福岡県弁護士会 裁判員制度blog

2010年1月 7日

裁判員裁判を体験した弁護士の報告

 『法と民主主義』(444号、09年12月号)に埼玉と横浜で裁判員裁判を体験した2人の弁護士が報告しています。大変参考になりましたので紹介します。(な)
 まず、埼玉の村木一郎弁護士(42期)です。村木弁護士は法テラス埼玉のスタッフ弁護士として国選弁護のみを担当しています。
 「公判前整理手続が取り入られる前の状況に比べれば、公判前整理手続が動き出してからのほうがはるかに被告人に有利な弁護活動ができていると自信をもっている。いままでの裁判官は、起訴状を見たら有罪と思っている。争いのない事件についても、被告人に不利な方向から事件をまず眺めているというのが実態だ。
 つまり向こう側に完全にベタッと針が傾いている、その傾いている針をかなり早期の段階でこちら側に少しでも戻すのが公判前整理手続である」
 「これまでに44件の公判前整理手続を経験しているが、公判前整理手続の中で出せなかった証拠について、『やむを得ない事由』が認められないとして蹴られたことは非常に少ない」
 「自白事件での被告人の捜査段階における供述調書(乙号証)の取扱いについて、弁護人が被告人質問を先行して実施し、それまでは乙号証の採否を留保するようにと求めると、裁判所はそれを受け入れる。被告人質問を実施した結果、捜査段階における供述調書を取り調べる必要性がないということで、裁判所は乙号証の請求を却下する。裁判所の判断を見越して、検察官が乙号証の請求を撤回することもある。ここ2年間このやり方をしていて、自白事件については、乙号証はまったく法廷に登場しないまま終わるのがほとんど。
 さいたま地検は、被告人質問の主質問を検察官にやらせられるように求めることが、かなり組織的に見られる。きちんと意見を言って、弁護人からまず主質問をすることこそが分かりやすい裁判であると言って、ほとんど突破している。
 さいたま1号事件については、裁判所は弁護人の反対を押し切って被告人質問の主質問を検察官にさせた。私の担当する事件では、私が最初に質問をして、乙なしという状態だが、必ずしも全部のケースがそうはなっていない」
 「証拠開示の関係でも、弁護士の対応によって、だいぶ差が出て公判前整理手続におけるふたつの証拠開示請求手続は、弁護人が相当程度に知恵を絞る必要に迫られるものだから、弁護人の技量による差が出てしまう」
 「検察官はどうしても劇場的な立証をしようとする傾向があるが、むしろ裁判所のほうが極めて抑制的である。遺体の写真も、どうしても必要なところに限る、医師がつくったメモで十分だったら、写真は却下するという運用がなされている」
 「被告人に前科・前歴がある場合は、簡単にA4一枚ぐらいのペーパーに、何月何日にどういうことがあって、どういう判決を受けて、中身はこういうものだと簡潔にまとめる」
 「被告人の着席あるいは服装は、全国統一的な扱いとして、弁護人の脇に座って、服装などもごくごく普通の服装が許されている。手錠・腰縄についても、裁判体が入る前に解錠、裁判体が出たあとに施錠という扱いになる」
 「裁判員役の方の感想は、ビジュアルに走ったプレゼンは、なんといいものを見させてもらったという印象は残るが、肝心の中身の印象が残り難いようである。あまりにもプレゼンソフトに頼り切ると、かえって印象に残っていないという傾向を感じる。
 だから、冒陳と弁論のメモは作成して裁判体に配布したが、徹底的にアイコンタクトをとりながら、ペーパーレスで冒陳・弁論に終始した」
 「被告人が10代という要素について、国民の半分以上が有利な方向でも不利な方向でもどちらでもないと答える。
 とくに裁判員に対しては、なぜ過去の裁判例が若年という要素を有利な方向で判断しているのか、それは要するに人というのは変わりうる、そして若い人ほど変わりうる可能性が高いということを強調した」
 次に、横浜の高原將光弁護士(28期)です。検事生活14年のあと、弁護士をしておられます。
 「横浜で検察官が3人出てきたが、多ければよいと言うものではない。誰が主任なのか分からないようなところもあり、一人の検察官が責任を持って、細かいところまで配慮して訴訟活動をするというのも一つだ」
 
 「パワーポイントについては、気にする必要はない。パワーポイントの出来・不出来で裁判が決まるのであれば話は別だが、最優秀作品を選ぶためのコンクールではないので、こちらが何を言いたいのかと言うことをパワーポイントなどの視覚に訴える方法で行えばいい。パワーポイントで人形の絵が出てきて、それがパッと動くというのを検察庁がやったとしても、そんなことで判断が変わってしまうような裁判であってはいけない、そういうことは許してはいけない」
 「刑事事件は社会内の事象、社会の中で起きた出来事である。社会の中で起きた出来事なのだから、社会の人、一般の人でも、それなりの判断ができる。
 いままで法律家は社会の中で起きた出来事を、法律家の特権みたいに自分のほうに持ってきて、法律家だけの判断でやって、その結論を押しつけていたところがある。だけど考えてみたら、社会で起きた出来事なのだから、普通の人がこれはどうだ、こうだと思うのは仕方がないのではないか」
 「これからの裁判員裁判の量刑は両極化していくと思う。いわゆる殺人とか、強姦、そういった人格を冒涜するようなことに対しては厳しくなっていく。
 自分だったらこんなことはしないと判断すると、それは厳しくなる。ところが、ひったくりから強盗致傷になったというような事件であれば、もしかすると自分の息子もやるかもしれないなと思わせることができれば、更生を考えて、執行猶予をつけてくれる」
 「裁判官が変わらなければ、この制度はひどい制度になる。裁判員を説得するだけではやはりだめ。要は、新しい裁判員裁判でも裁判官を説得できなければ、こちらの思った判決にはならない」

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