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カテゴリー: 憲法リレーエッセイ

◆憲法リレーエッセイ◆ 「労働」にもっと敬意を

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会 員 木 佳世子(54期)

8月末、日弁連貧困問題対策本部デンマーク調査団に参加してきました。目的はフレキシブルな労働市場・手厚い失業保険制度・積極的労働市場政策によるフレキシキュリティの実情などの視察でした。日程の都合上、前半だけしか参加できませんでしたが、感じたことを書きます。人間にとって働くことは他者から必要とされることによる自己の価値の確認をもたらす、人間の尊厳に直結する非常に重要な営みだと思います。その働くことがデンマークでは非常に大切にされています。よく解雇自由が強調されますが、労働組合の組織率は7割で、労使が社会的パートナーとして国を作ってきた歴史の重みから存在感が大きく、不当解雇には組合が黙っておらず実際には好きなように解雇がなされているということは全くないようです(ただし経営上の理由による解雇は緩やかな印象は受けましたが。)。解雇されても失業保険が2年間あり、安心感につながっています。印象に残っているのは「生産学校」です。デンマークでは職業につくには受けてきた職業教育と資格が重視されるので、教育が非常に重要ですが、やりたいことが分からないとか、非現実的な夢を見たりして教育から離れてしまう若者もいます。そのような若者(16~25歳)にやりたいこと、やれることを見つけ再度教育ルートに乗ることを促すのが生産学校です。日本のフリースクールのような感じで金属加工、木工、調理、ウェブデザイン、被服、保育、軽音楽などの実習が行われていましたが、生産物は製品として販売され、生徒にはそれなりに生活費として役立つ程度の賃金が支払われます。ただし、あくまでも教育なので成果ではなく人格的発達に重きをおいているということでした。生徒たちには正規のルートから外れたコンプレックスなど全く感じられない笑顔がみられました。なお、正規の職業学校でも座学と実習を繰り返すのですが生徒たちには「働いているので」賃金が支払われます。子どもであっても訓練中でも「働けば賃金が支払われる」、それだけ労働に対する敬意が払われていること、使用者側も良質な労働力を使うコストとしての職業訓練・社会保障の負担をきちんと負っていることが印象に残りました。「もう来んでいいけ。」と即日解雇された人や、暮らしていけない賃金しかもらっていない相談者・依頼者の姿が浮かびました。勤労の権利と義務がわざわざ憲法に定められている日本。労働に対してもっと敬意が払われてもいいのでは、と思った視察でした。

◆憲法リレーエッセイ◆ ―憲法劇を続けて20年―

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会員 古 閑 敬 仁(43期)

今年も劇団ひまわり一座による憲法劇が5月2日、少年科学文化会館で行なわれ、数百人の観客を集め、大成功を収めた(はずです。この原稿を書いたときは、まだ4月だから‥) 私は、弁護士1年目から劇団ひまわり一座に入って、毎年、5月の憲法記念日前後に憲法劇に参加しております。

ところで、この劇団ひまわり一座による憲法劇は20年以上も続いています。憲法劇が20年以上も続いているのは、もちろん「憲法改正反対」というテーマが重要で、参加者の多くがそれに賛同してきたからであることは間違いありません。

しかし、それだけで同じ団体が、毎年ゴールデンウィークの忙しい時期に20年も続けてこれるわけはありませんし、毎年300名以上のお客さんを呼べるわけありません。

何故、続けられたか‥私は、出演者も観客も、みんなが「演劇」自体を楽しんでいるからだと思います。

憲法問題というとやはり硬いイメージがあって、一般の市民の方に「憲法問題について考えよう」という催し物をしても、最初から関心や問題意識がある人は参加されますが、そうでない方の参加はなかなか難しいのが現実です。

また、若い人たちには、憲法問題が難しく思えるだけでなく、言葉自体が分からない人も多くなっているようです。大学生に「ホシュ」とか「カクシン」とか、さらには「ゴケン」といっても、「?」という反応が返ってくることがあります。

そこで、「憲法劇」なんです。演劇であれば、とっつきやすいし、「楽しいお芝居があるから見に来ないか?」「僕も出ているから、冷やかしに来てくれ」といって、憲法問題に興味のない人にも観劇を勧めます。そして、見に来てもらって、少しでも憲法問題に関心もってもらったり、考えるきっかけになるのではないでしょうか。実際、私の母や友人たちも、私が出演しているので、毎年見に来てくれ、見終わった感想で「こんな問題もあったんだ」といってくれています。

と、偉そうなことを書きましたが、実際には、劇団ひまわり一座も壁にぶつかっています。 ひとつは、観客が毎年300人以上はいるのですが、固定客が多く、いまひとつ市民への広がりが足りないことと、観客も劇団員も高齢化が進んでいることです。

特に、高齢化はここ数年の課題です。憲法問題は、これからの日本をどうするのかということであり、若い世代にいかにして、憲法のことを考えてもらうかが重要だと思うのです。

で、劇団ひまわり一座としては、劇団員に若い人を増やし、若い観客を引きつけようと思っているのですが、実際にはなかなか、若い弁護士の参加が少ないのが現状です。若い弁護士が増えているのに何故なんでしょうか。演劇に参加すると、裁判員裁判のスキルアップにもなる…かもです。

そこの、君、ぜひ劇団ひまわり一座に入って、明日のスターを目指さないか!!

◆憲法リレーエッセイ◆

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会員 吉澤  愛(61期)

弁護士になって1年余りが過ぎ、忙しい毎日を過ごしています。この不況のさなかに仕事がたくさんあるのはありがたいことですが、それでも時々、自分が別の選択をしていたら、今ごろどんな人生を送っているのだろうと思うことがあります。

昔、たまたま見ていたテレビで、フィリピンの少数言語であるイロカノ語しか話せない被告人が、日本の捜査機関で取り調べを受ける際に英語の通訳しかつけてもらえなかったため、本人の意向とは異なる内容の調書が取られてしまい、それに基づき不当な判決を受けた、というような内容の報道がなされていました。今から考えると、憲法32条や14条が絡むような立派な憲法問題なんですが、当時、私はまだ高校生で、法律など全く分からない素人でした。それでも、そんないい加減なやり方で裁かれたくないよね、と素直に怒りを感じたのを覚えています。

日本にはメジャーな言語の通訳は大勢いても、少数言語の通訳は全然足りないという現状をそのとき初めて知った私は、そのあと随分経ってから、一念発起して法廷通訳を目指すことにしました。選んだ言語はタイ語。タイはどこの植民地にもなったことがなく、タイ語しか話せない人たちが大勢いるので、私の目的にぴったりだと思ったのでした。

当時は、それなりにタイ語で食べていこうと思っていましたので、タイ語だけでなく、タイの文化や歴史も結構真面目に勉強しましたが、その後、諸般の事情から、通訳にはならず今の道に進むことになりました。そんなわけで、当時学んだことはあらかた忘れてしまいましたが、それでも衝撃的でよく覚えているのは、タイ人の先生が王様について説明したときのことです。

「タイでは、王様は仏教徒でないといけません。勝手にイスラム教徒になったりしたら、いろんな儀式ができなくなります。そんなのタイとは呼べません。ありえない。」

不快に感じた方がいたら謝ります。でも、それが一般的なタイ人の感覚のようなんです。 実は、国王が仏教徒でなければならないというのは、慣習レベルの話ではなく、タイ王国憲法に明文で定められています。ただ、同時に、国王は宗教の擁護者であるとも定められており、実際、国王はあらゆる宗教に対して寛容的な立場をとっていると言われています。もちろん、一般国民には信教の自由が憲法上保障されています。

ところで、タイのプミポン国王は、国民から絶大な支持を受けています。だいぶ前になりますが、クーデターを起こした張本人が国王に呼び出されてひれ伏している場面を、テレビで見た方も多いと思います。1992年5月流血事件と呼ばれるクーデターが起きた際、プミポン国王が当時の首相と反政府運動の指導者を呼び出し、和解を呼びかけ事態を沈静化したときの出来事で、俗に「国王調停」とも呼ばれています。

タイでは、頻繁にクーデターが起こりますが、そのたびに憲法が停止され、暫定憲法が作られ、そのあとに恒久憲法が作られるということが繰り返されています。現行憲法は2007年に制定されましたが、これは、立憲革命後に制定された1932年のシャム王国統治憲章から数えて、実に17番目の憲法典です。

一つ前の1997年憲法は、当時の民主化の動きを背景として、初めてクーデターと関係なく正常な手続で制定された憲法でした。政治改革を目的として、それまで国王の任命制だった上院議員を直接選挙で選ぶとか、国家汚職防止委員会を設置するとか、いろいろな規定が盛り込まれました。ですが、この憲法も、結局、2006年のクーデターで停止し、改革は一歩後退しました。民主化への道は、一筋縄ではいかないようです。

とまぁ、タイへの思いを馳せてはみても、なかなか飛んで行く時間が取れません。弁護士にならなかったら、今ごろ、私、どこで何してるんだろう?

◆憲法リレーエッセイ◆

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会 員 小 川 威 亜(53期)

私の修習期は53期で、2000年10月に弁護士登録しました。

その約1年半後の2002年から昨年2009年まで、北九州市において、「北九州憲法集会」なる集会を憲法記念日に(時にはその前後に)事務局長として開催してきました。 憲法に関する集会は、大きく分けて改憲派の集会と護憲派の集会があると思いますが、私が開催してきた集会は護憲派の集会です。 これまで8回の憲法集会を事務局長として開催してきて、強く感じたのは、憲法を護るという活動には終わりがないということです。 現に存在するものを守っていくという活動が、客体が存在する限り終わりがないことは、考えてみれば当たり前のことなのですが、頭で判っているのと実際にやってみるのでは大違いで、集会の準備をしていると(護憲派の私から見れば)、「何で、そんな違憲なことばかりやるんだ!」と言いたくなるような政治家の言動がとても目につきますし、そんな政治家が総理大臣になったり、改憲を政策目標に掲げたりしますから、憲法を護る活動の終わりのなさを本当に痛感します。

しかも、憲法記念日は、ゴールデンウィークの一部ですから、私にとっての連休はいつも5月4日からです。

この活動に終わりがないということと、連休が削られるということは、憲法集会を裏方として支えるメンバーにも大きな影響を与えます。同じ様な内容の集会をやっていては、新鮮みが無くなり面白くないし、当日参加してくれる人も少なくなります。その結果、裏方のモチベーションも低下するということで、2002年の段階で一緒に活動を始めた三役のうち、2009年まで残っていたのは、私1人でした。

もちろん、三役で残ったのが私だけというだけで、当初からメンバー何人か残っていますし、新しく参加してくれたメンバーもいます。短気で、すぐに愚痴を言う私を支えてくれたこれらのメンバーにはとても感謝しています。

憲法が最高法規として存在するにもかかわらず、憲法問題は社会に沢山ありますので、集会のテーマとする事柄には困りません。しかし、所詮素人の集まりに過ぎない私達で、人を呼べるだけの集会を形作るのは、なかなか大変な作業です。

毎年四苦八苦して、ハンセン病問題や、イラク派兵問題、派遣切り問題などをテーマに据え、講演形式にしたり素人で劇を行ったりと演出を変えて集会を行ってきましたが、やはり実質的なトップである事務局長が同じでは、マンネリ化は避けられません。そこで、今年の集会から事務局長を後輩弁護士に交代してもらい、私は平メンバーとなって準備に参加しています。

平メンバーになると、とたんに準備活動への参加頻度が鈍ってしまい、新事務局長には申し訳なく思っています。このエッセイ担当を機に、心を入れ替えて頑張って参加していこうと考えています。

事務局長の交代により多少の若返りを果たすことが出来ましたが、やはり事務局長の個人的頑張りに支えられた集会では、組織的な活動とはいえません。また、集会当日に参加して下さる参加者の多くが50歳代から60歳代で、20歳代や30歳代の参加者数が下手をすると70歳代よりも少ないという、憲法を護る運動に共通する大きな問題に対応する必要もあります。

そこで、数年前頃から始めたことですが、大学生が主体となった集会運営を確立することを目論んでいます。

集会に参加してもらうことで、憲法についてより関心を持ってもらうことができますし、活動を後輩に引き継いでもらうことで、新陳代謝が確立されます。何より、弁護士が作る理屈っぽい集会が若者の目線からの集会に代わっていきます。

加えて、主催者側で参加した学生の友人達が、当日、観客側として参加してくれるという効果も期待できます。

この目論見の最大の問題は、今時の大学生の扱い方を、私や新事務局長がいまいち判っていないという点です。会議をすっぽかされたり、しばらく連絡が途絶えたりすることがままあり、頭を抱えることも少なくありません。修習生ですら扱いに苦労する位ですし、自分自身が大学生だった頃のことを考えると致し方ないことでしょうね。

まだまだ、大学生主体の憲法集会を確立することは出来ていませんが、何とか新事務局長の次の事務局長には大学生を引き込みたいと頑張っています。

「いつまでもあると思うな親と金」という諺がありますが、これは現憲法にも当てはまると思います。なくなってからでは遅すぎます。これを読まれた北九州の護憲派の皆様、是非ともご協力とご参加をお願いいたします。

「息子と平和と」

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会 員 近 藤 恭 典(58期)

昨年の初夏、釣りに出かける車の中で、小学6年の息子が、学校の先生に対する不満を話し出した。 修学旅行先の長崎平和公園で、「平和の誓い」という文章を読み上げる役になったらしいのだが、その文章を作って担任の先生に見せたところ、よくないから文章の一部変えろといわれたことが不満だというのだ。 二度と戦争をしないために、戦争を肯定するような政府は認めませんという趣旨の箇所を削るようにと言われたらしい。 何かと気を遣わなければいけない最近の学校の先生にすればそうなのかなと苦笑しながら、この子が戦争を避けることを具体的に考えることもあるのかと嬉しくなった。 私の両親は子どもに対する平和教育には熱心な方で、私は幼い頃から戦争被害を聞く集まりや反戦映画などによく連れて行かれた。その手の本もたくさん買い与えられ、絶対に買ってはもらえなかった漫画も「はだしのゲン」だけは頼みもしないのに家にあった。「はだしのゲン」は擦り切れるほど読み、おかげで、戦争に対する恐怖感は疑似体験として心に刻み込まれた。 湾岸戦争が起こり、PKO協力法の是非を巡って日本中が議論していた頃、当時高校生だった私も、同級生とときどき議論をした。議論の中身は忘れたが、新聞やテレビで聞きかじった言葉をぶつけ合うだけの拙いものであったと思う。 一つだけ覚えているのが、同級生が「お金だけ出しても国際的な信用は得られない。血を流さないといけない。」という当時よく使われていたフレーズを口にしたときに感じたことだ。その時私は、彼と自分とでは、「血を流す」という言葉で想像する情景が、決定的に違うのではないかと思ったのだ。私にとって「血を流す」情景は、焼けただれた皮膚にガラス片を刺したまま焼け野原をさまよう人の姿であり、手足を失い芋虫のような姿で戦場から帰ってきて「殺してくれ」と毎日叫んでいる人の姿である。そういう情景を思い浮かべてしまえば、「血を流さないといけない」などとは、口が裂けても言えるはずがないと思ったのである。 親となって、息子にもぜひ戦争被害を学ばせねばと思ったが、これがうまくいかない。戦争展に誘ってもついてこないし、長崎の平和記念館に連れて行っても早足で駆け抜けてしまう。「はだしのゲン」を買ってきても読んだ気配がないし、普段は見たがる金曜ロードショーも「火垂るの墓」のときはさっさと寝てしまう。 息子の感性は大丈夫だろうかと心配していたところに先の文章のことを聞いたのである。これは戦争と平和について息子と語れるチャンスと思い、じゃあ戦争を肯定する政府を作り出さないために何をしなければいけないだろうか、と話を膨らませようとしたが、これには乗ってこなかった。 息子も今春から中学生になる。漫画やアニメで平和教育をする手はもう使えないだろう。親とあまり話もしなくなるかもしれない。 急いで新しい手を考えないといけない。

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