弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

中東

2012年6月29日

第三次中東戦争全史

著者   マイケル・B・オレン 、 出版   原書房

 私が大学に入った年、1967年6月に始まったイスラエルとエジプト・シリア・ヨルダンのあいだの6日間戦争は、あっというまにイスラエルが圧勝して終わりました。
 600頁もの大作ですが、この第三次中東戦争の実相を縦横無尽に調べ尽くしていて、まことに興味深いものがあります。結果としてはイスラエルの先制攻撃によって始まりましたが、エジプト側も先制攻撃を企図していました。イスラエルの政府と軍部のあつれきのなかで先制攻撃が始まっているのですが、それに至るまでのイスラエルの首相の苦悩のほども伝わってきます。だって、下手すると、イスラエルという国が地上から抹殺される危険もあったわけですから・・・。
 そして、エジプトです。イスラエルなんてちょろいものという根拠のない楽観論が支配していたようです。十分な軍備と指揮命令が確立しないまま、大量の将兵が最前線に送られ、先制攻撃するつもりが、イスラエルの空軍によって一日目にして壊滅させられ、あとは逃げる一方のところをエジプト将兵は、大量虐殺されていったのでした。ところが、なんと、そのときエジプトのメディアは勝った、勝ったと嘘の報道をして、欺された国民は狂喜乱舞していたのです。まるで、日本軍のミッドウェー開戦についての大本営発表です。
 そして、アメリカとソ連の対応も興味深いものがあります。全体としてはイスラエル支持のアメリカですが、イスラエルの先制攻撃を支持して国際社会から叩かれるのだけは避けたいのです。ソ連は、政府指導部内で対立抗争があり、身軽にエジプト支援には動けませんでした。そして、ソ連が支給した武器を装備したエジプト軍が崩壊して、大きく威信を失うのです。
エジプト支配層は、敗戦の実相が国民に知られると、第二の嘘をつき始めます。イスラエルに負けたのではなく、アメリカとイギリスが直接乗り出してきたから負けたという嘘です。
 支配層というのは、どこでも日本と同じように嘘をつくものなんだと改めて思ったことでした。
 エジプトのナセル大統領は、34歳で権力の座についた。エネルギッシュで断固とした気構えの人だった。スエズ運河を国有化し、ソ連装兵器を取得し、英仏イの三国進攻を撃退し、アラブを統一した。
 ナセルはユーモアがあり、他人に対する気遣いの人として知られた。静かで、妻と子どもたちとの家庭生活はつつましく、職権乱用の収賄が幅を利かすエジプトでは珍しく汚職をしなかった。しかし、1967年ころには、肥満体となり、目がどんよりして精神不安定、被害妄想の気が濃厚で、すぐにカッとなって怒った。ナセル体制下の法律は、あってなきが如き存在だった。
 100%近い得票で再選され、閣議を統裁するナセルは、自分だけがしゃべり、暴言を吐いて怒鳴りちらすことがよくあり、執念深い軍人独裁者に堕していった。
 ナセルとアメル元師とは、親友であり、危険な敵同士であった。アメルは野心満々の人物で、反対者には冷酷だった。エジプト軍の上級幹部は、能力ではなく、門閥、血縁関係、帰属政党によって決まった。さらに悪いことに、中級幹部は、意図的に無能な人材が選ばれた。反抗され、上級幹部に脅威となっては困るからである。将校は忠誠心に欠け、将校同士、一般兵同士の信頼関係も薄かった。
 エジプト軍部のなかに反対勢力が存在した。強固な主戦派である。欠点はあっても、軍はイスラエルと比べて、航空機、戦車、火砲どれをとっても数倍をもっている。この優位性でアラブの勝利は間違いないと信じていた。
イスラエルのラビン参謀総長は、開戦前、神経衰弱によって職務遂行能力を失っていた。 9日間というあいだ、ほとんど何も口にせず、睡眠もとらず、矢つぎ早に煙草を手にして吹かし続けた。疲労困憊し、すっかり衰弱してしまった。
 エジプト軍の保有戦車のうち、想定で20%は戦闘で仕えない代物だった。火砲の4分の1、作戦機の3分の1が同じく使えなかった。そして、部隊のうち所定の位置についたのは半分以下。そこへ配置転換命令が出て、大変な混乱状態にあった。ナセルはアメリカの武力介入を恐れた。そして、ソ連の強力な支援を信じていた。
 アメリカ政府にとって、中東和平のために努力するものは、必ず双方から棍棒で殴られるという結論に達していた。それほど厄介な問題だった。アメリカのジョンソン大統領の脳中は複雑だった。苦境にあるイスラエルを助けたい。同時にアラブ世界の親米政権も支援したい。雪だるま式にグローバル規模になるような戦争は防止したい・・・。
イスラエル国防軍の兵力27万5000。戦車1100両、航空機200機。
 6月5日、午前7時10分、イスラエル軍の航空機が発進した。ミラージュ65機。エジプト軍の基地にいたツポレフ爆撃機が次々に爆発していった。
 この朝、エジプト空軍は420機のうち286機を失った。ところが、エジプトのラジオはまったくの逆の報道をした。1時間ごとに、赫々たる大戦果を報じた。すべてでっちあげ。カイロの群衆は、嘘で固めた戦勝報道に酔い痴れ、拍手喝采し路上で踊り狂った。なんと・・・。エジプト軍の高官たちは、恐れをなくしてナセルに事実を報告しなかった。ナセルが事実を知ったのは、午後4時のこと。そして英米軍が直接関与したというデマを流すことにした。これによって小国イスラエルに手もなくやられたというエジプトの不名誉は小さくなるし、ソ連の介入を求める理由として使える。
 そのうえで、エジプト軍の総退却を命じた。逃げるエジプト軍をイスラエルの空軍と陸軍が襲いかかった。大虐殺の始まりです。あまりの捕虜の多さに、イスラエル軍は、エジプト軍の将校のみを捕虜としました。
 この戦争の推移は、今なお中東世界に尾を引いていると指摘されていますが、この本を読むと、それも当然だと実感します。しっかり分析するというのは、この本のようなことをさすのだと認識させられたことでした。読みごたえ十分の本です。五月の連休中の成果でした。
(2012年2月刊。6800円+税)

2010年7月 7日

ルポ戦場出稼ぎ労働者

 著者 安田 純平、集英社新書出版 
 
 あのイラクへ出稼ぎ労働者として潜り込んだ日本人記者の体験記です。すごい勇気ですね。とても真似できるものではありません。
ペルシャ湾岸の国々では、労働者のほとんどを出稼ぎ労働者が担っている。クウェートに在住する300万人のうち、7割はアジアからの出稼ぎ労働者である。
 たとえば、公園掃除は、食事・宿泊費を別に月給8千円。電気技師でも食事・宿泊込みで月給2万8千円。イラクで働けると、未熟練労働者でも相対的にかなりの高給となる。
 イラクにある数千人、数万人規模のアメリカ軍の兵士を食べさせるアメリカ軍基地の食堂はメニューのほとんどは調理済みのレトルトパック食品を温めるだけ。著者の場合は30人ほどを相手にするので、レトルト食品は使わず、基本的に一から作った。
 そうなんです。日本人記者である著者は、コック見習いとして基地の一つに何とか潜り込めたのでした。
ネパール人警備員の月給は1250ドル。監督は1700ドル。護送部隊のイギリス人コマンダーは2万4000ドル、イギリス人司令官は5万ドル。このほか、1ヶ月に100ドルの生活費、40ドル分の携帯電話プリペイドカードが支給される。
 人質にとらわれたとき、身代金はネパール人は6千ドル、日本人なら1万5千ドル。アメリカ人は2万ドルという相場がある。
 「イラク人は、昼間は労働者として基地内で働き、警備状況や人数、武器などを調べ、夜は民兵として活動している」
 こんな話も聞かされたのでした。
2007年5月の時点で、イラクには15万人のアメリカ兵をふくめ、36ヶ国から集まった労働者12万人がペンタゴン(アメリカ国防総省)関連で仕事をしていた。民間人労働者の死者は、その時点までに少なくとも917人、負傷者は1万2千人以上だった。
 イラクが混乱したのは、生活が改善されないことから自暴自棄になった人々が無数にいるから。アメリカ軍が、これを武器で抑えつけようとして、ますます強い反発をうけた。イラクの人々に対して柔軟に対応できない硬直化した体制が、占領の「失敗」につながった。アメリカ軍の基地内の掃除や通訳などで、10万人以上のイラク人がアメリカ関連の業務についているが、「アメリカの協力者」として民兵に襲われる事件が絶えない。
 イラクの復興事業費のうち、アメリカ政府の試算によると22%、国連関係の調査では40%が警備関連に費やされている。そして、アメリカのべクテル社は、発電所復旧事業について20億ドルを手にしながら、戦前の水準にまで戻すことすら出来ないうちに2006年に撤退した。
 戦場労働者は、自らの労働が戦争を動かしていると実感することはない。無意識のまま心身ともに戦争の歯車となっていく。
 よくぞイラクの戦場労働の現場に潜り込めたものです。その勇気を讃えるとともに、苛酷なイラクの現実を知らせていただいたことに感謝します。 
(2010年3月刊。720円+税)
 消費税を10%に値上げする理由として、日本がギリシャのようになったら大変だということがあげられています。でも、本当にそうでしょうか。ギリシャは消費税を引き上げると同時に法人税を大幅に引き下げたので、国の税収が大きく減ったことから財政危機に陥ったという指摘もありますよね。ギリシャに行ったことはありませんが、一国の首相が見てきたようなウソを言っているのではないのかという気がしてなりません。
 しかも、国の財政が危機だというのなら、フランスやドイツでもすすめられているようですが、今の5兆円の軍事費を1兆円減らしたらどうなんでしょう。それに、アメリカ軍の基地がグアムに移転するのに、総額で3兆円も日本が負担するという話もありますよね。アメリカ軍への思いやり予算だって毎年3千億円でしょう。これんあか真っ先になくしてしまうべきではないのでしょうか。選挙の時こそ、みんなで考えたいものですよね。

2010年5月21日

地雷処理という仕事

著者:高山良二、出版社:ちくまプリマー新書

 こんな危険な仕事を自らすすんでやっている日本人がいるなんて素晴らしいことです。しかも、私と同世代の人です。自衛隊を定年退職したあと、一度派遣されて行ったカンボジアに再び渡って地雷処理の仕事をしているのです。
 自衛隊の人も、戦争大好きだという人ばかりでないのを知って、とてもうれしく思います。人を殺すより、人を助けるのに生き甲斐を見いだすって、本当に素敵ですよね。
 英語もカンボジア語もよく出来ないのに、おじさん(現地では、おじいさん、ターと呼ばれています)が現地にとびこむのです。なんという勇気でしょうか。しかも、日本に妻子を置いての単身赴任です。すごいですね・・・。
 地雷除去の作業は、まず2人で1組、1人が地雷探知員となり、幅1.5メートル、奥行き40センチの範囲の雑木や草を地面ギリギリまで取り除き、金属探知機を操作できるようにする。うしろで待機している地雷探知員は金属探知機で、その場所を探知する。金属反応がなければ、さらに40センチ前に前進する。この作業を繰り返し進めていく。
 金属反応があったときには、その場所を地雷探知棒や小さなショベルで磁石などをつかって、金属が何であるかを慎重に調べる。このときが大変危険な作業であり、地雷を作動させてしまう部分に触れないように細心の集中力を要する。
 寸刻みで土を取り除き、再び探知機で探知しながら、金属の正体が分かるまで繰り返す。
 地雷原が戦闘地域であったことから、小さな鉄片や小銃弾ということも多い。40センチを進むのに1時間以上を要することがある。
 地雷が発見されたら、その場所に地雷標識を立て、午前中の終わりころか、午後の終わりころにTNT爆薬で爆破処理する。この爆破にあたるのは、地雷探知員ではなく、爆破作業の訓練を受けた隊員が行う。専門家がそれを確認する。
 無金属の地雷はない。72A型対人地雷のように、9割以上がプラスチック製であっても、撃針など一部はどうしても金属を使わないといけない。
 また、地雷や不発弾には、必ず爆薬が使われている。爆薬の有無の確認には、地雷探知犬が使われている。ここでは、83頭の地雷探知犬が活動している。
 地雷探知員(デマイナー)は、33人で一個小隊、ひとつのグループをつくる。99人、3個小隊で地雷処理作業にあたる。平均年齢24歳。半分近くが女性。40度をこす厳しい天候なので、30分作業して、10分休む。
 地雷処理という危険な仕事をするときに大事なことは、基本的な動作を慎重にやること。怖いと常に思うことが大切。怖くなくなったら、デマイナーはしないほうがいい。怖くなくなったときに事故が起きる可能性が高くなる。
 うひゃあ、そういうことなんですね。慣れは、この場合、よくないのですね。なにしろ生命がもろにかかった仕事ですから、そういうことなんでしょう・・・。
 カンボジア全土に埋められている地雷は400~600万個。これをデマイナーが手作業で取り除いている。年間に処理する地雷は1万個。
 地雷処理車を使ったらと思うかもしれないが、現地には手作業しかできないところも多いので、仕方のないこと。
 そして、著者たちが除去している地雷は、実は、なんと村人自身が埋めたものだったのです。村人は元クメール・ルージュの一員だったのでした。なんということでしょうか・・・。ポルポト軍に命令され、やむなく埋めた地雷を今、生命がけで除去しているというのです。
 すごく分かりやすい、いい本でした。
(2010年3月。780円+税)

2008年4月28日

拡大するイスラーム金融

著者:糠谷英輝、出版社:蒼天社出版
 最近、ときどき話題になるイスラーム金融について知りたいと思って読みました。
 世界におけるイスラーム教徒(ムスリム)は15億人。これはキリスト教に次いで第2位で、シェアは20%。しかし、ムスリムは人口増加率が高く、2030年代には世界人口の3分の1となり、キリスト教を抜いて、世界最大の宗教となる。地域別でみると、最大のムスリム人口をかかえるのはアジアである。ヨーロッパでは、フランスに6000万人、ドイツに300万人いる。中国にも3900万人、ロシアに2700万人いる。日本には18万人と言われているが、実数は1万人以下とみられている。
 イギリスに居住するムスリム人口は180万人で、総人口の3%。ただ、そのうちの6割が中流以上であって、富裕層が多い。イギリスのムスリムは、6割がパキスタンとバングラデシュ系であって、ムスリム人口の3分の1がロンドンに集中している。
 アメリカには600〜800万人のムスリムが居住しているが、イスラム金融の拡大はすすんでいない。アメリカでは、ムスリムは地域的に分散していて、ムスリム地域社会を形成していない。むしろ、アメリカの地域社会に溶けこもうとしている。
 2007年3月に、サウジアラビアの石油化学プラント建設事業に向けて三井住友銀行が58億ドル(7000億円)の融資をしたとき、うち6億ドル(720億円)はイスラーム金融で調達された。
 イスラーム金融とは、イスラム教の規範にしたがった金融のこと。具体的には、シャリーアと呼ばれるイスラム法に適合した金融のこと。シャリーアは次の4つを禁止している。第1に、利子の禁止。利子の受払いはコーランによって明示的かつ絶対的に禁止されている。イスラム教の原理の一つとして、資金は退蔵せず、生産・役務の提供に向けるべきとされている。金銭は商品ではなく、価値保存の手段であり、商業活動等に利用されて利益配分を受けられる。
 第2に、不確実性の禁止。不確実性のある取引は、投機的な要素を有するものとして禁止されている。第3に、賭博・投機の禁止。第4に、アルコール・タバコや豚肉、武器、ポルノなどの禁忌とされる物品やサービスに関する取引の禁止。
 シャリーアに適合する形式で発行されるイスラム債券はスクークと呼ばれる。はじめて価値を生み出すもの。単に時間の経過を待つだけで金銭が増加するのは不当利得である。
 イスラム金融では、利子のかわりに利益配分という概念がつかわれる。物的財産はすべて神に属するものであり、人はそれを信託されているに過ぎない。信託された財産を有効活用した結果として、人はこのスクークが増加したことでイスラム金融が世界的に拡大した。イスラム金融は、ここ数年、年平均で15%を上回る拡大を示している。イスラム金融資産は総額で1兆ドル(120兆円)をこえる。それでも、世界全体の金融資産に占める割合は1%にすぎない。
 イスラム金融は、ムスリム社会においても10%のシェアでしかなく、ムスリムも一般金融を利用している。イスラム金融はムスリムのみが利用するものではなく、非ムスリムが利用することも可能である。マレーシアでは、非ムスリムの利用が7割を占める。
 イスラム銀行の特徴は、一般に銀行の規模が小さいこと。
 イスラム金融という言葉を最近よく聞きますので、読んでみました。少しだけ分かりました。
 チューリップは最後の一群がまだ咲いてくれています。黄色い花と赤い花の固まりです。アイリスも咲き続けています。そのそばにボタンの濃い赤紫色の花が咲いているのを見つけました。2、3日前までは固いツボミだったのですが、開いてくれました。深い赤紫色の花ビラが八重に重なっているさまは重厚さと気高さを感じさせます。島根の妻波弁護士より5、6年も前にいただいたものですが、肥料もやらず、何の世話もしていないのに、毎年ちゃんと咲いてくれます。去年いただいたボタンはお休みのようで、ツボミもつけていません。
 スモークツリーの若葉が赤味がかった茶色で光りかがやいています。若葉が緑とは限らないのですね。ちょっと見ると紅葉しているようですが、少し違います。みんな違って、みんないい。金子みすずの詩を思い出します。
(2007年9月刊。2800円+税)

2008年2月21日

赤い春

著者:和光晴生、出版社:集英社インターナショナル
 私と同世代の男性です。日本赤軍のメンバーとして中東に渡り、そこでパレスチナ・コマンドの一員として戦っていたというのです。その主義・主張に賛同するつもりはまったくありませんが、パレスチナで起きていることを日本人が身近に観察した本として、その実情を知るうえで勉強になりました。
 1979年、30歳になっていた著者はアラブ語が話せないので、子ども扱いを受けていた。うむむ、私が福岡にUターンして2年目になるころのことです。弁護士として5年目で悪戦苦闘していました。そのころの私の顔をビデオで見ると、いかにもとげとげしい顔つきです。必死で生きていたことだけはよく分かりますが・・・。子ども(長男)に対しても、こうあるべきだということを、良くも悪しくも、ストレートに押しつけていました。今となっては反省しきりです。
 パレスチナ・コマンドには、たいていの武器があった。歩兵用突撃銃(日本でいうカラシニコフ。ここではクラシンコフ)も、対戦車ロケット砲(ロシア製RPG)。いわゆるバズーカ砲。そして、対空機関銃も。ないのは、対空ミサイルのみ。対低空・肩かつぎ式ミサイルはあっても、それ以上の対高空ミサイル・システムは国家ににしか供給しないという不文律があった。ふーん、そういう限界があったのですね・・・。
 著者は一浪して1968年に慶応大学文学部に入りました。全共闘の活動家になりますが、どこのセクトにも属しない、いわゆるノンセクト・ラジカルだったということです。そして、赤軍派からオルグを受けます。いろんな経過があって、著者は日本赤軍のメンバーとして、中東に渡ることになります。
 パレスチナ・コマンドの熟練コマンドは足音を立てないで歩いていく。足を踏み出すとき、力を込めるのは太ももの部分で、膝から下は力を抜いたまま、前方へ振り出すようにする。膝と足首を柔らかくつかうのがコツだ。
 PLOのオフィスを狙った自動車爆弾が破裂して100人以上の死傷者が出たとき、著者はビルの反対側のアパートの洗面所にいました。30メートルも離れていない地点にいて、音すら響く間のない速さと強さで爆風が吹き抜け、生命を助かったのです。悪運が強い奴という冗談がついてまわることになったそうです。なるほど、そうですよね。
 パレスチナのコマンドたちは、もともとイスラム教徒ではあっても厳格なスンニー派とは異なり、戒律のゆるい宗旨だったうえに、外来の入植者たちから侵略攻撃を受けつづけ、家族や家・土地を失い、共同体も破壊され、故郷から追い出され、それこそ神も仏もあるものかという想いから銃をとり、たたかい始めたのだ。
 著者は日本の連合赤軍事件について、次のように批判します。
 決定する立場にいる人間が、直接に手を下す実行部隊に加わらない位置にいたからこそ、仲間を殺すというとんでもない方針を出し、実行者の背を押すことができた。それで、命令を受けた者たちが殺害してしまったら、命令を下した側も後に引けなくなってしまう。そのあとは、一丸となって破滅への道を突っ走る以外にない。
 遠く離れたアラブの地で、日本赤軍が思想闘争や自己批判の総括などを内部ですすめていたのは偶然の一致ではない。共通するのは、路線・政策の貧困やいきづまりを精神主義、決意主義と教条主義理論と建て前のみの空疎なスローガンで糊塗するというパターンだ。
 うーむ。このあたりは、同世代にいるものとして、なんとなく、よく分かります。
 また、著者は最近よく起きている自爆作戦に対しても強く批判しています。
 自爆を決意する個人の心情に対しては同情なり共感の余地があるにしても、自爆作戦を組織の恒常的な戦術にするような指導部は信用できるものではない。人にやらせる前に、まず自分がやれよ、と言いたい。
 この点は、私もまったく同感です。自爆作戦ほど怖いもの、いやなものはありません。そんなものをさせては絶対にいけません。もちろん、してもいけません。ブット元首相の暗殺犯人の一人が15歳だと報道されていましたが、ひどいですよね。
 日本赤軍には、「○○同志を援助する会」という名前の吊し上げ大会、すなわちメンタル・リンチともいうべき会議があった。著者もお世話(?)になったそうです。この「援助する会」自体が、組織にとって統制・支配する道具にほかならなかった。
 自己批判そして他己批判は必要ではあるが、それがいき過ぎると、リンチになり、支配の道具になる、というのです。そうなんでしょうね、きっと・・・。私は大学生のころ、セツルメントというサークルに入っていましたが、そこでも自己批判は大切なものだということで盛んでした。自己をかえりみること自体は必要なことだと今も思います。とくに、生意気な学生盛りでしたので、自分一人で生きてきたかのような錯覚から目を覚ますのには必要な作業でした。
 1973年に著者は日本を飛びだし、いま東京拘置所に拘留されて7年以上になります。無期懲役の刑を受け、最高裁に上告中の身です。東京拘置所の中にいて、多くの外国人囚人がいることから、世界が日本に押し寄せているのを実感しているというのです。
 同じ年に生まれた日本人が、遠く中東パレスチナの地でコマンド(戦士)となり、戦場で死ぬような思いを何度もしながら、日本に帰ってきて、今は日本の拘置所にいて無期懲役の刑を受けて上告中だというのです。かつて全共闘の活動家であった人物の一つのスジを通したあり方なのかもしれないし、そうではないのかもしれませんが、学生時代に「敵対」していた私にとっても、ずっしりと重たい本でした。
(2007年10月刊。2000円+税)

2008年2月19日

医者、用水路を拓く

著者:中村 哲、出版社:石風社
 すさまじい本です。大自然との格闘の日々が描かれています。たいしたものです。私より少しだけ年長の団塊世代でもあります。九大医学部を卒業した医師です。1984年以来、パキスタン、そしてアフガニスタンで活動しています。心から尊敬します。
 ペシャワール会は年間3億円もの募金を集めているそうですが、この本を読むと、その浄財が決死の覚悟の人々によって有効活用されていることがよく分かります。私自身は、ほとんど献金らしきものをしてこなかったので恥ずかしさを覚えました。日本は自衛隊を送ったりしないで、こんな形での民間交流を支援すべきだと、つくづく思いました。
 ところが、中村医師が国会で証言したとき、自民党議員などが野次を飛ばし、はては発言の削除を要求したというのです。許せません。自衛隊の海外派遣は有害無益だという発言です。実体験をふまえていますので、重みがあります。中村医師は次のように言います。
 「人道支援」を名目に、姑息なやり方で自衛隊を海外に派兵することは、いかに危険で不毛な結末に終わるか。あまりにも浅慮だ。自衛隊派遣は有害無益、飢饉状態の解消こそ最大の課題だ。
 これに対して、自民党議員が野次を飛ばした。そして、亀井代議士は取り消しを求めた。
 自衛隊は侵略軍と受けとられる。理不尽な武力行使は敵意を増すばかり。対日感情は一挙に悪化するだろう。まことに正論です。これまで、アフガニスタンでは、日本人であることは一つの安全保障だった。それが壊れるというのです。それでは、いけませんよね。
 2007年6月現在、アフガニスタン復興はまだ途上であり、戦火は泥沼の様相を呈している。アメリカ軍と同盟軍の兵力は4万人をこえ、初期の3倍以上。そして、アメリカに擁立されたカルザイ政権は、300億ドルの軍事費が復興につかわれていたら、もっと復興はすすんでいただろうと語っている。
 なーるほど、ですね。軍事費にいくらお金をつぎこんでも、戦火は拡大するばかりで、人々の生活は回復・安定しないのですよね。
 この本は、2001年9月から2007年4月までのペシャワール会の6年間の活動を紹介しています。ペシャワール会は、アフガニスタンで「100の診療所よりも、一本の用水路」という合言葉で活動してきました。
 アフガニスタンを大干魃が襲った。100万人以上の人々が餓死線上にあった。子どもたちは栄養失調で弱っているところに汚水を口にして赤痢にかかる。食糧不足と脱水があると致命的。
 ペシャワール会の目標額は2億円だったが、2002年1月には6億円に迫った。天皇夫婦も募金した。
 タリバン政権というのは、攘夷を掲げるアフガン=パシュトン国粋主義に近い。アルカイダとは異なる。そのタリバン政権が崩壊するまでの2ヶ月間に、ペシャワール会は1800トンの小麦と食糧油20万リットルを送りこみ、餓死に直面していた市で15万人が冬を越せた。
 アフガニスタンへ食糧を届ける取り組みのときには、配給部隊をカブール内の3ヶ所に分宿させ、1チームが壊滅しても、残る2チームが任務を継続できるように手配した。
 うむむ、なんと、すごいことでしょう。
 すごい、すごーい。たいしたものです。
 そして、ペシャワール会は、井戸ではなく、用水路を掘り始めました。農業で食べられるようにしようというのです。
 アフガン農村と一口にいっても、緑の田園から想像されるような牧歌的なものではない。内実は、各勢力の抗争の場であり、同時に協力と妥協の場でもある。
 用水路をつくるために、荒れる川を制御しようと使ったのが蛇籠。蛇籠を1万5000個もつくったというのです。コンクリート3面張りは、今や日本でも評判悪いわけですが、アフガニスタンでは、そもそもコンクリートをつかいませんでした。アフガニスタン人は、ともかくきれいに積むのが習慣。石積みなら、お年寄りを中心に時間を忘れて没頭する。石に見とれている光景も珍しくない。無類の石好きだ。へーん、やっぱり、ところ変われば、品変わるですね。日本人なら木材が好きですよね。
 4年間で植えた柳の木が12万本。桑の木7000本、オリーブの木2000本、ユーカリの木2500本。桑の木は土手の外壁の強化に、ユーカリは土石流対策で遊水池の防災林造成、オリーブは乾燥に強く、地中深く根を張るので、高い土手の外壁に植えた。
 日本人スタッフは、ボランティアではなく、現地ワーカーと呼ぶ。動機を問わなかった。用水路が開通すると、子どもの病気が激減した。体を洗う機会が増え、飲料水の汚染が少なくなったからだ。
 アフガニスタンで用水路をつくるのに、筑後川で江戸時代につくられた山田堰の経験と教訓が生かされているというのを知って驚きます。著者の実家が福岡県南部にあるからでもあります。
 医師が聴診器をもつより、ユンボなどを自ら操作して用水路を切り拓いていく実情を知り、体が震えるほどの感動を覚えました。世の中には、こんなすごいことを日々している日本人がいるのですね。日本人みんなで後押しをする必要があると思います。
 やはり、世界の平和は、自衛隊の派遣なんかで得られるものではありませんよね。憲法9条2項の削除なんて、とんでもない間違いだと、ひしひしと感じました。
 福岡県弁護士会では5月23日に中村医師の講演会を天神にあるアクロスで企画しています。ぜひ、ご参加ください。
(2007年11月刊。1800円+税)

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