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裁判員裁判全国2番目の事件(殺人未遂)について

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 さいたま地裁における裁判員裁判全国2番目の事件(殺人未遂)について、日弁連新聞(委員会ニュース)に、法廷を傍聴した鍛冶伸明弁護士の感想が掲載されていましたので、紹介します。(な)
 起訴事実に争いはなく、量刑とりわけ執行猶予を付けるかどうかが争点でした。判決は執行猶予がつかず、懲役4年6月で、双方とも控訴せずに確定しました。
 検察官の冒頭陳述は、証言台の横に立って譜面台を前に置き、譜面台の書面を見ながら陳述した。事前に図入りのペーパーが配布された。文字が細かくて見づらく、情報量が多すぎる。パワーポイントも使われたが、これも文字が細かく、見づらい。
 裁判員は、手元の紙やモニターを見ており、陳述者の方はほとんど見ていなかった。
 これに対して、弁護人は、一切メモを見ることもなく冒頭陳述を展開した。声、語り口、テンポなどが大変良く、裁判員は陳述する弁護人をよく見ていた。ペーパーは陳述後に配布されたが、冒頭陳述の項目だけが記載されていた。
 法廷において、被告人は、小柄、スーツにネクタイ着用、常に背筋をピンと伸ばして座っており、被告人質問での受け答えも誠実だった。また、弁護人の法廷における態度も、正々堂々としていて好感が持てた。
 いやあ、メモをまったく見ないで弁論するなんて、実に難しいことですよね。口でいうほど簡単なことではないと思いました。(な)

裁判員裁判第1号についての感想

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 NBL912号(9月1日)に、前検事総長の但木敬一弁護士と山田秀雄弁護士(東京二弁)の対談がのっていますので少し紹介します。ぜひ原文をお読みください。(な)
但木 本当に選ばれた人たちがどれくらい裁判所に来てくれるのか、それが、裁判員制度が上手くいくかいかないのかの分水嶺になると思っておりました。実際には100人に通知が出されました。これは裁判官や検事といった無資格の人たちも含めてまったく無差別に総選挙の名簿から選出するわけですから、100人に通知が届いて、そのうち33人が欠格者でした。加えて18人が辞退を申し出て、その辞退の申し出にはいずれも合理性がありました。ですから、裁判所に出頭すべき人は100人のうちの49人でした。そして49人の中から47人が出頭しました。この事実は驚くべきことです。やはり日本人の国民性として、やらねばならぬと決まったものについては、すごく真摯に、真面目に、真正面から受け止めた、出頭した人の数字をみて、非常に大きなハードルを越えたと感じました。
山田 弁護人となった弁護士は今回の裁判のためにおおむね300時間以上をつぎ込んだと言っていました。本当に頭の下がる労力をかけています。裁判中は、満足に睡眠時間も確保できないような状況で弁護活動を続けていました。
山田 弁護活動を行う人が経済的なことなどを考えたときに、限られた短い期間において想像を絶する忙しさが待ち受けていて、膨大な時間をかけて弁護を行わなければならないとなると、ちゃんと手を挙げてくれる弁護士がどれだけいるのだろうかという点は非常に懸念します。
山田 検察官に対抗し得るようなある種のプレゼンテーション能力を持った弁護士が対峙しないと、どうしても法廷の構造が2対1という図式になってきている印象が若干あります。そのような構造があるところに、有能な被害者弁護の弁護士が付いたりすると被告人は劣勢に回ってしまう。
但木 いま一番心配なのは正直にいって弁護士です。検察ならば組織的な研修ができますし、その事件について庁を挙げて応援します。いろいろなことを相談でき、バックアップ体制が整っています。これに対して弁護士は必ずしもそのような組織的な動きをしないので、すごく大変だと思います。
   私の在籍する森・濱田松本法律事務所では、もし若手弁護士が裁判員裁判に当たった場合は事務所を挙げて応援しようということにしています。すでにコミッティーを作っておりまして、私も入っています。
山田 いまCSR・企業の社会的責任の重要性が叫ばれていますよね。やはり裁判員裁判に出頭する裁判員に対しては、「お前、これは義務でいくのではなくて権利でいくくらいの気持ちでがんばってこい!」と、むしろ後ろから背中を押してやることが企業として必要だと考えます。
 

「45%の人こそ頼りになる」

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 前の検事総長の但木敬一氏(現在は弁護士)が本年3月25日に法曹会館で「日本人と裁判員制度」という講演をしたものが東大法曹界ニュースに掲載されています。
 検察庁サイドから裁判員裁判をどう見ているのか、よく分かる面白い指摘がなされていますので、抜粋して紹介します。(な)
 「だいたい今の色分けで言いますと、約3割の人は、絶対嫌だ。それから45%の人が、嫌だけど義務だから出る。20%の人が、俺は行く。こんな色分けです。この45%のこの人たちをどっちに見るかによって、物事の判断はまったく変わってきます。
 正直に私は申しますと、実はこの45%の人こそが裁判員裁判でもっとも頼りになる人だと思っています。日本人は決して手を挙げて、俺は人を裁きにいきたいんだという人が多数になるわけがない。それから、今まで一度もやったことがないことですから、誰もまず俺のところに来ないでほしい。まず誰かがやって、それがうまくいって、俺もできそうだったらやってもいい。
 これは、日本人の当たり前の発想であって、つまり45%の人たちが普通の日本人の反応をしていて、義務だから行くというのは非常に大事な言葉であって、嫌だけど俺は行くぞ、というのが日本人としての表現方式であると思っています。ただ、それは残念ながら法曹三者が金や太鼓をたたいて、みんなどんどん積極的になってくださいよと言うけど、やっぱり始めてみて実際にうまくいくかどうかをみんな見ている状態だと思いますね。
 だから、体験した人の情報をどうやってみんなに行き渡らせるかというのはすごい大事なことなんです。初めてやった人たちがうまくいっているのかどうかという情報ですから、これはすごい大事な情報です。だけど、一方で守秘義務というのがあるから、それと衝突しているのも間違いない。これをメディアと裁判所で今まだ話し合っている最中だと思うんです。ぜひ合理的なランディングをしてもらいたい。基本的には、国民の協力を得なければできない制度だから、できるだけ情報は公開してもらいたいというのが私の切なる希望です。
 まったく革命的な制度ですから、初めから100%うまくいくとは僕は思っていないんです。定着するまでに5年、10年かかる。それを覚悟してやらなきゃいけない。悪いところはどんどん直していく。ためらうことなくどんどん直していったらいい。今の守秘義務も、もう1つうまい解決方法はないかなと初めから思っています。
 私は、これが円熟して完熟の域に達するのは、今の高校生とか、中学生とか、小学生が、法教育というのはいよいよ教育指導要領の中に入ってきます。教科書の中にも少しずつですが、記述が入るようになります。この子たちが大人になって参加してくるころが、完熟すると思います。
 逆に、司法への国民参加をやめるという方向の選択が将来ともにあり得るかと言えば、それはないと私は思っています」

第1審の審理に望まれること

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東京高裁の裁判官クラスが集まった研究会が『控訴審における裁判員裁判の審査のあり方』を発表しました(判例タイムズ1296号)。控訴審を担当する裁判官として一審の裁判員裁判はどうあるべきか指摘していて参考になります。(な)
○ 第1審の審理に望まれること
 ・ 裁判員と協働して、公判前整理手続でしぼり込まれた争点を中心に、適切に選ばれた証拠にもとづいて、必要かつ十分な審理を尽くすべきである。
   審理の充実と裁判員に過度な負担をかけないこととは、ときに相対立する課題であるが、その両立に努めてほしい。
 ・ 公判前整理手続がもうけられた趣旨・目的に照らし、当事者の追加的立証は容易に許すべきでなく、当事者から請求できなかった「やむを得ない事由」(刑訴法316条の32第1項)の有無について厳格に審査しなければならない。
   しかし、厳密な意味で「やむを得ない事由」が認められないときであっても、その証拠が判決の結論に影響を及ぼす蓋然性が高く、これを放置したまま判決すれば、あとで審理不尽ないし事実誤認といわれかねないと思われるときは、その証拠を適切に調べるべきである。必要な証拠調べであるのに、裁判員の負担を理由に取り調べないという運用は、基本的に不当と思われる。

『控訴審における裁判員裁判の審査のあり方』

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東京高裁の裁判官クラスが集まった研究会が『控訴審における裁判員裁判の審査のあり方』を発表しました(判例タイムズ1296号)。控訴審を担当する裁判官からみて、一審の裁判員裁判はどうあるべきかを指摘していますので、参考になります。(な)
○ 公判前整理手続に望まれること
 ・ 公判前整理手続における争点と証拠の整理も、基本的には当事者の主導と責任においてなされるべきであり、裁判所がみだりに介入することは控えるべきである。
   しかし、裁判所は訴訟の主宰者であるから、当事者の主張・立証の方針を明らかにするなかで、事件の核心をなす争点を的確に見抜き、釈明権を適切に行使することによって、その争点に焦点を当てた、裁判員にも理解しやすい主張・立証が尽くされるよう当事者に促すことが望まれる。
 ・ 最良証拠の選別は必ずしも容易ではなく、事件の争点、要証事実ないし証拠の性質、内容などに応じた適切な選別が望まれる。一つの事実につき一つの証拠というような機械的、固定的な選別でなく、最終の評議、判決を見通した適切な選別に意を用いるべきである。
   とくに、対象となる事実につき裁判員が十分理解できるかどうかという観点からの選別が必要であろう。
   また、合理的疑いの有無が深刻に争われるような事件においては、一般に証拠をしぼり過ぎるのは妥当でない場合が多いであろう。

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