憲法委員会 委員 稲村 蓉子(63期)
核兵器廃絶を考える憲法講座
10月30日、市民とともに考える憲法講座第16弾として「核抑止について考える~核兵器廃絶に向けた議論のために~」の講演会を行いました。講師は長崎大学核兵器廃絶研究センターの副センター長である河合公明先生です。この講演は、本年12月の人権大会のプレシンポとして行われました。
平日夕方からの開催でしたが、会場56名、ZOOM 24名の参加者がありました。なかには、高校生、20代の参加者もいました。
核兵器とは何か、現在の核弾頭数
講演は、まず核兵器の説明から始まりました。核兵器とは、簡単に言えば核反応を利用した爆発装置であり、反応の結果、核分裂生成物(いわゆる核のゴミ)が多く出ます。従来の火薬による爆弾との違いは桁違いの破壊力であり、熱線・爆風・放射線という3つの特徴があります。放射線と放射性物質は、短期的には急性放射線障害(嘔吐、脱毛、下痢など)、中長期的には晩発性放射線障害(ガン、白血病など)を引き起こします。80年前の広島・長崎から現在まで、核兵器はその能力を大きくあげており、現在の爆発力は広島・長崎型の数倍から数十倍あります。さらに、最新鋭の能力として長距離を高速で飛ぶもの、ピンポイントで目標を狙うもの、地中深くを攻撃するものもあります。
2025年6月時点で世界には現役核弾頭数が9615あり、欧州から中東、南アジア、北東アジアまでかつてないほど通域的な範囲で核兵器の使用が懸念されています。
核兵器禁止条約の賛否の分かれ目
核兵器の禁止に関する条約(TPNW)は、2017年7月に採択、2021年1月に発効しました。締約国は74、署名国は95(2025年10月30日時点)となっています。この条約に対する評価は賛否に分かれています。
なぜ賛否がわかれるのか。その理由の1つは、「軍縮をすることが安全保障を促進するのか、それとも損なうのか」という問題に対する見解の相違があることによります。すなわち、軍縮をした結果かえって国家間の力の均衡を損ない、特定の国が武力行使を行う危険を増してしまうと考えるのか。軍縮をした結果、各国が武力行使の危険が減少したと考えて、自国の要求を武力行使によって解決するのを控えるのか、ということです。
理由の2つ目は、核兵器の「使用の威嚇」をめぐる対立です。冷戦期、核抑止政策が確立されました。核抑止政策とは、「自国は核兵器を使用すると相手国を脅す(使用の威嚇)ことによって相手国に核兵器使用をとどまらせる」というものです。しかし、TPNWは「核兵器の使用」「占有」のみならず「使用の威嚇」も禁止しました。そのため、核抑止政策をとっている国は、この条約に反対しています。
理由の3つ目は、核兵器の法的評価をめぐる対立です。国際人道法は兵器を規制していますが、一般的かつ抽象的な規定のため、どの兵器を禁止するか特定していません。国際上統一した見解がない以上、核兵器が適法な兵器であるかどうかについて各国家の見解によるしかなく、見解の差が、TPNWへの評価の違いにつながっています。
安全保障が先という考え方では、現状維持か軍備の増強を図るしかない
以上の評価の分岐点について、どのように考えるべきでしょうか。
まず、理由の1つ目「軍縮と安全保障」の問題について考えます。
非核兵器国の立場は、「核軍縮をするのは安全保障のため」です。一方、核兵器国の立場は、「核軍縮をするには安全保障が前提条件」というものです。核兵器国は「すべての国の安全保障が向上し減弱されない原則」(安全保障が弱まらない保証がない限り核軍縮交渉はできない)をとっています。核兵器国は核軍縮の文脈でこの原則を常に確認するため、核兵器不拡散条約での議論は停滞に陥ります。この、安全保障が先か軍縮が先かという論理はどのような帰結をもたらすでしょうか。歴史の教訓からいえば、過剰な軍備を放置した結果が第一次世界大戦につながったという反省があり、安全保障ができない限り軍縮ができないならば、少なくとも現状維持か、軍備の増強を図るしかありません。
核抑止が失敗したら核兵器は使われる
理由の2つ目「使用の威嚇」の問題については、核抑止をどう理解するかが関わってきます。核抑止とは、核兵器の「使用の可能性」による威嚇です。ここで日本政府の政策を確認すると、日本は、アメリカの保有する核兵器への依存は日本にとって必要との立場をとっています。日本政府は、核兵器を使用させないために核兵器が必要であり(核抑止)、そのために差しかけられたのが「核の傘」であると説明しています。これは核抑止の威嚇の効果を偏重する理解であるといえます。しかし、この日本の政策には、あるべき議論が抜け落ちています。一つは核兵器の使用に伴う問題の分析であり、二つは核兵器の使用から派生する法的、政治的問題の検討です。
前者の問題として、「核抑止が失敗した後、どうするのか」という問いがあります。この問への理論的な答えは核抑止論から出てきません。アメリカの著名な国際政治学者であり、核抑止の理論面の構築者の一人であるケネス・ウォルツは、抑止に失敗したときに国家は抑止の脅しを実行に移すべきかという問いは「愚問」だと述べました。読者は、「実行に移すべきか。すなわち核を使うべきか」という問いにどのような答えを思い浮かべたでしょうか。ケネス・ウォレツの回答は「使うべき」というものです。使わなければ有効な脅しにならないからです。つまり、核抑止の失敗は核兵器の使用を意味し、少なくとも一定程度の核攻撃の応酬が想定されるのです。核抑止の失敗という事態に対し、日本はどう対処するのでしょうか。この点、日本はアメリカの核兵器にどのような役割を想定しているのか、明らかではありません。
核兵器の非人道性は十分に検討されるべき
後者の問題は、使用に伴う国際法上の問題です。日本では、核兵器の廃絶という枠組みの範囲でしか議論がなく、使用に伴う国際法上の問題の分析が不十分でした。今、国際的には「核兵器の人道上の影響」が議論されており、前述したとおり2017年7月には国連の会議で核兵器禁止条約が採択されました。核軍縮を求める側から、主として核の使用に焦点をおいた問題提起がなされたという点に意義があります。世界では「核兵器の『非人道性』故に核兵器を『絶対悪』と評価する立場」と、「核兵器が存在する以上、核兵器を『必要悪』と評価する立場」とに分かれています。この議論は膠着していますが、核兵器の人道上の影響という論点は、今後、国際法上の問題となりうることから十分に検討されるべきです。
核兵器は国際人道法上違法な兵器といえる
理由の3つ目「核兵器の法的評価の問題」について論じます。国際人道法は武器兵器の利用を前提として、「区別原則(攻撃の対象は軍事目標に限定され、民間人や民用物は保護されなければならない)」「不必要な苦痛の禁止原則」をとっています。これは普遍的な規則であり、国家慣習法の侵すことのできない原則です。この2つの基本原則のもと、いずれかまたは両方に違反する性質を有するとみなされる兵器は禁止され、そうとみなされない兵器は規制を受けるにとどまります。TPNWは、核兵器は兵器として違法であり、使用禁止すべきと考えます。核保有国やその同盟国は、核兵器は違法ではなく、使用の方法が規制されるにとどまると考えます。さて、核兵器はこの2つの基本原則からみたとき、禁止または規制を受けるにとどまる兵器のいずれに分類されるでしょうか。1996年に国際司法裁判所が出した勧告的意見は、次のように指摘しました。「(限定的な核兵器の使用の問題に関して)小型で低出力の戦術核兵器の『クリーン』な使用が仮に可能だとして、その使用を正当化する状況がなにであるかを示している国は『皆無』」「そのような限定的な使用が、高出力の核兵器の『全面的な使用へとエスカレートする』傾向がないことを示した国は『皆無』」。つまり、核兵器国は、国際人道法の2つの基本原則から核兵器に向けられる問いに対して、答えないのです。核兵器国には説明責任があるといえます。
「責任ある核兵器の使用」は存在しない
以上を踏まえ、今後、核兵器廃絶に向けてどのように議論すべきでしょうか。2023年に開催された核軍縮に関するG7首脳広島ビジョンは、「核兵器が存在する限りにおいて『防衛目的のために役割を果たす』」旨の宣言を行いました。この宣言は、核軍縮を掲げながらも、「『防衛目的のため』に必要であれば、核兵器を使用する決意をもつ」、「G7の核保有国による核兵器の使用は『責任あるもの』として許される」という2つの点を表明しているようです。これは核廃絶に向けた議論として、正当なものでしょうか。考える材料として2つの見解を紹介します。核兵器の人道的影響に関する国際会議の議長総括は「いかなる国家または国際機関も、核兵器の爆発が直ちにもたらす人道上の緊急事態に適切に対応し、被害者に対して十分な救援を提供できるとは『考えにくい』」「そうした能力を確立しようとしても、それは『可能ではないかもしれない』」としています。また、2019年10月の核軍縮の実質的な進展のための賢人会議による「議長レポート」は、「核抑止あるいは拡大核抑止に依存する国は、核兵器や核抑止についての人道上の懸念を認識する必要がある」「核抑止が特定の環境における安定性を向上させる可能性はあるとしても、それが世界の安全保障にとって危険な基礎であり、したがって、すべての国はより良い長期的な解決策を模索すべきである」と述べました。「責任ある核兵器の使用」が果たして存在し得るのか、存在しないのであれば、それを前提とした議論はあり得ないのではないかが問われます。
「犠牲になるのは一般市民」であるという普遍的なメッセージを出し続ける
TPNWは、核兵器は決して使用されてはならず、使用されないための唯一の保障は「廃絶」であるとの理念に基づいています。TPNWは廃絶に向けた入り口です。もっとも、条約に参加しない国は拘束されないため、核兵器禁止条約を普遍化していくことが課題となっており、同条約を普遍化するためのウィーン行動計画では、市民や市民社会との協力が掲げられています。
現在、世界各地で国際法が繰り返し破られる現実を目の当たりにし、国際法は無意味ではないか、という疑念を持つ方もおられるでしょう。しかし、守られない法が悪いのでしょうか。そうではなく、「法を守れ」という声を高める必要があるのではないでしょうか。法が破られたとき、犠牲になるのは一般の市民だということは、過去の歴史から明白です。長崎の原爆投下を踏まえた現実主義(リアリズム)から、「武力紛争で苦しむのは誰か」という普遍的なメッセージを問い続けるべきです。核抑止論はリアリズムであるといわれますが、その実は、「自分が脅していれば相手は核を使わないであろう」という「願望」に依存するものにすぎません。相手が核を使わない保証はなく、核兵器が使用されれば市民に大きな犠牲が出ます。また、核に依存することの負の面は使用の場面だけの問題にとどまらず、核実験などのサイクルで多くの被害者を生み、環境汚染をもたらすということもあります。
核抑止論は、私たちを脅かすものではないでしょうか。核抑止に依存しない他国の犠牲の上に維持されているものではないでしょうか。だからこそ核抑止からの脱却を考えなければならないと考えます。
日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。授賞式のスピーチで、田中熙巳氏は「核兵器廃絶」と「戦争廃絶」の二重の課題を提示しました。また、スピーチの中では「国家補償」という言葉を2度使いました。国家補償は、国に戦争により生じた被害の補償をさせることを義務付けることにより、国が戦争を始めることを躊躇させる、戦争への抑止になるという考えに基づくものです。これは戦争抑止への重大な提言だと思います。
現在の国際社会は、戦争や核被害の現実への対応や制度が未整備です。被害の現実を出発点に規範の実装を設計する研究が必要とされています。

ウクライナが核を持てば、ロシアに侵攻されなかったのか
以上の河合先生の講演は、理解が難しいところもありました。しかし、参加者は最後まで熱心に聞き入りました。講演後には終了間際まで質問がいくつも出されましたが、その中から私が印象に残った質疑応答を一つ紹介します。
50代くらいの男性からの質問です。「私は核廃絶すべきとの思いを持っているが、ウクライナがロシアに侵攻された現実を前に、『ウクライナが核を持っていれば侵攻されなかった』との意見が出される。これをどう考えるべきだろうか」。河合先生の回答は、「ウクライナの人々からすれば、それはあり得た仮定である。しかし、あくまでも仮定に過ぎず、持っていても戦争があったかもしれない。また、核の問題について、ウクライナ・ロシアの二国家間の関係だけで捉えるべきではなく、一歩引いた視点も重要である。ウクライナが核を持てば、第三国にも影響を及ぼさざるを得ない。影響は、核使用に伴う放射性物質の汚染もあるし、政治的影響もある。その影響を論じること抜きに核を持つべきとの議論をすることはできない」というものでした。核兵器の問題を考えるときに、使用国・相手国という閉じた関係ではなく、一歩ひいた視点での見方をする必要もあるということに気付かされました。
核兵器廃絶に向けた着実な歩み
懇親会では、河合先生が、講演に劣らない熱量でお話をしてくださいました。その中で、河合先生は「核で脅しあう世界と、戦争をしないと決める世界と、どちらの世界に住みたいですか」と問いかけられました。もちろん後者の世界を望みます。河合先生は、国際法の既存の枠組みにのっとって核廃絶を実現させるという研究も進められているそうです。核廃絶に向けて、真摯な、そして着実な取り組みがなされていることに、大きな希望を感じました。




