少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。

付添人日誌 ~迅速な初動対応と環境調整により保護観察処分を得た一例~(30・3月号)

序論

少年事件は、成人の刑事事件に比しても審判までの期間が短く、タイトなスケジュールで行動しなくてはならないことが多い。そのような中で、観護措置決定後の当番出動から精力的に初動対応を展開し、最終的に審判で保護観察処分となった一例を経験したので報告する。なお本件は付添人サポート制度の対象となっており、指導担当は甲木真哉弁護士である。

当番出動から観護措置取消上申の提出

11月のとある水曜日の午後、当番付添人の出動依頼があった。非行事実は証人威迫であった。通常であれば暴力団員のお礼参りなどに適用される罪名であるため、一体どのようなことをしたのだろうかと疑問に思いながら、時間の調整を行って当日の午後4時に少年鑑別所に面会に赴いた。

少年の言い分によれば、警察に虚偽の通報をして逃げ回る遊び(近年警察鬼ごっこやポリ鬼などの名称で全国の少年の間で密かな流行を見せている)をしていたところ、共犯少年の一人が警察の取り調べに対して自白したため、供述の変更を依頼したというものであった。もっとも、その際に脅迫的な言辞等は用いていないと言うことで、証人威迫の構成要件に該当するか否かについては相当に疑問があった。少年の言い分を前提とする限り、事案としては軽微であり、心身鑑別の必要に乏しいと思われたこと、逮捕・勾留を経て約1ヶ月にわたって身体拘束をされており、早期の解放が必要と思われたこと、少年は逮捕まで通信制高校に通いながらアルバイトをしており、逮捕によって進級が危うくなっているということであったため、早期の復学が必要であると考えられたこと、また審判に向けて、真面目に学校に通ってアルバイトをしているという既成事実を積み上げるという方針が有用と思われたことから、当職は少年から直ちに付添人選任届を取得した上で、観護措置の取消しを目指して活動する方針とした。

鑑別所から事務所に戻るとすぐに、少年の母親に連絡し、翌日の夕方に事務所で打ち合わせをする約束を取り付けた。翌日、午前中に家庭裁判所に付添人選任届を提出すると同時に法律記録、社会記録を閲覧した。夕方、少年の両親が揃って事務所を訪れ、少年の日頃の生活状況や人となり、今後の監督について事情を聴取した。なお父は自営業、母はパートである。これらの事項を基に、5頁にわたる観護措置の取消を求める上申書を作成し、翌金曜日の午後に提出した。

観護措置継続と方針転換

付添人としては、観護措置が取消される可能性が相当程度あるとの見立てを持っていたものの、月曜日に裁判所が出した結論は予想外にも職権発動しないというものであった。このため、付添人としては、当初の方針を転換せざるを得なくなった。

今後の方針として、少年は通信制高校への通学を継続して高校卒業に向けて勉強したいという意向を有していたことから、アルバイトよりも学業を優先する方向で環境調整を行うこととした。とはいえ、逮捕前も少年は学校をサボり気味であり、元来授業を真面目に聞いてはいなかったため、勉強することへの動機付けが必要不可欠であった。付添人は、まず少年に得意なことや興味のある分野について問いかけ、将来の職業選択について考えを巡らせるように指導した。その結果、料理や物作りなど具体的な興味の対象を見いだすに至ったことから、そうした自分のやりたいことを成し遂げる上で、現代社会においては高校卒業程度の学歴を身につけておくことが重要である旨説諭し、少年の納得を得た。仕事については、学業に支障のない範囲で、少年のやりたい分野に近いものを探していく方針とした。

調査官との認識共有

その後、付添人は担当調査官との面談を行った。付添人は、上述した今後の方針を調査官に伝えた。調査官は、少年に多数回の補導歴があることや、交友関係が不良であること、仕事が長続きしないことなどを問題視していたが、少年院送致の必要性までは認めていないようであった。付添人は、調査官の問題意識に応える意味でも、両親による今後の監督が重要であると考え、両親そろって調査官面談にいくように促したところ、両親はこれを了承した。

両親の調査官面談後、付添人がその様子を母親に尋ねたところ、面談において、調査官から仕事先を探すように強く指導された旨付添人に述べた。驚いた付添人は調査官に連絡し、その問題意識について改めて尋ねた。調査官の回答としては、学業を重視することは構わないが、通信制高校であり時間的な余裕があるため、空いた時間で夜遊び等の非行につながっていく可能性があり、その意味で仕事をする必要があると述べた。また、少年はこれまで父親とのつながりが希薄であり、父親の仕事を手伝うことがよいのではと示唆しただけで、仕事を見つけないと少年院送致であるという趣旨では全くないということであった。

調査官の認識を踏まえた環境調整

調査官の問題意識が、少年の規則正しい生活を確保する点にあると認識したことから、付添人は、少年の通学している高校と連絡を取り、審判後に復学した際の通学スケジュールについて具体案を示すこととした。高校の担当教師は、学校に掛け合うなど相当尽力されたようで、少年が留年しないで済むように、冬休みを返上して補講と試験の再受験を行うプランが可能であるとした上で、鑑別所に面会に行き、少年本人の意向を確かめるとのことであった。

付添人が、改めて少年に復学の意思を尋ねたところ、少年は高校卒業に向けて努力すると自発的に述べ、また補導の原因となった夜遊びを止めるため、両親の設定する門限に従うつもりであると述べた。また、仕事については、当面は父親の仕事を手伝うことに納得していた。

一方、少年は、調査官から、夜遊びや交友関係に対する認識の甘さについて指摘され、最終面接(調査官意見提出の前日)に来ると言われていた。そこで、付添人は、自らの高校時代の経験も踏まえつつ、不必要に夜出歩かないことの意味や、友人に流されて非行に走ってしまう危険性について説諭し、最終面接においてどのように調査官に今後の決意を述べるべきかについて熟考を促した。

鑑別所・調査官・付添人それぞれの意見

少年の処遇に関する意見は、鑑別所・調査官はいずれも保護観察相当であった。付添人は、かなり悩んだものの、門限を守り学業に専念する限り、定期的な保護観察の必要性までは認められないと考え、不処分相当であるとの7頁にわたる意見書をしたためた。

審判

審判では、担当裁判官は調査官意見にほぼ全面的に依拠する形で、少年にかなり辛辣な口調で訓戒を繰り返した上で、結論としては保護観察処分となった。

考察

本件では、出動依頼を受けたその日に本人に面会して付添人選任届を得て、翌日に記録閲覧と家族の面談を行い、翌々日に観護措置取消上申の提出を行うという、初動対応として機動力を重視した付添人活動を展開した。結果として観護措置は取消されなかったが、これについては、異議申立てとして合議体での審理を仰ぐべきであったように思われた。また、審判までの1ヶ月弱の間に、学校との間で通学のスケジュールについて具体案を示し、父親の仕事を手伝う方針とした上で、門限を設定するなど日常生活における監督も行わせるという環境調整を(突貫工事ながら)行うことができたことは審判において調査官も一定程度評価しているようであった。

他の事例にも共通する問題であるが、少年は弁護士費用について家庭に負担をかけるのではないかと心配しており、少年の両親も同様であった。援助制度の一般への広報活動の重要性が痛感された。また、被疑者段階において少年は、勾留質問を担当した裁判官から、本件は被疑者国選の対象制度ではないので国選弁護人は無理であるなどと言われたため、弁護人への依頼を断念したと言っていた。本件で援助制度を利用した弁護人が選任されていれば、その後の経過も全く異なっていた可能性があり、せめて少年に対しては援助制度についても丁寧な教示を行ってほしいと切に願う次第である。

最後に、お忙しい中指導担当を引き受けていただいた甲木弁護士に謝意を示したい。

水野 遼

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