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カテゴリー: 憲法リレーエッセイ

◆憲法リレーエッセイ◆「筑後でもがんばっております」

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会 員 白 水 由布子(61期)

1.筑後部会概説
私が筑後部会へ登録して2年半が過ぎましたが、筑後部会は部会全体が暖かく、和気あいあいとしていて、非常に居心地が良いところです。2年半の間にほぼ全ての先生と懇親する機会があり、顔と名前が一致するようになりました。どの先生も気さくで優しく、若手にも分け隔て無く接してくださいます。
筑後部会がこのように和やかなのは、懇親会が多く、かつ出席率が高いためです。部会の懇親会だけでも、春と秋のボウリング大会、花見、部会集会、夏の屋形船、ビアガーデン、忘年会がありますし、三庁合同で行う法曹新年会、法曹送別会、法曹協議会もあります。
さらに、毎月のように部会独自の研修企画と懇親会がありますし、それぞれの委員会で暑気払いや忘年会も企画されます…太るわけですね。
さて、このように私が愛してやまない筑後部会ですが、もちろん、飲んでばかりではありません。部会独自で、様々な企画に取り組んでいます。「憲法リレーエッセイ」ですので、毎年5月に行っている憲法講座について紹介させていただきます。

2.昨年までの憲法講座
昨年までの憲法講座は、自民党の新憲法草案を土台に、各条文について、弁護士3名ずつが「護憲派」と「改憲派」に別れてディベートを行う、というものでした。毎回6名のディベーターが必要になりますが、当然、若手に話がきます。1年目であろうが、実行委員でなかろうが、関係ありません。自身の思想とは関係なく、「改憲派」に組み入れられることもあります。拒否権は、形式上しかありません。
私も、「国民の権利と義務」をテーマにした回で「改憲派」に割り当てられ、「憲法の義務規定を明確化して、秩序維持を図るべきだ」とか、「立法も行政も、選挙で公正に選ばれた代表が行うのだから、権力の濫用は想定されない」とか主張して、皆様に誤解を受けました。
ディベート方式の憲法講座では、議論が白熱し、市民の方々にも好評でした。

3.今年の憲法講座
今年の憲法講座は、5月28日に開催されました。テーマは、「子供の成長・発達する権利と子供の貧困」でした。今年は、これまで行ってきたディベート形式を中断し、講演方式としました。政権交代で、自民党の新憲法草案を検討する意味が薄れたからです。
とはいえ、弁護士会主催の「憲法講座」です。外部の方に講演を丸投げするわけにはいきません。そこで、第1部で立教大学の浅井春夫教授に「子供の貧困の現状と対策」について講演していただいた後、第2部で中野和信弁護士に、「人権としての子どもの成長・発達する権利」というテーマで、弁護士の視点から見た子どもの人権について、解説的な講演をしていただきました。子どもを貧困状態にする根本的な問題までよくわかる、非常にすばらしい講演でした。
今年の憲法講座は特に大盛況で、筑後弁護士会館の4階ホールが満席になりました。
実行委員以外の部会員にも、たくさん来ていただきました。職業欄に「自由業」と書かれたり、どう見ても大学生に見える姿で来られたりしましたが、部会は狭いのですぐにわかります。
自分は委員でないから関係ない、ではなく、部会のイベントとして関心を持つ、これも筑後部会の良いところであると思います。

4.最後に
このように、筑後部会でも一丸となって憲法問題に取り組んだりしています。
これからも、筑後部会をよろしくお願いいたします。

◆憲法リレーエッセイ◆「ひまわり憲法劇のこれまでとこれから」

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会 員 原 田 純 子(62期)

1 ひまわり一座とは?
皆様、憲法劇のひまわり一座をご存じでしょうか。「劇団ひまわり」と間違えられることも多いそうですが、全くの別団体、弁護士が中心となって、毎年5月の憲法記念日の前後に、憲法劇を行っている団体です。
始まりは1989年、憲法のすばらしさについて、おもしろく、分かりやすく、多くの方に伝えようという思いから、結成されたと聞いています。これまでに、PKO問題、改憲問題、諫早湾の開拓問題などをとりあげてきました。昨年は、ペシャワール会の医師中村哲さんをモデルに、「真の国際貢献とは?」を問う内容の劇でした。メンバーも、弁護士、会社員、学生、地元の劇団員など、総勢40人を超えております。
ところで、ひまわり一座の憲法劇をご覧になったことがなくても、昨年の給費制維持集会の寸劇、というとお分かりになる方も多いのではないでしょうか。人権擁護と社会正義の実現を目指していたのに、給費制が廃止された未来で借金返済に苦しみ、悪徳弁護士になってしまった!という寸劇で、中山篤志弁護士の見事な悪徳弁護士っぷりに笑いを誘われた記憶はございませんか?ひまわり一座は、こんなところでも活動しています。

2 今年の憲法劇
私は、昨年からひまわり一座の憲法劇に出演させていただいております。今年のテーマは、『米軍基地問題』でした。福岡県の能古島に、米軍基地が移設されることになったという設定で、平和な島を愛しながらも様々に揺れる島民たちが、最終的には、米軍基地はいらない!と一致団結して闘うという内容です。題して、「へ?能古に基地がやってきた」。解説するまでもありませんが、「辺野古(へのこ)」と「能古」をかけています。
私自身は、昨年は、舞台に出て、一言しゃべって退散、というのを2回しただけのチョイ役でしたが、今年は重役を仰せつかりました。夫の故郷である沖縄の宜野湾市で基地反対運動をしていた女性が、出産のために地元の能古島に戻っていたところ、能古島に基地移設案が持ち上がります。揺れる島民に対して、夫とともに、基地のある生活の現実を訴えるという大変重要な役柄です。
ちなみに、夫役は、迫田学弁護士。当初私は妊婦役ではなかったのですが、練習途中に脚本が変わり、出産のために途中から出番がなくなったので、私の台詞まで学先生が引き受けてくださることになりました。そのため、迫田学弁護士の台詞はとても長かったのですが(しかも沖縄出身で基地反対運動を続けてきた人として、皆さんを説得する役なので、台詞がとっても難しい。)、練習では私よりも先に台詞が入っており、頭が下がる思いでした。
それでも、私なりに、夫や夫の家族がこれまで基地に生活を脅かされてきたこと、出産のために戻って来た故郷が基地の危険に曝されていること、これから産まれてくる子どものために、自分はどういう未来を残したいと考えるのか等、自分がその女性だったらと考えながら、演じさせていただきました。役をいただいたことで、沖縄の問題を、これまでよりも少し、身近に感じることができました。

3 憲法講座
劇で米軍基地問題をとりあげるにあたって、沖縄のこと、米軍基地のことについて、年間を通じて簡単な学習会も行ってきました。「チビチリガマから日本国を問う」という沖縄の被害、基地問題を追ったDVDの上映会、そのDVDを作成された監督を招いての講演会等々…。迫田学弁護士の台詞の一部には、その学習会の中で、沖縄出身の天久泰弁護士のご講演に出てきたエピソードが使われております。そうやって、いろいろな話を見て、聞いて、演じる人たちが問題意識を深めるとともに、それを劇中にも取り込みながら、一つの劇が作られていったのです。
上演後に回収したアンケートには、迫田学弁護士の台詞が印象的だったというご意見も多く、実際にその出来事を体験した人、身近な経験としての実感を持っている人からの話は、やはり訴えかける力が全然違うんだろうな、と感じました。

4 大きな出来事
ひまわり一座の憲法劇を当初から支えてくださった、高尾豊さんが、今年の憲法劇が終わった直後に、突然、他界されました。演劇の世界に身をおきながら、平和、人権等にも高い意識を持っておられた方で、練習中にも、「この劇であなたたちが訴えたいことは何か、一人一人がよく考えなさい。それがないと伝わらない。」とよく言われました。
高尾さんの笑顔がもう見られないと思うと、本当に寂しいです。弁護士は、演劇のことには素人ですから、高尾さんという大きな存在を失って、今後どうなるんだろうという大きな不安も、当然あります。それでも、ひまわり一座は、これから上演するテーマや体制について話し合いを始め、もう来年に向かって歩き出しています。きっと、高尾さんも、あのニコニコした笑顔で、私たちを見守ってくださっていることでしょう。
最後の最後まで、ひまわり一座のメンバーと、劇のこと、そして平和について語り合って下さった高尾さん、本当にありがとうございました。心からご冥福をお祈りするとともに、これからも私たちを見守ってください!とお願いをして、筆を置かせていただきます。

5 追記
筆を置いたつもりでしたが、一言忘れていました。憲法が大好きな方、憲法について改めて考えてみたい方、舞台に立って目立ってみたい方、ぜひひまわり一座にご参加ください!裏方でのご参加も大歓迎です。
来年もGWのころに劇を行いますので、ぜひ、観客としてもご来場ください。よろしくお願いいたします!

◆憲法リレーエッセイ◆五百本のチューリップに囲まれながら…

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会 員 永 尾 廣 久(26期)

日曜ガーデニングにいそしむ
春、三月半ばを過ぎると、私の庭は色とりどりのチューリップでにぎわいはじめます。一戸建て団地のはずれに位置し、散歩コースになっていますので、近所の人から「見事に咲いていますね」とかけられるのもうれしいことです。保母さんに引率されて通りかかった保育園児たちはいっせいに歓声をあげます。
今、チューリップは色も形もさまざまな種類があります。八重のもの、縁がギザギザ状になっているもの、燃え立つ炎の形をしているもの、また、こぶりで目立たない原生種も植えています。
私が小学1年生のときの教科書は、「さいた、さいた、チューリップのはながさいた」でした。そこに描かれていた昔ながらの黄色や赤色で大きな花弁の花が結局のところ一番なじみます。そして、チューリップはやっぱり群生しているのが見事です。集団美というのでしょうか、マスゲームのように、個々の花も生き生き輝いています。
チューリップを植えるのは私です。秋から年末年始にかけて、日曜日になると、庭に出てチューリップの球根を一本一本手で植えていきます。小さなシャベルで球根を入れる穴を掘っていきますので、手指のつけ根にマメが出来ます。秋の庭で植えていると、ジョウビタキがすぐ近くまでやって来て鳴きます。スズメほどの大きさで、尻尾をチョンチョンと振り下げる愛敬のいい小鳥です。まるで、「何してるの。遊ぼうよ」と誘っているかのようです。
チューリップの球根は毎年買いそろえています。水仙やアイリスなどは、放っておくと次々に増殖していきますが、チューリップはダメなのです。分球して、球根が小さくなって、花が咲かなかったり、とても小さな花がやっと咲いたりです。花が咲き終わって、早いとこ掘り上げ、タマネギのように軒下にぶら下げて乾燥させればいいと教えられてチャレンジしてみたこともありますが、結局、うまくいきませんでした。素人には無理と思います。
チューリップの球根も、初めのうちは1個100円以上もしていたのが次第に安価になり、最終的には1個30円を切ってしまいます。これでは、球根をつくっている園芸農家の経営は大変なことでしょうね。私は毎年500個ほどの球根を購入しています。花屋の経営がますます厳しくなっているそうですから、せめてもの貢献です。
球根を植えたら、あとは、たまに雑草を抜くくらいで、水やりすることもなく、放っておきます。雑草取りをしていると、春にはウグイスが頭上で美声を響かせてくれます。地面に穴を掘って生ごみを入れていると、カササギも飛んできます。手入れを手抜きしても、チューリップはちゃんと3月になると花を咲かす律義者の花です。失敗することは、まずありません。

晴れない気分で…
チューリップの花が咲き始めた矢先の3月11日、突然あの大震災が勃発しました。ふだんはまったくテレビを見ない私なのですが、さすがに連日テレビを見続けました。衝撃の映像が繰り返し流れます。巨大な大津波によって家も車も人もまたたくまに呑み込まれている映像には声も出せませんでした。暗い気分の日々を過ごすことになりました。
やがてチューリップが満開となりました。500本のチューリップが咲きそろうと、それはカラフルで心が浮き立つ思いです。ところが、今年ばかりは、せっかく年に一度、いえ一生に一度の晴れの姿を見せて喜びに輝いている花たちを眺めても、こんなにして美を鑑賞していていいのだろうか。ふと何か悪いことでもしているかのような暗い思いに駆られてしまうのです。いつものように心浮き立つ思いにはどうしてもなれませんでした。
すべてが押し流されてしまった人々。長く住んできた家が土台から根こそぎ流され、他人の建物の屋根に大きな船が乗っかかっている映像は、とてもこの世の現実だとは思えません。庭もまったく跡形もありません。隣家との境界線すら分かりません。
と同時に、家も庭もすべて無傷のまま残っているのに、そこに住むことを許されない地域があり、追い出されてしまった人々がいます。福島第一原子力発電所の周辺地域です。
手入れされなくても花は咲きます。しかし、家畜やペットは、そんなわけにはいきません。さらに、日本は放射能で汚染されている、その危険があると言って多くの外国人が一斉に日本から脱出していきました。東京の大使館を閉鎖して大阪に移した国もあります。これを風評に踊らされているだけと冷笑しているわけにはいきません。まだ原発事故の解決の目途が立っていないのですから…。

恐怖と欠乏から免れ…
庭に出て雑草取りをしていると、目の前にフリージアの華麗な花があり、甘い香りが漂ってきます。すっくと伸びたアイリス、華麗なるジャーマンアイリスの花の凜とした美しさに生命の気高さを感じさせられます。しかし、今なお、東北地方にはそんな日常生活を奪われてしまった人々が何万人、いや十数万人もいます。それを考えたとき、日本国憲法が高らかにうたいあげた平和的生存権を文字どおり今こそ日本に確立するため、私も持てる力を振りしぼるべきではないか、そんな気になるのです。

◆憲法リレーエッセイ◆ 一票の格差是正裁判(最高裁大法廷判決)の体験談

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会 員 新 道 弘 康(25期)

1、「本件上告を棄却する。」3月23日午後3時からの最高裁判所大法廷での竹崎裁判長の主文の一声と共に判決要旨が1~2分で簡単に述べられてあっけなく終わった。
上告弁護団控室で待たされること1時間弱、そして15名の最高裁判事が段上に並んだ威圧感、満員の160人の傍聴席の後ろからTVや新聞社のカメラ撮影、最高裁判所の玄関前から弁護団が入場する所や判決後のタレ幕(歴史的な違憲判断)を囲んだ弁護団の報道撮影、その後の東京地裁司法記者クラブでの記者会見等の物々しさに比べて、判決の言い渡しはホントにあっさりしたものだった。但し、その要旨の内容が一人別枠方式は現在では違憲状態となっているとの画期的な判断だったのだ。
2、最初のとっかかりは2009年9月28日(月)の同級生からの電話だった。同級生と言っても司法研修所時代同じクラスだった東京の升永英俊弁護士からである。「新道君、明日か明後日に選挙無効の訴えを福岡高裁に出してくれ」、彼が言うことには8月30日の民主党が圧勝した衆院選挙無効の訴訟をしたい、公職選挙法上1ヶ月以内に提訴しないといけない。訴状等は彼の方で東京用を作っているから福岡用に少し変更してすぐ出してくれ、とこんな内容だった。
升永弁護士といえば、例の中村博士の光ダイオード発明により大きな利益を稼いだ会社に対する何百億という請求事件、住友不動産に対するサブリース契約の借地借家法上の有効性を巡る訴訟、旺文社が国を訴えた国税還付勝訴事件等で活躍した超有名な弁護士だ。一時は日経新聞等に掲載されていた日本の100名の長者番付欄にも名を連ねたこともあるそうだ。彼とはその前年2008年3月に司法研修後35周年記念式典が東京のニューオータニホテルで催された際に会って一緒に一杯飲んだ際「俺は、公職選挙法の投票価値の不平等は憲法違反になると思うから、これをライフワークとして取り組んでいこうと思っている」と言っていた事を想い出した。
3、すぐ訴訟を提起するには誰を原告にしようかという事がまず問題となった。うちの事務員の森山君にしようかと思ったところ福岡市内のマンションに住んではいるが、住民票は実家(小郡市)においてあるというので、やむなく自分が原告にならざるを得ないと決断した。私は南区平和の住所だから福岡2区の有権者数や人口、過疎である他県(高知や島根)との比較を調べて住民票や戸籍謄本をとり、升永君から送られてきた訴状を福岡用に変更して9月30日に福岡高裁に提出した(訴訟代理人としては伊藤巧示、安東哲弁護士に委任した。後に久保利英明、伊藤真弁護士も加わる)。
4、高裁のある7箇所で選挙無効が一斉に提起されたのであるが、まず最初に大阪高裁で一人別枠方式は現在では違憲状態に陥ったと判旨されてはずみがつき、以後各地の高裁判決は、違憲対合憲の割合が5対2で違憲ないし違憲状態との判断が多数を占めるようになった。マスコミ等の論評でも一票の格差はなくすべきであるとの報道が紙面を賑わすようになり、次第に流れはこちらに有利になってきた。
その7高裁の中でも最も内容が良かったのが森野俊彦裁判長擁する福岡高裁の判決であった。というのも、一人別枠方式はこの制度が出来た当初から憲法違反の制度であったのだと森野裁判長は明確に判示したからだ(尚、その後2010年7月11日の参院選挙に関する同様の訴訟においても、福岡高裁の廣田裁判長は都道府県による一票の格差は憲法上要請されたものではなく、可能な限り一人一票にすべきであると、これも他の裁判所よりはより進んだ判決を出してくれた)。今回の大法廷判決は全国7箇所の高裁でなされた2009年衆院選の無効判決の上告事件についてまとめて判断されたものだ。
5、法の下の平等ではなく統治論
例えて言えば、高知では10万票で当選し、東京では50万票でも落選する。こんな差があって良いのだろうか。今迄は一票の格差があることは法の下の平等に違反するという議論で処理されてきた。これでいくと、法の下の平等も合理的な理由があれば(例えば男女や老若の差により色々な形で弱者保護等の)差が生じても良いということになる。一票についても過疎的県の意見も反映させるべきという理由により一人別枠方式ひいては一票の格差が生じても良いということになる。しかし我々は法の下の平等ではなく、一人一票にしないと民主国家とはいえないと主張してきたのです。住所の差別による一票の不平等のため衆院選では人口の42%が小選挙区選出議員(全300人)の過半数(151人)を選んでおり、参院選では人口の33%が選挙区選出議員(全146人)の過半数(74人)を選んでいるという現実が生じている。これは結局のところ少数の国民が多数の国会議員を選んでいるということになり、憲法前文にいう「正当に選挙された国会」=民主国家とは言えない。また少数の国民が選んだのでは43条の「全国民を代表する」とは言えない。多数の国民が多数の国会議員を選ぶ為には一人一票にしないといけないのです。参政権の他の2つの最高裁判官の国民審査権や憲法改正の国民投票には地方による格差は認めていない。これと差を設けるべきではないことを主張したのです。これら参政権は男女による差を認めないのと同様、地方による一票の格差を認めるべきではない。そうしないと民主主義(多数決支配)が侵害されるのです。しかし、結局最高裁判決は一人別枠方式が投票価値の平等に反すると指摘して法の下の平等論で片づけました。
6、戦いはこれから  違憲判決をもらっても現実に一人一票が認められた選挙制度ができなくては意味がありません。ですから我々がする事はそれに向けての運動(特に最高裁裁判官の国民審査権を行使して、今回の15人の最高裁裁判官のうち合憲とした古田佑紀裁判官(検察官出身)にバツをつける等)をしたり、国会に働きかけたりしなければならないと思っています。  先日福岡県弁護士会からも大法廷判決後直ちに「投票価値の格差是正を求める会長声明」を出して頂きありがたく感じました。但し、その声明の中で「投票価値の格差が2倍を超える事は憲法の要請に反する」という表現は間違っています。これでは1.5倍や1.8倍は合憲と言うことになり、民主国家とはなりえないのです。  多くの弁護士の中でも一生のうちで最高裁大法廷で、しかも勝訴判決を得ることが出来る経験を持つことのできる人は本当に稀だと思います。そういう意味ではラッキーだったなと思いますし、チャンスを与えてくれた升永弁護士に感謝しています。また、私の代理人伊藤巧示、安東哲両弁護士の無償の協力に謝意を表します。

◆憲法リレーエッセイ◆  「ポピュリズムと司法の役割」

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会 員 武 藤 糾 明(49期)

大学で資本論を読むサークルに入った。社会学科で、ポピュリズムを研究している人がいた。ポピュリズムとは、自己の意図を実現するために、一種の催眠状態を作りだして圧倒的な世論を掌握するという、扇動的な民衆動員の手法である(2005年の「郵政改革なくして改革なし」「自民党をぶっ壊す」による衆議院選圧勝の小泉劇場も該当する)。扇動的民衆動員という方法論だけに着目して、ナポレオンも、ヒットラーも一緒に論じるので、「左も右もごっちゃにして乱暴だ。本質的な分析ではない。」と、当時思っていた。
弁護士になった後、地下鉄サリン事件や和歌山毒カレー事件の弁護人が、社会から厳しく断罪されていた。「弁護士は、何であんな極悪人の味方をするんだ!」ワイドショーだけとはいえない雰囲気が社会に広まった。帰省したときに親戚からも同じ質問を受けた。説明すると、そのときは一応矛を収めてもらえるが、次の盆・正月に帰ると、また同じ質問が繰り返される。4回目くらいから、説明をあきらめて受け流すようになった。
2004年に、監視カメラ問題に取り組み始めた。当初は、賛否両論であり、好意的な報道も行われた。神奈川で、マンションからのつきおとし(未遂)事件が検挙されると、世論は一気に傾いた。「反対している奴は、犯罪者の味方か。」非常識だとされた。
2006年に、福岡市職員が飲酒運転で3人の子どもを死亡させる事件が起こった。被害者と遺族のことを考えれば、最大限の処罰を与えるのが正義だと社会は一色になった。危険運転致死傷罪の適用を争う弁護人の活動は叩かれた。家でとっている新聞も、記者のコラム記事で、弁護人の活動を非難した。暗澹たる思いだった。
しかし、2008年、1審判決は、危険運転致死傷罪の適用を否定した。99%の世論が、「加害者をつるし上げよ」という中、「刑法の謙抑性」「刑罰法規の厳格解釈」という大原則に沿った判断であり、平時なら当然のことながら、ポピュリズム状況下で、良心にのみ従って判断された勇気に深い感銘を受けた。

弁護人が、刑事訴訟法に沿った原則的な活動を行うことに勇気がいる時代になった。裁判官であれば、それとは全く比較にならないほど大変だろう。
私は、極論を言えば、世界中の人が理解しなくても、正しいことは正しいと主張するのが司法の役割だと思う。弁護士も、準司法的役割として、それに貢献する役割を担うべきだと思う。憲法では、「多数決民主主義にゆだねると、少数者の人権が侵害されることがあるので、そういう法律を無効として人権を保障するのが司法の役割だ」とされる。私が言い渡しに立ち会ったハンセン病国賠訴訟違憲判決と住基ネット差止訴訟金沢地裁違憲判決は、まさに司法の正義が示された裁判だった。
「世論の動向」はうつろいやすいし、もともと理性的かどうかもあやふやだ。小泉劇場に熱狂した家族は、「そんなこと(自分が熱狂したこと)あったかな」とのたまわった。
そのときどきの世論が支持することだけに弁護士会の活動を限定するのは疑問だ。
しつこく活動している監視カメラ問題について、2010年の日弁連人権擁護大会シンポジウムで2回目の報告を行った。今回は、NHKのクローズアップ現代にも取り上げてもらった。デジタル時代の監視カメラは、顔認識システムと結合すると、インターネット上で特定の人の行動履歴を正確に追うことも可能となる。
少数意見を世論に広げていく活動を、これからもあきらめずに淡々と行っていきたい。

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