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カテゴリー: 憲法リレーエッセイ

◆憲法リレーエッセイ◆ 戦争法案って、ホントの話?

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会 員 永 尾 廣 久(26期)

無用なレッテル貼り?

安倍首相は、戦争立法はやめてほしいと質問した国会議員に対して、事実に反するレッテル貼りをやめてほしいと答えたといいます。

歴代の自民党内閣は、集団的自衛権の行使容認は日本国憲法の下では認められないとしてきました。ところが、自民・公明を与党とする安倍政権は、積極的平和主義の名のもとで、政府解釈を一変させました。日本が攻撃されてもいないのに、一定の要件を満たせば他国の軍隊と一緒になって海外へ出かけて武力行使ができるというのです。

でも、昨年7月1日の閣議決定だけでは、自衛隊は海外へ戦争しに出ていくことはできません。それを可能にする法律の裏付けが必要です。それが現在、国会で審議中の安全保障法制関連法案です。

日本の平和と安全を守るためには、日本が攻められる前に、日本の自衛隊も武器を持って外国軍と一緒になって積極的に海外へ展開して行動する必要があるというのです。安倍首相は、武力行使によってしか平和は守れないとします。本当でしょうか。

武力行使とは戦争のことであり、たとえ小さく始まった戦争であっても、どんどんエスカレートしていって、私たち国民の人権とか生命・健康なんて二の次、三の次になってしまうのではないでしょうか。それよりも、紛争が戦争に発展しないように、お互いの親善交流をすすめるべきだと思いますし、そのためにこそ政治はがんばるべきではないでしょうか。

「戦争」映画をみて・・・

アメリカ映画「アメリカン・スナイパー」を見ました。イラク戦争でのアメリカ軍の実態を見た思いです。爆弾を抱えてアメリカ軍に自爆テロ攻撃を仕掛けようとするイラク人の子どもをアメリカ軍のスナイパーはきわどいところで射殺し、助かったアメリカの兵士から感謝されます。でも、これって、アメリカ軍はイラクの民衆全体を「敵」に回していたということじゃないの。私は、この映画を通してそう思いました。

たとえ一人のスナイパーが600人のイラク人を「敵」として殺しても、それで戦争に勝てるはずはありません。むしろ、「敵」が増えるだけではないでしょうか・・・。イラクの現実が、それを証明していると思います。

ヨーロッパ映画「あの日の声を探して」は、チェチェンに侵攻したロシア軍の残虐ぶりを浮き彫りにしています。主人公の9歳の男の子は、目の前で両親をロシア兵から殺され、そのショックで話せなくなってしまいました。この映画では、同時に、ギターを弾いて楽しんでいたロシア人の若者が、ひょんなことからロシア軍に兵士として取り込まれ、ついには殺人マシーンに変容していく状況も描かれています。アメリカによるベトナム侵略戦争を描いたアメリカ映画「フルメタル・ジャケット」にも同じような過程が紹介されていました。

つまり、自衛隊が外国の軍隊と同じ存在になったとき、それは災害救助に出動して人命を救うのではなく、人をいかに多く効率良く殺すかという人殺しを使命とする集団になってしまうのです。

戦記文学を読んで

戦記文学としては大岡昇平の実体験をもとにした「レイテ島戦記」が有名です。

私はフィリピンのレイテ島に行ったことがあります。日弁連のODAに関する現地調査でした。しかし、レイテ島には、今やジャングルはありません。すべて人工植林です。そして、レイテ島で戦死した日本兵の大半は、実は、餓死したのでした。

最新の戦記文学「指の骨」(高橋弘希)を読んで、作者は自分の原体験を活字にしたと思いました。ところが、文献を踏まえた想像なのでした。作者は、なんと30代半ばなのです。前途ある若者が南方の島で飢えに苦しみ、まともな医療品もないなかで、もがき、苦しみます。戦争の悲惨な状況がリアルに描かれ、背筋がゾクゾクして寒気を感じました。

続いて、「中尉」(古処誠二)、「星砂物語」(ロジャー・パルパース)を読みました。「中尉」はビルマ(現ミャンマー)で敗退していく日本軍の軍医が主人公です。「星砂物語」は沖縄の島で起きた戦争中の悲劇をアメリカ人が「再現」して、読ませます。

この戦争は政府(軍当局を含む)がひき起こした無暴なものであり、有害無益でした。その反省は、今なお、政府当局者に求められています。「政府の行為によって再び戦争の惨禍」を起こしてはなりません。

戦後70年を再び戦前に戻さないために

団塊世代の私は、戦後生まれなので、もちろん戦争体験なんてありません。私より若い安倍首相も同じです。「戦前の美しい国・ニッポン」を取り戻すと安倍首相が叫ぶのを聞くたびに、自分だって戦後生まれなのに・・・、と思います。それはともかく、安倍首相は、平和を維持するために日本の自衛隊を海外へ送ると言います。それも、戦場の間近まで、です。

「後方支援」というのは、いわゆる兵站(へいたん)活動ですから、戦闘行動とは一体のものです。ですから、いつ、敵として攻撃を受けるか分かりません。

万一、不幸にして日本人の戦死者が出たとき、安倍政権は大々的な葬儀を営むことでしょう。でも、死んでから「英雄」と称えられて、誰がうれしいでしょうか。

いま、日本では、日本人は世界に冠たる優秀な民族だ、中国や韓国にこれ以上謝る必要はないという声がネット上でかまびすしいようです。だけど、近隣諸国をバカにして親善交流はできません。このグローバル化した世界で、日本だけが孤立して生き残れるはずもありません。日本が他国へ侵略して残虐な行為をしたことは歴史的事実なのです。そのことを忘れないことによって、将来にわたって戦争しない決意が本物になります。

尖閣諸島を巡って、仮に中国と日本が殺し合いをして、いったいどれだけの意味があるというのでしょうか。意味があるどころか、無意味と言うより巨大な損失を日本と世界にもたらすことは必至です。

安倍首相は、積極的平和主義の名のもとに、日本国内の軍需産業を大きく育成しようとしています。「死の商人」は、これまでもいましたし、これからも増えることでしょう。

安倍首相が進めているのは、武器の開発と輸出です。これは、日本国憲法9条のもとでは認められません。
戦後70年、平和な国ニッポンから、戦争する国・ニッポンに変わろうとしています。自衛隊に戦死者が出たとき、日本は、もはや戦後ではなくなります。それは、戦前の始まりなのです。そんなことにならないように、福岡県弁護士会では6月13日に憲法市民集会を開催することになりました。戦争するための安全保障法制にストップをかけるための集会とパレードです。ぜひ、あなたも参加してください。

◆憲法リレーエッセイ◆ 「9条なし崩しを食い止める」

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会 員 津 田 聰 夫(28期)

憲法の改正抜きで集団的自衛権行使を容認する新安全保障体制を法制化しようという動きが進んでいる。前のめりの安倍首相が推し進めているこの動きに対し、与党の中でこれに明確に異を唱える者は見当たらず、野党の一部はむしろこれに同調する姿勢のようである。

憲法の枠内であると称して進めている行政主導で立法を巻込んだこの動きだが、これが憲法の大原則に反するものであることは言うまでもない。すなわち、内容的には、憲法第9条や同99条に対する明白な違反である。憲法を変えることなくそれを実施しようというのだから、紛れもなく立憲主義違反の行為である。

この動きを見ると、過って反対する者を許さず全国民を巻込んでわが国を戦争の惨禍に陥れた歴史や、ナチスがクーデター的に全ドイツを戦争国家に変えていった悪夢の繰返しが新たな一歩を踏み出そうとしていることを感じて慄然とする。

もとより、世界の状況は、先の大戦前のとは大きく異なっており、他国に対する侵略は、公式的には、許されないとされている。だから、大日本帝国の過っての対外侵略が単純に再現されるといったことはなかろう。新安保体制は憲法の柱である恒久平和主義と紛らわしい「積極的平和主義」を目指すとされている。

しかし、ベトナム戦争で敗退し、さらに、イラクやアフガニスタンに軍事介入してきて、現在の中東における混乱の遠因を作ったアメリカが集団的自衛権行使の主要な「お友達」というのだから、これは正しくは積極的戦争主義と言い直すべきであろう。

憲法抜きの法制化という欺瞞的なやり方により出来た体制のもとでは、それに関わる具体的紛争事件が生じない限り、その違憲性を司法の場で問うことは出来ないとされている。しかも、その司法が毅然として国民の負託に応える姿勢を示すかどうか、はなはだ心もとない。

もしこの法制が出来れば、それを覆すには、主権者国民の多数を基礎に国会でも議員多数の賛同を得て、この法制を廃止するしかない。しかし、いったん出来た法制を変えることはなかなか困難な課題であろう。可能であれば、立憲主義が民主主義の基本であることを国民多数の共通認識にして、その圧力で法制化を食い止めたい。

集団的自衛権の法制化を止めさせ得るほどの国民多数の意思の結集が出来るか、容易ではないだろう。言えることは、心ある者全て、周りの人々に戦争への道に反対することを訴えて、訴えた人を訴える人に変え、ねずみ算式に訴える人を増やしていき、国民の大多数を立憲派にすることを目指す、それしかないのではないか。
変える相手は1人でも2人でもよい。出来る人は、もちろん、いくら多くともよい。日本の将来を憂う者、全て、本気になって周りに働きかける人になる、その意味で「活動家」になる、それしかない、と思う。

◆憲法リレーエッセイ◆ そうだったのか!日弁連会議

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会 員 原 田 美 紀(59期)

「池上さんをもう一度呼びたいね。」
「吉永さん、本人はギャラいらないって言っているらしいけど事務所がね。」(と個人的なファンなのかくやしそうな大阪のN弁護士)
「本当は桑田さんにバーンと音楽やってもらって何とか人を集めたいんだけど・・・何か画期的なことやらないと・・。」(ずっと前から桑田さんイチオシの東京のF弁護士)
池上さんとは、「そうだったのか!」でご存じ池上彰さん。吉永さんは、女優の吉永小百合さん、桑田さんとは、歌手の桑田佳祐さんである。
芸能イベントの話ではない。日弁連憲法問題対策会議イベントPT(私はここに所属しました)で交わされていることばである。
誰を招いたら多くの市民を動員できるか、みな真剣。具体案が次々に出てくる。
昨年7月には、池上彰さんを口説き落とし、中学生限定企画夏休み親子憲法セミナー「池上彰さんと一緒に考えよう そうだったのか!憲法そして平和」を開催。とても好評であった。あまりの忙しさからか殆どの依頼を断られているという池上さんだが、テーマと中学生を対象としたイベントということでなんとか参加を承諾、時間を作っていただいたのだ。一旦お引き受けいただいたら、どんどん進んでいく。すごい人というのは、本当にすごい。

日弁連では、今、2014年7月1日の集団的自衛権行使等を容認する閣議決定を根拠とする関連法案の改正を行うことに反対する国民の声を広げて政府に届けようと、数々の運動を行っている。この春には全国一斉キャラバンも実施している。
ひとつの問題にこのように多くの予算を費やし、数々の運動をするというのは、日弁連にとっても初めての試みらしく、それだけこの問題に危機感をもっているのだといえよう。
それを受け、全国で数千人規模の市民集会やパレードが行われている(福岡県弁護士会でも去年の11月には600人規模の市民集会とパレードを、また今年の6月13日には福岡県弁護士会主催の1700人規模の市民集会、それに先駆けて筑後部会、8月2日には北九州部会で800人規模の市民集会が開催予定、ぜひ参加してください)。

日弁連のPT会議は2か月に1回の割合。
「たまには東京の空気を吸うのもいいと思いますよ。」お誘いいただいたときのN弁護士の言葉だ。
飛行機が苦手な私は片道5時間をかけ、新幹線で上京する。午後1時開始の会議に遅れまいと新幹線の降車口のある八重洲口から反対側の丸の内中央口まで東京駅構内横断のため猛ダッシュ。
会議の場の霞ヶ関の弁護士会館に着いた途端約4時間の熱い議論が開始するという具合だ。
長時間の会議にありがちな、だらだら感はまったくない。全国の弁護士が本当に真剣に熱い意見を戦わせているのだ。
確かに、「日米の国防に対する意見書云々」等の議論にはウルトラマンのピコピコ(古いですか)よろしくもうダメだと脳が拒否反応を起こしそうになったこともあるが、それでも、真剣に憲法問題を論じるたくさんの弁護士の存在、その意見を聞けるこの会議は楽しみであった。
「個人の問題を解決するという仕事も大切だが、それだけでなく、広く社会のことに目を向ける弁護士になってほしい。」修習の終わりに指導担当のN弁護士から言われたことばである。
私は3年間、日弁連の会議に参加した。この春から他の弁護士にバトンタッチするが、本当にことばには尽くせないほど多くのことを得た。目から鱗が落ちる思いも何度もした。
少しでも多くの若手弁護士が積極的に日弁連の会議に参加し、それこそ社会に目を向けてほしいと願っている。

こうした機会を与えてくださったN先生、本当に感謝しています。でも、東京の空気をゆっくり吸う時間はありませんでした。

◆憲法リレーエッセイ◆ 沖縄が問うているもの

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会 員 我那覇 東 子(50期)

私の出身は沖縄県那覇市で、県外の大学に行くまで過ごしました。米軍の戦闘機やヘリの騒音で会話が途切れるのは日常茶飯事でしたし、幼少の頃は、フェンスを隔てた美しい芝生の広がる敷地の米軍住宅や、のびのびと遊ぶ米国の子供らを羨ましく眺めたものです。そして、離れてみて想う故郷は、昔も今もかわらず、平和というものとは遠い、翻弄される激動の地でもあります。

<捨石の沖縄>

今年で戦後70年となります。先の大戦では幾多の尊い犠牲がはらわれました。中でも沖縄では激しい地上戦となった結果、10万人以上の民間人が凄絶な最期をとげました。以来、現在に至っても、彼の地は米軍支配の下、捨石のような状態が続いています。国土の0.6%、全国人口の1%の沖縄に、日本の米軍基地の74%が集中しています。そのために、日常的な米軍戦闘機やヘリの騒音被害、墜落等事故、環境破壊・汚染、米兵等による婦女暴行事件や交通事故等の様々な人権問題、社会問題が引き起こされています。

ちなみに、1972年本土復帰から2013年末までに沖縄県内で発生した「米軍航空機関連事故等」は、判明分だけで594件に上っています。その主な事故態様は、墜落45件、部品等落下46件、不時着439件。発生場所は、基地内443件、民間地151件――この内訳は、住宅付近20件、民間空港35件、空き家等31件、畑等15件、海上46件、その他4件(以上は沖縄県知事公室基地対策課資料)。つまり、年間14.5件、月に1~2件のペースで、狭小の沖縄では、何らかの米軍航空機関連事故が発生し、同時に、県民の平和的生存が脅かされ続けています。

2004年8月13日、沖縄国際大学構内に米軍ヘリが墜落・炎上しました。このヘリ、25メートルプール程の巨大なもので、私は九弁連人権擁護委員として墜落現場の視察に赴いてみたのですが、大学構内の建物壁に広がる黒く焼け焦げた惨状に、墜落の衝撃を想像して思わず息を呑んだのです。また、事故機の部品には、放射性物質(ストロンチウム90)が使用されていたため、墜落現場付近の汚染が濃厚となりました。

2013年8月5日、キャンプ・ハンセン内に米軍ヘリが墜落しました。墜落現場は基地内とはいえ、もともと狭小の地。飲料水を取水している大川ダムの北端すぐ、民家から僅か2キロ程の地点です。事故機の部品には、放射性物質(トリウム232)が使用されており、やはり土壌・水質汚染が強く懸念され、県民の健康被害も危ぶまれます。

<まるで他人事>

さて、渦中の普天間・辺野古基地を巡って、国は「普天間基地が固定化する。」という殺し文句を繰り返しては、その代替としての辺野古基地を強いるわけですが、では沖縄に辺野古基地が永劫に固定化するのはいいのか?(全く基地負担軽減にならない)普天間の危険性除去をいうなら、なぜ新たな基地周辺部のそれは放逐されるのか?この言説には、子どもでもわかるような詭弁があるだけでなく、その責任の主体というものが一向に明らかにされません。外国の軍隊に基地の提供をするのは、あくまでも主権国の責任に基づくものですし、ましてや、その場所を外国が特定するのは越権です。まずもって国内で決着すべき問題を等閑したまま、日米両国で決めたものだからと豪語してはばからない国の態度はいささか滑稽でもあります。今更ですが、70年も普天間基地を固定化し続けてきたのは、まぎれもなく国の責任であったということです。

<民主主義の真価が問われる>

この点、沖縄では従前から各自治体含めて新基地建設反対の声がありましたが、2010年、名護市辺野古の新基地建設に反対を掲げた稲嶺氏が名護市長に当選し、昨年11月には、同じく基地建設反対の翁長氏が沖縄県知事に当選しました。さらに、昨年12月の衆議院選挙でも、新基地建設反対を明確に政策目標とした4つの選挙区全ての議員が当選しました。こうした幾重もの民意に照らせば、筆舌を超えた基地被害を甘受しなければならない地元全体が、辺野古基地建設に反対である、と考えるのが筋でしょうし、かりにも主権国かつ民主主義国家である以上、その選挙結果には、米国も含めた再協議や検討を踏まえるなどの最大限の敬意が払われてしかるべきでしょう。

ところが、首相は、翁長新知事との面会を拒否し続け、沖縄振興予算を一方的に削減し、知事を支持した企業を公共事業から排除するなどして、公金で県民の首を絞めつけます。さらに、民意を一顧だにせず基地建設を強行したため、政府の露骨な県民切り捨ての暴挙に対して、地元の憤懣は高まり、溝は深まるばかりです。私は思いきり、いぶかしみたくなるのです。「果たして日本は民主主義国家を標榜しているのだろうか?」「はたまた、沖縄は昔も今も治外法権なのだろうか?」

<憲法問題のるつぼ>

こうした沖縄の問題は、決して小さな島内だけにとどまるものではありません。目下、墜落事故等の多いMV-22オスプレイの配備を巡っては、既に強行導入された沖縄のみならず、近隣の佐賀県でも重大な岐路に立たされています。今後の飛行演習の拡大や、昨年の混乱状態の中で決まった集団的自衛権の運用を絡めてみると、今後、全国各地で深刻な状況になっていくものと思われます。また、米国は、自国の財政状況の悪化に伴って、約20万人の海兵隊を15万人に削減する事態に直面している一方、日本も財政悪化の憂き目にありながら、なぜかいつまでも駐留外国軍のために莫大な公費を投入し続けています。沖縄で生じているこうした問題は、これからの国民の平和的生存の行く末や、法の下の平等、主権在民・民主主義のあり様といった、憲法の根本原則を先鋭的に問うている事柄のように思えます。

<世界は見ている>

国連人種差別撤廃委員会は、第3~6回日本政府報告書に対し、最終見解において、こう述べています。「さらに委員会は、沖縄における軍事基地の不均衡な集中は、住民の経済的、社会的及び文化的権利の享受に否定的な影響があるという現代的形式の差別に関する特別報告者の分析を改めて表明する。」つまり、国連は、日本政府に対し、沖縄の基地差別問題について警鐘を鳴らすとともに、以後も継続的に政府の対応を注視し続けているというのが現状です。

その他、日本と諸外国との関係や外交を俯瞰しても、国際社会とりわけアジア近隣諸国の中で信頼され、かつ協調していくためには、まずもって主権国として自立することに加え、自国の憲法が道標として照らし続けてきた、平和の希求、不断の人権擁護、そして成熟した民主主義の実践といったものが求められています。幾多の憲法問題を問い続けてきた沖縄への取り組みは、日本という国が、これからの国際社会の中で真の価値を見いだせるか否かの試金石になると思うのです。

<参考>

*沖縄県知事公室HP(ホームページ)

*「平和的生存権―米軍ヘリ墜落事故と基地・憲法問題」(九州弁護士会連合会HP「人権白書」)

*「米空軍HH60ヘリコプター墜落事故に関する理事長声明」(同HP)

◆憲法リレーエッセイ◆ 2014年のノーベル平和賞から日本国憲法9条、集団的自衛権を考える

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九弁連憲法委員会連絡協議会委員長
椛 島 敏 雅(31期)

<2014年ノーベル平和賞受賞>

2014年のノーベル平和賞は女性や子供の教育を受ける権利を訴えて活動するパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)とインドの人権活動家のカイラシュ・サティヤルティさん(60)が受賞し話題になりました。マララさんはテロによる銃撃で瀕死の重傷を負いながら活動を続ける勇気ある最年少のノーベル賞受賞者である。また、インドとパキスタンというカシミール地方の領有権をめぐって核兵器を開発保有してまで対立する両国の、普遍的な人権活動家がノーベル平和賞を受賞したことは互いの国の人権が伸長しすべての人にあまねく教育が施されていけば武力によらず平和が達成できるという強いメッセージでもある。二人の今後の活動に注目していきたい。

また、そのノーベル平和賞選考過程で、「憲法9条を保持している日本国民」がノーベル平和賞候補にノミネートされたことも話題を呼んだ。残念ながら受賞には至らなかったが、アフリカ内戦の悲惨さや祖母から聞いた戦争の体験談に戦争の罪深さを深刻に感じていた主婦が憲法9条を読み、それを日本国民が70年間守ってきたことに感動して発案した取り組みが、日本国憲法9条をノーベル平和賞の候補にして、その存在を世界に知らしめたのである。仮定の話しであるが、もし、受賞決定になっていたら、国民を代表して安倍首相が受賞式に列席するという栄誉に浴していたかもしれない。しかし、安倍首相は、憲法9条を敵視し廃止したいと願っている改憲論者であるから、本意でない栄誉を受けることを強く固辞していたであろう。受賞式には日本国憲法を公布し、憲法で日本国民統合の象徴として、憲法を守っていくと発言されている天皇陛下が参列されることになっていたであろうか。

<安倍晋三内閣総理大臣>

安倍晋三氏は、戦後の歴代総理大臣の中で、唯一公式に憲法9条の改憲を主張する総理大臣である。2014年7月には、戦後、自民党政権が一貫して憲法9条のもとでは集団的自衛権の行使は認められないとして来た憲法解釈を、内閣法律顧問の法制局長官の首をすげかえて変更し、集団的自衛権行使容認の閣議決定をした責任者である。第2次安倍政権になり憲法96条の改正手続条項を緩和する変更をしようとして、国民の大反発を受けて断念し、「解釈」改憲を企図している。その政治姿勢は立憲主義違反であるとの意見をまったく意に介しない総理大臣である。

<ノーベル平和賞候補にふさわしい活動を>

新しい年2015年は、総選挙で「安定多数」を占めた安倍政権が閣議決定している集団的自衛権行使容認の具体的な法整備を強行してくる年になる。昨年の弁護士会のシンポで基調講演された小林節慶応義塾大学名誉教授は、集団的自衛権は「日本が他国(同盟国)の戦争に加担することである。」とその本質を分かりやすく説明された。集団的自衛権をその様に理解されるとまずいと思ったか、安倍政権は新要件であるとして「わが国と密接な他国に対する武力攻撃が発生し、わが国の存立が脅かされ、国民の人権が根底から覆される明白な危険がある場合に限り、わが国も参戦できる。」と説明するようになった。しかし、どのように言い繕いをしようとも、日本が他国の戦争に参戦していくことに変わりはない。これは国権の発動たる戦争を永久に放棄し、交戦権の否認、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しないと定める現行憲法9条に違反することは明らかであり、憲法に基づく政治、立憲主義を踏みにじるものである。

このような状況の中で、私たち弁護士会が行う立憲主義を守れとの声明やパレード等の行動提起は貴重である。私は、

憲法は法律の根本にあるものです。その憲法解釈を一内閣で変えることは認められていません。

他国のために武器を持って外国へ行く理屈は憲法からは出て来ません。

国会では少数派でも、草の根では多数派です。弁護士会も立ちあがっています。

みなさんも一緒に声を上げてください。

等々と訴えて行きたいと思っています。
日本国民が70年間近く護り通してノーベル平和賞候補にもなった憲法9条が踏みにじられる行為を黙って傍観しておくことは出来ない。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

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