福岡県弁護士会 裁判員制度blog

2009年7月17日

裁判官による説示

安原浩元裁判官が、私なら次のように説明すると言っています。とても分かりやすい説明ですので、参考のためにご紹介します。
 「刑事裁判というのは、場合によっては命を奪うことができるくらいの重大な不利益を人に課すことになります。そのため、検察官・国の側に有罪を立証する責任があります。ですから、検察官が言っていることと被告が言っていることとを同じレベルで比べるのはおかしいんです。被告人の言い分は置いておいて、まず検察官の言っていることが胸にすとんと落ちるかどうか、検察官の立証で間違いないと言い切れるかどうかを中心に考えることが必要です。被告人がウソを言っているかどうかというのは、その次の問題です。
 検察官の主張・立証が、自分の胸にすとんと落ちて、納得できれば有罪です。しかし、どうも自分の考え方からするとおかしいなと思ったら、それを他の人にぶつけてみて、他の人の意見を十分に聞いても納得できないときは無罪にしてください」
(な)

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2009年7月21日

裁判官に反論する勇気をもとう

 安原浩元裁判官は、評議の場で裁判員となった市民は裁判官に反論する勇気をもとうと、次のように呼びかけています。(な)
 「国民が特に心配されるのは、裁判官が『こう考える』と言って強引な訴訟指揮をしたとき、どうすればいいのかということだと思います。
 もちろん、裁判官の説明がすとんと落ちる、自分の考え、感じ方から見ても納得できるときには問題はないですが、『どうも納得できない』『反発を感じる』というときには、市民の感覚を刑事裁判に取り入れるという裁判員裁判を設けた趣旨からして、しかもほとんどの人は1回きりでしょうでしょうから、『反論する勇気』を持ってもらいたいと思います。
 裁判官を教えるというか、『新鮮な感覚で見た見方も取り入れるシステムではないですか。我々の意見も聞いてください』『こういう証拠については、どう評価するんですか』などと、思った意見・質問を率直にぶつけてほしいというのが、私の願いです。
 実際には難しいかもしれませんが、それをしないままで黙ってしまうと、それこそ変な評議・判決になってしまったという心の傷が残ってしまう危険があります。重大な事件ばかりですし、そこは責任を持ってやってほしいという思いです」

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2009年7月22日

『控訴審における裁判員裁判の審査のあり方』

東京高裁の裁判官クラスが集まった研究会が『控訴審における裁判員裁判の審査のあり方』を発表しました(判例タイムズ1296号)。控訴審を担当する裁判官からみて、一審の裁判員裁判はどうあるべきかを指摘していますので、参考になります。(な)

○ 公判前整理手続に望まれること
 ・ 公判前整理手続における争点と証拠の整理も、基本的には当事者の主導と責任においてなされるべきであり、裁判所がみだりに介入することは控えるべきである。
   しかし、裁判所は訴訟の主宰者であるから、当事者の主張・立証の方針を明らかにするなかで、事件の核心をなす争点を的確に見抜き、釈明権を適切に行使することによって、その争点に焦点を当てた、裁判員にも理解しやすい主張・立証が尽くされるよう当事者に促すことが望まれる。
 ・ 最良証拠の選別は必ずしも容易ではなく、事件の争点、要証事実ないし証拠の性質、内容などに応じた適切な選別が望まれる。一つの事実につき一つの証拠というような機械的、固定的な選別でなく、最終の評議、判決を見通した適切な選別に意を用いるべきである。
   とくに、対象となる事実につき裁判員が十分理解できるかどうかという観点からの選別が必要であろう。
   また、合理的疑いの有無が深刻に争われるような事件においては、一般に証拠をしぼり過ぎるのは妥当でない場合が多いであろう。

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2009年7月24日

第1審の審理に望まれること

東京高裁の裁判官クラスが集まった研究会が『控訴審における裁判員裁判の審査のあり方』を発表しました(判例タイムズ1296号)。控訴審を担当する裁判官として一審の裁判員裁判はどうあるべきか指摘していて参考になります。(な)

○ 第1審の審理に望まれること
 ・ 裁判員と協働して、公判前整理手続でしぼり込まれた争点を中心に、適切に選ばれた証拠にもとづいて、必要かつ十分な審理を尽くすべきである。
   審理の充実と裁判員に過度な負担をかけないこととは、ときに相対立する課題であるが、その両立に努めてほしい。
 ・ 公判前整理手続がもうけられた趣旨・目的に照らし、当事者の追加的立証は容易に許すべきでなく、当事者から請求できなかった「やむを得ない事由」(刑訴法316条の32第1項)の有無について厳格に審査しなければならない。
   しかし、厳密な意味で「やむを得ない事由」が認められないときであっても、その証拠が判決の結論に影響を及ぼす蓋然性が高く、これを放置したまま判決すれば、あとで審理不尽ないし事実誤認といわれかねないと思われるときは、その証拠を適切に調べるべきである。必要な証拠調べであるのに、裁判員の負担を理由に取り調べないという運用は、基本的に不当と思われる。

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2009年7月28日

「45%の人こそ頼りになる」

 前の検事総長の但木敬一氏(現在は弁護士)が本年3月25日に法曹会館で「日本人と裁判員制度」という講演をしたものが東大法曹界ニュースに掲載されています。
 検察庁サイドから裁判員裁判をどう見ているのか、よく分かる面白い指摘がなされていますので、抜粋して紹介します。(な)

 「だいたい今の色分けで言いますと、約3割の人は、絶対嫌だ。それから45%の人が、嫌だけど義務だから出る。20%の人が、俺は行く。こんな色分けです。この45%のこの人たちをどっちに見るかによって、物事の判断はまったく変わってきます。
 正直に私は申しますと、実はこの45%の人こそが裁判員裁判でもっとも頼りになる人だと思っています。日本人は決して手を挙げて、俺は人を裁きにいきたいんだという人が多数になるわけがない。それから、今まで一度もやったことがないことですから、誰もまず俺のところに来ないでほしい。まず誰かがやって、それがうまくいって、俺もできそうだったらやってもいい。
 これは、日本人の当たり前の発想であって、つまり45%の人たちが普通の日本人の反応をしていて、義務だから行くというのは非常に大事な言葉であって、嫌だけど俺は行くぞ、というのが日本人としての表現方式であると思っています。ただ、それは残念ながら法曹三者が金や太鼓をたたいて、みんなどんどん積極的になってくださいよと言うけど、やっぱり始めてみて実際にうまくいくかどうかをみんな見ている状態だと思いますね。
 だから、体験した人の情報をどうやってみんなに行き渡らせるかというのはすごい大事なことなんです。初めてやった人たちがうまくいっているのかどうかという情報ですから、これはすごい大事な情報です。だけど、一方で守秘義務というのがあるから、それと衝突しているのも間違いない。これをメディアと裁判所で今まだ話し合っている最中だと思うんです。ぜひ合理的なランディングをしてもらいたい。基本的には、国民の協力を得なければできない制度だから、できるだけ情報は公開してもらいたいというのが私の切なる希望です。
 まったく革命的な制度ですから、初めから100%うまくいくとは僕は思っていないんです。定着するまでに5年、10年かかる。それを覚悟してやらなきゃいけない。悪いところはどんどん直していく。ためらうことなくどんどん直していったらいい。今の守秘義務も、もう1つうまい解決方法はないかなと初めから思っています。
 私は、これが円熟して完熟の域に達するのは、今の高校生とか、中学生とか、小学生が、法教育というのはいよいよ教育指導要領の中に入ってきます。教科書の中にも少しずつですが、記述が入るようになります。この子たちが大人になって参加してくるころが、完熟すると思います。
 逆に、司法への国民参加をやめるという方向の選択が将来ともにあり得るかと言えば、それはないと私は思っています」

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