会長日記

2014年9月

会 長 三 浦 邦 俊(37期)

立憲主義って、小学校で習ったかな?

今年は、早々の梅雨入りの後、山笠が終わっても、梅雨が明けませんでしたが、明けたと思ったら、台風12号、11号が、襲来しそうになって、雨が続いて、このまま暑くもならず、お盆となっても、雨が続いて、夏が終わろうとしています。

こんなもやもやした天気と一緒だなと思うのが、集団的自衛権行使を可能とした閣議決定問題です。新聞、テレビでは、広島、長崎の原爆記念日の式典で、広島、長崎の両市長が、この閣議決定に対して、遺憾の意を表明するのか否かが注目を集め、何も言わなかった広島市長に対し批判めいた報道がおこなわれたかと思えば、遠慮がちに批判的な発言をした長崎市長に対しては、地方自治体の首長として国政に関する発言は不適切だと批判する国会議員発言が飛び出す始末で、何か変だなという違和感を感じてしまいます。

全国52の単位会の全てと日本弁護士連合会が、集団的自衛権に関する解釈を閣議決定だけで変更することは、憲法の定める立憲主義に反するとしました。意見の一致を見ないことでは人後に落ちないと思われる弁護士会内部で意見が一致すること自体が、画期的なことなのですが、その点は、日本の世の中では、余り着目されていないことが些か残念に思えます。最高裁以下の裁判所が、違憲だと言わなければ、違憲だとは見做さないということであっては、国の制度としては危機的な状態ではないかと思います。

憲法に大原則を定めて、行政権の恣意的な行使をさせないとしているということは、小学校で習うのでしたか、少なくとも、中学校では、習ったはずですが、従来の憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を認めるというのであれば、国会でこれを許さない、憲法違反だという議論がおこなわれるべきだと思うのですが、さっぱり国会では議論されないわけです。数多の国会議員は何をしているのか、全国の小学校や中学校の新聞で、小学生や中学生が問題視しているのではないかと思ったりするのですが、どうなっているのでしょうか。国権の最高機関と謳われる国会や国会議員も、ここまで原理原則を無視され、コケにされていながら、黙っているのは、原則が判っていないのか、寄らば大樹の陰を決め込むのが今は正しいと思っているのか、短期的な戦略だと割り切っているくらいならば、まだマシなのですが、長崎市長を批判した自由民主党の国会議員は、立憲主義、国会中心主義が判っていないのだろうと思えてならなかった次第です。

この点、マスコミの中でも、産経、日経、読売の各新聞は、集団的自衛権に関する憲法解釈の変更を容認する立場を鮮明にしています。しかし、法律家の立場からは、憲法ルールの変更は、憲法の定めるルールでおこなうべきであるというのが正しいと言わざるを得ないわけです。憲法上のルールを内閣が解釈によって変更して良い途端に、あらゆる憲法上の規範やルールが、時の政府によって変更できる、その可能性が生じるということになってしまうことを危惧するからです。私と中野副会長は、7月の日弁連理事会終了後、銀座の街で解釈改憲を許すなという日弁連主催のデモ行進に参加してきました。

内閣が憲法9条に関する従来の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する解釈を取ること自体が違憲だということは、小学生でも判る理屈だと思えてならないのですが、最近は、そんなことは教えていないのでしょうか。教えていないとすると、最近の日本の教育は、かなり危ういのではないかと思えます。

護憲派から、自主憲法制定派まで

無論、弁護士集団の中には、内閣による解釈改憲は許されるとする意見を主張される会員もあります。他方で、解釈改憲は許されないという立場の方でも、現在の日本国憲法を擁護する立場、特に、憲法9条擁護の立場からの意見を言われる方もあります。

他方、集団的自衛権の問題の背景には、日米同盟の存在があって、日本の国防をどのように考えるのかという問題を抜きには考えられないはずです。集団的自衛権の行使を容認する立場の多くは、アメリカとの同盟を前提にして、アメリカからの要請があれば、アメリカが武力攻撃を受けた場合に、物的、人的両面において、その支援活動をおこなうことを想定しているものと思われます。アメリカも、軍事費の増大を押さえたいという点から、装備や人員的にも優秀と言われる日本の自衛隊の協力を得たいとしているのであると思われます。

しかし、日米同盟反対、自主憲法制定派の立場、政治的には、右翼と呼ばれる人たちの一部?からは、憲法9条1項の改憲、すなわち、国際紛争を解決する手段としての武力、戦力の保持を認める立場がありえますから、そもそも、集団的自衛権を、解釈改憲という中途半端なやり方ではなく、憲法改正を正面から論じて、認めろという主張がありえます。他方、自主憲法制定派の立場でも、自衛権の行使は、我が国に対する急迫不正の侵害がある場合に限られるとする立場もあり得ることになります。そうすると、集団的自衛権の行使云々というのは、結局、アメリカから軍事的、外交的な要請に対して、我が国、政府が応えたいとすることから出てきた議論に過ぎないと思えます。日本の外交政策として、これからも、ずっとアメリカとの同盟を維持するのかという点については、国民的な議論がおこなわれても良いと思われるのですが、国会では、現在、そのような議論がおこなわれていないようです。日本、特に、沖縄にアメリカ軍の基地があって良いのか、日本の自衛隊の基地ならばどうかという議論にならないのは、国会議員の怠慢か、国民自身の怠慢でしょうか。なんとなく現状を肯定する態度に終始していることは、為政者にとっては都合の良いことだと思われます。

国会の機能回復の必要性について

秘密保護法の議論を見ていても、事は同じで、どこかで、日本の官僚が考えて、都合の良いところだけを拝借するような発案がされたことが政府内部で承認されると、自由民主党と公明党政権が、衆参両院で多数を制している現在は、国会でほとんど何も議論されないで、そのまま承認され、誰も反対しない、反対しても、無視され、葬られるという現象が起きているのではないかという点を危惧せざるを得ないと思います。秘密保護法の問題は、マル秘を作りたい官僚と国民の知る権利とのバトルであって、知る権利が後退することは国際的にはあり得ないにも関わらず、日本での議論は官僚に有利な制度になろうとしており、少なくとも、国会監視機関に関する与党国会議員の認識は甘すぎるように思います。

日弁連に通うようになって、国会議員に対する要請活動などをおこなって、議員の方と接触する機会が増えています。国会議員の中にも、熱心に研究されている方もいますが、他方で、官僚の有する圧倒的な情報に負けていると思われる場合や、そもそも問題が多すぎて、国会の対応が困難になっているのではないかという点を危惧しています。個々の議員の方に力をつけて頂き、きちんと国会で議論をして頂かないと良い制度はできないと感じます。また、与党自由民主党の動きには、まだまだ、利益誘導型の政策判断が優先され、国民目線でより良い制度を作れない場合があると感じられます。

弁護士、弁護士会では、そのような活動をするべきではないという議論もあることも承知していますが、日本における民主主義のレベルを上げ、国民のための社会制度論を論ずるのは、法律家の役目だと思いますので、今後、各政党との勉強会等にも、積極的に取り組みたいと思います。

地方議会について

以上の点は、地方議会においては、もっと顕著だと思います。市議会、県議会は、市や、県の提案する議案を追認する機関になり下がっていて、地方にあって、住民のためのより良い制度を作るための、住民の意思を汲み上げる機能が失われているという点は、片山善博慶応大学教授の言われる通りだと思います。

福岡県では、堀大助会員が県議会議員の補欠選挙に当選されましたが、もっと政治を志す会員が増えても良いと思う次第です。

終わりに

弁護士会の会報は、会員向けの広報誌です。最近、裁判所や、マスコミなどにも配布されているようになっています。異論はあろうかと思いますが、日本の民主主義を考えることも、弁護士、法律家の役割と思っていますので、夏休みにあれこれ思ったことをお書きしました。