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カテゴリー: 憲法リレーエッセイ

◆憲法リレーエッセイ◆ 人権擁護大会シンポジウム余聞

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会 員 永 尾 廣 久(26期)

姜尚中教授のドタキャン

10月4日、佐賀市で開かれた第55回目の日弁連人権擁護大会シンポジウム第一分科会は教育問題をテーマとして取り上げたものでした。私は、このシンポジウムに日弁連憲法委員会の委員長として関わりました。

教育問題をテーマとする大変地味なシンポジウムだけに集客力に不安がありましたので、実行委員会ではいろいろ検討し、試行錯誤を重ねたあげく、100万部も売れたと評判の『悩む力』の著者である姜尚中・東大教授を目玉にすえることにしました。超多忙な学者であることは周知のことですので、突然の体調不良や台風などのために急にキャンセルされたらどうしようという一抹の不安とともに準備をすすめていきました。

ところが、木曜日にシンポジウム本番を予定していた直前の日曜日の夜に「家族に不幸があって参加できない」とのメールが入ったのでした。まさしく晴天の霹靂です。実行委員会としては、何とか翻意してもらうべくタイムリミットぎりぎりまで働きかけをしましたが、ついに断念せざるをえなくなりました。

右派ジャーナリズムによるバッシング

その後、姜尚中教授のドタキャンは、結局、某週刊誌がその家庭内の不幸(長男の自殺?)というのをスクープとして大きく取り上げたことによるものだということが判明しました。東京の地下鉄車内での週刊誌の宙吊り広告には「姜尚中の家庭崩壊」と大書されていました。

ところが、ことが起きたのはなんと3年も前のことなのです。家庭内で不幸な出来事があったのが事実であったにしろ、それをあたかも最新のスクープであるかのように大々的に「報道」するのは、まさしくリベラル派知識人たたきを狙ったバッシング以外の何ものでもありません。

日中・日韓で領土問題に火がつき、「愛国心」が煽られるなかでの有名「在日」知識人バッシングとしか思えません。

出るべきか、出ざるべきか・・・

マスコミに詳しい弁護士のなかには、なんの、これしきの週刊誌の記事など、ものともせず、気にすることなく堂々と講演すべきだという声がいくつもあがりました。

でも、私はそれには同調できませんでした。教育シンポの基調講演者が、週刊誌で大きく「家庭崩壊」と報道されているのに、人前に出ることができるものでしょうか。私にはそうは思えません。少なくとも私は自信がありません。

寛容さを忘れようとしている日本社会

先に、生活保護問題で有名な芸能人の母親があたかも「不正受給」しているかのような一連の報道がなされました。

かつて、日比谷公園における「年越し派遣村」が話題になったことがあり、生活保護の受給がそれまでより容易になろうとしていたわけですが、今回は、まさにその逆風が激しく吹き荒れているという印象を受けます。

世界的にみると、日本は生活保護を受ける資格のある人の大半が放置されている国です。にもかかわらず、ますます生活保護を受けにくくする方向で政治が動いているのが悲しい日本の現実です。

ネット世界でも姜教授バッシングはひどいようです。昨今の日本社会が少しでも「異質」なものを排除しようとする寛容のなさに私は底知れぬ不安を感じてしまいます。

教育実践の報告があり、シンポは大成功

姜尚中教授の話を聞くのを楽しみに集まってきた一般参加者は怒り、詳しい事情説明を求めました。怒りをぶつけられるのは仕方ありませんが、詳しい理由を姜教授から聞いていない以上、弁明できません。ともかく、最後まで姜教授に出席を求める努力を尽くしたが結局、来てもらえなかったことを告げて参加者に対してお詫びするしかないということになりました。

姜教授のドタキャンの代替をどうするか苦悩しましたが、結局、世取山洋介・新潟大学准教授に話してもらいました。そして、北海道・宗谷(稚内)、東京の足立区と七生養護学校、さらに大阪の小河勝氏(府教育委員会の委員)に、教育現場の実情をたっぷり話してもらいました。教育現場の深刻な状況のよく分かる報告でした。

たとえば、小学校の低学年でかけ算の九九をまったく身につけていない子どもたちは授業が分からないまま大きくなっていく。そのうえ、漢字も読み書きがよくできないので、文章題が理解できない。学力向上を目ざすというのなら、この根本のところを改める必要があるのに、今は、これまで中学校レベルで教えていたものが、小学校レベルにおりてくるように年々難しくなっているというのです。

いずれにせよ、現代日本で少なくない子どもたちが社会で生きていくうえで十分な学力を身につけないまま放置されている現実を知ってショックでした。

宗谷(稚内)の元校長先生は、今の子どもたちは淋しがっている、子どもたちを温かく包み込む輪をつくるために教師だけでなく、地域ぐるみの連携が必要だし、それを実践していると力強く報告してくれました。うんうん、そうだよなと、思わずうなずいたことでした。

最後に、世取山准教授が指摘されていた1976年5月21日の旭川学力テスト事件最高裁判決は本当にいいことを指摘していますので、ここに紹介します。

「知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、例えば教師が公権力によって特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行わなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない」
このように、姜教授のドタキャンという災いが転じて福となるというシンポジウムでした。

◆憲法リレーエッセイ◆

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会 員 後 藤 富 和(55期)

1 生物多様性と憲法

先日、自由法曹団九州総会で屋久島に行きました。脱原発に向けた熱い議論を行ったのですが、私がもう一つ興味があったのは屋久島におけるウミガメの保護。屋久島は世界自然遺産の島として有名ですが、この島の永田浜は国際的に重要な湿地としてラムサール条約に登録されています。永田浜には絶滅の危機に瀕しているアカウミガメとアオウミガメが産卵のために上陸する貴重な海岸です。

夜、家族でウミガメ観察会に参加しました。ウミガメを観察するには、NGOのレクチャーを受け、その指示に従わなければいけません。勝手に浜に入ることは禁じられています。レクチャー後、真っ暗な中、ウミガメが上陸するのをじっと待ちます。灯りはダメ、カメラもダメ、ケイタイもダメ、おしゃべりもダメ、列を外れるのもダメ。

ウミガメ上陸の知らせが入り、ガイドについて一列で静かに浜を進みます。途中、卵から孵った子ガメ達が一斉に海に帰る場面に遭遇しました。100匹以上はいたでしょう。小さな体に不釣り合いな大きな前脚をバタつかせ懸命に海に向かいます。私達はじっと子ガメを見守ります。子ガメ達が全て海に入っても、しばらく動けません。すぐそばに上陸した母親ガメが産卵の準備を始めたからです。産卵の準備が整い、卵を産み出してから静かにカメに近づきます。大きなアカウミガメがピンポン玉くらいの卵を産んでいます。産み終わり砂をかぶせるまで黙って見守ります。母親ガメが向きを変えて大きな体を揺すって海に帰って行きました。最後まで子ども達と一緒に見送りました。

今回、産卵と孵化の両方に立ち会えたのは幸運でした。

憲法の話でなぜウミガメ?と思われた方もいるでしょう。ウミガメの産卵(生物多様性保全)という環境権、他方で観光という経済的自由。この調整としてウミガメを見るために様々な制限、義務を課す。私は永田浜での取り組みに人権の調整原理としての「公共の福祉」の実現をみた気がしました。

2 PTAと憲法

以前も書きましたが私は福岡市立警固小学校PTAの研修委員長をしています。今年度の目玉は、9月の福岡朝鮮初級学校訪問、10月の教育講演会。この講演会は「公害、環境破壊から子どもを守る~ミナマタの経験をフクシマへ」をテーマに馬奈木昭雄会員にお話しいただきます。講演会はPTA会員だけでなく地域の皆さんにも解放されますので、当会会員のみなさんもぜひご参加下さい。

日時  10月16日午後1時~3時

場所  福岡市立警固小学校体育館

    (スリッパをご持参下さい)

あっ馬奈木会員の西日本新聞の連載「馬奈木昭雄聞き書き たたかい続けるということ」が単行本になったのはご存知でしょうか(西日本新聞社、1,995円)。特に若い会員の皆さんにご一読いただきたいと思います。

また3学期には春田久美子会員を講師に「人権と憲法」の学習会も予定しています。その他、毎月、様々な人権学習を企画しています。小中学生の子を持つ会員の皆さん、PTAの研修委員会(成人学習委員会)に参加してみてはいかがでしょうか。

3 嫌韓論について

この夏、日本国内で飛び交った嫌韓論にはホトホト嫌になりました。以下は私がインターネット上で発表した意見の抜粋です。

出口のない批判ではなく落としどころをどうするのか、どうなったら100年来拗れている日韓関係のもやい直しができるのか、まずは双方の政治家が真剣に考えるべきです。ただ、政治家にそれが期待できないのだったら、双方の国民同士が互いに相手を批判するのではなく、解決の緒を作るための交流を続けるべきだと感じます。大きな括りで「日本人」「韓国人」ってひとまとめに記号化してキャラを作り上げているからいけない。その「韓国人」って具体的に誰?その「日本人」って誰のこと?韓国人の私の友人は僕や僕の子ども達をネットに書いてるような日本人観で中傷はしないでしょう。逆に僕も韓国人の友人やその家族をネットで書いてあるような韓国人観で中傷することは絶対にしません。

ぜひ、日本人の方は韓国人の友人のことを、韓国人の方は日本人の友人のことを具体的に思ってください。そうすると、ひとくくりに「日本人」「韓国人」って批判はできないでしょう。批判よりも、両国の平和友好をどう築いていくかを考えましょう。

ネット上で飛び交う両国国民の書き込みの行き着く先は戦争です。ストレス解消で相手国を批判しても戦争への道を一歩進めるだけです。もし自分が日本の総理だったら、韓国の大統領だったら、どうやって両国の関係を平和に導くか、批判だけする傍観者じゃなく、子ども達に未来を残す責務をおっている大人として、子ども達に戦争の惨禍を経験させないためにどうすべきかを真剣に考えましょう。

かなり激しい内容になりましたが、ここ数日、パソコンを立ち上げるのが嫌になる程、飛び交う言説に心を痛めていることを分かってください。それは私だけじゃなく多くの日本人がそう感じているはずです。

そして、韓国の方へ。多くの日本人は私と同じように日韓の平和を願っていることを信じて下さい。

◆憲法リレーエッセイ◆ 震災が残したもの

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会 員 原 田 美 紀(59期)

遊ぼうっていうと遊ぼうという

ばかっていうとばかっていう

震災後に繰り返し流れたACの広告。一時期はこどもたちまでもが口ずさめるほどだった。

この詩の作者金子みすゞは、明治36年の生まれである。西條八十にその才能を認められ、詩人としての道を歩むも、結婚した夫からは作詞活動を禁じられ、自身不治の病に罹ったなかで離婚。彼女から娘を引き離そうとする夫に抗い、26歳という短い生涯を終えた。

山口県仙崎市にある金子みすゞ記念館には、CMの影響もあってか休日ともなれば訪問客が絶えないという。

震災後、「絆」ということばをよく耳にし、人と人とのつながりの大切さが再認識されている。

あまりにも悲惨な状態を考えれば、簡単に副産物と言ってしまうにはためらいもあるが、こうした風潮が生まれたことの価値は大きい。知人である市の職員のひとりは、「震災直後、何とか力になろうと多くの職員が現地に赴いた。仕事を抜きにして、何かに突き動かされるような思いだった。わが市もまだまだ捨てたものじゃないと本当に思った」と語る。

その一方で、震災を機に突飛な理論も持ち出されている。そのひとつが憲法への国家緊急権条項導入理論である。

災害時において、適切な対応ができなかった。だから、今後このような災害が起こったときに政府の危機対処能力を高め、適切な対応を可能にするために、国家緊急権条項を憲法に盛り込むべきというのである。

「ええーっ! なんでそうなるの」

国家緊急権というのは、憲法を学んだ者であれば、誰もが知っている「超」憲法的概念である。国家緊急権の発動はそのまま憲法秩序の停止を意味する。

今回の災害時に政府による適切な対応がなされなかったのは、国家緊急権がなかったからではない。

災害対策基本法等により盛り込まれ、定められるべき組織や制度が機能しなかったにすぎない。

本当に危ぶまれる不備があるというのが理由であれば、それぞれの法律にこうした制度を入れ込めば済むだけの話ではないか。

災害の影響で苦しむ国民の救済という現実の問題を後回しにして、これを好機とばかりに、何ら議論もせずに情緒的にあおり、国民の人権保障のために最も大切である憲法の抜け穴を作ろうとする動きは信じがたい。

これからの日本のあり方を国民の一人ひとりが真剣に考えるときにきている。

「議論をしましょう」

憲法委員会がいつも市民に呼びかけていることばである。

今、現実の問題を直視し、議論を重ねるという努力をしなければ、手痛いしっぺ返しを受けるのは間違いない。それはそのまま我々に跳ね返ってくる。

こだまでしょうか いいえ誰でも

そう、立ち返ってみたい。

◆憲法リレーエッセイ◆「ひまわり一座の憲法劇に参加して」

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会 員 髙 木 士 郎(64期)

1 ひまわり一座とは

憲法記念日を前にした4月30日、中央市民センター大ホールにおいて、ひまわり一座による憲法劇「ぽったと原発の黒魔術」の公演が今年も行われました。

このひまわり一座、とは、弁護士が中心となって、日本国憲法を守る意義を多くの人達にわかりやすくかつ面白く伝える活動を行っている団体で、1989年の設立以来20年以上にわたって活動を続けてきました。ひまわり一座、という名前はご存じなくても一昨年の県弁主催の給費制維持市民集会で寸劇を行っていたメンバー、といえばおわかりになる方もあるかもしれません。

これまで、米軍基地問題や諫早湾干拓問題などを題材として取り上げ、身近な憲法問題についてみんなで考える劇を行ってきました。この様な長期にわたる活動の甲斐あって、現在、ひまわり一座には、演劇の専門家をはじめ会社員、学生など弁護士以外の多くの方々が、一座の活動に賛同し協力してくださっています。今年の公演でも、裏方さんまで含めると50余名の方が直接関わってくださり、そのうち4分の3は弁護士以外の方々です。

2 今年の憲法劇

今年の憲法劇は、「ぽったと原発の黒魔術」。この題名からおわかりの通り、福島第一原発の事故を題材としたお芝居です。魔法を使える魔法族と人間族が共存する社会で、魔法族の少年「ぽった」が、親友の「ろん」、「まい」とともにボランティアに向かった被災地でその被害の深刻さを知り、自分に何ができるかを模索し成長していく、というストーリーです。ですが、決して堅苦しいだけのものではなく、笑いあり涙あり、さらにはダンスもありの、楽しみながら原発にまつわる憲法問題を考えることができる内容でした。原発問題、というホットな話題が題材であったこともあってか、大ホールの客席はほぼ埋まり、立ち見が出るほどの観客の方にご来場いただくことができました。

私は、今年、ひまわり一座の公演初舞台でした。これまでお芝居などやったこともないのですが、地元に被害を与えた企業の会社員として苦悩する地元出身の青年という、演技も難しく、またストーリー上も重要な役をいきなり仰せつかりました。しかも、一つ一つの台詞が長い!ただ、役柄に難しいながらもやりがいを感じましたので、私が福島に行ったときに聞いた地元の方の話や原発で作業員として働いておられた方から聞いた話などを元に、原発の事故がもたらす被害の深刻さと置き去りにされた被災者の苦悩について考え、それが伝わってほしい、という想いで演技をしていくことにしました。

最初は、台詞も棒読みで、演技をしようとするとかえって不自然になってしまうなど全く上手くいかず、ほとんどパニック状態でしたが、共演者や演出家の方々から一緒に何度も稽古をつけてもらったおかげで、何とか本番では役を演じきることができました。客席で見ていた友人から、苦悩が伝わってくるような演技だったよ、というメールをもらったときはとてもうれしかったです。

また、公演が近づくにつれて、演技指導にも熱が入り同じ場面の共演者同士で自主練習をするなど、同じ劇を一緒に作り上げていっているのだ!という気持ちがどんどん強まっていきました。この様に、出会って間もない人達と一緒に、公演の成功という目標に向かって連帯感・一体感を持て、それを高めていくことができたことはとても有意義な経験だったと思います。

また、演技を実際にしてみて、自分の思っていること、伝えたいことを、言葉で人に伝えるには、声の大きさ、高さ、抑揚、視線、顔の向き、表情、身体の動きなど様々な点で工夫をしなければならないことを痛感しました。今後、尋問や相談など弁護士としての仕事の分野で、今回劇を通して学んだことを役立てていきたいと思います。

3 憲法講座

原発事故を題材にお芝居をするにあたり、被災地、特に福島に暮らしておられる方々がどのような状態にあるのか、どのようなことを考えておられるのか、また、原発で実際に働いておられた方々はどのような作業実態であったのか、その危険性はどのようなものだと教えられていたのか、などを学ぶための学習会を、劇の練習の合間に何度も行いました。

学習会に講師としてお招きした、福島に何度も足を運ばれ、ボランティアとして避難を希望される方と避難先との橋渡しを行っておられる方が語られたエピソードなどが脚本に盛り込まれるなど、劇を通して原発の生み出す憲法問題をより明らかで身近なものにするために学習会はとても有意義なものでした。

4 憲法劇団ひまわりサポートについて

昨年、憲法審査会が審議を始めたことに加え、今年に入ってからは主要政党が憲法改正原案を発表しました。この様な状況であるからこそ、私どもひまわり一座は、市民の方々と一緒に、芝居を通じて日本国憲法について理解を広げ、その素晴らしさを伝える活動を、よりいっそう行っていこうと考えております。

その活動の一環として、より幅広い層の市民の方々にひまわり一座に参加していただくために憲法講座をより充実させる、憲法劇を通じて憲法の意義を広く多くの市民の方々に知っていただくためにチケット販促活動にさらに力を入れるなどの点にさらなる尽力を行いたいと思っています。

これらの活動を支援するため、憲法劇を支える弁護士の会「憲法劇団ひまわりサポート」を立ち上げることになりました。福岡県弁護士会会員の皆様には、どうかこの趣旨にご賛同いただき、ご参加くださいますようお願い申し上げます。

5 終わりに

舞台をみんなで作り上げていくその高揚感、舞台を終えたときの達成感、その後の懇親会でのビールの美味さ、どれをとっても素晴らしいものです。憲法を大事にしたいと思っておられる方、演劇が大好きな方、舞台に立ってみたい方、ぜひ、ひまわり一座にご参加ください。また、裏方でのご参加も歓迎いたします。

来年も、憲法記念日の前後に公演を予定しておりますので、ぜひ観客としてもいらっしゃってください。よろしくお願いいたします。

◆憲法リレーエッセイ◆さよなら原発 3.11福岡集会に参加して

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会 員 國 嶋 洋 伸(63期)

3月11日・・・。日本国民の価値観すら変えてしまうような昨年の大震災と原発事故から1年が経ちました。慰霊、検証、追憶・・・人によってその日が持つ意味は様々でしょうが、「原発なくそう!九州玄海訴訟」の弁護団の一員でもある私は、天神の須崎公園で開催された「さよなら原発3.11福岡集会」に参加しました。

厳しく冷たい北風が吹く中、3千人を超える市民が集会に参加しました。沖縄のラッパーや平和を唱うミュージシャンがオープニングアクトを務めた後、地震発生の時間には黙祷を捧げて、福島から福岡へ避難してきた若いお母さんたち(「避難ママ」)や元原発労働者らが次々とトークライブを行いました。

避難ママたちは、幼い子供の手を引いてステージに上がり、「不安に怯えずに暮らせる平凡な日常を返して欲しい。」「子供たちが外で元気に走り回れるふるさとに帰りたい。」と涙とともに訴えました。

その後、思い思いの手作りのプラカードや旗を持って、九電本社前まで渡辺通りをデモ行進しました。

「原発なくそう!九州玄海訴訟」は憲法上の人格権を根拠にしているのですが、「人格権」なんて司法試験の受験生時代にはよく分からず敬遠していました。

しかし、避難ママたちの話を聞いて、「人格権」は「フツーの人がフツーに暮らす権利」だったり、「今日と同じ平凡な明日を迎える権利」だったり、当たり前だけど庶民にとってはかけがえのない大切な権利なんだなぁと感じました。

また、原発労働者の方たちは、今も昔も過酷な環境の中、命を削って働いています。そのことに対して避難ママたちは「誰かの犠牲の上に成り立つ幸せなんて、ホンモノの幸せじゃない。」と言っていました。このことは、原発問題に限らず、沖縄米軍基地の問題や貧困と格差の問題などすべてに共通する、まさに憲法上の個人の尊重の原則の問題でしょうか。

もう一つ、私は「よみがえれ有明海訴訟」の弁護団にも参加していますが、島原の漁師さんから聞いた「普賢岳の噴火で海が変わっても魚は戻ってきたが、人が造った堤防で壊れた海は戻らん。自然災害は自然が戻すけど、人がやったことは自然には戻らん。宮城や岩手の漁師もすぐに戻るけど、福島は大変だろう。」と言う言葉が忘れられません。
私の祖父は宮城在住で家が多少壊れたものの、すでに元の生活を取り戻しています。福島の人たちも早くふるさとに帰れる日が来るといいのですが、果たしていつになることでしょうか・・・。

3月11日は、福岡だけでなく、北九州でも5000人、久留米と大牟田でも、それぞれ300人規模の脱原発集会が開催されました。

万が一、玄海原発で福島レベルの過酷事故が発生したら・・・福岡でも今日と同じ明日を迎えることは困難でしょう。

自然がもたらす恵みの中で、今日と同じ平凡な明日を迎えることができることに感謝しつつ、その権利を守るためにはみんなが知恵を出し合ってエネルギー問題を真剣に考えなければならないし、その陰に誰かの犠牲があってはいけないと、あらためて感じさせられた1日でした。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

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