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カテゴリー: 憲法リレーエッセイ

◆憲法リレーエッセイ◆ 君ゆでガエルとなりたもうことなかれ

カテゴリー:憲法リレーエッセイ

会 員 原 田 美 紀(59期)

ゆでガエル理論というのをご存知だろうか。
熱いお湯にカエルを入れると驚いて飛び跳ねる。
ところが、常温の水に入れ、徐々に熱していくと、カエルはその水温に慣れていく。そして、熱湯になったときには、もはやカエルは跳躍する力を失って飛び跳ねることができずに、ただただそのままにゆであがってしまう、というものである。

今の憲法改正や集団的自衛権の行使容認の動きをみるにつけ、私はこのゆでガエルを思い出す。
じわじわと自分たちが知らないうちに、為政者の意図する方向に導かれ、あっと気づいたときには、取り返しのつかない、どうしようもない事態に陥ってしまっている。そんなゆでガエルになってはならないのだが・・・

縁あって、私は今、福岡県弁護士会の憲法委員会委員長を務めさせていただいている。
法学部出身ではなかった私は、受験時代に初めて憲法というものに触れたと言ってよい。そして、個人の人権を守り、国家権力を制限するという憲法というものを作り出した人々の英知に感動したのを覚えている。
もっとも、弁護士になって、諸先輩方の熱い議論を聞くにつけ、自分の不勉強を自覚せざるをえなかった。
また、恥ずかしながら、今まで護憲、特に9条を守るということについて回りの委員ほどの熱い思いを持っていなかった。
理想と現実の間の妥協点というものは常に必要であり、全面的にイエスとかノーという結論を出すよりもよい結果となることの方が多いと思っているし、積極的妥協というのはあってよいと思っていた。

その私が、である。おかしいと思うのである。
テレビでの議論などを見ながら、「憲法が古いぃ?時勢に合わない?個人を尊重するのが憲法の目的で、そのために最低限に必要なものが平和だという根本に古いも新しいもないだろうが・・・」「解釈改憲…なんですとぉ。」といちいち突っ込んでいる。

解釈改憲、その言葉自体に矛盾を感じる。
ときの政府を縛るはずの憲法を、縛られる立場の政府が、国民の意思を問うという議論も手続もなしに解釈によって実質的に変えてしまう。ありえない話ではないか。
「改正」というとドラスティックな印象を与えて多くの反対者が出ることが予測されるから、あえて、「改正」という手続を採らず、「解釈」という手段をつかう。あまりにも姑息な手段ではないか。
集団的自衛権の行使容認にしても、こんなに国民生活に影響を与える問題を、十分な議論も、その議論の前提となる資料も示されないで(ここが重要だと思うのです)、強行することが許されるのだろうか。
それに、そもそも、集団的自衛権の必要性をいうときによくつかわれる「近隣諸国との摩擦」、これは個別的自衛権の強化の問題であって、集団的自衛権とは無関係のはずである。集団的自衛権の行使容認の目的が、一国との関係を強固にしたいというところにあることは明々白々である。
そんなことで、多くの人の犠牲のうえに成り立った今の平和を壊してなるものかと思うのである。
長年にわたり容認されてきたものを変えるというにはそれなりの積極的論証が必要なはずだが、どの意見を聞いても問題のすりかえにしか思えない。

この時勢の変化に、敏感に反応できる行動できる人間になれるか、私の課題である。

◆憲法リレーエッセイ◆ 集団的自衛権と「積極的平和主義」

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会 員 永 尾 廣 久(26期)

集団的自衛権と憲法

4月10日、日弁連会館(クレオ)で、日弁連主催のシンポジウムがあった。3年つとめた日弁連憲法委員会の委員長としての最後の仕事として、パネルディスカッションの司会をつとめた。4人のパネリストは多彩で、豪華メンバーだった。

北澤俊美・参議院議員は、防衛大臣経験者として集団的自衛権の行使を容認することの恐ろしさを語り、同じく元内閣法制局長官の阪田雅裕弁護士が政府解釈の変更がなぜ許されないのかを明らかにした。

半田滋氏は、防衛省そして自衛隊を取材して20年になるジャーナリストとして、話題を提供した。

谷口真由美氏は国際法の大学准教授であると同時に、全日本おばちゃん党代表代行として、関西弁で、難しい問題をもっと分かりやすく国民に訴えかけていく必要性を力説した。

以下、少しシンポジウムの内容を紹介したい。

究極のシビリアンコントロールは9条

民主党政権のもとで長く防衛大臣をつとめた北澤俊美氏は、精強な自衛隊が必要だという考えである。ただ、その活躍の場としては、3.11のような大規模災害現場を想定している。戦争を前提とするものではない。

この点は、私もまったく同感だ。3.11の現場で自衛隊が活躍したことを、私も高く評価している。大災害の場合には、警察力だけでは足りないことは明らかだ。

そして、制服組をコントロールするときの最大の拠りどころは、交戦権を認めない憲法9条だと北澤氏は強調した。私は、この点についても、なるほどと思った。

防衛大臣として何回も訪米してアメリカの政府首脳と会った体験をふまえて、北澤氏は、アメリカが日本に集団的自衛権を行使できるようにすることを求めている事実はないと断言する。ただし、海上自衛隊の幹部のなかには行使容認を求める人もいるが、それはアメリカ軍との合同演習に参加したときに不便だという理由からなので、これは、なんとか解決する方法はあるとみている。

安倍政権が集団的自衛権の行使容認を強引にすすめようとしているのは、本当に危険なことだと北澤氏は何回も強調した。

自衛隊の任務は人命救助

半田滋氏(東京新聞編集委員)の示した画像はショッキングだった。イラクへ派遣された自衛隊の装甲車には大きな日の丸のシールを貼っているように日の丸が目立つ。一人ひとりの隊員にも日の丸のワッペンが身体のあちこちに貼られていて、服装も砂漠では目立つ深緑色だ。これはアメリカ兵と際立って異なっている。アメリカ兵のほうは、砂漠に溶け込む茶色の服で、もちろん星条旗なんて身につけない。

これは、両者の任務の違いから来ている。アメリカ兵は、あくまで戦場で殺し合いをするためにイラクにいる。だから目立ってはいけない。しかし、日本の自衛隊員はイラク復興支援、いわば人命救助に来ている。だから、アメリカ兵と決して見間違われないように、日の丸をあちこち目立たせているのだ。

これが憲法9条の実際的効果である。まさしく9条は生きている。戦争をしない国から来た自衛隊は、人殺しではなく人命救助のために来たことがイラクの人々から理解されたおかげで、イラクで自衛隊員は一人も殺されることがなかった。

安倍首相は卑怯

阪田雅裕弁護士は、内閣法制局の長官をつとめた経験にもとづいて法律論を展開した。この60年間、日本の自衛隊は戦力でないと、政府はずっと言い続けてきた。そして、集団的自衛権は行使できないとしてきた。それが行使できるというのであれば、自衛隊は外国の軍隊と同じものになってしまう。そうなると、憲法9条は、あってないようなものになる。そんな重大なことを、憲法改正ではなくて、安倍首相は閣議決定で変更するという。

これは卑怯だと思う。正々堂々と国民に問いかけて、きちんと信を問うべきだ。憲法9条を空文化することは、身内が戦争で死ぬかもしれない、外国へ殺しに行くようになるかもしれない。その覚悟があるのか、国民は問われることになる。

元法制局長官のこの言葉は、とてつもなく重い意味がある。

安倍首相の「積極的平和主義」

安倍首相がなんかいいこと言ってるよな・・・、がんばってるんだね。そんな印象を与えるコトバだ。

しかし、だまされてはいけない。この言葉、実は全身が剣と鎧に覆われている。きな臭さが漂っている。積極的に武力で抑え込んで世界の平和を実現するということだ。そんなことを日本がやろうとしている。しかし、世界最強の軍事力をもつアメリカだって武力による平和を成功していない。かえって、テロを多発させたり、内乱状態を生んでいる。

本当の積極的平和主義

伊藤真弁護士とは、日弁連で一緒に活動している仲(副委員長)だが、彼は安倍首相のコトバの使い方は間違っていると主張する。本当は積極的非暴力平和主義として使われてきた。つまり、あらゆる暴力から解放された状態を積極的平和(主義)と呼んできた。積極的平和とは戦争のない状態のこと。積極的平和とは、戦争だけでなく、さらに、貧困や搾取、差別などの構造的な暴力がなくなった状態をいう。

武力を行使する「積極的平和主義」」とは・・・

安倍首相は集団的自衛権についての政府解釈を一変させて容認しようとしている。日本を戦争する国に変えようというわけだ。そして、世界の平和を日本の武力で守るという。世界の不正と悲惨、不安と恐怖を除去するために積極的に貢献する。そのためには武力行使も辞さない。これを積極的平和主義というのである。

これまでの日本は、積極的・受動的平和主義だった。これからは、積極的に平和を維持、回復するためには武力行使をふくめた積極性が必要だと安部首相は叫んでいる。

安倍首相は、アメリカのスピーチでPositive Peaceではなく、Proactive Contributor to Peace(率先して平和に貢献する存在)という言葉をつかった。

しかし、武力で「平和を維持」しようというのは、一見、可能と思われるかもしれないが、実は無理なこと。そして、諸外国からは日本は変わった、日本は外国のために戦争をする普通の国になった、こう見られてしまう。これは、とてつもなく大きな変化であり、平和な国・日本のイメージが大きくダウンしてしまう。

集団的自衛権とは・・・

集団的自衛権は、個別的自衛権と文字面で似ているが、両者はまったく別のものなのである。外国を守るためのものとして限定しているわけでもない。

日本は何もしないと攻められる。では、何かしたら守れるというのか。アメリカは世界最大の軍事力を過去も現在も持っているが、9.11の事態を防ぐことは出来なかった。地球の裏側までもアメリカと一緒になって戦争しに行く日本なんて、絶対になってはいけないと私は思う。

日弁連憲法問題対策本部

憲法委員会の委員長職を3年間つとめた。この間に二度、人権擁護大会のシンポジウムに関わった。佐賀での教育シンポと広島での「国防軍」シンポ。教育問題という地味なテーマで、どれだけ参加者があるか心配したが、なんとか会場は埋まり、内容も充実していたので、もったいないので本にしようということになって出版した。だけど、売るのは大変だった・・・。

日弁連は、憲法委員会を発展的に解消し、この4月に憲法問題対策本部を発足させた。毎日のように憲法改正をめぐる動きが報道されているなかで、日弁連の活動を発展させ、強化しようというものだ。私も副本部長の一人になったので、引き続き微力を尽くしていきたい。

◆憲法リレーエッセイ◆ 講演会に参加して~集団的自衛権って何?~

カテゴリー:憲法リレーエッセイ

会 員 栃 木 史 郎(65期)

1 福岡県弁護士会は、2014年(平成26年)2月24日、伊藤塾塾長・日弁連憲法委員会副会長の伊藤真弁護士(東京弁護士会所属)を講師として、「集団的自衛権って何?」との表題での市民向けの講演会を開催しました。

2 伊藤弁護士は、まず民主主義や立憲主義、個人の尊重、平和主義といった憲法の基本原理を解説されました。その上で、国連憲章における集団的自衛権に関する規定の創設過程や、集団的自衛権の法的根拠、集団的自衛権についての政府側見解等について、丁寧に説明されました。
講演会を通して、伊藤弁護士は、自動車のアクセルにあたるのが民主主義であるなら、ブレーキにあたるのが立憲主義であるといった分かりやすいたとえを用いたうえで、濫用の危険性のある権力に縛りをかける立憲主義の重要性を、繰り返し、述べておられました。
講演会の様子を網羅的にご報告したいところではありますが、紙面に限りのあるリレーエッセイでは全てをお伝えすることが叶いませんので、そのごく一部についてのご報告に限らせていただきたいと思います。

3 集団的自衛権は、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利とされます(1981年5月29日政府答弁)。
集団的自衛権の法的性質については、個人の正当防衛と同様に考える立場や、個別的自衛権の共同行使と考える立場等がありますが、そのいずれに対しても法的な見地からの批判がなされています。

4 集団的自衛権に関する従来の政府解釈は一貫しており、憲法9条は、個別的自衛権の行使のみを認めており、集団的自衛権の行使を容認しないとする立場を取っています。
しかし、2014年2月12日衆議院予算委員会での、解釈改憲によって集団的自衛権の行使が可能となるかとの内閣法制局庁長官への質問に対する、「最高の責任者は私だ。」等との安倍内閣総理大臣による発言に代表されるように、昨今、憲法の解釈を変更することにより、集団的自衛権を容認すべきとの見解が見られます。
しかし、伊藤弁護士は、国民の多数の指示があっても、政治家が従わなければならないのが憲法であり、解釈変更による集団的自衛権の行使を容認する立場は、いずれも、国民の多数も過ちを犯すことを前提に国家に縛りをかける立憲主義の発想に反しているとして、批判されました。

5 そもそも、集団的自衛権は、その濫用により平和への脅威となりうる、近隣諸国との緊張を高めるべきではない、行使を認めると敵国やテロの標的となり、かえって、国民が危険にさらされる等の懸念があります。
伊藤弁護士は、解釈変更、憲法改悪を阻止する上で、権力の危険性へのイマジネーション、戦争の悲惨さへのイマジネーション、自分の生活がどう変わるのかのイマジネーションが重要であるという自身の見解を、最後に市民の方々に示されました。

6 講演会でのお話の中で、特に印象に残ったお話があります。それは、ナチス党政権下のドイツにおける国家元帥であった、ヘルマン・ゲーリングの言葉です。「国民を戦争に参加させるのは、常に簡単なことだ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張するだけでいい」。
現在の日本の情勢において、ヘルマン・ゲーリングの言葉は、特別な意味を持っていると感じました。

◆憲法リレーエッセイ◆ じのーんちゅの憂鬱

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会 員 天 久  泰(59期)

2014年2月1日に福岡市内で行われたある学習会で,「じのーんちゅの憂鬱」とのタイトルで講演をさせていただいた。講演の内容をダイジェストでご紹介し,エッセーに代えたい。

「じのーん」とは,沖縄の方言で「宜野湾」(ぎのわん)のことで,「ちゅ」は「人」。宜野湾は米軍普天間基地を抱える沖縄本島中部の市である。私の実家は普天間基地の滑走路から直線距離で数百メートル。弁護士になるまで宜野湾で育った私は,普天間基地をめぐって「じのーんちゅ」が抱く「憂鬱」は,概ね次のようなものと考える。

軍用機の騒音。墜落に対する恐怖感。米兵が起こす犯罪の理不尽さ。基地雇用や軍用地主という基地経済を巡る住民同士の意見対立。沖縄県外から(ときには県内でも),基地のそばで生活する苦しみや本当の望みを理解してもらえない。政治家は住民,県民のためを思ってくれているのか。何かにつけて問題がすりかえられてしまう。子,孫にこの状況を引き継がなければならないのか。戦争で苦しんだ祖父母,先祖に,きっと平和な島にすると誓ったはずなのに,変えられない無力感。いつになればこの憂鬱から逃れられるのか,という憂鬱感。

唐突だが,私は2004年に司法試験に合格した。その年の8月は,宜野湾市内にある沖縄国際大学の図書館で口述試験に向けて勉強を続けていた。8月13日の午後,大学に普天間基地所属のCH-53型輸送ヘリが墜落した。全長27m,重量10tの大型ヘリが。翌日イラクへ飛ぶ前の最終テスト飛行中の墜落。原因はピン1つの止め忘れという人為的ミス。担当整備士は,毎日17時間連続の勤務を強いられていた。事故時,私は散髪に行き図書館にいなかった。事故を知った私の妹は,私の携帯へ何度も電話をしていた。着信に気付いて大学へ向かうと,周辺道路は大渋滞となっていた。死者の出なかったことだけが救いといえる事故だった。

年間約3万回。普天間基地で軍用機が離着陸を行う回数である。2000年の日米合意では,「日本国内の米軍基地の安全基準と環境保護基準は,日本又はアメリカの国内基準のより厳しい方を適用する」とされた。その「厳しい方」の米国連邦航空法のクリアゾーン規制(滑走路の両端から900m以内には一切建物をあってはならない)に従えば,クリアゾーン内に小学校,児童センター,公民館,保育園,ガソリンスタンドのほか800戸の住宅がある普天間基地は,存在しえない飛行場となる。アメリカの基準ではヘリの旋回訓練は民間地上空では禁じられているが,普天間基地ではそれも守られていない。

宜野湾市の保管する宜野湾市史によれば,普天間基地のある場所は,戦前まで役所や畑がある土地であり,戦後,住民が土地を利用したくてもできなくなった。民間地の中に基地が一方的に居座っているのである。戦後,危険を承知で住民が基地に近づいていったなどという構図はない。

私の母の3人の姉は,沖縄戦の最中に栄養失調などで亡くなった。そのことを話題にすると,「いや,うちの身内にも特攻隊に行った人がいる。沖縄の人だけが被害を声高に叫ぶのはおかしい」と言われたこともある。私は被害自慢,不幸自慢がしたいのではなく,あの戦禍の直後,国民全体がハッと我に返り,心に深く刻んだものを思い出して欲しいと願うだけである。

在沖米軍普天間基地公式HPでは,普天間基地の任務は,「海兵隊総司令官からの指名によりその他の活動や部隊に施設を提供して地上軍支援の為に艦隊海兵部隊航空機運営の支援」を行うことと紹介されている。「海兵隊」とは,上陸作戦,即応展開などを担当する外征専門部隊であり,つまり海外へ行き,小規模紛争や人質奪還のため揚陸,急襲するいわば殴り込み部隊である。周辺国から見て,自国に揚陸,急襲される怖れは感じさせるだろうが,日本への攻撃を躊躇するという意味での抑止力たり得るのかと問いたい。

沖縄米兵少女暴行事(95年)を契機に,政府は最大7年内の普天間基地の全面返還を発表したが,その条件に代替施設としての滑走路を備えたヘリポートの建設を挙げ,97年には名護市辺野古沖が移設候補地とされた。97年には,名護市条例に基づく市民投票で基地建設に反対する票が半数を占めた。
2010年1月の名護市長選挙では辺野古基地建設反対派の稲嶺進氏が当選し,同年9月の名護市議会議員選挙でも反対派が多数になった。11月の沖縄県知事選挙では,再選された仲井真知事も普天間基地の県内移設反対を選挙公約にした。沖縄では,県知事・県議会・名護市長・名護市議会が一体となって,普天間基地の辺野古移設に反対する状況になった。2010年4月には9万人の県民が参加する「普天間飛行場の県内移設反対県民集会」,2012年9月にも10万人が参加する「オスプレイ配備に反対する県民大会」が開催された。
このような流れに逆らって,仲井間知事は2013年の暮れ,辺野古基地建設を容認した。私は,自分の口が開いたまま,このまま塞がらなくなるのではないかと思うほど呆れ,心配し,「憂鬱」の「憂鬱」たる所以を改めて思い知った。

沖縄の古い格言に,「ちゅんかい くるさってー にんだりーしが,ちゅんくるちぇー にんだらん」という言葉がある。直訳すると,「人に酷い目に合わされても眠れるが,人を酷い目に合わせたら眠れない」という意味である。自分の事以上に,人の事を思いやりなさいという教えである。宜野湾市民は,日本の国政,そして沖縄の県政における少数者である。名護市は人口,経済の面でより小規模であり,より少数者的な立場にある。普天間基地を名護に押しつければ,宜野湾市民は間違いなく眠れない。2014年1月19日の名護市長選で基地移設反対派の稲嶺市長が再選され,開いたままとなっていた私の口は少しだけ塞がった。

普天間基地の問題,ひいては基地の問題は,憲法問題,社会問題の縮図である。生命健康について幸福を追求する権利,平和的生存権,居住移転の自由,地方自治と公的交付金の関係性,地方と中央との差別,基地をめぐる利権と社会構造の是非,報道の社会的使命等々。原子力発電所誘致の問題と類似の構造も見える。

少数者の人権が保障されず,意見が最大限尊重されない社会に未来はないと思う。これからも「じのーんちゅ」として声をあげていきたい。

◆憲法リレーエッセイ◆ 危険な秘密保護法~反対の声を~

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会 員 井 上 敦 史(62期)

昨年11月29日、自民党の石破茂幹事長が、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と、あまりに非常識な発言をしました。

この発言は、秘密保護法案に反対する国民のデモ活動に対するものです。

あまりにも危険性を孕んだ法案であるので、国民は反対しているということを全く理解していないのでしょう。

当会でも秘密保護法案に反対する活動を行いましたので、秘密保護法にはどのような危険があるのかとともにご報告させていただきます。

昨年12月4日、12時から天神パルコ前で、秘密保護法案に反対する街頭宣伝活動を行いました。

橋本千尋会長を先頭に、30名を超える会員が大きな声を上げ、約1000枚のビラを配って、町の皆様に秘密保護法案の危険性を訴えました。

道ゆく人々の中には、私たちが配っていたビラを受け取り、「あの法案は危険だねぇ」、「頑張って」、「どういったところが危険なのですか」と話された人もいるほど、国民が関心を持っており、反対の声が大きい法案でした。

残念ながら、この法案は、強行採決となり12月6日に「秘密保護法」が成立してしまいました。

「秘密保護法」は国民主権原理の根幹を揺るがす大きな危険性を孕んでいます(秘密保護法の成立に至るまでの経緯で、すでに国民主権原理がないがしろにされているように思えますが・・・)。

この「秘密保護法」が孕んでいる大きな危険性は、以下のようなものです。

まず、「知る権利」(憲法第21条)を侵害しているという点があります。

「特定秘密」に指定されてしまうと、国民には何の情報も得ることはできません。私たちの国家で何が行われているのか、どのような方針で動こうとしているのか全く分からないようになってしまいます。その結果、私たちが国家統治に十分な情報を持って関われなくなり、「国民主権」という言葉は形骸化してしまいます。

また、ある情報を「特定秘密」に指定するのは行政機関となっているので、行政機関が自己に都合の悪い情報を秘匿できるようになります。国は情報操作をすることにより、「知る権利」を容易に侵害することができるのです。

次に、「特定秘密の対象範囲が広範で不明確だ」、という点があります。

「特定秘密」とは一体何なのか、法律に定義規定はあるものの明確には示されておらず、広範なものとなっています。

その上、「特定秘密」を取得する行為や、取得しようと話し合う行為などが処罰対象となっています。

そのため、記者が取材をしようとしたときに、実は取材の対象が「特定秘密」と指定されていたものであれば、罰せられることになってしまいます。記者は取材を萎縮するようになり、「取材の自由」、「報道の自由」を侵害することにもなっているのです。

さらに、罰せられる場合においても、「特定秘密」が明確でなく広範であるために、なぜ自分が罰せられるのか、裁判においてどのように防御すればいいのか分からない状態となってしまいます。

「特定秘密」が明確でなく広範であるために、様々な問題が生じています。

最後に、「適性評価制度」によりプライバシーが侵害されるという点があります。

「適性評価制度」は、「特定秘密」を取り扱う者を管理するために、住所歴などの人定事項だけでなく、信用状態や犯罪歴などの事項を調査して、「特定秘密」を取り扱う者としてふさわしいかどうかを判断されるというものです。

調査の対象は、本人だけでなく、家族などの周辺の者や医療機関、金融機関などまで含んでいます。

このようなセンシティブな情報を行政機関や警察が収集し、利用することにより重大なプライバシー侵害が生じるのです。

このように、秘密保護法は大きな危険性を孕んだまま成立してしまいました。
まだ今からでも遅くありません。この法律の危険性を訴えながら適用させず、廃止するよう声をあげていきましょう!!

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