何ら是正、救済されていない。司法修習は、国民の権利擁護の担い手たる法曹を国の責任で育成するための制度である。そうであるにも関わらず、国が谷間世代の救済を何ら行わず、このような不条理かつ不平等な事態を放置したままにしていることは、その責任の放棄であり、断じて容認できない。
2019年(令和元年)5月30日に名古屋高等裁判所が言い渡した給費制廃止違憲訴訟判決は、「従前の司法修習制度の下で給費制が実現した役割の重要性及び司法修習生に対する経済的支援の必要性については、決して軽視されてはならないものであって、いわゆる谷間世代の多くが、貸与制の下で経済的に厳しい立場で司法修習を行い、貸与金の返済も余儀なくされているなどの実情にあり、他の世代の司法修習生に比し、不公平感を抱くのは当然のことであると思料する。例えば谷間世代の者に対しても一律に何らかの給付をするなどの事後的救済措置を行うことは、立法政策として十分考慮に値するのではないか」と付言した。修習専念義務を課しながらも、修習期間中の生活費や諸経費を借金である貸与金等でまかなわせるという制度の不合理は、修習給付金制度の創設をもって十分とは言えないながらも一部解消が図られ、今後の検証と改善が期待される。残る喫緊かつ重大な問題である谷間世代の不平等も、立法政策をもって早急に是正されるべきである。
 全法曹の約4分の1を占める谷間世代には、今後も司法の担い手の中核として、社会の不公正や権利侵害に立ち向って法の支配を実現していくことが強く期待されている。谷間世代が抱える経済的負担を是正し、谷間世代の経済的不安感や自分達だけが取り残されたという疎外感を払拭することは、谷間世代の活躍分野の拡大、司法機能の強化につながり、ひいては国民の権利擁護の実現と充実に資するのであるから、国は速やかに谷間世代に対する一律給付を実施すべきであり、その給付額としては、少なくとも給付金相当額であるべきであり、また、その修習給付金の給付額の検証と改善が不可欠である実情に鑑みると、それを上回る額であるべきである。
第3 谷間世代への一律給付実現を求める声が広がっていること
 修習給付金制度創設後、当会及び日弁連は、谷間世代の活躍分野の拡大と司法機能の強化の重要性を、院内集会や当会を始めとする全国各地での市民集会の開催など様々な方法で訴え、谷間世代への一律給付実現を求める活動を継続してきた。
 その結果、2023年2月、国による一律給付を含めた谷間世代問題の解決に向けての国会議員からの応援メッセージ数が全国会議員の過半数を超え、なお増加を続けている。また、日本医師会はじめ諸団体からも賛同のメッセージが寄せられるなど、谷間世代への一律給付実現を求める声が大きく広がっている。
 修習給付金制度創設の原動力となったビギナーズ・ネットも、谷間世代問題解決のため活動を再開し、議員会館前での挨拶運動などを行っている。
第4 結語
 以上の理由により、当会は、政府及び国会に対して、谷間世代の者に対する是正措置として、国による、少なくとも修習給付金相当額の、又はこれを上回る額の一律給付を早期に実現することを求める次第である。

以上

2023年(令和5年)5月26日
福岡県弁護士会

精神保健福祉法の退院請求等手続への国選代理人制度の導入と、日本の精神科医療の脱施設化と地域移行の早期実現を求める決議

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精神保健福祉法の退院請求等手続への国選代理人制度の導入と、日本の精神科医療の脱施設化と地域移行の早期実現を求める決議
【決議の趣旨】
1 精神保健福祉法の退院請求等手続に国選代理人制度を導入することを求める。 
2 日本の精神科医療における脱施設化と地域移行が世界の動向から完全に取り残されている状況を確認し、脱施設化と地域移行を早期に実現する具体的政策の立案・実施を求める。
【決議の理由】
第1 決議の趣旨1について
 1 精神医療審査会制度とこれに対する退院請求及び処遇改善請求手続(以下「退院請求等手続」と言う。)は、1984年に発覚した宇都宮病院事件をはじめとする精神科病院における入院者への虐待等深刻な人権侵害状況に対し、国内外からの厳しい批判を受け、1987年の精神衛生法から精神保健法への改正において導入されたものである。
 2 国際人権B規約9条4項は「逮捕又は抑留によって自由を奪われた者は、裁判所(Court)がその抑留が合法的であるかどうかを遅滞なく決定すること及びその抑留が合法的でない場合にはその釈放を命ずることができるように、裁判所において手続をとる権利を有する。」と定める。わが国政府見解では、Courtとは専門的なトライビューナル(裁決機関)であってもよいとの国際的解釈の下、精神医療審査会は同規約上のCourtであるとされている。
したがって精神医療審査会にはCourtとしての実体を担保する手続保障の必要があるが、退院請求等手続が、精神科病院入院者の人身の自由や処遇に関する基本的人権の制約に対する不服申立手続であることにかんがみれば、退院請求等手続における代理人選任権の保障は最も重要な手続保障というべきである。1991年12月に国連総会において決議された「精神疾患を有する者の保護及びメンタルヘルスケアの改善のための諸原則」の原則18の1においても「患者は不服申立て又は訴えにおける代理を含む事項について、患者を代理する弁護人を選任し、指名する権利を有する。もし患者がこのようなサービスを得られない場合には、患者がそれを支弁する能力がない範囲において、無償で弁護人を利用することができる。」と定められている。先進諸国においては、こうした権利が当然のこととして付与されているだけでなく、その実効性を担保するために、例えば病院に患者の権利擁護情報コーナーが設置され人権団体の職員等が常駐して相談に応じたり、弁護士を紹介して手厚い権利擁護が実践されているところである。
 3 当会は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士自らが、前記国際人権規約及び国連原則の理念を体現すべく、全国にさきがけ、1993年に、精神科病院入院者等からの依頼により病院に赴き無料で法律相談を行い、退院請求等手続の代理人となる「精神保健当番弁護士制度」を発足させ、現在まで活発な活動を展開しているところである(2019年3月時点における登録弁護士数は405名、2018年度における出動件数は375件にのぼる。)。
   当会の活動は、費用支援の点では2002年10月開始の日弁連の法テラス委託援助事業に引き継がれて、全国的な制度に発展した。また九弁連においても2012年度に「精神保健に関する連絡協議会」が発足し、現在では8単位会すべてにおいて精神保健当番弁護士制度が立ち上がり、各単位会において活発な活動が展開されている(2019年3月時点における登録弁護士数は当会を含め653名、2018年度における出動件数は当会を含め633件にのぼる。)。
4 全国的にみると、法テラス委託援助事業の利用件数は2018年度で1098件に留まっているものの(ただし大阪、愛知県、岡山県等では、法テラスの本来事業である民事法律扶助の出張相談制度を利用したり、単位会独自の制度設計を行っており、実際の出動件数はさらに多い。)、本年11月鹿児島市開催を目指して準備が進められてきた第63回日弁連人権擁護大会第1分科会において「精神障害のある人の尊厳の確立をめざして~地域生活の実現と弁護士の役割」がテーマとなるなど、今後急速に精神保健当番弁護士制度の全国展開が期待できる(なお、同大会は2021年10月岡山市開催に変更されている)。
5 さきがけたる当会は、その全国展開への後押しを全力で行うとともに、本来あるべき国選代理人制度の導入を強く求めるものである。 
第2 決議の趣旨2について
1 精神保健当番弁護士活動の限界と我が国の精神科医療の問題
上記のとおり、当会は、精神保健当番弁護士制度の活動を展開し、その実践を通じて、多くの精神障害者の退院や処遇改善を実現し、その人権保障に寄与してきた。
しかし他方において、精神障害があるといっても私たちと普通に意思疎通できる入院者がどうして退院を認められないのだろうか、妄想があっても通常の社会生活は送れるのではないだろうかと感じられるケースも少なくなかった。また、病状のためでなく、地域に退院する受け皿がないためにやむなく入院を継続する、いわゆる社会的入院のケースもあった。こうしたケースを通して私たちは、我が国の精神科医療そのものの問題にも直面した。
こうした問題意識から、当会では過去に以下のような、精神保健当番弁護士活動に限らず精神科医療の問題を広くテーマに取り上げて公開シンポジウムを開催してきた。
2001年1月 医療保護入院の要件を考える
2003年3月 心神喪失者等観察法案と精神障害者の人権
2007年3月 精神障害者の社会復帰の現状と展望
2009年2月 精神障害者の社会復帰の課題と展望
2010年10月 精神科医療を動かすもの・・社会的入院の解消に何が必要か
2015年2月 改正法における早期退院と弁護士の役割
2018年2月 オープンダイアローグが日本の精神科医療にもたらすもの
こうして、精神保健当番弁護士制度は、たとえこれを国選代理人制度に高めたとしても、あくまでも個別の入院者の人権保障制度にとどまり、我が国の精神科医療における人権保障上の諸問題の根本的な解決にはならないという限界も意識せざるを得なかった。精神科医療の人権上の諸問題の解決には、国が必要な政策を立案し、これを実行していくことが必要不可欠である。精神疾患は、近年、その増加が顕著であり、2007年の総患者数は419万人に及び、生活習慣病と同じく、誰もがかかりうる疾患である。精神科医療の人権上の諸問題は、精神障害者への偏見と差別も加わって国民の精神科医療への受診を躊躇させる要因ともなっており、国民の健康増進の観点からも早急な問題の改善・解消が必要である。
2 我が国の精神科医療の問題点
  そこで、我が国の精神科医療の現状を、様々なデータによって先進諸国と比較し、その問題点を明らかにする。
まず、精神病床数が突出して多く、世界の精神病床の約4分の1が日本にあると言われ、2016年の人口10万人当たりの精神病床は263床であり、OECD加盟国の平均である69床の4倍以上である。また精神病床の平均在院日数も突出して長く、2017年の267.7日という数字はOECD加盟国の平均36.7日の約7倍である。加えて、日本では在院患者数に占める強制入院の割合が2018年で約46.8%と、EU諸国の10%台に比べ著しく高い。任意入院であるにもかかわらず閉鎖処遇が多用されている。さらに、精神病床院での隔離、身体拘束が多用され、かつ長期にわたっており、しかもその件数が増加している点が報道等により社会問題化している。
日本の精神科医療の最も大きな問題は、精神障害者に対する隔離政策ともいえる病院収容主義・入院医療中心の精神科医療からの脱却と地域生活中心への移行(以下、「脱施設化と地域移行」と言う。)が遅々として進んでいないことにある。
3 先進諸国の精神保健の歴史と動向(特にリカバリーモデル)
  欧米の先進諸国においても、かつては精神障害者を病院に隔離する入院医療中心の精神科医療の時代があった。しかし、劣悪な施設環境の中で個人の尊厳が無視された知的障害者や精神障害者の悲惨な状況に対する批判や反省が高まった。
こうして1960年代ころから、向精神薬の発達とも相俟って、精神疾患だけを理由とする入院隔離に対し、精神障害者の自由権をできるだけ保障する立場から脱施設化と精神科医療改革が推進されていった。その結果、一部の国では、地域の受け皿や支援体制が十分整備されていなかったため、入退院の回転ドア現象を生むとともに、医療保護の必要な多くの精神障害者がその機会を奪われ、ホームレス化したり、刑務所に収容される弊害を生じたこともあった。
しかし、1980年代以降、医師、看護師、作業療法士、精神保健福祉らの多職種チームが重症の精神障害者の地域生活を包括的に支援するプログラム(ACT:包括的地域生活支援サービス)や、入院・隔離し投薬によって症状を抑え込むという方法ではなく、精神障害者との対話ないし対話の場を徹底して継続していき、薬も最小限にとどめる治療技法(オープンダイアローグ:開かれた対話)等が開発・研究され、実践され、欧米における精神科医療福祉の標準となっていった。これにより、上記弊害を克服しつつ、脱施設化と地域移行がさらに進み、コミュニティ中心の精神保健サービスが発展していった。
特に指摘すべきは、こうした先進諸国においては、精神科医療のあり方についても、薬物医療・入院治療・診断名中心で精神症状の寛解・治癒を主目的とする医療(医学モデル・リハビリテーションモデル)から、当事者が障害を抱えながら生活する地域において本人の価値実現を支援することに重点を置くリカバリーの考え方(リカバリーモデル)へのパラダイム・シフトが進展していったことである。そこでは、治療の場は病院ではなく地域であり、地域における本人(及びその家族)のニーズを中心にして多職種のスタッフがその実現に向けて支援することが重視されている。医師の病気に対する専門的治療の優先順位は必ずしも高くない。
2010年代以降、このようなリカバリー運動が精神障害者支援の世界的潮流となっている。私たちは、このような精神障害者支援の在り方こそが、障害者権利条約の理念にも適った精神科医療のあるべき姿であると確信する。
4 世界に逆行した我が国の精神保健政策
  ところが、我が国においては、世界で精神病床の削減が重要な政策課題として取り組まれ始めた1960年代から、これに逆行する政策が進められた。即ち、戦後間もない時期の民間精神科病院に対する国庫補助制度、及び患者当たりの医師や看護師の人員配置を少なくてよいとする精神科特例の結果、民間精神科病院の設立が促進され、過度の入院中心主義がもたらされた。人口1万人当たりの精神病床数は実に1994年まで増加し、そのピークは28床に達し、その後も病床数は高止まりの状態にあった。
2004年、ようやく厚労省が「精神保健医療福祉の改革ビジョン」(以下「改革ビジョン」と言う。)を公表し、国として初めて「入院医療中心から地域生活中心へ」という政策の転換を提言した。そして、そのために国民意識の変革や立ち遅れた精神保健医療福祉体系の再編と基盤強化を10年で進めるとした。特に「受入条件が整えば退院可能な者(約7万人)」については、精神病床の機能分化・地域生活支援体制の強化などにより、10年後の解消を図ることを目標として掲げた。
しかし、改革ビジョンの公表から10年間に、精神病床は、2004年の35万4937床から2014年の33万0694床に減少したにとどまる。また、「受入条件が整えば退院可能な者」は、なお5.3万人いるとされ、達成率は約24%にとどまった。改革ビジョンが掲げた目標は失敗したと言わざるを得ない。
そして、2017年のデータにおいても、精神病床は33万1700床あり、「受入条件が整えば退院可能な者」は5.0万人と報告されている。
5 2004年の「改革ビジョン」後の政策の迷走
  その後、我が国は、精神保健福祉法の2013年改正に基づき、翌14年に厚労大臣による「良質かつ適切な精神障害者に対する医療の提供を確保するための指針」(以下「大臣指針」と言う。)を定めた。そこでは、社会的入院や長期入院者のための退院支援や地域生活における医療、生活面の支援体制の整備など、法改正に先立って設置された障がい者制度改革推進会議でも提言された精神保健福祉改革の改善メニューが網羅されている。
しかし、大臣指針には、絶対的に不足している社会内居住環境の整備など、改善メニューを実現するための具体的な作業工程やその裏付けとなる予算措置を伴っていないという致命的な問題があった。また、病床削減については、「機能分化は段階的に行い、・・・人材及び財源を効率的に分配するとともに、・・・地域移行を更に進める。その結果として、精神病床は減少する。」と記載するのみで、具体的な削減計画を立案することなく、地域移行の進展による結果任せとするに等しい内容であった。
のみならず、大臣指針に先行して2012年の機能分化に関する検討会の報告書以降、「重度かつ慢性」という概念を導入し、長期入院がやむを得ない患者がいることを容認するようになった。先進諸国がACTやオープンダイアローグ等の開発・研究と実践によって脱施設化を図り病床削減を実現してきたことと比べると、一部の長期入院を温存する聖域作りと批判されて然るべきである。
このように、大臣指針やその前後の施策は、改革ビジョンが10年で解消するとした目標を実現できなかった原因を検証することなく、病床削減について地域移行の進展による自然減少という結果任せにするものであり、改革ビジョンにおいて示された精神病床の削減と地域移行に向けた積極的な姿勢が後退したと評しても過言ではなかった。
6 近年の精神保健福祉行政の問題点
  その後、我が国は、2018年からスタートした第7次医療計画と第5期障害福祉計画において、「精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築」という掛け声の下に、全国の自治体を巻き込んだ取り組みを進めようとしている。そこでは、入院需要を3か月未満の入院を要する急性期、1年未満の入院を要する回復期、1年以上の入院を要する慢性期(長期)に分けた上で、それぞれの入院需要を予想し、これを計画目標に設定している。
しかし、以下述べるとおり、この計画は、精神病床の削減と地域移行の観点から重大な問題を内包している。
まず第一に、目標とする入院需要が、計画最終年度である2025年度末に20.5~22.4万床と予測されている。その人口当たり病床数はなおOECD諸国の平均の優に2倍以上の水準であり、政策目標として低すぎる。その要因の一つは、長期入院者の需要予測において、「重度かつ慢性」とされる入院者については、統合失調症の新治療薬の普及や認知症施策の推進で若干の入院需要の減少を目指すだけで、基本的に退院促進の対象から外されていることにある。「重度かつ慢性」の概念が、一部の長期入院を温存する聖域作りと批判されるべき点については上記のとおりである。また、認知症を重度かつ慢性とされる入院者に含め、その長期入院者が多数在院する認知症治療病棟という名称の精神病床を温存している点も、いわゆる治療反応性がない認知症という疾患を強制入院の対象としてよいのかという根本的な問題が看過されている。超高齢化社会を迎え、すべての人の身近な問題となった認知症を精神病床で処遇する国は日本以外に例を聞かない。
また、急性期と回復期の入院需要について、現状を是認し、逆に若干の増加が予測されていることがもう一つの要因である。これは、日本の年間の新規強制入院件数が欧米諸国に比べて異常に多いという問題を看過するものである。OECD諸国の平均入院期間が10日から1か月程度であること等に照らせば、そもそも入院3か月や1年という長い入院期間を基準としていることも問題である。急性期だからという理由でとりあえず入院させ、一度入院させると2、3か月は入院を継続する現状の運用を是正するためには、入院治療をできる限り回避すべく先進諸国が取り組んできた成果に倣った政策を立案・遂行する必要があるのに、計画にはそのような観点が完全に欠落している。
第二に、目標達成に必要な地域移行を促す基盤整備としての「精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築」の取組み自体にも、大きな問題がある。地域移行の責任は自治体と支援事業者にあるとされている。しかし、国の提言である改革ビジョンによっても病床削減がほとんど進まなかったのに、自治体と支援事業者の努力で実現を期待するのは困難である。過剰な精神病床を擁する精神科病院からの個々の入院者の退院は、本来、行政が、リカバリーモデルへのパラダイム・シフトに基づいて、入院医療に配分されてきた予算と人的資源を地域医療福祉に移行させる総合的な政策を計画・立案し、その一環として策定した病床削減計画に基づいて実施されるべきである。そのような計画を策定せず、また、計画に対する病院の協力義務がなければ、民間病院は病院経営のために、病床稼働率を念頭に置いて入退院をコントロールする範囲でしか退院支援に協力しないであろう。また、一定数の入院者を退院させたとしても、病院は、空いた病床に別の新規患者を入院させるであろうから、病床削減に結びつかないのである。
7 結語
  以上のとおり、我が国の精神科医療は、脱施設化と地域移行の世界的動向から完全に取り残されている。それにもかかわらず、我が国の近年の精神保健福祉行政は、改革ビジョン以降、その精神が後退したと思われるほどに迷走し、脱施設化と地域移行を実現するにはあまりに実効性の乏しい内容にとどまっている。
上記の第63回日弁連人権擁護大会第1分科会においては、「精神障害のある人の尊厳の確立をめざして~地域生活の実現と弁護士の役割」というテーマの下、精神障害者の人権保障上の諸問題について、より広汎かつ根本的に論じ、その改善・解消に向けた方策を提言するべく、来年岡山市開催を目指し引き続き準備を進めている。
そこで、当会としても、我が国の精神科医療における最大の問題点として、脱施設化と地域移行が世界の動向から完全に取り残されている状況を確認するとともに、脱施設化と地域移行を早急に実現する具体的政策の立案・実施を求めるものである。

2020年(令和2年)9月18日
福岡県弁護士会

刑事身体拘束手続に関する法改正と運用改善を求める決議

カテゴリー:決議

決議の趣旨
当会は,「人質司法」という言葉に代表される日本の刑事身体拘束を巡る問題を抜本的に改革するために,以下のような法改正と裁判官の運用改善を求める。
1 求める法改正
(1)勾留質問時の弁護人立会権を保障する形で刑事訴訟法を改正すること。
(2)勾留の判断において比例原則が適用されることを明記する形で刑事訴訟法を改正すること。
2 求める裁判官の運用改善
(1)勾留質問において勾留理由に関する具体的な質問をするなどして実質的な勾留質問を行う運用とすること。
(2)勾留質問への弁護人の立会いを認める運用とすること。
(3)勾留理由開示手続において具体的・実質的な勾留理由を説明・回答する運用とすること。
(4)勾留の判断にあたって身体不拘束の原則や比例原則を踏まえて勾留理由を厳格に判断する運用とすること。

2020年(令和2年)9月18日
福岡県弁護士会
決議の理由
1 日本における刑事身体拘束手続の問題
(1)憲法34条は「何人も,正当な理由がなければ,拘禁されず,要求があれば,その理由は,直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。」と規定している。
これを受けて刑事訴訟法では,逮捕や勾留について裁判所による令状審査を要求した上で,勾留理由開示制度や勾留に対する不服申立制度(準抗告)を採用している。
また,日本も批准する国際人権(自由権)規約9条3項は,逮捕・抑留された者は,司法機関の面前に速やかに引致され,引致後「妥当な期間内に裁判を受ける権利又は釈放される」権利を有することを保障し,「裁判に付される者を抑留することが原則であってはなら」ないと定め,身体不拘束の原則を明らかにしている。
(2)ところが,このような憲法や刑事訴訟法,そして国際人権(自由権)規約の定めがあるにも関わらず,実際には刑事訴訟法が歪曲された形で運用され,憲法が「正当な理由」を求め,刑事訴訟法が「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」を求める被疑者の勾留の要件について,単に「証拠隠滅のおそれ(=可能性)」として解釈し,安易に勾留が認められてきた。
そして,いったん勾留されれば,起訴前保釈制度がない中で最長23日間の長期にわたって身体拘束を余儀なくされ,起訴後も保釈が認められなければ判決まで身体拘束が続くことになる。
特に,被疑者が否認するなど事実関係を争ったり,あるいは黙秘権を行使したりしている場合には,安易に「罪証隠滅のおそれ」を認めて勾留し,判決まで,あるいは証人の証拠調べ等が終わるまでは保釈も認められないことから,被疑者自身の身体の自由を人質として自白を強要する「人質司法」と呼ばれてきた。
しかも,このような傾向は刑事訴訟法制定から時間を経るにしたがってより進み,1977年(昭和52年)には68.1%だった地方裁判所における起訴時身体拘束率が,1987年(昭和62年)には72.7%,1997年(平成9年)には79.2%,2005年(平成17年)には82.3%にまで増加している。また,1977年(昭和52年)には37.7%だった判決時身体拘束率に至っては,1987年(昭和62年)には54.3%,1997年(平成9年)には66.1%,2005年(平成17年)には71.3%と2倍近くまで増加している。
このような勾留に関する運用が,上記のような憲法上の保障や,国際人権(自由権)規約の定める身体不拘束の原則に大きく反していることは明らかである。
(3)また,勾留理由の開示についても,刑事訴訟法が定める勾留理由開示の手続をとっても,捜査上の秘密を理由に実質的な勾留理由が説明されることはなく,形骸化してしまっており,憲法上の保障がないがしろにされているとしかいいようのない状態となっている。
本来であれば,本人及び弁護人の出席する公開の法廷で勾留の理由が具体的に明らかにされることによって,「正当な理由」なく勾留されていないかどうかがチェックされ,違法・不当な勾留を防ぐことができるのであり,これが形骸化されていることによって,上述したような身体不拘束の原則に反した「人質司法」と呼ばれる状況を生み出しているともいえる。
2 当会や日弁連の取り組み
(1)かかる日本の刑事身体拘束手続の問題に関しては,以前から当会も日本弁護士連合会も問題を指摘するともに,様々な宣言や決議をしたり,意見書をまとめたりしてきた。
(2)約20年前の1999年(平成11年)10月には,日本弁護士連合会は刑事訴訟法施行50年にあたり「新しい世紀の刑事手続を求める宣言-刑事訴訟法施行50年をふまえて-」と題する宣言をした。
この宣言では,わが国の刑事手続を真の憲法の理念にかない,国際人権法の水準に見合ったものに改革していくため,①国費による被疑者弁護制度の実現,②代用監獄の早期廃止,③捜査の可視化,④人質司法の打破,⑤証拠の事前全面開示,⑥公判審理の活性化,⑦法曹一元や陪・参審制度の導入など,刑事訴訟法の全面的な改正をも視野に入れた広範な改革に取り組むことを宣言した。
このうち,①や⑤,⑥,⑦に関しては,その後の刑事司法改革の中で勾留段階における被疑者国選弁護制度の導入や拡大,裁判員裁判制度及び公判前整理手続による証拠開示制度の法制化や公判中心主義の強調といった形で刑事訴訟法が改正され,一定の成果を上げてきたということはできる。
また,③に関しても,司法制度改革の中では導入されなかったものの,その後も日本弁護士連合会や当会において取り組みを続け,2016年(平成28年)の刑事訴訟法改正によって一部事件について取調べの録画録音が義務付けられるに至った。
しかし,刑事身体拘束に関する②代用監獄の早期廃止及び④人質司法の打破に関しては,特に刑事訴訟法の改正はなされてきていない。
(3)このように刑事身体拘束手続の改革が進まない状況の中,2007年(平成19年)9月に日本弁護士連合会は「勾留・保釈制度改革に関する意見書」をまとめ,逮捕や勾留,保釈に関する制度改革の提言をまとめた。
その中で,勾留に関しては,①比例原則の明記,②刑事訴訟法60条1項2号(勾留要件のうち証拠隠滅に関する規定)の改正,③勾留質問に対しての弁護人の立会権の保障,④刑事訴訟法420条3項,429条2項(準抗告理由を制限する規定)の削除,⑤勾留・保釈に関する当事者の手続保障の整備を提言した。
この意見書は,裁判員裁判制度を前にした裁判官協議会での意見や大阪地方裁判所令状部部長の論文等で保釈運用の見直しに言及される中でまとめられたものであったが,起訴後勾留率も判決時身体拘束率も2005年(平成17年)をピークに徐々に減少に転じ,2018年(平成30年)には起訴時身体拘束率は74.2%に,判決時身体拘束率は51.4%にまで下がってきている。
この点,判決時身体拘束率は20%も減少しているが,これについては2013年(平成25年)から全国弁護士協同組合が始めた保釈保証書発行事業も寄与しているものと考えられる。
但し,2013年(平成25年)の時点ですでに判決時身体拘束率が63.0%にまで下がっているし,保釈と無関係な起訴時身体拘束率も下がっていることからすれば,保釈保証書発行事業のみで各身体拘束率の減少を説明することはできず,刑事身体拘束に関する裁判官の意識の変化が表れているといえる。
しかし,この間に勾留や保釈等の身体拘束に関する刑事訴訟法の改正はなく,いつまた逆戻りしてもおかしくはない。
(4)そして,当会においても,2008年(平成20年)5月に,約1年後に裁判員裁判が開始され,被疑者国選制度が大幅拡大されるという大きな変わり目を控え,「より良い刑事裁判の実現を目指して」と題して,①刑事裁判の基本的なルールの普及に努めること,②「人質司法」を解消するため勾留および保釈について運用や制度の改革を求めていくこと,③取調べの全面的な可視化(取調べの全過程の録画)を求める運動を実行すること,④裁判員裁判の課題を検討し,その適切な制度運用を求める活動に努めること,⑤制度改革に対応する弁護態勢を確立することの5つの決意を宣言していた。
その後,当会では法教育の普及の中で刑事裁判の基本的なルールの普及に努めたり,裁判員裁判検証運営協議会やその他の協議会を通じて裁判員裁判の適切な制度運用を求め続けたり,弁護態勢確立のために様々な研修を繰り返し実施したりしてきたし,取調べの可視化に関してはシンポジウムを実施するなどして一部事件についての取調べの録画録音の義務化される刑事訴訟法改正に繋がった。
一方で,②刑事身体拘束に関しては,全国弁護士協同組合による保釈保証書発行事業の立ち上げによる保釈運用の一定の改善や,様々な研修の実施とそれによる日々の弁護活動の実践によって個々の事件での実績は上げてきてはいるものの,運用や制度の改革にまでは至れていない。
3 最近の動きや変化
以上述べてきたとおり,刑事身体拘束の問題に関しては,古くから日本の刑事司法の重要な問題の一つと捉えられ,様々な運動や取り組みはなされてきたものの,刑事訴訟法の改正や運用の大幅変更という抜本的な解決には至らず,ずっと積み残されてきた問題であるといえる。
そのような問題意識の中で,埼玉弁護士会が全国に先駆けて2010年(平成22年)から「被疑者の不必要な身体拘束に対する全件不服申立運動」を実施し,これが全国に広がっていった。この運動は,単に全件について勾留に対する不服申立をするのではなく,弁護人の目から見て勾留の必要がないのではないか,勾留要件を満たさないのではないかと考える事件については,全件不服申立を行っていくという運動であり,不服申立が認められる件数が増えていくことにより,勾留請求段階での裁判官による勾留却下自体が増えるという効果を生んだ。
九州弁護士会連合会においても各地でこの運動を開始し,当会では2017年(平成29年)に北九州部会で先行して運動を始め,全県的にも当会の刑事弁護等委員会が呼びかける形で2018年(平成30年),2019年(令和元年),そして本年と運動を展開し,勾留請求や勾留決定そのものを阻止したり,不服申立によって勾留決定が取り消されたりするなど,個々の弁護実践の中でも一定の成果を上げてきた。
このような各弁護士会の取り組みの影響もあってか,2009年(平成21年)までは1%を切っていた勾留請求却下率が急激に増加し,2014年(平成26年)には2%を超え,2018年(平成30年)には5.89%と10年足らずで約6倍にまで勾留請求却下率が増えており,勾留についての裁判官の意識や姿勢にも変化が見られる。
4 法制度や運用の改革の必要
(1)以上のような最近の勾留に関する動きや変化は歓迎すべきものであるが,これらの動きや変化は弁護士会の取り組みや裁判官の意識や姿勢の変化に伴うものに過ぎず,具体的な法制度や運用の変更に伴うものではない。
また,起訴時身体拘束率や判決時身体拘束率が徐々に改善してきているとはいっても,元東京大学総長の故平野龍一博士が「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」と結んだ論文が発表された1985年(昭和60年)当時と同程度の率に戻ったというだけで,問題の本質が改善されたとは言い難い状況にある。
とはいえ,ずっと悪化し続けてきた刑事身体拘束を巡る問題について改善の兆しが見られていることはたしかであり,今こそ「人質司法」という言葉に代表される日本の刑事身体拘束を巡る問題を抜本的に改革する時機に来ているというべきである。
そのような中で,当会は,2019年(令和元年)7月に刑事身体拘束に関する韓国視察を実施し,その視察結果も踏まえて同年9月には第62回日弁連人権擁護大会プレシンポジウム「人質司法からの脱却~その勾留,本当に必要ですか?」を開催し,改めて日本における人質司法の問題を見直すとともに,かかる状況を変えるために何が必要であるのかを市民とともに議論した。
そのような議論も踏まえ,当会としては,以下のような法制度の改正や運用の改善が早急に必要であると考える。
(2)必要な法制度の改正
ア 勾留質問時の弁護人立会権の保障
刑事訴訟法61条は,勾留の判断にあたって勾留質問することを裁判官に義務付けている。
そして,勾留判断の前提としてなされる以上,勾留質問においては,単に犯罪事実に関する意見,陳述を聞くだけではなく勾留理由(勾留要件)に関する意見,陳述も聞くことが当然の前提となっている(最高裁判所判例解説刑事篇昭和41年度193頁(最高裁判所昭和41年10月19日第三小法廷決定),注解刑事訴訟法上巻[全訂新版]214頁以下)。
したがって,本来勾留質問においては,勾留理由に関する陳述を聞くために,逃亡を疑うに足りる相当な理由の判断要素(家族,仕事,住居関係や任意聴取の求めが事前にあったか否か)や罪証隠滅を疑うに足りる相当な理由の判断要素(被害者,目撃者,共犯者との関係性や逮捕までの接触の有無)などについての具体的質問が必要なはずである。
ところが,現在の勾留質問では,もっぱら被疑事実そのものに関する弁解について質問されているだけで,逃亡や罪証隠滅のおそれに関する具体的な質問はほとんどなされておらず,勾留の判断のための手続として刑事訴訟法が予定している勾留質問手続が単なる形式的な手続となり,形骸化してしまっている。
かかる勾留質問手続の形骸化は,憲法において保障されている勾留理由開示手続が形骸化していることとも繋がっている。結局のところ,勾留要件に関して抽象的な理由でしか判断せず,具体的な事情に踏み込んで判断しようとしていないため,勾留質問において具体的な事情を質問せず,勾留理由開示手続において具体的な勾留理由が開示されないのである。
一方で,憲法34条が被疑者の勾留に関して,「要求があれば,その理由は,直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。」としていることからすれば,非公開の場とはいえ,勾留質問の段階で勾留の理由を説明することは憲法34条の趣旨に適う制度・運用であると言えるし,これに対する被疑者や弁護人側の意見をその場で聴取することができれば,より慎重に勾留の判断をすることができ,無用な被疑者の身体拘束を避けることができる。
この点,当番弁護士制度や被疑者国選弁護制度が普及するまでは,被疑者段階で弁護人が選任されること自体が少なく,まして勾留質問段階で弁護人が選任されていることは期待できない面があったが,被疑者国選弁護の対象が勾留された全事件に拡大され,当番弁護士を含めて逮捕段階から弁護人が関与するケースが大幅に増加した現在,勾留質問に弁護人が立ち会えるケースは大幅に増えている。
このような弁護人を巡る状況の変化に加え,勾留質問手続の形骸化を防ぎ,憲法34条の趣旨に沿って無用な被疑者の身体拘束を避けるためにも,勾留質問時の弁護人の立会権を保障するよう刑事訴訟法を改正すべきである。
イ 勾留に関する比例原則の明記
また,上述したように憲法上の保障や身体不拘束の原則に大きく反する形で異常に身体拘束率が高くなっている現状を改めるには,上記のような勾留質問等における手続面での法制度の改正に留まらず,勾留要件や勾留基準そのものについての法制度の改正が必要である。
そして,上述したとおり,本来刑事訴訟法は厳格な勾留要件を定めていたにも関わらず,これが解釈や運用の中で安易に勾留が認められてきたことからすれば,勾留要件そのものを見直すよりも勾留基準を明確にすることが実効的であると考えられる。
この点,1990年(平成2年)の「第8回犯罪防止及び犯罪者処遇に関する国際連合会議」での「未決拘禁に関する決議」では,「未決拘禁は,自由の剥奪が,容疑犯罪及び予想される刑罰に比して不均衡となる場合には,命じられないものとする。」として,未決拘禁において比例原則が適用されることを明らかにしている。
比例原則自体は,日本の行政法や刑事訴訟法でも認められている基準であり,憲法において勾留に「正当な理由」が要求されていることからしても,日本における勾留の判断においても比例原則が適用されるはずである。
しかし,比例原則の観点からすれば原則として勾留が許されないはずである罰金刑や執行猶予刑が見込まれるような被疑者や被告人について勾留が認められるケースが多いのが実情であり,現在の裁判実務では勾留判断において比例原則を極めて軽視した判断がなされていると言わざるを得ない。
そこで,勾留の判断において比例原則が適用されることを明記する形で刑事訴訟法を改正すべきである。
(3)必要な運用の改善
刑事身体拘束に関して抜本的に改革するには,上記2点についての法制度の改革が必要であると考えるが,法制度の改革を待たずとも,現行の法制度においても以下のような運用改善は可能であり,速やかに運用を変更すべきである。
ア 勾留質問の実質化
上述したとおり,本来勾留質問においては,勾留理由に関する陳述を聞くために,逃亡を疑うに足りる相当な理由の判断要素(家族,仕事,住居関係や任意聴取の求めが事前にあったか否か)や罪証隠滅を疑うに足りる相当な理由の判断要素(被害者,目撃者,共犯者との関係性や逮捕までの接触の有無)などについての具体的質問が必要なはずである。
ところが,現在の勾留質問では,もっぱら被疑事実そのものに関する弁解について質問されているだけで,逃亡や罪証隠滅のおそれに関する質問はほとんどなされておらず,勾留質問の手続が形骸化している。
勾留理由に関する具体的な質問なしに,勾留理由について適切な判断をすることができるはずがないのであり,本来の憲法及び刑事訴訟法の趣旨に則って,勾留質問において勾留理由に関する具体的質問をするなどして実質的な勾留質問をするよう裁判官における運用が改善されるべきである。
イ 勾留質問への弁護人立会いの許可
勾留質問への弁護人立会権の保障については,上述したとおり刑訴法の改正によってなされるべきであるが,現行の刑訴法においても弁護人の勾留質問への立会いを禁止する規定はなく,裁判官において弁護人の勾留質問への立会いを認めても何ら法に反するものではない。
実際に,過去には勾留質問への弁護人の立ち会いを認めた例もある。
一方で,弁護人は,勾留質問の時点ですでに被疑者のみならず家族や関係者から一定の事情を聞いており,勾留要件に関する事情も把握しており,勾留質問への弁護人の立会いが認められれば,裁判官による勾留質問に付随して勾留要件に関する事情を補足したり,勾留理由開示や準抗告を待たずに勾留理由に関する弁護人の意見を述べたりすることができ,裁判官はそれらの補足事情や弁護人意見も踏まえて,より適正に勾留の判断を行うことが可能となる。
したがって,法制度の改革を待たずに,勾留質問への弁護人立会いを許可するよう裁判官における運用が改善されるべきである。
ウ 勾留理由開示の実質化
上述したとおり,勾留理由の開示についても,刑訴法が定める勾留理由開示の手続をとっても,捜査上の秘密を理由に実質的な勾留理由が説明されることはなく,形骸化してしまっており,憲法上の保障がないがしろにされているとしかいいようのない状態となっている。
かかる運用が刑訴法に則ったものとは言い難いし,勾留質問が実質化されれば勾留要件に関する具体的事情が明らかとなった上で勾留理由を具体的・実質的に判断することになるはずであり,そうすれば勾留理由開示手続においても具体的・実質的な勾留理由を開示することも可能なはずである。
したがって,勾留質問の実質化とあわせて,勾留理由開示についても具体的な勾留理由を説明・回答することにより勾留理由開示手続を実質化するよう裁判官における運用が改善されるべきである。
エ 身体不拘束の原則・比例原則を踏まえた勾留に関する厳格な判断
上述したように,現在の刑事身体拘束を巡る状況としては,身体不拘束の原則,比例原則に反する形で身体拘束率が高くなってしまっているが,現行の刑事訴訟法においても身体不拘束の原則や比例原則を適用して勾留の判断をすることは可能であるし,むしろそれが求められている。
また,本来刑事訴訟法が勾留要件として要求している,「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」について,これを単に「証拠隠滅のおそれ(=可能性)」と緩めて解釈するのではなく,これを厳格に判断することで,身体不拘束の原則や比例原則に適う形での勾留判断は可能なはずである。
したがって,比例原則等が刑訴法に明記されることを待たずして,身体不拘束の原則や比例原則を踏まえて,勾留理由について厳格に判断するよう裁判官における運用が改善されるべきである。
5 結語
そこで,当会としては,上述したような法制度の改正を政府及び国会に求めるとともに,法制度の改正を待たずに上述したような運用改善を裁判所に求める。
また,当会としては,シンポジウム等を通じて法制度の改革や運用改善の必要性を広く市民と共有していくとともに,個別の弁護活動における勾留質問の実質化や勾留質問への弁護人の立会い,準抗告等の勾留に対する不服申立を積極的に行っていく運動や取り組みを通じて,法改正や運用改善を目指していく所存である。

以上

死刑制度の廃止を求める決議

カテゴリー:決議

英語版(English)

 犯罪により尊い生命が奪われたとき,その犯罪者に死をもって償わせるべきか,国家が死刑制度を存置し死刑を執行することが許されるか,といった問題について,我が国の多くの者は,思い悩み,ともすれば,議論そのものを躊躇してきた。
 他方,目を国外に向ければ,国際社会は,第二次世界大戦後,国際連合憲章(以下「国連憲章」という。)を締結して国際連合(以下「国連」という。)を設立し,人権尊重と国際平和とが不可分の関係にあるとして,基本的人権尊重の国際基準となる世界人権宣言,国際人権自由権規約(以下「自由権規約」という。),自由権規約第二選択議定書(以下「死刑廃止条約」という。)を採択して,すべての国が死刑の廃止に向かうことを求めた。
 その中にあって,日本弁護士連合会(以下「日弁連」という。)は,2016年(平成28年)10月に,人権擁護大会(福井市)において「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」を採択した。
また,当会は,1996年(平成8年)以降,死刑執行に対し,これに抗議する会長声明を発出し,国民的議論が尽くされるまで死刑執行を停止することを求めてきただけでなく,2011年(平成23年)から死刑制度を考える市民参加のシンポジウムを継続的に行い,特に2019年(令和元年)には,同様のシンポジウムを4回にわたり開催するなど,死刑制度の是非について,検討及び情報発信に努めてきた。さらに,2016年(平成28年)には死刑制度の存廃等を検討するプロジェクトチームを発足させて,死刑制度の存廃問題に取り組んできた。
 こうした活動の積み重ねの結果を踏まえ,当会は,基本的人権の擁護と社会正義の実現という使命を担う弁護士(弁護士法1条)によって構成される法律家団体の立場において,以下のとおり決議する。

決 議 の 趣 旨

当会は,政府及び国会に対し,
1 死刑制度を廃止すること
2 死刑の代替刑として終身刑を導入すること
3 死刑制度の廃止が実現するまでの間,死刑の執行を停止すること
を求める。

決 議 の 理 由

第1 死刑制度の廃止を求める理由
1 生命に対する権利(生命権)
 生命に対する権利である生命権は,人間の尊厳に由来する固有の権利であり,すべての人権の基盤となる根源的な基本的人権である。そして,生命権の制限とは生命剥奪を意味することから,他の人権と異なり,ひとたび生命権を制限すれば回復することはできない。また,生命権は人間として存在する権利であり,個々の生命に価値の違いがあってはならない。したがって,すべての人の生命権は,等しく,最大限に尊重されなければならず,かつ,不可侵とされなければならないのである。
 このように,生命権は,基本的人権の中でも特別に保護を与えられなければならないものであり,そのため,憲法13条は,最大の尊重を必要とすると定め,国連は世界人権宣言3条,自由権規約6条1項及び死刑廃止条約を通じて生命権の不可侵を明確にしている。
 確かに,凶悪で残忍な殺人事件や無差別の大量殺人事件に直面すると,このような犯罪者の生きる権利を保障する必要があるのかとの悩みや躊躇が生じることは否定できない。しかし,たとえ犯罪者に対する死刑であっても,それは国家が生きる価値がある人間かそうでない人間かの選別を行うことを容認するものである。そして,この生命選別の容認は個々の生命の価値に違いを認めることと等しく,基本的人権の尊重,特に生命権の尊重という普遍的価値観の醸成が阻害されることになる。その結果,国民の中に,厳罰化の名のもと,生命軽視という価値観が醸成される危険性が生まれ,また,第二次世界大戦前のような国家による重大な人権侵害が再来するという危険性が生まれる。
 このような危険があることから,国連は,すべての国民が基本的人権の尊重,特に生命権の不可侵の価値観を共有できる社会の実現を目指すために,死刑廃止条約等を採択したのである。
 当会は,改めて,チェーザレ・ベッカリーア(1738年〜1794年)の著書「犯罪と刑罰」にある,「死刑は,それが人々に残虐性の手本を与えるものだということからして,有用でない。(中略)公共の意志であるところの法律,殺人を嫌いこれを処罰するところの法律が,まさしくその殺人そのものを犯し,しかも市民たちを殺人から遠ざけるためにこれを公然と行うことを命じるとは,私には不条理なことに思われるのである。」という言葉を問い直し,我が国での死刑制度廃止を実現し,基本的人権の尊重,特に生命権の不可侵の価値観を共有できる社会を目指すものである。
2 誤判冤罪の危険性
 第二次世界大戦後に我が国に浸透した適正手続(憲法31条)の下での刑事裁判手続を踏まえた死刑判決に誤りはないのか,この点については,格別の考察が必要である。
 すなわち,死刑は刑事裁判手続を経て科せられるものであるところ,その手続(捜査段階,公判段階,再審等の検証段階)は人間によって運用される。人間が全知全能ではあり得ない以上,それらの諸手続きにおいて,誤りが生じる危険性を完全に排除することはできない。このことは,我が国において,1980年代の4件の死刑確定者に対する再審無罪事件(免田事件,財田川事件,島田事件,松山事件)のほか,死刑求刑事件ではないものの,殺人事件として有罪判決が確定した後に再審で無罪となった東電OL事件,湖東事件,東住吉事件などにおいて示されている。
これらの他にも未だ再審開始決定が確定してはいないものの,一度は再審開始決定がなされた名張毒ぶどう酒事件や袴田事件,また,誤判の疑いが指摘されながらすでに死刑が執行された飯塚事件,福岡事件,菊池事件など看過できない事案も数多くある。
さらに言えば,有罪無罪の判断にとどまらず,量刑選択の判断においても,死刑と無期懲役との境界は不明確であるという問題がある。この点に関する判断基準として,最高裁判決においていわゆる永山基準が示されたものの,それでも不明確さを払拭し得るわけではない。また,量刑の基礎となる事実に対しても誤判の危険性があり,判断主体(裁判官等)が異なることによる量刑判断の不安定性も完全に払拭することができない。
その結果,現実に起こりうる,誤判冤罪及び量刑不当による,刑の執行(生命剥奪)という不正義を放置することは許されない。
そして,私たち弁護士は,いかに刑事訴訟手続が改善されたとしても,刑事弁護活動を通じて,この社会的不正義を完全に排除することができないことを経験し,かつ,その不正義の是正を訴えることができる立場にあることを改めて自覚するものである。
3 国際人権法と国連加盟国の責務
⑴ 国際基準の定立と普及
 第二次世界大戦前,国内の人権保障が各国に任され,一部の国での人権侵害が放置された結果,多くの生命剥奪などの重大な人権侵害と国家の全体主義化を招き,世界大戦へと向かったという惨害を教訓に,国際社会は,国際平和と安全を目的として,国連憲章を締結して国連を設立し,国際人権章典(世界人権宣言,国際人権社会権・自由権規約,第一選択議定書,死刑廃止条約)を採択して,基本的人権の尊重の国際基準を定立した。
 これらの基本的人権の尊重の国際基準のうち,特に生命権については,世界人権宣言が「すべて人は,生命,自由及び身体の安全に対する権利を有する。」(同宣言3条)と規定し,また,自由権規約は「すべての人間は,生命に対する固有の権利を有する。この権利は,法律によって保護される。何人も,恣意的にその生命を奪われない。」(同規約6条1項)と規定して,特別な保護を与えるべきものと位置付けた。
もっとも,自由権規約6条には,死刑制度を廃止していない国に一定限度の死刑制度の存置を認める規定が置かれているが(同条2〜5項),同時に「この条のいかなる規定も,この規約の締約国により死刑の廃止を遅らせ又は妨げるために援用されてはならない。」(同条6項)との規定が加えられて採択された(1966年(昭和41年)12月16日)。そして,国際社会は,死刑廃止が人間の尊厳の向上及び人権の漸進的発達に寄与することを確信して,1989年(平成元年)12月15日,死刑廃止条約を採択して,すべての国が死刑制度の廃止を目指すべきことを明確にした。
これは,基本的人権の尊重の内容と程度が,国によって区々になってはならず,特に生命権については,その一般性・普遍性をすべての国に通用させるため,各国毎の人権解釈に依拠させるのではなく,国連で定立した国際基準に従うことを求めたものである。
そして,国連は,死刑廃止条約採択後,国連総会において「死刑廃止を視野に入れた死刑執行の停止を求める」旨の決議を採択し続け,その決議は2018年(平成30年)12月17日で7回に及んでいる。また,国連人権理事会における普遍的定期的審査(UPR)では,死刑存置国は,審査国から死刑制度の廃止に向けた行動を取るべきとの勧告を受け続けている。さらに,条約機関である自由権規約委員会からは「死刑廃止の検討を求める」との勧告がなされ(2008年(平成20年)10月),同じく拷問禁止委員会からは「死刑廃止の可能性を検討すること」との勧告がなされている(2013年(平成25年)5月)。
このように,国連及び関連機関は,死刑制度の廃止を目指す国際基準を,すべての国に普及させることに努めている。
⑵ 国連加盟国の責務と国際社会の変化
 国連憲章に署名した国連加盟国は,「すべての者のための人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守」(国連憲章55条)という国連の目的を実現するため,「この機構(国連)と協力して,共同及び個別の行動をとることを誓約」している(同56条)。そして,上記の国連及び関連機関の死刑廃止に向けた働きかけとこの国連憲章上の責務である国連加盟国の協力により,死刑廃止国(法律上または10年間以上死刑執行をしていない事実上の廃止国)は増加を続け,2019年(令和元年)12月末の時点で,国連加盟国の約7割の142カ国が死刑廃止国となり,死刑廃止条約の批准国も88カ国に達している。
 このような国際社会の変化の中,我が国も,1951年(昭和26年)9月8日,サンフランシスコ平和条約に署名し,国連憲章の原則を遵守することを宣言して国連加盟国の一員となっていることから,人権及び基本的自由の普遍的な尊重と遵守について,国連と協力して行動をとる責務(国連憲章55条及び56条)を負う。また,この責務を果たすことは,憲法上の国際協調主義(憲法前文及び同98条2項)にも適うものである。そして,国連が死刑廃止条約を採択し,その後,死刑廃止を視野に入れた死刑執行停止を求めるとの国連総会決議や国連人権理事会における死刑廃止に向けた勧告などの働きかけを行っていることを斟酌すれば,国連が行う人権及び基本的自由の尊重と遵守の助長促進(国連憲章55条)の中に死刑制度廃止が含まれていることは明白である。
したがって,政府及び国会には,我が国が死刑廃止条約を批准しているか否かに関係なく,国連と協力して死刑制度廃止の実現に向けた行動(国内人権啓発,死刑執行停止,死刑制度廃止を含む刑罰制度に関する法改正など)をすべき責務があり,また,将来的には死刑廃止条約の批准に向けた行動をすべき責務がある。
第2 我が国における死刑制度の廃止実現に向けて
1 憲法と最高裁判決
 最高裁判所は,1948年(昭和23年)と1993年(平成5年)の判決において,憲法31条の文言を理由に死刑制度を合憲であるとし,また,絞首刑は残虐な刑罰ではなく憲法36条に反しないとした。しかし,憲法31条は「何人も,法律の定める手続によらなければ,その生命若しくは自由を奪われ,又はその他の刑罰を科せられない。」と規定するのみであり,死刑制度を積極的に維持すべきであるとしているものではない。また,昭和23年判決の補充意見では,国家の文化の発達により憲法31条の解釈が制限されて,死刑が残虐な刑罰とされて憲法に反するものとして排除され得ることが指摘された。さらに,平成5年判決の補足意見では,立法の問題に属すると留保しつつ,死刑の廃止に向かいつつある国際的動向と国内世論との大きな隔たりを整合させるために,一定期間の死刑執行停止や,現行の無期刑(服役10年を過ぎた場合に仮出獄の対象となり得る)とは別種の無期刑の導入が指摘されている。この別種の無期刑の内容について明記はないものの,死刑廃止議員連盟が提案した重無期刑や仮釈放のない終身刑が想定される。
 このように,死刑制度に対する評価(特にその残虐性についての)は憲法の解釈として不変のものではなく,国際社会の動向やこれとの関わりでの国内の状況変化によって変わり得るものであり,むしろ,死刑制度廃止に向かうことが望ましいことが強く示唆されている。
2 世論(社会感情)と死刑
 政府は,2008年(平成20年)から始まった国連人権理事会の普遍的定期的審査(UPR)における政府への勧告(死刑制度廃止に向けた行動を求めるとの勧告)に対し,「死刑制度に関する議論については,国民世論の趨勢を見ながら対応すべきものと考えている。死刑制度については,国民の多数が極めて悪質,凶悪な犯罪については死刑もやむを得ないと考えており,特別に議論する場所を設けることは現在のところ考えていない。」との理由で拒否し,死刑を存置し執行を続けている。
 ここで政府が主張する「国民世論の趨勢」は,内閣府が実施した世論調査の結果に依拠しているものと思われる。
しかし,2019年(令和元年)11月に実施された内閣府世論調査では,この「死刑もやむを得ない」との選択肢に賛成した者(80.8%:有効回答数1572人のうちの1270人)へ追加質問(将来も死刑を廃止しないほうが良いと思いますか,それとも,状況が変われば将来的には死刑を廃止してもよいと思いますか。)をしたところ,「死刑を廃止しない」と答えた者は691人,「状況が変われば将来的には死刑を廃止してもよい」と答えた者は507人であった。よって,全体の有効回答数1572人のうち,現在も将来も死刑廃止に反対の者の割合は約44%(1572人中691人)である。
これに対し,「死刑を廃止すべき」と答えた者(142人)及び「状況が変われば将来的には死刑を廃止してもよい」と答えた者(507人)の合計の割合は約41%(1572人中649人)である。
したがって,いかなる場合にも死刑存置を選択する者と死刑廃止又はその可能性を選択する者のいずれも過半数に至らず拮抗している。
そうすると,内閣府世論調査によったとしても,死刑存廃議論を不要とするほどに世論が死刑制度を支持しているとの政府の解釈は正しくない。逆に,国民の約4割は死刑制度の廃止について状況次第では積極的,ないし少なくとも存廃について悩んでいると評価する方が正しいと言える。
そもそも,議会制民主主義は,議会における徹底した討議を経て,その内容・過程次第で議員や国民の結論が変わり得ることを真髄とする。にもかかわらず,死刑制度存廃問題については国会での熟議も,もとより国民的な議論も経ていない。そのような段階にありながら,議論自体を不要とする政府の態度には多大な疑問を禁じ得ない。
3 死刑の代替刑
 2014年(平成26年)と2019年(令和元年)に実施された内閣府世論調査において「もし,仮釈放のない「終身刑」が新たに導入されるならば,死刑を廃止する方がよいと思いますか,それとも,終身刑が導入されても,死刑を廃止しない方がよいと思いますか。」との質問がなされ,「死刑を廃止する方がよい」に賛成の割合は,2014年(平成26年)で37.7%,2019年(令和元年)で35.1%との結果が出ている。
 そのため,仮釈放のない終身刑の導入は,1993年(平成5年)の最高裁判決の補足意見にあるとおり,国際基準と国内世論の隔たりを埋める一つの施策となりうる。
 しかし,社会復帰を完全に認めない「仮釈放のない終身刑」は,社会内包摂を基本とする現代刑罰論や国連被拘禁者処遇最低基準規則(マンデラ・ルール)に抵触する危険性がある。
そこで,日弁連は,2019年(令和元年)10月に「死刑制度の廃止並びにこれに伴う代替刑の導入及び減刑手続制度の創設に関する基本方針」において,「仮釈放のない終身刑を最高刑として導入しつつ,例外的に仮釈放の可能性のある無期懲役への減刑を認める手続制度を設ける」と提言している。
当会も,死刑制度廃止に代わる刑罰の導入を求めつつ,国際基準となる死刑制度廃止の実現と国連被拘禁者処遇最低基準規則を整合させるため,基本的に日弁連の提言に同意するものである。ただし,減刑措置のあり方によっては,死刑の代替刑たり得る重罰といえるのか,あるいは社会復帰が有名無実とならないかという問題がある。したがって,減刑措置の手続要件(請求権者,判断権者,服役期間など)は,政府及び国会において十分かつ慎重に審議されなければならない。
4 死刑の犯罪抑止力
 死刑制度を廃止すると,生命侵害を伴う凶悪な犯罪が多発するのではないかとの危惧が表明されることがある。しかし,この点について,国連と欧州評議会は,死刑廃止国と死刑存置国の犯罪動向の比較,死刑廃止国の廃止前後の犯罪動向の比較などの科学的・統計的調査を行った結果,死刑に他の刑罰とは異なる特別な犯罪抑止力があるとの実証はできないとの結果報告を出している。また,政府も,2008年(平成20年)2月12日,質問主意書に対する答弁書で「死刑の犯罪抑止力を科学的・統計的に証明することは困難である」と答弁している。
然るに,政府は,内閣府世論調査において「死刑を廃止すれば凶悪犯罪が増える」に賛成の者が過半数との結果を根拠に,死刑には他の刑罰と異なる特別の犯罪抑止力があるとする。しかし,ここで問題になっている犯罪抑止力は,死刑求刑相当の凶悪犯罪であるところ,このような罪を犯す者に対しては科学的・統計的に死刑の犯罪抑止力は実証できないとされており,被害者になり得る国民の安心感や危惧感をもって科学的・統計的な犯罪抑止力の証明に変えることはできない。また,そもそも,テロや確信犯には刑罰の威嚇力の効果(犯罪抑止力)は期待できない。
したがって,犯罪抑止のためには,現実の犯罪統計をもとに,科学的・合理的な社会政策・刑事政策に取り組むべきであり,実証できない「死刑の威嚇力」は死刑制度存置の根拠たり得ない。
5 被害者遺族への支援
 私たち弁護士は,刑事弁護という弁護人活動を通じ,また,被害者参加制度などの被害者側の代理人活動を通じて,様々な犯罪被害に向き合い続けている。
 そのような中,刑罰制度改革の一環として死刑制度廃止を求めるとき,被害者や遺族の被害をどのように受け止めるべきかという大きな問題がある。
 日弁連は,2002年(平成14年)11月22日付の「死刑制度問題に関する提言」において「死刑相当犯罪などの凶悪犯罪による被害者遺族の受けた被害は,まさしく不条理であり,犯罪の被害者遺族の被害感情は深刻であるが,死刑制度の存続のみで被害者遺族の問題が解決するものではない。」と述べているとおり,被害者遺族の被害感情には,加害者に対する処罰感情のみならず,喪失感・虚無感など刑罰では応えることができない感情も含まれている。
 さらに,犯罪被害には,コミュニティ喪失などの社会的被害や経済的支柱や拠り所を失うなどの経済的被害もある。
そのため,被害者の無念や被害者遺族が受ける不条理な被害に真摯に向き合い,被害者遺族への精神的支援,経済的支援,社会的支援を充実させる制度設計(犯罪被害者庁の設置等の行政対応態勢の拡充,犯罪被害者給付金の支給対象者の範囲拡大や給付金の増額,国と自治体の連携システム構築等による多面的なサポート体制の充実,専門的カウンセラーの育成等)と予算措置をすみやかに実現させ,社会的に被害者遺族を支える必要がある。そして,この必要性は,死刑制度廃止を求めるか否か,また,法制度としてどのような刑罰制度が実現するかに関わりなく,求められるものである。
したがって,当会は,人権擁護と社会正義の実現という使命に基づき,死刑制度の廃止を含む刑罰制度の改革を求めるとともに,被害者遺族に対する支援に取り組んで行く決意を表明する。
第3 結語
 以上の理由により,当会は,政府及び国会に対して,死刑制度を廃止すること,死刑の代替刑として終身刑を導入すること,さらには死刑制度廃止のための関連法案が成立・施行されるまで,死刑執行を停止することを求めるものである。
  

2020年(令和2年)9月18日
福岡県弁護士会

消費者行政の一層の充実・強化を求める決議

カテゴリー:決議

【決議の趣旨】

1 当会は,消費者庁及び内閣府消費者委員会の創設10年の節目に当たって,いまだ多く発生している消費者被害の予防と救済を図るべく,以下の措置をはじめとする,消費者行政の一層の充実・強化を求める。
(1) 地方消費者行政を,国の消費者行政の一端を担うものとして明確に位置づけ,国からの予算支出による積極的な財政措置を講じること。
(2) 高齢者の消費者被害の予防と救済を図るべく,各地方公共団体における消費者安全確保地域協議会の設置を推進し,さらに,不意打ち的な電話勧誘・訪問販売を規制し,いわゆる「つけ込み型」の不当勧誘につき,包括的に消費者に契約取消権を認めるなどの立法措置を講じること。
(3) 若年者に対する消費者教育を幅広く展開すべく,国や地方公共団体による財政支援を充実させ,消費者庁として積極的なリーダーシップをとること。
(4) 適格消費者団体および特定適格消費者団体に対して,直接的な財政支援をなすこと。
2 消費者庁が,消費者政策の司令塔としての機能を強化し,緊急事態等に迅速に対応し,法制度の企画・立案・実施を効率的に行うためには,各省庁及び国会と同一地域に存在することが必要不可欠であるから,これに反する消費者庁の全面的な地方移転に反対する。

2019年(令和元年)5月29日
福岡県弁護士会

【決議の理由】

1 はじめに

日本弁護士連合会は,1989年9月16日の第32回人権擁護大会において,「消費者被害の予防と救済に対する国の施策を求める決議」を採択し,国に対し,従来の縦割り行政,後追い行政の弊害を除去し,消費者の立場に立った総合的統一的な消費者行政を推進する消費者省(庁)の設置等を求めた。
当会も,日本弁護士連合会と連携して,消費者被害の予防と救済に取り組んできたが,個別の事件解決に取り組むとともに,消費者行政の抜本的改正の必要性も訴えてきた。
そして,2008年6月27日付の閣議決定「消費者行政推進基本計画」において,「我が国は各府省庁縦割りの仕組みの下それぞれの領域で事業者の保護育成を通して国民経済の発展を図ってきたが」,「消費者・生活者の視点に立つ行政への転換」を図るべきとして,消費者行政を一元化する新組織を創設することが宣言された。
その直後の2008年7月19日,当会は,シンポジウム「消費者庁構想を考える〜真に消費者の頼りになる消費者庁実現へ向けて〜」を開催して,消費者被害の予防や救済のために行政が積極的に対応する必要性を訴えて,消費者庁の創設を求めた。
そして,いよいよ,2009年5月に,消費者庁及び消費者委員会設置法(以下「設置法」という。)が制定され,同年9月1日に消費者庁及び内閣府消費者委員会(以下「消費者委員会」という。)が創設された。
今年で10年の節目を迎える消費者庁は,創設以来,さまざまな消費者政策を立案・実施しており,同時に創設された消費者委員会もまた,独立した機関として,積極的な政策提言などを行ってきた。
しかし,その一方において,消費者被害は多様化し,より巧妙な手口による被害が多発している。
このような消費者を取り巻く社会環境の変化に応じ,消費者の目線に立脚した行政機関としての消費者庁及び消費者委員会には,さらに積極的な役割を果たすことが期待されるところ,創設10年の節目を迎えるにあたって,当会として本決議を採択する。

2 消費者庁・消費者委員会の役割

設置法によれば,消費者庁は,「消費者基本法第2条の消費者の権利の尊重及びその自立の支援その他の基本理念にのっとり,消費者が安心して安全で豊かな消費生活を営むことができる社会の実現に向けて,消費者の利益の擁護及び増進,商品及び役務の消費者による自主的かつ合理的な選択の確保並びに消費生活に密接に関連する物資の品質に関する表示に関する事務を行う」(同法3条1項)ことをその任務とするものとされている。
また,消費者委員会は,設置法6条に基づいて内閣府に設置された独立機関であり,同条2項1号に定められた6つの重要事項について,自ら調査審議し,必要と認められる事項を内閣総理大臣,関係各大臣または消費者庁長官に建議することができる権限を有している。

3 消費者庁及び消費者委員会設置後の10年
(1) 設置法の附則とこれを受けた法改正

設置法は,その附則において,実施後の一定期間内に各種の見直しを行い,必要な措置を講じることを規定しており,その国会審議においても,衆議院において23,参議院において34の附帯決議が付されていた。そして,これらの見直し規定等を背景として,消費者庁および消費者委員会の創設から10年の間にさまざまな法改正が行われ,新たな消費者施策が展開されてきた。
2014年6月の消費者安全法改正においては,消費生活相談員の資格が整備され(同法13条の3),地方公共団体が消費生活センターを設置する根拠が明確にされるとともに(同法10条),消費者安全確保地域協議会の設置等が規定され(同法11条の3),人口5万人以上の地方公共団体において同協議会を設置する旨の目標が掲げられた。2019年3月末時点において,全国で209の地方公共団体において同協議会が設置されているが,福岡県においては36の地方公共団体において同協議会が設置されており,県別にみるならば,兵庫県の42に次ぐ設置状況となっている。
適格消費者団体をめぐっては,2008年4月の消費者契約法,不当景品類及び不当表示防止法(以下「景品表示法」という。),特定商取引に関する法律(以下「特定商取引法」という。)の改正により,その差止請求訴訟を提起することのできる範囲が拡大され,2013年6月に制定された食品表示法によって食品表示についても差止請求が可能となった。そして,2013年12月に成立した消費者裁判手続特例法は,適格消費者団体のうち特定認定を受けた特定適格消費者団体に対して,財産的消費者被害の集団的回復を図るための訴権を付与した。また,2017年6月の独立行政法人国民生活センター法の改正では,特定適格消費者団体が行う仮差押の立担保に関し,国民生活センターが資金を提供することができることとなった。
さらに,2014年11月の景品表示法改正においては,不当表示を行った事業者に対する課徴金制度が設けられ,独占禁止法についても,2009年6月の改正によって,課徴金の対象となる行為類型の拡大および課徴金額の増額がなされている。

(2) 消費者庁による消費者事故情報の集約と法執行・行政処分等

また,消費者安全法12条は,消費者事故情報の一元的集約と迅速な公表を実施するため,消費者事故等が発生した場合には,行政機関や地方公共団体が,内閣総理大臣(消費者庁)に通知をなすべきことを規定している。
この規定に基づいて,消費者庁に通知された消費者事故等は,年間1万件を超えており,2017年度の通知件数は10,952件であった。
そして,2017年度に,消費者庁が行った法執行や行政処分等の件数は,消費者安全法に基づく注意喚起,勧告等が10件,景品表示法に基づく措置命令が50件,同法に基づく課徴金納付命令が19件,同法に基づく返金計画の認定が1件,特定商取引法に基づく業務停止命令及び指示が32件,特定商品等の預託等取引契約に関する法律に基づく業務停止命令及び指示が2件,特定電子メールの送信の適正化等に関する法律に基づく措置命令が2件,家庭用品品質表示法の規定に基づく指示が1件であった。

(3)消費者委員会の組織と権限

消費者問題への取り組みは,あくまでも消費者の目線で実施する必要があるところ,各省庁の出向社員を中心とする消費者庁による業務運営だけでは不十分であるから,消費者庁から独立して消費者行政全体の監視・提言役として職務を行う機関として,消費者委員会が設置されている。
この消費者委員会は,民間人の委員10名による合議体組織であり,必要に応じて部会や専門調査会を設けて,調査・審議・提言を行ってきている。具体的には,2018年12月までの間に,20件の建議,15件の提言,78件の意見を公表している。
そのほか,政府の消費者政策を総合的・計画的に推進するために策定される消費者基本計画について,消費者庁が毎年その工程表の見直しをなしているが,消費者委員会は,この見直しについて,関係省庁のヒヤリングを行い,意見を発出するなどの役割も果たしている。
これまで消費者委員会が公表してきた意見の中には,消費者契約法の改正などの形で結実されたものもある。そして,現下の最重要課題は公益通報者保護法の改正であり,2018年12月27日に,公益通報者保護専門調査会から報告書が公表されている。

4 これからの消費者行政に求められるもの
(1) いまだ消費者被害が多発していること

消費者庁及び消費者委員会が設置されてから,法改正も続いており,消費者被害の予防と救済に一定の成果を上げているという評価もできる。
しかしながら,前述のとおり,消費者庁に通知された消費者事故等は,年間1万件を超えており,2017年度の通知件数は10,952件であった。また,全国の消費生活センター等に寄せられた消費生活相談の件数を見ると,2017年度は約911,000件に上っており,前年と比較しても約19,000件増加している。
消費生活相談件数が,依然として高水準である要因には,インターネットの生活への一層の浸透が挙げられると指摘されている(平成30年版消費者白書25頁)。特に,スマートフォンの普及により,SNSを通じたコミュニケーション,インターネット通販での商品購入やサービスの予約が,若年者から高齢者まで幅広い年齢層で,身近で日常的なものとなっていることを背景に,被害が広く発生しており,また,手口も巧妙化している。
このような状況に鑑みると,消費者庁や消費者委員会をはじめとする消費者行政のより一層の積極的な取り組みが求められる。

(2) 地方消費者行政の推進

消費者庁が創設された2009年度において新たに予算化された「地方消費者行政活性化交付金」は,消費者行政に使途を限定された特定財源であったが,当初3年を限度とするものとされ,その間に地方公共団体が独自予算を組み地方消費者行政が自立することが想定されていた。
この地方消費者行政活性化交付金は,交付開始から3年を経過した2012年度から,地方公共団体の自主的な事業への活用を重視した「地方消費者行政推進交付金」として継続されたものの,2018年度からは新規事業への交付が打ち切られ,原則として終了することになった。「地方消費者行政推進交付金」に代わって2018年度から交付されることになった「地方消費者行政強化交付金」は,国の重点課題に呼応した事業を支援するというものであるが,その使途は「地方消費者行政推進交付金」よりも大きく限定されている。そして,その予算額も大幅に減額され,2017年度に42億円であったものが,2018年度には36億円とされ,2019年度においては33.5億円まで減額された。
2018年1月に公表された一般社団法人全国消費者団体連絡会地方消費者行政プロジェクトチームの調査によれば,消費者行政に関する「基準財政需要額」(地方公共団体が合理的かつ妥当な水準で地方消費者行政を行う場合に要する経費として総務省が示す額)における地方公共団体の自主財源比率は,都道府県別にみた全国平均が52.1%であり,決して高いとは言えない状況である。とりわけ福岡県は26.0%とさらに全国平均を大きく下回っている。
このように,地方公共団体の財政状態は消費者行政について十分な独自予算を組むまでの状況になく,むしろ消費者関連予算は,地方公共団体の予算縮小・削減の格好の対象となってきた。
このような状況に鑑みると,地方消費者行政を,国の消費者行政の一端を担うものとして明確に位置づけ,国からの予算支出による積極的な財政措置を講じるとともに,その財政支援が適正かつ的確に消費者関連施策に充てられるよう立法措置を含む対応が求められる。
福岡市議会は,2018年12月19日,「地方消費者行政に対する財政支援の拡充等を求める意見書」を全会一致で採択し,地方消費者行政に係る交付金制度の予算額を確保すること及び地方公共団体が行う消費生活相談,行政処分等の地方消費者行政に係る事務費用に対する恒久的な財政措置について検討することなどを国に求めている。同様の請願や意見書は,全国各地の地方公共団体で相次いで採択されており,地方消費者行政に対する国の財政措置が必要であるとの声が高まっている。

(3) 高齢者の消費者被害の予防と救済

高齢化社会への移行が急速に進む中,高齢者を狙った悪質商法が後を絶たず,2017年に,全国の消費生活センター等に寄せられた消費生活相談の約911,000件のうち,65歳以上の相談者が約29.2%と大きな割合を占めている。そこで,今後とも,引き続き,高齢者の消費者被害の予防及び救済をより確実にするための施策を強化することが求められている。
この点,2014年6月の消費者安全法改正により,2016年4月から,地方公共団体が高齢者等の判断力の不十分な消費者の消費者被害の予防と早期救済のために消費者安全確保地域協議会を設置することが可能となった。しかしながら,2019年3月末時点において,人口5万人以上の地方公共団体545のうち,設置している地方公共団体は98と全体の18.0%に過ぎず,全国的な普及に向けた働きかけをより強化しなければならない状況にある。
また,高齢者,特に認知症等の高齢者にトラブルが多い不意打ち的な電話勧誘・訪問販売について,これを消費者があらかじめ拒否できるDo-Not-Call制度(電話勧誘拒否登録制度),Do-not-Knock制度(訪問販売拒否登録制度)の導入も実現していない。
当会は,2015年9月18日に,「特定商取引法に事前拒否者への勧誘禁止制度の導入を求める意見書」を発出するなど,これらの制度の導入を訴えてきたが,高齢者の消費者被害の予防と救済の観点から,引き続き,法改正を求めるものである。
さらに,2014年8月,内閣総理大臣から消費者委員会に対し,消費者契約法につき「高齢化の進展を始めとした社会経済状況の変化への対応等の観点」から見直しの検討を行うよう諮問がなされ,消費者委員会消費者契約法専門調査会において検討がなされた。その結果,2015年12月と2017年8月の2度にわたる同専門調査会の報告書において,過量販売等の特定の被害類型についての契約取消権が提言され,これらの報告に基づく2016年5月および2018年6月の消費者契約法改正において,過量販売等に加え,判断力の著しい低下につけ込んだ勧誘や霊感を利用した勧誘等の被害類型についての契約取消権が導入されることとなった。
しかし,高齢化社会が進む中において,高齢者が安心して暮らして行ける社会にするためには,合理的な判断ができない状況にある消費者を狙った消費者被害を放置しておくべきではなく,消費者に合理的判断ができない事情があることを利用して不必要な契約を締結させる,いわゆる「つけ込み型」の不当勧誘につき,包括的に消費者に契約取消権を認めることが必要と考えられるところ(消費者委員会平成29年8月8日付け答申書付言),これについてはなお実現しておらず,消費者契約法のさらなる改正に向けた努力が必要である。

(4) 若年者の消費者被害の防止と消費者教育

当会は,2018年2月23日付けをもって,「民法の成年年齢引下げに反対する会長声明」を発出し,成年年齢の引き下げに反対する旨の意見を表明した。しかし,2018年6月,成年年齢の引き下げ等を内容とする民法の改正法が成立し,2022年4月から成年年齢が18歳に引き下げられることになった。
これによって,18歳と19歳の若年者(いわゆる「若年成人」)については,民法に基づく未成年者取消権を行使することができなくなるが,これら若年成人は,社会経験も少なく,必ずしもその判断能力が十分なものであるとは言い難く,消費者被害の格好のターゲットとなることが懸念される。
とりわけ若年者に関しては,いわゆるデジタルコンテンツなどネットやSNS関連の消費者被害への対策が重点課題として挙げられる。実際の学校現場での消費者教育においては,これら刻々と変化する消費者被害の実態を踏まえる必要がある。さらに,消費者教育は,知識を一方的に与えるだけではなく,日常生活の中での実践的な能力を育み,社会の消費者力の向上を目指して行われるべきである。そのため,消費者教育の担い手については、「国・地方,行政・民間,消費者,事業者などの幅広い主体を担い手として,担い手を支援し,育成し,連携を図って,効果的・実践的に消費者教育に係る施策を進めて」いかなければならない(2013年6月28日閣議決定・2018年3月20日一部変更「消費者教育の推進に関する基本的な方針」)。
しかしながら,消費者教育の推進に関する法律(以下「消費者教育推進法」という。)が制定された後も,我々弁護士会など外部専門家との連携も含めて,消費者教育の担い手の支援,育成,連携は,必ずしも実効的に機能しているとは言い難い状況である。
また,消費者教育推進法では,地方公共団体に対して,消費者教育推進地域協議会を設置し(同法20条),消費者教育推進計画を策定することが求められているが(同法10条),いずれも努力義務にとどまっているため,全ての地方公共団体で設置,策定されているわけではない。
この点,「消費者教育の推進に関する基本的な方針」では,地方公共団体に対して,改めて,消費者教育推進地域協議会を活用し,消費者教育推進計画を策定することを求めており,国に対しても,情報交換の場を設けるなど,地方公共団体に対して積極的に働きかけることを求めている。
その他,「消費者教育の推進に関する基本的な方針」では,消費者教育の各地域における実質的な主体として,消費者教育コーディネーターの配置・育成に取り組むことが求められているが,福岡県等いまだ設置もされていない地方公共団体も散見される。
外部講師を活用される場合に必要なはずの予算措置も十分なものとは言い難く,今後,消費者庁が各地方公共団体から報告を求め,分析及び改善を図るべき点も多い。
成年年齢の引き下げが施行されるまでにはおよそ3年の猶予が設けられているが,この間に,若年者に対する消費者教育を幅広く展開することが必要であり,学校など教育機関との密接かつ実効的な連携を図る必要がある。
そして,消費者教育を展開するためには,国や地方公共団体による財政支援も不可欠であり,消費者庁には積極的なリーダーシップをとることが求められている。

(5) 適格消費者団体および特定適格消費者団体への支援

設置法は,同法等の施行後3年以内に,適格消費者団体による差止請求関係業務の遂行に必要な資金の確保その他の適格消費者団体に対する支援の在り方について見直しを行い,必要な措置を講ずることを求めている(同法附則5項)。
これは,適格消費者団体が事業者に対する差止請求権の行使等を通じて消費者利益を擁護する役割を有することから,適格消費者団体の充実した活動基盤を確保することこそが,消費者の利益擁護のために必要不可欠であると考えられたからである。このことは,その後に認められた特定適格消費者団体についても同様である。
消費者庁は,2015年10月に「消費者団体訴訟制度の実効的な運用に資する支援の在り方に関する検討会」を設置し,同検討会は2016年6月に報告書を取りまとめている。同報告書においては,適格消費者団体および特定適格消費者団体(以下「適格消費者団体等」という。)がPIO-NET(全国消費生活情報ネットワーク・システム)の情報を活用しやすくするなどといった情報収集面の支援,適格消費者団体等が寄附を受けやすくするなどといった財政面の支援,行政による適格消費者団体等の認定・監督にかかる事務手続の一部簡素化といった手続面の支援等が提言されている。
しかし,大多数の適格消費者団体等においては,学者や消費生活相談員,弁護士や司法書士などのボランティア活動によって支えられており,その活動基盤,とりわけ経済的基盤はきわめて脆弱であるのが実情であるところ,適格消費者団体等に対する直接の財政的支援は,まったくと言ってよいほど検討されていない。「地方消費者行政強化交付金」など,消費者庁による地方公共団体を通じた適格消費者団体等への支援は,地方公共団体による適格消費者団体等に対する理解などの温度差が顕著であり,その支援額において不十分であることは別にしても,すべての適格消費者団体等に公平な支援が行き届いているものとはいい難いのが現状である。
適格消費者団体等が,本来,行政が行うべき業務の一部を担っているという側面は否定することができず,行政による直接的な財政支援の導入が求められる。

5 消費者庁の全面的な地方移転について
(1)「まち・ひと・しごと創生法」に基づく移転の動き

以上のように,消費者行政の一層の充実・強化が求められるべきところ,これに反するような消費者庁の全面的な地方移転の動きがある。すなわち,2014年11月に施行された,「まち・ひと・しごと創生法」に基づき,内閣に「まち・ひと・しごと創生本部」が設置され,政府関係機関の地方移転についての検討がなされているところ,徳島県は,「消費者庁・消費者委員会・国民生活センターの移転の実現に向けた取組みを県を挙げて強力に推進する」として,「消費者庁等移転推進協議会」を設置するなど,消費者庁の全面的な徳島県への移転につき積極的な働きかけをなしている。
当会も,東京一極集中の是正や,地方創生に取り組む必要があること自体は,否定するものではない。
しかしながら,以下の理由から,消費者庁の地方への全面移転には反対せざるを得ない。

(2) 新未来創造オフィスの徳島県への設置

2016年9月1日に,「まち・ひと・しごと創生本部」が決定した「政府関係機関の地方移転にかかる今後の取組について」により,徳島県に「消費者行政の新たな未来の創造を担うオフィス」(新未来創造オフィス)が置かれ,実証に基づいた政策の分析・研究機能をベースとした消費者行政の発展・創造の拠点とすることとされた。その際,「現時点では,政府内の各府省共通のテレビ会議システムが整備されておらず,徳島県から東京や全国へのアクセス面の課題もあるなかで,消費者庁が行ってきた国会対応,危機管理,法執行,消費者行政の司令塔機能,制度整備等の業務については,迅速性,効率性,関係者との日常的な関係の構築等の点で課題がみられた。テレビ会議システム等を活用したやり取りにおいては,1対1や一方向のやり取りは問題ないが,多人数での意見調整には課題がみられた」と指摘されたことから,これまで消費者庁が行ってきた迅速な対応を要する業務,対外調整プロセスが重要な業務(国会対応,危機管理,法執行,司令塔機能,制度整備等)は東京で行うこととされた。
このような経緯で2016年7月24日に開設された徳島県の新未来創造オフィスでは,現在,全国展開を行うことを目的とした10のプロジェクトと,3つの基礎的研究が行われている。具体的には,若者の消費者被害の心理的要因からの分析に係る検討や,障がい者の消費行動と消費者トラブルに関する調査,子どもの事故防止調査,食品ロスに関する実証事業等が行われている。そして,新未来創造オフィス開設から3年後までに,その検証・見直しが行われることとされている。

(3) 現在の状況

消費者委員会の消費者行政新未来創造プロジェクト検証専門調査会では,「地方創生の観点からは,職員の滞在,出張者の増加等,人の流れの創出に一定の成果」があったとされ,「消費者行政新未来創造オフィスによる地方創生への直接の貢献」について,2017年度が約1億1300万円,2018年度が約1億900万円と報告されている。また,2019年9月5日,6日の両日,G20大阪サミットのサイドイベントとして,徳島市において「G20消費者政策国際会合」が開催される予定であり,その経済効果等が広く広報されて、消費者庁の全面移転の流れが加速するおそれもある。
前記のとおり,徳島県等は,同県への消費者庁の本体機能を含む全面的な移転の働きかけを強めており,新未来創造オフィスの検証・見直しを機として消費者庁の移転問題について結論が出される可能性を否定することができない状況にある。

(4)消費者庁の全面的な地方移転による弊害

消費者庁が,消費者政策の司令塔としての機能を強化し,緊急事態等に迅速に対応し,法制度の企画・立案・実施を効率的に行うためには,各省庁及び国会との迅速な意思疎通が必要不可欠である。
しかしながら,消費者委員会の消費者行政新未来創造プロジェクト検証専門調査会では,「テレビ会議の活用で一定の意思疎通はできるが,接続先が限られる上,対面の場合に比べ,様子や状況が分かりにくい,真意を伝えにくいといった課題も存在」したとか,「交通アクセスについては,県内の公共交通機関,県外への移動等,引き続き制約」があるとの指摘がなされている(一部移転した国民生活センターが,2017年度に,徳島県で開いた研修事業の参加者数は計509人であり,神奈川県相模原市で開いた同様の講座の1割強の人数に留まっている。)。
このように,他省庁との折衝が必要となる立法や予算の獲得といった本体機能を,徳島県において機能させることは困難であるうえ,迅速な対応を要する業務,対外調整プロセスが重要な業務(国会対応,危機管理,法執行,司令塔機能,制度整備等)に対応できないことは,これまでの新未来創造オフィスの試行によって明らかになっており,およそ消費者庁の全体的な移転を認めることができる状況にはない。
そもそも,消費者庁が発足したのは,2008年6月27日付の閣議決定「消費者行政推進基本計画」において,「我が国は各府省庁縦割りの仕組みの下それぞれの領域で事業者の保護育成を通して国民経済の発展を図ってきたが」,「消費者・生活者の視点に立つ行政への転換」を図るべきとされたからである。仮に,消費者庁が,全面的に地方移転した場合には,縦割り行政の弊害を是正して,消費者行政の一元化を図るという役割を十分に果たせなくなることが危惧される。
そこで,当会は,2015年12月15日付けにおいて「消費者庁・国民生活センターの地方移転に反対する意見書」を発出し,消費者庁等の地方移転に反対する意見を表明したところであるが,ここに改めて反対の意見を明らかにするものである。

6 結論

よって,当会は,消費者庁および消費者委員会をはじめ消費者行政の更なる充実・強化を求めるとともに,消費者庁の機能低下につながる全面的な地方移転について,強く反対するものである。
以上のとおり,決議する。

以上

決議の理由中におきまして,一般社団法人全国消費者団体連絡会の団体名の表記に誤記がございました。一般社団法人全国消費者団体連絡会をはじめ関係機関の皆様に深くお詫び申し上げます。
改めて,訂正後の決議をアップいたしましたので,お知らせいたします。

2019年6月13日

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