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カテゴリー: 韓国

私たちに名刺がないだけで仕事してこなかったわけじゃない

カテゴリー:韓国

(霧山昴)

著者 京郷新聞ジェンダー企画班 、 出版 大和書房

 日本も依然として女性労働者の賃金格差は大きいわけですが、韓国もそれは同じです。

 2005年、韓国の憲法裁判所は戸主制は憲法違反だと認定した。それによって戸主を筆頭とする戸籍は廃止され、今では家族関係だけを記載する家族関係登記簿となっている。弁護士にとって、現在の戸籍は相続人を確定するうえでは大変便利なものです。でも、いろいろ知られたくないような個人情報が山盛りなのも事実です。世界中で日本の戸籍だけが突出しているようです。

 年齢(とし)をとってから稼いだお金は、8割は自分のために使うもの。なーるほど、遠慮なく使いましょう。

朝起きて、行くところがあるのは、とても幸せなこと。これを「きょうようがある」と言います。「教養」があるのではなく、「今日、用がある」ということなんです。

 年齢をとってからも働いているのを知ると、「うらやましすぎるわ」と言われることがある。

 ヨーロッパの人々は定年が来るのを楽しみにして働いていると聞きます。定年が来たら年金をもらって、働かずに好きなことだけをして老後を過ごすことが理想なのです。ところが、日本では、定年後も何とかして働きたいという人が多いと思います。もらえる年金額が、あまりにも低いことも、その大きな根拠になっています。でも、それだけではありません。老後に趣味で生きるということがないときには外で働いたほうがマシだという人も少なくありません。

 1954年に生まれた女性は、10代で女工として工場労働をはじめ、20代で母親になり、家事労働を引き受けた。30台に再び工場に戻り、40代でIMF危機を経験して非正規雇用になった。50代からは、清掃や介護、看病などの低賃金の仕事に従事する。60歳すぎた今もなお、彼女たちは働き続けている。

 65歳以上の女性就業者は124万人で、25~29歳のそれの115万人より多い。

 結婚後、家事を担当する主婦は「家の人」と呼ばれる。韓国では、この言葉は差別用語とされているが、今でも多くの男性が妻を紹介するとき、「家の人」と呼ぶ。

 エッセンシャルワーカーの4人に1人は60歳以上の女性だ。清掃員や環境美化員の業界は高齢女性をまるでブラックホールのように吸い込んでいる。

女性だけが仕事と家庭の二者択一を迫られる状況は30年前も、今も、依然として続いている。

 日本の女性も、たくましく生きている人は少なくありませんが、韓国の女性は、たくましい人が日本よりはるかに多い気がします(気のせいでしょうか…)。

(2025年7月刊。2420円)

韓国の人権弁護士、軍事独裁に抗す

カテゴリー:韓国

(霧山昴)

著者 洪 性宇・韓 寅燮 、 出版 社会評論社

 あまりにも興味深い本なので、読みはじめたら止めることが出来ず、400頁もの大作ですが3日間、没頭して、ついに読了しました。私は読みながら、ここは大事だなと思うところは赤エンピツで傍線(アンダーライン)を引いていくのですが、今回はあまりに多くて、ほとんどの頁が赤くなってしまいました。

 この本は軍部独裁の暗黒期に人権弁護士として敢然と戦い抜いた洪性宇(ホンソンウ)弁護士をソウル大学校法学専門大学院の韓教授が100時間も対談インタビューしたものをまとめたものです。そして、日本文にしたのは、徐勝・立命館大学法学部元教授なので、とても読みやすい日本文になっています。

 苦難の時代を生き抜いた洪弁護士の活動状況をつぶさに聞き出すことによって、法律学は何で生きるのか、人間はどのように生きていくべきかを考えるとき大きな刺激剤になってくる本です。

 洪弁護士はソウル大学法学部を卒業して裁判官を6年つとめました。そしてソウルで刑事地方院の単独判事をしていたとき、司法波動に直面しました。「司法波動」とは、聞き慣れない用語ですが、日本でいう司法反動の嵐に直面したという意味に理解しました。

 部長判事が現場検証で地方に行ったとき、性的接待を受けたことを検察が暴露したことから司法波動が始まりました。韓国では、弁護士が裁判官を接待するのは当然のことで、それをしない弁護士は変な目で見られるのです。今日ではなくなっているとされています(根絶したのかどうかまでは分かりません)。

 裁判官たちは告発した検察に怒りました。検事たちの不正は、法院の不正より、はるかに規模が大きくて多かったのに、検事が判事に尾行をつけて不意打したことに判事たちが怒て、衆議一決、全員が辞表を提出することになったのです。新聞に「刑事法院の判事、集団辞表」というトップ記事になった。

 そのあと、洪判事は本当に法院を辞めて弁護士になった。司法波動のあと、法院に情報部(KCIA)の職員が常駐しはじめた。

 洪判事は、34歳のとき(1971年10月)、弁護士になった。それは、判事の給料が低くて、授業の教員よりも安かったから。家族を養うための辞職だった。弁護士になってからは、一生けん命に仕事して、お金もうけをした。おかげで少し余裕ができた。しかし、毎日酒盛りする生活に疑問を抱き、深刻な後悔心がフツフツと沸き上がってきた。

 1974年、洪弁護士が37歳のとき、民青学連事件が起き、誘われて弁護士となった。民青学連で拘束され裁判を受けた数十人のほか、名前が出ただけで100人をこえた。彼らは1970年代の反維新闘争、民主回復運動の主人公だった。

 すごく恐ろしい事件だった。裁判は、軍事裁判で、民間の法院ではなかった。それは、国防部の建物のなかの法廷。傍聴者は制限された。一審判決は、死刑宣告が7人、無期懲役宣告が7人、ほかの人も懲役20年とか15年…。ひどいですよね。

 公判は週に3回もあった。裁判を終えて自宅に帰った洪弁護士の自宅に捜査官が3人やってきて、連行されて2泊3日で調査を受けた。洪弁護士の法廷での弁論が反共法違反という容疑だった。

 1973年10月、ソウル法科大学の崔鍾吉教授は南山情報部で疑問死した。この民青学連事件に関連して、支援していたカトリックの司教まで情報部が拘束したことからカトリックが立ち上がり、全国的支援運動となった。

1975年4月7日、人革党事件では、大法院で判決が確定した翌朝、8人を死刑執行した。まさか殺すとは思っていなかったのに…。朴正煕は、本当に恐ろしいヤツだと思った。

弁護士として、一般事件は激減し、借金暮しが始まった。

最近になって、民青学連の判決について、法院はお詫びをし、補償している。しかし、当時、弾圧を受けて人生が狂ってしまった人は多い。それでも、彼らの勇気と犠牲によって、韓国が民主化されるきっかけとなったので、彼らの苦労はムダにはならなかった。

 1975年の金芝河(キムジハ)詩人の事件の話もすさまじい内容です。金芝河の自宅にあった走り書きのメモが、「利敵表現物製作のための予備行為」だとして起訴された。ベトナムでアメリカが敗北したころで、「ソウルを死守しよう」という恐ろしい雰囲気の中での裁判だった。拘置所にいる金芝河に良心宣言を書いてもらい、それを外に持ち出すため、少年囚に頼んだ。そして、記者に発表したことで、金芝河は世界的に有名になった。

 このとき、田炳龍という看守が拘置所内で協力してくれたことが明らかにされています。これを読んで、私は戦前の浅草警察署の留置場で布施辰治弁護士の歓迎会が盛大にやられたというのを思い出しました。これも良心的な看守(警察官)が協力してくれたからです。

 金芝河についての最終弁論を弁護士たちは分担して、夜7時から10時まで3時間以上かけて読み上げた。そして、金芝河自身も原稿なして、数時間も弁論した。すごい俳優だと洪弁護士は感嘆した。

 その状況は、有名な「灼(や)けつく喉(のど)の渇(かわ)きで」という詩になっていますが、また歌になって、歌われてもいます。私は横井久美子の歌として聞きました。

 事件を担当する判事は、個人的には、良い人、優しい人間。でも、この種の事件では、いい人も悪い人も関係ない。全部有罪判決しないといけない。法院は、すべて外から言われたとおりの判決した。判決文の犯罪事実は、検事の控訴状の公訴事実と同じ。実は、検察のほうで判決文をタイプして、判事の名前までタイプしていた。いやあ、ちょっと、これは、いくらなんでもひどすぎでしょう…。

 1977年にソウル大学に入学した、本書の聞き手である韓教授は、当時、法の権威が失墜していたから、法曹志望だとか、法学部生であることすら恥ずかしかったとのこと。これまた、驚きます。

 大統領緊急措置では、法官の令状がなくても逮捕・拘禁ができるし、司法的審査の対象にもならなかった。これは、文字どおり白紙刑法。

 1970年代後半、労働運動に対する弾圧もひどかった。東一紡績労組事件では、会社側の男子工が人糞を労働の代議員会場に持ち込んで、女工に頭から浴びせかけた。そこで、女工(労働者)たちは、「私たちはうんちを食べて生きていけない」とスローガンを叫んでいたところ、捕まった。

 1979年10月26日に、朴正熙大統領が暗殺された。1980年初め、「ソウルの春」があったが、1980年5月17日、軍部によるクーデタがあり、それから光州事件(光州虐殺)が起きた。人権弁護士たちのうち、逃げられる人は逃げた。洪弁護士はまたもやKCIAに連行され、2泊3日、調査された。休業届を書かないと釈放しないというので、休業届を書いて釈放された。ところが、弁護士会が休業届を握りつぶしてくれた。

 1980年代半ば以降は、人権弁護士がはるかに増えた。廬武鉉(ノムヒョン)弁護士も加わった。

弁護人の一番大きな役割は、被告たちに勇気を与え、慰めること。弁護士の役割は、拘束状態を免れるようにすることにある。

 「悲しみも怒りもなく生きていく者は、祖国を愛していない」

 一般刑事犯と政治囚・良心囚は違う。弁護士は良心囚の「良心」を保護するという大原則を立てなければいけない。人間として良心を守ると、一般社会人として復帰したときに、一生の誇りになる。節を曲げて出てきたら、一生堂々と出来ない。この違いは重要。弁護士の役割は政治犯たちの所信を守り、その主張を記録として残すことにある。

拷問場所として名高いのが3ヶ所あった。南営洞は警察の治安本部対共分室。西水庫(ソビンゴ)は保安司対共分室。南山(ナムサン)は中央情報部の地下室。南営洞には、取調室ごとにバスタブを設置している。

水拷問は、人を裸にして七星板にしっかり縛る。そして水を口から注ぎこむ。水を1時間も、飲ませると、腹の中のものを全部吐いてしまう。その次、おならが出て、次に便が出る。内臓を完全に水で洗い流すと失神する。この水責めを2回受けたら抵抗する意思を完全に失い、抵抗自体を忘れてしまう。拷問が終わって拘置所に戻ると、自分の喉から水の匂いがしてくるという。

 こんな拷問を受けて、捜査機関の要求するとおりの調書が出来て、検察はそのまま追認する。拷問されたと主張すると、聞かぬふりをするか、まだ拷問の味が分からないのかと脅す。

拷問者は平凡な人々。平凡な人々が恐ろしい拷問を平気でやる。法廷で拷問の事実を暴露しても、判事たちは、聞こえないふりをしてやり過ごす。

 1986年に正義実践法曹会(正法会)を結成した。しかし、非公式組織であり、公開はしなかった。1981年から司法試験の合格者が年300人になった(それまで160人)。1984年から、弁護士が年100人に増えた。そこから若い弁護士たちが大勢「正法会」に入ってきて、メンバーは60人近くになった。

 弁護士は、政治囚に対して、「きみは獄中にいるが、堂々と仕事をしたのだから、きみの所信を守れるように助けます」と言って励ます。信頼と勇気をもって法廷闘争する意思をもち続けるようにするのです。

 女子高校を首席で卒業してソウル大学に入った女子学生が、工場に入って働くことを決意して、別人の住民登録証を手に入れて働いていたのがバレて警察に捕まり、口にするのもおぞましい性拷問を受けた。若い女性を夜中に取調室に座らせて、脱がせたり触ったりしたなんて、想像も出来ない。

 この性拷問を本人が勇気をもって自分の名前を出して告発したので、弁護士9人で、それを支援し告発状を捉出した。ところが、検事は強姦は認められないと不起訴処分とした。もちろん、弁護士たちは不服申立をしたし、世間も沸騰した。この女性は1年1ヶ月の獄中生活のあと釈放され、今では韓国で大学教授となっている。洪弁護士は結婚式の媒酌人となった。

 いやあ、実にすさまじい裁判に関わる体験談です。でも、洪弁護士は本の表紙写真に見ると、好々爺(こうこうや)あるいは村夫子(そんぷうし)然としていて、いかにも安心して頼れる雰囲気です。

私は、この本を読んでいる3日間は、身体の芯から熱いものを感じていました。日本の弁護士でいうと誰にあたるのかな、戦前だと布施辰治だと思いますが、戦後では…、ちょっと思いつきませんでした。戦後の韓国の政治・司法に少しでも関心を持っているのなら強く一読をおすすめします。

(2025年3月刊。3850円)

韓国・国家情報院

カテゴリー:韓国

(霧山昴)
著者 佐藤 大介 、 出版 幻冬舎新書
 韓国にとって、国家情報機関の歴史は、「暗黒の歴史」でもある。国情院の前身は、KCIAと安企部だ。いずれも大統領直属の情報機関であり、秘密警察でもある。
この本のなかに韓国の国情院が裁判官志願者に対して面接し、国家に対する忠誠心、誠実性及び信頼性について思想調査していることが問題になったことが紹介されています。日本では、司法試験の合格者に対して公安調査庁が身辺調査をしていました。私が司法試験に合格したとき、下宿先のおばさんから調査に来た人がいて、「いい人だと言ってやったわよ」と言われたことを思い出しました。市役所に勤めていた人から、市役所で訊いてまわっていたと後で教えられた、と聞きました。
 今でもやっているのか、いつまでやったのか、私は知りませんが、その調査結果は秘密のルートで最高裁に届けられ、また司法研修所の教官の一部に届けられていました。これは私も体験した、間違いのない事実です。
 KCIAは「ミリムチーム」を活用していた。これは、高級ホテルのバーや料亭などを拠点として、そこに働く女性の経営者や従業員を監視員として活用して政治家などの「生」の情報を収集していた。
 今でいうと、国民民主の玉木とか、参政党ナンバー2の議員の不倫などを探知して、「ゆすりたがり」のネタとして活用していたということでしょうね。でも、今や「不倫」くらいでは国民の「支持」は減殺されなくなってしまいました。これって、本当に喜んでいい現象なのか、私としては悩ましいところです。
 ところが、高度の情報収集能力をもつはずの安全部も国情院も、全日成の死も金正日の死も、いずれも北朝鮮政府の公式発表まで気づいていなかった。いやいや、内部情報で気づいていたのだけれど、気がついていなかったふりをしただけ、なのかもしれませんね。
 KCIAを創設した朴正熙は結局、KCIAの部長から私的飲み会の場で至近距離で射殺されてしまいましたよね。
 KCIAの歴代部長のほとんどが軍出身者。つまり、軍が支配していた。
 KCIAの部長は、ほかの大臣よりも地位が高く、実質的な権限は首相よりも強かった。これって、まさに異常ですね。
朴正熙がKCIA部長から射殺されたのは1979(昭和54)年10月26日のこと。このKCIA部長は、翌1980年5月に絞首刑が執行された。
 KCIAが安企部に名称を変更したのは全斗煥大統領のとき。映画「ソウルの春」で、そのあたりの状況が再現されています。ちょうど、光州事件が起きたころのことで、全斗煥は民主化へ進むのを必死で巻き返そうとしたのです。そのおかげで、たくさんの罪なき市民が死傷してしまいました。軍人に政治をまかせたら大変なことになるという典型的な出来事です。
日本でも、自衛隊出身の国会議員や県知事が前から大きな顔をしてモノを言っていますが、私は本当に心配です。もちろん、自衛隊出身だからダメだというのではありません。俺たちだけが国を守っているかのような言い方が許せないのです。
盧武鉉(ノムヒョン)大統領は叩き上げの弁護士として、私も大いに期待していたのですが、残念なことに汚職事件の渦中に自死してしまいました。この盧武鉉大統領は、国情院の院長に民弁(民主社会のための弁護士会)の初代会長を起用したのでした。
 これまた、すごいことです。日本でいうと、自由法曹団の岩田研二郎団長を公安調査庁の長官に任命したということに匹敵します。
 国情院の予算は1000億円(1兆ウォン)。それに対して、日本は1500億円と推計されている。ところが、この1000億円の使途は、すべて秘匿されている。日本も同じです。
 韓国のKCIA、安企部そして国情院のことを少しばかり知って再確認しました。
(2025年5月刊。96円+税)

不便なコンビニ②

カテゴリー:韓国

(霧山昴)
著者 キム・ホヨン 、 出版 小学館
 私の事務所のすぐ前にコンビニがあります。事務所の場所を電話で教えるときにも、「分からないときはコンビニの広い駐車場に車をいったん停めてから電話して下さい」と説明することがあります(事務所専用の駐車場もありますが、コンビニのほうが目立っているし、分かりやすいのです)。
 私も昔はコンビニなんか利用しないと高言していたのですが、今は愛用しています。だって、他に選択肢はないのです。小売商店はすっかり消え去ってしまいました。商店街のほとんどはシャッター通りになっています。
 この本の舞台は大手コンビニのチェーン店ではなく、中小系列のようです。日本では大手コンビニのチェーン店ばかりになってしまいましたが、韓国では、まだ中小系列のコンビニが生き残っているようです。そして、日本の都会のコンビニの定員の多くは東南アジア系です。「日本人ファースト」を唱えて「躍進」した参政党は外国人排斥の差別主義を広めていますが、現実を無視していますし、怖いです。900万人以上の日本人が参政党に投票したという現実に身の震える思いです。
 この本のコンビニには外国人労働者は登場しません。しかし、韓国内で、差別され、落ちこぼれた人たちの救いの場にコンビニという職場がなっていますし、客層も、家庭と職場に安住できる居所のない人たちが寄り集まってきます。ここらの社会の現実と登場人物の心理描写が見事で、いかにもありそうな展開です。
 韓国式の表現に驚かされます。お尻の穴が裂ける。貧しいとき、代用植物として木の皮を食べていると便秘に苦しまされることから来たもの。カラスの肉でも食べたの?忘れっぽい人を皮肉る慣用句。韓国式の語感が似ているコトバによるもの。
コンビニという場所は、店長のような人だけでなく、何か訳ありな人が出入りするところ。
 彼らは皆、不愉快な顔で、むっつりと何かに耐えているようだったが、クンベ(店員)が一言かけると、風船が割れたように口から言葉が飛び出してきた。
 本書は『不便なコンビニ』の続編です。前書は120万部も売れる超ベストセラーになりましたが、続編も初版だけで10万部で、たちまち重版となり、正続あわせて170万部といいます。いずれ劣らぬ個性的なキャラクターが章ごとに登場するのですが、彼らがうまい調子に結びついていく趣向は前作と同じで、ともかく読ませます。
 人生につまづいた人たちへの温かい眼差(まなざ)しと激励は、著者自身の苦労を反映したものだという訳者の解説があります。だからこそ人々に広く読まれるのだと思います。
(2025年3月刊。1980円)

縮む韓国、苦悩のゆくえ

カテゴリー:韓国

(霧山昴)
著者 朝日新聞取材班 、 出版 朝日新書
 日本社会もさまざまな問題をかかえていて大変ですが、隣の韓国は少子化という点ではもっと深刻のようです。
 韓国の人口は今5168万人(2025年)ですが2050年には4711万人(456万人減)になるそうです。日本はそのとき1億468万人(2026万人減)。
 出生率は日本が1.20に対して、韓国は0.72。日本でも少子化が問題になっていますが、韓国はそれ以上に深刻です。
 少子化で困ることの一つが必要な職業での人員確保が出来ないことです。たとえば、介護職です。もともと学生が少ないうえに、介護職の大変さと、その待遇の悪さ(低賃金など)によって介護施設が維持できなくなっています。そのため、インドネシア人などを導入しています。外国人排斥なんてとんでもないことなのです。
韓国の飲食店では、「ノーキッズゾーン」の飲食店があるとのこと。日本でも以前に話題になりましたよね。ファミレスで子どもが騒いで、うるさいという苦情が出ていたのです。でも、子どもが騒ぐのは万国共通なのですから、仕方がないこと。お互い我慢するしかありません。
韓国の子育ては、ともかくお金がかかる。習い事をハシゴする子どもたちが大半。毎日、夜7時まで、4ヶ所ほど習い事をまわる子が珍しくない。すると、もちろんお金もかかる。そこで、結婚していない男女、結婚しても子どもをつくらないカップルが増えているというのです。
韓国の少子化が進んでいるのは、子どもたちを育てるのに大変お金がかかることが原因しているというわけです。
 韓国では、大学進学率が7割、男女間の差は大きくない。ところが、結婚すると、女性は家事を押しつけられる。
子どもを持つことで、自分の人生を犠牲にしたくないと考える女性がいても不思議ではないのです。
韓国では、最近、「ひとりご飯」を受け入れる店が流行しはじめている。
 韓国は日本以上の競争社会だけど、高校までは受験で進学先を振り分けられることはない。大学受験の一発勝負。異様なほどソウル首都圏に集中する。
 ソウルの地下鉄は、65歳以上は無料で乗車できる。
 高齢者の生活難、貧困の問題は深刻だ。高齢者の貧困率は39.3%(2021年)。日本(20.0%)の2倍。OECD平均の3倍の高さ。自殺率も高い。
 若者はソウルに集中する。その穴を外国人労働者が埋めている。
釜山には何度か行ったことがありますが、この30年間に人口が50万人も減ったそうです。驚きました。390万人だったのが今や330万人です。若者人口が減っています。79万人いたのが、69万人になりました。
 日韓、似ているようで、異なるところもあります。お互い、もっと知る必要があると痛感しました。
(2025年5月刊。990円)
 6月に受けたフランス語検定試験(1級)の結果が届きました。もちろん不合格です。自己採点で50点でしたが、得点は55点。150点満点ですから、4割に届いていません。合格点は82点なので、27点も差があります。道はるか遠い先です。もう30年以上も受けていますが、今では合格するのが目標というより、語学力の低下を防ぐ、というよりはっきり言って、ボケ防止です。
 参政党がブームで、大きく議席を伸ばしそうです。でも「与党入りを目ざす」とのこと。つまりは落ち目の自民党を支えるということです。大臣の席をもらいたいのでしょう。自民党政治を根本から変える気はまったくないのに、なんだか「日本人ファースト」を唱えているから、政治を良い方向に変えてくれるんじゃないかということです。大きな「敵」(自民党)を守って、小さな「敵」(外国人)をヤリ玉にあげて、目をそらしています。
 騙されないようにしたいものです。

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