(2006/3/9)NHK福岡放送局 池島記者
「人は間違いを犯す。もし証言が誤認だったら?」
被告の弁護士がいくつかの事実を見過ごしている点に疑念を抱いた主人公が、法廷での証言に疑問を投げかける。12人の陪審員のうち11人が有罪に挙手する中で、主人公だけが無罪を主張する・・・
福岡高裁などが主催して、記者が裁判員として参加する模擬裁判が開かれることが決まった時、私は「将来、裁判員になる人たちは、選ばれたら、実際の法廷に座るまでに何をするだろう」と考えてみた。主催者側の裁判所からは「何も予習なしで来てください」「普通の感覚で臨んでいただければいい」といわれたが、そうはいかない。
インターネットで『裁判員』を検索してみるとか、関連する本や法律書をちょっとでも読んでみるとか。初めてのことだから、不安も多いし、まったく知識がなくて惨めな思いをするのも嫌だし、人によって様々なことを試みるだろう。安直だといわれそうだが、ビデオやDVDをみてイメージだけは持っておこうという人もいるかもしれない。
そこで、手に取ったのが、冒頭に触れた、ご存知の名作「12人の怒れる男」だ。
平成18年1月6日。福岡地裁301号法廷。
福岡司法記者会の12人の記者が、2グループに分かれ、裁判官と一緒に裁判員として席に着いた。被告の背中を見つめる傍聴席とは違う目線の高さにやや戸惑いながら、取材よりも真剣に、被告や目撃証人の話に耳を傾け、メモをとり、質問した。被告役の男性が弱々しくて(演技力があるともいえるが)妙にリアルだ。
そして、弁護人の「私たちは、疑問が残るのならばこの殺人未遂罪で有罪とすることはできない」の言葉に『おお、映画みたい!』と思いつつ法廷を後にした。
評議開始。
「『乗り降り自由』。別の意見が正しいと思うならば、自分の考えに固執せずに」という裁判官の言葉に今度は、すっと肩の力が抜けて後ろを振り向くと、まるで授業参観のような視線を記者に注ぐ裁判官や検察官、それに弁護士の姿に再び背筋が伸びる。
事件は、飲食店で口論となった被告の男が、相手に一方的に殴られたことに腹を立てて、いったん自宅にもどって持ってきた刃物で相手の腹を刺すという想定。 評議に入ると映画のことは頭からすぐに消えて、集中。あっという間に制限時間。
私たちのグループは、多数決で殺意を認定し懲役四年の判決を出した。が、2時間という制限があったこともあり、結論に自信が持てなかったり不安を感じたりした記者は多かったようだ。同時に、裁判官の苦労を身にしみて感じた。
映画のように、裁判員が(映画では陪審員)お互いの思想や人生観をぶつけ合うような場面はなかったけれども、経験することによって現実に得た感覚は、傍聴席で感じ取るものとも、映画の後の余韻とも確実に違った。人が人を裁くことに対する恐れや不安。
裁判員制度に向けた様々な取材をすることになる私を含めた「12人の不安な記者?」が学んだことは予想以上に多かったのではないだろうか。とかく新しい制度の不備や不安要素を書きたくなる私たち記者だが、裁判員として一人の被告の行為を裁くという経験はその人のその後の人生や社会に向き合う姿勢や考え方に大きな変化をもたらすきっかけになると思う。その時に裁判員制度は実を結ぶのだと思う。制度が真に目指すその地点にたどり着くまでには、何十年という蓄積が必要だ。報道の側にもこの制度と真正面から向き合っていく姿勢が求められていると感じさせられた。司法が大きく変わるこの時期に裁判の担当となった12 人の不安な記者の1人として、「怒れる」ほど真剣に取材に取り組めたらと思う。

