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カテゴリー: 憲法リレーエッセイ

憲法リレーエッセイ 天皇の基本的人権

カテゴリー:憲法リレーエッセイ

会員 前田 豊(28期)

1 10年前出た本に、「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」(大月書店・2006年)という本があります。明仁さんと美智子さんとは天皇陛下と皇后陛下です(以下、敬称を略します。)。

著者は元宮内庁記者(共同通信)のイタさんこと板垣恭介氏。友人からの「そんなモノを書くと殺されるぞ」との忠告をものともせず、今の非人間的な皇室制度は本当に必要なのか、いまこそ国民的な論議を、と問題を投げかけたのが、「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」という本でした。

2 天皇・皇后を「さん」呼ばわりとはケシカランという方もあるでしょう。でも、京都では昔から天皇を陛下と呼ばず「天皇さん」と呼んでいたと、高坂正尭氏(元京大教授)が書いていました。いまでも、天皇が京都に行くと、「天皇さん、おかえりなさい。」という声が沿道からかかるそうです。「天皇さん」には京都の人の親しみを、また、「明仁さん」には身近に見てきたイタさんの親しみを感じます。

イタさんは、天皇と皇后の人間性に敬愛をこめ、象徴をやめて、ふつうの人間になりませんかという意味で、「皇族やめませんか」というのです。

3 2005年(平成17年)、小泉首相のとき、皇室典範に関する有識者会議は、女性天皇・女系天皇を認める報告書を出しました。

しかし、イタさんは、一人の女性に苦労を負わせて天皇制を存続させるのには反対といいます。

なぜなら、天皇には基本的人権がない。参政権がない。養子が認められていない。戸籍がないから母子手帳もない。皇室会議の議決がなければ婚姻もできない。公務を拒否することもできない。そもそも定年すなわち「生前退位の自由」がない。いま考えなければならないのは、このような人権を認められない制度がこれからも必要なのか、日本人にとっての「天皇」「皇室」とは何かを根源的に問い直すことだというのです。

4 憲法の教科書によれば、選挙権、被選挙権、婚姻の自由、財産権、言論の自由などに対する一定の制約も、天皇の地位の世襲制と職務の特殊性からして合理的とされています(芦辺信喜「憲法第三版」86頁)。

また、皇位継承資格からの女性の排除や皇族身分の性差別的な取扱いが憲法第14条に違反しないかどうか。一般にそもそも憲法が平等原則の例外として世襲を認めている以上違憲とはいえないとして、憲法第14条、24条に違反しないといわれます。

しかし、女性差別撤廃条約第2条をめぐって、女性学の立場から憲法学への批判が提起され、憲法学説でもしだいに女性排除の違憲論が説かれるようになったとされます(辻村みよ子「憲法第二版」207頁)。世襲制を憲法上の例外と解しつつ、世襲制に合理的に伴う差別以外の差別は認められるべきではないとする学説もあります(横田耕一「皇室典範をめぐる諸問題」48巻4号43頁)。

辻村みよ子氏は、世襲原則は当然に性差別を内包するものでない以上、女性排除は、合理的理由のない差別的取扱いであり、女性差別撤廃条約第2条に明白に抵触するとしています(前出・辻村みよ子207頁)。

5 私は、10年前にイタさんの「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」を読み、おおいに共感しながらも、「なるわけないよなぁ」と思って本棚にしまっておいたのでした。

ところが、明仁天皇が、2016年(平成28年)8月、退位をにじませるビデオレターを公表すると、国民の大多数が賛同し、有識者会議が生前退位妥当の報告を出し、2017年(平成29年)6月9日国会で「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立し、天皇の意図のとおりに生前退位することになりました。

そして、同年12月1日の皇室会議で、2019年(平成31年)4月30日に退位、同年5月1日に新天皇の即位となることが決定しました。

変われば変わるものです。なるわけないよなぁと思ったことに反して、殺されるぞと忠告されたイタさんの提言がそのとおりになって実現したわけです。

6 振り返ると、1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇が崩御し、新天皇が即位しましたが、そのときの雰囲気は異様で、古い時代に戻ったような感じがしました。連日、天皇の下血が何ccあったという報道が続き、重苦しい自粛ムードが広がりました。

崩御の翌日、1月8日には、福岡県弁護士会でも、会館に半旗をあげるかどうかの議論が起きました。しかし、結局、国旗国家法が成立する前であったため半旗はあげませんでした。

7 宮内庁は否定しますが、天皇代替わりの即位式後の大嘗祭では、神が天皇の身に乗り移る秘儀が行われるとされます(折口信夫等)。

すなわち、江上波夫氏によれば、御殿の床に八重畳を敷き、「神」を衾(ふすま。掛け布団のようなもの)でおおって臥せさせ、「天皇」も衾をかぶって臥せ、1時間ほど絶対安静の「物忌み」(汚れを避けること)をする。それで神霊が天皇の身に入り、天皇は霊威あるものとして復活する。地上の人間が神霊を招き、霊的な君主としての資質を身につけて「人間として現れている神」となるというのです(江上波夫「騎馬民族国家」(中公新書231頁))。

これには尾ひれがつき、そのとき、新天皇が前天皇の遺骸と同衾するとの説、新天皇と巫女が同衾するとの説など、種々の説があるとされますが、真実は闇の中で分からないとしかいいようがありません。

明仁天皇の即位式の後の大嘗祭でも、その儀式が行われたと思われますが、実際は不明です。テレビ報道では秘儀を示唆していました。

しかし、国民の総意に基づく象徴天皇制は、このような「人間として現れている神」を観念することとは無縁なはずです。明仁天皇の即位のときは、衆議院の小森龍邦議員が、宮内庁に対して、そのような秘儀を行うのは問題であると質問する主意書を提出しています。

これに対し、生前退位だと、天皇は死亡していないのですから、前の天皇から新天皇に神が乗り移るということは観念しにくくなります。明仁天皇は、生前退位をすることによって、身をもって示そうとしたようにも思えます。2019年の代替わりのときにはどのような儀式が行われるのか、注目したいと思います。

8 それにしても、私たちは、天皇や日本の歴史を知っているようでいて、案外、正当に認識していないのではないかと思います。

とりわけ、魏志倭人伝が伝える卑弥呼や邪馬台国連合の事実(西暦240年前後)、古事記と日本書紀が記述する神話や大和政権の関係、3世紀から6世紀ころにかけて何があったのかということについては、私たちの理解は一貫性を欠き、一元的な理解を困難にしていると言わざるをえません。その原因の一つは、万世一系の天皇制の歴史、日本人と朝鮮半島との関係について、正面から向き合う機会が少ないからではないかと思うことがあります。

この点、韓国の韓流ドラマは、はるかに自由で刺激的です。例えば、新羅の女王を描いた「善徳女王」もそうです。

「善徳女王」の時代は西暦600年から647年ころ、白村江の戦いの前です。朝鮮半島では百済、新羅、高句麗の三国が覇権を争い、中国では隋が国内を統一し、唐が隋にとって代わり、日本(倭)では推古天皇や聖徳太子が百済と交流し、中国に遣隋使を派遣するころの物語です。

新羅の善徳女王の幼少時代の名前は金徳曼(キム・トンマン)。トンマンは、王に男子がなく双子の女子として生まれたので不吉の前兆として国外追放され、男装しながら朝鮮半島から中国長安を経てタクラマカン砂漠まで逃亡し、ローマまで行けばよかったのに新羅に戻って人心を掌握し、父王の跡を継いで新羅の女王となり、百済と戦うというストーリーです。ユーラシア大陸の東から西へ、西域との交流や遠くヨーロッパのローマまで視野に入れて希有壮大であり、わくわくしながらドラマに引き込まれます。脚色はあるにしても、基本は史実に基づいていると思われます。

隋の使者が新羅に暦を持ってくること、水時計を作って時間を知ることなど、天智天皇が時間を権力の源としたことと共通であり、女帝が登場した点も類似します。新羅は善徳女王と姉の真徳女王、日本は推古天皇、皇極天皇(斉明天皇)、持統天皇が女帝として統治しています。韓流ドラマから日本の同時代が透けて見えます。

日本では、歴史ものといえば多く鎌倉時代、戦国時代、江戸時代に限られ、このような時代設定のドラマには滅多にお目にかからないのが残念です。

9 その白村江の戦い(西暦663年)のころのことです。

私は、高校時代、蘇我蝦夷(そがのえみし)という人の名前がおかしいと思いました。蘇我蝦夷は推古天皇や聖徳太子の時代の豪族で権力者であり、娘を天皇に嫁がせるなど天皇との関係も深い人です。

しかし、蝦夷という名前は東北、北海道の当時の辺境の地域や人を指すはずなので、権力者にふさわしい名前ではないと思ったのです。

最近、蘇我一族は朝鮮半島からの渡来人であるという有力説があることを知りました(水谷千秋「謎の豪族蘇我氏」文春文庫)。満智という人が百済から来て、子孫が韓子、稲目、高麗、馬子、蝦夷、入鹿と続いたというのです。そういえば蝦夷に限らず、韓子、高麗などは渡来人風の名前です。馬子、稲目、入鹿は動植物の名前をつけることで渡来人に限りませんが、これだけ続くと、やっぱり変です。私は、変わった名前は渡来人のせいかと思って疑問が解消したと思いました。しかし、それなら、推古天皇や聖徳太子など天皇の血統にも母方を通して渡来人の血が色濃く入っていることになります。

学説には、満智が朝鮮半島から渡ってきたという記録がないとして、蘇我氏の渡来人説に異を唱える説もあるようです。

10 5~7世紀の日本には、朝鮮半島からの渡来人が続々と渡ってきて、大和朝廷国家に帰化し、色々な技能や知識をもって、古代日本の経済的・文化的発展に非常に貢献したといわれます。集団移民で、同族の長を頭にいただき、東漢(ヤマトノアヤ)氏や秦(ハタ)氏はその代表格で、一説によると、平安時代の文献では、帰化人系統の氏は支配層の3割を占めたといわれています(前出・江上波夫「騎馬民族国家」212頁)。

ちなみに、弥生土器から須恵器に変わるのもそのころで、野焼きでわらの上に土や灰を覆って焼く弥生土器に比べ、新羅、百済からの渡来人が焼成技術を伝え、ロクロを使い、半地下式窖窯(あながま)で1200度以上の高温で焼くようになり、灰青色の固い須恵器の陶器を作ることができるようになりました。

11 西暦645年、蘇我蝦夷の子、蘇我入鹿は、宮中で、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足に暗殺され、蘇我蝦夷は自害して蘇我一族は滅亡します。かわって、中大兄皇子による大化の改新という名の天皇中心の政治改革が進められます。

西暦660年、朝鮮半島で百済が新羅と唐の連合軍に破れます。

百済は、残党勢力で百済・唐に対抗するとともに、日本へ援軍要請と、百済復興のため、日本に住んでいる百済王子の余豊璋(よ・ほうしょう)を王にするから百済に返してくれと要請します。余豊璋は、百済での政争に敗れ国外追放された後、日本へやってきた王族の一人です。日本にとって、この百済の救援に応じるか否かは国の存続に関わる重大な決断でした。

斉明天皇と中大兄皇子は、余豊璋に兵5000人をつけて百済に送り、阿倍比羅夫等を指揮官とする2万7000人の兵を派遣しますが、西暦663年、白村江の戦いで、唐と新羅の連合軍に破れます。天智天皇となった中大兄皇子は報復を恐れ、北部九州に東国から防人を配置し、百済亡命人を使って対馬に金田城、壱岐に烽火台、太宰府に大野城と水城、基山に基肄城を築き、瀬戸内海に山城を築き、都を難波から近江に移します。対馬、壱岐から「のろし」をあげて敵侵攻を伝え、水城、大野城、基肄城で太宰府を守る作戦だったのでしょう。

それにしても、3万人以上を派遣したのは、百済と日本(倭)との間に単なる同盟軍以上の深い関係があったと考えるべきでしょう。

私は、2000年、対馬弁護士センター勤務のとき、対馬の金田城に行ったことがあります。海から上がってくる低い山の山城で、敵の大軍が押し寄せたらひとたまりもありません。守備を命じられた防人は、死ぬしかないと思われました。ただ、死ぬ前にのろしをあげ、太宰府に敵来襲を知らせ、近江の京に知らせることが使命と知りました。

そう考えると、万葉集の防人の歌には、深い哀しみを感じます。

天智天皇の死後、弟の天武天皇は、大化の改新に沿って天皇制国家を進め、日本の正史を作ることを発起し、死後に「古事記」(712年)、「日本書紀」(720年)が作られます。このとき、神武天皇から持統天皇まで「万世一系の天皇神話」が完成するのです。

12 明仁天皇は、1990年(平成2年)11月の即位式で、「常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し・・・」と述べられました。明仁天皇にとっては、平和憲法、基本的人権、民主主義と象徴天皇制の憲法を順守することは天皇の使命と思っておられたと思います。

明仁天皇は、2001年(平成3年)12月、68才の誕生日の前日、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると続日本記に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。」と述べられました。桓武天皇(794年平安遷都)の母・高野新笠(たかののにいがさ)は百済の渡来人の子孫で、桓武天皇を初め万世一系の天皇は渡来人の血をひいていることになります。

明仁天皇は、2004年(平成6年)10月、秋の園遊会で、都教育委員の米長邦雄氏(将棋元名人)が「日本中の学校で国旗を掲げ国歌を斉唱させることが私の仕事でございます。」と述べたのに対し、すかさず「やはり、強制になるということではないことが望ましい。」と答えられました。憲法遵守の気持ちの表れと思います。

13 天皇制は、国民の問題であり、憲法の問題です。天皇を元首に祭り上げるのは方向が真逆です。人間として解放する方向に議論が向くべきではないかと思います。

憲法リレーエッセイ 「加憲」をめぐる真夏の夢

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会員 永尾 廣久(26期)

気の毒でしょ?

アベくんが顔を真っ赤にして叫びました。

「だって、3.11のとき、あんなにがんばった自衛隊員を、いつまでも日陰の身においていたら可哀想でしょ。そう思わなかったら、あんた非国民だよ」

ヒロくんが腕を組んだまま首をかしげます。

「本当に、そういう問題なのかなあ・・・。だって、3.11のとき自衛隊ががんばったのは、ぼくも高く評価しているんだけど、あれって災害救助でしょ。今の自衛隊を災害救助隊に名前を変えたらいいだけじゃないの・・・」

アベくんは憤然として言い返します。

「いいや、世界の状況は日本の自衛隊が出かけていくのを待っているんだよ。南スーダンだって、自衛隊が行って道路整備してきたんだし・・・」

ヒロくんは静かに反論します。

「でも、そんな道路整備とか病院や学校を整備する大切な仕事だったら、武器をもった自衛隊じゃなくてもやれるんじゃないかなあ」

アベくんは、ヒロくんをきっとにらみつけます。

「日本でも世界でも、こんなにがんばっている自衛隊を憲法上に位置付けてやったら、どんなに自衛隊員の士気があがることか・・・」

ヒロくんは腕を組んだままアベくんに問い返しました。

「自衛隊員の士気をあげるためだったら、災害救助活動の実績をもっともっと広報したらいいと思うんだけどなあ。そして、ついでにイラクや南スーダンに行ったときの実際の状況をもっと国民に知らせてくれたら、いいんですよ」

アベくんは、急に顔をしかめて首をゆっくり左右に振りました。

「そういうわけにはいかないんだよ。政治は、それほどきれいごとばっかりじゃないのさ。南スーダンの現場で起きているのは、まさしく戦闘なんだよ、あそこはどこもかしこも戦場なんで、現地で本当に起きていることを日本国民に知らせたら、それこそパニックが生じて、ぼくの首がすっ飛んでしまうじゃないの・・・」

9条3項を加えても変わらない?

アベくんは、熱い口調でヒロくんを説得します。

「いま、ぼくの考えていることは、今の9条1項と2項は残すんだよ。自衛隊が憲法違反だなんて憲法学者にはもう言わせないようにするだけなんだから、とてもいい考えだと思うんだ。協力してよ」

ヒロくんは、今度はさっきと反対側に首を深く傾げました。

「でも、現実には、安保法制法ができて、自衛隊は武器をもって海外へ出かけているでしょ。あれって、日本の国が武力攻撃を受けてもいないのに、戦闘行動に突入する危険がありますよね」

アベくんは再び憤然とした顔で反論します。

「だって、日本がいつまでも世界平和のために腕を組んだままでいいっていうことじゃないでしょ。世界平和のために日本人だって血を流すことがあって当然じゃないの。そしたら日本人は偉いって、世界中の人が見直すよ」

ヒロくんは腕を組んでアベくんに問い返しました。

「ということは、やっぱり自衛隊は海外で戦闘行為に参加するんですよ。そうなると、9条2項を残すとしても、戦力をもたないとか、交戦権を有しないということはどうなっちゃうのかな・・・。本当に変わらないって言えるの?」

アベくんは、小さな声で「いや、それはもう、少しは変わるでしょ。いい方向へ・・・」と言い返しました。

9条2項の死文化・・・

ヒロくんは、アベくんにたずねます。それを聞いたアベくんは、目を大きく見開きました。

「これまであったのは自衛隊の存在を憲法に明記して、そのうえでしばりをかけるということだったと思うのですが、そのしばりはどこにあるのですか?」

先ほどまで雄弁だったアベくんは急に言葉に詰まりました。

「そんな、憲法が権力者にしばりをかけるなんていう学説は、中世ヨーロッパに王様がいた時代の古いものですよ・・・」

アベくんの言葉の最後はよく聞き取れません。ヒロくんは口をとがらして反論をはじめました。

「近代国家はどこでも、もちろんアメリカでも、国の政治は憲法にもとづいてすすめられるべきで、国の権力者が友人や身内を重用したりして好き勝手な政治は出来ないようにしています」

アベくんは、あわてて大きく手を左右に振ります。

「モリそば・カケうどんなんて、もう聞きたくないよ。コータローもアキエちゃんも何も知らないんだし、マエカワなんて、なんで安保法制に反対していたのに次官になっちゃったのかなあ。情報が足りなかったことを悔やんでいるよ」

ヒロくんは、話を本筋に戻そうとします。

「自衛隊を憲法に明記したら、自衛隊は戦力かどうか、どうなるんですか?」

アベくんは真っ青な顔で言い返します。

「そんな難しいことをぼくに訊いたって、答えられるはずないでしょ。あらかじめ質問通告がないと官僚は回答文をつくってくれないんだから・・・」

ヒロくんは、あきらめません。

「それで、結局、9条2項は死文化するのですか、それとも生き残れる何か保証はあるんですか」

アベくんは、急に両手をお腹にあてました。

「なんか変な音がするんだ。今日は、これで失礼するよ」

ヒロくんは腕を組んだまま、アベくんの逃げ去る後姿を見つめていました。

憲法リレーエッセイ 5月3日の過ごし方

カテゴリー:憲法リレーエッセイ

会員 原田 直子(34期)

毎年春の大型連休の前半は憲法イベント。1989年に始まった憲法劇団ひまわり一座の憲法劇は、当初真面目に5月3日、どんたくと張り合ってやっていた。最近は、連休の最初の休みに行うことが多くなり、今年は4月30日。創立当初からのメンバーが少なくなって寂しいが、毎年どこからともなく50人ほどが集まってくる。子役で登場していた2世たちも成人し、第2世代メンバーの子ども達が子役で登場して舞台の注目を集めている。

素人の社会人集団が、自前の脚本で30回も芝居を続けるエネルギーは、やはり憲法9条。世界に誇る平和憲法が、年毎に愛おしくなる。憲法9条というと自然と憲法9条の歌になって、節を付けないと空んじることができないほどだ。

私は初めからおばあさん役が多かったが、憎まれ役、老け役は重要な脇役として舞台の質を左右すると自負して楽しんできた。これからも楽しい劇を通して舞台と客席の参加者みんなが憲法の素晴らしさを共感する舞台に参加したい。

これに対して、5月3日に行われた高遠菜穂子さんの「イラクから見る日本~暴力の連鎖の中で考える平和憲法」は、深刻な世界の情勢とその中で日本国憲法から離れていく日本の姿を浮き彫りにした講演会だった。高遠さんは、ご承知のとおり2004年にイラクで人質となり生還するも、心ないバッシングを受けた人。しかし、日本人が人質になった契機はイラクへの自衛隊派遣であり、高遠さんが生還できたのは、人道支援活動によるものだった。彼女はその後も一人でイラクでの人道支援活動を行なっている。

その彼女が語るイラク、モスル。今も毎日処刑が行われ、逃げるのが分かると手足を切断され公開処刑される。その状況を生み出したもの、アルカイーダ、その後のISの台頭は、いづれも米軍の大義なき戦争が産んだものであり、そのいづれにも、日本の自衛隊が無批判に追随して、「人道支援」の名の下に米軍支援を行なってきた実態が明らかにされた。

2003年に大量破壊兵器疑惑でイラク戦争が始められたが、現在では、アメリカもイギリスもオランダもこれは誤りだと認めており、国連の査察報告も大量破壊兵器はなかったと報告している。これに反して、日本はあくまで「イラク悪者論」に固執している。

イラクの人たちは、当初日本に軍隊はないはずだと思っていた。ファルージャに民間企業が来て雇用を創出すると期待していた。しかし、やってきたのは自衛隊だった。そして、ようやく戦闘が落ち着き始めたころ、シーア派イラク政府はスンニ派を弾圧し、このイラク政府に日本は警察車両を提供している。この弾圧に対するスンニ派による抗議デモの高揚に対し、さらなる弾圧と空爆が行われ、イラクはさらに深い混迷と民間人の犠牲が増加している・・・。

印象的だったのは「ISは極悪非道のモンスターだから殺されても当然」という考え方が、正規軍のモラルを低下させ、国際社会全体にも「コラテラル・ダメージ(巻き添え被害)も仕方ない」「対テロだから仕方ない」という考えが広がって、民間人被害の増加にもつながっているとの指摘。そして、イラク復興を掲げたアメリカの占領政策が失敗の連続で、イスラム国を産み出した原因がアメリカ自身にあることが日本では語られていないという日本のメディアの状況。

世界中で113人に1人が難民・国内避難民という状況の中で、目に見える人道支援は軍隊ではなく、文民・民間人でなければその国の人々に信頼されないと改めて強く思った。

憲法リレーエッセイ 飯塚市長選挙奮戦記

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会員 小宮 学(37期)

1 はじめに

私は、2月19日告示、2月26日投開票の飯塚市長選挙に立候補した。

突然、前市長と前副市長の賭けマージャン事件が昨年12月22日付西日本新聞1面で報道され、年末には飯塚市政治倫理審査会が設置されることが報道された。

あれよあれよという間に、前市長と前副市長は、1月11日に1月31日付で辞職することを記者会見し、今回の飯塚市長選挙となった。

立候補の理由や公職選挙法について感じたことを簡単に紹介させていただきます。

2 飯塚市長選挙立候補表明

(1) 前市長と前副市長の賭けマージャン事件の報道以来、私は、漠然とではあるが、「飯塚市政は不透明であり、おかしいのではないか。」と思っていた。

前市長と前副市長の賭けマージャンは、元市幹部が経営するマージャン店「浜」で繰り返されていたこと、本年4月から飯塚市の指定管理者となる事業者が参加していたことが報道されていた。

現飯塚市長(前教育長)は、1月20日、教育長の辞任届けを提出し、その直後に飯塚市長選挙に立候補することを表明した。

(2) 1月21日付西日本新聞には、現飯塚市長(前教育長)について、「自ら明らかにした市長との賭けマージャンとともに、有権者がどう判断するかは未知数だ。」と報道されていた。

私は、「自ら明らかにした市長との賭けマージャン」とは、いったい何のことだと思って、ただちに他の新聞記事を調べた。

(3) 1月21日付毎日新聞には、「2010年の教育長就任以降7、8回ほど食事代などを賭けてマージャンをやったことを明かし『多くの人から出馬を促されたが、私が出馬できるか悩んだ』と述べた。前教育長によると前市長、前副市長とも2、3回一緒にマージャンをしたが、業者と同席したことや平日の日中にやったことは『ない』と否定」とあった。

(4) なんのことはない。現飯塚市長(前教育長)は、前市長、前副市長を交えて2回ほど、食事代や場所代を賭ける形で賭けマージャンをしていたのだ。

前市長、前副市長と同じ穴のむじなではないか。マージャンは4人いなければできない。現飯塚市長(前教育長)は、いったい誰と賭けマージャンをしていたのか。私は、現飯塚市長(前教育長)には、飯塚市長になる資格はないと思った。

突如、私は、賭けマージャン問題の真相を解明したく、1月28日に立候補の記者会見をした。無所属で立候補することを表明した。

3 私の戦略

私は、筑豊じん肺訴訟の原告弁護団事務局長を務めた。

初代弁護団長松本洋一(平成3年10月21日死亡)は、弁護団会議で、常々、「闘いは勢いである、小さくても勢いがある方が勝つ。」と言っていた。

筑豊じん肺訴訟は、提訴から最高裁判所の勝利判決まで18年4カ月もかかってしまったが、たった169名の炭鉱夫じん肺患者が国、三井鉱山(現・日本コークス工業)、三菱マテリアル、住友石炭鉱業(現・住石HD)、古河機械金属、日鉄鉱業に勝った。

故松本洋一の言葉を胸に、全力で闘った。

自民党以外の全政党から支持を得たく、推薦依頼文を発送した。自民党に推薦依頼を求めなかったのは、私が立候補の記者会見をした日に自民党が現飯塚市長(前教育長)の推薦決定をしていたためだ。結局は、日本共産党だけが私の推薦決定をした。

無党派層から支持を得たく、(1)賭けマージャン問題の真相解明、(2)市4役の資産公開制度の強化・創設、(3)11年前の合併後に廃止されたコミュニティバスの復活強化、(4)保育所待機児童の解消、(5)小・中学校のエアコンの設置、(6)白旗山メガソーラー乱開発ストップなどの政策を一生懸命訴えた。

告示後の1週間は、宣伝カーの上に立ち、毎日約20回、政策を訴えた。

3人の候補者の中で、宣伝カーの上に立ち、政策を訴えたのは私だけだ。

全国から約200人の弁護士仲間が、推薦文をくれた。毎日、弁護士仲間が応援弁論にやって来た。

4 敗北

私は、敗北した。現飯塚市長(前教育長)が26,320票、O候補が10,609票、私が8,553票だった。

2月27日付朝日新聞は、私の敗戦の弁を、「精一杯やった。私の意見は市民に届いた。今後に必ずつながる。新しい飯塚の出発点になる。」と報じた。

敗北した当初は、たった8,553票だと思ったが、「地盤、看板、鞄」がない私が、よく8,553票も取ったものだと今は思っている。

5 公職選挙法との闘い
(1) 飯塚警察署からの電話による注意

飯塚警察署刑事課知能犯係から数回電話による注意があった。

1回は、私がたまたま選挙事務所にいたので、電話対応した。告示前の2月15日(水)午前9時頃に電話がかかってきた。

公職選挙法143条17項には、「立札及び看板の類は、縦150センチメートル、横40センチメートルを超えないものであり、かつ、当該選挙に関する事務を管理する選挙管理委員会の定めるところの表示をしたものでなければならない。」とある。

私は、同日、午前7時30分から柏の森交差点でハンドマイクを使って、「小宮まなぶ」とだけ書いた横断幕を掲げて、政策を訴えた。

告示前なので、「飯塚市長選挙」とは言ってはいけないし、書いてもいけない。「候補者」とも言ってはいけないし、書いてもいけない。

告示前に、ハンドマイクを使って、街頭で政策を訴えたのは、3候補者の中で私だけだ。

飯塚警察署刑事課知能犯係が言うには、この横断幕が縦150センチメートル、横40センチメートルを超えていたという。

私は、思わず電話口で、「お前は、憲法21条を知らないのか。」と怒鳴りたくなるのを、我慢して、「はい。はい。」と言った。

(2) その他

その他、公職選挙法との闘いは山ほどある。今の公職選挙法は、新人は選挙にでるなと言っているに等しい。

憲法リレーエッセイ 裁判所は憲法を尊重しているか?

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会員 永尾 廣久(26期)

「憲法は裁判規範ではなくプログラム」?

元最高裁判事の泉徳治氏は、最高裁の憲法認識を厳しく批判しています。

「日本の最高裁は憲法のやや抽象的文言から国民の具体的な権利自由を導くことに消極です。国民の権利自由は、法律で規定されて初めて生まれると考えがちです。立法作業を経験した裁判官に特にその傾向が強いようです。最高裁は、まず法律制度から入り、法律制度として合理性を有するものであれば、憲法上の合理性を有する、という判断の仕方をよくします。・・・・・。法律の具体的な制度設計が重要な意味をもつのであり、憲法は単なる要請、指針である、憲法は裁判規範ではなくプログラムである、という最高裁の姿勢が現れているように思われます」(『一歩前へ出る司法』、267頁)

そして、泉徳治氏は憲法秩序を守るために日本の裁判所はもっと積極的な役割を果たすべきだと強調しています。私も、全く同感です。

「社会集団全体の利益と集団構成員の利益はしばしば衝突します。ここでも、規格化を求める集団の利益と、選択的別姓でアイデンティティの保持を求める個人の利益が衝突しております。両利益の調和が必要となりますが、このことについて、憲法13条は『すべての国民は、個人として尊重される』と規定し、個人が尊重されて尊厳が守られる社会を作るという指針の下に個人と社会の利益の調和を図るべきことを規定しております。そして、日本社会では、夫婦の約96%が夫の姓を選択しているという状況の下で、選択的別姓を求める女性は少数派に属します。民主主義的プロセス、多数決原理で動く国会では、少数者の利益は無視されがちです。そこで、裁判所が、選択的別姓を認めず夫婦同姓を強制することが憲法13条の個人の尊重に違反するかどうかを厳格に審査しなければならない、そうしなければ憲法秩序が守られないということになります」(同、269頁)

「社会全体としては同一氏で規格化したほうが便利でしょうが、多少の不便は我慢しても個人としての生き方を認めていくべきですよね。個人としての生き方が集団の中で押しつぶされてしまっている」(同、272頁)

「日本の最高裁の建物の中には憲法問題を研究している人が一人もいないんですね」(同、330頁)

官僚派の裁判官だけではダメ

泉徳治氏は、本人自身が最高裁事務総長から最高裁判事に就任するという超エリートコースを歩んだ人ですが、最高裁の裁判官のうち3人くらいは官僚的な発想にとらわれない、人権重視の人が必要だと断言しています。

「官僚派の裁判官が大勢を占めるようになり、社会秩序重視の判決が多くなったように思われます」(同、294頁)

「団藤先生は、刑事法の権威ではありますが、刑事法以外の分野でも優れた個別意見を書いておられます。一つの分野を究めているような人はやはり違いますね。憲法でも他の分野でも立派なご意見をお書きになる。やはり、ああいう方が三人くらい最高裁に必要です。物事の本質を見ようとする人、官僚的な発想にとらわれない人が、必要なんじゃないですかね」(同、99頁)

裁判官の研修についても、注意を要するという泉徳治氏の指摘は大切だと思います。

「私も、裁判官を外部に出して多様な経験を積ませるということには賛成ですが、それによって裁判所が準行政庁的機関になることがあってはならないと思います。外部研修で、統治機関としての意識を強くして帰ってくる人がいないとも限りません」(同、304頁)

「夫婦同姓強制の合憲判断は間違い」

泉徳治氏は、最高裁が夫婦同姓を強制している法律を合憲であると判断したのは間違いだと、すっきりした口調で言い切ります。

「再婚禁止期間の違憲判断は当然であり、夫婦同姓強制の合憲判断は間違いであるというのが私の立場です。・・・・・。(最高裁判決は)まず社会があり、社会の構成要素として家族があり、家族の中に個人があるという発想です。社会の構成要素として家族があるのですから、家族のあり方は社会が民主主義的プロセスで決めればよい、社会全体の便益のためには、家族形態は規格的、画一的であるほうがよい、という発想です。しかし、まず、一個の人間としての男と女があるのではないでしょうか。その男と女が結婚して家庭を作る、家庭が集まって社会を作るのではないでしょうか。個人の尊重、個人の尊厳がまず最初に来るべきところです。多数決原理で個人の人権を無視することは許されないと思います」(同、266頁)

そして、泉徳治氏は、最高裁判決が「権利」よりも先に「制度」ありきとしているとして、厳しく批判しています。

安保法制法は憲法違反

国会で安保法制法案が審議されているとき、山口繁・元最高裁判長官が安保法制法案は憲法違反だと指摘したことが大きく報道されました。

泉徳治氏は、この点について、次のように語っています。

「(問い)2015年の夏に、集団的自衛権の限定的行使を容認する安全保障関連法案の合憲性が大きな争点となっていた頃、山口元長官がインタビューに応えて、法案を違憲だと指摘されたことは意外だった、ということですか。

そうですね。あれは、朝日新聞の記者のお手柄でした。私も山口元長官のご意見に賛成です」(同、308頁)

福岡でも、安保法制法が憲法違反であることを明確にするための裁判(国賠訴訟と自衛隊の派遣差止訴訟)が始まりました。裁判所には勇気を持って事実を見据えて、真正面から判断してもらいたいものです。

憲法を盾に裁判所は一歩前に

泉徳治氏は東京都議会議員定数是正訴訟で、本人が原告となって訴訟を提起しました。これは世間に大変なショックを与えるものでした。その思いを次のように語っています。

「選挙の争点にもならなかった安全保障関連法が国会をすいすいと通過する、憲法改正の論議も始まろうとしている、報道の自由を牽制するような動きもある、一人一票はなかなか実現しない、こういう動きをみておりますと、裁判所も、一歩下がってばかりいて、民主主義国家の中で果たすべき役割を怠っていた責任を免れないのではないかという思いを強くしてきました。また、どこが悪いというよりも、我々世代全体の責任だと思うようになりました」(同、336頁)

その反省の前提となっている司法の現状認識を泉徳治氏は次のように語っています。

「憲法は、立法、行政のほかに司法を設け、国民が、不平等な選挙権などの民主制のゆがみの是正を求め、憲法で保障された権利自由の救済を求めて、立法・行政と対等な立場で議論するフォーラムとして法廷を用意し、裁判所に対し、憲法に違反する国家行為を無効とする違憲審査権を付与しているのです。裁判所は、違憲審査権を行使することにより、民主制のシステムを正常に保ち、憲法で保障された個人の権利自由を救済するという役割を担っております。

したがって、裁判所が、違憲審査権行使の場面で、議会の立法裁量や政府の行政裁量の陰に隠れていては、憲法秩序が保たれません。裁判所は、憲法を盾に一歩前に出て、国会行為が憲法に照らし正当なものかどうかを厳格に審査しなければなりません。ところが、約70年の歴史のなかで、裁判所が法律や処分を違憲と判断した裁判例は20件しかありません。裁判所の中で、憲法で課せられた司法の役割に対する認識が十分に育っていないのです」(同、2頁)

「私は、裁判所が、憲法よりも法律を重視し、法律解釈で立法裁量を最大限に尊重し、法律に適合するならば憲法違反とは言えないとし、条約は無視する、という現状から早く抜け出して、憲法を盾に一歩前に出てきてほしいと願っております」(同、4頁)

形式・枝葉ばかりを気にする裁判官

福岡の法廷に現れる裁判官のうち、まともに当事者の言い分を聞いてくれる人にあたると、正直言ってほっとします。

時間ばかりを気にして、当事者の言い分をまともに聞いていないとしか思えない裁判官が、何と多いことでしょう。形式論には強いけれど、紛争の実質からは目を逸らそうとする裁判官、憲法論を持ち出すと、そんな抽象論なんか主張してもダメでしょ、と言わんばかりに冷たい裁判官が多過ぎます。泉徳治氏の言うように、上が上なら、下も下、そんな気がしてなりません。

でも、私は決して諦めているわけではありません。泉徳治氏の言うとおり、私たちには、今の状況を克服する責任があると思うのです。

泉徳治氏の本に大いに触発され、私も発奮しました。ぜひ、みなさんもご一読ください。

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