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カテゴリー: 月報記事

ジュニア・ロースクール2011

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法教育委員会委員
横 山 令 一(60期)

去る平成23年8月20日、法教育委員会は、西南学院大学法科大学院の施設をお借りして、ジュニア・ロースクールという企画を実施いたしました。この企画は、具体的な事案についての議論を通して法教育に親しみをもっていただくことを目的として、中学生・高校生を対象に実施しているもので、今年で福岡市内での開催は3回目となります。今回は、50名を超える受講生の方々にご参加いただき、中には県外から参加された方もいらっしゃいました。
今回の題材は、法教育センターの教材「ホークスファンじゃなきゃ働けない!?」(福岡県弁護士会ホームページ掲載)を3時間30分の授業時間に合わせて改変したもので、福岡ソフトバンクホークスのファン向けの架空の居酒屋で起こった、労働に関する問題を扱いました。1問目は、店長が従業員を雇い入れる際にホークスのファンであることを条件とすることは許されるか、2問目は、店長が他の球団のファンであることが発覚した従業員を解雇することは許されるか、という問題でした。
各事例は、受講生の方々に親しみをもっていただけるよう、弁護士が寸劇を演じて紹介しました。人気芸人の名前を捩った役名を用いたり、応援グッズを用意してホークスのファンになりきったり、実在の選手の名を台詞の中に散りばめたりと、随所に工夫が凝らされていました。このこともあってか、引率の保護者の方からは寸劇が効果的とのご意見をいただきました。受講生の方々からも、面白かったとの感想が多く寄せられ、逆に事案が難解との感想はほとんどみられませんでした。
続いて、受講生が9つの班に分かれ、班ごとに議論が行われました。前半は、店長側又は従業員側のうち予め指定された立場での言い分の議論がなされました。また、後半は、両方の立場の受講生が混ざるように班を入れ替えたうえで、各自が妥当と考える結論についての議論がなされました。各班には弁護士が付き添って、議論の焦点や法的根拠について助言をしておりました。私がその中のある班を担当したところ、日常の授業とは環境が異なるためか、受講生の方々が緊張している様子であったので、積極的に受講生を誘導して意見を引き出すように努めました。かといって、弁護士が答えを教えるのでは議論をする意味がないので、あくまで思考を引き出す程度の助言にとどめておくのが最も効果的なのだろうと思われた次第です。
それぞれの議論の後、各班の代表者による議論の結果の発表がなされました。特に、前半の議論の結果の発表は、異なる立場からの意見が聞けるという点で受講生にとって刺激になったようで、後半の議論の中で各自の意見の形成に影響した例も散見されました。
最後に弁護士が事例の解説をして、閉校となりました。その解説の中では、当事者間の利害や意見の対立を調整するという法律の役割や、相手方当事者のみならず背後にいる他者の立場も考慮するという私的紛争の解決の心構えが説かれました。この、他の立場の意見を踏まえるという思考は、受講生の方々からいただいた感想の中で、難しいと思った点・悩んだ点として挙げられるとともに、その思考を経験できたことが良かった点として挙げられておりました。このような、法的思考の要点に触れられた感想から、受講生の方々の法教育に対する意識の高さを感じ取った次第です。
この企画を機に、受講した方々がより法律学に対する関心を高め、より多くの方が法曹を志すに至れば幸いであるとともに、是非とも来年度以降もこの企画が続けられることを願う次第です。
末筆ながら、会場の提供等、多大なるご支援をくださった西南学院大学法科大学院の皆様方に、厚く御礼を申し上げます。

気仙沼・南三陸町被災地見聞録

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会 員 菅 藤 浩 三(47期)

平成23年7月17日、仙台空港に名古屋経由の飛行機で降りたつ。3・11から4ヶ月、機内から仙台空港の周辺が見える。たくさんの樹木が全てひとつの方向になぎ倒されている、津波の跡が大規模に記されていた。その樹木の周りには潮だまりがまだ残っている。到着した滑走路はきれいに整備されていたが、使わないところはほとんど手が付けられていないということか。
なんでも本来は仙台~羽田便の移動は、以前は東北新幹線で間に合っていたけれども、大震災後に政府関係者などが短時間で来れるように羽田便を設けたらしい。空港の荷物引き取り所の外のゲートをくぐるも節電のため空調はないも同然であり、ウチワで仰ぐ待合の人が目立つ。福岡よりも北なのに福岡よりずっと暑い状況、空港内の売店はまだ開いていず、3畳ほどのスペースで牛タンとか荻の月が売ってあるくらい。
仙台空港では日本の国旗にたくさんの激励の寄せ書きが書かれて壁に掲示されていた。また仙台空港が水に浸かった写真が拡大されて何枚も貼られていた。物凄い急ピッチで仙台空港が修復したことは写真を見れば一目瞭然。空港のバス待合所に壊れた自動車が何台も押し付けられている様子が写真に写っているのに、実際にバス待合所に行くとその形跡はなくなっていたのだから。
貸切タクシーを使って名取市ユリアゲ(閖上)の元漁港まで案内される。空港からわずか数キロの位置にある自衛隊の訓練基地の中に、何百台もの大量の車が廃棄場所もなくまとめて置かれている。でも車で移動する際の名取市内の主要道路は全く震災前と変わらない。クルマの量も多いし、ファミレスも客でいっぱい。道路も全く高低差もひび割れもない。あれから4ヶ月でここまで復興したのかと日本の技術力に驚く。15年前に旅行したアフリカなんて穴ぼこだらけのアスファルトが100km以上も続いていたのに。
貸切タクシーの運転手の話では、震災当日は関東地方へ戻る出張族を全社挙げて長距離輸送したし、震災後も全国から殺到する役人の送迎や案内で毎日てんてこ舞いの震災特需が発生し、震災前よりも空車率はぐっと低いと説明していた。仙台にはこんな形で中央からお金が落ちているのだ。
とはいえ、貸切タクシーの運転手には、ファミレス外食に地元客が殺到していたのは毎日おにぎりやカップラーメンの生活からようやく脱出できた反動のように見えるとのこと。たしかに、名取市内でもごくまれではあるが信号機に電気が通っていず、警察が手旗で信号機の替わりを務めていた。
「海から黒い巨大な壁が迫ってきた」
貸切タクシーの運転手が聞くところでは、津波について被災者は口をそろえてそう説明しているらしい。沖合の泥や堆積物を津波が侵食して迫ってくるからだとか。これは三陸地方の特色らしく、例えばスマトラ沖大地震の津波は白だったそうだ。津波が黒い泥と混じって背丈よりもはるかに巨大な高さで地上の建物や自宅や車やさまざまなものにぶつかっていく様は、ギリギリ安全地帯から撮影された素人動画でYouTubeでも確認できるが、実際に遭遇した人のトラウマは想像してもしきれない、そんな巨大な壁を見たことなんて映画以外にないからだ。津波が一気にざーっと引いたときに、地上のものを根こそぎ海に引きずり込み、海の底を初めて直に見た人もいる。
仙台市内では海岸から5キロの距離にある高速道路(仙台東部有料道路)が津波を食い止める堤防になったようで、その高速道路を境に海側に入ると、急にグチャグチャの廃車が何台もみつかる。まさに高速道路の右か左か、どちらに住んでいたが運命を分ける堤防になったようだ。廃車と言っても、フロントガラスは銃弾がぶつけられたような形で割れスクラップ同然で、まるで高速道路で猛スピードでぶつかった状態と同じ。プレスされたようにひしゃげたり屋根がもげたりしている。あれではクルマに乗っていても津波から助かるものではない、津波が起きたときはとにかく高い建物にのぼるしかない。貸切タクシーの運転手によると、その高速道路の脇でたくさんの遺体が津波で寄せられているのが自衛隊の探索で発見されたとのこと。
海岸に隣接するユリアゲ漁港施設は明らかに3階建ての建物だったのに、いまは上2階を撤去して下1階しか残っていない。上2階はどういう被害だったのか、想像できない形になったが、翌日赴いた気仙沼や南三陸町の建物被害から察するに残っていても骨だけだったのだろう。漁港施設から周辺数キロにわたって家屋も撤去されている。それでも道路だけは綺麗に凹凸なく整備されていた、道なき道を切り開く訓練はされているのだろうが、それにしても自衛隊の復旧力はすごい。
田には雑草が生い茂り、同じ緑でも経済作物を育てるような前向きな緑ではない。田の土も少なからず陥没してるし、塩に浸かった田を回復するには一体どれだけの土が要るのだろう。
ユリアゲ漁港のすぐそばに、墓碑銘のように小高い丘があり、卒塔婆が何本も刺され、たくさんの人が祈りをささげていた。小高い丘の隣にはボロボロのJAバスがまだ放置してあった。3階建ての市営住宅も残っているが海から数百メートルの位置では、電気もガスも水道もまだまだ復旧しようが無くまるでゴーストタウン。海に隣接する3階建ての団地では津波の高さを超えていず、付近の住民は屋上に逃げても助かりようがなかったのではないか、あくまで想像であるが。
防風林であったろう松の木が津波で根元から何本も抜きだされている。残っている松も揃って津波に押された方向に斜めに生えている。次に訪れたのは仙台で唯一の深沼海水浴場。ここでもクルマとバスがひしゃげていくつも放置してある。家はほとんど全て解体され、残っていたコンクリの個人宅は斜めに屹立していた。荒浜小学校には「たくさんの力をありがとう」の横断幕があるが、そのとき子供は誰もいない。ただ、こんなに人が殺到する場所ならば、移動式のアイスクリーム屋とか、有料の被災ガイドを置けば、不謹慎ではなく、地元の人にスピーディにお金を少しでも落とすことで寄与できるのではないかと思った。
1日目の夜は仙台市青葉区国分町で過ごしたが、今年急きょ開催することが決まった東北六魂祭の2日めにぶつかり、繁華街の人混みは半端ない。「みながにわか震度評論家になっているんだよ、あっ今震度いくつだ。TV見て外れた―とかほらーとかね。」
あれから4か月、すし屋の大将が明るく話す、躁状態にも見えたけどそうでもないのかな、当事者でないのでよくわからない。すし屋もどの店も大変混んでおり簡単に入れなかった。実際博多よりも混んでいる印象。仙台はしたたかで少なくとも東京よりもよほど力強かった。東京、元気出さないとみっともないぞ。東北復興のために地元に貢献しようと、普段は焼酎なのに、日本酒をしこたまたしなむ。
1日めの夜、ホテルで日本酒を飲み過ぎて7月18日午前5時過ぎに目が覚めてしまう。時間を確認しようとTVをつけたらなでしこジャパンVS.USAの女子サッカーWC決勝戦の延長戦に突入していた。日本が劣勢を跳ね返して澤選手のおかげで同点においついた瞬間を見てしまった、もうTVは消して寝れない。PK戦で海堀キーパーのファインセーブが続く、まさかの優勝である。結局、寝不足のまま出かける時間を迎えてしまった。
同行する会社社長やツアコン全員がなでしこジャパンの優勝に興奮していた中、東北自動車道を北上して内陸にある一関インターから気仙沼に向かう。所要時間は2時間半。一関インターは世界遺産の平泉に近く、向かう途中も降りてからも道路は大変混雑していた。貸切タクシーの運転手の話だと、休日は非常に混んでおり行くにしても平日を勧める、ただし山奥で雪深いので春から秋までが見ごろとのこと。せっかく世界遺産まで近づいたものの、移動そのものに思いのほか時間を要していたので気仙沼の方向に向かう。
道の駅かわさきでトイレ休憩するも、駐車場はクルマで非常に混雑していた。すわ平泉効果か?と思いきや人形芝居の慰問団の移動バス、子供たちを応援する川崎市民のバスツアー2台というボランティアグループが多いのが目につく。
道の駅では農産物が多く、要するに岩手県は第1次産業にほとんど依拠している地域ということだ。道の駅かわさきには達増拓也の「がんばろう!岩手」宣言(2011/4/11)が貼られていた。岩手は過去、明治の大津波・昭和の大津波・チリ地震津波など、リアス式海岸のため何度も大きな自然災害に見舞われてきたそうだ、知らなかった。
人家で大規模火災が発生した焼け跡のある気仙沼に到着。下水がないため生臭いにおい。船が陸にあがっていたが、海からは何キロも離れた場所だった。いったいどうやってここまで船が移動したのか貸切タクシーの運転手に尋ねると、おそらくまっすぐやってきたのではなく、家などにぶつかりながらジグザグにやってきたのではないかとのこと。
電信柱が津波もしくは運ばれた物体にぶつけられて引っこ抜かれた跡、オバQの頭のように地面から鉄線が生えている。もろ1階が流されたセブンイレブンの中にあったカップヌードルは全て空っぽだった、たぶんカラスがついばんだのだろう。
ワンピース3月19日公開の映画前売券販売の垂れ幕が7月なのにそのまま残っているのが痛々しい。ナンバーのわかるクルマは勝手に持っていけないのか、移動を催促する紙が貼られていた。被災した自宅を延焼防止のために同意なく取り壊しできるのは阪神大震災後にそのような立法を講じたからなのかもしれないが、クルマを廃棄できないのはまだ立法措置がないからなのか、道路の上からの移動しかできていなかった、国会議員は早急に法律をつくるべき、菅総理はいつ退陣するとか次は誰だとか政争など税金の無駄。
気仙沼の港近くに移動すると、家屋を撤去した後なのか、家屋が流れたので鉄骨の建物だけ残っているのか、どちらとも判然としないたいへん酷い有様。クルマもおもちゃのように上に何台も積み重ねられている。地上では潮水がひかず水鳥が何十羽も足を休めている。スズキ自動車の販売店も壊滅していた。
それでも小さいながら気仙沼市場が開いていたのは、仕事をしないと回らないからか。海に近接していても高いところにある家は完全にセーフだったが、低いところにある工場は全壊アウトだったりと、リアス式海岸での津波被害は全く予測がつかない。
仙台への帰路は国道45号線をつかって松島経由。途中、被災の大きかった南三陸町を予期せず通過するが、気仙沼と変わらぬひどい被害。一時期町長が行方不明になったり、防災無線で亡くなる最後までアナウンスをしていた女性職員のいた町。気仙沼線の線路やコンクリート橋が至る所で破壊というか消し去られていた。
そんな中でも移動車両のセブンイレブンやガリバーを見つける。私企業はタフである。南三陸町では3階建てのビルの上にクルマが載っていた。一番びっくりしたのは、移動式のトラックにバイクを何台も積んで売っている業者がいたこと。地元民も屋根のないガソリンスタンドを営業中であった。地震に強い墓石とか、明らかに地震後につくられたリフォーム宣伝の看板もあった。
貸切タクシーの運転手によると、地震保険の加入率が高いこともあって意外と建て替えをする人も多く、住宅業者の下請負人にもバブルが到来しているとのこと。
南三陸町にある一番大きいホテルの隣の喫茶店で遅い昼食。そのホテルはクルマでいっぱいだった、なんでも報道関係の人が被災中継のためにずっと泊まっているらしい。喫茶店には、たくさんの寄せ書きが置かれていたが、営業時間は午前11時から午後15時と本調子の時間からはほどとおい。エアコンが効き水洗トイレが復旧しただけ最悪の状況を脱しているのだろう。
南三陸町は霧で覆われていた。松尾芭蕉で有名な松島にもちょいと寄るがトイレはまだ復旧していない。人も非常に少なかった。景勝地なのに全く記憶に残っていない。それほど被災のインパクトは大きかった。南三陸には気仙沼と異なり農業と軽めの漁業しかない。つまり加工業など第2次第3次産業がなく、回復はそのためかずっと後回しにされている。なんでも公民館や消防署を解体する費用だけで当年の町の税収に匹敵すると試算されたらしい。いっそ原爆ドームのように、あえて一部を復興しないまま残して、記念館を築造して数十年にわたりわずかでも雇用が維持され観光収入が入る形をつくるのが好ましいのではないか。不謹慎だが、南三陸町には役場の放送で最後まで呼びかけて亡くなられた遠藤未希さんという象徴的な存在がいる。津波を前にして彼女が呼びかけていた音声を流す施設を設けるなりすることで、修学旅行先なり職業とは何か、使命とは何かを考える機会を持つことができ、南三陸町のリピーターを増やすことにもつながるように思う、南三陸町には気仙沼や石巻のような大企業がかかわる産業がないからなおさらである。遠く九州から甚大な被害の復興に寄与するには継続的な消費活動しかない、産業のない南三陸町の人口や税収が自発的に復興するのは相当至難のはずであり、気が遠くなる。
2日目の夜も繁華街に赴いたが、祭りのあとだからか、灯りの自粛もあって暗かったし一般人の人通りも少なく呼び込みの方が多いくらいだった。青葉区国分町の規模は熊本市くらいか。店も日曜なので閉まっているところも多かったが、それでも開いている店はなかなか空いてなかった。よその店から手伝いに来たりと、仙台市内の繁華街はプチバブルが持続しているようだ。
とにかく東北全体を復興するには、第1次産業に依拠する町が多くて、とてつもない費用と時間がかかることは残念ながら事実のようだ。政府が赤字国債でも発行しないとどうしようもない。国会のグジグジした討議の仕方に腹が立つことしきりである。
平成23年7月19日帰りの仙台空港の規模は、佐賀空港とか天草空港くらいに小さくなっており、エアコンも建物設置のものではなく移動式のデカいものだったし、アナウンスはなんとマイクではなく、TVで学生運動のモノクロ記録映像に出てくるスピーカーをグランドホステスが使用していた。仙台空港は津波の被災地でありかろうじて稼働しているレベルということか。
同行者にはこのような時期に東北に行く機会を設けていただいたことに感謝したいが、余りに被害が酷い、繰り返しになるがこれしか伝える表現がないのが今の感想である。九州の人間はぜひ東北にあえて足を運んでほしい、そして、継続的にお金を落とすことを被災の現場を見て決意してほしい。それほどまでに甚大な被害としか言いようがない。
最後に、東北の現地では至る所で「がんばろう宮城」「がんばろう岩手」なるのぼりや個人宅にステッカーが貼られていた。被災者は生きていること自体ががんばっていることなのだから、そこにガンバロウということは禁句だとしたり顔の評論家もいる。
じゃあ、東北に住んでいる人たちが率先して「がんばろう」の言葉を至る所に頒布している現象は一体なぜなのか。私が思うに、山奥で遭難したチームがお互い「眠るな!」「歌を歌おう!」と励ましあっている姿に近いと思う。下卑た例でいえばリポDのCMで「ファイトーいっぱーつ!」といってお互いを助け合う姿だろうか。お互いに頑張っていることは知りつつも「がんばろう」とでも掛け声をお互いにかけないとくじけてしまうのだ。
あの言葉はかけられる相手と同時に、自分にあえて鞭打って生存本能の1つとして必要な行動なのではないか。被災者のその姿を見て感激すると同時に、原発と同じで評論家のしたり評論を鵜呑みにしてはいけないという教訓を1つ体感したのである。

法教育委員会

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会 員 菅 藤 浩 三(47期)

約1か月半前の5月21日に開催した法教育研究会では、新聞メディアの取材を受けながら、修猷館高校で実施した福岡県弁法教育委員会開発の新教材の感触や改良点を、教師側・弁護士側という立場から検証しました。
今回は、北九州市のひびき高校で、教師独力で、弁護士の力を借りずに、日本における死刑制度の存廃に関する授業を実施したという報告をもとに、授業の際に生徒が示した反応と弁護士が関与することで授業内容をどう改良できるかについて検討しました。
例えば、教師がオフィシャルに入手できる資料の1つに死刑制度の存廃に関するそれぞれの主張の対照表があるにはあるそうですが、その対照表では意見の相違が、刑罰の本質に関するものなのか、死刑執行の方法に関する非難なのか、誤判のおそれにウェイトを置くからなのか、釈放無き終身刑を採用することと極刑とはいえ時間をかけず贖罪させることとの価値相対なのか、要するに倫理の問題か手続の問題か、近代刑法における刑罰の目的の問題かそれらが意識して整理されて対照されるとは言い難いという問題をはらんでいるようです。どうも対照表の作成者が死刑制度の存廃の論点を正確に意識しないまま作成しているようだと弁護士側から指摘したところ、当該教師からやはりそういう視点は弁護士でなければ適切に生徒に授業で提示できないと感心されました。
社会の授業でとりあげる司法の領域に関連して、現代社会の教科書で太字キーワードになっている「罪刑法定主義」や「適正手続の保障」についても、教師から、なぜそれらの原理が大事なものと扱われるべきなのかを生徒にピンとくる形で教えることが容易でないので弁護士からのサジェスチョンを請いたいとの提案があったのに対し、弁護士からは違法収集証拠排除法則の事例などを用いるやり方を紹介したり、さらに、立憲主義の歴史的背景を踏まえて『目的は手段を正当化する、目的のためには手段を選ばない』マキャベリズムが世上まれに横行することの危険にも発展させて生徒と一緒に考えていく授業の進め方を提案しました。
もちろん研究会ですから、教師が質問者・弁護士が回答者という場面ばかりではありません。今夏、西南学院大学LSの教室を借りて行うジュニアロースクールの教材の中身や進行方法も課題にあがったのですが、教育界では当たり前となっているアイスブレーキング(会議やセミナーや体験学習でのグループワークなどの前に、初対面の参加者同士の抵抗感を無くす為に行われる、コミュニケーション促進のために、つかみのゲームなどを行うこと)の利用も教えてもらいました。
改めて法教育を実践していくにあたり、法律家が教育者から学ぶことは接する機会を重ねる中でまだまだたくさんあることを痛感した、お互いにとって非常に有意義な研究会でした。次回研究会は9月17日(土)午後3時から福岡県弁の本庁会館2階で行われます。

修猷館高校での出前授業のご報告

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法教育委員会委員
会 員 高 山 大 地(58期)

法教育委員会では、小中高校生を対象とした法教育の普及のために、平成23年4月1日に法教育センターを立ち上げる等、法教育の普及に取り組んでおります。その一環として、法教育委員会では、平成23年5月の17日、18日及び20日に、修猷館高校で出前授業を行ってまいりました。

出前授業というのは、実際の授業の現場に弁護士がゲストティーチャーとして参加し、担当教師と協力して、ルール作りや憲法、民事(契約など)、刑事手続(裁判員裁判や少年事件など)等のテーマに沿って、さまざまな教材をもとに法教育の授業を行うものです。今回の修猷館高校では、憲法上の平等権の学習の一環として、男女差別をテーマに授業を行いました。

生徒は、あらかじめ平等権の条文の内容について学校の通常の授業の中で勉強した上で、法教育委員会の方で用意した事例と設問について、まず自分なりにある程度の答えを出して、出前授業の本番に臨みます。今回用意した事例は三つで、まず一つ目は、女子トイレに入ろうとした12歳の男子を係員が制止することの合憲性、二つ目は、女子校において男子の入学を拒否することの合憲性、三つ目は、受付担当職員の募集を女性に限ることの合憲性を問うものでした(詳しい事例につきましては福岡県弁護士会のホームページ中の法教育センターのページをご覧ください)。

当日は、まず生徒にいくつかのグループに分かれてディスカッションをしてもらい、その後各グループの意見をまとめて発表してもらい、最後に弁護士が総括を行う形式で行われました。弁護士的な発想からすれば、事例1は合憲、事例3は違憲で、事例2が微妙なのでこちらを議論しましょうという話になりそうな感じですが、生徒たちは、初めての法教育の授業ということもあって、事例1から活発な議論が交わされ、グループによっては事例1の議論だけでディスカッションの時間が終わってしまったところもありました。

その後各グループの発表に移るのですが、生徒たちの意見は私にとっては非常に新鮮で、意外な発見がたくさんありました。事例1については、12歳ってことは小学生なので、小学生だったら女子トイレを使わせてあげてもいいのではないか、あるいは、おなかが痛くて我慢ができなかったりしたら女子トイレを使うのもやむを得ないのではないか、といった議論が出され、グループによっては違憲の結論を出すところもありました。事例3についても、受付はやはりいかつい男性よりきれいな女性の方がいいから女性限定だったとしてもやむを得ないといった議論や、女性の雇用創出のためといった理由があるかもしれないから、そのような理由であれば許されるはずだ、といった議論が出されました。どれも確かにもっともな面もあり、これを限られた時間内でどう法律的に整理して生徒たちに説明すればいいのか、今後法教育委員会としても、私自身としても、考えていかなければいけないと強く実感しました。

法教育センターでは、2011年5月9日から、学校からの出前授業の申し込みの受け付けを始め、2011年9月1日から順次実施していく予定です。出前授業のゲストティーチャーは、法教育委員会の委員でなくても事前に簡単な研修を受ければ登録することができます。出前授業は、生徒たちの法的素養を磨くだけではなく、ゲストティーチャーにとっても、生徒たちの自由で新鮮な発想は大きな刺激となり、得難い経験となることは間違いありません。ぜひ皆様ゲストティーチャー名簿にご登録をよろしくお願いいたします。

災害地の現場から

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会 員 佐 藤 力(60期)

1 未曾有の大災害
平成23年3月11日、我が国を未曾有の大災害が襲いました。報道によると平成23年6月5日現在の死者は1万5365人、行方不明者は8206人で、約9万8500人の方が避難所生活を強いられています。
私の出身地である茨城県の(現在は潮来市)は、もともと干拓地のため今回の震災で、両親の住む実家の敷地も含め町全体が液状化、地盤沈下の被害を受けました。しかも、かつてゼロワン地域と呼ばれる司法過疎地域でもあったため、地元の先生方と連絡をとり、Jリーグチームになぞらえて「アントラーズ・ホームタウン・協力弁護士ネット」を立ち上げ、弁護士として地元をサポートすることを開始しました。
2 被災地へ
震災から二ヶ月近くが経過し、ライフラインが復旧しはじめたことから、福岡に避難していた両親も帰宅することになり、併せて私も地元に出向くことになりました。事前に避難所を担当している部署に確認したところ「法律相談の案内はしましたが、どなたも相談はない、とのことでした」という回答でした。とはいえ、たとえゼロであっても話をするだけでも意味がある、と思い、5月5日、6日に避難所や自治体に出向くことにしました。避難所は、当初300名から10数名に避難者が減少していましたが、せっかくなので避難者の女性に話しかけてみました。
私が、「こんにちは。私はこの地域出身の弁護士です。今日は九州から来ました。」と、挨拶すると、女性は「弁護士さんに頼むようなことはないけどね。ははは」ということでした。そこで、世間話のつもりで「お住まいはどのような状況ですか」と質問すると、避難者の方は「アパートに住んでんだけどさ。ドアが壊れて入れないから住めないのよ。それでも大家は家賃を下げてくれなくて、毎月払わされてるのよ。」という話をされたのです。私は驚きました。避難者の方は法律的な被害を受けているにもかかわらず、そのことに気づいてさえもいないのです。ただでさえ弁護士のいない地域ですから、これでは相談など来るはずもありません。そこで私の方から、「お仕事は」「お住まいは」「ご家族の状況は」と質問すると、不動産トラブル、雇用問題(便乗解雇、派遣切り)、消費者トラブル、保険など、次から次へと法律問題が山のように出てきたのです。
私は近隣自治体(潮来市、、神栖市、、鹿嶋市)をすぐに訪問し、市民への法教育、情報提供の必要性を訴え、各地の広報誌などに「震災における法律問題Q&A」を連載すること、今後地域フェスタなどで法律に関する講演会をボランティアで行うことで合意することになりました。
3 弁護士が手を差し伸べることの意味
久しぶりの故郷を歩いて見ると、さながらパニック映画のように変わり果てた街の姿に驚いて言葉を失いました。これだけの被害を受けていながら、まだ多くの人々が弁護士のサポートを受けられることに気づいてさえもいないのです。
私は法テラスのスタッフ弁護士として高齢者、障がい者、ホームレス、外国人の方の事件を常時50~60件ほど抱えていますが、この仕事を通して「本当に困っている人は、無料法律相談にさえもたどりつくことができない。」ということを何度も痛感させられました。私たちが手を差し伸べなければ救われない人たちは、まだまだたくさんいるのです。そして、実際に被災地に出向くことで、この思いが一層強くなった気がします。
被災地での経験を生かして、福岡市に対して「私たちが避難者に手を差し伸べてはどうでしょうか」と申し入れたところ、早速避難者を対象に避難者の集いが始まることになり、弁護士もアドバイザー参加が認められました。
被災地の現場で学んだこと、それは弁護士が手を差し伸べることの重要性ではないかと思います。今後も出来る限り地域の人々の支援に取り組んでいきたいと思います。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

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