福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)

憲法リレーエッセイ

2013年4月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆

会 員 梅 津 奈穂子(59期)

皆様にクイズです。

(1) 尖閣諸島は日本古来の領土ですか?

(2) では、古来とはいつからですか?

(3) 米国地名委員会(その決定に大統領が関与する程の連邦の機関)の見解では、竹島は日本領ですか、韓国領ですか?

(4) 日本はサンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄しましたが、吉田首相が同条約締結の前日に行った演説は、択捉、国後が千島列島に含まれることを前提にしていましたか、どうですか?

(5) 尖閣諸島、竹島、北方領土で軍事紛争が生じた場合、米軍は日本側に立って戦いますか?


元外務省国際情報局長、元防衛大教授である孫崎亨氏の講演は、このようなドキッとする質問の連発から始まった。平成25年3月1日都久志会館で開催された講演会である。孫崎氏のツイッターのフォロアーも大勢参加され、120名の会場はほぼ満席。チラシに「先着順」とあったため、下関から駆け付け1時間以上も前から並んで下さった方もいた。

元外交官ならではの、事実や条約に裏付けられた緻密かつ説得力ある話にグイグイと引き込まれ、講演は寝る暇もなく進行していく。


さて、冒頭のクイズの答え。(1)いいえ、(2)1872年以降、(3)韓国領、(4)前提にしていた、(5)日本側には立たない。

この答えを驚かずに受け止められる人はどのくらいいるだろうか。少なくとも不勉強な私にとってはどれも衝撃であった。これまでマスコミの報道を何の疑念も抱かず鵜呑みにしていたのである。

「尖閣も竹島も日本古来の領土である。不法な領土侵略に対しては『断固とした姿勢』を!」と声高に叫ばれるようになって久しい。昨今の情勢は、漠然とした不安をリアルな危機感に変えていく。「断固とした姿勢を!」そう唱える人々の心底には、領土紛争が生じたら日米安保条約に基づき米軍が加勢してくれるという算用も少なからず働いているだろう。知らないということはなんと恐ろしいことか。

一方で、日米安保が役に立たないならば日本も独自の国防軍を!と極端に走るのもまたしかり。中国経済が圧倒的な力を持つようになった今日、日本がいかに軍事に予算を割こうとも、その勝敗は明らかである。領土問題解決の現実的な選択肢は平和的解決以外に有り得ない。事実や数字を知れば知るほどその答えは説得力を持つ。そして、「領土を捨て、欧州での影響力の拡大を図った」ドイツの方策が、平和的解決のひとつの方向性として示される。


孫崎氏の話は、原発問題やTPPにまで及ぶ。

(6) 東日本大震災より6年以上前の衆議院予算委員会公聴会で、津波に起因する炉心溶解の危険性について警告がなされていた。ホントかウソか?

(7) TPP参加により、国民健康保険が潰されるおそれが生じる。ホントかウソか?

(6)(7)いずれも本当の話である。そして、領土とTPPという一見無関係に思える問題が、「米国の思惑」というキーワードで繋がっていく。その陰にマスコミの情報操作あり・・・。

少しずつ背筋が寒くなっていく。北朝鮮や中国のような報道統制は決して他人事ではなかったのだ。

孫崎氏は、御著「これから世界はどうなるか」の中で、「正しい情報は存在するのです。しかし、よほど真剣に探さないと見つかりません。」と語る。情報に対し受け身になるのではなく、能動的にその真偽を検証していく姿勢が不可欠となろう。

2013年3月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 生存権裁判に参加して考えたこと

会 員 小 谷 百合香(64期)

みんなで知恵を絞って!

弁護団会議では毎回、白熱した(?)議論が展開されています。裁判の目的は老齢加算の復活ですが、そのためには、老齢加算がなくなって、高齢者がどれほど苦しく、貧しいみじめな暮らしをしているか、裁判官に分かってもらわなければなりません。そのために、理論面、事実面双方から裁判官にいかに伝えるか、7人で知恵を絞っています(私は実働というにはまだまだですが...)。

たとえば、生活保護受給の高齢者は、一度入った風呂のお湯を捨てずに溜めておいて、何度も沸かし直して入るのですが、その経済的メリット(果たして本当に節約になっているのか)と、衛生面でのデメリット(雑菌がどのくらい潜んでいるか)を検証しようという案が出たことがありました。結局、この案は、技術的な困難から実行されませんでしたが、既存のもの(経験や知識)にとらわれずに、自由に発想していいんだと実感します。


周囲に知られたくないこと

さて、この裁判の関係で、私は、とある高齢者の自宅に行きました。

この家族は、高齢の母と子ども二人の三人で暮らしていました。生活費は、母親の年金や生活保護費、それに子どもの収入や障害者年金です。

当初、母親は、少し耳が遠いながらも、私たちの質問に答えてくれていました。ところが、老齢加算がなくなったことで、変わったことは、との質問に、近くにいた子どもが「母さん、服や下着を買わんようになった。死んだ父さんのパンツや靴下を履いてるじゃないか」と言ってから、母親が顔を上げることができなくなり、顔色がみるみるうちに赤く変わり、話した子どもの膝をピシッと叩いたあと、まったくしゃべらなくなりました。

母親にとって、そこまで辛抱して生活していることは、周囲の人に知られたくないことだったのです。

おばあちゃんが、死んだおじいちゃんのパンツや靴下を履いている...このことは、話を聞いた私にとっても大きなショックでした。下着や靴下って、家族で使い回すようなものじゃないでしょ。これって、歯ブラシ使い回しているようなものでしょ。これで、高齢者が尊厳持って生きていると言えるのか。この高齢の母親の話は、しっかり聞き取って裁判官に伝えれば、きっと伝わる。そう実感した瞬間でもありました。


私が考えたこと

生活保護バッシングや保護費削減が声高に叫ばれる中、裁判自体は非常に厳しい状況です。

しかし、今回の訪問は、本当に保護を必要とする人が、十分な保護を受けられていないことを再度実感させられた、いい機会でした。

必要としている人に、必要としている保護を受給させる。これが、憲法の求める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」ではないのでしょうか。今回、私が話を聞いた母親の生活は、それが保障されていると言えるものでしょうか。

やはり、現場で必要としている人の声を聞かなければ現場の声は吸い上げられません。私たちはその吸い上げを実現できる立場として、これからも現場の生の声を聞き続け、それを裁判官にきちんと伝え続けていかなければならないと感じています。

2013年2月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 憲法とわたし

会 員 平 山 博 久(57期)

1 はじめに

この度、憲法リレーエッセイの依頼をいただきました。

憲法・・・思い返せば、司法試験を受験していた当時、一番苦手な科目でした。

理由は規定の仕方が一番曖昧だと感じたからです。

憲法を実体化する主体は国民であり、国民が現行憲法内容を決めたことを学んでも、憲法の曖昧さは納得できないものでした。

他には憲法に関する最高裁判例を見ても読み進めて、ドキドキ・ワクワクするものが少ない(と当時は思っていた)ことも一つの理由だと思います。


2 憲法と向き合った事件

さて、そんな私が、弁護士登録をして、最初に憲法と向き合った事件が中国残留孤児国家賠償請求事件でした。

現行憲法制定前の事実から現在に至る一連の事実につき、現行憲法下での違憲・違法を問う、この部分だけ取り上げても同事件がいかに壮大且つ困難な事件であるかを理解いただけるのではないでしょうか。

さて、私は、その弁護団活動を通じて、実務的な憲法の重要性を学びました。

事実を調べ、事実を評価し、法律を調べ、法律を適用し、そして憲法に戻って、事実の位置づけや評価はそれで良いのか再評価を行う。これらをどのような順序で考えていたかは、はっきりとは覚えておりません。

ただ、とにかく憲法を頂点とする法規範を意識して、事実を見て、評価し、争点に位置づけることを何回も繰り返した弁護団でした。

その弁護団活動を通じて、憲法に始まり、憲法に終わる、あらゆる事件で憲法を意識しようと思ったわけですが・・・・残留孤児の「訴訟」が終わり、今年は登録して10年目に入る年になり、憲法的な物の考え方ができなくなっていたことに気付かされます。

今回の憲法リレーエッセイの話をいただいた時に、「憲法・・・・しばらくしっかり向き合って考えてないなぁ・・」と思ったのです。

確認するまでもなく憲法は「最高規範」です。

その最高規範を意識することを怠り、事案に直接的または間接的に適用がある下位規範を頼りに業務を行っていたことに気付かされ、とても恥ずかしく思いました。

そこで、大学時代に使っていた基本書を取り出して読んでみましたが、改めて憲法とは面白い規範だと思いました。

現在、北九州において写真撮影に関する接見国賠訴訟の弁護団活動をしていますが、同事件はまさに憲法的視点が要求される事件といえます。

これから腰を据えて憲法と向き合い、勝訴に向けて努力していこうと思います。


3 ところで、この度、憲法リレーエッセイを書くことになりましたが、きっかけは私の事務所の事務所だよりでした。

私は、本年1月の黒崎合同法律事務所の事務所だよりにて、暇があれば、自然風景等の写真を撮るために、散歩等をしているという話を書きました。

すると、私の写真を見た弁護士から、(自然や写真が)「どう憲法と結びつくかわかりませんが、これを憲法と結び付け」てエッセイを書いてくれとの依頼が来たのです。

本来、自然と憲法について書くのであれば、原発や産廃処分場関連のエッセイを書くのがすっきりするとは思います。

ただ、今回のご依頼を受け、最高位の視点である憲法的視点を日常業務において持っていないことに気付かされたことがあまりにショックであったため、自戒の意味を込めて、憲法とわたしという内容で書きました。

今後は、日常業務においても、最高法規たる憲法的視点を常に意識した上で、業務に取り組んでいこうと思います。

2013年1月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆原発ジプシーと憲法

会 員 德 永 由 華(64期)

1 事故が起こらなくても

福島第一原発事故後、なにかと話題の原発ですが、実は事故が起こらなくても被ばくするのが、原発内で作業に当たる原発労働者です。社会の教科書等では、沢山の機械が並ぶ部屋の中から遠隔操作のみで発電できるかのような写真が使われてきました。

しかし、原発は通常運転でも、常に原子炉近く等で保安点検や補修、放射能漏れがあれば雑巾で拭き取って除染する等、被ばくを伴う現場の地道な作業がなければ運転できません。

また、年1度程度、定期検査が義務づけられていますが、発電による熱や振動、放射線によって原子炉等の原発施設は故障しやすい状態ですから、補修や点検が大事です。しかも、密閉された原子炉施設は熱も放射線も逃げにくく、最悪の労働環境です。

そして、被ばく量の限度は、労働安全衛生法等で一般人の年平均20倍(一般人は1msv/年、労働者は100msv/5年かつ50msv/1年)、緊急時は100倍(100msv/1年)まで許されています。しかし、通常の保守点検作業をしていては、すぐに限度量を超えて原発内で働けなくなるので、例えば、ボルトのねじを一つ締める作業でも、高線量の場所では防護服にマスク、鉛のカバーを肩にかけた完全装備で、離れたところから数人でヒット&アウェイを繰り返してねじを少しずつ締めていきます。被ばく量を分け合うために沢山の労働者が必要で、1基の定期検査で3000~5000人が必要とされています。

しかも、期間内に定期検査を終えなければ、下請業者は電力会社に1億円とも言われる罰金を払わなければいけません。しかし、電力会社と直接契約した下請業者だけでは人手が足りないので、6~7次下請まであります。危険な仕事のため人集めは難しく、強引に暴力団が人集めをする業者もあり、暴力団の資金源にもなっています。1次下請業者に電力会社から6~8万円支払われても、6~7次の下請労働者には中間マージンが順次とられて1万円ももらえないことも多いです。

定期検査で働く原発労働者は、定期検査期間しか仕事がなく、全国の原発の定期検査を渡り歩くことから、原発ジプシーと呼ばれています。

また、原発設置当初から被ばく隠しが横行しています。原発労働者は、安全教育を受けて、アラームメーターや線量計を持って作業するのですが、被ばく線量の限度を超えると仕事ができなくなるので、線量の低い所に置いたりして被ばく隠しをしながら作業します。

しかも、事故や労災はタブーなので、労災申請自体が少なく、福島原発事故が起こるまでに労災が認められたのは全国で10件だけです。健康保険や雇用保険・労災保険を準備している下請業者はあまりなく、被ばくして病気になっても、わずかな一時金をもらって終わりということが多いのです。


2 福島第一原発事故からもうすぐ2年

福島第一原発は、今もなお放射線を放出しており、福島原発労働者の被ばく限度量が法律で一般人の250倍(250msv/年)にまで引上げられています。より高線量の被ばくが予定されているのです。

福島第一原発では、毎日3000人ほどが作業にあたっていますが、それでも国は、廃炉までに30~40年かかると試算しています。

しかし、国は2011年12月、事故収束宣言をすると同時に労働者の検診の補助金を打ち切りました。また、6~7次下請構造は変わっていませんし、3000人の労働者に線量計をつけさせていなかったり、線量計に放射線を遮断する鉛のカバーをつけたり、被ばく隠しも相変わらず横行しています。むしろ、作業場所の放射線量が非常に高くなっていることから、定期検査のときよりも被ばくの危険が深刻になっています。


3 最後に

原発は、労働者に被ばくさせなければ運転も収束もできません。原発は、労働者の人格的生存権、健康、人権の根源である生命すら奪う恐れが高いものといえます。原発ジプシーなど原発労働者の命や権利と引き換えに得られるのは、2012年夏の電力ピーク時に原発なしでも十分賄えた「電力」でしかありません。 ジプシーは蔑称ですが、原発ジプシーには憲法に反する労働に従事しているという侮蔑の意味も込められているのかもしれません。

2012年12月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 息子と甥っ子

会 員 天 久   泰(59期)

去年の秋、沖縄にいる妹に甥っ子が生まれた。甥っ子の祖父、つまり私の父の喜びようはそれはもう大変なもので、妹宅へ行き、一日中甥っ子を抱いているらしい。父からは甥っ子とツーショットの写真がメールで送られてきた。満面の笑みの父。

今年の春先、一泊だけの帰省をした。初対面した甥っ子は、手に取るものを何でも口にくわえようとし、気に入らないことがあると家の外まで聞こえるくらいにわんわんと大きな声で泣く。元気の塊のような子。妹ゆずりのクリっとした目に、お父さんゆずりの団子っ鼻。愛らしい甥っ子を抱っこする父に近況報告し、久しぶりに母親の手料理を食べ、団欒した。


7月のある日、私に息子が生まれた。私の名前から一文字(といっても一文字しかないが)を贈った。すぐには父親になった実感がわかなかったが、帰宅時間は早くなった。息子はあくび、くしゃみ、ゲップと、毎日できることが少しずつ増えていく。皆こうやって人間になっていくのだなぁと思った。沖縄から駆け付けた私の父は、目元は妻に似て、鼻から下は私に似る息子を見つめ、目を潤ませながら喜んだ。


9月のある日曜日、携帯電話に父からのメールが届いた。添付された画像データには、「オスプレイ・ノー」と書かれたメッセージボードを持つ父の姿。地べたにあぐらをかく父の膝の上には、きょとんとした目の甥っ子。なぜ自分がここにいるのか分からないというような表情をしている。当然だろう。実家から歩いて15分ほどの公園には何万人もの地元住民が集まった。この日を皮切りに沖縄ではオスプレイ配備反対の集会が各地で相次いだ。


オスプレイ配備の件を知って私の胸中を占めた気持ちは、自分の息子を沖縄で育てなくてもよいことに対する安堵感だった。沖縄に生まれ、親族を沖縄に置く身でありながら薄情であり、卑怯であることは間違いない。しかし偽らざる心境である。10月1日、山口県の米軍岩国基地を飛び立った6機のオスプレイが、薄情な私の頭上、北九州市の空を越えて米軍普天間基地に降りた。オスプレイを沖縄に送ってしまったのは私自身なのではないかと錯覚した。沖縄では10月だけで11市町村で反対集会が開かれた。


11月に入り、実家の母へ電話をすると、民間地上空を飛ばないはずのオスプレイが保育園や団地や学校の上を平気で飛んでいるとのこと。米軍が約束を反故にするのはいつものことなのでそれ自体には驚かない。心を動かされたのは、あの愛らしい甥っ子のことである。オスプレイは他の米軍機にはない独特の低周波音を放ちながら飛ぶ。普天間基地の滑走路から500メートルほどの実家の窓はビリビリと音を立てて揺れ、ときには建物自体が揺れるように感じる。甥っ子はその音を聞くと、近くにいる大人の膝下にしがみつき、ウーウーとうなるような声を出し、音が止むのをひたすら待つ。怖いのだ。


平和主義の下では、日本国民のすべてが平穏で安心できる平和な環境を享受できるはずだ。また、憲法は、平和を維持するためであっても、命や健康を差し出すことを国民に要求しない。武力の不保持を誓っている以上そのように解釈できるし、解釈しなければならない。では甥っ子と私の息子が置かれる境遇の違いをどのように理解すればよいのか。二つの幼い命は、ともに憲法の下にあるはずである。私にはその答えを見つけることができない。

2012年11月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 人権擁護大会シンポジウム余聞

会 員 永 尾 廣 久(26期)

姜尚中教授のドタキャン

10月4日、佐賀市で開かれた第55回目の日弁連人権擁護大会シンポジウム第一分科会は教育問題をテーマとして取り上げたものでした。私は、このシンポジウムに日弁連憲法委員会の委員長として関わりました。

教育問題をテーマとする大変地味なシンポジウムだけに集客力に不安がありましたので、実行委員会ではいろいろ検討し、試行錯誤を重ねたあげく、100万部も売れたと評判の『悩む力』の著者である姜尚中・東大教授を目玉にすえることにしました。超多忙な学者であることは周知のことですので、突然の体調不良や台風などのために急にキャンセルされたらどうしようという一抹の不安とともに準備をすすめていきました。

ところが、木曜日にシンポジウム本番を予定していた直前の日曜日の夜に「家族に不幸があって参加できない」とのメールが入ったのでした。まさしく晴天の霹靂です。実行委員会としては、何とか翻意してもらうべくタイムリミットぎりぎりまで働きかけをしましたが、ついに断念せざるをえなくなりました。


右派ジャーナリズムによるバッシング

その後、姜尚中教授のドタキャンは、結局、某週刊誌がその家庭内の不幸(長男の自殺?)というのをスクープとして大きく取り上げたことによるものだということが判明しました。東京の地下鉄車内での週刊誌の宙吊り広告には「姜尚中の家庭崩壊」と大書されていました。

ところが、ことが起きたのはなんと3年も前のことなのです。家庭内で不幸な出来事があったのが事実であったにしろ、それをあたかも最新のスクープであるかのように大々的に「報道」するのは、まさしくリベラル派知識人たたきを狙ったバッシング以外の何ものでもありません。

日中・日韓で領土問題に火がつき、「愛国心」が煽られるなかでの有名「在日」知識人バッシングとしか思えません。


出るべきか、出ざるべきか・・・

マスコミに詳しい弁護士のなかには、なんの、これしきの週刊誌の記事など、ものともせず、気にすることなく堂々と講演すべきだという声がいくつもあがりました。

でも、私はそれには同調できませんでした。教育シンポの基調講演者が、週刊誌で大きく「家庭崩壊」と報道されているのに、人前に出ることができるものでしょうか。私にはそうは思えません。少なくとも私は自信がありません。


寛容さを忘れようとしている日本社会

先に、生活保護問題で有名な芸能人の母親があたかも「不正受給」しているかのような一連の報道がなされました。

かつて、日比谷公園における「年越し派遣村」が話題になったことがあり、生活保護の受給がそれまでより容易になろうとしていたわけですが、今回は、まさにその逆風が激しく吹き荒れているという印象を受けます。

世界的にみると、日本は生活保護を受ける資格のある人の大半が放置されている国です。にもかかわらず、ますます生活保護を受けにくくする方向で政治が動いているのが悲しい日本の現実です。

ネット世界でも姜教授バッシングはひどいようです。昨今の日本社会が少しでも「異質」なものを排除しようとする寛容のなさに私は底知れぬ不安を感じてしまいます。


教育実践の報告があり、シンポは大成功

姜尚中教授の話を聞くのを楽しみに集まってきた一般参加者は怒り、詳しい事情説明を求めました。怒りをぶつけられるのは仕方ありませんが、詳しい理由を姜教授から聞いていない以上、弁明できません。ともかく、最後まで姜教授に出席を求める努力を尽くしたが結局、来てもらえなかったことを告げて参加者に対してお詫びするしかないということになりました。

姜教授のドタキャンの代替をどうするか苦悩しましたが、結局、世取山洋介・新潟大学准教授に話してもらいました。そして、北海道・宗谷(稚内)、東京の足立区と七生養護学校、さらに大阪の小河勝氏(府教育委員会の委員)に、教育現場の実情をたっぷり話してもらいました。教育現場の深刻な状況のよく分かる報告でした。

たとえば、小学校の低学年でかけ算の九九をまったく身につけていない子どもたちは授業が分からないまま大きくなっていく。そのうえ、漢字も読み書きがよくできないので、文章題が理解できない。学力向上を目ざすというのなら、この根本のところを改める必要があるのに、今は、これまで中学校レベルで教えていたものが、小学校レベルにおりてくるように年々難しくなっているというのです。

いずれにせよ、現代日本で少なくない子どもたちが社会で生きていくうえで十分な学力を身につけないまま放置されている現実を知ってショックでした。

宗谷(稚内)の元校長先生は、今の子どもたちは淋しがっている、子どもたちを温かく包み込む輪をつくるために教師だけでなく、地域ぐるみの連携が必要だし、それを実践していると力強く報告してくれました。うんうん、そうだよなと、思わずうなずいたことでした。

最後に、世取山准教授が指摘されていた1976年5月21日の旭川学力テスト事件最高裁判決は本当にいいことを指摘していますので、ここに紹介します。

「知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、例えば教師が公権力によって特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行わなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない」
このように、姜教授のドタキャンという災いが転じて福となるというシンポジウムでした。

2012年9月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆

会 員 後 藤 富 和(55期)

1 生物多様性と憲法

先日、自由法曹団九州総会で屋久島に行きました。脱原発に向けた熱い議論を行ったのですが、私がもう一つ興味があったのは屋久島におけるウミガメの保護。屋久島は世界自然遺産の島として有名ですが、この島の永田浜は国際的に重要な湿地としてラムサール条約に登録されています。永田浜には絶滅の危機に瀕しているアカウミガメとアオウミガメが産卵のために上陸する貴重な海岸です。

夜、家族でウミガメ観察会に参加しました。ウミガメを観察するには、NGOのレクチャーを受け、その指示に従わなければいけません。勝手に浜に入ることは禁じられています。レクチャー後、真っ暗な中、ウミガメが上陸するのをじっと待ちます。灯りはダメ、カメラもダメ、ケイタイもダメ、おしゃべりもダメ、列を外れるのもダメ。

ウミガメ上陸の知らせが入り、ガイドについて一列で静かに浜を進みます。途中、卵から孵った子ガメ達が一斉に海に帰る場面に遭遇しました。100匹以上はいたでしょう。小さな体に不釣り合いな大きな前脚をバタつかせ懸命に海に向かいます。私達はじっと子ガメを見守ります。子ガメ達が全て海に入っても、しばらく動けません。すぐそばに上陸した母親ガメが産卵の準備を始めたからです。産卵の準備が整い、卵を産み出してから静かにカメに近づきます。大きなアカウミガメがピンポン玉くらいの卵を産んでいます。産み終わり砂をかぶせるまで黙って見守ります。母親ガメが向きを変えて大きな体を揺すって海に帰って行きました。最後まで子ども達と一緒に見送りました。

今回、産卵と孵化の両方に立ち会えたのは幸運でした。

憲法の話でなぜウミガメ?と思われた方もいるでしょう。ウミガメの産卵(生物多様性保全)という環境権、他方で観光という経済的自由。この調整としてウミガメを見るために様々な制限、義務を課す。私は永田浜での取り組みに人権の調整原理としての「公共の福祉」の実現をみた気がしました。

2 PTAと憲法

以前も書きましたが私は福岡市立警固小学校PTAの研修委員長をしています。今年度の目玉は、9月の福岡朝鮮初級学校訪問、10月の教育講演会。この講演会は「公害、環境破壊から子どもを守る~ミナマタの経験をフクシマへ」をテーマに馬奈木昭雄会員にお話しいただきます。講演会はPTA会員だけでなく地域の皆さんにも解放されますので、当会会員のみなさんもぜひご参加下さい。

日時  10月16日午後1時~3時

場所  福岡市立警固小学校体育館

    (スリッパをご持参下さい)

あっ馬奈木会員の西日本新聞の連載「馬奈木昭雄聞き書き たたかい続けるということ」が単行本になったのはご存知でしょうか(西日本新聞社、1,995円)。特に若い会員の皆さんにご一読いただきたいと思います。

また3学期には春田久美子会員を講師に「人権と憲法」の学習会も予定しています。その他、毎月、様々な人権学習を企画しています。小中学生の子を持つ会員の皆さん、PTAの研修委員会(成人学習委員会)に参加してみてはいかがでしょうか。

3 嫌韓論について

この夏、日本国内で飛び交った嫌韓論にはホトホト嫌になりました。以下は私がインターネット上で発表した意見の抜粋です。


出口のない批判ではなく落としどころをどうするのか、どうなったら100年来拗れている日韓関係のもやい直しができるのか、まずは双方の政治家が真剣に考えるべきです。ただ、政治家にそれが期待できないのだったら、双方の国民同士が互いに相手を批判するのではなく、解決の緒を作るための交流を続けるべきだと感じます。大きな括りで「日本人」「韓国人」ってひとまとめに記号化してキャラを作り上げているからいけない。その「韓国人」って具体的に誰?その「日本人」って誰のこと?韓国人の私の友人は僕や僕の子ども達をネットに書いてるような日本人観で中傷はしないでしょう。逆に僕も韓国人の友人やその家族をネットで書いてあるような韓国人観で中傷することは絶対にしません。

ぜひ、日本人の方は韓国人の友人のことを、韓国人の方は日本人の友人のことを具体的に思ってください。そうすると、ひとくくりに「日本人」「韓国人」って批判はできないでしょう。批判よりも、両国の平和友好をどう築いていくかを考えましょう。

ネット上で飛び交う両国国民の書き込みの行き着く先は戦争です。ストレス解消で相手国を批判しても戦争への道を一歩進めるだけです。もし自分が日本の総理だったら、韓国の大統領だったら、どうやって両国の関係を平和に導くか、批判だけする傍観者じゃなく、子ども達に未来を残す責務をおっている大人として、子ども達に戦争の惨禍を経験させないためにどうすべきかを真剣に考えましょう。

かなり激しい内容になりましたが、ここ数日、パソコンを立ち上げるのが嫌になる程、飛び交う言説に心を痛めていることを分かってください。それは私だけじゃなく多くの日本人がそう感じているはずです。

そして、韓国の方へ。多くの日本人は私と同じように日韓の平和を願っていることを信じて下さい。

2012年7月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆ 震災が残したもの

会 員 原 田 美 紀(59期)

遊ぼうっていうと遊ぼうという

ばかっていうとばかっていう


震災後に繰り返し流れたACの広告。一時期はこどもたちまでもが口ずさめるほどだった。

この詩の作者金子みすゞは、明治36年の生まれである。西條八十にその才能を認められ、詩人としての道を歩むも、結婚した夫からは作詞活動を禁じられ、自身不治の病に罹ったなかで離婚。彼女から娘を引き離そうとする夫に抗い、26歳という短い生涯を終えた。

山口県仙崎市にある金子みすゞ記念館には、CMの影響もあってか休日ともなれば訪問客が絶えないという。


震災後、「絆」ということばをよく耳にし、人と人とのつながりの大切さが再認識されている。

あまりにも悲惨な状態を考えれば、簡単に副産物と言ってしまうにはためらいもあるが、こうした風潮が生まれたことの価値は大きい。知人である市の職員のひとりは、「震災直後、何とか力になろうと多くの職員が現地に赴いた。仕事を抜きにして、何かに突き動かされるような思いだった。わが市もまだまだ捨てたものじゃないと本当に思った」と語る。

その一方で、震災を機に突飛な理論も持ち出されている。そのひとつが憲法への国家緊急権条項導入理論である。

災害時において、適切な対応ができなかった。だから、今後このような災害が起こったときに政府の危機対処能力を高め、適切な対応を可能にするために、国家緊急権条項を憲法に盛り込むべきというのである。

「ええーっ! なんでそうなるの」

国家緊急権というのは、憲法を学んだ者であれば、誰もが知っている「超」憲法的概念である。国家緊急権の発動はそのまま憲法秩序の停止を意味する。

今回の災害時に政府による適切な対応がなされなかったのは、国家緊急権がなかったからではない。

災害対策基本法等により盛り込まれ、定められるべき組織や制度が機能しなかったにすぎない。

本当に危ぶまれる不備があるというのが理由であれば、それぞれの法律にこうした制度を入れ込めば済むだけの話ではないか。

災害の影響で苦しむ国民の救済という現実の問題を後回しにして、これを好機とばかりに、何ら議論もせずに情緒的にあおり、国民の人権保障のために最も大切である憲法の抜け穴を作ろうとする動きは信じがたい。


これからの日本のあり方を国民の一人ひとりが真剣に考えるときにきている。

「議論をしましょう」

憲法委員会がいつも市民に呼びかけていることばである。

今、現実の問題を直視し、議論を重ねるという努力をしなければ、手痛いしっぺ返しを受けるのは間違いない。それはそのまま我々に跳ね返ってくる。


こだまでしょうか いいえ誰でも

そう、立ち返ってみたい。

2012年6月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆「ひまわり一座の憲法劇に参加して」

会 員 髙 木 士 郎(64期)

1 ひまわり一座とは

憲法記念日を前にした4月30日、中央市民センター大ホールにおいて、ひまわり一座による憲法劇「ぽったと原発の黒魔術」の公演が今年も行われました。

このひまわり一座、とは、弁護士が中心となって、日本国憲法を守る意義を多くの人達にわかりやすくかつ面白く伝える活動を行っている団体で、1989年の設立以来20年以上にわたって活動を続けてきました。ひまわり一座、という名前はご存じなくても一昨年の県弁主催の給費制維持市民集会で寸劇を行っていたメンバー、といえばおわかりになる方もあるかもしれません。

これまで、米軍基地問題や諫早湾干拓問題などを題材として取り上げ、身近な憲法問題についてみんなで考える劇を行ってきました。この様な長期にわたる活動の甲斐あって、現在、ひまわり一座には、演劇の専門家をはじめ会社員、学生など弁護士以外の多くの方々が、一座の活動に賛同し協力してくださっています。今年の公演でも、裏方さんまで含めると50余名の方が直接関わってくださり、そのうち4分の3は弁護士以外の方々です。


2 今年の憲法劇

今年の憲法劇は、「ぽったと原発の黒魔術」。この題名からおわかりの通り、福島第一原発の事故を題材としたお芝居です。魔法を使える魔法族と人間族が共存する社会で、魔法族の少年「ぽった」が、親友の「ろん」、「まい」とともにボランティアに向かった被災地でその被害の深刻さを知り、自分に何ができるかを模索し成長していく、というストーリーです。ですが、決して堅苦しいだけのものではなく、笑いあり涙あり、さらにはダンスもありの、楽しみながら原発にまつわる憲法問題を考えることができる内容でした。原発問題、というホットな話題が題材であったこともあってか、大ホールの客席はほぼ埋まり、立ち見が出るほどの観客の方にご来場いただくことができました。

私は、今年、ひまわり一座の公演初舞台でした。これまでお芝居などやったこともないのですが、地元に被害を与えた企業の会社員として苦悩する地元出身の青年という、演技も難しく、またストーリー上も重要な役をいきなり仰せつかりました。しかも、一つ一つの台詞が長い!ただ、役柄に難しいながらもやりがいを感じましたので、私が福島に行ったときに聞いた地元の方の話や原発で作業員として働いておられた方から聞いた話などを元に、原発の事故がもたらす被害の深刻さと置き去りにされた被災者の苦悩について考え、それが伝わってほしい、という想いで演技をしていくことにしました。

最初は、台詞も棒読みで、演技をしようとするとかえって不自然になってしまうなど全く上手くいかず、ほとんどパニック状態でしたが、共演者や演出家の方々から一緒に何度も稽古をつけてもらったおかげで、何とか本番では役を演じきることができました。客席で見ていた友人から、苦悩が伝わってくるような演技だったよ、というメールをもらったときはとてもうれしかったです。

また、公演が近づくにつれて、演技指導にも熱が入り同じ場面の共演者同士で自主練習をするなど、同じ劇を一緒に作り上げていっているのだ!という気持ちがどんどん強まっていきました。この様に、出会って間もない人達と一緒に、公演の成功という目標に向かって連帯感・一体感を持て、それを高めていくことができたことはとても有意義な経験だったと思います。

また、演技を実際にしてみて、自分の思っていること、伝えたいことを、言葉で人に伝えるには、声の大きさ、高さ、抑揚、視線、顔の向き、表情、身体の動きなど様々な点で工夫をしなければならないことを痛感しました。今後、尋問や相談など弁護士としての仕事の分野で、今回劇を通して学んだことを役立てていきたいと思います。


3 憲法講座

原発事故を題材にお芝居をするにあたり、被災地、特に福島に暮らしておられる方々がどのような状態にあるのか、どのようなことを考えておられるのか、また、原発で実際に働いておられた方々はどのような作業実態であったのか、その危険性はどのようなものだと教えられていたのか、などを学ぶための学習会を、劇の練習の合間に何度も行いました。

学習会に講師としてお招きした、福島に何度も足を運ばれ、ボランティアとして避難を希望される方と避難先との橋渡しを行っておられる方が語られたエピソードなどが脚本に盛り込まれるなど、劇を通して原発の生み出す憲法問題をより明らかで身近なものにするために学習会はとても有意義なものでした。


4 憲法劇団ひまわりサポートについて

昨年、憲法審査会が審議を始めたことに加え、今年に入ってからは主要政党が憲法改正原案を発表しました。この様な状況であるからこそ、私どもひまわり一座は、市民の方々と一緒に、芝居を通じて日本国憲法について理解を広げ、その素晴らしさを伝える活動を、よりいっそう行っていこうと考えております。

その活動の一環として、より幅広い層の市民の方々にひまわり一座に参加していただくために憲法講座をより充実させる、憲法劇を通じて憲法の意義を広く多くの市民の方々に知っていただくためにチケット販促活動にさらに力を入れるなどの点にさらなる尽力を行いたいと思っています。

これらの活動を支援するため、憲法劇を支える弁護士の会「憲法劇団ひまわりサポート」を立ち上げることになりました。福岡県弁護士会会員の皆様には、どうかこの趣旨にご賛同いただき、ご参加くださいますようお願い申し上げます。


5 終わりに

舞台をみんなで作り上げていくその高揚感、舞台を終えたときの達成感、その後の懇親会でのビールの美味さ、どれをとっても素晴らしいものです。憲法を大事にしたいと思っておられる方、演劇が大好きな方、舞台に立ってみたい方、ぜひ、ひまわり一座にご参加ください。また、裏方でのご参加も歓迎いたします。

来年も、憲法記念日の前後に公演を予定しておりますので、ぜひ観客としてもいらっしゃってください。よろしくお願いいたします。

2012年4月 1日

◆憲法リレーエッセイ◆さよなら原発 3.11福岡集会に参加して

会 員 國 嶋 洋 伸(63期)

3月11日・・・。日本国民の価値観すら変えてしまうような昨年の大震災と原発事故から1年が経ちました。慰霊、検証、追憶・・・人によってその日が持つ意味は様々でしょうが、「原発なくそう!九州玄海訴訟」の弁護団の一員でもある私は、天神の須崎公園で開催された「さよなら原発3.11福岡集会」に参加しました。

厳しく冷たい北風が吹く中、3千人を超える市民が集会に参加しました。沖縄のラッパーや平和を唱うミュージシャンがオープニングアクトを務めた後、地震発生の時間には黙祷を捧げて、福島から福岡へ避難してきた若いお母さんたち(「避難ママ」)や元原発労働者らが次々とトークライブを行いました。

避難ママたちは、幼い子供の手を引いてステージに上がり、「不安に怯えずに暮らせる平凡な日常を返して欲しい。」「子供たちが外で元気に走り回れるふるさとに帰りたい。」と涙とともに訴えました。

その後、思い思いの手作りのプラカードや旗を持って、九電本社前まで渡辺通りをデモ行進しました。

「原発なくそう!九州玄海訴訟」は憲法上の人格権を根拠にしているのですが、「人格権」なんて司法試験の受験生時代にはよく分からず敬遠していました。

しかし、避難ママたちの話を聞いて、「人格権」は「フツーの人がフツーに暮らす権利」だったり、「今日と同じ平凡な明日を迎える権利」だったり、当たり前だけど庶民にとってはかけがえのない大切な権利なんだなぁと感じました。

また、原発労働者の方たちは、今も昔も過酷な環境の中、命を削って働いています。そのことに対して避難ママたちは「誰かの犠牲の上に成り立つ幸せなんて、ホンモノの幸せじゃない。」と言っていました。このことは、原発問題に限らず、沖縄米軍基地の問題や貧困と格差の問題などすべてに共通する、まさに憲法上の個人の尊重の原則の問題でしょうか。

もう一つ、私は「よみがえれ有明海訴訟」の弁護団にも参加していますが、島原の漁師さんから聞いた「普賢岳の噴火で海が変わっても魚は戻ってきたが、人が造った堤防で壊れた海は戻らん。自然災害は自然が戻すけど、人がやったことは自然には戻らん。宮城や岩手の漁師もすぐに戻るけど、福島は大変だろう。」と言う言葉が忘れられません。 私の祖父は宮城在住で家が多少壊れたものの、すでに元の生活を取り戻しています。福島の人たちも早くふるさとに帰れる日が来るといいのですが、果たしていつになることでしょうか・・・。

3月11日は、福岡だけでなく、北九州でも5000人、久留米と大牟田でも、それぞれ300人規模の脱原発集会が開催されました。

万が一、玄海原発で福島レベルの過酷事故が発生したら・・・福岡でも今日と同じ明日を迎えることは困難でしょう。

自然がもたらす恵みの中で、今日と同じ平凡な明日を迎えることができることに感謝しつつ、その権利を守るためにはみんなが知恵を出し合ってエネルギー問題を真剣に考えなければならないし、その陰に誰かの犠牲があってはいけないと、あらためて感じさせられた1日でした。

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