福岡県弁護士会 裁判員制度blog

2012年2月29日

裁判員裁判の体験談


 最新の判例時時報(2135号。2012年2月21日号)に日本裁判官ネットワークが2011年7月2日に「裁判員裁判の量刑」をテーマとしてシンポジウムを開いたときの議論の内容が紹介されています。
 裁判員裁判を体験した市民の発言がとても興味深い内容ですので、その一部を紹介します。ぜひ、全文をお読みください。(な)

 私が体験した裁判員裁判における評議は、ひとことで言うと、まさに「熟議」に尽きる。評議のときの座席は、裁判長がお誕生日席について、左右の陪席が裁判員の間に混じりこんで座っていた。
 以前は、裁判長も裁判員の間に混じり込んで座ったそうだが、それだと、裁判員が常に裁判長の方を向いて話をするので議論が発展しないという問題が生じたので、裁判長はお誕生日席に座るようになった。
 評議中は裁判長に背中を向けて、私は議論の中心を裁判長に向かわないようにした。裁判長を議論の輪に入れないように意識していた。
 認定作業やその順序、法律解釈などで適切な進行をしてもらい、ただ一人でも疑問がわくと、話をもとに戻して検討し直すなど、丁寧で細やかな配慮にとても感服した。そうやって何度も事実認定を繰り返して一つの答えに収斂していった。自分の意見を相手が納得するまで説明を尽くす。また、だれかの意見に対しては自分が納得するまで説明を求めるといったように、それらの主張のぶつかり合いが、合議体全員を交えて行われた。
 裁判官に対しても同様に納得のいく説明を求めて、また逆に理解してもらえるように言葉を尽くす。裁判官をいれて9人いれば、似たような考えはあっても最初から同じ考えを持つことは難しいので、それでも言葉の応酬を繰り返していくうちに、だんだんと出口の光が見えてくる。そして、全員の意見を内包した一つの解答に結実する論議を「熟議」と感じた。
 当初憂慮していたのは、自分の意見を言えずに流される人がいるんじゃないかと。ノーと言えない日本人がいたらどうしようということだった。ところが、求めるまでもなく、みんな勝手に自分の意見を、言いたいことを机の上に並べたてた。だから、杞憂だった。あの場でもっとも抑制的だったのは裁判官たちだった。
 ただ、ほかの合議体の評議においては、裁判員から積極的な発言がないところもあって、裁判長や裁判官は別な意味で苦慮したという話も聞いている。
 選任されてから解任されるまで、お互いを番号で呼び合っていた人間の実存在をもっとも端的に示す名前を無視して符号をつけてしまうことは、裁判員の人権を害するとも考えれられるが、実はこの符号以外お互いの素性を一切知らない間柄であったがゆえに、議論が発展したのではないかと考えている。
 与えられた番号以外、お互いに住まいも職業も年齢さえも最後まで知らなかった。お互いの背景を知らないからこそ、後腐れなく遠慮のない意見が言い合えた環境、空気だった。当時を振り返ってみて、必要最小限の情報しかなかったことが、かえって評議を充実させたという評価は一致した。
 裁判員同士を名前で呼び合う合議体もあるようだ。そうすることで合議体内の親和を培う目的だ。アメリカの陪審員も、選任時に公判中に呼び合うニックネームを決めるという。
 終始お互いの名前も知らずに、何番さんの考え方には無理がある、何番さんの情報はテレビから得た情報ではないか・・・などと、遠慮のない意見をぶつけ合った。
 評議は結審の日の午後、翌日、それから一日頭を冷やして判決日の午前中、本当に直前まで煮詰めた。丸一日の冷却期間を置いて、判決公判直前まで再度の意思確認を図る裁判長の慎重な姿勢には感謝と信頼感を覚えた。
 裁判員をやった経験で、被告人に対する最終的な刑罰をどうするかが一番重要だったし、その点が一番気になるから、事実認定だけで自分の役目が終わってしまうのは反対だ。私と被告人とは紙一重であって、私も被告人となり刑務所に入る可能性もあると思うので、量刑はとても重要で、裁判員がこれを扱うことには意義がある。
 検察官の冒頭陳述はいつもよくできていて、訊いているだけで冒頭陳述が真実ではないかと錯覚してしまう。冒頭陳述が論告化している。検察官が立証責任を負っていることは分かるが、裁判のはじめに結論を示しているようなもので問題だ。論告化した冒頭申述を聞かせると、裁判員はそれが真実ではないかと思いこむ心配がある。
 裁判長が書きあげてきた判決文案を、裁判員全員に読み聞かせて、これでよいですかという形でできあがった。裁判員一人一人の意見を判決書に反映してくれたとか、起案文に裁判員全員が手を入れて完成したという例も聞いている。

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