福岡県弁護士会 宣言・決議・声明・計画

2021年2月18日

中学校校則の見直しを求める意見書

意見

文部科学省 御中
福岡県教育委員会 御中
福岡市教育委員会 御中
北九州市教育委員会 御中

2021(令和3)年2月17日
福岡県弁護士会    
会 長 多 川 一 成

【意見の趣旨】

1 合理的理由が説明できない校則や生徒指導、子どもの人権を侵害する校則や生徒指導は、直ちに廃止し、もしくは見直すべきです。
2 不必要な男女分けをする校則や生徒指導は、直ちにやめるべきです。
3 校則の制定、見直しにおいては、生徒も参加する校則検討委員会で検討するなど、生徒の意見を反映すべきです。

【意見の理由】

第1 はじめに
当会では、これまで、様々な子どもに関する問題に取り組んできた。学校における子どもの人権の問題についてみると、1993(平成5)年に福岡県内の中学校で丸刈りが強制されていた実態を調査し、その廃止に向けて取り組んできた。また、2010(平成22)年には体罰について考えるシンポジウムを開催し、教育委員会と一緒に体罰をなくす取り組みについて検討した。そして、最近では、2017(平成29)年にシンポジウム「LGBTと制服」を開催した。これは自分の性自認にそぐわない制服を無理やり着用させられる子どもたちの苦しみ、それによる不登校やトラウマといった悲劇をなくして、「男子は学ラン」「女子はセーラー服」といった性別に縛られない生き方を尊重できるようにすることはもちろん、「生徒が自分の意見で着たい服を選ぶことができる」という自由を守る活動として行われたものであった。こうした活動が実り、新標準服が誕生し、2020(令和2)年4月1日より福岡市内の市立中学校69校の9割で新標準服が採用された。
このように、当会では学校における子どもの人権の問題について取り組んできましたが、残された問題として「校則」がある。
文部科学省は、校則について「学校が教育目的を実現していく過程において、児童生徒が遵守すべき学習上、生活上の規律として定められており、児童生徒が健全な学校生活を営み、よりよく成長していくための行動の指針」としており、「学校を取り巻く社会環境や児童生徒の状況は変化するため、校則の内容は、児童生徒の実情、保護者の考え方、地域の状況、社会の常識、時代の進展などを踏まえたものになっているか、絶えず積極的に見直さなければなりません。」としている。しかし、校則については、様々な問題点が指摘されており、男女で異なる髪型の制限があったり、下着の色が特定の色に指定されていたり、靴下の色や柄についても細かな規定がされている等規制の内容に合理性がなく、生徒の学校生活を必要以上に制限するものが多数存在している。そこで、当会は、校則の実態を調査するため、福岡市の市立中学校69校の校則について調査検討した。調査検討の結果は、以下のとおりである。

第2 調査検討の視点
1 子どもの人権及び子どもの権利
子どもは人格的に自律した存在であり、基本的人権を享有する主体である。したがって、子どもであるからとして、基本的人権の享有を妨げられる理由はない。日本国憲法は、13条で、すべて国民は、個人として尊重されると規定し、同14条は、すべて国民は、法の下に平等であって差別されないと規定する。したがって、子どもも、個人として尊重され、平等に取り扱われる。
この点、子どもは、自ら選びながら自分をつくり成長していくために、探求し学習することが必要であるが、そのためには教育を受ける権利(学習権)が十分に保障されることが必須の前提となる。そのため、子どもとの関係では憲法26条の教育を受ける権利が特に重要となる。したがって、学校教育の過程にあるということは、子どもに対して、より十分な人権保障を要求する根拠にこそなれ、子どもの人権を制限する根拠にはなり得ないものである。
1989(平成元)年、子どもの権利条約が国連総会で採択され、1994(平成6)年に日本もこれを批准した。同条約は、子どもは「保護の対象」であるだけでなく、何よりもまず「権利の主体」であり、さらには「権利行使の主体」と捉えている。同条約12条は、「自己の意見を形成する能力のある児童は、自己に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表現する権利」があることを認め、子どもの意見表明権を保障する。そして、同条約はこれに引き続いて、子どもの表現の自由(13条)、思想・良心・信教の自由(14条)、集会・結社の自由(15条)、プライバシーの権利(16条)を保障する。
同条約は、子どもに関するすべての措置をとるに当たっては、公的なものであれ、私的なものであれ、子どもの最善の利益が考慮されなければならないと規定する(3条)。したがって、子どもの保護と教育の観点から大人とは異なる特別な制限がなされる場合は、子どもの最善の利益を図るためのものでなくてはならない。
2 校則の定義及び法的根拠
「校則」は法令用語ではなく、一般には、「学則」「生徒心得」「義務規定」「学習の心得」などの校内規則の総称として使われている。ここでは、校則は学校によって全生徒に対して画一的に示され、生徒の生活・行動を直接かつ継続的に規制している生徒指導に関する規範としての性格をもち、その違反に対しては最終的に懲戒処分等の学校による何らかの強制力が予定されているものと捉える。
校則制定権の根拠について法の明文はない。もっとも、学校教育法5条は、「学校の設置者は、その設置する学校を管理し、法令に特別の定のある場合を除いては、その学校の経費を負担する。」とされており、学校の設置者は学校の物的管理(校舎をはじめとした施設の管理を含む。)や運営管理(児童生徒の管理を含む。)などに必要な行為をなし得ると解されており、同法37条4項、49条により、校長は校務をつかさどることから、校則制定権をこの「校務」に含めて理解することもあり、裁判例においては学校長に校則制定権を認めている。
もっとも、学校長に校則制定権が認められるとしても、校則は生徒の自己決定権に関わるものであることからすれば、少なくとも当事者である生徒の意見を尊重しなければならず、校則を制定・改変するにあたっては、生徒も手続きに参加する必要があるといえる。この点、国際連合子どもの権利委員会は、日本に対し、日本の子どもの意見表明が家庭・学校その他のあらゆる場所で軽視されている旨の勧告を度重ねてしている。例えば、2010(平成22)年6月の最終見解において、「学校が児童の意見を尊重する分野を制限していること、政策立案過程において児童が有するあらゆる側面及び児童の意見が配慮されることがないことに対し、引き続き懸念を有する。委員会は、児童を、権利を有する人間として尊重しない伝統的な価値観により、児童の意見の尊重が著しく制限されていることを引き続き懸念する。」としていることに留意すべきである。
3 校則による規制の正当化要件・規制の限界
前述のとおり、子どもは、一人の人間としてその尊厳を尊重され、人格及び能力を最大限に発達させ開花させるために教育を受ける権利(学習権)が保障されている。そして、学校は子どもの学習権を実現する場所の一つであり、子どもは学校生活を通じて多くのことを学び成長発達していく。そのため、学校は、子どもに対し、学習権を十分に保障できるような環境を提供することが求められる。
他方で、学校は、家庭教育などと異なり、家族等を超えた社会集団によって営まれる。そのため、学校がその教育目的を達成するために、生徒の教育に適した環境を整備・維持するため生徒に一定の規制をすることが認められる。
この点、公立中学校で丸刈りが強制されていたことについての裁判例は、学校長に校則を定める権限を認めつつも、これは無制限なものではなく、中学校における教育に関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものであると判断しており、校則が教育を目的として定められたものである場合、その内容が著しく不合理である場合には学校長の裁量権を逸脱し、違法となるとしている。
しかし、上記裁判例の基準は学校長の裁量権をあまりに広く認めている。上述のとおり、子どもには自己決定権があり、どのような服を着るのか、どのような髪型にするのか等は本来子どもが自由に決めることができるものである。このことは、学校内においても、変わることはない。そのため、校則によって子どもの自己決定権を制限するにあたってはその規制が教育目的を達成するために必要・不可欠であり、かつ憲法・子どもの権利条約から見て正当なものであり、その手段や手続きも教育的配慮のもとに適正な手続きを踏まえて行われなければならない。しかも、校則は、生徒に対し一律に適用されるものであることから、一律に規制するだけの教育目的が必要である。

したがって、校則を検討するにあたっては、①規制に真に必要かつ重要な学校教育上の目的が認められること ②規制目的と規制手段(態様・程度)が実質的に合理的関連性を有することの2つの要件を満たしていることが必要であり、いずれかの要件を満たさない場合には当該校則については廃止や見直しが必要となる。

第3 福岡市立中学校の校則の問題点
1 校則の規定内容の問題点
検討した校則には、服装、頭髪、持ち物、学校外での行動に至るまで事細かな規制が設けられていた。なお、詳細については、別紙調査報告書を参照されたい。
しかし、今回検討した資料からはこのような規制にどのような教育目的があるのか明らかではない。
以下、項目ごとに検討する。
(1) 標準服の規制について
校則においては、標準服の着方について事細かな規制がなされている。そもそも生徒が登校にあたりどのような服装をするかは生徒の自由な意思により決せられるべきことからすれば、標準服の存在自体、憲法13条の観点からとはその必要性を別途議論する必要はあろう。ただ仮に、標準服が必要であったとして、憲法13条を根拠とする生徒たちの個人の尊重という点においても、また標準服が「学校において着用することが望ましい」とされている服装であることからしても、校則において標準服の着方、すなわちスカート丈やシャツ、ベルト等について細かな規制をするのであれば、そのような規制について教育目的が認められることが必要である。しかし、シャツの色や形、スカートの丈等を規制することにどのような教育目的があるのか明らかではない。授業等の活動において支障がないようにスカート丈やスラックスの幅等の規制を設けているとも思えるが、生徒の体型や活動のスタイルは個々で異なるのであるから、個別の事情に応じて対応すれば足り、画一的に長さや幅を規制する必要性はない。
また、衣替えの時期について一律に規制する校則もあったが、気候に応じてどの標準服を着るかは、体質の問題も相まって、生徒の判断に本来委ねられるべきものである。また、生徒によっては、怪我や生まれつきの痣、リストカット痕等、他の生徒に肌を露出したくない理由があるなどして、年中長袖を着用したいという希望もある。このような各生徒の事情に応じず、画一的に時期によって、標準服の切り替えを生徒に強いる校則は、必要性・合理性がないばかりか、生徒がかかえる個人的事情を暴露させる結果となってプライバシーを害したり、ひいてはいじめを助長したりするなど弊害が考えられる。
(2) 頭髪の規制について
頭髪の長さや髪型について様々な規制が設けられているところ、頭髪の長さや髪型について細かく決めなければならない合理性や必要性は全く認められない。
この点、禁止される髪型としてツーブロックがあるところ、東京都では都立高校の校則でツーブロックが禁止されていることに関して、東京都教育委員会委員長が「外見等を理由に事故や事件に遭うケースがあるため、生徒を守る趣旨から定めている」と述べたと報道されているが、髪型を規制することと事故・事件の防止との間に因果関係があるのか極めて疑問である。学校側は、重要な教育目的を達成するために髪型を規制する必要があるのかとともに、規制目的と規制手段との間に実質的合理的関連性があるのか納得できる説明を行う必要がある。
また、校則では髪ゴムの色やヘアピンの数等についても規制しているが、これらについて規制するだけの教育目的は認められない。
さらに、染色や脱色、パーマを禁止する校則も多く認められるが、その背後には学校が一方的に想定する中学生像があり、そこでは頭髪は直毛で黒色であることが前提となっている。
しかし、そもそも髪の色や形状は人によって異なっており、生徒がどのような髪の色や髪型にするかは自由に決定できるものであることから、制約を受ける理由はない。仮に、何らかの制約を課す理由があったとしても、頭髪が直毛や黒色ではない生徒に対し、地毛証明書の提出を求める等の指導を行うことは、生徒の生まれながらの髪色や髪質を否定し、個人の尊厳を踏みにじるもので過度な指導であり、直ちに見直しが必要である。
(3) 眉毛の規制について
眉毛に手を加えることを禁止する旨の規制が確認できた学校は56校であり、うち2校が眉の間を含み、3校が額を含んで一切手を加えることを禁止していた。
しかし、眉毛に手を加えることを禁止することにどのような教育目的があるのか不明である。仮に何らかの教育目的があったとしても、眉毛の形状にコンプレックスのある生徒もいることも容易に想像できることから、眉毛に手を加えることを一律に禁止することは過度な制限であると言わざるを得ない。
(4) 下着、靴下、靴の規制について
下着に関する規制は83%の中学校で認められた。しかし、下着の色や柄に関してこのような規制を設ける教育目的が明らかでなく、規制する必要性・合理性も全く見当たらない。このような規制は、教職員が生徒の下着を目視するなどの違反調査がなされることにもつながり、生徒に羞恥心を抱かせるなど新たな人権侵害を生み出すことにもなりかねない。
靴や靴紐、靴下の色、靴下の長さについても、細かく指定する校則が認められるが、これらについて規制することに何らかの教育目的を見出すことは出来ず、仮に何らかの教育目的があったとしても、一律に色や種類を指定するという規制手段には合理性や必要性がない。
(5) 防寒着・防寒具に関する規制について
コート類等に関する規制を設けている中学校は全体の70%となっていた。多くの中学校がコート類の種類・色を指定していたが、これらの規制にどのような教育目的があるのか明らかではない。仮に何らかの教育目的があったとしても、寒暖の感じ方には個人差がある以上、どの防寒着を着るかは本来生徒の判断に委ねられるべきものであり、一律に規制する必要性や合理性はない。また、コート類の色については、暗色系の色を指定する中学校が多く見受けられたが、暗色系は、夜道などではかえって目立たず、交通事故に巻き込まれやすくなることを考え合わせると、暗色系に限定する必要性や合理性もない。なお、フード禁止に関し、「防犯のため」と規定する中学校もあったが、フード禁止と防犯がどう関係するのかなど不明な点が多く、規制する目的になり得るのか極めて疑問である。
セーター、トレーナーに関する規制を確認できた中学校は全体の83%であり、カーディガンに関する規制を確認できた中学校は全体の65%となっていた。種類や色、柄、デザインなどを規制する中学校が多かったが、これらを規制することにどのような教育目的があるのか明らかではない。仮に何らかの教育目的があったとしても、一律に種類や色、柄、デザインなどを事細かく指定するという規制手段には合理性や必要性がない。
マフラー、ネックウォーマー、手袋等の防寒具に関する規制を設けている中学校は全体の70%であり、細かい指定はあまり見受けられなかったが、そもそも規制する目的が明らかではない。仮に何らかの教育目的が認められるとしても、規制を設ける必要性や合理性について納得できる説明が求められる。
校舎内における防寒着・防寒具の着用禁止についても、その目的が判然としない。授業等の活動において支障がないようにこのような規制を設けているとも考えられるが、そうであれば昇降口で着脱を強制する必要性・合理性は乏しい。また、コロナウイルスの影響により室内の定期的な換気が必要となり、校舎内での防寒対策も必要な昨今の情勢も考え合わせると、教室内であっても画一的に着用を禁止する必要性は乏しい。
(6) 持ち物について
鞄の種別について規制を定めている学校は、69校中15校あり、その全てが学校指定のスクールバッグしか使用してはいけないとの内容を定めていた。しかし、通学に使用する鞄が学校指定でなければならない必然性はなく、生徒の選択の自由を過度に制限するものである。校則の中には「必ず両肩でからうこと」と鞄の持ち方についてまで規制するものもあるが、障害がある生徒に対する配慮が欠けており、規制の合理性を欠く。また、鞄に付けるキーホルダーの個数や大きさについて規制を設けることについても、教育目的は明らかではなく、規制の合理性がない。
携帯電話を持ち込み禁止とする学校があった。携帯電話については、授業時間中に操作することで学業が疎かになる懸念もある一方、保護者との連絡用や防犯用品として必要である側面もある。そのため、学業への影響から携帯電話の持ち込みを制約することに教育目的は認められるとしても、携帯電話を使用する場所や時間を限定する方法によっても教育目的を達成することは可能であり、持ち込みを一律禁止とすることは教育目的達成との間に合理的関連性が認めらない。なお、令和2年(2020年)8月、文部科学省は中学校への携帯電話の持ち込みを一定条件のもとで認める旨の通知を出しており、今後、中学校において携帯電話持ち込みに関しての議論が始まるものと思われる。
(7) 学校外行動の規制について
校則の中には、生徒の学校外の行動について規制するものがあった。しかし、学校が子どもの行動を制約できるのは基本的に学校内に限られる。子どもの権利条約5条においては、子どもの権利行使にあたり、親が指示・指導を与える責任、権利、義務を尊重しなければならないと定めており、子どもに対する一次的養育責任は親であると明確に定めている。したがって、学校外行動については、保護者が許可した場合まで学校が一方的に制約できるものではなく、校則で規制する必要性もない。
学校は保護者及び生徒への指導にとどめ、保護者も学校に子どもの全ての行動の責任を求めるのではなく、学校外行動について子どもとしっかりと協議することが必要である。
(8) 男女区別を基準とする規制について
標準服に関する規制において、男女で規制内容が異なっていた中学校が全体の72%にも上っていた。また頭髪についても男女で異なる規制を設けている中学校は全体の84%となっていた。防寒具のカーディガンの着用について、女子生徒、あるいはセーラー服着用時の女子生徒のみ認める中学校は13校あった。
しかし、性自認や性表現には多様性があり、「男」「女」以外の性を自認する者、生まれた際に割り当てられた性と性自認や性表現が異なる者等がいるにもかかわらず、生まれた際に割り当てる「男」「女」という二元的な性別基準によって生徒の服装や髪型を区分する正当な目的はない。特に標準服については福岡市立中学校の多くが、2020年度からスカートやスラックスを自由に選択できる新標準服を導入しているが、上記のように男女で標準服の規制内容を分けることは、選択型標準服を導入した趣旨にも反する。
2 校則運用上の問題点
(1) 明文なき校則による制限
 当事者ヒアリングの結果からは、生徒手帳等に記載されていないにもかかわらず、生徒の自由を制限するような明文なき校則が存在しており、これに基づき生徒指導がなされている実態が明らかになった。
前述のとおり、生徒は自己決定権を有しているところ、校則はこれを制限するものであることから、事前に生徒のどのような行動を制限するかについては生徒がわかるように明らかにしておく必要がある。生徒自身にどのような規制が存在するのか明確に分からない状態のまま、校則違反として指導することは、生徒に不意打ちをもたらし、妥当ではない。校則による制限は、教育目的を達成するために合理的な範囲内に限られるべきことからすれば、生徒手帳等によって事前に決められている以上の制限を生徒に課して指導することは非常に問題である。
また、校則に規定がないにもかかわらず、おでこの産毛剃りをしたことについて指導を受けたという事実が認められた。これは教職員に生徒が頭髪等について何らかの加工をすることに否定的な認識があることから、おでこの産毛剃りという校則に規定のないものについてまで拡大解釈して校則違反であると指導しているものと思われる。頭髪等を制限する目的である「中学生らしさ」が人や場所や時代によって変遷し得る曖昧なものであるにもかかわらず、生徒指導の基準となっていることから、上記のような拡大解釈を招いているものと考える。
(2) 教職員による恣意的な運用
校則に関する指導において、同じ教職員であっても生徒によって指導内容が異なっていたり、教職員の機嫌によって指導内容が異なったりする等、教職員による恣意的な運用が認められた。
校則は生徒の自由を制限するものであるから、校則に関する指導も規制内容に従って行われる必要がある。それにもかかわらず、教職員による恣意的な運用がなされていることには、制限する基準が曖昧であることに加えて、教職員自身が校則で制限する理由や目的を理解しないまま生徒指導にあたっていること(そもそも制限する理由や目的がない校則が多いことにも注意が必要である。)に原因があると思われる。
(3) 生徒の人権を侵害する生徒指導
校則の中には下着の色の指定のように規制する内容そのものが理不尽なものがあり、これに違反した場合の指導方法として「脱がせるよう指示する。」「脱がせた後に保護者に連絡する。」等生徒に羞恥心を抱かせるおそれの高い指導内容を規定するものもあり、生徒のプライバシーを侵害する恐れが非常に高い内容となっていた。また、生徒が眉毛に手を加えた場合には教室に入れなかったり、教職員が太く大きく眉毛を書いたりするものや休み時間はトイレ以外に教室から出ることを禁止するといった合理性のない過度な制裁を規定するものもあった。
実際の生徒指導においても、校則に違反したということで長時間指導を受けたり、地毛が明るいだけなのに毎回指導を受けたりする等明らかに行き過ぎたものも認められた。また、校則違反の指導の中で、何かと「連帯責任」を取らせる指導もあった。
このような指導は生徒の人権を侵害するものであり、直ちに見直しが必要である。 
(4) 校則についての議論に対する不当な抑圧
校則の内容については、生徒の実情や時代の進展などを踏まえて見直していくことが不可欠であり、見直しにあたっては当事者である生徒の意見が反映される必要がある。しかし、実際には、生徒会で校則について議論していたところ、先生から校則の議論を禁止されたり、校則について意見をすると「内申に響くぞ」と言われたり、理不尽な指導に不満気でいると先生から「そんな態度なら内申やらんぜ」と言われ、生徒が自ら口をつぐんでしまうという状況にあることがわかった。
校則は教育目的を達成するために生徒の自由を制限するものであることから、本来であれば当事者である生徒も校則の制定に関与することが求められるべきである。そして、子どもの自由を制限する場合にはその制限は子どもの最善の利益を図るためのものでなくてはならないことからすれば、少なくとも何が子どもの最善の利益であるかを判断するためには子どもの意見表明を尊重する必要がある。しかし、実際には、学校現場では生徒に校則についての意見表明が認められておらず、そればかりか生徒が校則による規制に疑問を持つような様子を見せたならば「内申書」を盾に取って、生徒を威圧する不適切な指導が行われている。生徒は、校則の意義について疑問を感じながらも、そのことについて意見を出すことができず、ただ「校則で決められているから」ということだけで自由を制限されており、それが強いストレスとなっている実態も明らかになっている。
学校は、このような指導方法を早急に見直す必要がある。

第4 特別支援学校の校則の問題点
1 校則の規定内容の問題点
開示された2校の校則には標準服の着用についての規定があり、「ボタンをきちんと留め、シャツの裾を出したりしない。ズボンやスカートは腰の高さの位置ではく。」との定めが置かれているが、一般的な着用の仕方を示しているにとどまっていた。「実態に応じて準備してください。」と併記されていることからも分かるように、実際には標準服を着用している生徒はほとんどおらず、指導も行われてないようである。
他方、頭髪や眉については、比較的詳細な定めが置かれていた。特に「パーマや髪染めはしない。」、「整髪料等は使用しない。」、「眉を剃ったり、細くしたりするなどの加工をしない。」といった定めは、そもそも目的が不明で、学校教育に必要な範囲を超えていることが明らかであり、合理性も認められない。
以上のように、開示された特別支援学校の校則には一部合理性のないものも認められたが、全体としては厳しい校則とはなっておらず、先に検討した福岡市内の中学校において厳しい校則が例外なく存在したことと対照的である。
2 特別支援学校の校則との比較から見える問題点
今回、特別支援学校の校則については文書の公開請求を行ったにとどまり、生徒や保護者、教職員からのヒアリングは実施できていない。そのため、(厳しい)校則を定めていない理由も正確には把握できていないが、特別支援学校の性質に照らすと、その要因として、次のようなものがあると推察される。
①知的障害のある生徒については、校則を示すだけで望ましい行動を促したり望ましくない行動を制限したりすることが難しい。
②発達特性として服装や持ち物へのこだわりが強い生徒がいるため、校則にルールを定めても守ってもらうことが期待できない。
③学級編制の標準や教職員配置が中学校に比べて充実しているため、ルールを一律に適用しなくても、個別対応がある程度可能である。
こうした理由の当否について、更に調査を行う必要があると思われるが、仮に的を射たものだとすると、次のような考察が可能である。
すなわち、こうした校則の定め方からは、学校長が、ルールを伝えても理解してもらうことが難しい生徒に対しては個別に、柔軟に対応する一方、「言えば分かる」中学校の生徒については、厳しいルールをもって一律に、硬直的に対応するという発想を持っていることが窺える。
しかし、子どもの権利は、障害の有無や理解力の高低にかかわらず、すべての子どもに等しく保障されており、また身体面・学習面で能力の高い生徒が権利侵害を受けにくいとも決して言えない。校則の定め方について中学校と特別支援学校との間に格別の差異をもうけている背景には、やはり子どもの権利を蔑ろにする価値観があると言わざるを得ない。

第5 結論
今回検討した福岡市立中学校の校則には、服装、頭髪、持ち物、学校外での行動に至るまで事細かな規制が設けられていた。しかし、そのいずれにも真に必要かつ重要な学校教育目的上の目的を認めることができず、規制するだけの合理的理由を見出すことができなかった。特に、下着の規制については、校則に規定があることにより教員が生徒の下着を目視して違反調査がなされることにもつながり、生徒の自尊心やプライバシー権の侵害を伴うものである以上、直ちに廃止すべきである。
また、生徒指導の現場では、明文なき校則により生徒の自由を制限したり、校則が教職員によって恣意的に運用されている実態が明らかなとなった。また、校則の指導の中には、生徒の人権を侵害するような指導方法も認められた。このような指導方法についても、直ちに見直しが必要である。
性自認や性表現の多様性が認められるようになり、福岡市立中学校において選択型の新標準服が採用されるに至ったにもかかわらず、現在においてもなお標準服や髪型について男女で異なる規制内容を定める校則が認められた。かかる事実は、学校が新標準服が採用された意義を理解していないことを如実に示している。学校は新標準服が採用された意義を再度確認し、不必要な男女分けをする校則や生徒指導を改善すべきである。
市立中学校は義務教育の場であるため、地域から多くの生徒が通学してくる。その中には複雑な家庭の事情を抱えて家庭に居場所がない生徒もいれば、発達障害のある生徒もいるし、不登校となっている生徒もいる。生徒は一人一人個性や抱える問題が異なっており、そのような生徒たちが共に学ぶことに学校教育の意義がある。そのため、学校はすべての生徒にとって安心して過ごせる場所であることが重要であり、それには多様性の受容と尊重が不可欠である。
校則は学校におけるルールであるが、本来、ルールは「人を縛るもの」ではなく、「人(特に弱者)を守る」役割を担うものである。したがって、本来校則は、生徒が教育を受ける権利を保障するとともに、学校という集団の中で個々の生徒の人権を保障する役割を担うべきもののはずである。
しかし、現在の校則は、単に上(教職員側)から生徒を縛るものになってしまっており、生徒の権利や人権を守るという役割がほとんど果たされていないものとなってしまっている。このような校則は、生徒一人一人の個性を尊重できるように、生徒の人権を守るものに見直していく必要がある。そして、見直しにあたっては、生徒の意見を反映させることが不可欠であり、そのためにも学校は生徒に対し校則についての自由な議論を保障すべきである。
よって、当会は、中学校の校則について早急に見直すことを求める次第である。

以上

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