福岡県弁護士会 宣言・決議・声明・計画

2011年6月10日

「働く貧困」をなくすために~非正規労働者の働く権利を守るためのルールの確立を求める宣言~

宣言

1 1990年代後半からの10年間,わが国の国内総生産はほとんど増加せず,大企業が利益を蓄積する一方で,雇用者報酬は大きく減少した。いわゆるワーキングプア(「働く貧困」)層が最近5年間だけでも120万人増加し,雇用者総数の実に4人に1人が年収200万円以下の状況となっている。
これらは,1990年代後半からのいわゆる構造改革路線のもと,労働市場にも市場原理主義が強化されて雇用が流動化されたことで,正規雇用から非正規雇用への置き換えが進んだ結果,雇用者報酬は大きく減少したが,大企業の経常利益は大幅に増加するという結果となってあらわれたものである。
まともに働いても最低限度の生活すら維持できない「働く貧困」はあってはならないものである。とりわけ非正規労働者は,不安定雇用と低賃金という状況下におかれており,これらの状況を是正していくことは急務である。
2 これら「働く貧困」状況を打開していくためには,正規雇用が原則であることを確認するとともに,不安定雇用と低賃金の労働条件下におかれている非正規労働者の働く権利を確立し,まともに働けば最低基準以上の生活を維持できるだけの賃金と,安心して働き続けることのできる雇用の安定が求められる。
 具体的には以下のとおりの非正規労働者の働く権利を守るためのルールの確立が必要である。
① すでに2010年4月に国会に上程され,いまだに審議が進んでいない労働者派遣法改正案を,登録型派遣が許容されている政令指定26業務の見直し,製造業派遣の「常用型」派遣の乱用防止,派遣先の団体交渉応諾義務の確認など,より労働者保護に資するような修正を加えたうえ,速やかに成立させること。
②  有期労働契約に関しては、「正当事由」のない有期労働契約の締結を禁止する入口規制や,正規労働者との間の均等待遇原則を導入する等の適切な法的規制をすること。
③  生活保護基準以下の額に据え置かれ,「働く貧困」の大きな原因となっている最低賃金を,少なくとも時給1000円程度にまで引上げること。
④  実質的には労働者であると認められるにも関わらず,請負や委託等の契約類型のもと,「個人事業主」とされ,劣悪な労働条件下に置かれている人々に対する労働実態に応じた法的規制及び保護を行うこと。
3  もっとも,これらのルールを実現していくためには,雇用者総数の70%近くを抱える中小企業の経営の安定が不可欠である。したがって,過当競争にさらされている中小企業の経営の安定のため,中小企業に対する政策的な手当が必要であることが指摘されなければならない。
4 「働く貧困」解消の問題は,憲法25条に定める生存権の侵害をいかに解消するかという極めて憲法的かつ実践的な課題である。
とくに,現在,東日本大震災の影響で,全国各地で雇い止めが急増しており,権利が保障されていない非正規労働者は失業と貧困にあえぎ苦しんでいる。基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする当会は,これら「働く貧困」が蔓延する状況を看過することはできない。
当会は,国および地方自治体に対して,上記に掲げた,非正規労働者の権利を守るためのルールの確立を訴えるとともに,自らも,生存権の擁護と支援のための緊急対策本部を中心に,現に苦境の中にいる非正規労働者をはじめとする労働者のための相談活動や,これを担う会員に対する研修などを強化するなど,「働く貧困」をなくすため最大限の努力を行うことを宣言する。

以上

平成23年5月25日 福岡県弁護士会


宣言の理由

1 近年わが国は,経済成長が低迷を続けるなか,大企業は利益をあげているのに,労働者はますます貧しくなっている状況にある。
(1) 1997年から2007年までの10年間,主要7カ国(G7)中,わが国以外の6カ国がGDP(国内総生産)を30%~70%増加させているのに対し,わが国のGDPの伸び率はわずか1%にも達していない(名目GDP,総務省「国民経済計算」,OECD「Labour Force Statistics」。なお,実質GDPの伸び率も一桁の%にとどまっている。)。このような中,同じ10年間で,わが国大企業(資本金10億円以上,約5500社)の経常利益は15兆円から32兆円へと大幅に倍加し,内部留保の額は142兆円から229兆円という空前の規模に膨れあがっている(財務省「法人企業統計調査」)。ところが,一方で雇用者報酬では,他の6カ国が20%~70%増加しているのに対し,わが国だけが5.2%逆に減少しているのである(前記OECDデータ)。とりわけ,年収200万円以下のいわゆるワーキングプア層はこの5年間(2005年~2010年)だけでも120万人増加し,雇用労働者総数の実に4人にひとりが年収200万円以下(約1100万人,24.5%)の状況となっており(国税庁「民間給与実態調査結果」),わが国政府が2009年に初めて発表した,相対的貧困率は15.7%(2007年現在)と,OECD諸国の中でも最悪の部類に属している。
(2) これらの背景事情としては,1990年代後半からのいわゆる構造改革路線のもと,労働法制,とくに労働者派遣法が改正されるなど(1999年~2004年の一連の改正),総じて労働市場が流動化されたことが指摘されなければならない。その結果,正規労働者から非正規労働者への置き換えが進み,1996年から2011年までの15年間で,正規労働者は約400万人減少し(-10.6%),非正規労働者は約720万人増加(+71.9%)した(総務省「労働力調査」)。他方で,人件費を抑え,競争力を強化した大企業は経常利益を大幅に増加させるという相反する結果が生じているのである。
(3)  まともに働いても最低限度の生活すら維持できない「働く貧困」はあってはならない。派遣労働者,パートタイマー,期限付きの契約社員などといった非正規労働者の多くは,いつ解雇や雇止めをされるか分からない不安をかかえながら低賃金で働いている。現に,厚生労働省2007年賃金構造基本統計調査によると,非正規労働者の賃金水準は,正規労働者を大きく下回っており,平均現金給与月額で20万9800円と正規労働者の6割で,特別給与を考慮すると5割の水準にとどまることが報告されている。また,雇用契約でない業務委託や請負という契約形式の増加により,労働基準法などによる保護の対象外と扱われ,その結果,不安定かつ劣悪な条件下におかれた労働者が多数生み出された。
2 このように「働く貧困」が拡大する中,日弁連は,2006年人権擁護大会「貧困の連鎖を断ち切り,すべての人の尊厳に値する生存を実現することを求める決議」,2008年人権擁護大会「貧困の連鎖を断ち切り,すべての人が人間らしく働き生活する権利の確立を求める決議」,2010年人権擁護大会「貧困の連鎖を断ち切り,すべての子どもの生きる権利,成長し発達する権利の実現を求める決議」,2009年第60回定期総会「人間らしい労働と生活を保障するセーフティネットの構築を目指す宣言」と相次いでこうした状況に警告を発してきた。当会も,2009年6月「すべての人が尊厳をもって生きる権利の実現をめざす宣言」,2010年9月「子どもの貧困をなくし,希望を持てる社会にすることを求めるアピール」を発し,また,2009年4月「生存権の擁護と支援のための緊急対策本部」を立ち上げて,この間,様々なとりくみを行ってきた。
しかしながら,こうした努力にもかかわらず,事態は一向に改善されていない。「働く貧困」の原因の一つと指摘される労働者派遣法の改正案についても,2010年4月に国会に上程されているが,いまだ継続審議のまま成立の目処も立っていない。
3 これら「働く貧困」状況を抜本的に打開していくためには,わが国における労働法制のあり方として,正規雇用が原則であることを確認し,非正規雇用に対する適切な法的規制が確立されなければならない。すなわち,不安定雇用と低賃金の労働条件下におかれている非正規労働者の権利を確立し,まともに働けば,最低基準以上の生活を維持できるだけの賃金と,安心して働き続けることのできる雇用の安定が求められるものである。
具体的には,以下のとおりの非正規労働者の権利を守るためのルールの確立が必要である。
①  労働者派遣法改正案の修正及び速やかな成立
労働者派遣法は1986年に制定されたが,上述したとおり,1990年代後半からの構造改革路線のもと,労働者派遣の許容範囲を広げる方向での改正が1999年~2004年にかけて行われた。その結果,労働市場において正規労働者から非正規労働者への切り替えが促進された。
 ところが,2008年秋のリーマンショック以後,いわゆる「派遣切り」が多発して,多くの派遣労働者が雇用と住居を失い社会問題化したことは記憶に新しいところである。
 このような状況を受けて,日弁連は,2008年12月に「労働者派遣法の抜本改正を求める意見書」を公表し,派遣対象業務の限定,登録型派遣の禁止,日雇い派遣の禁止等の8項目を求めた。その後,2009年3月に,日弁連の要求項目の多くを取り上げた野党3党(民主・社民・国民新)の改正案が国会に提出されたが衆院解散により廃案になり,政権交代後に再度法案が議論され,2010年3月に現改正案が閣議決定され,同年4月に国会に上程された。
現改正案は,登録型派遣,日雇い派遣,製造業派遣の原則禁止や,違法派遣についての直接雇用みなし規定の創設等を盛り込んでおり,非正規労働者の現状を改善するための一定の効果が期待されるが,現在に至るも継続審議のまま成立の目処すら立っていない状況にある。そのため,派遣労働者のおかれた状況は変わらず,依然として様々な違法派遣が後を絶たず,日雇い派遣等も規制されないままとなっている。したがって,一刻も早い改正派遣法の成立が求められる。
 もっとも,上記改正案にも,必ずしも専門職とは言いがたい職種も含む政令指定26業種について依然として登録型派遣を認めていること,本来全面禁止されるべき製造業派遣につき「常用型」は許容しており濫用の危険があること,派遣先の団体交渉応諾義務が定められていないことなどの不十分な点がある。
したがって,国会での充実した審理を通じてこれらを修正したうえで,よりよい派遣法改正が実現されるべきである。
 ② 有期労働契約に対する規制立法
2010年9月,厚生労働省の有期労働契約研究会が報告書を発表した。
報告書は,有期雇用の現状を「雇用の不安定さ,待遇の低さ等に不安,不満を有し,これらの点について正社員との格差が顕著な有期労働者らの課題に対して政策的に対応することが,今,求められている」として,「いかにして有期労働契約の不合理・不適正な利用を防止するかとの視点が重要」と強調している。
報告書は,有期労働契約締結にあたっての入口規制(有期労働契約締結のためには正当事由が必要とすること)に消極であるなど,必ずしも十分ではない側面もあるが,更新回数や利用可能期間の限定,正規労働者と非正規労働者の間の均等待遇原則の導入等を謳っている。性急な更新回数の限定等は,非正規労働者の雇い止めを促進するなど,弊害も予想されることから,十分な検討が必要であるが,ヨーロッパでは当たり前となっている入口規制を中心に,早急かつ実効的な法整備が求められるものである。
③ 最低賃金の引き上げ
最低賃金は,労働者の生計費等を考慮して定めなければならないとされている(最低賃金法3条)。しかし,従来の日本型雇用のもとで,世帯に正規労働者が存在し,その収入が家計を支えるとみられていたため,最低賃金の算定も家計補助的パートタイム労働者の低賃金をもとに計算されていた。しかし,上述のとおり正規雇用から非正規雇用への置き換えがすすんだ現在においては,非正規雇用の収入のみで家計を支える世帯が増大している。このような前提のもとで最低賃金額が見直されなければならない。
 この点,2010年10月~11月にかけて各都道府県の最低賃金が改定され,全国で一定額が引き上げられたものの,その水準は全国平均で時給730円(福岡県は692円)と未だ低い数字に据え置かれている。
 最低賃金法9条3項は,考慮事項として「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう,生活保護にかかる施策との整合性に配慮する」ことを挙げているところ,生活保護基準ですら(福岡市一等地,18歳単身世帯),時給に換算すれば1070円である(毎月勤労統計調査による所定内実労働時間の実態をふまえた月150時間労働を前提。なお,厚労省の採用する月173.8時間労働を前提としても,時給換算923.5円となる)。
フルタイムで働いてもワーキングプアから脱却できないような最低賃金は早急に改められるべきであって,最低でも時給1000円程度にまで引き上げられなければならないものである。
 現に欧米諸国の最低賃金は購買力平価で換算しても軒並み時給1000円を優に超えており,わが国においても実現できないことはない課題であるし,この要求は,連合をはじめ,わが国の多くの労働団体も求め続けている課題である。
 ④ 「個人事業主」の形態をとる実質労働者の労働条件の改善
建設請負労働者や出版請負等各種フリーランス,委託を受けて配送等を行う配送業者など,実質的にみて労働者でありながら,契約形式は委託契約等のまま劣悪な労働条件で働かされている「個人事業主」が数多く存在する。こうした実質労働者については,その法的性格に見合った労働行政の適正な指導とあわせ,法律レベルでの規制が求められるところである。
この点,つい先日最高裁が,大手住宅設備機器会社と業務委託契約を締結して修理補修に従事していた者について,「(業務委託契約を締結して業務に従事していた者らは会社の)指定する業務遂行方法に従い,その指揮監督の下に労務の提供を行っており,かつ,その業務について場所的にも時間的にも一定の拘束を受けていた」として,「労働組合法上の労働者に当たる」ものであると判示し,同人の加入した労働組合からの団交申し入れを拒否した会社の行為は不当労働行為を構成するという判断を示した(平成23年4月22日最高裁第三小法廷判決)。この判決を契機に,委託契約等を締結して「個人事業主」とされている労働者に対しても,その労働実態に応じて労働関係法規による保護がなされるような法整備へ向けた議論が開始されるべきである。
4 このような非正規労働者の権利の確立は,ヨーロッパでは当たり前となっており,韓国では一時期非正規雇用の割合が50%を超えるところまで進んだが,近年,非正規保護法が成立するなど,打開が図られているところである。我が国も遅れをとるべきではない。
もっとも,非正規雇用に対する法的規制を強化し,労働条件の改善を図る(例えば,最低賃金を全国一律に時給1000円程度にまで引き上げる)とした場合,利益を蓄えている大企業にとってはまだしも,体力のない中小企業にとっては現実的に対応することが困難であろう。実際,中小企業に対しても労働法制と同様に,市場原理主義が強化され(1999年 中小企業基本法改正),過当競争にさらされて中小企業が生き残りのために,正規労働者から非正規労働者への置き換えや低賃金化を進めざるを得なかったという側面も否定できない。
したがって,非正規労働者の働く権利を守るためのルールの確立と同時に,雇用者総数の70%近くを抱えるといわれる中小企業が,その従業員の労働条件の向上を図ることができるように,国や地方自治体において,中小企業の経営を安定させるための積極的な政策を展開することが求められることを忘れてはならない。
5 「働く貧困」の解消は単なる経済政策ではなく,その置かれた実態に鑑みた時,憲法25条の生存権侵害をいかに解消するかという極めて憲法的かつ実践的な人権課題である。
とくに,現在,東日本大震災の影響で,全国各地で雇い止めが急増しており,権利が十分に保障されていない非正規労働者は失業と貧困にあえぎ苦しんでいる。基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする当会は,これら「働く貧困」が蔓延する状況を看過することはできない。
 当会は,国および地方自治体に対して,上記に掲げた,非正規労働者の働く権利を守るためのルールの確立を訴えるとともに,自らも,2009年4月に立ち上げた,生存権の擁護と支援のための緊急対策本部の諸活動を強化し,現に苦境の中にいる非正規労働者をはじめとする労働者のための「雇用と生活問題ホットライン」等の相談活動や,会員向け労働事件研修をこれまで以上に実施するなどして,「働く貧困」をこの社会からなくすために,最大限の努力を行うことを決意し,冒頭のとおり宣言するものである。
以上
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