福岡県弁護士会 裁判員制度blog

2010年6月30日

前最高裁長官の語る裁判員裁判の現状と課題

前最高裁長官の語る裁判員裁判の現状と課題
本年(2010年)3月26日、最高裁長官だった島田仁郎氏が東大法曹会で「裁判員裁判にご理解とご協力を」と題して講話しています。裁判所内部の内幕話として興味深い内容ですので、その一部を紹介します。関心を持たれた方はぜひ全文をお読みください。会報10号に掲載されています。(な)

裁判所内は反対が強かった
 当時の裁判所部内では私を含めて多くの裁判官、とくに刑事部の裁判官は陪審制度の導入については反対していた。誤判防止のために陪審制度を導入すべきだという人も多く、これに対しては、これまで裁判の適正に努力を傾注してきた裁判官から感情的な反発もあったことも事実。しかし、冷静に考えてみても、陪審制度によって、果たして刑事裁判の内容がこれまで以上により適正なものになるかどうかは疑問であるというのが、当時の部内における大方の意見であった。

積極の方向に変わっていった
 その後、最高裁としては、欧米諸国に派遣して陪審や参審の研究をさせた者たちが続々帰ってきて報告する。そういう報告なども踏まえ、さらにいろいろと検討を進めた結果、結局、国民の司法参加自体にはメリットはあるし、時代の要請にもかなう。裁判官も一緒に裁判に臨む参審制度であれば、客観的な真実発見をあくまで求める我が国の国民性にも反しないし、参加する市民の負担の程度も陪審に比べれば比較的少ないということで、むしろ積極の方向で対応していくべきではないか、と変わってきた。

国民の司法参加の意義 
2つある。第1には、一般の国民が裁判官と一緒に裁判をすることで、裁判に国民の健全な社会常識が反映されること。第2には、国民が裁判のことをよく知るようになって、その結果、国民の裁判に対する信頼がより強固なものになるということ。これまで非常識といわれても仕方がない判決や言動が、まったく見られなかったわけではない。裁判官、とくに刑事裁判を長くやってきた者は、犯罪を憎み、世の治安を守るという気持ちにおいて、これは検察、警察とその気持ちを共にする。どうしても心情的には、検察や警察の正義を守り、世の治安を守ろうという心情に傾きがちである。
 したがって、嘘の自白を強要したり、鑑定資料について、いやしくもおかしな捜査をするなどということは、よもやないだろうと思いがちである。裁判員の場合には、被告人がうまく演技すれば、それに乗せられて間違った判断をしかねないという危険はある代わりに、被告人の真摯な主張を受け止める度量は広いといえるのではないか。私は、かねがね取り調べ状況の可視化を強く主張してきた。弁護士のみならず検察側のためにも、可視化はできる限り進めるべきだと思っている。

人を裁くことの精神的負担の重み
 制度に反対する方は、人を裁くという重い精神的な負担を市民に課すのはいかがなものか、と指摘する。しかし、犯罪はひとごとではなく、いつ自分が被害者になるか、あるいは加害者にもなりかねない。また、実は加害者でなく冤罪ではあっても、容疑者に仕立てられることもある。それなのに、一般市民はこれまで犯罪をあたかもまったくひとごととして、傍観者的な立場でしか見てこなかったきらいがある。
 人を裁くことの精神的な負担の重みは、まさにその通りであるが、それはプロの裁判官だからといって軽くなるわけではない。マンネリになって、その精神的な負担を軽く感じるようになるとしたら、それは裁かれる被告人に対して誠に申し訳ないわけで、みんなそうならないように、初心を忘れずに努めている。
 この世の中にどんなに残虐非道な犯罪があるのか、そして被害者や遺族の無念な気持ちを考えると死刑以外に考えられないような犯罪が実際に存在するということ、そういう事実と正面から、国民の一人一人に向き合っていただきたい。そのうえで死刑を廃止すべきかどうかを議論することが必要だと思う。
 死刑求刑事件に参加してみて、その犯罪と直接向き合って、それでもなお死刑にするのは酷であると思うなら、裁判員としてそういう意見を個々の裁判において十分に述べればいい。もし、そういう意見の方が多数で、それが反映されて、死刑判決がどんどん減っていくなら、それはそれでいい。それなら事実上の死刑廃止につながるということで、結構なことだと思う。重い方向になるにせよ、あるいは軽い方向に動くにせよ、量刑に一般市民の感覚が反映されることは、大いに歓迎すべきことだと思う。

9割の出頭率、参加してよかった
 出頭率は90%と、想像以上によかった。当初は1件について用心を取って100人も呼び出していたが、最近では50人で足りるということになってきた。参加した後には、非常にいい経験をした、または、いい経験をしたと回答した者が97%に上っている。
 裁判員になった人の96%が、精神的な負担の重みは実感しつつ、しかし、参加してよかった、という感想を述べている。これは陪審や参審をとっている欧米諸国のどこの国に比べても、勝るとも劣らない民度の高さを示している。
 参加してよかったと回答した者は96%、その理由として、自分たち市民の感覚が判決に十分反映されたと思う、と回答した者が92%あった。
 審理日数はほとんどが4日以内で終了し、5日以上はまだ8件。これは比較的簡単な事件がこれまで多かったからで、決して楽観できない。
 今後は複雑困難、公判準備に多大なエネルギーを要して、公判日数も10日はおろか、20日や30日もかかる事件も出てくることがある。そのような事件に参加した裁判員から、仮にも、負担のみ多くてつらかった、裁判で何をやっているか分からなかった、参加した意義が感じられなかった、という意見や感想が出てくるようでは、この制度が生き永らえることはとうていできない。
ちなみに、裁判員裁判が始まってから、裁判官はじめ職員全体の様子がかなり明るく活性化してきた。

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