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カテゴリー: 月報記事

裁判員本部だより

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会 員 髙 木 士 郎(64期)

1 はじめに

新64期の髙木士郎です。弁護士2年目にしてはじめて裁判員裁判対象事件を担当することとなりました。マスコミ対応が必要な重大事件で、被害者参加もありと、盛り沢山の事案でしたが、共同受任の先生との二人三脚のおかげで何とか無事に終えることができましたので、ご報告がてら振り返ってみたいと思います。

2 受任、公判前整理手続

朝のニュースで殺人事件発生との報道を見て、何か予感めいたものを感じていましたが、夕方、裁判所から事務所に戻ってみると、当番弁護士の出動要請に新聞記事のコピーが添えてありました。接見してみると、被告人は、憔悴しきった様子ではあるものの話はできましたので、事実関係を確認したところで腹をくくって受任することを伝えました。マスコミ関係者らしき人たちの間をこっそりすり抜け、警察署出入り口を出たところですぐに、先輩弁護士に共同受任をお願いする泣きの電話を入れたところ快諾!ようやくほっとしました。

起訴後、公判前整理手続が実施され、検察側から予定主張が示されたのですが、殺人事件であるにもかかわらず、殺人の実行行為部分の主張が抽象的にしか記載されていませんでした。争点となるべき実行行為の部分の主張が抽象的だと、被告人の防御活動も十分なものにならない可能性があると考えたため、弁護人としての予定主張は詳しめにして、積極的に争点の整理を求めていく方針で臨みました。7回の期日を経て、争点は大きく分けて2つに絞られることになりました。

3 いざ!公判

公判では、本件がどのような事件であるかを端的に裁判員に伝えるために、事件を表現したワンフレーズを冒頭陳述の最初に持ってくること、そのワンフレーズの中に争点についてのキーワードを混ぜ、そのキーワードについて語っていく中で、審理において注目してほしい点を示していく、という方針で冒頭陳述、及び冒頭陳述メモを準備することにしました。と、文字にするとわずかですが、この準備のためにかなりの時間をかけて何度も打ち合わせをすることになりました。

また、情報量を盛り込みすぎると裁判員にはかえって弁護人の意図が伝わりにくくなると考えたことから、メモはA4で1枚とし冒頭陳述に注目してもらうために後から配布する、冒頭陳述の時間は10分以内に収め、手持ち原稿なしで裁判員一人一人とアイコンタクトを行いながら行うこととしました。

尋問、特に被告人質問については、裁判員に尋問に食い付いてもらうため、あえて時系列に沿った形ではなく、最初に事件の核心部分についての事実から聞いたうえで、事件に対する被告人の想いを語ってもらい、その後事件の背景事情を聞いていく、という構成としました。

弁論についても、冒頭陳述と同様、コンパクトにまとめて伝える方針のもと、争点について、公判で明らかになった事実を対応させながら、弁護人の考えるところを伝えていくという形で行いました。論告において検察官が2つの争点のうち1つを撤回するという事態となったため、弁論の中でそれに対応させていかなければならなくなってしまいましたが、なんとか大崩れすることなく、弁護人の考えを伝えることができたのではないかと思います。

4 裁判を終えて

結局、判決はかなりの長期の懲役刑となりました。弁護人としてはもう少し短い刑となることを期待していましたので、その点では残念です。

また、本件は被害者の遺族が被害者参加をされ、代理人による被告人質問や参加人による意見陳述が行われました。意見陳述の間は、傍聴席からすすり泣きが聞こえるなど、弁護人からすれば「厳しい」雰囲気の公判廷となっていたように思います。そのような雰囲気をも乗り越える様な弁護活動ができたのかといえば、まだまだだったなと思うところです。

初めての裁判員裁判ということで感じたことは、裁判官が補充尋問をかなりの時間をかけて行うなど、裁判員にとってのわかりやすさ、を重視した訴訟進行が行われるのだ、ということでした。そのような進行となることは予想していましたが、その徹底ぶりは想定以上でした。裁判官のリードが過ぎると評議に影響が出るのではないか、と思うところもありましたが、裁判後の三者での反省会で聞くところによると、評議では活発な議論が行われた、ということでしたので、わかりやすさ重視の訴訟進行の成果が出たのだと思います。

こうして裁判を振り返ってみると、弁護人としては決して満足のいく結果であったとは言い難いところですが、裁判員に対するアンケートでは、弁護人の説明が「わかりやすかった」という意見がほとんどであったことにはほっとしています。
準備は大変でしたが、今回の裁判員裁判を通して多くのことを学ぶことができたように思います。今回学んだことを、来るべき次の機会に活かしていきたいと思います。

秘密保護法で社会はどう変わるのか

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司法制度委員会
委員長 村 井 正 昭(29期)

10月26日、弁護士会館3階ホールで標題のシンポジウムを開催しました。

前日の25日、「特定秘密の保護に関する法律案」が閣議決定され国会への上提が必至となったため、この法案に対する市民の関心の高まりを反映し、当日は、3階ホールが満員となりました。

開会に当り、橋本千尋会長から

「日弁連と52の単位会全てが反対の会長声明を出している。福岡では10月11日に反対声明を出している。審議を通じて廃案にするように取り組みを強めよう。やるべきことは沢山ある」
との力強い挨拶がありました。

シンポでは、近藤恭典会員から、法案の危険性について次のような報告がされました。

(1) 広すぎる秘密の範囲

法案が対象とする秘密は、(1)防衛(2)外交(3)特定有害活動の防止(4)テロリズムの防止の4分野であるが、1985年に廃案となった「スパイ防止法」よりもその範囲が拡大されている。

掲げられている別表も、抽象的で広範な事項に及んでおり、限定性を欠いている。

しかも、指定権者は行政の長であり、その是否を問う制度も事前、事後ともになく、国民にとって必要な情報が行政の恣意で隠蔽されてしまいかねない。

(2) 処罰範囲が広範であいまい。罪刑法定主義に反する恐れ

法案では、未遂、過失による漏えい行為、共謀、教唆、煽動という行為まで処罰の対象となっており、報道機関の取材活動、市民の調査活動等が処罰の対象となりかねない。

この刑罰は、公務員だけでなく、マスコミ、市民も対象とされている。

(3) 国会議員も対象とされており、国政調査権の行使が大きく制約されることになる。

また、国会の「秘密審議」が乱発されかねない。

(4) 刑事裁判の問題

刑事裁判では、真実に、秘密とされるべきものか否かを審理することができず、被告人の防禦権が侵害される。

弁護人にも守秘義務が課されるであろう。

(5) 秘密に関わる者の適正評価

行政の長は、特定秘密を扱おうとする者の経歴、病歴、信用情報等を本人のみならず、その家族についてまで調査し、不適当と判断された者を当該業務から排除できることとなっており、重大なプライバシー侵害を招く恐れがある。

しかも、行政の長は、これらの調査を都道府県警察に委託することができるため、収集された個人情報が、警察において、保存、利用される危険性もある。

近藤会員の報告に続き、前泊博盛沖縄国際大学教授から
「日米地位協定と秘密保護法 ― 沖縄からみた日本の民主主義 ―」
と題して講演をいただきました。

前泊教授は、最近「日米地位協定入門」(創元社)を刊行されています。

教授は、この本の刊行の元となった、外務省作成の機密文書「日米地位協定の考え方」を入手し、琉球新報に掲載したことについて次のように報告されました(この報道は、2004年日本ジャーナリスト会議大賞を受賞しています)。

新聞誌面への掲載前に、外務省の幹部から「もし報道したら、外務省には出入りできなくなる」と言われた。報道後、外務省は「そんな文書は存在しない」という対応をとり、機密文書の存在と内容を秘匿し続けようとしている。「この新聞報道当時、この秘密保護法案があったならば、報道することもできなかったし、入手行為も処罰されていたでしょう」

また、沖縄国際大学構内への米軍ヘリコプター機墜落事故の際、墜落現場とその周辺が、いち早く、米軍の全面的管理下に置かれ、事故の原因究明は勿論、危険物資の有無についても、沖縄県民は、一切、知る機会を与えられなかったことを例に日米地位協定の不合理さを訴えられました。

最後に同教授は、森本前防衛相が「沖縄の基地問題は、軍事問題ではなく政治問題である。沖縄の基地を日本国内のどこも引き受けないのが問題である」との発言を引用し、沖縄では「沖縄差別」との怨嗟の声が大きくなっていることを報告されました。

1985年の「スパイ防止法案」は世論と全弁護士会の反対によって廃案となりました。しかし、その後、「自衛隊法」の改正によって、同法案の実質的な取り込みがなされました。

このことは、廃案に追い込んだらそれで一件落着とならないことを教訓として残しています。

もしかしたら、この月報がお手元に届くころには、「法案」が成立しているかもしれません。

仮に、法律が成立しても、決してそれで終りということにしてはなりません。

法律が成立しても、それを適用させなければ良いのです。
そのためにも、情報公開制度の充実、内部通報者の保護の徹底等を推し進める必要があり、弁護士、弁護士会の果たす役割は決して小さいものではありません。

シリーズ―私の一冊― 「新世界より」(貴志祐介・講談社刊)

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会 員 佐 藤   至(35期)

このシリーズの最初の原稿を書かせて頂いた。そのとき紹介したのは、池上永一の「バガージマヌパナス」だった。このときの原稿の冒頭にナックルのような変化球でいってみようと書いたとおり、前回はかなり癖のある小説だったので、今回は速球でいくことにした。貴志祐介の「新世界より」、500頁2巻組の大作である。但し、SFである。

SFというジャンルは、作者が時代や状況を自由に設定することができるので、まず、設定された時代や背景事情を了解したうえで、作者のホラ話を楽しむという姿勢で読まないと面白くない。そして、設定が合理的なもので、かつ詳細でなければ物語が薄っぺらになってしまう。かといって、あまりに状況説明ばかりだと小説として面白くない。そこのところのさじ加減が難しい。

この小説では、まず、舞台となる町の農業用水路や溜め池には、田鼈(タガメ)、太鼓打ち、源五郎などの生物が豊富に生息していることや、空には朱鷺、鵯(ヒヨドリ)、四十雀、雉鳩をよく見かけると紹介されており、一見、長閑な田園地帯であることが示されている。しかし、そのような状況説明の中に突然、「ミノシロ」という1メートル以上の無数の触手を蠢かせる生物が紹介されていたり、「不浄猫」という正体不明の動物がちらっと出てきたりする。さらに、この小説の舞台が八丁標(はっちょうじめ)という結界に守られていること、さらに呪術が現実のものとして機能している場所であることが次第に明らかにされていく。

このような状況設定の説明が1巻の150頁あたりまで延々と続く。実をいうと最初に読んだときは、このあたりで「さっぱり分からん」と挫折した。しかし、「硝子のハンマー」や「天使の囀り」の作者がこのまま退屈な説明で終わるはずがないと思い直し、再度、挑戦すると、前回、挫折したところのほんの十数頁あとで、この世界のあらましが分かる仕組みになっていた。「自走式アーカイブ国立国会図書館つくば館」という移動式のアーカイブが登場して、このような世界に至った経緯を明らかにするという仕組みになっている。この移動式アーカイブの登場と人間との最初のやり取りには、アジモフのロボット3原則がさりげなく組み込まれていて、つい笑ってしまう。そして、この移動式アーカイブによって、この小説の舞台は、今からおよそ、1,000年後の利根川の流域で、文明社会が呪術によって崩壊したあと、何とか呪力を制御しながら文明社会を再建しようとしている世界であることが明らかにされる。この設定は、「ナウシカ」と少し似ているが、あちらが善意と再生の物語ならこちらは悪意と異形の物語である。そして、この物語は、そのような社会の中での少年少女の成長物語である。この点では「ハリー・ポッター」シリーズと軌を一にする。但し、この小説の方は全く子供を読者対象としていないので、かなりおどろおどろしい。「化けネズミ」という非常に醜悪な外貌の謎の生物が重要なバイプレーヤーとして登場してくるし、「業魔」や「悪鬼」などというとんでもないミュータントも登場してくる。そして、物語はこの呪術という不安定な要素で成り立っている歪な世界の崩壊に向かって、加速度的に突き進んでいく。誰がどうやってその流れを断ち切り、正常な社会を取り戻していくかという波乱万丈のホラ話である。勿論、物語の中では種々の謎が語られ、解決されていくが、最も大きな謎である「人間」と「化けネズミ」の関係を縦軸とし、人間と業魔や悪鬼、あるいは「化けネズミ」との戦いを横軸として、物語は複層化しながら進んでいく。書評家の大森実氏はこの小説を激賞し、是非、スピンアウト物を書いて欲しいと切望していた。私も全く同感である。この小説が日本のSF小説最近20年の最高傑作であることは間違いないと思う。作者は、このあと「悪の教典」、「ダークゾーン」を上梓しているが、「悪の教典」はサイコキラー物で、監督三池崇史、主演伊藤英明で映画化されている。

なお、本書「新世界より」は第29回の日本SF大賞を受賞している。そういえば、「バガージマヌパナス」は第6回の日本ファンタジー大賞の受賞作であることから、私の読書傾向に偏りがあるという偏見を払拭するために、SF、ファンタジー以外のお勧めも最後に挙げておく。横山秀夫の「64」、宮部みゆきの「小暮写真館」、吉田修一の「路(ルウ)」、佐々木譲の「警官の血」、今野敏の隠蔽捜査シリーズ、翻訳物ではアンソニー・ホロヴィッツの「絹の家」(コナン・ドイル財団が唯一、認定したホームズ物の続編)、ジェフリー・ディーバーのリンカーン・ライムシリーズ、S.ハンターのボブ・リー・スワガーシリーズ、R.D.ウィングフィールドのフロストシリーズなどは、どれも一読の価値がある。ノンフィクションなら堤未果の「貧困大国アメリカ」の3部作が出色のルポルタージュです。

あさかぜ基金だより ~法テラス徳之島法律事務所開所式~

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弁護士法人あさかぜ基金法律事務所
弁護士 青 木 一 愛(65期)

月報ではお初にお目にかかります。あさかぜ基金法律事務所の青木と申します。

さて、去る平成25年9月6日、法テラス徳之島法律事務所開設式が徳之島のホテルニューにしだにおいて執り行われました。法テラス徳之島法律事務所の代表が当事務所の先輩である小池寧子先生であるというご縁もあり、私も出席して参りましたので、今回は、その様子をご報告致します。

さて、まず、はじめに、徳之島について簡単にご紹介いたします。

徳之島は、鹿児島の南南西468キロ、奄美群島のほぼ中央に位置する(徳之島町HPより)人口約2万8千人の島です。人口は、壱岐市とほぼ同じ位の規模になります。徳之島出身の有名人としては、第46代横綱朝潮太郎(朝潮太郎生家、朝潮太郎銅像などもあります)が挙げられますが、われわれの業界の先達ということで言えば、日弁連会長も務められた奥山八郎先生が徳之島出身です。

徳之島までの交通は、空路では鹿児島空港から40分ほど、航路では奄美大島から3時間ほどとなります。

徳之島の司法事情を見ますと、鹿児島地裁名瀬支部の管轄であり、島内には簡易裁判所もあります。これまで徳之島には弁護士がおらず、奄美大島の先生をはじめとした多くの先生方が、多大な時間と労力をかけて、徳之島の島民の皆様にリーガルサービスを提供してこられました。そのような徳之島の地に、このたび、法テラス事務所を設立しよう、との機運が高まり、去る8月1日、法テラス徳之島法律事務所が開所される運びとなりました。

前置きが大分長くなってしまいましたので、そろそろ本題に戻ります。

開所式は、まず、開式のご挨拶から始まったのですが、この挨拶の途中から「島唄」が披露されました。三線の音色に乗せて朗々と島唄が歌い上げられ、会場は早くも南国情緒にあふれておりました。

式の中では、日弁連、九弁連、法務省等、様々な方面の方から、開所をお祝いするお言葉が述べられたのですが、とりわけ、地元の徳之島の方々のお言葉には、熱いものを感じました。

徳之島には民事、刑事を問わず多くの法律問題が存在しているにもかかわらず、これまで、徳之島の住民の方々は、フェリーに乗って奄美大島まで行かなければなりませんでした。当然、時間もお金もかかりますので、弁護士に相談することすら躊躇せざるを得ない状況でした。これは、徳之島の行政機関の方々も同様です。そんな中、法テラス徳之島法律事務所が開設されたことにより、徳之島には、常に1人は弁護士がいることになりました。徳之島の皆様にとって、何か困ったことがあったら法テラスの弁護士に相談してみよう、という仕組みができたことが何より大変心強いものである、というお話を伺うと、改めて、私たち弁護士の担う役割が重要であることが分かりました。

式も中盤に差し掛かると、いよいよ、法テラス徳之島法律事務所の職員紹介となりました。小池先生と事務局の通称「助さん格さん」コンビ(お一人の方が「助川さん」ということで、もう一人の方が自動的に「格さん」と呼ばれるようになった、ということでした)が壇上にて挨拶をされました。小池先生は、あさかぜ事務所に在籍されていた頃から「人前で話すのは苦手」と話されていましたが、開所してからの1か月で大分鍛えられたようで、徳之島に赴任される熱い思いが伝わるご挨拶でした。

式の終盤では、再び島唄、島踊りが披露され、更には、島の伝統にあやかり、会場の全員が輪になって踊りながら、お開きとなりました。

それでは、小池先生の徳之島でのますますのご活躍を祈念しつつ、筆をおくことと致します。

立川拘置所視察記

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会 員 金   敏 寛(61期)

2013年9月27日、我々北九州矯正センター構想対策本部委員9名は、東京都立川市にある立川拘置所を視察した。

北九州市小倉北区にある小倉拘置支所は、老朽化が深刻な問題となっており、我々対策本部の運動により、平成21年に法務省は移転を断念し、現地建替の方針となっただけでなく、地質調査などが終了し、今般補正予算で新しい拘置所の設計費が計上される等、現地建替が現実味を帯びてきた。

そのような中、小倉拘置支所と同規模でかつ平成21年に建設された立川拘置所を視察することにより、小倉拘置支所の建替について様々な意見を出せるのではないかと考え、立川拘置所を視察することにした。

とは言うものの、立川拘置所の前には、現在建替中である大阪拘置所を視察することを計画していた。平成23年6月の月報でも報告したように、我々対策本部は、2011年にソウル拘置所を視察しており、その際のソウル側との折衝窓口を私が担当したが、今回の視察においても拘置所側との折衝は私が担当することになった。

私が、大阪拘置所に電話をかけ、担当職員と話をする。

私:

「この度、小倉拘置支所の建替が進んでおり、大阪拘置所が最新設備を備えていると聞いたので是非とも見学に行きたいのですが…」

大阪:

「わかりました。いつ頃来られますか?」

私:

「7月31日に行きたいのですが。」

大阪:

「その日は何も予定が入っていないので大丈夫だと思います。」

ソウルのときのように、たらい回しにされないかと不安に感じていたが、スムーズに予定も決まり、対策本部に対してだけでなく、当本部が県弁の委員会でもあることから、県弁執行部に対して、大阪拘置所を視察するということが報告された。

数日後、大阪拘置所の職員から私宛に電話が入った。

大阪:

「新しい大阪拘置所を見学に来るとおっしゃいましたよね。」

私:

「はい、そうですが。」

大阪:

「実は、まだ基礎しかできておらず、建物自体は何も建ってないんですよ。」

私:

「・・・・・・わかりました。・・・」

ということで、大阪拘置所の見学は中止となった。

やはり、私が拘置所見学を担当すると何かが起きるということを改めて実感した。このことを県弁執行部に報告したが笑いしか返ってこなかった。

9月27日、午前10時から立川拘置所を視察した。

立川拘置所は平成21年に建てられたため、外観からは一見して拘置所であるとは思えないほどきれいな建物であり、なんといっても外壁がないことが、一層、拘置所とは思えない雰囲気をはなっていた。

我々の視察に合わせて、福岡矯正管区の方が2名来られていた。小倉拘置所の建て替えが現実的なものであることを改めて実感した。

15分ほど立川拘置所の概要の映像を見た後、実際に中の施設を見学して回った。

具体的な報告については、改めて報告集をまとめるためそちらに譲るが、やはり施設がきれいであり、拘置所内の職員にとっては働きやすい環境ではないかと思った

被収容者の部屋は、現在の小倉の拘置所とそれほど変わりはなかったが、トイレの位置が監視者に見られないように配慮されている点、冷暖房設備が整えられている点等、小倉拘置支所の建て替えにあたって参考になる点がいくつかあった。

気になった点は、既決収容者については、一人部屋ではなく複数部屋が認められ、テレビや共同浴槽、体育館の使用等が認められているのに対して、未決収容者については、一人部屋に一人用の浴槽しか認められず、テレビは見ることができないし、体育館や共同運動場等他の者と接触する機会が認められないことであった。

感覚としては、無罪の推定が及ぶ未決収容者にこそ、テレビや体育館の利用等も制限のないように認められるべきであるし、それなりの理由があるとは思うが、他の者とのコミュニケーションを図って過度なストレスがかからないように配慮されるべきではないかと思った。

約1時間の視察を終えて我々は立川拘置所をあとにしたが、次の予定まで時間があったため、東京地裁立川支部によって昼食をとることにした。

立川支部の外観は白色を基調としており、これまた外観からは裁判所であることを思わせないような建物であった。

最上階の書記官室から富士山が見えるということで、我々は数名で最上階にある書記官室前まで行き、富士山が見えたなどと騒いでいたが、中にいた書記官らが田舎者を見るような目をしていたことは言うまでもない。

午後2時から、前日弁事務総長で、長年被疑者被告人・受刑者などの基本的人権の擁護の研究や活動をされてこられ、監獄センターの所長などを歴任されている海渡雄一先生の事務所を訪問し、海外の刑務所事情等について話を聞いた。

我々は立川拘置所の視察を終えて、それなりに被疑者・被告人の人権に配慮されているとばかり思っていたが、海外の刑務所の写真を見ながら、本当にこれが刑務所かと思わされるような写真ばかりで、まだまだ日本の拘置所や刑務所のあり方が、欧米諸国に比べると劣っているのだと気づかされた。

海渡先生も、被疑者の生活について、日中は他の者とコミュニケーションを図った上で、就寝するときには個人のプライベートを尊重する形をとるべきだと話されており、この点については、小倉拘置支所だけでなく、弁護士会として、法務省をはじめとする関係機関に強く要請していくべきだと思った。

海渡先生の事務所をあとにした我々は、飛行機の時間まで少し余裕があったため、北九州で開催される九弁連大会の成功を祈って、浅草寺にお参りをしにいった。金曜日という平日でありながら、浅草はたくさんの人でにぎわっていた。

浅草で九弁連大会の成功をお願いした我々は、空港に向かい、搭乗手続きを済ませた後、荒牧部会長のいきつけである羽田空港内の寿司屋で夕飯をとることにした。

私だけが北九州空港から車を運転するため、お酒を飲むことができない中、皆はビールに焼酎にと、視察の成果を肴においしくお酒を飲んでいた。

ところが、頼んだ寿司がなかなか出てこない。出発前の30分頃になってようやく寿司が出てきたため、味わう余裕もなく、とりあえず片っ端から口の中に寿司を流し込んだ。

18:40分発であるため、18:25分には出発ゲートを通過していなければならないが、我々が食べ終わったのは18:20分頃であり、空港内を走って出発ゲートまで行き、なんとかゲートは通過したものの、飛行機に乗っていない我々の名前が空港内に大きくアナウンスされていた。

やはり我々は田舎者であった。

北九州空港に到着した後、私は運転手として、皆を目的地まで無事に送り届けた。
無事に立川拘置所視察を終えることができてほっとしている。

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