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あさかぜ基金だより ~島原中央ひまわり基金法律事務所引継式~

カテゴリー:月報記事

弁護士法人あさかぜ基金法律事務所 弁護士
中 嶽 修 平(66期)

はじめに

平成26年2月24日、長崎県島原市のホテル南風楼にて、島原中央ひまわり基金法律事務所引継式が開催されました。あさかぜ基金法律事務所1期生の吉澤愛先生が、所長を退任されるため、事務所の後輩である私も引継式に参加してきました。

島原市について

島原市は、長崎県の南東部にある島原半島の東端に位置する、人口47,904人(平成26年1月31日現在)の都市です。そして、長崎地方・家庭裁判所島原支部、島原簡易裁判所の所在地です。さらに、島原半島中央部の眉山(標高818.7m)を中心として東側の有明海へ伸びる傾斜地となっており、湧水や温泉もある土地です。私は、島原の魅力を肌で感じるため、前日に島原入りしました。

まず、島原の郷土料理である具雑煮でお腹を満たしました。そして、アーケード街にある足湯で疲れを癒しながら、水路で泳ぐ鯉を眺め、水屋敷や四明荘を見て回り、心も体もリフレッシュ出来ました。夜は居酒屋に行き、居酒屋の店主の話を聞きつつ、有明海の魚を堪能しました。島原の住環境はとても良く、司法過疎地域への赴任を目指す私にとって楽しみが増えました。

引継式について

九弁連理事長の住田定夫先生をはじめ、日弁連副会長の大沢一實先生、日弁連公設事務所・法律相談センター委員長の藤田哲先生や長崎県弁護士会会長の梅本國和先生らが引継式に出席なさいました。そして、退任された吉澤先生と着任された平野正也先生が、任期中の感想や今後の抱負などを述べられました。

吉澤先生は3年間の任期中に、相談314件、事件121件を取扱い、刑事事件を同時期に9件ほど取り扱っておられました。また、保健所や社会福祉協議会などと外部機関との連携を深め、小中学生の法廷傍聴を実施されるなど法教育にも熱心に取り組まれていました。そのようなことから、裁判所や行政機関などからの信頼も厚く、さらに地域住民にコアなファンが生まれるなど、様々な方から頼りにされていました。

平野先生は、養成事務所である東京フロンティア基金法律事務所では、東日本大震災関連の相談業務や犯罪被害者問題に取り組まれてきました。そして、2代目所長の抱負として、吉澤先生が築かれた福祉関係者との関係をさらに発展させ、高齢や病気で相談に行くことが出来ない人のために、自分から近寄っていきたい旨、力強く宣言なさいました。また、平野先生は、大の温泉好きで、島原半島に泉質の異なる温泉があることもご存知で、どう入浴したら最も効果があるのか研究したい、とも述べられ、島原での生活を楽しみにされていました。

引継式の後は、引継披露会が開催されました。披露会には、島原市副市長、長崎地方裁判所島原支部長、地元司法書士会の関係者や九州各地の公設事務所の弁護士など、多数の方が駆けつけて下さいました。これだけ盛大な引継披露会になったのも、吉澤先生の島原での活躍と、平野先生への期待の大きさによるものだと思いました。

おわりに

今回の島原中央ひまわり基金法律事務所引継式は、翌日の地元新聞にも大きく取り上げられており、島原での大きな関心事でありました。また、ひまわり基金法律事務所が司法過疎地域に対し、司法サービスを提供してきたことの意義を再認識することが出来ました。
最後に、吉澤先生、3年間の任期大変お疲れ様でした。平野先生、より一層島原の住民のために頑張ってください。お2人の今後のご活躍とますますの発展を祈念いたしまして、結びの言葉といたします。

給費制本部だより

カテゴリー:月報記事

会 員 田中 広樹(66期)・西村 遼(65期)・本間 綾(66期)

1 はじめに

貸与制のもとで修習を終えた会員が、当会にも多数登録しています。実際に、どのような経験をしたのか、そして、法曹を目指そうとする人たちが、現状をどのように捉えているのか、今回は、その生の声をお届けいたします。

2 貸与制と法曹

田中広樹(66期)

(1) 法科大学院時代から修習時代にかけて

私は法科大学院にけっこう長い期間おりまして(・・・。)、そのおかげでたくさんの仲間を得ることができました。しかし、初期の大学院時代の仲間と末期(?)の大学院の仲間とはイメージがだいぶ異なります。初期の仲間には様々なバックボーンを持った、それこそ法科大学院制度が目指した「社会人等としての経験を積んだ者などを幅広く受け入れ、多様なバックグラウンドを有する法曹を輩出していくこと」が可能な仲間が多かったように思われます。これに対し現在の法科大学院には、そのような人材は極めて少ないように感じられますし、現実にそうなのでしょう。
修習時代にもそれは感じました。私は40歳で修習に入ったのですが、周りを見渡すと40代はおろか、30代を見つけることすらなかなか難しい状況でした。
それはなぜでしょうか?社会経験等、多様なバックグラウンドを有する人間にとって、法曹が魅力的な存在ではなくなったのでしょうか?それもあるかも知れません。弁護士になったからといって、もう将来は安泰という時代ではないということは、誰しも耳にタコができるほど聞いているでしょう。そうであれば企業に守ってもらうほうがいいや、と考えるのも頷けます。しかし、理由はそれだけでしょうか?私は給費制の廃止が(社会人経験者等を含む)法科大学院離れ、法曹離れの一因であると考えます。

(2) 給費ってなんだろう

私はこう思っています。
司法修習生に対する給費とは、社会の法曹への信頼の顕れではないでしょうか。給費を何に使おうがそれは個人の自由でしょうが、給費で買った物や受けたサービスひとつひとつが国民の信頼そのものではないでしょうか。国民の権利を守るためしっかり伸び伸びと勉強してくれ、という思いではないでしょうか。
貸与制になったからといって、修習生の生活はそれほど変わりません(まあ、保険証がないのは困りましたが)。しかし、私に最高裁から振込まれたお金には国民の信頼はないのかも知れません。それを潜在的な法曹志望者が感覚的に理解しているからこその法科大学院離れ、法曹離れではないでしょうか。
修習中、仲間が、「僕はプロボノはできないし、やるつもりもない」という趣旨のことを言っていました。それは国民に信頼されていないことを悲しむ彼なりの叫びだったと思います。

(3) 弁護士会の給費制に対する取り組みについて

そんな暗い気持ちをどこかに持ちながら、会議に参加したのですが、先輩方の熱い行動力には正直驚きました!1000団体をはるかに超える団体署名(※本年2月12日時点で1235団体)、国会議員へのロビー活動など、生き生きと活動されている姿に、面食らってしまったほどです。
先輩方が、この問題について自分たちのことのように真剣に考え、悲しみ、怒って下さっている姿に、若干暗い気持ちでいた私も心打たれました。

(4) おわりに

給費制本部の仕事は、ともすれば後ろ向きのそれとも見え、少し暗いイメージがあることは否めないかも知れません。しかし、暗い気持ちでやっても何事もうまくはいかないでしょう。やるからには楽しくやろうと思います。そのときに自分の社会経験などを活かすことができればうれしいです。
先輩諸氏におかれましては、ぜひ給費制本部の活動にご支援をお願いいたします。

3 貸与制に対するロースクール生の声

西村 遼(65期)

2月に私の事務所へエクスターンシップに来ていたロースクール生(2年生)に、貸与制についての率直な考えを伺ったので、その内容をご紹介いたします。
彼女が通うロースクールでは、貸与制について反対の署名を集める活動をしている学生がおり、彼女が知っている限り、全てのロースクール生が反対の署名をしています。特に、在学中に多額の奨学金を借りている学生は、場合によっては、司法修習に行くことを諦めなければならず、貸与制維持は、深刻な問題です。
ロースクールに通っている学生は、ある程度裕福な人が多く、金銭的に余裕のない学生は、ロースクール進学の時点で、法曹になる夢を諦めてしまっています。貸与制に移行した今後は、この傾向がさらに強まると思われ、幅広い分野から優秀な人員を集めるという当初の司法制度改革の目的から外れてしまっているではないか、むしろ、司法制度改革前のほうが多様かつ優秀な人材が法曹になっていたのではないかとの声が学生の中から聞こえてきます。
貸与制移行は仕方がないと考えている少数の学生の中でも、自分が希望しない遠隔地に修習になった時に引越し費用や家賃の補助が出ないこと、和光の寮に外れた場合にも下宿代の補助が出ないこと等については、問題視されているようです。
67期から、一部、修習中のアルバイトが許されるようになったそうですが、許可されたアルバイトの範囲が狭く、それだけでは、貸与を受けることなく家賃や生活費を賄うには不十分であると感じています。
最近では、弁護士の増加に伴い、事件の受任件数が減り、弁護士の収入が減っているという話を聞くと、弁護士になった後に学生時代の奨学金や貸与金をきちんと返済できるか非常に不安に思いますし、また、公益的な活動に取り組むのも難しくなるのではないかと思います。
法曹になるための経済的負担を増やすことによって、志の高い、良い法曹が社会に出る機会を減らすことは、社会にとって大きな損失だと思いますので、早期に、貸与制を見直していただきたいです。
以上のように、現役のロースクール生及び学部生で法曹を目指そうとしている人たちが抱えている悩みは切実です。実際に、私がロースクールへ進学する際も、ロースクールの学費や貸与制への不安を理由に、ロースクールへの進学を断念した友人もいました。志の高い人たちが、司法修習中の収入等を理由に法曹への道を諦めずに済むよう、早急に給費制が復活されることを願います。

4 貸与制度の下で修習を終えた実感

本間 綾(66期)

(1) 修習開始前の貸与制の影響

私は、日本育英会から奨学金を受けながら、法科大学院を卒業しました。そして、5月に司法試験を受験した直後から、福岡市にある某法律事務所でアルバイトをさせてもらいました。
9月に司法試験の合格発表があり、嬉しさを噛みしめていた反面、実務修習地が福岡県以外になったらどうしようと非常に不安になりました。なぜなら、66期も貸与制になると予想していましたし、貸与制に加えて引っ越しするとなると引越代や新たに部屋を借りるための費用がかさむからです。
そこで、当然、実務修習地の第1希望は福岡にしましたが、熊本に配属になりました。
そのため、修習開始直前までアルバイトを続け、熊本に赴くための費用を捻出しました。

(2) 修習時の実感

熊本では、裁判、弁護、検察修習とそれぞれ楽しく充実した修習を送りました。
特に、熊本の検察修習は、修習生も検察の一員と考え、他県に比べ格段に多くの事件を修習生に配点していました。私も、不出頭を繰返す在宅事件の被疑者が住むマンションの前で、検事や事務官の方々と一緒に張り込みするという一生に一度の経験をすることができました。
ただ、私達修習生は、事件の処理に不慣れであったため、連日午後5時15分以降も残り(時には最終退庁者になることもあり)、貸与制なのにと思うことが正直ありました。
さらに、運の悪いことに、私は集合修習中の寮にも外れてしまい、貸与制ならせめて希望する修習地や寮に入れるように配慮すべきではないかと強く思いました。
しかし、現実には別の配慮が働いたように思います。
というのも、熊本修習で寮に外れた人数は例年2名だったのですが、66期は5名も外れ、しかも5名とも30代だったことから、貸与制の下でも比較的経済的に余裕がありそうな30代に金銭的負担を負わせようという何らかの意図が働いたのではないかと感じたからです。もちろん、寮に外れた修習生は、30代であっても皆余裕はなく、現に、私は、法科大学院時代の奨学金返済と福岡以外の修習地になったことでかさむ費用を賄うため、住居加算を受けていました。
今、修習を終えてみて、たしかに修習は充実しており、多くを学ばせていただいたことは事実で、このような機会があったことは、私の成長にもつながったと思います。
しかし、日々、借金が増えているのだという精神的・経済的な負担は辛いものでしたし、自分のためだと思ってはいても、修習を「させられている」というような気持ちになったことも否定できません。仮に給与制であったならば、法曹として社会全体に育ててもらっているという感謝の念をより持ち、より多くのことを学べたかもしれないと思うこともあります。

(3) 今後について

弁護士となって、貸与金を今すぐ返済するわけではありませんが、将来に対する不安を感じています。後に続く修習生達が、65期、66期が感じている不安を感じないよう、諸先生方には給費制復活にご協力いただけますことをお願い申し上げます。

5 実際に貸与制のもとで修習をした、あるいは、する予定の後輩たちが、どのように感じているのか、今回はその一部をご紹介させていただきました。
経済的な問題により、修習での学びが萎縮するとすれば、非常に大きな問題です。また、今後法曹を目指そうとする人たちにとって、貸与制が大きな障害であるととらえられるのであれば、そのことも看過することはできません。
後輩たちがさらされている、厳しい現実を踏まえて、法曹養成の在り方と切り離すことのできない、給費制の問題について、これまで以上に、会員の皆様のご支援、ご協力をいただければ幸いです。

「転ばぬ先の杖」(第3回) ~労働事件 事前に弁護士に相談していれば~

カテゴリー:月報記事 / 転ばぬ先の杖

会 員 三 浦 正 道(54期)

1 「転ばぬ先の杖」は、月報平成26年1月号から始まり、本号で第3回となりました。今回までは、広報委員会の担当者が執筆させていただきます。

2 私が所属する事務所では、企業から労働問題についてご相談を受ける機会が少なくありません。会員諸氏はよくご存じのことと思いますが、労働事件は、特に在職中の従業員とのトラブルの場合、現在進行形で事件が進むことが多く、問題が発生する前に、早期に弁護士に相談するのが好ましいと言えますが、やはり、問題が発生・拡大してからのご相談も少なくありません。

3 食料品の製造・販売を行っているA社は、事業所の1つにおいて、長期間勤務している事務の責任者Bが、恒常的に、一部の従業員に対して陰湿ないじめを行っており、そのために過去に数名の従業員が退職した程であったため、Bを、同一市内にある本社営業部に異動し、営業部門の社員の補助的な業務を命じました。また、上記異動と同時に、Bの給料を約5万円減額しました。上記異動後、Bは、暫くは勤務していましたが、体調不良を理由に欠勤するようになり、2か月ほど欠勤していたところ、配転命令の撤回、賃金差額及び慰謝料の支払を求めて労働審判を申し立ててきました。

A社は、この時点で、相談に来られました。

まず、A社の社長によると、他の従業員に対するBの陰湿ないじめは、多くの場合、言葉や態度によるものとのことでしたが、いつ、誰に対して、どのようないじめがなされたのかを、具体的に把握できていませんでした。

Bによるいじめを主たる理由として配転するのであれば、配転命令の効力が争われた時に備えて、いじめについての具体的な事実関係を把握するため、被害者・目撃者から十分に事情聴取し、それを証拠化しておくべきでした。早速、事業所でBによるいじめの被害を受けた従業員及び周囲の従業員から、いじめの内容について具体的な事実関係を聴取し、それを書面化してもらいました。その結果、十分と言えるかは微妙でしたが、複数人に対するいじめについての具体的な事実を把握することができました。

次に、給料の減額については、事業所の事務責任者としての手当を外したのみならず、基本給にも及んでいました。A社の賃金規程には、基本給の減額についての規定はありませんでした。基本給の減額については、撤回を検討することとなりました。

更に、就業規則上、私傷病による1か月の欠勤により、休職を命じる旨の規定がありましたが、A社は、Bに対し、診断書の提出を求めることもせず、また休職を命じることもせずに、欠勤を放置したままでした。

そこで、直ちに、Bから診断書を徴求し、そのうえで、休職を命ずる辞令を出しました。

労働審判では、A社からの提案もあり、BがA社を退職する方向で話しが進み、結局、基本給の減額分の差額賃金及び解決金の支払と引き換えに、BがA社を退職する内容で調停が成立し、終了しました。

4 企業の人事・労務担当者には、弁護士に相談すべき事項を的確に把握しておられる方も多く、就業規則の改訂、問題となりそうな配転命令、メンタル疾患の従業員への対応、懲戒処分、解雇、有期契約労働者の雇留め等の際には、事前にご相談に来られることが少なくありません。企業が事前に弁護士に相談し、アドバイスを受けることにより、適法かつ適切な雇用管理を行うことができ、その結果、労働者の権利も守られるのです。

また、上記事案のBは、弁護士を付けずに労働審判を申し立てました。本人申立の割に、申立書の体裁は整っていましたが(何らかの士業の方が作成したもののように見受けられました)、内容的には不十分なものでしたし、法廷での審判委員会との遣り取はおぼつかない様子でした。特に、Bが、争点と関係のない事実について延々と喋るなどしたためか、審判委員会の理解も得にくかったように見受けられました。やはり、労働審判事件では、労働者側も、弁護士の代理人が不可欠であると考えた次第です。

ITコラム パソコン自作のすすめ

カテゴリー:月報記事

会 員 松 本 圭 司(55期)

私が使うデスクトップパソコンは、全て自分で作ったものです。といっても、そんなに難しい話ではなく、パーツを買ってきて、ドライバーで組み立て作業をやるだけです。

自作の一番のメリットは、本当に自分のニーズに合った無駄のないパソコンが手に入るということです。中には安上がりであることをメリットに挙げる人もいるかもしれませんが、私の作るパソコンにはあまり当てはまりません。確かに、同等スペックでの比較なら既製品より若干安くなりますが、私は、高級パーツで組むことに幸せを感じてしまう人間なので、大体いつもお財布に優しくないパソコンが出来上がります。

デメリットとしては、パソコンメーカーの保証がないので、故障したときは、自分で原因を突き止め、修理や部品交換をする必要があるという点です。でも、慣れてくると、どこが悪いのか何となく判断できるようになりますので、あまり気にしたことはないです。むしろ、最新のパーツに買い換える口実になるので、故障は楽しみ(?)の一つでもあります。

自作する上で最低限必要なパーツは、マザーボード、CPU、メモリ、ハードディスク、電源、ケースといったあたりです。以前は、複数のモニターを使ってマルチディスプレイにしたいときは、更にグラフィックボードを用意する必要がありましたが、最近では、CPU内蔵のグラフィック機能が優秀なため、必ずしも必要ありません。それから、パーツではありませんが、OSソフトを用意する必要があります。パーツと同時購入が条件となりますが、DSP版というのを買えば、かなり安く済みます。

マザーボードは、パーツを組み付ける基板です。対応するCPUが決まっており、規格の合ったものを購入する必要があります。

CPUは、計算処理を行うところで、頭脳にたとえられます。性能がよくないと仕事に時間が掛かることがあります。非常に壊れにくいパーツですが、私の場合、使用中に画面が固まる症状が出て取り替えた経験が一度だけあります。

メモリは、主記憶装置と呼ばれるもので、割と故障は少ないですが、静電気に弱く、起ち上げ後、すぐシャットダウンするようになった場合、メモリの故障が原因のことがあります。

ハードディスクは、データ等が保管されている記憶装置のことで、結構壊れやすいです。大体異音等の予兆がありますが、壊れなくても数年に一度は換装するのが望ましいです。ハードディスクの健康状態を調べるフリーソフトも出回っていますので、利用するとよいでしょう。最近は、起動用にSSDというものが用いられることが多くなりました。ハードディスクと比較して高価ですが、起ち上がりが驚くほど早くなります。起ち上がりが遅くて苛立つパソコンは、メーカー保証期間が過ぎたらSSDに換装するのをお勧めします。

電源は、滅多に壊れませんが、稼働中に壊れると、他のパーツも壊れる危険があるので、なるべく高くても信頼できるものがお勧めです。

ケースは、既製品にはない、カラフルでおしゃれなデザインのものがたくさん出回っています。自分だけのオリジナルのパソコンを作る上では、一番こだわるところかもしれません。

こういったパソコンのパーツを取り扱う店は、福岡にもありますが、正直ちょっと割高なので、私の場合、東京出張のついでに秋葉原の電気街に寄ったり、通販で購入したりしています。
パソコン自作は、趣味としても面白いと思いますし、パソコンの故障にうろたえなくて済むようになりますので、結構お勧めです。手始めに、既製のパソコンの部品の換装あたりから始めてみるというものいいのではないでしょうか。

◆憲法リレーエッセイ◆ じのーんちゅの憂鬱

カテゴリー:憲法リレーエッセイ

会 員 天 久  泰(59期)

2014年2月1日に福岡市内で行われたある学習会で,「じのーんちゅの憂鬱」とのタイトルで講演をさせていただいた。講演の内容をダイジェストでご紹介し,エッセーに代えたい。

「じのーん」とは,沖縄の方言で「宜野湾」(ぎのわん)のことで,「ちゅ」は「人」。宜野湾は米軍普天間基地を抱える沖縄本島中部の市である。私の実家は普天間基地の滑走路から直線距離で数百メートル。弁護士になるまで宜野湾で育った私は,普天間基地をめぐって「じのーんちゅ」が抱く「憂鬱」は,概ね次のようなものと考える。

軍用機の騒音。墜落に対する恐怖感。米兵が起こす犯罪の理不尽さ。基地雇用や軍用地主という基地経済を巡る住民同士の意見対立。沖縄県外から(ときには県内でも),基地のそばで生活する苦しみや本当の望みを理解してもらえない。政治家は住民,県民のためを思ってくれているのか。何かにつけて問題がすりかえられてしまう。子,孫にこの状況を引き継がなければならないのか。戦争で苦しんだ祖父母,先祖に,きっと平和な島にすると誓ったはずなのに,変えられない無力感。いつになればこの憂鬱から逃れられるのか,という憂鬱感。

唐突だが,私は2004年に司法試験に合格した。その年の8月は,宜野湾市内にある沖縄国際大学の図書館で口述試験に向けて勉強を続けていた。8月13日の午後,大学に普天間基地所属のCH-53型輸送ヘリが墜落した。全長27m,重量10tの大型ヘリが。翌日イラクへ飛ぶ前の最終テスト飛行中の墜落。原因はピン1つの止め忘れという人為的ミス。担当整備士は,毎日17時間連続の勤務を強いられていた。事故時,私は散髪に行き図書館にいなかった。事故を知った私の妹は,私の携帯へ何度も電話をしていた。着信に気付いて大学へ向かうと,周辺道路は大渋滞となっていた。死者の出なかったことだけが救いといえる事故だった。

年間約3万回。普天間基地で軍用機が離着陸を行う回数である。2000年の日米合意では,「日本国内の米軍基地の安全基準と環境保護基準は,日本又はアメリカの国内基準のより厳しい方を適用する」とされた。その「厳しい方」の米国連邦航空法のクリアゾーン規制(滑走路の両端から900m以内には一切建物をあってはならない)に従えば,クリアゾーン内に小学校,児童センター,公民館,保育園,ガソリンスタンドのほか800戸の住宅がある普天間基地は,存在しえない飛行場となる。アメリカの基準ではヘリの旋回訓練は民間地上空では禁じられているが,普天間基地ではそれも守られていない。

宜野湾市の保管する宜野湾市史によれば,普天間基地のある場所は,戦前まで役所や畑がある土地であり,戦後,住民が土地を利用したくてもできなくなった。民間地の中に基地が一方的に居座っているのである。戦後,危険を承知で住民が基地に近づいていったなどという構図はない。

私の母の3人の姉は,沖縄戦の最中に栄養失調などで亡くなった。そのことを話題にすると,「いや,うちの身内にも特攻隊に行った人がいる。沖縄の人だけが被害を声高に叫ぶのはおかしい」と言われたこともある。私は被害自慢,不幸自慢がしたいのではなく,あの戦禍の直後,国民全体がハッと我に返り,心に深く刻んだものを思い出して欲しいと願うだけである。

在沖米軍普天間基地公式HPでは,普天間基地の任務は,「海兵隊総司令官からの指名によりその他の活動や部隊に施設を提供して地上軍支援の為に艦隊海兵部隊航空機運営の支援」を行うことと紹介されている。「海兵隊」とは,上陸作戦,即応展開などを担当する外征専門部隊であり,つまり海外へ行き,小規模紛争や人質奪還のため揚陸,急襲するいわば殴り込み部隊である。周辺国から見て,自国に揚陸,急襲される怖れは感じさせるだろうが,日本への攻撃を躊躇するという意味での抑止力たり得るのかと問いたい。

沖縄米兵少女暴行事(95年)を契機に,政府は最大7年内の普天間基地の全面返還を発表したが,その条件に代替施設としての滑走路を備えたヘリポートの建設を挙げ,97年には名護市辺野古沖が移設候補地とされた。97年には,名護市条例に基づく市民投票で基地建設に反対する票が半数を占めた。
2010年1月の名護市長選挙では辺野古基地建設反対派の稲嶺進氏が当選し,同年9月の名護市議会議員選挙でも反対派が多数になった。11月の沖縄県知事選挙では,再選された仲井真知事も普天間基地の県内移設反対を選挙公約にした。沖縄では,県知事・県議会・名護市長・名護市議会が一体となって,普天間基地の辺野古移設に反対する状況になった。2010年4月には9万人の県民が参加する「普天間飛行場の県内移設反対県民集会」,2012年9月にも10万人が参加する「オスプレイ配備に反対する県民大会」が開催された。
このような流れに逆らって,仲井間知事は2013年の暮れ,辺野古基地建設を容認した。私は,自分の口が開いたまま,このまま塞がらなくなるのではないかと思うほど呆れ,心配し,「憂鬱」の「憂鬱」たる所以を改めて思い知った。

沖縄の古い格言に,「ちゅんかい くるさってー にんだりーしが,ちゅんくるちぇー にんだらん」という言葉がある。直訳すると,「人に酷い目に合わされても眠れるが,人を酷い目に合わせたら眠れない」という意味である。自分の事以上に,人の事を思いやりなさいという教えである。宜野湾市民は,日本の国政,そして沖縄の県政における少数者である。名護市は人口,経済の面でより小規模であり,より少数者的な立場にある。普天間基地を名護に押しつければ,宜野湾市民は間違いなく眠れない。2014年1月19日の名護市長選で基地移設反対派の稲嶺市長が再選され,開いたままとなっていた私の口は少しだけ塞がった。

普天間基地の問題,ひいては基地の問題は,憲法問題,社会問題の縮図である。生命健康について幸福を追求する権利,平和的生存権,居住移転の自由,地方自治と公的交付金の関係性,地方と中央との差別,基地をめぐる利権と社会構造の是非,報道の社会的使命等々。原子力発電所誘致の問題と類似の構造も見える。

少数者の人権が保障されず,意見が最大限尊重されない社会に未来はないと思う。これからも「じのーんちゅ」として声をあげていきたい。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

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