少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。

付添人日誌(4・1月号)

第1 はじめに

私が国選付添人として担当いたしました、監禁保護事件についてご報告させていただきます。

第2 事案の概要

本件は、少年が飲酒中に、友人ら及び現場で仲良くなった者らと共謀して、友人宅へ被害者を引き連れ、同所にて約3時間監禁したという事案です。少年は、周りの友人らに誘われたために本件非行に及んだようであり、自発的に非行に及ぶような子ではありませんでした。なお、少年の周囲にいた者らは、被害者から金銭を喝取したり、暴行を加えたりとしておりましたが、少年との共謀は無かったとして、非行事実には上がりませんでした。

少年は、後述する職場の社長のもとで生活を送っており、非行当時前歴が5件で、保護観察中でした。また、深夜徘徊をしないという、特別遵守事項をやぶっての非行でもありました。

第3 活動概要

1 被疑者段階
(1) 少年母及び職場社長との面談

被疑者段階から、私が本件を担当することとなりました。勾留決定当初の少年は、本件を重く捉えていないところがあり、「周りが勝手にやっただけ」と言いながら、自身の入れ墨を私に自慢していました。

もっとも、家族や知人に対する愛情は人一倍強い子で、勾留中にも、ずっと少年母や職場の社長、自分と仲良くしていた友人のことを気にかけていました。特に少年母への愛情は強く、私と話している間もずっと、「母の体調が心配だ。」「外に出たら母と暮らして、もう心配をかけないようにしたい」と話していました。よく話を聞いてみると、少年母は、重い病気を抱えていたようでした。少年母は、少年と生活を送ることに不安があったため、事件の2か月ほど前から、少年を職場の社長のもとで生活させていました。なお、職場の社長は、少年を引き取り、少年の生活態度やお金のやりくりに関して指導をしつつ、職場にて少年と同じような境遇の子らの面倒を見ていたようです。

本件を受任した2日後、少年母及び職場の社長と面談をしました。事情を聞いたところ、事前に少年から聞いた話のとおりであり、準抗告の申立をする方針で話を進めました。

(2) 準抗告申立

もっとも、準抗告の申立をするに当たって、少年母と職場の社長、どちらのもとで生活を送るべきと主張するかを悩みました。少年は、少年母との生活を望んでいます。でも少年母は病気のため、難しいかもしれない。他方、少年の前歴の共犯者が職場の社長のもとで生活しており、また、職場の社長は少年の夜遊びを黙認していた部分もありました。私はその悩みを、率直に少年母と職場の社長に伝えました。すると少年母は、「私も少年の更生のために、もう一度頑張りたい。少年が外に出てきた時は、一緒に生活します。」と、職場の社長は「私も少年と母をサポートします。」と話してくれました。そこで、少年は、少年母のもとで生活を送るべきという内容で準抗告の申立をしました。

結果は棄却。前歴の共犯者らや被害者が、少年の居住地域周辺で生活していたことが大きく影響したように思います。また、少年は、以前も少年母のもとで生活を送りながら非行に及んでいたため、少年母の監督能力にも疑問を持たれたのかもしれません。

2 家裁送致後
(1) 示談交渉

少年は、家裁送致後、少年鑑別所へ移送となりました。被疑者段階を含め、週2回程度面会を重ねていくうちに、少年も「被害者は怖い思いをしたのだと思う」「大変申し訳ない。謝りたい」と徐々に被害者へ配慮した発言をするようになりました。そこで、被害者へ謝罪の手紙と示談交渉の手紙を送付いたしました。もっとも、被害者から折り返しの連絡は来ず、示談交渉はできませんでした。

(2) 少年の内省

少年は、被害者へ謝罪の気持ちが届かなかったことに対する失望と同時に、少年院送致もありうるのではないかと不安を抱え始めました。

少年の不安は、言動にも現れるようになりました。家裁送致当初は、被害者への謝罪の旨をしきりに述べていたものの、次第に「共犯少年らと一緒に出掛けなければ良かった」「俺がいなくても結論は変わらなかったはずだ。」と述べるようになりました。私が何度も少年と面会をして、今回の非行に至った原因を何度も考えさせ、最終的には交友関係や非行に誘われた際に断る自制心の欠如に原因があったこと、また、被害者に大きな恐怖心を与えたことを再び反省するに至りましたが、少年院送致への不安は最後まで抱えていたようでした。

また、少年は交友関係に問題があったことは認めつつも、地域での数少ない友人関係を切ることに大きな抵抗もありました。少年との面会を重ねていくうちに、友人への愛情も十分伝わってきたため、私も積極的に交友関係の断絶を勧めることができませんでした。私からすると、交友関係を断絶することで更生を図ってほしいという願いはあったのですが、一方で、少年にとってはかけがえのない友人関係であることも理解できました。結局、大事な友人関係との断絶はどうしても約束できないとの少年の意向を尊重することとしました。

(3) 調査官の意見

しかし、上記少年の言動や態度を、当然調査官は見逃しませんでした。特に交友関係を断絶しないという点を、少年の反省が足りないものと評価されました。

また、少年は数字上、知的能力が低いと診断されておりました。この知的能力の低さが、非行への同調を招いており、知的能力の低さを受け容れられない少年が社会生活にて改善することは困難であるという意見もありました。

数字でしか表れていない知的能力を、少年が受け容れられないことは当然ではないでしょうか。それを理由に社会生活にて改善できないという理屈が、私には到底理解できませんでした。調査官と面談の際、私はこの考えをぶつけましたが、調査官意見は変わりませんでした。

3 審判期日

少年母の今後の監督に関する意向や覚悟、そして職場社長が夜遊びを黙認していたことを反省し今後は職場において監督する旨の陳述書を準備し、審判当日を迎えました。少年母は涙ながらに少年の帰りを願い、少年自身も必死に反省している旨を述べ、審判は終了しました。

結果は、第一種少年院送致。少年の絶望は、付添人席にいた私にも伝わりました。

第4 審判後

審判の後、私はすぐに少年鑑別所へ足を運び、少年と面会しました。少年は今回の結論に納得しておりませんでした。また、実際に決定書の内容を確認しても、少年の知的能力の低さや保護観察中の非行であったこと、反省が見られないことなどが処分理由に挙がっており、少年の反省状況や少年母の監督に対する覚悟、そして知的能力は更生においては関係ないのではないかという思いから、少年母も、そして私も結果に納得できませんでした。

少年母や職場の社長と面談をし、審判から10日後に抗告を申し立てました。

しかし、結果は変わらず。審判内容が維持され、その後、我々は結論を受け容れることとなりました。

第5 最後に

今回は少年院送致という結論になり、少年はもちろん、私も大変悔しい思いをしました。また、改めて要保護性とは何なのか、付添人として少年の更生のために何ができるのかを深く検討した事件でもありました。

事件終結から数か月が経過しましたが、いまだに本件付添人活動の答えはわかりません。しかし、他の少年事件を担当する際、何度も本件の記録を読み返しています。

改めて少年事件の奥深さ、そして難しさを学んだ事件でした。

畑田 将大

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