少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。

付添人日誌(23・5月号)

1 はじめに

先日、当番付添人研修事件で付添人となりました。私のサポート弁護士は大谷辰雄先生でした。本件の付添人活動を通じて、私が新人なりに考え、学んだことについて、この場を借りて報告させていただきます。

2 少年との面会

少年は、14歳の中学2年生。少年は、母親及び2人の兄と暮らしていました。事案は、不登校かつ深夜徘徊を繰り返すという虞犯保護事件で、観護措置決定が下されていました。

初めて面会した時、少年について人懐こく明るい性格という印象を受けました。他方、少年は不登校の理由につき、学校には行きたいが、かつて規則違反の髪型、服装で登校したところ、学校側が学校に入れてくれなかったので、行っても同じ目にあうだけだからと言い、私たちが少年に対して審判前に髪を切るよう言っても、「坊主になるのは嫌だ」と言って拒否していました。そのため、私は、少年が他罰的性格を有しているとの印象も持ちました。

3 社会復帰のための環境整備

まず、少年の両親、伯母と面談しました。しかし、少年の家庭での生活は聞けましたが、それは表面的なものでしかありませんでした。少年の両親は離婚しているということもあり、母親と父親から率直な意見を聞くことはできませんでした。そこで、私たちは、母親と父親とはそれぞれ個別に話を聞くこととしました。

その後、少年の通う中学校を訪問しました。中学校側は、少年の受け入れに難色を示していました。しかしながら、私たちが、中学校を卒業し高校に行きたいという少年の思いを伝えたところ、中学校側の態度は徐々に軟化してきました。中学校側は、最終的には、少年の中学校での生活をできるだけサポートしていきたいとまで言ってくれました。

中学校を訪問した直後、少年の家を訪問しました。しかしながら、少年の家は、少年が落ち着いて生活できる環境ではありませんでした。私は、この時点で、少年の将来を考えると、少年をこのまま家に帰してよいかにつき悩み始めました。

審判の3日前、少年の父親と面談しました。少年の父親は、新たな事実を話してくれました。また、少年の伯母が、いつも少年のことを気遣っていたことを、少年の父親が話してくれました。

そこで、大谷先生が、伯母が少年を預かることはできないかと提案しました。父親は、快諾し、その日のうちに少年が伯母の下で生活できる環境を整えてくれました。

このような環境が整ったため、私は、やっと少年が学校に通いながら立ち直れると信じることができました。

4 審判前の少年の変化

少年との面会を重ねるうちに、少年はこだわっていた髪を切る決意をしました。少年は、髪を切る理由について、自分の周囲にこれだけ心配してくれる人たちがいることへの感謝や、これから生まれ変わる気持ちで生活する決意を見せるためだ、と照れながら言いました。私は、少年が自らを見つめ反省することができたことをうれしく思うとともに、少年が短期間にこれだけ成長するものなのかと感銘を受けました。また、少年自身も伯母の下で生活することを以前から考えていたらしく、伯母の下での生活を頑張るとも言ってくれました。

審判には、少年の両親、伯母及び中学校の担任の教諭が出席してくれました。少年は、緊張しながらも、新たな生活への決意をしっかりと語っていました。審判の結果は、保護観察処分でした。

5 おわりに

初めての付添人活動でしたが、大谷先生の熱心かつ的確なご指導もあって、なんとかやり遂げることができました。私は、付添人として少年の将来のために何をすべきかを常に考えることの重要性を学びました。今回の経験を踏まえて、これからも付添人活動に懸命に取り組んでいきます。

吉野 悠

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