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カテゴリー: 憲法リレーエッセイ

憲法リレーエッセイ 第9回憲法と私

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会員 木下 隆一(36期)

大学で法律を勉強したわけでもなく、まして憲法の講義を受けたこともない私にとって、憲法は司法試験受験のためだけの遠い存在だったように思います。

そのような私が憲法「改正」の問題を本気で考えようと思うようになったきっかけは、40年くらい前にお会いした1人の人との係わりがずっと念頭にあったからです。その人は、もちろん多くの人がご存知ですが、加藤周一さんです。大学闘争の真っ只中にいたころ、どういう係わりでそうなったのか、ほとんど記憶に残っていませんが、私は数人の仲間と一緒に加藤さんの自宅を訪ねたのです。何をテーマに話したのかもほとんど記憶にありません。ただ残っているのは、とても怜悧な人だという印象です。

その加藤さんが、「九条の会」のメンバーの一人に名を連ねられ、社会に向かって護憲をアピールされたのです。折しも、私も改憲をめぐるいろいろな動きの中で悶悶とするところがありましたので、我が意を得たりの気分になりました。早速、ほんの数人ですが、仲間と語らって久留米でも「九条の会」を作ろう、その発足の会合には加藤さんにきてもらってはなしをしてもらおう、ということになりました。

もっとも、加藤さんに来久していただくという計画は実現しませんでした。しかし、このことがあって、「子どもたちの未来を守る九条の会」ができました。平成18年1月のことです。

私は、「九条の会」は、広がりを持つものでなければならないと考えています。関心を持つ人が集まって議論を深めることはもちろん大事ですが、それだけでは改憲を止めることはできません。国民的な広がりをもつこと、1人でも多くの人が関心を持ち、その1人1人が自分の立場で判断すること、そのことが大事だと考えてきました。

それでは何をやってきたかと言えば、そうそう胸を張れるものでもありませんが、そのうちの2つについて紹介します。ひとつは、「九条ウォーク」です。久留米市東部耳納山麓の善導寺周辺をウォーキングしながら9条を肴にいろいろ話しをし、その行先の造り酒屋さんで満州からの引揚者の方の体験談を聞かせていただき、その後、「九条」というラベルを貼った酒を飲みながら語り合うというものでした。若い人から年配の方まで、酒を奮発してもらったこともあって盛り上がりました。

もうひとつは、出水薫九州大学大学院教授をお招きして「商店街空洞化から透ける国際情勢−冷戦崩壊が生んだグローバル化、競争社会、そして憲法−」というテーマで話をしていただきました。全国的な現象である地方都市における商店街の衰退が何に起因するのか、グローバリズムの内実は何なのかなど、グローバリズムを唱える大国の世界戦略の要は何なのか、等々、目からウロコが落ちるような分かりやすいはなしでした。

改憲断行を旗印にした政権が頓挫し、他方、私も多少疲れてきましたので、この問題はとにかく肩肘張らずに、息永くやっていきたいと思っているところです。

憲法リレーエッセイ 第8回民主主義の学校−市民オンブズマンの活動をとおして

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弁護士 我那覇東子(50期)

憲法リレーエッセイの原稿依頼の際、正直困りました。そんな!「憲法」なんて難しいことは書けないし、しかも、エッセイにしなきゃならないなんて・・とても私の能力を超えている・・弁護士でさえこんな発想に陥ってしまうのが「憲法」という崇高な存在です。でも、よくよく考えてみれば、憲法は私達の生活に意外と密着しているわけでして、平和問題だけでなく、福祉や貧困、両性平等、労働問題、教育問題、刑事事件・・そっか!と初心に返って苦〜い司法試験時代を思い出し・・思い出に浸ってはや数日が経過(あぁ時が流れるのは早いなぁ〜)。これではいつまでたっても原稿はできないし・・汗

私は平成10年から市民オンブズマンのメンバーの1人として活動をしてきました。

ご存知のとおりオンブズマン制度の由来は北欧スエーデンから火のついたものです。従来の行政救済制度では十分に確保できない処置を行うことで公正・適正な行政を実施し国民の行政に対する信頼性を確保することを任務とする制度です。日本でもその名称はともあれ、オンブズマンは全国に多数存在しています。全国市民オンブズマン連絡会議が全国の活動を取りまとめてランキングし、毎年各地持ち回りで大会を開催して報告と勉強をかねています。しかも毎年のランキングはマスコミでも大きく報道されています。

やはりどこのオンブズマンでもその活動の根幹となっているのは、情報公開とそれを前提にした税金の無駄遣い監視活動、そして、行政訴訟の3本柱ということになります。平成8年ころからは行政の「食糧費」=本来は行政の会議などで支出される弁当・茶菓代、という支出名目で全国的に官官接待の横行が暴露され始めた時期で、連日マスコミをにぎわせていました。明らかに法目的外の桁外れた飲食接待がおこなわれていたことに憤慨した市民らが各地で監査請求と行政裁判を起こし始めたのです。例にもれず、私もその監査請求と行政裁判を手がけました(最高裁で確定)。市民の批判を受け、行政の支出基準が明確化され、情報公開も進んだため、驚くほど無駄遣いは減りました(ちなみに北九州でもかつて億単位で支出されていた食糧費が、数百万単位にまで減少しました)。全国的にもかなり正常化された経過をたどり、市民の素朴な疑問と執念と運動のたまものだと実感します。

いつも活動してて圧倒されるのは、市民の方々の常識感覚とそのパワーです。「高級料亭で何の会議すると?」「なんで守秘義務ある会議をクラブやパブでするわけ?」「大量に酒を飲んで真面目な議論ができるのかい?」「私達が納めた税金がどう使われているかなんで説明しないの?」至極ごもっともでございます・・弁護士は市民のパワーに圧倒されて行政裁判まで起こすことになるのですが、言うは安しでこれまた何年も費やすわけです。最高裁までいく事件も多く、10年以上かかって未決着の訴訟もあります。

地方自治はよく民主主義の学校といわれていますが、住民自治を貫くためには、そもそも行政がどのような活動をしているのかの情報を開示して市民に説明しなければなりません。しかし、その実態は非開示で不明瞭な点があまりにも多いのです。情報がなければ、税金の使途をチェックすることが難しくなってきますが、そうなると市民と行政・議会との信頼関係は揺らいでいくことになります。最近マスコミをにぎわせている議員の政務調査費。議員が市政活動に資するための費用として税金から支出される金員です(ちなみに北九州市では年間約3億円、議員1人あたり月38万円)。

全国的にその使途が問題として挙がっているのをみると、個人の旅行代、屋形船、スナック、カラオケ、焼肉、ハウスクリーニング、DVD、ホットプレート、ipod、デジカメ、カーローン・・(これ以上は割愛)う〜ん・・これではまるでお小遣いではないですか!当然ながら市民は納得しません。使途を明らかにしてその領収書を添付する声が高くなってきました。奇しくも国政では政治資金規正法との絡みで同じような事態となっていますが、よくよく考えてみれば、私達の税金を預かる以上、至極ごもっともなわけでして、これも市民の常識とパワーのたまものです。

弁護士稼業は法律と実態の狭間で悩むことが多いですが、さらにこのての活動は市民パワーに後押しされつつ世論形成(運動)する楽しみと苦しみ!?があるわけです。何年もかけて最高裁まで行くことも、市民の方が一緒ならなんだかそれまでの長〜い道のりも楽しいものになるわけです♪

憲法リレーエッセイ 第7回「憲法が好きな私の原点」

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山 崎 あづさ(54期)

私は、平和とか戦争とかいうことについて、妙に関心のある子どもだった。

小学校3年生の時、横浜から広島に引っ越した。引越し前、ちょうど学校の授業で「ムッちゃん」という広島の原爆を描いた絵本が紹介されていて、これから行く広島という土地はすごいところなんだと子ども心に緊張した。

広島では、「平和」はごくごく身近な話題だった。住んでいた町では、毎年、8月6日午前8時15分に町内放送が流れ、1分間の黙祷をした。小学校では、夏休みの登校日には必ず全校生徒集まっての「平和授業」があり、原爆や戦争についての映画が上映されることもあった。社会科見学は原爆資料館だったし、教室の「○年○組文庫」には「はだしのゲン」の漫画が全巻置いてあった。中学校では、原爆のことだけではなく、戦時中に日本軍が他国で行ったことについても、授業で詳しく教えられた。

高校時代、演劇部に入った私は、地区大会で、毎年広島の原爆をテーマに作品を作り優秀な成績をおさめている高校の舞台を見て、とっても憧れた。

そうそう、初めて男の子とデートをしたのも平和公園だった。

祖母の妹が長崎で被爆して後遺症に苦しみながら亡くなった話を聞いたのも高校生の頃だった。ふだん無口な祖母が、ぽつりぽつりと話してくれた。戦争の悲惨さが急に自分のことに思えた。

私は、ごくごく自然に、「戦争はしてはいけない」「平和が大切だ」と考えるようになり、それが当たり前のことで、皆そう思っているものだと信じていた。

高校生のとき、湾岸戦争が勃発した。それから、急に、自衛隊の海外派遣だとかいう問題が持ち上がった。「国際貢献をすべき」「金を出すだけでなく血も流せ」というような論調がマスコミから流れてくるようになり、それまで「戦争はいけない」というのが当たり前だと思っていた私は、この国にこんなことを言う人がいるなんてと驚いた。平和についての話題が、「当たり前のこと」ではなくて「政治問題」になってしまった。

大学生になって、初めて憲法を勉強したとき、私はいたく感動した。この世で一番大切なのは一人ひとりの個人で、みんなが自分らしく生きていくために人権があり、それを権力が侵さないように統治の制度がある、そしてその全部の基本は、平和であること。平和は、一人ひとりのためにあるんだ・・。私がこれまで漠然と思っていた平和への思いや社会への関心が、ひとつに結びついた気がした。私は嬉しくって嬉しくって、周りの人にこのことを話して回った(今考えると多分、とても稚拙な内容だったと思うが・・)。私の頭の中に、「戦争はしてはいけない」「平和が大切だ」に加えて、「憲法って素晴らしい!」というのがインプットされた。

そんなこんなで時が過ぎ、私は弁護士になり、1児の母になった。

自分が子どもを産んで母親になってみて、切実に思った。この子の笑顔を決して曇らせたくない。この子だけではなくて、世界中のすべての赤ちゃん、子どもたちが、戦火にさらされることなく、笑顔で暮らせる世界でなければならないと。そのためには、どこの国や地域でも、戦争が起こってはいけないと。

そう、やっぱり、平和であってほしいというのが、憲法を語る上での私の原点なのだ。そして、こういう思いは、母親であれば(母親でなくても)誰もが普通に思うことであるはず。

そういえば、去年12月に福岡女性9条の会で講演をされた音楽評論家の湯川れい子さんも言っていた。「憲法は政治問題ではない。身近なものだ」と。

最近は改憲をめぐっていろいろな議論が飛び交っているけれど、私はまず、憲法の本当に大事なところは、もっと身近で、シンプルで、心で感じられるものだということを、周りの人に伝えたい。

そんな思いで、ひまわり一座の憲法劇にも出演させていただいている。どうやら、舞台の上の私は法廷より生き生きしているらしいので(某先生談)、是非観にきてやってくださいませ。

憲法リレーエッセイ 第6回福祉国家理念の憲法を変えてはいけない

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会員 中野 和信 (36期)

【二重の基準論】

 即に30年以上も前のことですが、私が大学の法学部に入って憲法の勉強をしいていて、人権制約原理についての二重の基準論(ダブルスタンダード)を知った時に大変感銘を受けたことを今でも鮮明に覚えてます。この理論を知って初めて法理論の一端をわかったような気がして、何となく自分が偉くなったような気がしたものでし
た。

正確でもないかも知れませんが、この理論は、同じ基本的人権と言っても、思想・良心の自由、表現の自由などの精神的自由を制限する「公共の福祉」は必要最小限度の制約しかできないが、財産権や職業選択の自由と言った経済活動の自由権の制約をする「公共の福祉」は社会福祉的見地から合理
理由があれば広く制約が許されるという理論だったと思います。
憲法19条、21条には「公共の福祉」という言葉が入っていないのに、22条、29条のわざわざ「公共の福祉」という言葉が入っているのがその理論の根拠として挙げられていました。

 これを知って、「う〜ん、憲法というのはそこまで考えて作られているのか。大したもんだな〜」と率直に感動したものでした。

【新自由主義経済路線による憲法改正】

 ところが自民党の発表した憲法改正草案を見ると、財産権、職業選択の自由などは保障する規定ぶりは変わらないものの、現憲法で規定する「公共の福祉」が抜け落ちることを発見できます。

 自民党の憲法改正草案は現厚労相の舛添さんが作ったと言われていますが、これは、舛添さんが
勉強不足で入れ忘れたもんはなさそうです。

自民党の政策は前々総理大臣の小泉内閣からはっきり表だって打ち出されている、新自由主義経済路線で貫かれています。私は郵政改革もその一環だと思っていますが、規制を取っ払って経済を自由化すれば経済が発展し、グローバルな競争に勝てるのだという理屈です。その結果、優勝劣敗、格差が出てきても仕方ないという考え方です。

小泉主相が、国会答弁で、「私は格差があるとは思わない。ある程度格差があるのは当然でしょう」などと言っていたのを思い出します。

【日本の現状】

この結果、現在の日本がどうなっているか。私はどう考えても大変な状況になっているとしか考えられないと思います。

貯蓄なし世帯が全世帯の4分の1にも登り、パート、アルバイト、派遣労働者などの非正規雇用者が1700万人を超え、全労働者の3分の1にまで膨れあがり、それに伴い年収200万円以下の労働者が1100万人にまでなって、いわゆる「ワーキングプア」層が確実に増えていることが報道されています。そのため、国民健康保険料や年金の滞納者が激増し、多重財務者300万人、経済苦を理由とする自殺者8000人、3万人を超えるホームレス者、最近言われている若者の「ネットカフェ難民」の増加など大変な状況が現出しています。OECD加盟国では貧困率の高さはアメリカに次いで2位にまでになっています(ちなみに2000年では5位でした)。

一方、最後のセーフティネットと言われている生活保護制度は、水祭作戦と言われる申請書さえ渡さないという違法なやり方が横行し、北九州では餓死者が出るまでになっています。母子加算、老齢加算の廃止がなされ、さらに保護基準の引き下げが検討されています。

【豊かな国アメリカ?】

アメリカと言うと私は大変豊かなリッチな国であるというイメージを長年持ってきました。私が、小学生の頃に見たアメリカのテレビドラマ「名犬ラッシー」「奥様は魔女」などで出てくる暮らしぶりはずっと憧れの的でした。大きな冷蔵庫、大きな車、広いリビングなど、当時の自分たちの暮らしぶりと何と違うのだろうと思ったものでした。

ところが、この認識を覆す事態が一昨年起きました。<br>
ハリケーン「カトリーナー」がニューオリンズなどアメリカ南部を襲ったときのことです。

このハリケーンの規模の大きさにも大変驚かされましたが、私が一番驚いたのは、ハリケーンが来るず随分前から政府の非難命令が出ていたにもかかわらず、非難しない、非難できない人々が何万人もいた事です。要するに貧困故に死の危険が迫っても非難する車もなければ、非難するお金もない人々があれだけたくさんいたということです。そして、非難によってもぬけの殻になった商店街を略奪する人々の映像を見るにつけ、アメリカのイメージが吹っ飛んでしまいました。

【釧路人権大会の宣言】

昨年の釧路人権大会は、貧困問題、生活保護問題に弁護士、弁護士会が取りくんでいくこと宣言した画期的な大会でした。

福岡県弁もこの人権大会のプレシンポを8月に開催しましたが、そのシンポの準備に奮闘してくれた黒木和彰弁護士会から、私に対し「先生、日本がカトリーナのような事態にならないようにしないといけないですね。阪神淡路大震災の時のように略奪どころかボランティアが集まって助け合う日本をずっと維持していかないと思います」と言われたことが大変印象に残りました。

アメリカは、まさに新自由主義経済路線をレーガン大統領時代から採用し、様々な経済規制談和を実現し、一方では「小さな政府」路線で国民福祉に対する政府の支出を最小限に抑える政策をとり続けています。

日本は、このアメリカの政策を真似して、アメリカに追隋しようとしているとしか考えられません。このままだと日本でもカトリーナのような事態が現出しかねない状況になっています。

ワーキングプア層、ネットカフェ難民、ホームレス者などが増加し、貧困層が社会内で沈殿化していく状況が現実の問題として起きています。

そうなると、犯罪の増加はもちろん社会内の緊張関係が増幅され、暴動にまで発展する事態が当然予想されます。

少々遅きに失する感じはありますが、今こそこのような貧困問題を正面から議論すべきだと思います。

そのため、憲法が保障した幸福追求権、生存権をはじめとする社会県規定の意味をよく考え、その趣旨を生かすことこそが現在求められています。

現憲法が採用したのは福祉国家理念であり、むき出しの競争をあおるような完全自由主義経済路線ではありません。

22条、29条から「公共の福祉」を削除し、アメリカ型経済を採用しようとする憲法改正論には到底賛成できません。

現在、県弁でも生活保護問題委員会が正式に発足し、生活保護問題に弁護士会として取り組もうとしていますが、生活保護問題に限らず、貧困問題全般にわたる議論をしていくべきだと思います。そして、その出発点は現憲法の理念であるべきです。

是非皆さんにもこの問題を真剣に考えて欲しいと思うこの頃です。

憲法リレーエッセイ 第5回憲法9条なしに日本は美しい国にはなれない。

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弁護士 木梨 吉茂(14期)

1、東京弁護士会での実務司法修習中指導弁護士から、治安維持法違反事件の弁護人が、憲兵から、「そんな弁護をするような仕事ではなく正職につけ。」と言われたという例をひいて、弁護人の職務が憲法37条に明記されている事の重大さの所以を教えられた経験を、私は忘れられない。

私は弁護士になって以来今日迄、弁護士業務を国家権力から独立させ、国が再び戦争行為に出ることが無いようにさせるために、この平和憲法下での弁護士法第一条で国民の基本的人権の擁護と社会正義の実現という使命を、日本国民から弁護士に負わされているものと理解している。

2、自民党は、外交政策上日米同盟の強化が重要な国益であるとして、米国の言いなりに日本国を集団的自衛権の行使によって戦争のできる国となる途を開くために、新憲法草案を発表した。草案によれば日本国は普通の国のような軍隊を持った日本国になるのである。安倍晋三首相は、その就任における所信表明で戦後レジュームを脱却して美しい国日本をつくると言った。私は安部首相が軍隊を持って日本国を美しい国にすると表現したことに強い違和感を持った。

その所信表明には、日本が太平洋戦争惨敗に至る迄に日本国民が苦難に満ちた被害を受けただけではなく、朝鮮半島を植民地化したり侵略戦争によって韓国や中国をはじめアジア諸国民に与えた甚大なる被害について、加害者としての自覚が全く見られない「美しい国日本」という国づくりの施政方針には、違和感だけではなく強く反対する。

3、日本弁護士連合会は、一昨年(2005年)11月11日人権擁護大会で「立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言をした。

その宣言を出す迄の大会での論議の過程において、驚くべき事には、この論議に参加した弁護士の中に、公然と改憲論に同調する意見の少なくないことを知って、がく然たる思いがした。

4、私は福岡県弁護士会の憲法委員会の委員として名を連ねている。

私は太平洋戦争末期の、1945(昭和20)年5月11日の召集令状で一兵卒として、長崎県大島と壱岐で米軍の侵攻に備えての過酷な通常の訓練だけでなく米軍戦車に爆弾を抱えての体当たり訓練と、洞くつ構築の重労働にも、ただ、ひたすら鬼畜米英軍を撃退し、神国日本を護り抜くとの信念の下に敢行して行った経験がある。

その結果は、広島・長崎の原爆投下の惨状であり、福岡市の焼夷弾による焼け野原の実情を目の当たりにすることになった。

この体験を通じて、以後いかなる事があっても、わが眼とも言うべき平和憲法を擁護し、日本国が将来、テロ攻撃を受けたり、再び戦争をすることは、絶対に起こってはないと思っている。

5、6年前の同時多発テロ行為に対し、米国が直ちにアフガンやイラクに武力攻撃を加たことは、多くの国際法学者が指摘するように国際法に違反している。従って、これに対するテロ行為の反撃を受けるのは当然である。このテロ行為に対して、日本が日米同盟を護る事が国益であるとして、米国のテロに対する戦闘行為を支援する給油活動に協力をしたり、更に、憲法9条1項、2項に違反して集団的自衛権の行使によって対策貢献をする国にして日本の国営を守るという主張には私は絶対に賛同できない。

6、この原稿を書いている時に、安倍首相が辞任するとの報道に接した。

私は、後継首相が日本国を真に美しい国にするためには、敗戦に至る迄の間に、アジアの諸国・人民に与えた甚大なる被害についての加害者責任を決して忘れることなく、誠意をもって謝罪し、この平和憲法9条の精神を世界各国に広め、既に平和憲法を持った南米のコスタリカ国のようになることを国策として努力すべき義務を果たすことこそ美しい国と言えるのである。

2007(平成19)年9月13日

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