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カテゴリー: 憲法リレーエッセイ

学資保険裁判

カテゴリー:憲法リレーエッセイ

深堀 寿美(45期)

1 1991年12月、福岡部会の会員を中心に、約100名の代理人で、学資保険裁判中嶋訴訟は提訴に至りました。

原告らの世帯は生活保護を受けていました。当時、生活保護世帯では、高校に修学するための費用が支給されていませんでした。3人の子どもを何とか高校に行かせてやりたいと、世帯の母親は思い、わずかな生活保護費を節約し、約14年間に渡り、毎月3,000円ずつ、郵便局に学資保険として積み立てを行いました。ある時、この保険に約44万円の解約返戻金があることがケースワーカーに知れるところとなり、解約の指導指示を受け、ぐずぐずしている内に、満期がやってきて満期保険金が出ました。福祉事務所がこの金額を収入として取り扱い、今後半年、この約44万円分の保護費を減額する、とした行政処分が違法であるとしてその取り消しを求めた行政訴訟です。

2 弁護団がいうところの、この行政処分が違法であるという趣旨は、保護費や収入認定された収入は、保護世帯が自由に消費してよいはずなので、その保護費等を貯めたからといって、それを再度、収入として認定するのは間違っている、それは生活保護法4条に違反している、というものでした(保護費消費自由の原則)。

3 しかしながら、この裁判、本当は、その1:高校修学は世帯の自立に必要不可欠なので、そもそも生活保護費において高校修学費用を支給しないという基準は、憲法25条1項に違反するものである、その2:高校進学率90%超の現状で、生活保護世帯だけ高校に進学できないのは憲法26条1項「教育を受ける権利」を侵害するものである、その3:生活保護世帯の子どもが高校修学ができない実態は、子どもの権利条約28条に反するものである、という、憲法違反、条約違反を主位的請求原因として主張したかった裁判でした。

平和的で控えめな性格だった事務局長の平田広志会員は、本当は、そういう憲法裁判にしたかったけど、そんなこといったって、その理由で戦っても「確実に」勝てるという見込みはないので、その目的もさりながら、とにかく、子どもの高校進学に備え、世帯が前々から貯蓄をすることは、褒められこそしても、何か悪いことをしたかのごとく、責められたり、挙げ句、一生懸命貯めたお金を取り上げられるような取り扱いが許されるはずがない、ということを生活保護法4条違反、という形で主位的理由とし、それを補強する理由付けとして、憲法25条1項、26条、子どもの権利条約28条を展開し戦ったのでした。

4 この裁判、地裁では、「保護受給権は世帯主にあって個々の子どもには受給権がない」などと、へんちくりんな理屈で、「請求却下」という結論でした(母親は裁判前、父親は裁判途中で他界)。が、高裁では、その点も是正し、高校修学目的で保護費等を貯蓄した場合にそれを収入認定するのは生活保護法4条に違反して違法、と明確に断じました。そして、2004年3月16日、この高裁判決が最高裁でも認められ、高裁判決は確定しました。

最高裁も、処分庁の上告を棄却する、という三行半の理由だけではすまさず、「高校進学は世帯の自立に有用だ」とわざわざ宣言してくれました。そのため、この判決後、保護世帯が、何か悪いことをしているかのようにしてこそこそ貯めていた高校進学費用は、「収入認定しない扱いとする」と厚生労働省が通達を出し、多くの子どもを抱える世帯がほっとし、さらに、2005年度からは、生業扶助の一部として「高校修学費用」そのものが保護費として支給されるようになりました。 5 最高裁に、わざわざ「高校進学が世帯の自立に有用」と宣言せしめ、生活保護基準を変更せしめたのは、地裁の段階から、この問題が憲法問題だ、と主張し続けた成果である、と弁護団は自画自賛しています。

みなさんも、一つ一つの事件で、憲法を意識して主張してみるといいかもしれません。

憲法と私

カテゴリー:憲法リレーエッセイ

会 員  吉 村 真 吾(59期)

私は、理系の学部に所属していたため、大学で憲法を学んだことがない。教養部のころ、法律学の授業を受けたような気がするが、これについても全く覚えていない。当時、私の関心は化学や生物学にあった。

そんな私が初めて憲法を学んだのは、司法試験を受験することを思い立った時である。当時、会社勤めをしていた私は、司法試験を受験するため、手はじめに憲法の教科書を購入した。法律のことなど全く分からない私は、司法試験のために何から手を付けてよいかも分からなかったが、「まずは憲法だろう」という安易な考えから、書店の棚にある一番メジャーそうに見えた芦部先生の憲法の教科書を購入した。

そして、会社の寮へ帰り、会社の同僚に司法試験の勉強をしていることが見つからないよう、こっそり、その教科書を読み始めた。

憲法の教科書を初めて読んだ時、私は、憲法とは何とすばらしいものだろうと素直に感動した。難しさを感じるよりもそう感じたことをよく覚えている。

その後は、試験のための勉強が中心になっていったが、会社の寮で密かに感動して読んだ憲法が、私にとっての初めての憲法である。

弁護士としての活動の中で憲法上の権利が問題となる事件は、刑事事件や集団事件に限られ、日常の事件の中で憲法が直接的に問題となることはあまりない。

むしろ、社会問題との関係で人権擁護を使命とする弁護士の職責について考えさせられることが多い。

ここでは、私の実体験を交えて非正規雇用の問題について書いてみたい。

私の世代は、第2次ベビーブームと言われる世代である。大学卒業時には、就職難から就職氷河期と言われたこともある。この世代には正社員としての就職先が得られず、現在も非正規雇用として不安定な雇用環境で生活している者が数多く存在する。

私が司法試験の受験勉強をしていたころを振り返ってみると、アルバイト先には、アルバイトで生計を立てている同年代の者が数多くいた。彼らは、正社員と同じ仕事をしながらアルバイトとして長期間勤務し、或いはアルバイトを転々として生活してきていた。

彼らは、自ら進んで非正規雇用を選択しているのではなかった。話をしてみると、先がどうなるか全く分からない現状に不安を覚え、出来れば正社員になりたいと考えていた。彼らは私と同世代であり、非正規雇用の問題は非常に身近にある問題であった。

非正規雇用の問題の中で特に問題が多いと思われるのは、いわゆる日雇い派遣である。労働者派遣法改正において問題にされているが、日雇い派遣は、憲法が保障する人間の尊厳との関係でも大きな問題を含むと思われる。

私が実際に目にした日雇い派遣の問題を象徴する出来事として、職場での名前の呼ばれ方に関する出来事がある。同じ職場にあって、会社に直接雇用されているアルバイトは、雇用主である会社の社員から名前で「○○君」「○○」などと呼ばれていた。一方、日雇い派遣で働きに来ている者は、名前で呼ばれることさえなかった。呼ばれる時は、「派遣君」または「派遣」である。

日雇い派遣は、その名のとおり、日雇いであり、かつ派遣先と雇用関係もない。そのような関係の中では、名前さえ必要とされていない。彼らは労働力、商品としてのみ扱われているのである。

労働は、人が経済的に自立して生活していくということだけではなく、人が人格的存在として生活していくということにも意味がある。日雇い派遣の問題は、憲法の理念に沿った労働のあり方とはどういうものであるのかを問いかけているように思われる。

私にとって、非正規雇用に関する問題は、同世代の問題ということで非常に身近に感じる問題である。同世代の弁護士として真剣に考えていかなければならない。

憲法リレーエッセイ 第12回

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会員 紫藤 拓也(55期)

1 はじめに

つい最近、筑後部会の「市民向け憲法講座」の紹介をしたばかりだか、再び「憲法リレーエッセイ」で登場になってしまった。
私は、特に憲法問題だけをがんばっているわけではないが、すべての人権活動が憲法問題につながると考え、依頼に応じて筆をとってもいいかという気になる。
しかし、若輩者の55期生にとっては、憲法は未だ現実に見えないというのが、正直なところである。

2 知識としての憲法

学生時代、憲法の単位は取ったが、授業に出かけた記憶がない。
受験時代も、私の場合かなり長いが、学んだのは、図式化した憲法である。おおまか「封建社会から絶対王政が確立する過程で国家という社会のあり方が生み出され、その国家権力を制限し、国民の自由を守ることを目的として憲法が作られた。その後近代の諸原理が変容を受け現代型の憲法になった。そこにいう新たな諸原理にはこれこれがあり、憲法は目的である人権保障を達成するための手段として統治機構を規定している。残りは各論として条文と判例がある」というものである。「国家」と「国民」を対立させた図式と「人権」と「統治」を対立させた図式があれば、憲法全体の理解をしたと思い込むことができた。
しかも、それぞれの時代の憲法が生まれた背景に関しても、世界史や日本史などの大学受験レベルの歴史の知識に加えて、史実かどうか判然としない架空の小説に登場する歴史観しか持ち合わせていない。
誠に恥ずかしいが、私の憲法の理解はこの程度である。

3 具体的事件における憲法

だから、弁護士になっても、「これって人権問題ですよね」と唐突な相談を受けると、回答に窮してしまうのが現実である。
司法の意義に関する知識では、事件性が要求されるので、憲法を実践しようとすると、具体的な事件の中で憲法問題に結びつける必要が出てきてしまう。しかし、具体的な事件では、憲法を使うすべが私にはまだわからない。
人権活動の一環として信じて集団事件にも多数関与しているつもりだが、いつもこのジレンマに陥ってしまう。
憲法改正の議論を眺め、自らは護憲派だと自称してみても、「市民向け憲法講座」の準備をしてみると、自らの無知を思い知ってしまう。争点についての不十分な知識しか持ち合わせていないのである。
私の世代は、物と情報にあふれ、手を伸ばそうと思えば手に入れられる世代である。

4 見えかけている憲法

ただ、こうした無知な私でも、例えば、刑事事件について、「国家権力による人権侵<害が目の前で行われないようにチェックする仕事をしているのだ」と信じて取り組むことはできる。
集団事件も、過去の人権侵害に対する損害賠償請求事件と平行しながら、同時に将来<の人権侵害を防止するための差止請求事件に関与することで、将来に向かって憲法の理念を実践していると信じ込むことはできる。
弁護士になったとき、どんな弁護士になりたいかと問われたときの答えを弁護士会の自己紹介に書いたことを思い出す。それは、ちょうど娘が生まれた頃だったから、「パパの仕事はなに?」と問う娘に対して、「子どもたちの将来を守る仕事よ」と答えられる弁護士になりたいという内容だった。今では、青臭いなあと思うこともあるが、だから私は公害環境事件を中心として人権問題を実践しているのだと自分に言い聞かせることもできているとも思う。
つい最近、その娘が小学校に入学した。入学式の帰りに警ら中の警官に会う機会があり、娘が「ごくろうさまです」とぺこりとお辞儀をすると、その警官が笑顔で敬礼してくれた。
私は、こうしたとき、憲法の平和を感じる。
だから私は、まだ、見えてはいないが、見えかけている憲法があると信じることができる。

憲法リレーエッセイ 第11回

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49期 北九州部会 小倉知子

それは東京出張の日だった。他県の弁護士から、欠陥住宅の判決についての原稿を2本、それも締め切りが5日後という過酷な条件で頼まれ、「大変だ」「出来るかな」と私は不安を抱えていた。羽田空港に到着し、事務所に電話を入れた。「永尾先生から電話が入っていました。」嫌な予感がした。「月報の憲法リレーエッセイの原稿を書いて欲しいとのことです。」予感的中。「締め切りは○○日(6日後)だそうです。」えっ!無理だよ。「ゆめゆめお断りにならないように、とのことでした」むむむ、さすが永尾先生、先手を打たれてしまった。永尾先生の依頼を私が断れるはずもなく、そして、私は締め切りがほぼ同じの原稿依頼を3本抱え込むことになった。

実は私は司法試験の受験時代から憲法が大の苦手である。自分では、佐藤(幸治)先生の難解な教科書で憲法が苦手になったと思っている。今でも、「パターナリスティックな」という言葉を聞いただけで、その後の言葉は全く頭に入らなくなるという拒否反応が残っている。司法試験は、最後に芦部先生の易しい(優しいではない)導きによって、なんとか乗り越えられたが、憲法の苦手意識はそのまま。というわけで、今回は他の原稿依頼とは違う次元で、かなり困ってしまった。そこで、まず前例検討。今までの月報を読み返して見た。ふむふむ。高尚な話はしなくても(自分のレベルが落ちるだけで)良いらしい。というわけで、最近の出来事に絡めて憲法について触れることにした。

先日私は、パートの人達だけで組織する労働組合の結成大会に参加し、改正パート法の話をした。
平成18年時点でパート等労働者数は1100万人を超えており、全労働者の4分の1を占めている。そのうち、7割が女性である。パートとして働いている女性の中には、時間の融通が利くからという理由で敢えてパートを選んでいる人もいるだろう。しかし、大半は正社員になりたいけれども『なれない』からパートとして働いていると思われる。そこで、改正パート法は目玉として、正社員と同じ仕事をこなしているパートの(正社員との)差別禁止や均衡待遇を定めた。女性が1人で子どもを抱えながら、パートでフルタイム働き、月額10万円以下しかもらえないというケースは多い。パートであっても、正社員と給料等の待遇が均等になれば生活はかなり楽になるだろう。憲法は、国民に勤労の義務を課すとともに、国民の生存権を定める。しかし、シングルマザーの現状は国民が勤労の義務を果たしていながら、生活保護基準すらも収入が得られない状態である。なぜか。国がフルタイムパートを黙認し、フルタイムで働いても最低限の生活をするのに不十分な程度の最低賃金しか認めていないからである。憲法は国民と国との約束である。国民はその約束に従って(働くという)義務を果たしているのに、国が(生存権を保障するという)約束を果たさないのはおかしくはないか。経営合理化・人件費削減という理由で、パートタイマーを増やし、ワーキングプアを生み出した責任は、企業だけではなく、国にもある。その意味で、今回のパート法改正は不十分ながらもパートの待遇改善(=生存権保障)という、国の約束履行に向けての小さな1歩といえるだろう。今後も一所懸命働いている人がきちんと報われる社会にむけて進んで欲しいと思う。

最後に、原稿を書きながら思ったこと。憲法改正なんて言っている暇があったら、まずは今ある約束(憲法)を守るという基本的なことを国はして欲しいよねぇ。そして、結論は「やっぱり憲法はえらかった」。

以上

憲法リレーエッセイ 第10回憲法と私

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会員 近藤  真(33期)

私の手元に、オーストラリア人権委員会編集にかかる「みんなの人権−人権学習のためのテキスト」(明石書店、福田弘・中川喜代子訳)という80頁余りの小冊子があります。ここに次のような趣旨の話が出てきます。

「AB2人の裁判官が、夕食後、仕事のことで語り合っています。『今日の裁判の男をどうしましょうか?もし、あなたが私だったら、どのように裁きますか?』とAがBに話しかけました。『あなたは、私が答えられないということを知っているはずです。彼の父親は5年前に死んでしまったというだけでなく、彼は私の息子でもあるのです。』とBは答えました。しばらく、このことについて、考えてみて下さい。分かりますか?Bは、どうして“私の息子”と言い得たのでしょう?だって、話に出た男の父親は、既に死んでいるのですよ。」

この本の設例(Bの話がおかしくないか)は、人権の極めて重要なことを教えてくれます。それは、差別等の反人権的意識は、自分自身の気がつかないところで醸成されているということです。皆さんは正解はわかりますか?そう、「Bは女性裁判官」というのが正解です。10年以上前に大分県で教頭先生以上を対象とした人権の講演をした時に、冒頭の設例の回答を求めてみましたが、正解率は50%を大きく下回っていました。やはり男社会の中で育った中高年世代にとっては、正解に行き着くのが意外と難しかったようです。私のここ数年の関心事は、このような偏見を気付かせてくれる教材、或いは自分自身の偏見度を数値で分からせてくれるような教材がないかなあ、ということです。司法試験の短答式問題のようなものをイメージしています。

ところで、私と憲法の出会いは、大学で杉原泰雄教授のゼミで2年間憲法を勉強したことに遡ります。杉原先生は、「国民主権の研究」等フランスの歴史に基づく重厚な研究で高い評価を得ている憲法学者ですが、他方その授業やゼミは、これほど明解かつ厳格な解釈論はないというほど歯切れがよく、いつも教室は超満員でした。その杉原先生が、ある日、朝日新聞の論壇に、「憲法より国際人権規約の方が人権規定が豊富であり、人権については憲法とともに国際人権規約も学ぶべきである」という趣旨の論考を寄稿されました。「国際人権」などが議論されるようになるずっと以前の1970年代だったと思いますので、今から考えると、杉原先生の炯眼に驚くばかりです。それ以降私の関心事は、国際人権規約を中心とする国際人権条約に移っていったのですが、意識の中では、勉強としての国際人権法よりも、本当に人権が分かる又は本当に人権を実践するということは、もっと身近な、地に足のついたものではないのか、といったようなことを考えてきました。そういう問題意識の中で、1998年12月に、九州弁護士連合会と福岡県弁護士会共催で開催した「親子で学ぶ人権スクール−人権って何だろう」の総合企画をさせていただきました(この内容は、花伝社から同名の本が出版されています)。この時に講演していただいた作家の小田実氏の次のような話も、地に足がついた人権を考えるのに役立ちます。

「私は、子どもたちに人間は助けあわないといけないと教えてきました。…私が一つ失敗したことがあります。太平洋の真ん中の小さな島に行ったときのことです。重そうな荷物を抱えたおばあさんが来たから、私は持ってやりました。そしたら、おばあさんは『ありがとう』とも言わないで去って行きました。…別の人の荷物を持ってやったときにも、『ふん』と行ってしまったのです。『礼儀も知らないな』と私は思いました。そしたら、今度は私が荷物を担いでいたら、だれかがさっと持っていってくれました。そして、ぽんと荷物を置いてさっさと行ってしまいました。それで分かったことは、私のほうが遅れていたということです。つまり、この島では、そんなことは当然のことをしたにすぎないんです。『ありがとう』を言うに値しないのです。…これには驚きました。すばらしい社会です。」

冒頭の裁判官の話や小田実氏の話のような話を沢山掲載した「人権小話集」や「人権意識チェック問題集」のようなものがどこかにないですかね…知っている人は教えて下さい。

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