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カテゴリー: 憲法リレーエッセイ

◆憲法リレーエッセイ◆ 子どもとケンポー

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会 員 永 尾 廣 久(26期)

拳法、剣法そして憲法

子どもとケンポーというと、子どもたちが少林寺拳法とか剣道でもするのかと連想してしまうのではないか。いや、子どもたちこそ憲法で守られるべき存在なんだと声を大にして叫んでも、憲法というとなんだか縁の遠い気がしてしまいそう・・・。

ところで、先日、九弁連は人権救済申立を受けて勧告を決議した。その理由は九弁連のホームページにも載っているので、ぜひ一度たしかめてほしい。私は、それを読んで腰を抜かしそうになった。なんと国が7歳の子どもを妨害禁止の仮処分申立の相手方にしたというのだ。訟務検事をそろえて法律実務に精通しているはずなのに、7歳の子どもを相手として国のやる軍用ヘリコプター基地の建設事業を妨害するなと申立したという(もちろん、7歳の子どもだけを相手としたものではない)。訟務検事の属する法務局には人権擁護部門もある。たとえ、7歳の子どもが親に連れられて、基地建設工事のための通行を「妨害」していたとしても、その子どもまでも相手方とするなんて、その発想がまったく信じられない。

いま、「憲法改正」をめぐって、成人年齢を18歳に引き下げるかどうかで大騒ぎしているのに、国が7歳の子どもを裁判(仮処分)の当事者に仕立てるとは、どう考えても突飛としか言いようがない。

グローバル社会と子ども

グローバル社会に乗り遅れず、それに打ち勝てというのは大人の世界の話だと考えていた。ところが、鉄は熱いうちに打てという格言どおりなのか、そのためには教師をがんじがらめに統制するしかないと言い出す政治家があらわれた。しかも彼は同業(弁護士)である。

エリートを育成するには、教師をその目標に向かって駆り立てる必要がある。ついていけない奴は切り捨てる。エリートなんて、ひとにぎりでいいんだ。この発想で大阪府は教育基本条例を制定しようとしている。

でも、本当にそんなことが可能なのだろうか。出来る子どもを育てるつもりで目標達成の出来ない子どもたちをバッサバッサと切り捨てていったら、決して裾野は広がらない。そして、勝ち抜けなかった子どもたちはいったいどうしたらよいのか。人間の才能は多面的なものだから、たとえ学校の成績が悪くても、別の方面の才能を開花させる子どもだっている。みんな違って、みんないいという金子みすずの発想こそ、実はグローバル化社会を勝ち抜く秘策ではないのか。

すべて目標を数値化し、それに見合う成果をあげなければ教師をどんどん切り捨てていくというのが先ほどの教育基本条例案の内容だ。
教師の専門性はそこでは完全に無視され、教師は首長の命じるままに動くロボットと化してしまう。教師は厄介なことを言う子どもにじっくりかまっていられない。だって、そんなことしていれば自分の業績評価が下がり、ついには身分が危なくなるのだから・・・。

10月4日、佐賀でシンポジウム

卒業式において日の丸・君が代への起立斉唱を強制する教育委員会が行なった処分について、最高裁が次々に判決した。これらの判決では、教育委員会の命令に反したからといってなんでも処分していいものではないことが明らかになり、大阪の条例制定にも一定の歯止めをかけた。

私は宮川光治最高裁判事の反対意見に注目した。宮川判事は、「教員における精神の自由は、とりわけて尊重されなければならないと考える」という。なぜか。子どもたちが学校で自由にのびのび育つことこそが教育に求められているからだと思う。

いったい、卒業式を子どもたち本位にして何が悪いのだろうか。少しくらい騒々しくても、子どもたちを型にはめて抑え込むよりよほどいい。自分はどうせダメなんだと思いがちな子どもたちを、いや、そうじゃないんだと大いに励ます卒業式であってほしい。

いま私は日弁連憲法委員会の委員長として10月4日に佐賀で開かれる人権擁護大会シンポジウムの準備をすすめている。シンポジウム第一分科会のタイトルは「どうなる どうする 日本の教育~子どもたちの尊厳と学習権を保障するための教育の在り方を問う」だ。日本の明日をになう子どもたちが学校で生き生きと学べるために、今、私たちが考えるべきこと、やるべきことは何かをともに考えようというシンポジウムである。1000人収容の会場を満杯にして熱い議論をたたかわせたい。

ぜひ、あなたにも参加してほしい。

◆憲法リレーエッセイ◆原発なくそう!九州玄海訴訟のご紹介

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会 員 前 田  牧(61期)

1 「原発なくそう!九州玄海訴訟」のご紹介
平成24年1月31日、1000名を超える原告と九州各県の弁護士からなる弁護団は、人格権に基づく妨害排除請求として、九州電力玄海原子力発電所の運転差し止めを求めて佐賀地方裁判所へ提訴する予定です。(この月報を読まれる時点では提訴されているでしょう。)

2 「原発なくそう!九州玄海訴訟」の特色
従来の原発訴訟の形態は、国に対して設置許可処分の取消・無効確認を求める行政訴訟または電力会社に差し止めを求める民事訴訟でした。これに対し、九州玄海訴訟では、国と電力会社を相手に民事訴訟での差し止めを求めます。訴訟は、原発の危険性について十分な検討を行わないままに、原発安全神話を浸透させ、原発立地を推進してきた国の責任を厳しく問うものになります。

3 これまでの原発訴訟との決別
これまでの原発訴訟は、志賀原発2号炉建設運転差止訴訟(民事)一審、もんじゅ設置許可無効確認訴訟控訴審を除いて、そのすべてが原告敗訴で終わっています。
脱原発全国連絡会で講演した河合弘之弁護士(浜岡原発差止訴訟弁護団長)によれば、原告敗訴の原因は、訴訟技術面では立証責任の課題をクリアできないこと、さらに大きな課題として世論の後押しが弱かったこと(一部の人たちが起こした裁判だと捉えられていたこと)と語りました。また河合弁護士は、特に、立証責任について、伊方原発訴訟最高裁判決の判断枠組みによれば一見原告側の立証責任が緩和されているように思えるものの、実は国側の立証は容易である反面、原告側は危険性の存在について厳しい立証責任を課されることとなり、「具体的危険性を立証していない」と判断されてきたと訴えました。
この点については、昨年起こった福島原子力発電所の事故やその後明らかになってきた事柄が、裁判所の判断枠組みに影響を与えるか、注目すべきところだと思います。

4 1万人原告を目指して
ところで、「原発なくそう!九州玄海訴訟」では既に原告が1000名を超えていますが、更に1万名を目指しているところです。
原告申し込みの受付をしていると、「Twitterを見た」「Facebookを見た」と言って問い合わせをいただくことが多くあります。多くの人々に訴訟の存在を知らせるツールとしてSNSを使いこなすことも重要なのだと感じています。
それと同時に、訴訟の意義や内容を知っていただくためには、このようなSNSだけでは十分な情報を伝えられません。勉強会や集会を弁護団・原告団自身が行ったり、あらゆる集会に飛び入りで参加して訴訟を紹介させていただいたりしているところです。
会員の皆様で、原発問題に関する勉強会等を開催される予定があれば、弁護団に声をかけていただければ幸いです。また、代理人として参加していただける方も大募集しておりますので、興味がおありの方は是非ご参加ください。

◆憲法リレーエッセイ◆ 東北の公設事務所に赴任して

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会 員 中 野 俊 徳(56期)

永尾廣久先生から、「東北と福岡の違いを軽いタッチの読み物として書き、最後に憲法と絡めるように」との執筆のご指示をいただきました。文才の無い私にとっては、いわゆるムチャブリというものですが、大恩ある永尾先生のご指示には逆らえません。

私は、この8月に福岡に戻ってくるまで、福岡市で半年、田川市で5年、秋田県能代市で2年4か月の弁護士活動をしてきましたが、取り扱った事件の中身自体は、債務整理、離婚、遺産分割、交通事故、債務不履行等々、どこでも大差はありません。
しかし、東北の冬には雪があります。能代は風が強いことで有名でして、地元の弁護士が訴訟の関係で調査したところ、能代の風は九州の台風よりも強いことがわかったそうです。この強風のため、能代では冬部でも雪がひざ上以上に積もることはまず無いのですが、短時間で凍ります。お昼には快晴で雪が全く無かったのに、午後に数件の法律相談をこなした後、接見のために事務所を出ると、雪が降っていて、事務所の前の直線道路がずっと先まで凍結してキラキラ光っている風景を見るという経験を何度もしました。雪上の運転にはいつまでも慣れず、車のブレーキを踏んでも止まらず、赤信号の交差点に進入してしまったり、前の車に数センチのところまで接近してしまい、それまでの人生を走馬燈のように思い出したことが何度かありました。
風がそこまで強くない内陸部では、重機で除雪した翌日に数メートルの雪がまた降るような状態で、被後見人所有の建物が雪の重みで潰れないように雪降ろしを手配するというのが、成年後見人の重要な仕事の1つになります。
このような厳しい冬期を毎年過ごしているからか、能代での依頼者の方々はどちらかと言えば寡黙で忍耐強く、債務整理の事案でも「借りた金は返さなければならない」とぎりぎりまで頑張る方が多いように感じました。それはそれで1つの美徳ではありますが、過度に頑張りすぎて、ヤミ金に手を出したり、家族や親戚の財産が全て無くなるまで返済を続けたりする方もいました。
一方で、田川での依頼者は、能代と比べたら、良くも悪くもラテン系のノリを持っている方が多く、冗談半分ですが「返せない人間に貸すほうが悪い」と言われる方もいて、こちらも苦笑せざるを得ませんでした。
もちろん、これらは程度問題であり、能代にもラテン系のノリの方もいましたし、田川にも大変生真面目な方はいましたが、東北の冬期(12月~翌3月)を過ごしていますと、私自身、福岡の明るい日差しが恋しく、何とも暗い気持ちになり、気候が人の気質に与える影響を、我が身をもって実感しました。

東北と福岡の違いは語り尽くせないのですが、どこであっても変わらないのが、法律であり、法制度であるはずです。私は、司法試験に合格した直後から、弁護士過疎問題に関心を持つようになり、弁護士登録して最初の6か月はやむなく福岡市で弁護士活動をしましたが、その後はずっと支部で活動してきました。日本国内どこであっても適用される法律や法制度は変わらないと言っても、多くの弁護士がいる本庁所在地と弁護士が比較的少ない支部管轄地とで住民が享受できる司法サービスの内容が事実上異なるのであれば、法律や法制度は絵に描いた餅に過ぎないと素朴に感じているからです。
それは憲法論も同じことで、どれだけ立派な条文を整え、どれだけ立派な理念を唱えようとも、弁護士過疎のために憲法の理念が現実化していない地域があるのであれば無意味だと思って、今日も支部で仕事をしています。

さて、永尾先生のご指示にどれだけ沿えたのでしょうか……。

◆憲法リレーエッセイ◆  筑後部会・憲法講座実行委員会 第7回 市民のための憲法講座「君が代・日の丸と憲法」(11月5日)

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会 員 木 下 宗一郎(63期)

1 はじめに
平成23年11月5日、福岡県弁護士会筑後部会会館において、憲法講座実行委員会の活動の一環として、第7回市民のための憲法講座「君が代・日の丸と憲法」が開催されました。
筑後部会の若手弁護士が「公立学校の卒業式の際に、日の丸を掲揚し、君が代を起立して斉唱することを強制するのは合憲か、違憲か」というテーマで、合憲派(田上晋一先生・吉田星一先生・渡辺麻以佳先生)と違憲派(塗木麻美先生・小松宏吉先生・木下宗一郎)に分かれ、討論をしました。

2 憲法講座の具体的内容など
全体の司会進行は寺田玲子先生が務められました。
そして、高峰真先生が開会の挨拶をされました。
さらに、永尾廣久先生がコーディネーターを務められるということで挨拶をされました。
また、寺田玲子先生より、特別ゲストとして久留米大学の日野田浩行教授(憲法学)に来ていただいているとの紹介がありました。
その後、田上普一先生及び塗木麻美先生より、合憲派・違憲派それぞれの主張に関するプレゼンテーションが行われました。
そして、討論が始まりました。
まず、合憲派は、国民の大多数は日の丸と君が代に対して、特別な感情を抱いておらず、スポーツの国際大会等において違和感なく用いられている、日の丸・君が代と思想良心の自由は関係ないなどという主張を行いました。これに対して、違憲派は、日の丸と君が代は過去の大日本帝国の軍国主義・全体主義のイメージから完全に抜け出せていない、特に植民地支配を受けたアジアの諸国の人々からすればそうである、日の丸・君が代と思想良心の自由は関係があるなどという主張を行いました。
次に、合憲派は、卒業式において日の丸を掲揚し君が代を斉唱するのは国際化のなかで自国のことや他国のことを考える教育の一環としての意味があるなどという主張を行いました。これに対して、違憲派は、卒業式と日の丸・君が代は関係がなく、様々な考え方のある日の丸・君が代を卒業式に持ち込むから卒業式が混乱するなどという主張を行いました。
さらに、合憲派は、国旗国歌法という法律ができているし、条例には職務命令違反の場合は懲戒処分を受けるというルールが明記されているなどという主張を行いました。これに対して、違憲派は、法律には敬えとか歌えとかまではあえて書かれていないし、思想良心の自由を侵害する条例は違憲無効であるなどという主張を行いました。
その後、参加者の市民の方々により、合憲派の主張と違憲派の主張のどちらが説得的であったか、投票が行われました。投票の結果は、合憲派17票・違憲派12票となり、合憲派の勝利となりました。
さらに、日野田浩行教授による解説がありました。
最後に、憲法講座実行委員会委員長の中野和信先生より閉式の挨拶がありました。
その後は、日野田浩行教授にもご参加いただいて、弁護士会のメンバーで打ち上げを行いました。市民の方にはアンケートを書いていただいており、打ち上げの場で回し読みがされましたが、ご意見としては、日の丸・君が代を強制しても合憲という方が相当多い状況でした。なお、アンケートの感想のところに、「弁護士ってカッコイイなと思いました」と書かれたものがあり、誰のことを指しているのかという話題で盛り上がりました。

3 最後に
会場に集まった市民の方は、若い方が多く、若い方でも憲法問題への関心が高いことを意外に思いましたが、安心もしました。
また、先輩や同期の先生方(上でお名前を挙げていない先生方が多数関与しておられます)と協働してひとつのイベントを作り上げていくという経験は貴重なものだったと感じています。

◆憲法リレーエッセイ◆「湯上り談義」

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会 員 中 野 林 豊 治(13期)

時は1945年秋ぐらいの頃、台湾台北市に居た、小学校6年生の私が体験した珍しい経験について話します。
日本のポツダム宣言受諾による敗戦で、台湾は、当時の蒋介石政権下の中華民国へ返還されることになり、その先遣隊として陳将軍指揮の中国国民軍が進駐してきました。
その頃から、台北市街には、以前には多く見かけていた日本国の憲兵や日本の警察官の姿は、ぱったりと消失したかのように見かけなくなりました。日本の台湾軍の兵たちは兵営内にこもりっ切り、街で見かける日本兵は、丸腰の疲れ切った姿で、話によると兵営を離脱した脱走兵らしいということで、たまに一人、二人見かける程度でした。
しばらくして、中華民国の黄土色の制服を着た警察官が、派出所に駐在するようになりましたが、その直前までの台北市街の生活風景にのぞき見た、日本人、台湾人、中国人を混じえた台北市民社会の「秩序」のことが本題です。
憲法を土台としたあらゆる法現象の中核をなす、「社会秩序」は、「国による統治、権力支配による秩序の維持が欠ければ、当然のことながら、崩壊し乱れることとなる」。これが私の法律を学び始めてからの大前提らしき考えでした。「統治なければ秩序なし」「権力なければ治安なし」の原理ともいえましょう。ところが、私が目にした台北市街の情景は、この大前提原理に反する事態でした。
もちろん日本語は、特別な台湾の人たち専用の例えば、龍山寺市場などを除いて、通用していました。通貨は、台湾銀行(日本側の)発行の銀行券が未だ通用していましたし、商品は、統制経済が打ち切られたこともあって、豊富で価額もはなはだしいインフレではなかったかと記憶しています。
私は、母の番犬のように買物のお伴をさせられていましたが、龍山寺市場をはじめとして、どこへ行っても日本人だからと言って差別されることもなく、自由に買物ができました。むしろ敗戦前よりは、品物も豊富で自由な暮らしができていた様に想います。
もちろん、日本人は職を打ち切られ、次々と引揚げていく順番待ちの様な生活で、経済的にも将来が不安に包まれていたと推測します。
港では、街頭トバクの掛け金を、ピストルをつきつけた元日本兵が奪って逃走した話や、戦時中に、苛酷な取調べをした元日本警察官が、台湾の人たちから吊るし上げを喰って制裁を受けていた話を、伝え聞いたことはありました。それでも、ほとんどの台北市民(日本人、台湾の人々、中国人、若干の韓国義勇軍の人たち、すべて台北の市街で生活を営んでいた人々)は、相変わらず普段どおり市場を介して、生活を営んでいました。
ふしぎに思えて仕方がありません。しかし、一定の文明段階に達した人たちでつくる社会は、一定段階の国家権力が無くても、分業にもとづき、市場を介して商品売買を循環させながら、共同生活を続けていく基礎的な関係にもとづく、経済秩序に支えられた生活秩序を保持することができる現実を目の当たりにしたのです。それが人間の歴史の実態なのかもしれません。私たちの考えや理論には、国家権力による護持があってこそ社会秩序は成り立つといった神話的感覚がこびりついているのかもしれません。ニンゲンとその営む社会、すなおに生きていく仕組みさえ生み出せば、捨てたものではないのかもしれません。きっとそうなのです。もっとニンゲンの築いて来た文明に自信をもってよいのではないでしょうか。
なお、とうとつながら、希望をひとつ。かつて福岡県弁護士会をあげて、未曾有の取組み(会員請求署名を集めて、開催された総会とそこでの決議の歴史過程)を、宮本康昭裁判官再任拒否事件と弁護士、法学者らの取組んだ姿として、どの機会かに、収録しておかないと、関係した方たちが、亡くなっていくとともに風化し兼ねないので、よろしく御配慮いただきたいと念じます。

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